ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

生殺しの日々

2013-02-02 21:38:31 | いわゆる日記

 当分はネットと縁を切って療養生活、と思っていたのだが、なんか黙ったままだと死んだと思われる可能性も出てきたので、簡単に現状報告でも書いてみよう。
 前から言っているように、ちとややこしい病気にとりつかれてしまった。その治療をするための最終検査に必要な微妙なチェックが必要とかで、これは特別な大学病院にしかない特殊な検査機器でしか出来ないんだそうだ。で、よその大学病院まで検査にゆかねばならないのだが、さすがそんな機械ゆえ予約が混んでいて、私が検査を受けられるのはこの13日とか。
 おい。この期に及んでそんな待つのか。検査待ってるうちに手遅れにとかならないのか。などと思いは千々に乱れるのだが、ほかにどうするとも手立てがあるわけではなし、日にちが過ぎるのを待つしかない。
 なんかなあ、ほかに方法はないのか、ほんとにさ。こんな時に相談に乗ってくれる医療相談の組織とかないものだろうか。
 とか言っていたら、インフルエンザにまでかかってしまい、まあ、弱り目に祟り目とはこのことだね。踏んだり蹴ったりというのか。
 などとまあ、ロクでもない日々を過ごしているのだった。

 PS.コメント、いただいております。ただ、先に述べましたように、今の心身の状態から、お答えするほどのパワーがありません。無愛想をご容赦。

余談

2013-01-20 03:33:37 | いわゆる日記

 このところ、愚痴や悪口ばかり書いているなあ。と、反省してみる。
 まあ、体調悪いんで、ということで、甘えた話だがお許しください。先日の検査の結果もかんばしいものではありませんでした。まあ、再検査の結果待ちというところなんだけど、そもそも再検査がある、という時点ですでにヤバいわけであってさ。

 自分の不調な体と否応なしに向かい合わざるを得ない厳しき日々。こんな時はあんまり音楽を楽しむ気分にもなれないね。何を聴いても、というか何かを積極的に聴こうという気になれない。日常の雑音の中にいるだけでいいような。
 むしろ本なんかの方が癒しになる。それも小説とかじゃなくて、好きな書き手のエッセイとか。好きなエッセイストといえば私にとってオールタイムでNo.1である伊丹十三など、久しぶりに読み返してみるか。大学生の頃は、吉行淳之介のエッセイなど好んで読んでいたが、あれは今読んでも面白いかどうか、分からない。

 今は宮沢章夫とか穂村弘とか、あのへんか。いや、病院の待合室で読んで、最も不安な心を癒してくれた色川武大を忘れてはいけない。昔の芸人の話とか博奕打ち時代の思い出話とか書いているだけなんだけど、それが救いになるんだ。そうそう、一時、鷺沢萠のエッセイを好んで読んでいた時期があった。あれはなんだったのだろう。

 あと、音楽本関係か。昔、書店で立ち読み中、ガトー・バルビエリに関する文章で人前もはばからず大笑いさせてくれた、それ以来一目置いている中山康樹の本などまた読み返す。また、古紙として始末するつもりで部屋の隅に積んであったMM誌の古い号なんかが妙に面白かったり。好きでもないバンドの顛末記を読むことが、なんでこんなに楽しめるのか。つい、バックナンバーを注文してしまったりするのだが、なんかどこか本末転倒って気がしないでもない。

 などと言いつつ人生は過ぎ行く。助けておくれ。言いたいことは、つまりはこの一言か。

2013-01-14 03:43:47 | いわゆる日記

 これは既に記事に書いたかもしれないし、そうでなくともなんとなく気がついていた方もおられようが、昨年末より体調不良です。あちこち不調でかなり厳しい。しかも、医師に症状を話してみたものの、その反応が「ん?そんなことあるのかな?」というものだったので、何やら心もとないものがある。連休明けより検査検査の日々が始まるが、どうなりましょうか。

