どこの国にも、その民族が血の中に持っている男っぽさ、あるいは頑固さ、頑迷さと言ってしまってもいいだろうか、その象徴みたいな、岩のような顔と声を持ったオヤジ歌手というのがいるものである。ギリシャで言えばこの男、ステリオス・カザンジディス(STELIOS KAZANTZIDIS)が、それにあたるだろう。
彼が1950年代から歌い続けているギリシャ歌謡の”ライカ”は、時代の流行に影響を受けつつサウンドを表面上は変えてきた。が、その本質もまた、岩のように変化はない。イスラム文化とキリスト教文化の激突などと、この地域の音楽を分析的に語るに定番の認識なども吹き飛ばし、濃厚なギリシャっぽさとしか言いようのない臭みがその音楽には漂っている。
例えばアイドル歌手のアルバムなどを聞いてみると、冒頭の数曲は確かに西欧風のアイドルポップスなのだが、聴き進むにつれ、地中海の陽光と果てしない時の流れに干し上げられて枯れ切ったような旋律と地を這うようなリズムのギリシャ歌謡の世界が展開されてしまう。
あるいは、60年代に人気のあった歌手のアルバム。冒頭の曲は粋な当時の流行のジャズ風都会派ポップスなのだが、気がついてみれば、やはり濃厚なギリシャ歌謡の世界に突入してしまう。一事が万事。流行り歌だけ聞いた印象で言えば、ギリシャ人は世界一頑固な民族だ。
このアルバム、としか言えないのが残念、なにしろジャケには隅から隅まで探し回ってもギリシャ文字しか書いていないし、作品の詳細や歌詞内容はおろか、アルバムタイトルをどう発音するのかさえ私は知らないのである。どなたか写真のこのアルバムのタイトルの読みをご存知の方、ご教示願いますまいか?
それはそれとして。私はこのジャケのカザンジディスが、ランニング姿で漁船に乗っていると、長いこと思い込んでいた。おそらくは”漁師”というコンセプトであろう。ギリシャ国民の暮らしを寡黙に支えてきた無名の庶民の心意気を象徴するように、カザンジディスはアルバムのジャケ写真で漁師に扮してみたのだろう。
が、久しぶりに引っ張り出したこのアルバム、ジャケ写真の彼はランニング姿の漁師に扮してなどはいず、ただ海辺に佇み、いつも写真撮影で彼がそうするように、凶悪な目つきでこちらを睨むだけである。ポロシャツの下には確かにランニングが透けて見えてはいるが。
私にそんな誤解をさせたのも、このアルバムの基調として響き続けているディープなギリシャの庶民感情ゆえである。アメリカ南部の黒人のそれより何千年も前から営業しています、エーゲ海の⊿ブルース。あ、”⊿”って文字化けじゃないよ、ギリシャ文字の”デルタ”だよ。