ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

ヤースガース・ファームを後にして

2008-11-30 05:04:14 | いわゆる日記


 これはまあ、わざわざ書くような話でもないのかも知れないんだけど。

 古内東子とか言う歌い手の昔の歌が今、コマーシャルで使われているでしょう。
 ”大事なものが どんどん 増えて行く 一つ一つ守ってく~♪”などと始まり、”そんな自分でいたい~♪”とか、そんな具合に締めるんですが、なんかあの歌が流れてくるたびに妙な気分になってねえ。

 ”守らなければならない大事なものがどんどん増えて行く”ってのは、そんなに幸せなことだろうか?憧れる価値があるだろうか?
 私はむしろねえ、そんな諸々のこだわりから解き放たれ、価値もないものに振り回されることから自由になり、余計なものをどんどん捨てていけたらと憧れるんですが。

 ただ風に吹かれるままに生きている。何も必要としない。”そんな自分でいたい~♪”と思うんですがね。いわゆる解脱ってやつですか。そりゃまあ、なかなかそんな境地になれるもんじゃないが。
 いや、こんなことは各々の哲学に関わることで、どう考えるべきだとか言ってみても仕方ないのであるんですがね。

 ただ、テレビからあの歌が流れてくるたびに、強欲そうな女が部屋一杯ブランドものを積み上げている光景とか浮んで、なんか気が重くなってしまうんでね。こんな事を書いてみたわけですわ。

 なんて事を考えてしまうのは、若き日、影響を受けたヒッピーの考え方とか、そんなものの名残りが心の中に燃え残っているのかなと、オーバー・ウエイト気味の己の身を嘆きつつ、ふと思う。
 昔の仲間は、どうしているだろうなあ。長い歳月のうちに、便りも途絶えたままだけれど、元気でやっているのか。
 今年ももう、12月かあ。早いねえ。

セドロンの花束

2008-11-29 04:01:58 | 南アメリカ

 ”RAMITO DE CEDRON”by LIDIA BORDA

 ちょうど私がタンゴを聴き始めた頃、新進タンゴ歌手としてデビューしたリディア・ボルダであり、私は勝手に”同級生”みたいな親しみを感じていたのだった。
 それにしても1995年のデビューで、今年発表されたこれが3枚目のアルバムとは寡作だなあ。それ以外に、客演したプロジェクトなどがあるとはいうものの。何か事情があって、作品を連発しないのだろうか。

 どちらかといえば鉄火肌の女性がテンション高く歌い上げる、みたいなタンゴの女性歌手の中にあって、その繊細な歌唱スタイルと、低く落ち着いたアルトの声が伝える楚々たる雰囲気。加えて、ショートカットの髪が印象的なその美貌もあいまって、ある種の同時代的共感を伴いつつ、なかなかに切ない存在だったのだ、デビュー当時の彼女は。
 ピンクが基調になったデビュー盤のジャケの可憐な感触がいかにもふさわしく感じられた。とはいえ、デビュー当時の彼女の年齢はもう、30代にさしかかっていた筈なのだが。

 人々が忘れかけていた30~40年代の古い歌を好んで歌うリディアであり、その、時を隔てたセピア色の感傷を見据える思索的な姿勢と選曲のセンスの良さが、彼女の大きな魅力となっていた。

 そんなリディアの最新盤である。

 まずジャケ写真を見て、その容貌の変化にちょっと驚いてしまったのだった。ショートカットの快活な少女(という年齢では、デビュー時、すでになかったにしろ)の印象が強かったリディアが、今回はなんだかすっかり貫禄が付いていたのだ。

 ジャケ写真やインナー・スリーブで、少し伸ばした髪と黒いドレスで笑顔を見せる彼女は、タンゴの生まれた頃の植民都市ブエノスアイレスにおいて名うての悪場所を取り仕切る凄腕の女将、みたいな図で写っていた。まあ、収められている曲に合わせたキャラを演じているのかも知れないが。

