ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

アヴァントラな暗夜行路

2009-09-30 03:19:58 | ヨーロッパ

 ”Introspezione ”by Opus Avantra

 なんかこのところ、気が塞ぐことが多くてね。そんな時にはこの種の暗い闇の中の謎解きみたいな音の迷路にあえて迷い込んでみるのも一興である。と思って引っ張り出してみたんですが。
 このアルバム、70年代イタリア産の、クラシック寄りのプログレ作品としてその分野で高い評価を受けている作品であります。ピアニスト、女性歌手、そして哲学者(?)という、訳のわからん構成の三人組のユニット。前衛(Avant-Garde)と伝統(Traditional)を融合、みたいな意味あいのユニット名だそうです。

 まず冒頭は山下洋輔調といいますか、アバンギャルドなタッチのピアノが叩きまくり、聴き手を十分脅しておいてから(?)おもむろに、アルバムの幕が開きます。
 クラシカルな弦や菅が響き、それをお供に、オペラの専門教育を受けたという女性歌手の歌声が響き渡る。演奏も歌声も曲調も完全にクラシックのフォームなんだが、その中心で渦巻いている猛々しさというか尖がった魂のありようは、確かにこれがロック畑の音楽である事を主張している。

 最初のボーカル曲が”北上夜曲”みたいなベタに悲しげな曲調のマイナー・キーのワルツだったんで最初聞いたときは結構舐めてかかったんだけど、その後はやはりクラシック寄りの音の迷路が展開される。現代音楽寄りになったり、オペラチックな歌声が嫋々と響き渡ったりともう、やりたい放題。

 と、ここで、「どんな具合にロックファン諸君には受け止められているんだろうな?」と興味を持ち、その関係のブログやらHPやらをうろついてみたのですが。
 いや、結構評判悪いんで面白くなっちゃいましたね。なんか皆、「評論家連中は褒め倒してるが、自分としては好きではない」って方向の論調が多い。神格化されているみたいな感じだったんで、それを鵜呑みにして賞賛の嵐かと思ったら、そうでもないんだ。「閉鎖的過ぎる。もっロックっぽい音が欲しい」とか、そんな風に拒否反応を起こされているようだ。

 そういう意味では「ワールドミュージック聴きが”ヨーロッパ大衆音楽の一つ”という捉え方で鑑賞する」という、変なところから高みの見物を気取っている私でありますが、冒頭に書いたように、その時の自分の心の向きによっては、この濃密な音空間、好ましく思えないでもない。まあ、私としては逆に、”ギンギンのギター・ソロ”とかは聴こえてこないほうが好都合でもあるんであって。

 強烈な現実嫌悪、これがこのユニットの音楽を貫く音楽衝動の基本ではないですかね。込み入った構造の音楽の迷路を築き、そこではじめて彼らの繊細な心は猥雑な現実に脅かされることなくロマンを歌うことが出来る、みたいな。
 だから彼らの音は親しみ易いロックの形を取るわけには行かなかった。と言って、自分が教育を受けたクラシックそのものの音を出すわけにも行かず、片方に”アバンギャルド”の看板を掲げずにはいられなかった。

 などと深夜に、誰に読んでもらえるのかもあてのない文字を並べている私も暗いよなあ~。まあ、しょうがないね、性分だから。



シンガポールの”灯2号店”で7時に。

2009-09-29 02:30:37 | アジア

 ”Syair Melayu”By Art Fazil

 マレー半島の大衆音楽に関する重要作、との指摘があり聴いてみたのだが、そんなことでもなければ聴かなかったろうな。だって、このジャケだもん。
 ド~ンとギターを抱えて写っているのは、ムサい長髪ムサい顔の、あのお笑いコンビ、”ハイキング・ウォーキング”のQ太郎じゃないか。しかも抱えているギターはフォークギターで、なおかつ、押さえているコードはDマイナーのようだ。うぁ~だせ~。

