ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

フレンチ・カリビアンの輝き

2006-08-30 02:21:39 | 南アメリカ


  ”LE MEILLEUR ”by MALAVOI

 ラジオの番組でタモリが「フランス語のラテンていうのがあるんだねえ」なんていっているのを聞いたことがあって、あれは”オールナイトニッポン”だったろうから、それはそれは大昔の話だなあ。やっぱり1980年代のことだろうか。

 タモリが言っていたのはハイチやマルチニークなど、かってフランスを宗主国としていた、フランス語を公用語とするカリブ圏の国々の音楽のことで、当時はそのようなものの日本盤が出ていたのだなあ。今となっては信じられないような話だが。当時、ワールドミュージックはそのレベルくらい力があって、またフレンチ・カリビアン・ミュージックのシーン自体もまた、盛り上がっていたということなのだろう。

 コンパス、なんてのはその音楽自体のジャンル名だったか、それとも中心となるリズム名だったか。かって出た日本盤の、そのアーティスト名とともに、現時点ではその詳細、情けないことに忘却のかなたに行ってしまっている。

 その後に紹介されることとなったアフリカ音楽の洪水の前に関心が「ちょっと横へ置いておいて」状態のまま、そのまま忘れ去られてしまうこととなったのだった。他のワールドミュージック・ファンも同じかなあ?きちんとその後もフォローしていた人っているのかしら?

 そのような状況にあっても、ずっとその名を忘れずに、心の隅に引っかかっていたいくつかのアーティストのうちの一つが、このマラヴォワだ。カリブ海の片隅、マルチニークから現れた、飛び切り粋なバンドだった。

 彼らの音楽の原型は、あのキューバのお洒落なサウンド、フルートとバイオリンをフィーチュアしたチャランゴにあるのだろう。パーカッション群のパワフルな響きと思索的なピアノの響きが織り成すリズムのさざなみに乗って、複数のバイオリンの涼やかなハーモニーが、まるで真夏の昼下がり、ひととき吹き抜けて行く涼風みたいな手触りで聞こえてくる。これは数あるラテン音楽の中でもダンディ度の相当に高い代物だった。

 前面に立つのがバイオリンの艶やかなアンサンブルである事から、リズム隊がかなり高揚したカリブの息吹を弾ませても、どこか室内楽的な瀟洒な出来上がりの音楽になった。そしてまた、バイオリンやピアノのソロとなると、かなりの思索的手触りさえ感じさせたものだった。

 熱帯の音楽の特徴的な、聴いていて思わず体が動き出してしまう躍動感を持ちながらも、芯に不思議にシンと静まり返った哀感が控えていて、その陰影が忘れられない。マルチニークという土地への興味をいやがうえにも掻き立てる。

 この盤は、マラヴォワが国際的成功を収め、パリでの大掛かりな公演なども行った、その当時の、いわば最盛期の音源が収められている。名曲、名演のテンコ盛りである。
 マラヴォワとマルチニークの音楽が光り輝いていた時代の遺産。今、聞き返してもゾクゾクさせるものがある。またこんな高揚の時がカリブの島々に訪れる事を期待したい。信じたい。楽しみにしている。


 