 取り上げられているのはすべて、ファン・タタ・セドロンなる作曲家のペンになるものばかり。もちろん、この人物についても詳しい知識はないのだが、独特の”都市のフォルクローレ”みたいな感触があり、興味をそそられる。
 なんでもセドロンは1970年代、軍政を逃れてアルゼンチンからフランスに移り住み、主にヨーロッパでタンゴ活動をしていた人とのことで、歌詞が分かればますます奥深いものを受け取れるかと思われる。そもそもリディアはなぜ、この人の作品集にトライしたのだろう。

 今回のアルバムで見せるリディアの歌唱も、いつもの楚々たる印象のものから若干踏み出し、女の業みたいなものを掘り下げる、濃厚なものへと変化を遂げていた。やっぱりどこか非合法の酒場の女将っぽいかなあ・・・
 考えてみればリディアの歌を初めて聴いてから、もう10数年が経っていたのだった。先に述べたように寡作の彼女ゆえ、その歳月を意識したことがあまり無かったのだが。
 この後のアルバムは、一体いつになるのだろう。また、長いこと待たされねばならないのだろうか。なにやら気になるのだかど、この先の展開が。

 余談。歌詞カードに添えられている奇妙なオブジェの写真が気になる。段ボールのデコボコを利用した、おそらくはブエノスアイレスの古い町並みを表現したものらしいのだが。
 なんだか当時の人々の生活のぬくもりみたいなものが凄くリアルに伝わってくる作品である。そいつはリディアの今回のアルバムを読み解く大きな鍵となってくれるようにも感ぜられているのだった。

主よ、人の望みの喜びよ

2008-11-27 00:29:17 | アンビエント、その他


 Choral "Jesus bleibet meine Freude"

 夜、コンビニに買い物に行くときに気が付いたのだが、知らぬうちに近所のヨットハーバーにクリスマスのモニュメントが出来上がっていた。
 まあ、それはいいのだが、こう時期も早くそそり立ってしまうと、なんだか「このあたりもワシら”年末商戦組合”が抑えたけんね」と宣言されているみたいな被占領気分にもなったりする。

 いつの間にか”年末”というものがどんどん前倒しになり、この頃は12月のすべてが、そしてついには11月までもがことごとくクリスマスの、というかクリスマス商戦の助走のためだけにある、みたいになっている。
 そして街にはしばらく、あの、マライヤ・キャリーのなんたらいう浮かれたお祭りソングが一ヶ月も二ヶ月も休みなく喧しく鳴り渡り続けるようになる。ようやく街に静けさが戻ってくるのは、やっと年末になってからである。

 なんとも我慢がならない季節になってしまったものだが、子供の頃はそれなりにクリスマスも楽しみな催しだった記憶はある。そいつは今の豪奢な祭りとは比べものにならない質素なものだったのだが。いや、だからこそ、そのささやかな祭りが心優しい時代の記憶として残り得ているのだろう。
 あの頃自分は、世の人々すべてが幸福に包まれ得る、と普通に信じ込んでいた。時は流れ、そんな事はありえない、と今は知ってしまっている。だからどうした。どうもせずに、ただ人々は生き続ける。

 この辺の時期になってくると、シンと冷え切った夜空を眺めながら演奏してみたくなる曲というものがあって、それがバッハのコラール、「主よ、ヒトの望みの喜びよ」である。
 なんだか知らないが私には、年末の足音が聞こえ始めて街の空気が気ぜわしくなってくると、この曲を演奏してみたくなるのだ。聴きたくなるのではなく、自分で演奏してみたくなる。

 といったって、この曲の正しい演奏法を知っているわけではない。
 有名なメインのメロディを奏で、ブリッジ(と、クラシックの世界で呼ぶのかどうか知らないが)の部分を弾き、元のメロディに還り、そこでただ決まったメロディを奏でるだけでは芸がないななどと余計な考えを起こし、元のメロディにブルースっぽいフレーズを紛れ込ませたアドリブを奏で、そのあたりでどこを弾いているのか分からなくなって曖昧に演奏を終える。そのレベルのものだが。

 何でこの時期にこの曲を弾いてみたくなるかと不思議なのだが、その典雅なメロディに”遠い時代に失われた静かな冬の祭り”へ寄せる私の追慕の感情を刺激するものが、どうやらあるようだ。
 とはいえ、この曲の由来など調べてみると、処女懐胎を告げられた聖母マリアに捧げる曲であるようで、私たち異教徒に簡単に理解可能なものでもない。私の感傷もきっと的外れなものであるのだろう。