 としか私には見えないのだが、彼はシンガポール~マレーシア音楽界の重要人物、 Art Fazilであるのだそうで。そしてこのアルバムは彼が幼い頃から馴染んできた現地の民謡の数々を彼なりのアレンジで歌ってみたもの、とのこと。
 冒頭、いきなり飛び出してきたクンダンのリズム。そして男たちのなんともあっけらかんとした歌声が続く。長い時の流れに、いつの間にか大衆の掌に馴染んで輪郭の丸くなった、みたいなメロディが次々に歌い継がれて行く。いかにも気のおけない感じのセッションである。
 日頃、あんまり真面目に聴いていないマレー方面の音楽であるが、良い感じの空気が吹き、参加者が充実した時間を過ごしているのであろうことは分る。

 生ギターを軸に各種民俗パーカッションが絡み合い、そこに適時、ハーモニュームやエレキギターが加わり、なかなか新鮮なサウンドとも言える。なにしろアルバムの主人公、ファジルは洋楽好きな家庭環境に育ったゆえ、幼少よりビートルズ、ストーンズ、ジミヘンにボブ・マリーと普通に聴き馴染み、長ずるに及んで、アリ・ファルカ・トゥーレやヌスラットを聴き始めたというんだから、これはもう確信犯としてのワールドミュージックの演奏家である事、承知すべきだろう。

 それはいいんだけれど・・・この、なんだか全員湯上りみたいな爽やかな好青年風コーラスが、ちょっと気になる。これはこれでいいのかなあ?
 私の固定観念かも知れないが、民衆の歌にしみこんだ血と汗と涙は、なんだかその爽やかなコーラスに洗い流され、浄化されてしまっているように感ずる。歌の毒のなさ、その辺がちょっと物足りない気がする。
 うん、この感じはどこかで接したことがあると思ったのだが、”歌声喫茶”の雰囲気に似ているのだった。日本人が大戦後の焼け跡からようやく立ち上がった頃、日本全土を席巻したコーラス愛好熱。そんな”運動“に燃えていた当時の生真面目な若者たち・・・そんな面影がふと連想されてしまっていたのだ。

 いや、こんな書き方をして彼らを揶揄してやろうなんてつもりもないのだが、サウンドや楽曲は面白いのに、この歌声はなんか残念だなと感じたものだから。まあ、「これでいいのだ」という人もおられる、というかそういう意見の人のほうが多そうな気もしますしね。一応、少数意見として参考のために心の隅にでもおいておいていただければと。



夜のほころび

2009-09-28 04:05:32 | 書評、映画等の批評
 ”日本夜景めぐり”by NHK at深夜

 尊敬するM女史に言わせれば「夏が終われば一年は終わったも同じ」なんだそうで、なぜそうなるのやら知らないが、まあ、言われてみればその気でいるほうが納得できることが多いのかもしれない。

 私などにしてみれば、8月が終わり、海岸に押し寄せていた観光客の姿が急に少なくなる季節。それは夏の終わりなのではない、もう年末なのである。あとには、9、10,11,12月と続くやたらに長い年末があるだけ。
 そう思えば、毎年各企業が繰り広げる過酷なクリスマス商戦なども、「とんでもなく早い時期にテレビのコマーシャルでクリスマスソングを流しやがって。まだ残暑厳しかろうよ」などと腹を立てる必要もなくなる。たとえ季節は秋だろうと時は年末なのである。仕方のないことなのである。

 気が付いたが、こいつはなかなか便利な時のやり過ごし方で、気に染まない仕事や虫が好かない隣人との付き合いなど、不満ではあるが生活を考えれば納得して受け入れねばならない、生きて行くうえで飲まねばならない不条理も、「まあ、年末だから仕方がないや」などと呟き、かっての荒木一郎のヒット唄の一節を「それは誰にもきっとあるよな、ただの季節の変わり目の頃~♪」などと口ずさめば、なんとか明日も。来るかも知れないではないか。

 そんな、明けない年末を行く者の心にいかにもふさわしいテレビ番組、それこそが”日本夜景めぐり”だろう。とはいっても、まともな時間割りで生きている方々はあまり見る機会もないかと思う。夜中の三時とかに煮詰まった気分で見るともなくテレビの画面を眺めていると不意に始まったりする、それは番組なのであるからだ。

 何しろこれが放送される時間帯の名称はなんと言うのかと思って新聞のテレビ欄を検めてみれば、”映像”としか書かれていないのだ。かっては”映像散歩”なんて題された番組だったのではないか。内外の名所やら名もない土地を訪ね、その風景をフィルムに収めて、それらしいもの静かなBGMを流す。まあ、正直言って埋め草番組なのである。その証拠に、同じフィルムが何度も何度も日を追いて使いまわしで放映される。

