ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

我が大地の歌

2011-02-28 05:41:50 | その他の日本の音楽
 ”私の子供たちへ”by 笠木透

 mixiのマイミクの神風おぢさむ。さんの日記にコーヒーの値上がりに関する話題があり、これでは10年前に「そのうち中国人が珈琲飲むようになったら、珈琲って飲めなくなるかもな」と話していたことの、嫌な形の”当たり”ではないかと書いておられた。
 そのブラックジョーク的上塗りとして、「中国の国民すべてが腹いっぱいご飯を食べられるようになると、それ以外の国の国民が食べるご飯がなくなる」というのはどうだ?こういうジョークを言ってはいけないんでしたっけ?

 そういえば敬愛するフォークシンガー、笠木透は”ひとつぶの涙”という歌の中で、このように唱っている。

 「この地上に一人でも餓えている人がいる限り 私たちの食事はどこか楽しくはないでしょう」と。

 それはどうかなあ?と私は首を傾げてしまうのである。もしかして貧乏くじを引いてしまった境遇の人たちがある程度いた方が、食事は美味しくいただけるものなのかも知れないじゃないか。というか、そちらの方が人間の本質を突いているような気もする。
 なんていうと怒る人もいるだろうけど。いや。だから。人間って、そこまで罪深いものである、という話です。どっちが”正しい”かはまた別の話。

 このあたり、昔風の理想主義者の歌だなあ・・・と、ちょっと困ってしまうのだ、彼の歌のファンとしては。ちなみに笠木氏は1937年生まれ。

 同じくこのアルバム中の憲法第9条に関する歌、”あの日の授業ー新しい憲法の歌”は、第二次大戦中、教え子を戦地に送ってしまったのを悔いている教師が戦後、布告された新憲法の、とりわけ第9条について非常に力の入った授業を行なう、その有様を描いた歌なのだが、「軍備などなくても心細く思うことはありません。私たちは正しい事をしているのです。世の中に正しい事ほど強いものはありません」などと論を進めるあたり、ウヨクのヒトビトから「左翼のお花畑的世界観」などと揶揄の標的されるのは必至、の感がある。

 弱っちゃったなあ、とは思うのだが、だからどうと言うこともない、私はぶきっちょな昔ながらのフォークシンガー、笠木透のファンである。
 同じくこのアルバムに入っている「我が大地の歌」に惚れちゃっている私なのであって。この一曲があれば、ほかにどんな歌を歌っていようと、特に問題とは思えない。
 「我が大地の歌」に私は、あれは第何回だったろう、”京都宵々山コンサート”で、高石友也たちが歌ったものではじめて出会ったのだった。

 山登りをした際に作った歌なのだろうなとは、その時点で想像がついた。雄大な山々の連なりが走り、そのふもとにはその土地土地の風土の中に生きて来た人々の喜怒哀楽があり、そして悠久の時が流れて行く。
 この歌もあちこち突っ込みどころはあるような気もするのだが、歌全体の、そして作者自身の、一人のんびりと大海を行く鯨みたいに茫洋たるありようを前にすると、そんな事はどうでもいいと思えてくる。いくたびか春をむかえ いくたびか夏をすごし いくたびか秋をむかえ いくたびか冬をすごし。

 そして今夜も、どこか遠くの人跡も稀な山奥で熊に触れられた立ち木の枝が一本折れる、ポキリという音の響きを今聴き取った、みたいな幻想を弄びながら果てしなく飲んでしまうのだった。




アンゴラ、乾いた哀しみのリズム

2011-02-27 02:05:12 | アフリカ

 ”Angola Soundtrack ”

 西欧世界には知られることなく燃え上がっていた、アフリカ・ローカルの熱い大衆音楽音源の発掘を行なうアナログ・アフリカの作業は実に血湧き肉踊る成果を提示しつつあり、いつのまにか新作のリリースを首を長くして待ち受けるようになってしまった。
 今回は60年代後半から70年代にかけて南アフリカはアンゴラで燃え上がっていたサウンド群の解放。タイトルにはアンゴラとあり、副題には”ルアンダからのユニークなサウンド”とあり、ん、どっちだ?と調べてみればアンゴラが国名でルアンダがその首都名だった、というくらい当方には馴染みのない国であった。その音楽も初聴きに近い。

