ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

パリの灯、アフリカの輝き

2006-07-31 02:48:43 | アフリカ


 ”Nyboma & Kamale Dynamique”

 ブラック・アフリカを席巻したコンゴのルンバ、わが国で言われるところの”リンガラ・ポップス”に展開の3つの道あり。本場コンゴの音楽の都、キンシャサで猛者のバンドたちと切磋琢磨する、あるいは西に向かい、ヨーロッパ行きの道が控えているコート・ジボワールでのレコーディングに賭ける、さらにもう一つは東はケニア方向へ向かい、異郷、異文化の元での銭儲けに邁進する、と。

 この構図を知ったのはもう20年も前のことになるのだが、今でも情勢は変わっていないんだろうか。当時の私はケニアあたりで行われているいかにも辺境、といった荒削りな輝きのあるサウンドに惹かれていて、なかなか手に入らないケニア盤を追いかける、報われない日々(?)を送ったものだったが。

 この”アフリカ一の美声の持ち主”とまで言われた男、リンガラ界の人気歌手ニボマは、コートジボワール経由でヨーロッパ、つまりはパリのアフリカ音楽シーンで活躍したリンガラ・ミュージシャンの代表格とでも考えたらいいんだろうか。ヒット作の”ペペ”などは”ケニア派”の私も当時、購入して、結構楽しんで聞いたものだったが。そんな彼が70~80年代に世に問うた作品群からのベスト盤が昨年出ていた。

 さすがに人気者、と言った華やぎが横溢した、楽しい盤になっている。パリに向かうとはつまり、かの地におけるアフリカ音楽愛好シーンに飛び込むわけだが、その需要のありよう、要するに銭金の動きって、どうなっていたんだろう。かっては音楽のありようだけしか興味もなく、「ヨーロッパに行けば、そりゃ儲かるんだろうな」とか浅くしか考えていなかったのだが。

 ニボマを迎えたヨーロッパの観客たちの構成を想像するに、パリに滞在するアフリカ人たち、あるいはアフリカ音楽を好んで聞く、ワールドミュージック好きのヨーロッパ人などになるんだろうが、どれほどの厚みがあったのか。

 今、CDのジャケを見ていて、ニボマが当時使っていたレコーディング・スタジオが名門、パテ・マルコーニだと知り、へえと思ったのだが、さすがにサウンドは洗練されている。流麗なギターの響きに導かれ、黒光りのするニボマの歌声が鞭のようにしないつつ躍動する様は、まさにアフリカの若大将であり、当時のアフリカ音楽の盛況を物語っている。一時代を築いた、といっていいんだろうな。

 この輝きは、今でもパリの街の片隅で失われずにいるのだろうか。そういえばシンガラの新しい情報って、さっぱり入って来ないなあ。私が追うのを怠けているだけかも知れないが。80年代、アフリカ音楽が迎えていた一つの高揚の確かな証ともいえる作品集である。



貿易風の吹くところ

2006-07-30 01:56:48 | 太平洋地域


 ”To You Sweetheart,Aloha!”

 ルイ・アームストロング、ビング・クロスビー、ドロシー・ラムーア、アンドリュース・シスターズ、ミルス・ブラザース、などなど、ジャズ=ポピュラー界の大御所連中のハワイアン・ネタ曲を集めたCDであります。

 それにしても、これをどのような人たちが聞いて楽しむのか、はなはだ心もとない。ジャズ・ボーカルのファンにはゲテモノ録音集と感じられるだろうし、ハワイ音楽のファンにとっては、ハワイっぽさのまるで感じられない曲たちは、あんまり楽しめないのではあるまいか。結局、楽しめるのは私のような好き者だけ、となるのだが。

 ここで”私のような”としかとりあえず書けないのが悲しい。なんとか”楽しめるのはワールドミュージック・ファンだけ”くらいに皆の音楽志向が変わって行ってくれると嬉しいんですが。