 思えば私の年齢は、父の亡くなった年齢にもうすぐ手が届くところに来ている。それ以後も平均余命は伸びているのだし、糖尿病の合併症を起こしつつ飲んだくれ飽食していた父の享年など楽勝で超えることになるんだろうなと想像していたのだが、生きてあるだけでも大変な作業だよなあと遠い目などしてみる日々である。
 そんな日々、ふとロシア民謡の「鶴」を聴いてみたくなった。
 なんのことはない、漫画家の吾妻ひでおが自身のアルコール中毒との戦いを描いた作品の中で、なぜかは分からぬままこの歌に強くこだわり、渇望というくらいの勢いで聴くことを欲していたから。

 もとより普通の精神状態ではないその時点の彼の、揺れ動く心象が求めた救いの象徴が、かのロシア民謡だったなら、まだ正体定かならぬ病に苦しめられ、先の不安に苛まれる自分の救いにも、もしかしたらなるのかもと、まあ、そんな思いつきで聴いてみたくなった次第。
 盤を手に入れ聞いてみれば、まあいわゆるロシア民謡のメロディであり、しみじみと伝わってくるものがあるが、吾妻のこだわりのよって来るところはよくわからない。この歌は、日本ではダークダックスで知られているとのことだが、私よりちっと前の世代の吾妻はそのヴァージョンを聞いて、この歌に親しんでいたのだろうか。そんな風にして歌に馴染んだ世代でなくては分からぬなにごとかが、歌の背景に横たわっているのかもしれない。

 ロシア民謡と書いたがこの曲は、多くの”ロシア民謡”として知られている歌の数々と同じく、実際は民謡でなく、きちんと専門の作詞作曲者によって書き下ろされた”歌曲”である。
 この”鶴”は、旧ソ連邦内の自治共和国ダゲスタンの詩人が、広島の原水禁大会に参加した感激で書き上げたものだそうな。そのようなことに素直に感動できた時代。まだ”運動”も若く、彼らがまとっていた素朴な白のワイシャツと同じくらい、その想いもまた穢れ無きかと信じられた。そんな時代の出来事。

 戦場で散った戦友は死んでしまったのではなく、鶴に姿を変えて大空を飛んでいるのだ、と。歌は歌っている。ダゲスタンという国に関するなんの知識もない。カフカス山脈とカスピ海に挟まれた小国。イメージしようとするのだが、脳裏に浮かぶのは日本鶴の舞う富士山麓の風景だったりする。



早春

2013-01-12 02:45:59 | いわゆる日記

 さっき、「ココリコ坂」なんてアニメを見ていて、ふと、まあこれは映画のテーマとは関係のない事なんだが、不愉快なことばかりしかなかった我が高校時代の記憶をチクッチクと刺激され、されるうちにも、嫌なことでも嫌なことなりに決着をつけておくべきか、なんて思いが生まれ、この文章を書き始めてみたわけなんだが。

 私の通っていた高校は、もう何度か書いたが学生運動とフォークソングの大好きな連中が集まっているところだった。もっと内実を言えば、”普通の高校”から”進学校”にランクアップする意図を持って、あちこちから”そこそこ成績は良いが進学校に行くにはちょっと足りなかった”生徒連中と上昇志向ある教師たちをかき集め、その結果として中途半端なエリート意識からくる臭気を生徒も教師たちも濃厚に放っていた。

 不愉快な記憶を刺激したとは、あのアニメ映画に出てくる男子学生諸君の”大人の男”ぶった考え方や喋り方などから、なんだが。
 それから、ストーリーに登場してくる”全学集会のある風景”など。あの映画の背景はよく知らず、制作に当たったジブリの首脳陣にとっての青春期へのオマージュ、とかそんなものなんだろうと思うが、懐かしく思い出す人もいるんだろうね、学生運動のこととか。

 ある日、ブラスバンド部の練習をなんとなく見ていた時なんだが、指導に当たる上級生がこういったのだ。
 「この旋律は主旋律をサポートする役割がある。女子なんか、人生においても男を裏からサポートする立場にあるんだから、そういう意味も込めて演奏するべきなんだよ」
 何を言ってるんだ、と全くの見物人である筈の私がムカッと来たものだった。決め付けるのか、女は男の付属品として生きるべきだと。・・・なんてこと、普段は考えるような人間じゃなかったんだけどね、私は全然。