 パチパチと弾けるような複合リズムに乗って、独特の哀感と不思議にクールなダンディズム漂うメロディラインが疾走する。いつものこのシリーズのようなファンク色は薄く、むしろサンバなんかに近い(時にサンタナっぽくなったりもする)サウンドが展開される。かってポルトガルの植民地だった時代があり、今でもアフリカ最大のポルトガル語人口を誇る国ゆえ、大西洋を挟んでブラジルあたりと相似形のサウンドが形成されたのだろう。
 リンガラっぽくなったりハイライフっぽくなったりするが微妙に似て非なる、手数は多いのだけれどクールな音色のギターが終止カラカラと鳴り渡り、同じく手数の多いベースや打楽器群が沸き立つリズムを奏でる。

 どのミュージシャンもどの曲も、吹き零れそうな哀感を抱きつつ弾け疾走するが、あくまでクールな表情は変えない、その独特の、禁欲的とまで言ってしまいたくなる姿勢が印象に残った。
 それにしても、知ったつもりでいた音楽大陸の、未知だった顔のいかに広大で魅力的なことか。ある意味、恐ろしくもなってくるのである。




ロックシティ・バンコックの幻

2011-02-25 01:48:11 | アジア

 ”SHADOW MUSIC OF THAILAND ”

 1960年代、タイにおいて英国のインストロックバンド、シャドウズ”に憧れて”エレキでゴーゴー”な青春を送っていた連中が残したレコーディングを集めたものだそうだ、このアルバム。CDを手に入れた時点ですでに、聴き所は現地タイの民俗系の音と流行りのエレキギター・サウンドの激突部分、との情報は入っている。

 まあこの種のものは、収められているサウンドの奇天烈ぶりに脳天くらくらさせられるスリルを楽しむもの、と相場が決まっているようだが、一聴、私は、「ありゃ、このサウンド、聴いた事があるぞ。それも我が日本のバンドマンによる代物をリアルタイムで」と、そっちの方向でのけぞり気分となってしまったのだ。
 どこで聞いたかといえば、私なんかより前の世代、いわゆる団塊の世代の人々がベンチャーズなんかに狂い、空前のエレキブームだった60年代当時に、彼ら相手に出版されていたエレキバンド教本、その付録についていた模範演奏のソノシートで、こんなサウンドは展開されていたではないか。

 その種のものには定番として”十番街の殺人”であるとか”ウォーク・ドント・ラン”なんて本来のエレキものの曲と一緒に、ベンチャーズ調に編曲された”ソーラン節”とか、民謡調の曲が入っていたものだ。
 あれらはいったいなんで入っていたのかね、そもそも?当時、エレキ・インストやってた連中は、そういえば確かに、その種の曲をレパートリーに入れていたような記憶がある。あれはバイトで村祭りなんかで演奏をする際、押さえておかねばならない結構重要なレパートリーだったのだろうか?

 話が余計な方に行ったまま入り組んで長くなりそうだから無理やりやめるが、それらの演奏、このアルバムに収められた、エレキ・インスト調にアレンジされたタイの民俗ポップス演奏に、結構似ていたじゃないか。びっくりしないよ。意外と言うより、ある種、懐かしいサウンドなんだから、これは。いや、例外にも中華風やらインド風など、エキゾティックな意匠を凝らした素っ頓狂な代物も当然、飛び出しては来るのだが。

 それでも違いは当然あり、タイ側はどうやら、ここに収められている”民俗調エレキ”が演奏の主幹をなすものであり、爺さん婆さん受けに片手間にやっていたわけではないようだ。なにしろちゃんと聴いて行くと、そのアレンジの本気度、結構なものがあり、アルバム中盤で聴ける低音民俗楽器の動きを模したらしいベースの異様な動きとか、民俗調メロディの”エレキバンドのリフ”への取り込み方のアイディアなど、結構ドキッとさせられないでもないのだ。