 で、内容。冒頭に収められているルイ・アームストロングの数曲はしかし、そんな私でもちょっときついなあ。サッチモの、あの全音濁点つきの高血圧ズビズバ・ボーカルは、真夏に聞くのは暑苦し過ぎます。夏以外の季節に聞けば、”変格ジャズ”として、きっと楽しめますがね。”小さな竹の橋の下”とか”ココナツ・アイランド”とか。

 実はこのCD、今日、隣町のアウトレットに行く途中の車中で初めて聞いたのだが、ビング・クロスビーも、そのような環境では苦しい。いかにも古めかしい二枚目ぶりで、夏の陽光の元では辛気臭いものでしかなく、なんてのは言いがかりだけど。そんな環境で聞く方が悪い。

 ドロシー・ラムーア共々、ここら辺は夜中に自室でしみじみ聞くものでしょうねえ。アメリカ人にとっても、かの島々がまだまだ”夢のハワイ”だったころのエキゾチックな憧れが横溢する音楽世界であります。当時の南国幻想が風雅に展開されるのをグラス片手に楽しんだら、これはきっと良いでしょうねえ。

 とか何とか言いつつ、若き日のアンドリュース・シスターズが始まったとき、「うわあ懐かしい、こりゃ、スリー・グレイセスだあ」と、昭和30年代の日本の女性コーラスグループの名など心中、叫んでしまったものだった。まあ、分かる人は反応してください(苦笑)

 そういえば、こんな具合の「大人になりかけのオネーサンたちのコーラス」って、今ではもう、聞く機会もないものです。女の子のボーカルグループってのは皆、アイドル声でキャピキャピ歌うばかりでねえ。

 いやでも、全体に”大人の音楽”って感じであります、こうして昔のボーカルものを聞くと。女性の歌声はどれも”奥様”の風格を漂わせ、と聞こえるんだけれど、リアルタイムではファンたちには”若いオンナノコ”の歌声に聞こえていたのかも知れない。そんな気がするんだが、どうですか?と訊ねて、答えを返してくれる年代の方がネット世界におられるんでしょうか、しかし。

 そして、真打!と言う感じで登場するのが、ミルス・ブラザース。皆がアロハシャツを着てくつろいでいる所に、いきなりタキシードで、みたいな貫禄がある。この辺を聞いていると、ジャズ・コーラスとしての芸が確立されてしまっていて、時代も何も関係ありませんな。古いレコーディングを聞いているって感じはない。

 ちょっと面白いのは、ハワイ風に声を裏返して歌うところがあるんだけど、その裏返り方がいかにも黒人のファルセットであるところ。まあ、彼ら黒人だから当たり前と言えばそうなんだけど、ハワイアンの歌唱法とはニュアンスが微妙に違う。違うけど当たり前の顔して押し切ってしまうところがお茶目に感じられます。まあ、そんな重箱の隅を突付くような聞き方、誰もしないけどさ。

 これは先に書いたフラビリーのアルバムでも同じなんだけど、各曲、歌詞中に”貿易風”って言葉が頻出します。ハワイを歌う際のキィワードだったんでしょうね、当時の。
 まだ、ハワイへの旅は主に船が使われていた、そんな時代のお洒落な言葉。もう忘れられてしまった、”貿易風”の思い出・・・



ポップ・インドネシア、潮風に吹かれて

2006-07-29 02:06:35 | アジア


 ”15 Best Slow ”by KIREY

 ジャケ写真を見ると、これがなかなかきれいな女性歌手で、が、アーティスト名も「キレイ」となるとギャグみたいに思えてくるなあ。本名ではないらしいんだけど、日本語の”キレイ”から取った名なのか、それともインドネシア語で何か意味がある言葉なのだろうか?