 なぜかこの曲はギター弾き、それもクラシック外の弾き手に好まれていて、手元にある盤のいくつかにも、この曲が収められている。一番刺激的なのが、やはりアルゼンチンのフォルクローレの巨人、アタウアルパ・ユパンキによるギター・ソロ作だろう。
 主題の提示後、瞑想的な雰囲気を振りまきつつ転調し、とんでもない方向にポンと音は飛んでどうなることかと思わせつつ、見事に元のテーマに演奏を収束させてみせる。名刀一閃、みたいな鮮烈な演奏だ。

 聴いていると、深夜、雪に閉ざされたアンデス山脈のどこかで、孤独に祈りを捧げるインディオの姿などが浮んでくる。キリストの名によって、彼らアメリカ大陸先住民たちの上に、どれほどの災禍がもたらされたか、などということはもちろん、彼は学ぶことは許されなかった。ただ彼は祈り続ける。山々は眠る。夜は更ける。雪は降り続ける。

 何年前だったかなあ、もうその年も何日も残っていない、なんて時期に、暮れかけた空にまるで天使みたいに見える雲の塊を見て、「うひゃあ、俺も頭がおかしくなったかな」なんて驚いたものだった。天使を思わせる、大きく翼を広げた雲の後ろに月があって、その光をなにやら神秘的に海の上の暗い空に滲ませていた。
 気が付けば海岸には私の他にもその雲に見入っている人々がいて、どうやらそれが私一人に見える幻覚でもないらしいと知って安堵したのではあるが。

 うん、まあ、それだけの話だ。寒いねえ。

マレーの風の歌

2008-11-26 02:57:31 | アジア


 ”Tiupan Seruling Bambu”by Mohar

 東南アジア音楽のファンにはお馴染み、かの国々の流行り歌に独特の、熱帯の哀愁を振りまく竹笛、”スリン”の名手であるモハルのソロ・アルバム(2003年)というのは珍しいんじゃないだろうか。
 なんかジャケ写真を見るとモハルの容貌は、「ヒミコさま~っ!」とかいうネタをやる漫才コンビの髪の長いほうに似ていて、ちゅっとガックリ来るんだけど、まあ、それは音楽には関係ないか。

 彼がいつもバックを受け持っているマレーの人気歌手たちのヒット曲を、丁寧にスリンで吹き上げたもので、サウンドは相当に洗練されている。
 ことにマンドリン奏者のプレイなんかは、アメリカのブルーグラス系のミュージシャンでジャズっぽいプレイをする、あの一連の連中を思わせるものがあり、全体にかなりのインテリっぽいクールな手触りだったりする。
 この辺、オシャレを狙ったのか、それとも腕利きミュージシャンの矜持から来る”高レベル気取り”なんだろうか。

 いずれにせよこの感触が、どちらかといえばねちっこいマレー歌謡から脂を抜いたみたいな効果を生んでいて、なかなか面白いアルバムとなっている。いつもとは別の角度から見たマレー歌謡と言うべきか。

 熱帯らしい生々しさが薄れ、スコールの上がった夕暮れ時、つかの間の涼を振りまきながら林の間を風が渡って行くように、モハルのスリンが響く。なんだかマレーのメロディが持つ微妙な陰影が浮き彫りになった感じなのだ。
 繊細なアジアの心の綾みたいなものがモハルの竹笛の調べのうちから吹き零れ、つかの間、空気を揺らして消えて行く。こいつは切なくて良いやね。

ボローニャの憂鬱

2008-11-24 03:47:37 | ヨーロッパ


 ”DALLAMERICARUSO”by LUCIO DALLA

 ルチオ・ダルラ。イタリアはボローニャ出身のシンガー・ソングライター。60年代から活躍している大ベテランですな。

 彼は1971年、イタリアでは紅白歌合戦とレコード大賞を混ぜたくらいおめでたい催しである(んだろうと思う。最近は、そのご威光も薄れてしまったみたいだけど)サンレモ音楽祭において、「自分は第2次大戦後、進駐して来たアメリカ兵と、彼にレイプされたイタリア女性との間に生まれた」なんて衝撃的内容の”自伝的”な歌を歌いヒットさせてしまった。