 これがほんとに60年代半ばのタイの連中が達していたレベルなら、ワールドミュージック的興味で見るならば、ではあるけれど、かなりのものではないかなあ。取りあえず私は、アルバム後半に至り相当本気で聴いていたし、ラストの、夜闇に浮ぶは街の灯りか星屑か、ヘッドライトに火影も蒼い、ああ切ないメロディだわな、の”Bangkok by Night”に、すっかりセンチになってもいたのだった。

 それにしても、こういった連中と、彼等が切り開いた道ってのはその後、どうなってしまったんだろうね?アフリカ辺りの70年代ロックの再発なんかを聴いていても思うことなんだけど。独自の道をそのまま突き進むという例はあまり聞かない。いつの間にか消滅してしまって、また一からアメリカあたりの流行りの音を真似し直すばかりってのも、なにやら悔しいじゃないか。




生まれたものは

2011-02-24 02:52:32 | ものがたり
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 ☆小林麻央が妊娠5ヶ月 海老蔵7月にパパ(ORICON STYLE - 02月23日 12:15)

 歌舞伎俳優・市川海老蔵(33)とフリーキャスター・小林麻央(28)夫妻に今夏にも第一子が誕生することが23日、わかった。海老蔵の所属事務所によると現在、麻央は妊娠5ヶ月で7月に出産予定という。

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 十月十日の日満ちて、生まれた子供は黒人なりき。さらにその子、ミルクを灰皿に満たして飲むをことさら好む。怨念の残露の恐ろしきかな。

 ここにいたりて海老蔵、ついに観念し、その子をリオンと名付けけり。

 まこと因果は巡る糸車、それを演ずるは歌舞伎役者の本懐と、江戸市中の人々、大いに噂に興じたりと言ふ。平成大飢餓の前年の出来事なり。


クライ・ミー・ア・リバー

2011-02-23 03:50:47 | ジャズ喫茶マリーナ

 ”Julie is My Name”by Julie London

 根がいい加減に出来ているのだろう、英語による曲名などアバウトな雰囲気訳で納得していて、後にきちんとした訳文を読んで自分がいかにデタラメな意味把握をしていたのかを知り、呆れてしまうことなど良くある私である。
 今回のセクシーなジャズ歌手、ジュリー・ロンドンのデビュー曲”Cry Me A River”のタイトルなども間違った訳を平気で信じ込んでいた一例なのであって。私はこのタイトルの意味を”Willow Weep For Me”みたいなもの、つまり「川よ、私のために泣いておくれ」というような意味なのであろうとかなり長い間信じ込んでいたのであった。

 私がどのような文法上の勘違いをしていたのかは、そちらで勝手に想像してお笑いいただきたいのだが、曲名の本当の意味は、「私のために、川のように泣くがいい」と別れた恋人に毒ずく歌なのだった。
 ”あなたの事を心から慕っていた私。その私を蔑ろに扱って来たあなたは、別かれた今、もう戻らぬ私を想って日々、泣きくれているという。ざまあ見ろ。河の流れのように果てしなく涙を流して泣くが良い”
 というような素敵な復讐罵倒ソング(?)であったのだ、実は。

 シングルカットされ大ヒットすることとなるこの曲を冒頭に置いたデビュー・アルバム、”Julie is My Name”が出たのは1955年のことだった。ジャズっぽいギターとベースだけをバックに、悠揚迫らざる気だるい調子で歌い流して行くジュリーの歌は新人らしからぬ落ち着きとも、実はぶきっちょでこんな風にしか歌えなかったのかも、とも思えたりする。
 そのように構成上音の隙間の多い、にもかかわらずギターのバーニー・ケッセルたちの巧妙なプレイがかもし出す瞑想的雰囲気漂うサウンドは、深い深い夜のイメージを伝えてくる。