 これが頭の固いオヤジが言ったのならともかく、”ブラスバンド部の男子高校生”の発言なのである。17や18のガキが本気で15,16の女子生徒相手にオヤジ臭い訓示をたれているのである。
 そしてそんな事実に誰も疑問を抱いた気配もなく練習は進んでいった。
 そんな発言が何の疑問も挟まずに放たれる、そういう校風だったのだ。

 考えてみればその学校のクラブ活動といえば、野球部にバレー部にバスケット部に。でも、後にサッカー王国と言われる静岡県の高校でありながらサッカー部はなかった。そもそもが戦前から存在しているみたいな部でなければ存在を認められない、そのような空気が当たり前のものとして世界を覆っていた。
 そういえば。大学に入った後、ジャズ研究会の仲間と昔話に興じていたら、ほかの土地の出身者は高校時代にもう、”軽音楽部”とかその種のところで部活動としてジャズを演奏していたと知り、唖然としたものだった。
 そんなものが”部活動”として存在することが許されたのかよ。私の高校では、考えられない話だったが。

 学校では校舎新築をめぐり、校長と生徒会が対立していたようだが、両者の論争を聞いていても、”出来上がったオヤジ”と”これからオヤジになろうとしている若きオヤジ達”の、つまりは同じ人種の”内戦”でしかない、としか私には思えなかった。闘争の過程において、新しい価値観が提示されるのではなく、対立すべく持ち出された古臭いふたつの立場がただ、予定通りにぶつかり合うだけだった。

 運動家(と、彼らは自称していた)たちはオトナの読む労働運動の雑誌など読むことを「理論武装」と称し、憧れるのは当時流行りの”造反卒業式”を執り行うことだけ。ピント外れもいいところと思うのだが。
 学生運動やらでカッコつけてみせるが、その内実は古臭い価値感ばかりが幅を利かせる。あの頃、あの学校には強固に生きていたと思うのである、”戦前”という亡霊が。

 以前も書いたと思うが、その学校では昼休みのたびに”フォーク集会”と称して全校生徒が体育館に集まり、フォークソングを歌っていた。そんな奴らの歌う、なにが反戦フォークだと思うのだが、なに、ここまで書いてきたものは今だから言葉にできるのであって、リアルタイムで私が感じていたのは「なんか違うよな」という漠然たる反発でしかなかった。
 反発を言葉にしてみることはできず、また、してみたところで耳を傾けてくれるものがいるとも思えなかった。

 そんな私は、当然ながら学校には馴染めず不登校を繰り返し、「そんなダルいこと、やることはねえぜっとローリングストーンズが教えてくれたのさっ」と、つぶやいてはみれども相手にはされず。
 とはいえ街のディスコに行けば、そこの番長決めてる幼馴染から「お前はこんなところに来ずにしっかり勉強してろ、そうだろ」と、なんかまっとうみたいな説教をくらって非行化にも挫折し、ただただ、家出をしてギター一本担いで夜汽車に乗り、当時隆盛を誇っていたグループサウンズに潜り込むことを夢見る大馬鹿野郎だったのだった。

 なんか愚の帝国、みたいな話になってると思うけど。ちなみに問題の高校はその後、学生運動の拠点校みたいな存在となり、進学校へのランクアップとかの予定どころではない、三流校への道まっしぐらだったそうな。めでたしめでたし。



泥炭の眺望

2013-01-09 03:16:26 | いわゆる日記
 NHKのラジオ深夜便の今月の歌で流れている小野リサの歌が良くない。何やら辛気臭いマイナー・キーのメロディで、「恋人が死んでしまって、その人が忘れられない」なんて死ぬほどありきたりの歌詞内容の歌を陰陰滅滅と歌う。
 夜中に何やってんだよ。
 小野リサなんてものは、ブラジル仕込みのギター弾きながらボケーッとボサノバ歌ってればいいんじゃないのか、そういう個性なんじゃないのか。途中で「あなたはエンジェル」なんて横文字入れて、オシャレにでもしたつもりらしいが、歌の本筋がコロンビア・ローズの昔から変わらない「恋人死にネタ」じゃあ、しょうがなかろうが。ああ、オホらし。

 *****

 先日、ツイッターで、

最近流れている車のCMで、「やっぱり愛は勝つよなあ」とか言ってヘラヘラ笑ってるビートたけしを、思い切りぶん殴ってやりたくなっているのは、私だけだろうか?