 どこまでこの歌がドキュメンタリーなのか分からないけど、なんとエグいといいますかベタに芸能界っぽい名前の売り方でございましょう、と呆れますわ。
 なおかつ、その後の彼の音楽活動というのは実に堅実な実力派ぶりで、スキャンダラスな名の売り方が今となっては不釣合いに思える。まあ、”若気の至り”ってのもあるでしょうけどね。

 これは、ダルラが伝説のテナー(なんだそうですな。私はクラシックの知識は全然ないんで、そのありがたみが分からないんだが)のエンリコ・カルーソーをテーマにして作り、クラシック界からポップス界までの、数多くの歌手たちに歌われた曲、”カルーソー”をメインに置いたアルバム。この曲はイタリアン・ポップスの歴史に残る名曲とか言われているようです。

 収められているそれ以外の曲も、彼の代表的ヒット曲ばかり。ダルラの魅力を知るのには手っ取り早い、というよりこのアルバム自体が、”カルーソー”でダルラの名を知った人たちに効率よく彼を認知してもらおうと作られたもののような気もします。

 肝心の”カルーソー”なんだけど、深い情感を込めて盛り上がる、みたいな曲調なんだけど、オノレの作ったメロディにダルラ自身の歌唱力が付いて行けていない感もあり、そこがある意味、笑える。
 だからこの曲、ダルラ自身の歌うヴァージョンより、ダルラとパヴァロッティのデュエット・ヴァージョンの方がベストって人が多かったりするのでしょう。私なんかは、そのちょっと情けない感じが逆に哀愁漂っていいじゃないかとか思ったりもするんだが。

 それしにてもこのダルラの作る歌というのはクセモノで、私は彼の作るバラードが大好きなんだけど、その音楽性、親しみ易いようでいて、どこかへんちくりんなメロディや和音の進行だったりする。人懐こいようでいて、うっかり気安くすると撥ねつけられるようなひんやりした感触をときおり覗かせる曲の数々。

 もしかしてダルラは、相当に深い孤独を抱きつつ歌を作り続けている人なのかも知れない。
 その、歌の底に横たわるヒリヒリするような孤独の手触りがまた、聴き慣れるとクセになってしまうのよなあ。
 不思議な歌い手だと思う。そういう人が大衆的スターであるイタリアという国も込みで、

CCCDの亡霊

2008-11-23 04:17:49 | 音楽論など


 下の文章は先日、ある通販サイトに出したメールなんですが。まあ、今、冷静になって読み返すと、我ながら何を熱くなっているんだと気恥ずかしくなってくるんですがね。
 でも、違法コピーへの対策との名目のもとに顧客を公然と犯罪者扱いにしていた、あの失礼な物件、CCCDを今どき知らずに買わされたら、そりゃ頭に来ますって。

 CCCDを日本に広めようとしていたA級戦犯と言いましょうか、最大の推進者だったエイベックス社のヨーダ氏も、とうの昔に失脚した今日でありましょう?いまや、CD購入から音源ダウンロードの時代だ、なんて掛け声も高く聞こえる現状。
 もうCCCDなんてものは過去の遺物、そいつが納められて棺の蓋を覆った土を、我々は踏みしめたと信じ込んでいたのに。

 何でいまさらコピー・コントロールCDなんて過去の亡霊みたいなものに出くわさなけりゃならないのか。もの凄い不合理と感ずる。
 とっくに卒業したはずの学校で苦手な教科のテストを受けさせられ、さっぱり解けずに冷や汗かいている古典的な悪夢の中にいるような気分だ。どういう意図を持っていまさらこんなものを世に出す気になったのか、教えて欲しいものだよ、まったく。

 そんな訳で、EMIミュージック・ジャパン!今どきCCCDなんて間抜なものを製作してんじゃねーよ!皆、気をつけろよ、クラフトワークの”ミニマム/マキシマム”の日本盤はCCCDだからなっ!