 まあ、製作側のNHKも、夜中の番組と早朝の番組の間の時間潰しのためとしか考えてはいまい。そんな映像なのだろうが、そんなものにも支持者、愛好家はいるのであって、mixiなんかにはファンのコミュニティまである。そして、そこで”NHK深夜埋め草番組会の近年の大傑作”と賞賛されているのが”日本夜景めぐり”なのである。これはその名の通り、東京や横浜を振り出しに日本全国の大都市の夜景をめぐり、フィルムに収めたもの。

 高空から捉えた夜景。光の海である。車のライトが連なり、光る血管のように貫き流れる幹線道路。空を突き刺す東京タワーの偉容。どれも、非現実的なほどの美しさを夜の中に繰り広げている。
 そしてまさに年末、クリスマスのモニュメントで飾られた街と、そこを行く人々の影絵の如き姿が紹介される。年末が過ぎれば取り壊されてしまうのだろう、そのあまりにも儚い運命であるがゆえに、ますますいとしいものと映る街角のモニュメントの輝き。

 そのバックに流れる音楽は、それはもちろん、都市の上を漂い過酷な時の流れを優しく包む、静かな夜を寿ぐものでなければならない。ストリングスや大編成のコーラスをメインとした賛美歌調のムード・ミュージック。あるいは思慮深げなバイオリンのソロ。
 これらの音楽のCDなりと手に入れてみたく思う瞬間もなくはないのだが、それはあまり意味のない行為とも思われる。あの音楽はあの夜の深みの最も奥で、あの優しすぎる映像とともに奏でられるから美しいのであって、音楽だけ取り出して別の時間に聴いてみても、おそらく空疎な響きでしかないのではないか。

 ともあれ。
 讃えよ、この儚い幸福の時、深夜を。闇を衝いて光の腕を伸ばす夜の灯火と、終わらない”年末”の日々を。



バチャータの陽射しと翳りに

2009-09-27 01:35:24 | 南アメリカ

 ”Bachata Rosa”by Juan Luis Guerra

 あれは1980年代のある時期、とでも書くしかないのだが、当時のレーガン大統領の弱者切捨て富国強兵政策の毒も着実に廻り、合衆国の少数民族たちの力もそぞろ弱まる気配を見せていた。

 そんな頃。それに呼応するかのように、ニューヨークのサルサもかっての高揚はどこへやら、衰退の気配を見せていた。ファンだった私には確実にそのように見えた。ニューヨークサルサの代名詞たるファニア・レーベルの商売もパッとしないとの噂は本当のようで、高度な芸術性を漂わせるようになったかのレーベルは、その結果、大衆の心を見失ったまま、迷子になっているかのようだった。
 入れ替わるようにプエルトリコのレーベル、”Top Hits”が、分り易いサウンド作りでヒット作を連発するようになっていた。多くのミュージシャンがニューヨークをあとにし、かって一山当てる事を夢見て後にしてきたはずの故郷、プエルトリコに帰っていった。「あそこはつまり、ラテン世界なんだよ」なんて言葉を残して、などと当時何かの音楽雑誌で読んだ逸話だ。

 その頃、かっこ悪い話だが結構な教条主義的サルサファンだった私は、そのような傾向を”けしからんもの”と捉え、嘆いていたものだ。
 極寒、真冬のニューヨークの街角で、あるはずのないラテンのリズムが鳴り響く、そこに意義があるのではないか。アメリカ合衆国の喉笛に突きつけられたクラーベのリズム。なのに戦いの場を捨てて、仲間とマッタリ暮らせる南の島へ帰ってしまってどうするんだよ。昔ながらの歌謡曲に聞き惚れていて何の発見がある?
 とはいえ、ファニアの作り出す”レベルの高いラテン音楽”を楽しめているかと問われれば、答えるすべのない自分でもあったのだが。