 実際、1990年代の半ばに女優としてデビューしていて、歌はその後。まあ、いわゆる”歌う映画スター”ってやつなんでしょうか。でも、なかなか素直な歌唱が好印象を残します。

 ポップスというと泥臭いダンドウットが知られるインドネシアなんだけど、これはそれとは別種の世界、爽やかなフォークロックっぽい音楽性で、ちょっと聞いたらインドネシアという国名は浮かんでこないだろう。
 おそらくは赤道直下のかの国でも、冷房の効いている環境で聞かれている音楽じゃないだろうか、なんてのはいい加減な考察だろうなあ。

 これは”ポップ・インドネシア”と呼ばれるジャンルの音楽らしいけど、その中にもいろいろややこしいサブ・ジャンル名があるんで、たまに気が向いたら聞いてみる、なんていい加減なファンには対応不能です。いや、結構な音楽大国ですからね、インドネシア。とか、詳細な説明が出来ない言い訳をしてみる(笑)

 日本で言えば、そうだなあ、若き日の加山雄三がギター片手に海辺で歌いそうな曲想が続いて収められていて、不思議に甘酸っぱい感傷に誘われる。加えて漂う、ほんのり潮の香り(しかも太平洋とインド洋、混合)もエキゾチックで、この季節に聞くのは快感です。

 しかもその奥の奥、音楽の芯が鎮座ましますあたりに、ラテン音楽のセンティメントの気配がする。おそらくは昔、インドネシアの地を支配していたポルトガルの置き忘れたラテンのタマシイが息ついているんじゃないでしょうか。
 こんな音楽、日本人も簡単に作れそうに思えるけど、実際にやってみると味が出せないであろうのは、おそらくその辺に秘密があるのではないか。

 一見、美人女優が歌う軽いリゾート音楽と思える代物にも、そんな具合に人間の歴史は影を落としているってね、この辺もワールドミュージック探求の醍醐味でしょうね。

 以前から疑問に思っていること。この種のポップインドネシアのアルバムって、まあ、おおむね、上に述べたような軽い曲調のものが大半を占めているんだけど、アルバムの冒頭の2~3曲は多くの場合、軽いもの好きな私からすると結構重苦しいマレー歌謡っぽいマイナー・キーのバラード、まあなんと申しましょうか、熱帯版の”津軽海峡冬景色”みたいな歌が収められている。これが不思議なのです。私、いつもこの冒頭の数曲は飛ばして聞いちゃうんだけどね。

 実は、この疑問を書きたくて、この文章をはじめた次第で。どなたか有識者の方、2ちゃんねる風に言えば「教えて、エロい人」ってなるのかな、ご存知でしたらご教示いただけたら幸いです。

 この冒頭に収められている重いバラードが、実はインドネシアのお洒落な人々の本音で、大部分を占める洋風の軽いポップスは本当は見栄で聞いていたりするんでしょうか?それとも、それはそれで普通に楽しんでいるんでしょうか?そういうのもダブル・スタンダードと呼んでいいのかどうか分かりませんが。

 ともかく、なんでこんな2重構造のアルバム構成になっているんでしょう、ポップ・インドネシア。と、まあ、まるで分かっていないくせに紹介文めいたものを平気で書く私なのであった。



ワールドミュージック・廃墟探訪

2006-07-28 04:53:30 | いわゆる日記


 ラテン音楽の雑誌、「ラティーナ」06年8月号に掲載された、”クラムド・ディスク”の構成員であったヴィンセント・ケニスのインタビューは、過ぎ去ってしまった1990年代、の”ワールドミュージックの季節”の一つの総括、あるいはゴミ片付けとでも言うべき部分が妙に面白かったものだ。なんて言い方は、負け戦の続く(?)ワールドミュージック・ファンの自虐となってしまうが。

 ケニスは語るのである、例えばかって、マルタン・メソニエがパパ・ウェンバ作品で行ったことを、何も本質は新しくはなく、ただ昔からある音楽に新しい包装紙をかぶせただけだった、と。

 ここで語られているウェンバの盤は、私もレコード店店頭でかかっているのを発売当時に聴いた記憶がある。それまで聞き馴染んでいたウェンバの革新的リンガラ・ポップス、いわゆる”ルンバ・ロック”のタグイを、例えばバックのギターの音をそのままシンセに置き換え、打ち込みのリズムをあしらった、そんなサウンドだった。
 クールでカッコイイとも言えようが、あまり切実に迫ってくるものも感じられず、私は入手は見送ったのだった。