 ここでふと思い出したんだけど、ミュージシャンの中でも例外的にCCCD支持だった、たとえば吉田美奈子なんかは今、どうしてるのかね?多くのミュージシャンがCCCDに否定的反応を示すなかで、彼女はあれを、CDコピーを防ぎミュージシャンの権利を守るための、正しい処置と論じていたと記憶している。
 今、アマゾンを開いて、彼女の作品をチェックしてみたんだけどね。確かにいくつかのアルバムはCCCD仕様のようだ。

BELLS-Special Edition (CCCD- 2002)
Stable (CCCD- 2002)
REVELATION (CCCD - 2003)
RECONSTRUCTION(CCCD- 2004)

 などなどが見受けられる。
 だが、すべての作品がそうではないのは納得できないね。そんなに良いシステムなら、自身が関わった全作品を、なぜすべてCCCD化しないのか?
 どうやら最新盤らしい、渡辺香津美 との”nowadays ”なんかもCCCDじゃないようだけど、どうしたの?

 CCCD是非論争が喧しかった当時、あれだけ声高にCCCD支持を謳っていたんだからさ、世界中のミュージシャンがそんなシステムに目もくれない時代になっても、”世界でただ一人、CCCDで新譜を出し続ける歌手”であり続けるのが”筋を通す”ということじゃないのかね、ええ、吉田美奈子?

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 注文番号”××××”商品名 :ミニマム/マキシマム(ドイツ語ヴァージョン)の商品に関して。
 本日、該当商品を受け取って非常に驚きました。それがCCCDだったからです。
 私はCCCDを問題ある商品と考えておりますので、該当商品がCCCDと知っていたら、はじめから注文はしませんでした。
 が、そちらのサイトの表示を見ても”盤種”は”CD”となっております。また、該当ページのどこを見ても、この商品がCCCDである旨の標示はありません。これはつまり、貴社が該当商品をCCCDである事を隠し、普通のCDであるように見せかけて私に売りつけた、ということにもなりましょう。
 こちらの返品要求は受け入れてもらえると信じます。
 返品方法をお知らせください。そして、支払った代金の返還をお願いします。
 あるいは該当商品で、CCCDでなくCDであるものが存在するならば、交換願いたいのですが。

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ラゴス・夜の最前線

2008-11-20 22:56:38 | アフリカ

 ”LAGOS STORI PLENTI (Urban Sounds From Nigeria)”

 アフリカはナイジェリアの首都、ラゴスで今日、活躍する、”ストリート系”と言うのか、ラップやらヒップホップなどのミュージシャンを集めたコンピレーション盤である。

 こちらとしてはナイジェリアといえば、やはりフジやアパラといったイスラム系音楽の、太いアフリカン・ビートとイスラム色濃いコブシ付き歌唱のぶつかり合う世界に血が騒ぎ、そちらが気になって仕方がないのではあるが、ともかくなかなか盤が手に入らないし、フジやアパラのシーン自体も、こちらが熱狂した当時の音から大分、様相を変えてしまった部分もあるようだ。

 たとえば80年代のフジの持っていた、地の底で煮えたぎるような重くどす黒いビートは、こちらが現地の音を聴けずにいた空白期間のうちにすっかり変質し、数倍のスピード感を持って疾走するようなものに変わってしまっている。
 スピード感を獲得した代わりに、それら今日のフジは重さや黒さはずいぶん希薄なものになっていて、なおかつ、本来それら音楽には入らなかったはずのシンセ等のメロディ楽器が幅を利かせるようになっていたり。なんか薄くないか?これがあのフジかなあ?

 それが今日を生きるナイジェリアのイスラム系ポップスの姿なのだと言われれば、もとより他国の音楽、あれこれ文句をつける筋合いもないのではあるが。
 とはいえ、やはりナイジェリア音楽の熱さに入れ込んだ、かっての想いは簡単には忘れられず、こうして本来は苦手であるヒップホップなどにもとりあえず耳を通してみる次第である。

 ああでも、これも”あり”じゃないのかなあ、と思うよ。聞き始めは、何しろ大嫌いなラップなんで嫌悪感ばかりだったのだが、聴き進むに連れ、結構引き込まれる瞬間にも遭遇できるのだった。
 かってここで西アフリカ風に変形されたファンク音楽の話などしたのだが、あそこで遭遇したアメリカの黒人音楽のアフリカ風変質はここでも起こっている。