 などと言っているうちに、行きつけのレコード店の店先では、ニューヨークのラテン社会をよく知る人からのみやげ話ではサルサを圧倒する勢いというドミニカからのメレンゲの新譜などが、フル・ボリュームで流れるようになっていた。
 この音楽も、”売れれば勝ち”の安易なノリの良さを売りにしている音楽で、疾走するリズムに甘ったるいポップス調のメロディを乗せて、ひたすら大衆の迎合を謀っているように当時の私には見えた。
 誰かが「メレンゲの第一人者、ウィルフィード・バルガスあたりが、テレサ・テンの”時の流れに身をまかせ”をカバーしてくれないものか」などと言っていたのを思い出すが、まさにそのような音楽。

 とはいえ、彼らを非難してばかりもいられない私であって、その後しばらくしてナイジェリアからのトーキング・ドラムの響き一発、それに誘われて私はニューヨーク・ラテン状況など簡単に興味を失い、アフリカ音楽の大河に身を躍らせて行ったのだから、勝手なもんです。
 まあ、音楽も状況も、そして人間も生き物、何ごとも計ったようには動いて行きません。それが生あるものの世界。などと知ったような事をいう私は、時は流れ、それなりに音楽体験も積んできた今、かってのニューヨークのスパニッシュ系の人々が選んだ道こそ大衆音楽の本道と認識するようになっている。つまり、なんてことない歌謡曲やらしがないダンス音楽こそ大衆音楽の本道、と。

 だが、そちら側に言い切るのもまた一方的過ぎると内なる声は言っているのであって、90年代になって、あのメレンゲの後を継ぐようにドミニカから登場してラテン世界を席巻したバチャータなる音楽に接した時の複雑な気持ちなど、その証左だろう。
 バチャータなる音楽の本質は、まだまだ分かっていない私なのだが、基本、メレンゲやサルサのリズムの土壌の上にラテン歌謡のエッセンスが花開いたもの、と考えたら違いますか?
 その、いかにも甘くせつない歌謡性の影、大衆娯楽の根のあたりに常駐している妖しさは、何がいい悪いなんてつまらない仕分けなんか鼻で笑う魔性の入り口を指し示しているのであって・・・大河はどこへ流れ着こうとしているのか?

 いかん、微妙過ぎて凄く分りにくい文章になってしまった。まあ、これは序章です。いずれ落とし前をつけますんで、ここは現物のバチャータでもお聴きください。
 ↓



銭と音盤

2009-09-26 05:54:02 | 音楽論など
 ”トニー谷に<恋をするにも家庭の事情>って唄があったね”

 ブログ仲間のころんさんが先日、「自分がアジア音楽をメインに聴いている理由」など書いておられた。

 なんでも、世界中の音楽を並行に愛しておられるころんさんであるが、おのずから音楽購入のための予算というものがあり、アジアのポップスが比較的、というか時に圧倒的に安い値段で手に入れることが出来る。それが、ころんさんがアジア音楽に集中しておられる理由であるそうなのである。
 ころんさんは断固として言われた、「もしアフリカ音楽のCDがもっとも安価に手に入る市場の状況なら自分はアフリカ音楽をメインに聴いていたろう。またもしラテン音楽のCDがもっとも安い年段で手に入る情勢なら、自分はラテン音楽のファンをしていたであろう。すべては経済の都合なのだ」と。

 私はそれを一読、う~む、そのように割り切れるならさぞいいだろうなと嘆息したのであった。
 私の場合はというと。まあ、世界中の音楽に興味があることに変わりはないのだが、ころんさんのようには行かない精神構造である。その時その時で特別聴きたいジャンルというものがあるのだ。私にとっては世界は平らではない。時にヨーロッパの迷路が恋しくなり、あるいはまたアジアの混沌に身を置きたくもなる。気分は常に入れ替わり、風はいつも同じ方向に吹いてはいない。

 金がないけど、たとえば高価なヨーロッパの音楽が聴きたい気分の時があり、その時に、「でも金がないから安いアジアのポップスで済ましておこう」とは思えないのである。だって悔しいじゃないか、「ほんとはイタリアのポップスを聴きたいなあ」とか思いながら、でもサイフの都合でそれしか買えなかったタイのポップスを聴いているってのは。哀しいじゃないか、淋しいじゃないか。それでは、アジアの音楽に対してもヨーロッパの音楽に対しても、申し訳がない。
 仕事で聴いてるんじゃないんだから、その辺は好きなようにしたい。それだったら音楽など聴かずに金を貯め、アジア音楽なら2~3枚CDを買える金を支払って、晴れてヨーロッパ盤一枚を手に入れて、その音楽を心行くまで聴きたいのだ。