 と呟いてみたのだが。

 実際、あのトヨタのコマーシャルの”生まれ変わり”シリーズはなんなんだろうね。要するにコマーシャル製作者がたけしにヨイショしたいから、それだけのために作ったとしか思えない。どれもこれも。
 
 この国にある”たけし信仰”ってのも不思議で仕方がないのだが、あれはどうやって形成されてきたのだろう?
 今だに”理想の政治家”なんてアンケートがあると、たけしが上位にランクされたりするのだが、あの男に皆は何を期待できると思い込んでいるのだろう。
 例えば原発事故の際、ネットで見かけた発言で、「たけしはいつ、反原発の宣言をするのだろう?」なんてのがあったのだが、たけしって反原発なのか?ともかく皆、もう無条件でたけしは必ず”良い人”の側にいる、と信じ込んでいる。
 マスコミなんかもそうだ。有名人ともなればどんな立場にいようと、なにごとか悪意のある記事を書かれるものだが、たけしだけは絶対に攻撃の対象にならない。大マスコミから地下出版まで、口を揃えてたけし賛歌を歌い続ける。

 なんなの、あれ?それほどのものじゃねえだろう、あのオッサン。と思うのだがな。この日本中を巻き込んだ新宗教(としか言い様がなかろう)の正体ってなんだ?気持ち悪くてならない。

追い詰められて、雑感。

2012-12-29 23:26:08 | いわゆる日記

 レコード会社の広告に、ライトニン・ホプキンス生誕100周年企画とて、彼の残したアルバムをまとめてCD化、などとあり、その広告のジャケ写真を見ているだけで嬉しくなってくるものがあり、これは楽しみだと舌なめずりしたのだが、よく見れば”世界初・紙ジャケ仕様”と記されてあった。
 なんだ、紙ジャケかよ。買いたかねえな、そんなもの。一気にやる気を失い、白々とした気分に。まあ、買わずに済んで経済的には助かったとでも考えてみることにしよう。
 あ、当方、アンチ紙ジャケ・アンチデジリマ・アンチボートラ主義者ですんで、よろしく。
 まったくね、みんながどうでもいいものを価値あるものと信じ込まされて、買わなくてもいいものに大枚使わされている事実に、そのペテンに、早く気がつかないものか。それとも皆、永遠にドレイの日々をあえて送るつもりなのか。

 ×××

 つけっぱなしにしておいたラジオからYUIの歌が流れてきて、彼女独特のあの頼りないヘロヘロ声で”がんばれ~~がんばれ~~”とか歌っていたんで、思わず笑ってしまう。人にがんばれとか言う前に、お前自身がもっと歌をがんばれ。

 ×××

 ディズニー仕様の携帯のコマーシャルも、もはや見慣れたものになったが、あれのバックで流れているミッキーマウス・マーチ、本来の「ミッキーマウス!ミッキーマウス!」という歯切れの良いものではなく「ミッキマ~ア~ア~アウス、ミッキマ~ア~ア~アウス」なる、垂れ流し状態の歌い方で、いや、私、デイズニー関係の熱心なファンでもなんでもないのだが、ともかく気持ち悪くてならない。
 あの「マ~ア~ア~」を平気で聞いていられる奴って、相当に感性が鈍麻していると考えていいのではないか。

 ×××

 あれはクリスマス直前の夜だったが。急に胃に痛みを感じ、どうにもならなくなった。何年か前に胃潰瘍になった、あの感じと似ている。一夜明けたらひどい痛みでもなくなっていたのだが、それなりの腹痛はその後も残っている。
 これは歳が明けて病院が通常営業に戻ったら出かけて行き、胃カメラのひとつも飲まねばならないのかもしれない。などと覚悟を決めているのだが、年明けの最初の仕事がそれかよ。来年もろくな年にならないと決まったようなものだ。
 
 こんなふうになんとも出口なしみたいな塞いだ気分の時、音楽はあまり関係ない気がする。少なくとも私は、あんまり積極的に聴きたい気分にはならない。そんなところにふと聞こえてきた、いつもはなんでもないと思っていたタイプの音楽にスッと心を持って行かれたりする。