鼻をなくした小象物語・批判

2006-08-29 04:01:43 | その他の評論

 この土曜日から日曜日にかけて放映された、毎年夏恒例の”24時間テレビ”の批判を書こうとしたんだけど、以前、別の場所に発表したあの文章を読んでもらうほうが早いなと思い出し、下にコピペしたものであります。そのような事情を踏まえたうえでお読みいただければ幸いです。

 ~~~~~

 「感動ドキュメント’05・鼻をなくした小象物語・命の奇跡をアフリカに追う!」批判

 怠惰に正月休みを送る者にとってテレビはこの上なき慰め。とは言うものの、正月のテレビって、これがつまらないんだよなあ。2時間特別枠とか3時間特別枠とか、やたら時間は長いが内容はダレダレのものばかりで、面白くも何ともない。そんな、長時間枠をわざわざとって放送するんだから、テレビ局も力を入れて作っているんだろうし、というか、そもそもわざわざつまらない番組を作ろうとするわけはない。面白くしようと意図して、それがことごとくズタボロってのは、まずいんではないか。いまさら、テレビの世界に過大な期待なんか、そりゃしていないが。

 とか何とか言いつつ正月4日に見た、というかテレビを付けっぱなしにしていたら偶然始まってしまった番組が、「感動ドキュメント’05・鼻をなくした小象物語・命の奇跡をアフリカに追う!」(TBS)なる代物であったのだ。

 いやまあ、私はアフリカ方面の文物には心惹かれるものがあるんで、初めは楽しんでみていたんですよ。初めのうちは。怪我によってなのか、それとも生まれつきの奇形なのか、象の象たるにもっとも特徴的な長い鼻が失われてしまっている小象の物語。水一つ飲むのにも苦戦する彼(だか彼女だか知らないが)は、はたして過酷な自然の只中で、無事に生きて行けるのであろうか?

 撮影スタッフは、偶然に発見されたその小象の成長の記録をカメラに収めるべく、たびたびアフリカの地に赴くのである。が、何度目かのアフリカ訪問で、その小象の姿を見失ってしまう。スタッフはいくつもの象の群れを追い、目撃者を求めてアフリカの地をさ迷う。今は乾季だが、むしろ雨季に来た方が捜索には効果的なのではないかとの土地の古老の助言に従い、いったん日本に引き上げ、日を置いてから再度アフリカを訪れさえする。と。このあたりに至って、なんかこりゃ変だぞと思わずにはおれなくなって来たのである、私は。

 この群れに、あの鼻のない小象はいなかった。我々は別の群れを求めて草原を走った。こちらの群れにもいない。やっと、あの鼻のない小僧の母親である、耳の一部に特徴ある怪我の痕を持つ象がいる群れを見つけた。が、その群れにも、あの小象はいなかった。一体、どこに行ってしまったのだろう?とナレーターは、弱き者を思いやる憂いの影差す口調で捜索行を伝えるのであるが、おい、ちょっと待ってくれ、その鼻のない小象さえ無事に成長出来れば、世界は万事オッケーなのか?

 この群れにも小象はいなかった、の一言で切り捨てられる象の群れだって、この世の楽園に住んでいるわけでもあるまい。アフリカの地に、彼等象を含む野生動物の影が年々薄くなって行っているとは、普通に聞かれる”憂慮される事態”なのではないか。とか言うさらに前に、彼等、”普通の象の群れ”だって、敬意を持って接すべき生命たちなのではないのか。

 結局お前らは。お前らってのは、小象を追う撮影スタッフやら、番組をそもそも企画したテレビ局を指すのだが、ヒューマニズムを気取って”感動ドキュメント”とか作っているお前らは結局、”あるべき鼻がない”という、その小象の”タレント性”に用があるだけではないか。”可哀相な象”を画面に出せば頭の悪い視聴者の同情を引けて視聴率を稼げるだろうという、それだけの都合でたびたびアフリカに出かける、その費用だって安いものではないだろう。もし本気で、生き残ること自体が、多くは人間の干渉によりますます過酷になっている草原の暮らしを憂慮するなら、その金をもう少し効果的に使う道だってあったはずではないか。

 長時間番組を批判していたくせに無駄な長文をグタグタ並べてしまった私だが、要するに言いたいことは、”善人面してんじゃねーよ、バーカ!”なのでありました。うん、そういうことなんだ。



新国歌など

2006-08-27 23:22:37 | 音楽論など


 なんか朝日新聞に”第二の国歌を作ろう”なんて提案の投書が載ったようですね。原文は末尾に掲げておきますが。
 で、国歌がどうの、という話になると良く出てきて、そして気色悪いなあと私は思わずにいられない発言があるのです。それは、

 「”君が代”の歌詞に出てくる”君”は天皇を指すといわれているが、そうとは限らないのではないか。”君”は恋人のことだったりするかも知れない。そう、”君が代”はラブソングなのだ」

 とかいう、発言者ご本人はたいそう気の効いた考えの表明とお考えらしい一言。

 バカタレが。国家が国民に向かってラブソングをあてがい、「さあ歌え」なんて迫ってくるはずがないじゃないか。”君”は天皇だよ。あの歌が”国歌”である限りは、それ以外の意味になりようがない。

 そう言うのをおためごかしというんだ。子供の機嫌をとって嫌いなピーマン食べさせるのと同じ小細工で国歌を納得させようなんて。「さあ、これを食べてしまえば、お皿のカニさんの絵が出てくるよ~。食べてみなよ~カニさんが出てくるよ」なんてね。

 ウヨクのヒトも腹が立たないのかね、いやしくも国歌をラブソング扱いし、その主人公の座から、神子御一人を引き摺り下ろして。そんな考えに腹は立たないのか。国賊とは思わんのかね、そんな”君が代ラブソング解釈”を標榜する奴らを。

 歌詞の話が出たところで、参考のためにフランス国歌の歌詞・日本語訳を”ウィキペディア”より持って来ましたんで下にコピペします。