 まあ、ここで何の差が出てきているのかといえば、ころんさんはすべての音楽を常時並行して愛しておられるが、私はそうではない、という事情がある。私はその日その時の風の吹きようでどうしても聴きたい音楽というのがあるから、そしてそれはほんとには風の吹きようで日々、時々、移り変わるのであって、これはどうなるものでもないのだ。
 そしてその移り変わる理由というのも、「今日、家を出るとき近所の喫茶店から旨そうなコーヒーの香りがしていたから今日は絶対ブラジル音楽!」とか、そんなしょうもない事件によるのであって、論理の世界の出来事でない分、自分で自分に納得のさせようがない。

 さらにもう一つ。私には「同じジャンルや地域の音楽をずっと聴いていると心の中に膿んだような、澱が溜まったような重苦しいものが積もって行くような気分になり、他のタイプの音楽を聴きたくてたまらなくなる」という癖があり、こいつがこの懊悩に輪をかけるのである。 ちょうど懐が淋しく、そして折りよくアジア・ポップスの盤が安いからといって、そればかり聴いているなんてこと、私には不可能なのである。逆に、「アジアの音楽の盤が大分溜まってきたな。よし、しばらくアジア方面の音を聴くのはやめよう」とか、そういう発想をしてしまう人間なのである。

 と、グダグダ書いてみたのだが、好きなCDを好きなだけ買う財力があれば済むことなんだよな。結局、金か。などと薄ら寒い秋の夕暮れなのであった。あれはハタチくらいの頃だったかなあ、音楽友達とレコードを聴きながら、「今は俺たち、こうしているけど、オヤジになったらもう、音楽なんて聴いてないんだろうなあ」とか話し合ったものだった。
 ハハ、大笑いだ。その実態は・・・このトシになっても、収入の大半を音楽に使ってしまう堂々の廃人をやってるんだからなあ。あ、ちなみのその時の話し相手の友人は今、レコード店の店主をやってます。あ~ホイホイっと。



総統の午後への前奏曲

2009-09-25 03:04:41 | ヨーロッパ

 ”Gold Und Liebe”by Deutsch Amerikanische Freundschaft

 ドイツのニューウェーヴ・ロックを語る上で重要なバンドなんだそうな。70年代の終わり近くに登場し、主に80年代の初めに活躍した連中だが、何度も解散再結成を繰り返しているようなので、もしかしたら現時点でもバンドが存在している可能性もある。
 バンド名は”ドイツ=アメリカ友好協会”とでも訳すのだろうか。日本だったら”日米安保条約ズ”というところか。

 その種の、我が国でいわゆるところの”ネット右翼”の連中の言動をパロディとしてなぞってみせる、みたいな露悪趣味がバンドの基本コンセプトのようだ。この出世作、”Gold Und Liebe”のジャケもネオナチっぽいイメージ演出を隠していないし、この一つ前のアルバムには、”ムッソリーニを讃える”みたいな歌も収められている(面白いから試聴にはその曲を貼っておく)

 ニュー・ウェーヴ・ロックなんかに興味を持ったこともない当方だが、この連中だけに妙に惹かれてしまったのは、ほとんどシーケンサーとドラムスによるリズム提示だけの味も素っ気もないサウンドに乗って呪文のように歌詞が唱えられる、そのバンドサウンドの感触が、ふと我が最愛の音楽、ナイジェリアのフジやアパラといったイスラム系ダンスミュージックに通底するなにかを持っているように感じてしまったから。

 電子楽器が単調に繰り返す不吉なイメージのベース音と、灰色のイメージの音空間で一人だけ静かに狂気染みた熱を放つドラムスのリズム。素っ頓狂に絡んでくるチープなシンセのフレーズ。ヴォーカリストのワイルドな、というか剣呑な、時に号令みたいに聞こえる歌声。全体を覆う、ひどくヘヴィな抑圧感も異様だ。
 この、ハードボイルドにして今ひとつ意味の読めないファンキーさを放つ不吉な臭いのスカスカの音空間、なんか癖になるものがあるのよな。