 そんな体験の最初のものは、あれは私が小学校の低学年頃だろうか、中耳炎か何か耳の中に激痛が走るヤマイに一人苦しんでいた。夜が明けたら医者のところに連れて行ってもらおう。それまでの辛抱だ。そう自分に言い聞かせるものの、そんな時の夜は長い。
 と、そこに、隣家からギターをつま弾く音が聞こえてきた。隣家といっても老舗の大旅館なんだが。おそらく、そこの従業員か何かが趣味で練習しているのだろう。

 そのギターがまた、まあ、今思い出しても下手くそなギターで、何度引いても同じところを弾き間違う。漏れ聞こえてくるギターの音を耳で追い、「ああ、そろそろ間違うぞ。ほら、ここのところだ」と、何度か聞くうち、予想がつくようになっていった。
 その曲はちなみに”ジングルベル”だったのだが、季節は確か初夏だったはずだ。初心者用の練習曲として使われる曲とも思えず、なんだって彼はそんな曲を執拗に繰り返していたのだろう。

 とはいえ。耳の痛みで眠れぬ夜、その間抜けな調べは確かにつかの間の癒し、救いにはなったのだった。ああ、音楽ってそういうものだったのか。
 それを機会に音楽に開眼した、といえば話はうまく出来上がるのだがそうでもなくて、私はそれ以前もそれ以後も、怪獣映画やら週刊誌の漫画なんかが好きな、つまんないガキでしかなかったのだった。

光の王国の思い出のために

2012-12-21 06:14:19 | いわゆる日記

 深夜ラジオを聴きながら、この頃、消したままのことが多いテレビの暗い画面をぼんやり見ながら、「ああ、もう二度と、あの素敵だった”日本の夜景シリーズ”を見る機会もないのだろうなあ」との、苦い確信を噛み締める。あれらの映像を享受していた時期と今とのあいだに起こった、”テレビの地デジ化”と、東日本大震災という二つの事件を思い、その荒波に翻弄されて消えて行った儚きものたちを想う。

 ”日本の夜景シリーズ”とは、NHKの総合テレビがかって、深夜3時頃から朝五時近くまでの、放映時間の深夜の分と早朝の分との狭間に流されていた埋草番組、「映像散歩」から生まれた大傑作だった。
 どれも、大都市の夜景のゆっくり時間をかけた空撮から始まり、地上の、例えばクリスマスのオーナメントなど、夜の闇と光の造形との饗宴やら、深夜の街灯に照らし出された、もはや人影も途絶えた都会のメインストリートの上空からの眺めをじっくり追ったりしていた。
 夜の大都会の輪郭を、光の輝きを辿ることによって描き出していたというべきだろうか。
 ”東京・横浜””神戸””北九州””札幌”などなど、シリーズはいくつかの作品に分かれ、そのどれもがたまらなく美しい映像詩だった。

 何しろ埋め草番組であるので、それらはいくつかのフィルムが交代交代に、何度も何度も繰り返し放映されていた。深夜のNHKファンというか映像散歩ファンは人が電源を切る時間帯にテレビの前に座り、お気に入りのフィルムに出会う偶然に期待しながら胸ときめかせて、チャンネルをNHKに合わせたものだった。
 その後。どのような事情があったのかは知らぬ、いつの間にか我々は”映像散歩”を失っていた。その時間がNHKにとって埋草番組の時間であるのに代わりはなかったのだが、かっての黄金の時間帯、午前三時すぎは執拗に繰り返される蒸気機関車の記録フィルムの放映時間と化し、あるいは不人気らしい大河ドラマのアピール&再放送のために使われるようになってしまった。