 ~~~

フランス共和国国歌「ラ・マルセイエーズ」 “ LA MARSEILLAISE ”
作詞・作曲:ルジェ・ド・リール

いざ進め 祖国の子らよ
栄光の日は やって来た
我らに対し 暴君の
血塗られた軍旗は 掲げられた
血塗られた軍旗は 掲げられた
聞こえるか 戦場で
蠢いているのを 獰猛な兵士どもが
奴らはやってくる 汝らの元に
喉を掻ききるため 汝らの女子供の

武器を取れ 市民らよ
組織せよ 汝らの軍隊を
いざ進もう! いざ進もう!
汚れた血が
我らの田畑を満たすまで

 ~~~

 えらい事であります。喉を掻き切るの、汚れた血が田畑を満たすのと。こんなのを学校の入学式とかで幼い子供たちに斉唱させてるんだから、考えてみればものすごいよな。でもまあ、外国の国歌なんて、こんなのが多そうだよなあ。

 と、とりとめもない話をしております私ですが、ここで私なりの新国歌への提言をしておきたい。それは、「国歌は、歌詞無しでメロディのみ」というものです。

 まあ要するに”北の国から”の主題歌みたいに”ああ~あああああ~♪”とか、国民そろって歌おうってんですけど。メロディだけ与えるから、各自、それなりの思いを込めて歌いなさい、という事でいいんじゃないですかね。

 そうすれば気色悪い新解釈とか入り込む余地が無くなるし、万が一、国体がガラッと変わっても、もともと歌そのものには意味がないんだから、国歌論議なんかしなくてすむでしょう。いや、粋なもんだと思うんですがねえ。

 で、下が話の出元であります、朝日新聞に載った投書の原文です。

