”LE MEILLEUR ”by MALAVOI
ラジオの番組でタモリが「フランス語のラテンていうのがあるんだねえ」なんていっているのを聞いたことがあって、あれは”オールナイトニッポン”だったろうから、それはそれは大昔の話だなあ。やっぱり1980年代のことだろうか。
タモリが言っていたのはハイチやマルチニークなど、かってフランスを宗主国としていた、フランス語を公用語とするカリブ圏の国々の音楽のことで、当時はそのようなものの日本盤が出ていたのだなあ。今となっては信じられないような話だが。当時、ワールドミュージックはそのレベルくらい力があって、またフレンチ・カリビアン・ミュージックのシーン自体もまた、盛り上がっていたということなのだろう。
コンパス、なんてのはその音楽自体のジャンル名だったか、それとも中心となるリズム名だったか。かって出た日本盤の、そのアーティスト名とともに、現時点ではその詳細、情けないことに忘却のかなたに行ってしまっている。
その後に紹介されることとなったアフリカ音楽の洪水の前に関心が「ちょっと横へ置いておいて」状態のまま、そのまま忘れ去られてしまうこととなったのだった。他のワールドミュージック・ファンも同じかなあ?きちんとその後もフォローしていた人っているのかしら?
そのような状況にあっても、ずっとその名を忘れずに、心の隅に引っかかっていたいくつかのアーティストのうちの一つが、このマラヴォワだ。カリブ海の片隅、マルチニークから現れた、飛び切り粋なバンドだった。
彼らの音楽の原型は、あのキューバのお洒落なサウンド、フルートとバイオリンをフィーチュアしたチャランゴにあるのだろう。パーカッション群のパワフルな響きと思索的なピアノの響きが織り成すリズムのさざなみに乗って、複数のバイオリンの涼やかなハーモニーが、まるで真夏の昼下がり、ひととき吹き抜けて行く涼風みたいな手触りで聞こえてくる。これは数あるラテン音楽の中でもダンディ度の相当に高い代物だった。
前面に立つのがバイオリンの艶やかなアンサンブルである事から、リズム隊がかなり高揚したカリブの息吹を弾ませても、どこか室内楽的な瀟洒な出来上がりの音楽になった。そしてまた、バイオリンやピアノのソロとなると、かなりの思索的手触りさえ感じさせたものだった。
熱帯の音楽の特徴的な、聴いていて思わず体が動き出してしまう躍動感を持ちながらも、芯に不思議にシンと静まり返った哀感が控えていて、その陰影が忘れられない。マルチニークという土地への興味をいやがうえにも掻き立てる。
この盤は、マラヴォワが国際的成功を収め、パリでの大掛かりな公演なども行った、その当時の、いわば最盛期の音源が収められている。名曲、名演のテンコ盛りである。
マラヴォワとマルチニークの音楽が光り輝いていた時代の遺産。今、聞き返してもゾクゾクさせるものがある。またこんな高揚の時がカリブの島々に訪れる事を期待したい。信じたい。楽しみにしている。