 が、それは「パリで”世界の最前線”と格闘するパパ・ウェンバの、アフリカンポップスの、ワールドミュージックの闘士としての戦いを理解しないもののすることだ」と、当時のワールドミュージック論壇(?)からは糾弾されてしまいかねない姿勢であり、私自身もなんだか、そのサウンドを受け入れることの出来ない自分の感性について後ろめたい気分となったりしたものだ。

 今。そのサウンドは、先に紹介したケニスの言葉で簡単に総括されてしまうものとなって、時の流れの中で風化してしまっている。かって、そのサウンドを褒めそよした者も、今はもう、省みることもあるまい。

 あるいは。サニー・アデの、あの「ナイジェリアン・ポップスここにあり!」と、輝かしい全世界への名乗りを上げた盤、”シンクロ・システム”などを思ってみる。これは今でも色あせず、記憶の中では変わらぬ輝きを放ってはいるが。

 かといってもう、私の部屋において、あの「シンクローッ」と響くアデの叫びがこだまする事はない。どうせ聞くなら、その後に手に入れたナイジェリア盤の、自分の属する民族相手に歌い、ギターを奏でるアデのほうがずっと人懐こく、楽しめるものな。

 その他。モロッコの天然トランス音楽、グナワの中でなぜか鳴り響くオーストラリアのアボリジニの民族楽器、あるいは、沖縄の島歌に強引に割り込ませたヒッホップやらラップやら。あの頃はそんなミクスチャが、まるで音楽すべての栄光の証みたいな勢いで語られたものだ。そりゃ、ワールドミュージック好きの、狭すぎるゲットー内だけでの出来事ですよ、そりゃそうですが。

 いま、ワールドミュージックの潮が引いて後、それらは壮大な廃墟にも見えてくるのだ。無理やり作り上げた”超大作”の、いかに空しい大伽藍であることか。それに較べて、知らない国の知らない町の横丁に響く、なんでもない日常の歌謡曲の、なんと愛らしく愛しいことだろうか。

 あの頃、今となっては信じられない貴重なミュージシャンたちが来日をし、今回問題にしているような”意欲的”なアルバムも世に問われ、確かにワールドミュージックの、祭りの季節だった。いや、その季節のすべてが徒労だったと言うつもりもなし。我々が異国の街角に自然に佇めるようになるための、それはスプリング・ボードだったのだから。
 まあ、そのうち懐かしく思える日も来るでしょ。いま、ちょっとアレなんだけど。




夏のターラブ

2006-07-27 03:53:26 | アフリカ


 ZANZIBARA 2 : 1965-1975, GOLDEN YEARS OF MOMBASA TAARAB

 あれは鄭和と言ったかな、中国は明の時代の武将。知人に勧められて、彼の生涯をテーマにした小説を読んだことがあるんだった。

 鄭和は、時の皇帝、永楽帝の命を受けて大船団を組織し、東南アジアを踏破、さらにはインドからアラビア半島、ついにはアフリカにまで航海したと言う。ヨーロッパの”大航海時代”に先んずること70年と言うから、これはとてつもない偉業だったろう。

 鄭和が到達した最西端は現在のケニアはマリンディという土地だったと言う。アフリカ東海岸における”ターラブ”の発生はいつ頃だったのだろう。はたして鄭和は、この不思議な音楽に接することは出来たのだろうか、などと夢想する真夏の夜なのだった。

 ターラブは、アフリカ東海岸に古くから存在するアラブ=アフリカのミクスチュア音楽、とでも紹介すればいいのか。いやいや、アジア音楽の要素も含まれ、広くインド洋音楽の一つと認識するのが正しいのだろう。