 ~~~~~
 
夏休みも残りわずかとなり、始業式が近づいてきました。寒冷地ではすでに授業が始まった学校もあるのでしょうか。
 こうした学校行事の時期がくるたび、「君が代」「日の丸」の問題が話題になります。
 20世紀以降、諸外国の多くが国旗を制定し、国際行事の際に国歌を歌うことが定着しました。特に五輪やサッカーワールドカップなど国際的なスポーツ大会が普及に一役買いました。
 とりわけ国歌は、チームのイメージを世に知らしめ、選手の愛国心や闘争心を高揚させる役割を果たしてきました。
 そういう意味では、日本の国歌とされる「君が代」は特殊な存在です。
 歌詞は、「古今和歌集」に「読み人知らず」として載っている和歌「わが君は千世に八千世にさざれ石の巌(いわお)となりて苔(こけ)のむすまで」が基になっています。「わが君は」を「君が代は」と変えたもので、明治期以降は天皇をたたえる歌とされてきました。
 これが戦後もそのまま採用されました。歌詞も曲調も古めかしく、天皇中心的です。米国やフランスの国歌と比べると、諸行事に使うには、日本の国歌はさえない印象をもつ人が特に若者たちに多いようです。戦後生まれの世代は、チームや個人をたたえる場面で天皇をたたえる国歌を歌われても、なかなかピンと来ないのでしょう。
 米国では、始業や終業時間に生徒が国旗に向かって右手を左胸に当て、国歌を斉唱する学校もあるそうです。これほど国歌を愛する国民性ですが、実はこのほかに、第二の国歌のような「America the Beautiful」という歌もあります。第2次世界大戦前によく歌われていたようです。
 そこで私は提唱したいのです。国内外の大きなスポーツ試合の時に、優勝チームや個人を表彰するのにふさわしい第二の国歌を、ぜひ日本全国から公募してほしいのです。
 公式行事には古典的な「君が代」でもいいでしょうが、若者が参加する華やかな国民行事には、「君が代」に代わる斬新な第二の国歌を全国民で歌いたいと思います。心を高揚させ、正義と友情と平和をたたえるようなもう一つの国歌を。
 私も当選は期待せずに、作詞作曲に挑戦したい気持ちでいっぱいです。たくさんの日本人が、その日を待っているに違いないと私は思うのです。
 (http://www.be.asahi.com/20060826/W25/20060817TBEH0017A.html )




ガスリーが歌えば

2006-08-26 03:58:47 | 音楽論など


 先日のロシアにおける旅客機墜落のニュースに関する、何人かの人たちのWeb日記を読んできたら、その種の事件のたびにテレビなどでアナウンサーによってコメントされる「日本人の乗客はいませんでした」って一言の表現に不満を漏らす人が若干おられるようですな。

 つまり、「乗客に日本人はいませんでしたって、日本人が無事なら他の国の人はどうでも良いのか?我々は同じ人間、地球市民じゃないか」ってのが言い分のようで。しかもどうやらモトネタは、イエローモンキーなる日本のロックバンドの連中の歌の文句らしい。下のような内容だそうで。

 THE YELLOW MONKEY 『JAM』より引用

 >外国で飛行機が堕ちました ニュースキャスターは嬉しそうに
 >乗客に日本人は居ませんでした
 >いませんでした いませんでした
 >僕は何を思えばいいんだろう 僕は何て言えばいいんだろう

 あのさあ、それは、ヒューマニズムがどうって問題と違うよ。
 「日本人の乗客はいませんでした」と知らせておかないと、知り合いがその方面に旅行に行ってる人が心配するでしょ。問いあわせが殺到するでしょ。だからそんな人々に、前もって日本人の乗客がいなかった事実を教えてあげてる。それが、そんなに罪悪なのかね。

 結局、お手軽な偽善者ごっこなんですね。ちょっと気の効いた、他人とは一味違ったヒューマニストを簡単に気取れるんだよね、それ。ロックバンドの歌の尻馬に乗り、そう言っておけば自分の腹は痛まないし、すでに「同じ人類じゃないか」って結論も出ているんで、自分ば何も頭は使わなくても、なんか賢げな心優しいナイーブな人格を気取れる。

 うさんくさい話ですよね、これって。それにこの、”安易に他人の尻馬に乗って善人面する”って精神、怖いと思うよ。いざ、となった時にはね。
 で、そんなお手軽な善人ごっこのタネをまく、今はそんなことしかやってないのかと思うと、なんだかうら寂しい気分になってくるけど。ロックって、そんなものだったのかい?

 ここで私は、アメリカの社会派フォークの開祖ウッディ・ガスリーが歌った、もう一つの”飛行機に乗って名前を失った人々”に関する歌など思い出さずにはおれません。”Deportees ”と言う歌です。
 歌の主人公は、国のご都合主義により、先祖代々住んでいた土地をゆえなく追われ棄民となった人々です。


 Good-bye to my Juan, good-bye Rosalita
 Adios mis amigos, Jesus y Maris
 You won't have a name when you ride the big air-plane
 And all they will call you will be deportees.