 何処も同じ経費節減で、NHKは埋草番組を作る費用もケチるようになったのか。(いや、我々マニアは新作など望まぬ、ただ”日本の夜景シリーズ”を繰り返し巻き返し放映してくれれば大満足なんだが)
 また、あのような夜の都会に溢れかえる光の海を描き出す映像は、大震災以降の省エネルギーを謳う世相にはいかにも合わない、そんな事情があるのやもしれなかった。
 放映がかなわぬならば、あれらを収めたDVDの制作など、なされないものだろうか。いや、何しろ埋め草番組で、放映当時もNHKのサイトに番組の詳細さえ掲載されていなかったくらいだから、そのような形で商品化など、あちらでは考えてもいなかったとしても不思議はない。
 それにそもそも、「深夜、なんの気なしにつけてみたテレビで、たまらなく心に残る映像に出会う」という偶然の驚きも込めての楽しみがあった”映像散歩”であり、DVDになったものを手元に置いておく、などということをするべきものではないのかもしれない。

 ついでに書くが。さっきから我々我々と言っているが、たとえばmixiには「深夜のNHK」なる、その方面の愛好家の集まりさえあるのだ。ここに書いたことは、決して私一人の奇矯な愛好癖の紹介ではない。

 ここは、新趣向少年合唱団である”リベラ”の歌など聴きたい。サウス・ロンドンの教会付きだった少年合唱団にエレクトリック・ポップの意匠を組み合わせ出来上がったサウンド。聖なる祈りと、最新技術による作り物感がないまぜとなった、不思議な輝きのあるその銀色の響きは、いかにも”日本の夜景”のBGMにふさわしかったもの。




海の残照

2012-11-24 04:04:28 | いわゆる日記

 この時期になると、海岸遊歩道に吹き寄せる風も木枯らしの様相をおび、夏のあいだは我が物顔で歩き回っていた男女のカップルたちもさすがに影もなく、閑散とした遊歩道にときおり行き交うのは、厚ぼったい冬着をまとった犬の散歩の老人たちと、私のようにウォーキングに精を出すもの好きだけとなる。
 今、遊歩道は夕闇が訪れつつあり、それがそもそも信じられない。まだ時計は五時を回ったばかりではないか。しかしもう、遊歩道沿いの飲み屋の看板も明かりを灯した。

 クリスマス・ツリーかと思うほどの電飾をほどこした島巡りの観光船の最終便が、暗くなった湾に入港してくる。ますます気温は下がっていて、そろそろウォーキングの時間帯の変更を考えるべきかもしれない。
 ヨットハーバー越しに海を眺めると、もはや定かではない水平線のあたりに小さな灯りがいくつか認められ、あれは漁船だろうか、海底ケーブル関連の作業船だろうか。

 まれに、そんな遠くの船の船橋あたりに、とうに山陰に沈んだはずの夕陽の残照が当たり、夕闇の訪れた海の中で、そこだけポツンとピンク色のちっぽけな輝きが浮かんでいることがある。
 そんなものをうっかり見てしまうと、何やら非常に切ない気分になってしまい、いっそのこと、その場に座り込んで号泣してやろうかとさえ思ったりする。実際には、やりゃしませんがね、もちろん。

 あの時の、とんでもなく切ない気持ちの正体というものはなんだろう。終わってしまった今日という日に寄せる愛惜の気分?
 わからないのだが、過ぎ去ろうとしている今日という日の、たったひとかけらが、あんな遠くの船の上で暖かい光のひとかたまりとなって揺れている。その感じがたまらないのだ。

 と書いてみても、誰に伝わる話でもないんだろうな。ああ、気がつけば、また冬がやってくるね。




深き淵より

2012-11-14 21:39:54 | いわゆる日記

 ”銀座ブルース”by 松尾和子&和田弘とマヒナスターズ

 誰が言い出したんだか、「人生で大事なことは皆、幼稚園の砂場で学んだ」とかいう言い方があって、これをタイトルに人生について重い話軽い話、いろいろ語ったりする。
 こいつはあっという間に酒場バージョン、露悪バージョン、エロバージョン、バカバージョンと、さまざまなパロディも呼んだ。皆、いろんなところでいろんな人生を学んでいるのだった。
 なんて書き出しだと、こうやって音楽ネタの日記など書いている身としては、「重要な事は皆、音楽から教わった」なんて文章が始まるかと期待される向きもあるかもしれない。いや、そうたいした話にはならないだろう、申し訳ないが。
 そういや高校時代、「くっだらねえなあ、俺は先に帰るぜ。そんなことやるこたあねえって、ローリングストーンズが教えてくれたぜ」てなセリフを言い捨ててみたことがあったが、フォーク好きな学友諸君からは失笑を買っただけだった。