 ジュリーのどの歌にも、シンと静まり返った夜のしじまに向かい、研ぎ澄ました意識の走査線を伸ばして行く一人の女の孤独な視線がある。どこか遠く遠くで夜の闇の中、静かに水量を増しながら流れて行く川がある。川のように泣くがいい。あまりにも長い間、そこにそうしてふさぎ込んでいたせいで、自分の望んでいたものが本当にそれであったかどうかも良く分からなくなってしまった彼女がいる。
 たとえばこのアルバムにはよく知られた曲、”恋の気分で”が収められている。この曲は誰が演じてもその意識が、空に浮ぶお月様のところまでポンと飛んでいってしまうような雰囲気をかもし出す曲であるが、ジュリーの歌はものの見事にどこへ飛んで行かない。彼女ひとりの部屋の中にただ淀み、彼女の溜息と一緒に消えて行ってしまう。深い夜への頌歌である。



氷結鍵盤伝説

2011-02-22 00:03:57 | エレクトロニカ、テクノなど
 ”Apparat Organ Quartet”

 クソ寒いですねえ、まだまだ。風がね、今日は。なんか真冬に帰ったみたいなえらい冷たい風が吹き抜けていた。不思議なもんだね、街を歩きながら、そんな風をふと首筋に感じたら、まだ一ヶ月と経っていない去年のクリスマスのことが妙に懐かしく思い出されたりした。
 ついこの間のことだってのに。人間の心は退行願望に多い尽くされているそうだけど、もう隙あらばノスタルジィに崩れ落ちようって寸法か。これも老化現象っスかね。
 そんな訳で、きっともっと寒い国、アイスランドのテクノ系バンドの話でも。

 さて、アイスランドのクラフトワーク、とか言われているようであります、Apparat Organ Quartet。確かにクラフトワークが売りにしていた”古めかしい未来派”っぽいイメージのピコピコした音作りの影響がそこここに透けて見える感じはある。
 けどこのバンドはあちらほどストイックではなく、ヘビメタっぽいヘヴィなリフを奏でたり、プログレっぽい壮大なイメージを奏でたりし始める。まあ、やりたい放題と言うか、クラフトワークより、もっと子供の心を持っている感じ。邪気というのか。始末に終えないいたずらっ子的な奔放さを感じる。

 申し遅れましたがこのバンド、キーボードが4人にドラムが一人、という妙な編成。キーボード組は昔GSが使っていたみたいなセコいコンボオルガンからロシア製のヴィンテージもののシンセまで、さまざまな獲物を並べ立て、空間を鍵盤音で埋め尽くします。
 ドラムが打ち込みじゃなくてナマの人間による手打ちってのも、このバンドのプログレ臭を強化しているようで。バンドの中央に全然マシーンっぽく叩こうとせず強力な肉体性を発揮しているドラマーがいるんで、いかにピコピコ音を発しようとヴォコーダーを通して声を発しようと、テクノにはなりきれない感じはある。

 でも第一に感ずるのは、やはりこのバンドの場合、邪気ですな。極寒の雪原でも元気よく跳ね回っているクソガキたちの手に負えない遊び心、そんなものが音の内側に脈打っているのが、実は彼らの最大の魅力じゃないでしょうか。



トロット戦線7年目

2011-02-19 02:23:14 | アジア
 ”BORN AGAIN”by HAN HYE JIN

 韓国のトロット演歌歌手、ハン・ヘジンの昨年出たアルバムであります。
 ジャケにやや大きめに”7”の文字が。「この数字には今回、思い入れがあるのよ、お客さん」と言わんばかりだが。実際、このアルバムが彼女にとっては7枚目・・・というのは彼女がそこそこキャリアのある人、というのが分かるだけの話だが、”7年ぶりのリリース”でもあるという事実はただ事ではない。

 ゼニになりそうな才能の持ち主にはガンガン仕事をさせて儲けるだけ儲け、あとは使い捨て、なんて論理で動いてるんじゃないかなと想像するかの地のトロット・シーンで7年間も動きがなかったなんて、そりゃ実質、引退同然だったんじゃないのか。何があったのか知らんが。
 実際、彼女はこの7年間、ろくにアルバムも出せない不遇な状態が続いていて、おもいあまって自分でアルバム製作の費用を捻出しようとしたりなどの苦労もしたようだ。何でそんなことになったのか、検索してもまるで情報が引っかかってこないが。