 現実を前に、ただウジウジと”良心的なナイーブな若者”を演ずることに心を砕いてばかりいるかに見える日本のロックバンドの歌詞と比べると、その毅然たる姿勢に、粛然たる気持ちにさせられます。



アフリカン・ハイライフに乾杯!

2006-08-25 01:39:25 | アフリカ


 ”The Best of Adlib Young Anim of Stargazers Fame ”

 アフリカにおいて様々な土地で様々な形で息付くアフリカン・ポップスの古層を辿って行くと、つまりは”里帰りしたアフロ・カリビアン・ミュージック”という事になるようだ。

 ヨーロッパから新大陸に渡った白人たちの文明とアフリカから連れて来られた黒人たちの文化とがぶつかり合って発生したカリブ海の音楽が、アフリカの地に持ち帰られ(?)て、人々に愛好されるようになった経緯など知りたく思うのだが、その話はここではすっ飛ばして。
 
 西アフリカにおいて発生したと想像されるハイ・ライフ音楽などは、そのもっとも古い例と言えるのだろうが、それだけに良く分からないことも多く、昔々、ある雑誌で行われたアフリカンポップスに関する鼎談においても、「ハイライフって、良く分からない。現地の人に尋ねても、”あれもハイライフ、これもハイライフ”と、どれもハイライフ扱いになってしまう」などと、”お手上げ”の発言がなされていた。

 音楽の形式としては、古いスタイルのカリプソがアフリカ風に変形したもの、という雑なくくりで想像していただければ良いと思うが。

 このアルバムは、ハイライフ音楽が古くから盛んだったガーナで、1950~60年代においてハイライフ界の人気バンドだったスターゲイザースの歴史的レコーディングを集めたものだ。いきなりリーダーの芸名が”アドリブ”ヤング・アニムであるあたりが嬉しい。

 針を落とすと(CDなんだが)聞こえてくる、リズミックに弾む、ややルーズなハモリのホーンセクションの響き。これこれ、こののったりまったりした手触りがハイライフの醍醐味だよなあ。などと和んでいると、トランペットやサックスのソロが始まったとたんに「え?」と驚かされることとなる。

 いわゆるアフリカ風の旋律の中でジャズっぽくスイングしつつアドリブを決める、そのための方法論。それはたとえば渡辺貞夫が”ムバリ・アフリカ”期に盛んに行っていた演奏の軸となるものであるが、それはもうこの時点でほとんど完成されていた事を、このアルバムに収められた演奏が証明しているのである。

 そいつは、半世紀近く前の演奏とは信じられぬほどのシャープな輝きを帯びていて、「いかすぜ、アドリブ・ヤング!」と声をかけずにいられない。いや、かけやしないけどさ、気持ちとしてそんな感じなのさ、凄いのさ、ハイライフという名のアフリカン・ジャズは。

 高価で、弾きこなすにはそれなりの訓練が必要となるピアノの代わりにギターが使われ、それがハイライフをはじめとするアフリカの近代ポップスの個性となって行ったとはよく言われることである。
 このアルバムで聞かれるギターの、トロッと甘く、それでいて切れ味の鋭いフレージングも捨てがたい魅力がありで、奏者の名が不明であること、まことに残念と言わずにいられない。

 やあ、こんな音楽が普通に街角に溢れていた50~60年代の西アフリカの空気って、どれほどの熱気を帯びていたんだろう。ドキドキするよなあ。




稲川淳二の怪談CD

2006-08-23 03:00:50 | いわゆる日記


 秋の夜長のこわ~いお話 by 稲川淳二

 夏にふさわしい話題をとか思ってハワイアンなど、このところ取り上げてきましたが、その流れで稲川サンの怪談音源など。まあ、音楽でなくて恐縮ですが。というか、夏を意識の割にはタイトルが秋になっていますが、それもご容赦。つーか、そもそも今回の書き込みそのものが無茶ですが。