 交易などを通じてアラブ世界と繋がりの深かったアフリカ東海岸の共通語であるスワヒリ語は、「あまりにもアラビア語の要素が入り込み過ぎている」などと批判さえ受けることがあるのだそうだが、ターラブもまた、アラブの影響が色濃い。アラブの民族楽器であるウードやカーヌーンなども用いた、優雅なストリングスのアンサンブルを聞かせる。

 今回、取り上げたCDは、ケニアのモンバサで60~70年代に行われたレコーディングを集めたものだが、これまで聞いたもののなかではよりファンキー度が強い感じで、興味深い。

 なんでも現地では、あの歌とダンスが狂喜乱舞の法悦境の実現(?)たるインド映画が普通に見られておりそちらからの音楽的な影響も多い、となると、文化の交錯は時の流れを挟んでさらに多層化していて、気まぐれにCDを聞くだけの身には簡単に正体をつかめる相手ではないようだ。

 そうそう、どのような経緯で流れて行ったかも分からないが、日本の大正琴が結構重要な使い方をされていて驚かされる盤でもある。その経緯を調査し、いや、想像で追うだけでも、相当に面白い冒険小説が書けそうじゃないか、誰かやってみてくれ。などと言い出したくなるのは、ターラブの内に色濃く漂っている潮の香りのせいだろう。

 鄭和はターラブを聞いたのかなあ、それにしても。



アイドル、YES! フットサル、NO!

2006-07-26 00:43:13 | いわゆる日記


 話題が脱線ばかりしていて恐縮ですが。

 あれはいつ頃からでしょうね、モーニング娘や、あるいはイエローキャブの巨乳系アイドル連中などが、なぜかフットサルなんて省略形サッカー類似競技を半ば本気でやらされる風景が見られるようになったのは。
 
 そんな事したくて芸能界に入ったコばかりでもないと思うんだが、元プロのコーチを受けてつらい練習に耐え抜き(まあ、所属プロダクションの方針じゃ、しょうがないものね)その結果、「ついに掴んだ勝利にメンバー同志抱きあい感涙」なんてシーンを演じたりしている。
 そんなものを延々とテレビで見せられたりすると、違和感通り越してグロテスクに思えてくるのは私だけですかね?

 そもそも、芸能事務所がフットサルに入れ込む理由は何なのか?
 フットサル業界(?)側の事情は容易に推察可能ですけどね、つまり競技の普及に役立つから、と。
 あと、テレビ局の事情としては、「スポーツをやらせておけば、苦労して演出せずとも勝手にドラマが生まれるから番組制作面で楽が出来る」ってのはあるでしょうね。
 一方、なんで芸能界サイドがこんなに入れ込んでいるのか、それが分からない。ここのところが一番知りたいです。 タレントの話題作りってのはあるんでしょうけど、それにしては入れ込み過ぎだし、組織的過ぎるように思えます。

 などと疑問を提示しつつ。

  ”我々は別に、走り回りボールを蹴り倒す、そんな汗臭い彼女らを見たくて、アイドルたちのファンになったわけではない!”

 ってシュプレヒコールをとりあえず挙げておこう。

 そんな”無理やりなフットサル・チーム”で活躍していたモーニング娘の紺野あさ美嬢が、この24日、”娘”を卒業とか。芸能界を退いて学業に専念、大学進学を目指すそうで。
 やあ、これでフットサルなんかやらずにすむねえ、良かった良かったと言ってあげたい気分なのだが、ある人、紺野ファンのコミュに書き込んでいわく、「こんこん、大学にもフットサルの愛好会があると良いですね。なければ作ってください(笑)」と。

 勘弁してくれ。つーか、ほんとに、”企業側の都合に合わせてものを考える”ことが身につき、そんなオノレを疑ってもみない、そんな人間が当たり前になってるのかなあ、いまや。

 この発言を行った人物だって、はじめからフットサルのファンだったわけじゃないでしょ、きっと。普通にアイドルが歌ったり踊ったりしているのが好きだった筈なんだ。それが、ファンであるモーニング娘がやらされているから、その競技を好きになる努力を行った、その結果の発言でしょう、ほんとのところは。

 企業の側が「消費者がこのようなものを好きになってくれると好都合なんだがな」と考え、そのような方向に人心を導くプロジェクトを立ち上げる。と、それを敏感に感じ取り、先回りしてそのものを好きになる努力をし、「うわあ、こんなものが欲しかったんだ!」と本気で叫ぶ。それがどうやら、彼らのプライドでさえあるらしい。唖然としてしまいます。

 うまく飼い馴らしたものですね、企業の側も。この袋小路、さてどうやって食い破りましょうか?