 彼らがこんな音楽を作り出した80年代の初めというのは、もちろんドイツはまだ東西に分かれており、ベルリンの人々は「次に核兵器が使われることがあるとしたら、それは我が国においてだろう」なんて強迫的ともいえる不安のうちにあった、とも聞く。
 そうか、そういえばこの音楽の親戚筋みたいな代物が、巷ではポップスの顔をして横行しているよなあ、などと納得しかけてみたりする秋の夕暮れ。踊れ、脊髄で。



黄土高原の風は今

2009-09-23 16:54:33 | アジア

 ”騰格爾”

 1980年代、中国において「西北風」と呼ばれるロックのムーブメントが巻き起こった。内蒙古や新疆あたりに通じる広大な”西北”の大地、そこに広がる黄土高原の過酷な暮らしを背景とした、中国ならではといえるロック音楽だった。
 荒々しい黄土高原土着の民俗音楽と中国風に誤読(?)されたロック・ミュージックが混交し出来上がった、独特のワイルドでスリリングなスタイルを誇った。
 日本でも注目されたあの”中国ロック”の崔健なども”西北風”ムーブメントの一角を担うニュージシャンだったのだが、1988年に中国で話題となった黄土高原の暮らしをテーマとしたテレビドラマの主題歌、”黄河幾十幾道弓”を歌って評判となった騰格爾なども、”西北風”を象徴するスターだったと言えるのではないか。

 中国は内モンゴル出身の騰格爾は1960年生まれ、86年に「三毛来了」でアルバム・デビューしている。いかにも剽悍な騎馬民族の血を引く者らしいワイルドな歌声が印象的で、かつ、そのハードなシャウトの中にどこか、砂漠の夜を吹き抜ける砂嵐のような孤独な慟哭の響きが木霊する、そんな奥行きの深さも魅力的な歌い手だった。
 そういえば、その当時の彼が発表した全曲モンゴル語のアルバム、”蒙古”を、始めたばかりのこのブログで取り上げたこともあったっけ。(それ以外のアルバムは原則中国語で歌われ、その合間に2~3曲のモンゴル語の歌が混入する、といった形式だった。それがつまり、”中国国民として生きるモンゴル民族の立場”というものなのだろう)

 私はその当時の彼のインタビュー(台湾のテレビ局製作)を見たことがあるのだが、順調に行っているように見えた彼の歌手としての活動は、実は行き詰まりかけていたのだった。
 彼は語っていた、「自分が歌える場所がどんどんなくなっている」と。政府は彼の歌に込められた哀感に「天安門事件の被害者を哀悼する意図があるのだろう」と因縁を付けて、彼の活動に制限を加えてきている、とのことだった。あの事件の余韻がまだ冷めない時期のインタビューだったのだろう。
 彼は「あと2年のうちに何ごとか起こさないと自分はダメになる」と苦渋の表情を浮かべて語り、海外への進出に期待をかけているようだった。が、そんな彼を、内モンゴル出身の無骨なシンガーソングライターなどという存在に、とりわけオシャレの度合いを増しつつあった諸外国の音楽ビジネスが興味を持つとも思えなかった。

 歳月は流れ。その後も私は騰格爾の何枚かのアルバムを手に入れはしたが、いつか彼に関するニュースも途絶え、私も自分の生活のあれやこれやに紛れ、いつの間にか彼の存在を忘れて行った。
 その後、騰格爾はどうしたのだろう?実はさっき、ふと思い出して彼の名を検索にかけたのだが、You-tubeで出てきたのは、20年以上前の自作のヒット曲、”蒙古人”を歌う、それなりに老け込んだ彼の姿だった。

 かって肩の上になびかせていた黒々とした長髪がすっかりハゲかけていたのは仕方ないとしても、身にまとった、いかにも”戯画化されたモンゴル人”の衣装はどうだろう。あのワイルドに荒野に鳴り響いていた彼の歌声は、今はすっかり弱々しいものとなってしまっていた。
 どうやら彼は”中国国内に居住する異民族の、風変わりな風俗を演じてみせる歌い手”という、無難な道化の道を生きるよすがとして選んだようだった。
 いや、そのことで彼を責めるつもりなどない。こちらにしたって自らの無力を噛み締め、現実との妥協を重ねて、なんとかここまで生き抜いてきた根性なしであるのだから。ままにならないのが世の中というものなのだから。