 稲川淳二の怪談音盤は数多く出ていますが、これが歴史的レコーディングという意味では価値が高いでしょう。彼を怪談語りの名人の座へと押し上げた作品、”生き人形の話”のオリジナルが初出収録されている、という事で。

 上に提示した写真は初出のカセットのジャケですが、この作品、CD化もされて、今日でも購入可能です。”生き人形の話”は、ある人形師が製作した人形が呪われていて、さまざまな怪異を引き起こす、というもの。

 あらゆる怪談のパターンがブチ込まれて波乱万丈、一時間かけても語りつくせない、大作?です。いろいろな場で語られているので聞かれた方も多いかと思いますが、怪談としてはいまだ進行中であり、新しいページが現在進行形で書き加えられている、というのもワクワクさせてくれます。

 で、このレコーディングで聞かれる稲川淳二の語りは、意外や今よりずっと滑らかです。力も抜けていて、今日の力の入った、ある意味演出過剰な語りに較べると、ほとんど世間話のように物語を進行して行きます。

 逆に、最近のレコーディングになればなるほど、稲川の口跡は怪しくなり、言い間違いも多く、非効率な繰り返しも多くなります。そして、そのどちらが耳に”聞く楽しみ”を与えてくれるかと言えば、それは欠陥も多いはずの最近の録音なのですね。

 この辺の違いなど聞き比べていると、稲川怪談も時を経るうちに、ある種の語り物として音楽にきわめて近いものになりつつあると感じてしまうのです。語り物が音楽へと変質する瞬間に知らずに我々は立ち会っているのかも知れない・・・

 実際、稲川怪談は日本の伝統音楽の失われた何かしらの要素(それが何なのか、今はまだ説明不能なのですが)の代わりとしてそこにあるなんて、夏の夜、一杯やりながら、このレコーディングを聞きつつ、仮説を試みたりしているのであります。




レスポールのハワイ幻想

2006-08-22 01:57:51 | 太平洋地域


 ”LOVERS' LUAU”by Les Paul & Mary Ford

 先日のアンディ・ウィリアムスに続いて、50~60年代制作の、大物によるハワイアン・アルバム。ギターの神、レス・ポールのハワイアン曲集であります。

 レス・ポールといっても、彼の名を冠したギターは、それは目にも耳にも馴染んでいるものだけれど、レス・ポール自身の演奏って、そんなに聞いてないでしょ?

 私なんかが若い頃によくラジオで流れていた「世界は日の出を待っている」くらいしか聞いていない人がほとんどじゃないだろうか、普通の音楽ファンだったら。私も実はこれがレス・ポールのアルバムを丸ごと一枚聞くのは初めてだったりするのだった。

 聞いてみてまず思うのは、いや、このオヤジ、相当のオタク魂を持ってるわ、ということ。「あれ、チューニング、狂ってないか?」とさえ思わせるようなあたりのアウト気味の音から入って来たりするプレイといい、凝ったコード感覚といい。

 それから、いろいろ種類も豊富な今日から見れば可愛いものではありますが当時としてはおそらく最先端のエフェクター各種を動員しての、不思議な手触りの異世界創造に取り組むあたり、ね。
 スタジオに篭って、あーだこーだと工夫を凝らし、時の経つのも忘れるタイプなんだろうなあ。

 その結果、現出しているのは、レス・ポールのテクノロジー信仰によって分解と再構築のなされた、まるでプラスティックで合成されたような硬質なファンタジーとしての”ハワイ音楽”であります。なんだか昔のSF映画に描かれた異星の風景みたいな、ワイキキの浜辺なんだなあ、見えてくるのが。

 うん、面白かった。彼の他のアルバムも聞いてみる価値はあるだろうな。こうして聴いてみて分かったんだが、レス・ポールの音楽の魔法は、いまだ無効になっていないから。


失われた”日本のロック”