 そこで、「銀座ブルース」(作詞: 相良武 /作曲: 鈴木道明 )である。”たそがれゆく銀座 いとしい街よ♪”なんて歌い出しが記憶にある人も多いだろう。
 これは1966年、ムードコーラス・グループの和田弘とマヒナスターズがゲスト歌手に松尾和子を迎えて放ったヒット曲である。夕闇迫り、並木の通りに明かりが灯り、モダンな時代のおしゃれな人々が恋の予感に胸躍らせながら行き交う、シックスティーズ・トウキョウの風景を描いた、当時流行りの都会派歌謡曲の秀作である。
 この曲にはちょっと学んだ。この歌には下のような歌詞がある。

(男)゛あの娘の笑顔が可愛い ちょっと飲んで行こうかな゛
(女)゛ほんとにあなたっていい方ね でもただそれだけね゛

 どうだ。この歌を聴いたときはまだほんのガキだった私だが、そんな私なりに、人生そのものに対する、どうにもならない絶望のようなものを覚えたものだ。「まだ頑是ないガキである自分であるが、これから始まる人生を多分、ついに手に入れずに終わるのだろう」と、そんな決定的な予感を。 

 だってそうじゃないか。いいか、ここに出てくる男は”いい人”なんだぞ。少なくとも、次に登場する女には、そのような評価を得ている。
 が、その舌の根も乾かぬうちに(という言葉の使い方があっているのか分からないが)女は言い放つのだ、「でも ただそれだけね」と。ひどい話じゃないか、あんまりな話じゃないか。
 人に”いい人”と言ってもらえる、思ってもらえるなんて、素晴らしいことじゃなかったのか。なんか、授業で習ったか大人に教わったか、ともかくそう信じ込んでいた、ガキの自分だった。
 でも、”いい人”と人に認めてもらうのは、それはそれは大変な作業である。すくなくとも電車に乗ったら100回くらいおばあさんに席を譲ったり、学校では掃除当番を一回もサボらなかったり、帰り道では捨て犬を拾ったり捨て猫を拾ったり、そして毎日、給食にどんなものが出ても残さず食べたりしなくちゃならないんじゃないのか。

 いいや、そんなんじゃきっとダメだ。なんかこう、想像もつかない素晴らしいことを平気で日常的に出来る人がきっと、そう呼ばれる資格があるのだ。
 そしてその”素晴らしいこと”をさっぱり思いつけない自分ゆえに、それこそまさに、”いい人”からは思い切り縁遠いダメ人間である。実際、”いい人”なんて言われたこともないしさ。
 しかも、それだけではダメだ、とこの歌に出てくる女は言っているのだ。「ただそれだけね」と。”いい人”であるだけでも、まだ足りないのだ。まだ、その上に何ごとかをなさねばならぬ。

 ともかく、このオトナの歌の中で、そのようなハードな人格評価が当たり前のように表明され、そしてそれは、それを歌詞の一部に持つこの曲のヒット、という形で世の中の人々に認知されているのだ。そして、”いい人”なんて言われたこともないこれからも言われることはないであろうバカガキの自分は、これから送る人生を、そのような価値観の中に飛び込み、生きて行かねばならないのだ。
 なんてこった・・・自分にはとても無理だ。途方にくれて見つめる、山の端の夕日だった。

 そして人生は幻のごとく過ぎ去り。”いい人”なんて一度も言われることなく人生を見送った男、ここに一人、老境にいたり、「銀座ブルース」を一人口ずさむ。”いい人”である、その上に、なんでなければならなかったのかは、ついにわからなかった。別にいいけど。”いい人”という最初の目標さえ、クリアできなかったのだから。同じことさ。
 以上。これが俺が歌謡曲から学んだ人生だ。恐れ入ったか。



