”PSYCHO AFRICAN BEAT”by PSYCHEDELIC ALIENS
こんな音があったんだなあ!60年代末の西アフリカの夜を彩った最高にファンキーなバンド!なにしろサイケデリック・エイリアンズのサイコ・アフリカンビートなのである。他に何を言うことがあるだろう。あとはミニミニスカートでゴーゴーゴー!あるのみなのである。夏の太陽は待っちゃくれないぜ!
暴れまわるリズムに煽り立てられるまま、エレキギターがオルガンがうねり、当時、いっちゃんナウかったオープンエアーのディスコの空気はますます熱く燃え上がっていった。
その音が”アフリカのミーターズ”というべきサウンドになっていたのは、これ、偶然の産物なのだろう。メンバーが時流に乗りアフリカの血が騒ぐままに、”エレキでゴーゴーだ、ニューロックだっ!”と一発勝負に出た結果、このホットでクールな音空間が現出していた。
これはカッコいいね。60年代から70年代へと歴史の扉がスイングする頃、当時の西アフリカのロックシーンは、こんな具合に盛り上がっていたんだ。ロックの”正史”からは見落とされたまま。
まだ青かったロックとアフロの血が絡み合うままに黒いグルーブがのた打ち回り、ファズやらワウワウやらのかかったギターが切れまくり、最高クールに歪んだ音でハモンドが闇を切り裂く。
なんか聴いているうちに「先祖がえりをしたアフロ・キューバン・ミュージックがどうのこうの」なんてお定まりのアフロポップ近代史の講義なんかぶっ飛ばせって気分になってきたのよな。ロックしかねえだろ、ええ?シェケナベイベ・ナウ!
めちゃくちゃ凝った装丁のジャケから、この幻の西アフリカ・サイケバンドの発掘作業を行なった連中の気の入れようが強力に伝わってくる。欧米のマニア連中の、この”失われたアフロ音源”の探求、どこまで続くのだろう。こちらも、この世の果てまでつき合わせてもらう気でいるが。
こんな音があったんだなあ!60年代末の西アフリカの夜を彩った最高にファンキーなバンド!なにしろサイケデリック・エイリアンズのサイコ・アフリカンビートなのである。他に何を言うことがあるだろう。あとはミニミニスカートでゴーゴーゴー!あるのみなのである。夏の太陽は待っちゃくれないぜ!
暴れまわるリズムに煽り立てられるまま、エレキギターがオルガンがうねり、当時、いっちゃんナウかったオープンエアーのディスコの空気はますます熱く燃え上がっていった。
その音が”アフリカのミーターズ”というべきサウンドになっていたのは、これ、偶然の産物なのだろう。メンバーが時流に乗りアフリカの血が騒ぐままに、”エレキでゴーゴーだ、ニューロックだっ!”と一発勝負に出た結果、このホットでクールな音空間が現出していた。
これはカッコいいね。60年代から70年代へと歴史の扉がスイングする頃、当時の西アフリカのロックシーンは、こんな具合に盛り上がっていたんだ。ロックの”正史”からは見落とされたまま。
まだ青かったロックとアフロの血が絡み合うままに黒いグルーブがのた打ち回り、ファズやらワウワウやらのかかったギターが切れまくり、最高クールに歪んだ音でハモンドが闇を切り裂く。
なんか聴いているうちに「先祖がえりをしたアフロ・キューバン・ミュージックがどうのこうの」なんてお定まりのアフロポップ近代史の講義なんかぶっ飛ばせって気分になってきたのよな。ロックしかねえだろ、ええ?シェケナベイベ・ナウ!
めちゃくちゃ凝った装丁のジャケから、この幻の西アフリカ・サイケバンドの発掘作業を行なった連中の気の入れようが強力に伝わってくる。欧米のマニア連中の、この”失われたアフロ音源”の探求、どこまで続くのだろう。こちらも、この世の果てまでつき合わせてもらう気でいるが。