”BLACK NOISE”by PANTHA DU PRINCE
あいかわらず、雨に振り込められた日には電子音楽に耽溺して過ごしたくなる、妙な癖は今だ収まらず、17日の土曜日も、予想外の雨に慌ててタクシーに乗り込む観光客たちの姿を横目で見ながら、窓を伝う雨滴を目で追いつつ、シンセの音に無為に耳を傾けて一日過ごしたのだった。
今回はドイツの電子音楽ユニットの2010年度作品。ドイツ人のくせにユニット名がフランス語なのはなぜなんだろうな。
(この”電子音楽”という呼び方も何とかしたほうがいいのではないかと我ながら思うのだが、次々に発生してくるナウいサウンドの呼び名をいちいち覚えてゆくのももはや面倒くさいので、これで全部統括したい。あーだこーだ言っても、要するに電子楽器で音楽をやっているんじゃないか、何が変わりがあるもんか)
このユニット特有の繊細な音作りで静かに音楽は始まる。中身を飲み干した後のジュースの空瓶に金属棒でも突っ込んでカラカラ回しているような、独特の乾いた響きの回転音像が、陰りのあるベース音の上をどこまでも踊って行く、そんな風に聞こえる音楽。
特に口ずさめるようなメロディもなく、刻々と変転するリズムパターンの提示が続く。その構造はワールドミュージック耳には、ガムラン音楽やケチャなんかの響きが遠くで聴こえてくるような気もしないでもないのだが、実際に影響を受けているのか、似ているように思えるのは偶然で、あまり関係はないのか、どちらに断言できるほど確たるものがあるわけでもない。ひたすら涼やかな叙情が、かすかな悲しみの色合いを秘めて移ろい続ける。
ジャケは、このような音楽を包むにはあまり似合わないオーソドックスな油絵で、山間ののどかな村の姿が描かれている。中ジャケにも、そんな村の暮らしのスケッチのような写真が何葉も乗せられている。なんだか場違いな気がするが、なんでもこの盤、アルプスの山中にかって存在していて、ある日崩落事故にて失われてしまった、ドイツのある村の記憶に関するアルバムとのこと。
それとは別に、例えばテレビで深夜にクラシック音楽が流れる、なんて場合に、画面に映し出されるのはなぜか雄大な山や森の風景だったりして、昔から不思議でならなかったのだが。あの感じに通ずるものを、このCDのビジュアルは持っていると感じずにはいられない。
つまりはクラシック音楽のど真ん中にド~ンと居座る、ドイツ伝統のロマン主義とかいう奴なんだろう。そのようなものへの憧憬が、このユニットの内側には息づいているようだ。
そんなものの伝統には連なっていないこちらとしては、交響楽団とプログラムされた電子楽器、なにやら不思議な取合せに感じるが、ご当人たちが納得しているなら、そりゃまあ、しょうがないよな。ととりあえず納得したふりで、さらに山村の悲劇の物語に耳を傾ける。
雨はまだ止みそうにない。むしろ夜を迎え、ますます激しくなってきているようだ。