 (同姓同名の女優がいて、そちらの情報の山にも見込まれたみたいで、何も見つからない。ちょっと話はずれるが、韓国ではこの同姓同名問題がやたら多い気がする。芸能界に同じ名前の歌手が三人、俳優が二人、とか平気で存在しているのだが、後からデビューした奴が違う芸名にしたりとか、何らかの工夫があってもいいんじゃないのか。この辺も国民性というか、そうは行かない何かがあるんだろうか)

 ともかく彼女も、やっとのことで再デビュー、という気分だったのだろう、タイトルも”ボーン・アゲイン”と再生を謳い、ジャケ写真だって根性が入っているぞ、ちょっとエッチだ(裏ジャケも中ジャケもこんなんだぞ!)そして内容はといえば、当然、7年間の冷や飯食らいの怨念を晴らさんが如く、もう頭来たかんね、の情念の世界が期待されるんだが。

 冒頭、アップテンポのファンク・アレンジされたド演歌で幕を開けるが、韓国の演歌歌手に多い野太い声帯を生かした、タフなだみ声を叩きつけるヘジン女史の迫力はたしかに”恨7年”の恨み晴らさずにおくものか、といった思いが込められている感じで、こいつは痛快である。
 が、2曲目は、今回の再デビューを応援してくれた男性歌手と想像するんだが、彼としっとりと歌い上げる美しいラブ・バラードだったりする。う~ん・・・
 まあ、それは違うんだよなあ、とかいう私のほうが変な期待をしすぎなのかも知れない。

 とはいえ、かなり棘のあるハスキー・ボイスの持ち主であるハン・ヘジン、辛口に凄みを利かせて歌うナンバーの方が断然魅力的なんだなあ、やっぱり。綺麗なバラードとか懐メロっぽいおとなし目の恋歌などしおらしく歌っても、なんか物足りなく思える。ちなみに、ハード演歌はアルバムの半分強を占めます。韓国の人たちも、この辺が好きだと思うんだが。そればっかりでも困るんだろうか。

 なんて次第で、まるでボクシング観戦しているみたいに「行け!もっと行け!」とか妙な方向に焦れつつ、アルバムを鑑賞する私でありました。



ルラーちゃんのドリームワールド

2011-02-18 01:14:44 | アジア

 ”Twist”by Lula

 タイの新進ポップス歌手(もうこれが3枚目のアルバムらしいから、新人とも言えまい)の、ルーラちゃんの昨年出た最新作であります。いや、タイだからこれで”ルラー”と読むのかな。
 ウクレレ片手に飄々と独自のポップス世界を展開してみせるコでありまして、これはなかなかユニークで良いんではないか。
 ともかく音本体を聴く前に圧倒されてしまうのがこの変形ジャケの仕様。ハードカバーの童話本っぽい”表紙”を開けると、”飛び出す絵本”の要領でルラーちゃんのお部屋が立体的に目の前に広がるのでして。

 ウクレレを持っているからといってハワイアン調と言うわけではなく、冒頭、聴こえてくるのはボサノバであります。夕暮れの浜辺のちょっぴり切ないけだるさの中で、失ったばかりの恋の思い出が歌われて行きます。いや。タイ語は分からないんで、そんな歌詞かどうか知りませんが、なんかそんな雰囲気なんでね。
 その他、カントリー・ロックっぽく迫る曲など取り混ぜつつ、ルラーちゃんのピンク色のモヤに包まれた切なく物憂いウクレレ・ボサノバは続きます。サウンドもあくまでもアコースティックなカラーを全面に押し出した洗練されたもので、まるでルラーちゃんがディズニーランドの一角にでも住んでいるかのような、ひとときの夢の時間を演出します。

 この辺の、現実から一歩離れた感じがタイのお洒落階級のトレンドなんだろうか。甘くのほほんとしたルラーちゃんの歌声は、ピンクのネオン輝く夢の国に流れて行くのでありました。
 しかし、手書きのタイ文字が踊り、その上に同じく手書きのギター・コードまで付された歌詞カードには恐れ入りました。嬉しいだろうなあ、ファンはこういうの。