 ナイジェリア風に誤読されたヒップホップやラップは、グニャリとデフォルメされるうち、いつのまにか太古のアフリカにまで遡り、ラゴスの”今”の夜に、ドロリと熱い汗を分泌しているのだった。
 そいつはある意味、かってフジやアパラが持っていた、熱気を孕んだアフリカ独自の黒光りのする美学の実現を果たしていると感じられる。

 おそらくは誤解や勘違いに元を発するのだろうが、本家・アメリカのそれよりずっとプリミティヴな響きを獲得している打ち込みのリズムをバックに歌い交わされる、野太い声のラップのフレーズや、そいつを煽り立てるコーラス隊は、いつの間にかラップより発してラップではない、
 やってる奴ら自身は結構、”アメリカ風のナウ”の猿真似以上の意識はなかったりするのかも知れないが。いや実際、そんなものだろう。この段階では。でも、こいつはもしかしたら、面白い化け方をするかも知れないぜ。

 かってアフリカに先祖がえりをしたアフロ・キューバン音楽が、アフリカ的洗練を経てアフリカ独自のハイライフやリンガラ・ポップスなどに進化していったように、このあたりからとんでもないものが生まれ出てくるような、予感を感ずるラゴスの夜だったりするのだった。


ドイツの暗い森から

2008-11-19 05:08:00 | ヨーロッパ


 ”Ungezwungen”by Ougenweide

 ”中世音楽を演奏する田園調のフォークロックバンド”とか呼ばれていたようだ、この、なんと発音すれば良いのか分からない名前のドイツのバンドは。
 70年代の初めに活動を始め80年代の初めまで存在したバンドの、これは77年度に発表されたライブ盤である。

 その頃、自国の民謡のロック化というユニークなサウンド作りで成果を出していたイギリスのバンド、フェアポート・コンベンションの仕事に刺激され、ヨーロッパのあちこちで同様の試みを行なう連中が出て来ていたようだ。もちろん、リアルタイムでこちらはそんな事は知らず、フェアポートのアルバムを聴いては「へえ、イギリスにも独自の民謡というものがあるんだ」なんて当たり前のことに感心するレベルでしかなかったのだが。
 それら70年代のヨーロッパ各国における”ロックによる民謡再発見・再開発”の試みが、CD再発という形で耳に出来るようになってきているが、これもその一つ。

 ドイツの民謡というのも、もう一つイメージがわかないので、その辺も興味津々なのだが、
 聴いていてやはり耳に付くのはフェアポート・コンベンションの影響というものであって。ギター、ベース、ドラムといったロックの基本編成とヨーロッパの民族楽器とのブレンドの具合や、どのあたりに聴かせどころを持ってくるのかといった演出など、もういちいちがフェアポートの強力な影響下にあり、なんだか微笑ましくなってくるのだった。

 大体が”ロックの響きの狭間から聴こえてくるドイツ語の歌”というのが聴き慣れなかったりするのであるが、その違和感が逆に面白かったりする。歌われる歌は教会音階というのか、いかにも中欧、いかにも中世、みたいな暗く湿った旋律によるものが多い。そいつが男女ボーカリストによる無防備とも言いたい素朴な歌声で提示される。
 その上この連中は独特の神秘主義的美学とでもいうべきものがあり、闇に沈み込むような、サイケデリックとも呼びたい内省的サウンドが妙な眩暈を喚起する。
 その中から浮かび上がってくるのは、宗教上の戒律やら迷信やらの暗黒に閉ざされていた中世ドイツの民衆の抱えていた心の闇のありようか。

 フルートが瞑想的なソロを取り、続いて打楽器のアンサンブルが中世音楽と現代音楽の間を行ったり来たりしながら、長い奇妙な会話を交わす。
 各メンバーがソロで、コーラスで、素朴な民謡のメロディを歌い交わし、その狭間でエレキギターがプリミティブな旋律を咆哮して、ほの暗い古の夜祭のイメージをかき立てて行く。このあたりでは彼らはフェアポートの呪縛を脱し、ドイツ民謡現代化のための、独自の表現方法を確立しかけている。