それでも船は行く

2012-10-26 01:45:27 | いわゆる日記

 コンゴのユニークな身障者バンド(こういう表現は叱られるんだろうか。でもみんな、そういう認識だよね)である”ベンダ・ビリリ”の新譜が出たとかで、音楽雑誌にアルバム評などが出ている。それ読む限りでは出来が良さそうなのだが、なぜかあまり聞く気が起こらず、注文も出さずにいる。このまま聴かずに終わる可能性が高い。
 不思議な新楽器を導入などして、その音楽性もゴンコの伝統的ポップスの形からは微妙に、そして愛嬌たっぷりにズレまくったそのサウンドを私は結構お気に入りで、たしかその年のベストアルバム10枚の中に選出もしたのだった。
 にもかかわらず、この興味のなさはなんだ。出来が悪いという評判でも立っているならともかく、その逆なのだから、意味が通らない。自分の心中を探ってみても、なんとなく聴く気が起こらない」なんて答えしか見つからないんだが。

 なんか、こんな微妙な行き違いってのがあるんだな。聴いても不思議でないバンドの新譜に、なぜか興味がおこらない。その一方、それほど良いってわけでもないバンドを、だらだらと聴き続けたり。その場の成り行きの気まぐれとしか言い様がないんだが。

 同じく音楽雑誌を読んでいたら日本の女性シンガー・ソングライター、”たむらぱん”の新譜が出たようだ。こちらも一時入れ込みかけたのだが、今はもう、聴く気にならない。これには説明できる理由がある。

 そもそも”たむらぱん”に興味を持ったのは、あるアニメの主題歌を聴いて気に入ったからだった。もう何年も前の話で、アニメのタイトルも忘れてしまったが。
 それは良い具合にひねくれた日本語のロックで、こいつはいいやと。この歌い手は好きになれそうだ、と。
 で、早速、出たばかりのセカンドアルバム、次いで1stも買い込んできて大いに期待して聴き始めたのだが。なんかねえ。期待したような面白さが感じられなかったのだ。音楽としての出来はいい、見事なものだとさえ感じたのだが。が、どうも彼女の音楽を楽しめなかった。

 そこには、なんというのかな、アニメの主題歌にあった”軽み”が感じられなかったから。なんか生真面目に張り詰めた感性。代わりに漲っていたのは、そんなカチカチの感触だった。
 おそらく彼女、真面目な人なんだろうね。それが、アニメの主題歌の仕事などでは、メインの仕事ではないゆえに自然に肩の力が抜けて、私好みの軽みのある音楽性を発揮する。ところが、自身のアルバム、などという物件になると「立派な作品を作らねば」なんて意識が勝ってしまい、まあ、私のようなファンには残念な結果が出てしまうのだ。

 その後も、彼女の手になるテレビの子供向けの番組のジングルなどを聴いたりするたびに、「うん、やっぱり”たむらぱん”って良いなあ」と思いはするのだが、そこで聞ける楽しさは、やっぱりアルバムの中にはないのだろうなあと、膨れる思いを握りつぶしている。
 彼女が肩の力を抜いて、私の愛する軽みがメインに置かれたアルバムなど出してくれる日は来るのだろうか。とりあえず、気長に待つつもりではいるのだが。

 「ワールでミュージック的観点から日本の歌謡曲を聴き直してみる」という探求目標は前からあったのだが、「自分ももう年寄りである」との自覚のもとに、この夏から気を入れて聴き始めたNHK”ラジオ深夜便”の”にっぽんの歌”コーナーだが、個々の歌手やら作詞者やら作曲者やらでテーマを絞った番組作りが資料としてありがたく、いろいろと刺激をもらっている。背景を知るうち、あれこれ興味を惹かれるようになった楽曲もあり、なんとなく聞き流していた歌手たちの人生のうちに控えるドラマも知った。

 そうこうするうち、なんだか知らないが、「歌謡曲世界に再踏み込みを行うなら、まず奥村チヨから聴き直さねばならん」なんて出どころ不明の思い込みが心中に発生し、あちこちネット店を探索するのだが、私の探していた「”恋の奴隷”とかで盛り上がる前、”ごめんねジロー”期の彼女が出したオリジナルアルバム」のCD化されたものが見つからない。CD化されなかったのか、されたが、もう廃盤になったのか。などと思いながら夜明けまで検索を繰り返し、諦めて夜明けに眠り、目が覚めて遅い朝飯を食い終われば、なんでそんなものに執着したのか、自分でもわからなかったりする。

 それでも船は行く。