銃剣と歌声

2011-02-17 03:18:45 | アジア

 ”南仁樹”

 何となくつけたテレビで、韓国のある歌手とその人生のある時期に関するのドキュメンタリーをやっていた。

 戦前から戦後にかけて活躍した韓国の歌謡曲歌手がいる。南仁樹。1938年に空前の大ヒット、「哀愁のセレナーデ」を放ち、その歌謡界における地位を不動のものとした。 韓国において近代的ビジネスとしての歌謡曲歌手をはじめて成立させた人と、まあ経済の面から言えばそのような存在であるらしい。もちろん、韓国の民衆が彼の歌を愛したから、そのような事が可能になったのだが。”歌謡皇帝”の異名を取っていたとか。
 彼自身は1960年代に亡くなっているのだが、彼の歌と思い出を懐かしむ人々が毎年、南仁樹を偲ぶコンサートを行なってきたようだ。

 ドキュメンタリーは、その集いが妨害を受けるところで始まっている。当然ながら韓国全土から集まってきていたお年寄りたちは納得できず、会場になっている野外特設ステージを囲み、口々に不満を述べている。
 妨害は、現地の民族団体が行なっていた。「南仁樹は第二次大戦当時、若者たちに、日本の軍隊に志願入隊せよと呼びかける歌を歌っていた。そのような反愛国的行為をなしたものを記念する集会を行なうとは何事か」というのが、彼らの言い分のようだった。

 これは、南仁樹ファンのお年寄りが「あの当時、”親日的”な行動をしなかった人はいませんでした。そうしたくはなかったが、しかたなかったのです」と番組のインタビューに答えて述べている通り、無茶な言いがかりでしかない。
 当時の朝鮮半島の住人が、支配者である日本の軍隊から「戦争の遂行に協力せよ」と強要されれば、逆らうすべもなかったろう。銃剣を背に突きつけられたら歌うより仕方あるまい。戦争協力の歌と分かってはいても。
 このような”親日狩り”は当時、韓国のあちこちで行なわれていたが、それはその頃の韓国大統領、ノムヒョンの意向に沿う形で行なわれていたようである。あの御仁、都合が悪くなると日本叩きを演出して、韓国国民の目をそちらに逸らしていたからなあ。
 それにしても、この世を去って30年以上も経ってから、いきなり被告席に引きずり出されるとは、ナンギな話ではある・・・

 この番組を見た後、南仁樹に興味を持ち、その人柄を調べたりCDを手に入れてみたりした。往年のヒット曲を聴くと、日本の懐メロと似たところ異質なところ、いろいろ出て来て興味深い。戦前から戦中にかけて。植民地支配という現実の中で、どのような音楽上の通いあいがあったのだろう。

 歌手の個性としては、”韓国における演歌興隆期の歌い手”という位置付けとはやや感触が違う。むしろ、同じ時期の日本の歌謡曲の歌い手たちによく似た、音楽学校で教えるベルカントっぽい”正しい発声法”を遵守した品の良い歌い手であり、歪めた発声や濃厚なコブシ回しなどには、とりあえず縁がない。
 スッと背筋を伸ばして口を大きく開け、朗々と正しい旋律を歌い上げる。折り目正しい紳士という印象である。(と書いた途端、検索した文章の中に”結構、金や女に貪欲な人だった”なんて記述を見つけ、笑えて来たのだが。

 ここで、年明けに読んだ輪島祐介氏の「作られた”日本の心”神話」などという本を思い出していた。韓国にも「演歌は民族の心であり、ずっと昔からこの土地に息ずき、民衆に愛されて来た音楽である」なんて歴史の捏造は行なわれているのだろうか。韓国演歌の歌い手たちが、あのハガネのコブシをゴリゴリと廻しながらトロットを歌うようになったのは、いつ頃、どんなきっかけからなのだろう?
 などと考え出したら日本と韓国とがネガポジネガポジと入れ子になってチカチカし始め、何がなにやら分からなくなってきたのだが。