2006-08-21 01:58:44 | その他の日本の音楽

 ”スーパー・ライブセッション”by ゴールデン・カップス

 先日のスポーツ紙に「また沖縄から旋風」なんてタイトルで”かりゆし58”なんて新人バンドの話題が出てました。地元での4週連続1位を受けて、デビュー盤がこの23日に全国発売されるとか、そんな記事。

 この連中のデビュー曲って、先日、ラジオから流れてくるのを偶然聞いちゃったんだけど、何がロックだよ、詞も曲も、まるでさだまさしじゃないか。
 もののたとえじゃなくて、ほんとにさだそっくりの世界でね、なんか、母親のことを歌っているみたいですよ。不良の息子が母を想い更正する、とかね。生暖かい、生暖かい世界。

 もうとっくに葬り去った筈の退屈な人情話が棺を押し開けてまた地上を徘徊する。”感動”ですか。”ぬくもり”ですか。”ちょっと良い話”ですか。とうに聞き飽きましたが。

 そんなものが”ロック”として認知されちゃう我が国が情けない。やりきれないです。
 ともかく、何かというと金八先生がしゃしゃり出て説教垂れる、そんなものでしかないんですかね、我が国の大衆文化ってものは。そんなものじゃなかったはずです。

 なんてことを想いながら今、なつかしの”実力派GS”、ゴールデンカップスのアルバム、”スーパー・ライブ・セッション”を聞いているわけです。彼らが”日本のニューロック”の最先端にあった60年代末、同じ横浜のこれも先鋭的バンド、”パワーハウス”のメンバーとセッションをした記録。

 今聞いてみればまだまだ未完成な”ロック”の姿ですが、今日のバンドには持ち得ない、なにやらカオスというしかない、みたいな音像が渦巻いています。漂うのは、ご禁制の”紫の煙”よりも、”不良の面影”って奴じゃないでしょうか。

 昔々、ロック少年をやっていた頃にこいつを聞いて、そのヤバめの轟音にずいぶんドキドキしたものですよ。
 いや、不良なら偉いってものじゃないです、そういうことじゃないんですがね。この頃の”日本のロック”が孕んでいた可能性ってもの、何処へ消えうせてしまったんだろうな、なんて不思議に思ったりするのです。




遠ざかるマダガスカル

2006-08-20 01:48:52 | アフリカ


 ”musique du monde”by Tombo Daniel with Toamasina Serenades

 もう何年前になるのかな、楠田江梨子がキャスターとなって、アフリカ沖に浮かぶ不思議の島、マダガスカル島の自然誌を何回かのシリーズでNHK-BSが放映したことがある。

 あれはなかなかに面白い番組で、ビデオに録って置かなかった事をいまだに後悔しているのだ。ブライアン・オールディスの書いたSF、”地球の長い午後”では、人類の文明が没落した後の遠未来、地球を覆いつくすことになっている”ベンガルボダイジュ”の生態など、実に味わい深かった。
 
 ベンガルボダイジュ、と書いた。ベンガルといえばインドの地名なのであって、その辺が出自の巨木が繁茂している大地なんてのも、アフリカというよりはインド洋文化圏として語りたくなるマダガスカル島を象徴するようなエピソードだった。

 そのような土地柄ならば当然、アフリカの要素とアジアの要素が激突、ユニークな音楽が生まれて当然なマダガスカルの、これは当地の民俗楽器、”ヴァリハ”をメインに押し立てた、かなり民謡色濃いアルバムである。

 ヴァリハは共鳴板に弦を張り渡した、ちょうど琴のような構造になっている楽器であって、そいつを体の前に突き出すように構え、掻き鳴らす。写真での見かけに比すると、ずいぶん分厚い音像を持つ。

 こちらはいかにもアフリカ色濃厚な女性コーラスとシンプルなパーカッション群をバックにヴァリハを奏で、渋い声で主人公のトンボ・ダニエル(なんか、突っ込みたくなる名前だ)は、やはりアフリカ色は強いものの、どこかしらに枯れた、不思議な寂寥感の漂うメロディを歌う。