 私はせめてかっこよかった頃の彼の画像はないものかとYou-tubeの中を探し回ったのだが、かってのモンゴリアン・ロッカーを偲ばせる歌声は、このドキュメンタリー番組のテーマ音楽くらいにしか残っていなかった。

 黄土高原に吹く風は、今日も変わらず過酷に吹き抜けているのだろうけれど。



マリーザの贈り物

2009-09-21 02:24:44 | ヨーロッパ
 ”Rosa de Papel”by Marisa Sannia

 イタリア半島の南に浮ぶサルディーニャ島出身のマリーザ・サンニアは1947年生まれ、60年代はカンツォーネの歌手として活躍した。
 当時の彼女を代表するヒット曲は「カーザ・ビアンカ」と言う曲で、これは日本でもそこそこヒットしたからご存知の方もおられよう。もっとも我が国では、頻繁に来日していた別のイタリア人アイドル歌手のレパートリーとして認知されていたので、マリーザは日本では無名の存在のままである。

 70年代後半に至ると彼女は、故郷サルディーニャの詩人たちの作品に注目、彼らの残した詩を発掘し研究しながら、気に入った詩に自ら曲をつけては歌うようになった。
 ”元アイドル、その後の身の振り方”としては、なかなかに素敵なものといえるだろう。

 サルディーニャは地理的には地中海文明の中央に位置し、また、ヨーロッパ大陸におけるケルトと並ぶくらい古い喪われた民族文化の残滓なども見られる、文化的に非常に面白い場所でもある。ワールドミュージック好きの血、大いに騒ごうというものである。
 彼女の研究やこれまでの作曲作業の成果など、いろいろ知りたいこともあるのだが、どこで何から調べていいのやらさっぱり分からず。まあ、気長に調べて行くけれど。

 このアルバムは昨年発表された、そんな彼女の最新の作品である。ここでは彼女はサルディーニャを離れ、スペインの高名な詩人、ガルシア・ロルカの作品に曲をつけ、唄っている。
 全体を覆うのは、マリーザの持ち味である、ふんわりとした陽の光を含み、南欧風のほのかな感傷の翳りを持つ繊細なメロディラインの、たおやかな流れである。マイーザの気負わない素直な歌声とも相まって、心の疲れたときなどに流しておくと圧倒的な癒し効果を発揮する。

 ロルカといえば私などは、個性派の俳優だった天本英夫氏がライフワークとして行なっていた詩の朗読というのか詩をテーマにした一人芝居がまず思い出され、あの濃厚な表現の世界とはずいぶんかけ離れているな、などと首を傾げてしまう部分もあるのだが、まあ、ロルカの作品そのものにまともに触れていないんだからね、あれこれ言うのは、オノレのその問題をクリヤしてからだ。
 などと怠慢な独り言を言いつつ、マリーザの繰り広げるカラフルな地中海文芸絵巻に、ただ見入るばかりの私なのである。

 マイーザはこのアルバムが世に出るのと前後して、惜しくもその生涯を閉じた。享年61歳。読める言語で書かれた資料がないため死因さえも分らぬままなのだが、内ジャケにある写真など見るにつけてもまだまだ若々しく、惜しい、早過ぎると言うしかない。せめて、現在は入手の難しくなっている彼女のアルバム等の再リリースなど期待したいのだが。

 試聴を探したのだが、このアルバムに関するマリーザの歌唱を捉えたものが見つからない。彼女の命は、この作品のリリースにも間に合わなかったのだろうか、などと想像する。仕方がないのでカンツォーネ歌手時代後期の作品など、貼っておく。
 ↓