 オリジナルのアナログ盤では2枚組で世に出たアルバムだそうだが、中盤あたりから本格的に姿を現す、そんな中世の闇の祭りの演出が最大の聴き所だろうか。
 そして一転、夜明けのイメージ提示があって、ロックのリズム・セクションにバックアップされつつヨーロッパ伝統の民族楽器が奏でる、春の祭りの陽気なダンスのリズム。こいつも楽しい。

 まあともかくドイツの民謡なんてまるで不案内な当方なのであって、彼らの残した数多くのアルバムをもっともっと聴きたい気分にもなってくるのだった。

棄てるものがあるうちはいい

2008-11-16 04:32:31 | その他の日本の音楽


 ”棄てるものがあるうちはいい”by 北原ミレイ

 なんとなくシュールな絵画を連想させるモノクロームの風景の中に、奇妙に歪んだ姿で現われ、消えて行く人々。
 寄る辺なく街角の占いを訪ねる少女や、これから別離の旅に出かけるのか、それとも心中行なのか、うら寂しい男女の後姿や、いったい受け取ってから何度読み返したのか、ぼろぼろになった別れの手紙を懐に、酔いどれて明けることのない酒場巡りを続ける女。そんな傷ついた人々の面影がスケッチ風に描かれて行く。

 そして、そんな人々の背中に覆い被せるように繰り返されるサビのメロディ。
 ”泣くことはない 死ぬことはない 棄てるものがあるうちはいい”と。

 これは1970年代初頭の北原ミレイが、デビュー曲でありヒット曲である、「ざんげの値打ちもない」のすぐあとにリリースした曲だったか。
 リアルタイムで私は、このような”歌謡曲”を嫌悪するピュアでもあり頑なでもあるロック少年だったから特に興味もなく、この曲がどの程度のヒットをしたのか、まるで記憶がない。
 「ざんげの・・・」ほどあちこちで流れていた感じでもないので、それほどの売れ行きを示した訳でもないのかも知れない。が、今日、あちこちネットを覗いてみると、この曲の支持者はかなり多いようだ。

 リアルタイム、ということで言えば、70年代のほんの初め頃に早川義夫が雑誌連載していたエッセイで「今の自分は、むしろこの曲のようなものに”ロック”を感じる」と、この曲の名を挙げていたのが、妙に印象に残っている。
 それから20年も過ぎ、普通に演歌も聴けるようになってから、気まぐれでこの唄のCDを買ってみる気になったのは、あの早川義夫の文章が心に引っかかっていたせいもあろうか。聴いてみれば一発で、「傑作!」と断じ、以来ずっと”マイ・フェバリット・演歌”の最上位に置いている曲である。

 ところで。
 ”泣くことはない 死ぬことはない”とのリフの歌詞があることで、「これは”生きて行こう”と人々に呼びかける唄なのだ。前向きの人類愛の唄なのだ」と論ずる人が多いようだが、それはどうかな。
 確かに、「そんな事で泣く事も死ぬこともないのだ」と歌い手は失意の人々に呼びかけているのだが、といって、明るい明日を指し示している気配もない。歌を覆う暗い翳りは、歌が進行するに連れ、さらに重く淀んで行くように感ずる。

 むしろそんな失意と、またその逆の明るい明日も含めた人間の営為すべてを、重量級のブルドーザーで一気に踏み潰すようなニヒルな”ビート感覚”が濃厚に漂う曲じゃないのか。そしてその感触に打ちのめされることの快感が、この歌を聴く際の醍醐味というものじゃないか。
 そのあたりを当時の早川義夫も”ロック”と感じていたんだと想像するのだ。
 うん、普通に”ハードロック”な歌だと思うんだよね、この曲。そういう意味でロックな演歌、ゆえに傑作、と私は信じている。

メキシコの閃光、リラ・ダウンズ

2008-11-14 04:32:22 | 南アメリカ


 ”Shake Away/Ojo de Culebra ”by Lila Downs

 リラ・ダウンズのアルバムはこの場でも以前、触れた記憶がある。
 メキシコの生んだ、鮮烈な作風と苛烈な人生で強烈な印象を残す土俗系シュールリアリズム画家のフリーダ・カーロ。彼女の生涯を描いた映画の主題歌をリラ・ダウンズが歌い、それに絡めてリラに関する文章を書いてみたのだった。