 こうしてマダガスカルの音楽を聞いているとしかし、浅学の私などはアフリカとアジアの激突というよりむしろ、ラテン音楽、それもカリブ海周縁のベネズエラやコロンビアあたりの平原部の音楽に似ているな、などと感じてしまうのだった。

 独特の、前につんのめりそうになりながら疾走する”タタタ タタタ タタタ”と聞こえるノリのハチロクのリズムも似ているし、ヴァリハの奏でる和音の響きも、南米で広く使われている小型のハープ、”アルパ”の響きに極似していると感じられて仕方ないのだ。

 まあ、実際にはマダガスカルと南米、あまり関連性もないと思われるし、似ているとしても偶然でしかないんだろうけど。
 そういえばマダガスカルの沖に浮かぶ小島、レユニオン島の音楽を聴いた際にも私は、そのメロディラインに南米のフォルクローレ的な匂いが仄かに含まれていると感じた、そんな記述を以前、この場で行ったものだった。

 うん、これ以上はSFの領域に入ってしまうので論じるのは止めておくけど、もう少しか後の音楽について知識が深まれば、何か見えてくるものがあるのかも知れない。まあ、それまで宿題という事で。

 聴いていると、何かしら”透明な悲しみ”なんて言葉が連想される。まだ手の届かないずっと遠くから、風に吹かれて飛んできたマダガスカルの歌声は。




××しか聴かない人

2006-08-18 02:51:14 | 音楽論など


 音楽にもいろいろジャンルというものがあるわけですが、ワールドミュージック・ファンの中にも、”この音楽しか聴きません”と高らかに宣言する人ってのがいるんですよね。「そりゃいるだろうよ、誰でもが”どんな音楽でも全部聴きます”と言うわけには行かないさ」とおっしゃいましょうが、いやまあ、その生態、まことに不思議であったりするんです。
 
 たとえばですねえ、掲示板なんかで他のワールドミュージック好きの人に遭遇した際、その人は真っ先に言うわけです、「どんな音楽が好きですか?ちなみに僕はパキスタンとセネガルの音楽しか聴きません」なんて。で、それに対して相手が何か答えたとしても興味を示すでもなく、会話は続行しません。ただ板にヌスラット・ファテ・アリ・カーンやらの写真をコメントもなしのまま貼って、後は音沙汰なしとなったりする。

 何のことはない、ご自身がパキスタンのカッワーリーや、アフリカはセネガルの音楽のファンであり、”それ以外は聞かない”主義の人であることを他人にアピールできればそれでいい、それ以外のことには興味がないって人なんですね。
 そんなファン活動して何が面白い?と思うんだが。いやまあご本人がそれで楽しければいいんで、他人の私があれこれ言うことでもないんですがね。でもなあ。

 「××しか聴きません」っての、つまりは自分のリスナーとしての可能性を狭めてしまっていますって宣言しているのと同じでしょ?それをなぜ、そんなに誇らしげに言い放てるのか、不思議です。しかも。
 もう一度言いますが、世界にはさまざまな音楽が溢れている、そいつを楽しんでしまおうってのがワールドミュージックのファンであると私は理解してるんで、それのファンがそんな事を言うのって、ますます不思議。
 
 思い返せば、普通にロックファンをやっていた青春時代、同じような事を言ってる仲間がいました。「俺はブリティッシュ・ハードしか聴かないから」と、やはり同じように誇らしげに胸を張ってね。なんなんでしょ、あれ?自分はそれほど好きな音楽に忠誠を尽くしている、それが自慢だ、とでも言いたいんでしょうか。

 ともかくこれに関しては完全に理解不能です、私。これも先に言いましたが、誰もがすべての音楽のファンになれるものじゃない。それは当たり前。私だって耐えられない音楽はいくらでもあります。
 でも、「自分はこれしか聴かない」ってのが出会う人ごとに言って回りたいほどの自慢に思えるってのは。謎だよなあ???