通りの向こうの歴史たち

2009-09-20 04:05:48 | ヨーロッパ

 ”Fairest Floo'er”by Karine Polwart

 スコットランドのフォーク界と民謡界の双方で、若くして次第に大きな存在となりつつあるという歌手、Karine Polwartの2007年作。フォーク界と民謡界というのも変な言い方だが、つまり自分で書き下ろした新しい曲を中心に歌うシンガー・ソングライターの世界と、古くより土地に息ずく伝承歌を正しく唄う作業をもっぱらとするトラッド歌手の世界との双方で活躍する歌手である、彼女は。という意味。
 ちなみにこのアルバムは伝承歌中心の、彼女のトラッドの側の顔を拝める作品である。
 などと分かったような事を言っているが、実は彼女の唄を聴くのはこれがはじめて。「そのうち聴いてみようと思っていたのだが、やっとアルバムが手に入ったので」というのが実情。まあ、世界中の音楽を相手にしてるんだからいろいろ行き届かないところも出てきますわい、旦那さま。

 などといいつつ聴いてみた盤は、ピアノだけをバックだったり自身のギターの弾き語りだったりの地味な作り。灰色一色の部屋にいる彼女の呟く独り言に耳を傾けるような気分になる。
 もっとも印象に残るのは、ここで彼女は古いスコットランド民謡を、まるで昨日、出来たばかりの歌のように唄っている事。多くのトラッド歌手は伝承歌を唄う際、自らの存在を大きな時の流れのその中に託し、過去との対話を行なおうとする部分がある。伝承歌の中に刻まれている過去に生きた人々の息遣いまでも感じ取り、今、ここにいる自らの歌声として唄ってしまおうと。

 たとえば子供相手に昔話をする時。人はまず、「昔々あるところに」と前置きをし、聞き手の子供たちの意識を異質の時空へ連れ出す事をする。
 が、彼女の歌には、とりあえずここでは、その様子がないのだ。時の流れを前提とした神秘の創造は行なわれず、彼女は何百年も前に起きた男と女の悲劇や孤独に送られた人生を、まるで昨日、隣人の身の上に起きたような気安さで唄い出す。”昨日、横丁でヘンリー王を見たんだけどさ・・・”

 大いなる時の流れという神秘のベールを剥ぎ取られ、かって17世紀を生きた人々は徒手空拳で21世紀のエジンバラ市街の雑踏を歩き始める。
 こんな伝承歌表現というものがあるとは思ってもみなかったので、なんとも不思議な気分になってしまったのだ。何の前提もなしに浦島太郎やかぐや姫の話を今日に放り出して、成立するものなのかどうか。
 それでも、曲の登場人物に隣のアパートの住人みたいな視線を向けて唄われる彼女の伝承歌は、いつの間にやら独特の生々しさを獲得し、聴く者の胸に迫ってくるのだった。これはどういうことなのか、彼女の他のアルバムなども聴いたりし、いろいろ考えてみたいところだ、これは。



スピリット・オブ・ジャパン

2009-09-19 15:57:19 | 時事

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○酒井被告、謝罪の言葉をメモ読み何度も練習
 (日テレNEWS24 - 09月18日 12:43)
 17日に保釈された女優・酒井法子被告(覚せい剤取締法違反罪で起訴)は、都内の病院に入院している。酒井被告は保釈直前、メモを読み返して謝罪の言葉を何度も練習していたという。

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 確信を持って言うのだけれど、酒井法子はそのうちマラソンをやると思う。我が国を構成する最多勢力であるバカ層は圧倒的にマラソンをやってる奴と泣いている奴が好きで、どんな悪い事をしようと、このどちらかをやっている奴を支持する。
 ようするに日本の大衆を味方につけるには泣くか走るかすればいいのであって、きわめてシンプルな構造だ。そして、酒井法子はもう泣いてしまったから、次にやるべき事はマラソンなのである。

 実は、自分への公的イメージを無条件に「良い人」とするには他に、「近々結婚する奴」となるか「最近死んだ奴」になる、という方法もある。試しになってみたらいい。「あの人は良い人だ」あるいは「良い人だった」と皆が口々に言ってくれる。
 しかし、このカードは今回の場合、使われる可能性はなさそうに思われる。

 (金正日なんかも、コイズミが北朝鮮に行った日、「拉致は私が命じた。私の責任だ」と正直に認めてその場で「申し訳ない」と泣き崩れ、そのあと”贖罪の白頭山~平壌間マラソン”でもやれば、今頃拉致事件など日本人は完全に許していたんではないだろうか?だって金正日は、一所懸命走ったんだもの。一所懸命にやってる人の悪口を誰が言えますか。文句があるならあなたも走ってごらんなさい)