 その情感の濃さにおいて大画家フリーダと計り合えるくらいのリラであり、主題歌を歌ったのではなく、彼女が映画の主演をしたような気がしてならない、いや、そうであってもまったく不思議はない、なんて事を書いた。

 1968年、アメリカ人の父親とメキシコのアメリカ大陸先住民の母親との間に生まれ、メキシコとアメリカを往復しながら成長したリラ・ダウンズは、当然というべきか、アメリカとメキシコ、先住民と西欧などの文化の軋み合いの狭間で、錯綜した感情を持って成長していった。

 その想いを、アメリカ大陸先住民の伝統的衣装に身を包み、今日的問題意識を持ちつつメキシコの伝統文化に切り込む、みたいな屈折したポジションを取るシンガー・ソングライターとしての自己表現に託したリラの重く深い音楽は、まさに画家フリーダの後継者みたいに、私には見えたものだった。二つの文化の間で引き裂かれた自己を抱えつつ、メキシコの血と大地の伝承を歌う者。

 とか言いつつも、あちこちの音楽をつまみ食いする浮気者の悲しさ、そんなリラが今年になって、このような別の意味で問題作を夜に問うていた事を私はつい最近まで知らずにいたのだった。
 今回のアルバム、まずジャケからして違う。まるでアメリカン・コミックスの登場人物みたいにワイルド&セクシーなポーズをとったリラであり、これまでの文学少女的翳りを感じさせる姿とは180度の転換を感じさせる。

 その内容もまた同様に。なにごとか吹っ切れたかのように、バッキングのメンバーの多彩な国籍が象徴するような、メキシコとアメリカ、北アメリカと南アメリカを一跨ぎに踏まえた”ロックでポップなメキシコ大衆音楽”を彼女は演じている。

 そいつを象徴するナンバーが、たとえばラテン・ジャズ調のアレンジのほどこされた、おなじみのナンバー、”ブラック・マジック・ウーマン”だろう。これまでのリラなら非常に地に足のついた泥臭い処理を行なうところである。
 が、今回の、ファンキーなホーン・セクションに煽られつつ、ジャズィーにシャウトするリラは、ジャケ写真のままの非常にポップなパフォーマーとしての姿を表している。

 どのような経緯があったのかは想像するしかないのだが、ともかく、より広い世界目指して走り始めたリラの姿勢を、ここでは全面支持しておきたく思う。というか、こいつはかっこいいぜ、リラ!と一言、掛け声を。

 とはいえ。アルバムを聴き重ねるうちに、いくつか複雑な思いに囚われる瞬間もないではないのであって。
 そいつはたとえば、陽気なラテンリズム炸裂する各ナンバーの狭間に収められた、” Would Never ”とか” I Envy the Wind ”といった、いかにもアメリカの白人シンガー・ソングライターが作った、みたいな(実際、そうなのだろうが)曲におけるリラの歌唱のはまり具合である。

 良いのである。聴いているこちらもスッと落ち着ける気分になるし、歌っているリラ自身も、安らぎのうちにそれらのナンバーを歌っているのがこちらにも伝わってくる。彼女の安楽椅子は、こちら側にあるのだ。
 あれこれ言いつつも、実際のところ、父の故郷であるアメリカ合衆国の大学で学位を修めているリラなのである。

 それ以外の、混交文化の相克の中から生まれ出たナンバーが、かなりの努力の元に音楽として成立させられている、やっぱり頭でっかちの”創作物”である事実が、ここで逆に照射されてくる。
 とはいえ。その”力技の創造”が彼女の選び取った戦いであり、ポップな姿をとろうと彼女は退くわけには行かない。それが彼女の背負った”業”であるのだから。

 などと思い始めると、装いはポップではあるものの、やはりこれは従来のリラのアルバムと同じ流れのうちにある、重さを量ってみれば変わりはない作品であると再認識されても来るのである。そんな受け取り方を彼女は望まないかも知れないが。