2011年・極寒、ツイッターで呟いたこと

2011-02-16 06:30:07 | つぶやき
2011年02月15日(火)

大抵の日本人の”人種差別しない理由”って、「まだする機会に出会わないから」でしょ、ほんとは? RT

@----- 僕が人種差別をしないのは日本人に生まれたのはなんかの偶然としか思ってないから

2011年02月14日(月)

さっき「ニュースステーション」で、あまりにもきれい事の特集報道がなされたんで、逆にエジプトのムバラク追い出し運動自体が、なんか凄くうさんくさいものに思えてきちゃったんだよな。

2011年02月12日(土)

読み違えて、「郵便局が正岡子規を削減するって何だよ?」と首をひねってしまったのだった→”日本郵便、非正規社員2千人削減へ(読売新聞 - 02月12日)”

2011年02月09日(水)

この頃、よくスポットCMを見る清水翔太とかいう歌手。お前も美少年ぶるには太り過ぎだろうがよ。

東京電力のTVCMとかに出ている、クルクルパーマをかけた濱田とかいうガキタレ、まるで美少年みたいな扱いを受けているが、よく見れば、たいした顔をしているわけでもない。雰囲気商売なんだなあ。

芸能ニュースを見ていて気がついたのだが、歳を食ってからの俳優・水谷豊の顔は民主党の仙谷由人に似てきていないか?今はそれほどではなくても、今後、どんどん似て行くと予言しておく。

2011年02月03日(木)

NTT東日本のコマーシャル(新垣裕衣と中村蒼出演)に、かなり大きな電話の呼び出し音が挿入されています。あの音が、心臓を患っている私の母には相当な衝撃のようで、「胸が苦しくなる」と申しております。万人が見る可能性のあるCM、体にハンディを持つ者への配慮は出来ませんか、NTTさん?

2011年01月30日(日)

書店を徘徊していたら、Jazz Japanなる音楽誌が置いてあり、表紙に「なぜいま、チャーリー・パーカーか」なんて文字が躍っていたんで笑ってしまった。なぜ今もなにも、お前らずっと前からチャーリー・パーカーだろう。でなけりゃマイルスだ。後はコルトレーンやビル・エバンスの持ち回り。

昨夜、中学生が書いた”青年の主張”かと思える文章がリツイートされてこちらに届いていた。なんだこいつはと自己紹介文を読みに行くと、文章のヌシは中年男なのであった。情けなや。で、それを6人もの人間がリツイートしている。そうまでしてありがたがるほどの文章か、あれが? 謎である。

2011年01月28日(金)

神も何も。ラップやってる奴なんて全員、ただの馬鹿じゃないか→(神だと思うラッパー!? ランキング1位になったのは誰?・RBB TODAY - 01月28日 13:17)

2011年01月26日(水)

私の街の早咲きの桜は、もうほころびはじめています。市の真ん中を流れる川に沿って咲いている桜の花には夜はライトアップがなされ、寒風の中、春の便りを運んでくれています。お調子者の観光客は「あれ、桜だったりしてな。わはは」とか冗談のつもりで言って行きますが、いや、桜だから。本当に。

2011年01月22日(土)

この時点で、まだサッカーの勝敗を知らない自分って、結構渋いなあと思う。

2011年01月17日(月)

でも・・・70年代にワカモノだった我々は当時、30年代をウラヤマシと思ったことはなかった。 RT

@----- 70年代ウラヤマシ…と思わなくもないが、2050年には2010年ウラヤマシって思われるんだろうな

2011年01月15日(土)

さっきからやたらテレビスポットCMが流れてるけど、クサナギくんの新ドラマって韓流ドラマのまるっきりパクリなんだね。CMまでフルコピーで、ついには”本物”に出ていた韓国の女優を引っ張り出してコメントを言わせている。恥を知っていたら出来ない稼業だなあ。

ECCのコマーシャルやってるけど、たけしの英語って、なにを喋っても「メリークリスマス・ミスターローレンス」としか聴こえないな。