デジタルの押し付けに”No”を!

2006-07-24 22:57:07 | 時事

 要するに、政府とメーカーが結託しての、国民に対する家電製品の押し売り作戦でしかないでしょう。

 ”テレビの地上波放送が完全デジタル化するまであと5年”とか”カウントダウン”って、「それまでにそれに対応する商品を買え」という命令ですな、要するに。

 視聴者としての私は、テレビの地上波放送をデジタル化させてくれと頼まれた憶えもないし、やっても良いと認めた記憶もない。
 さしせまって必要でもない”新機能”満載のデジタル放送なんて欲しくもないし、旧システムを無理やり終わらせての選択の余地のない商品の押し付けなんか、非常に不愉快です。決して認めたくない。

 こんな風になめられたままでいいんですか、消費者たる我々は。このままメーカーの言いなりになって、デジタル対応の高いテレビを否応もなしに買わされるままですか?

 私はここに、押し付けの仕返しとして、アナログ放送終了になっても、新しいテレビなんて買ってやらねえって行動を提案したい。テレビなくても何とかなるでしょ。ネットやってりゃいいんじゃない?
 想像するだけで楽しいじゃありませんか、政府のお偉方や、儲けるつもりだった家電メーカーが慌てふためくザマを。

 とりあえず私は11年7月24日から、テレビを見るのはやめます。それで得られる自由な時間で、どれだけ有意義な人生を送れるか。想像するだけでもワクワクするなあ。

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 ○<地デジ>あと5年でセレモニー 竹中総務相がスイッチ
 (毎日新聞 - 07月24日 19:01)

 テレビの地上波放送が完全デジタル化するまであと5年となった24日、地上デジタル放送推進協会(理事長=河合久光・静岡朝日テレビ社長)が、東京・霞が関の総務省玄関でカウントダウンセレモニーを開いた。

 NHKによると、国内約1億台のテレビのうち、地上デジタル放送対応のものは6月末現在で1190万台と約1割。残る約9割のテレビは、11年7月24日から映らなくなる。河合理事長はこうした現状を受け、あいさつで「今年度中に普及台数2000万台を目指す。受信機(テレビ)をすべて取り換えるのにあと5年は大変短い」と危機感を鮮明にした。

 東京・銀座のビル壁面にあるカウントダウンボードが会場のテレビ画面に映し出され、総務省前で竹中平蔵総務相がスイッチを押して除幕。「あと1826日」の表示が現れた。【丸山進】




カンツォーネの思い出のために

2006-07-23 02:15:35 | ヨーロッパ


 昨日、「”君に涙と微笑を”は、ボビー・ソロの原曲よりキャンディーズによる日本語カヴァーに思い入れがある」みたいな事を書いたけど、あの辺りが、日本のアイドル歌手がカンツォーネをカバーなんてした時代の最後だったんだろうな。

 あのあたりって、いつごろになるんだ?1970年代の後半くらいか。それ以前、60年代の日本において、イタリアのポピュラー音楽って、結構大きな存在だったんだがなあ。その年のサンレモ音楽祭(イタリア版のレコード大賞とでも説明すれば良いのだろうか?)で、どのような曲が評判をとったか、なんて話題が普通の芸能雑誌の記事になったりしていたもの。

 今となっては、誰のどんな曲がサンレモの大賞を取ったか、どころではない、かの歌謡際がいまだ行われているのかさえ知識もない、そもそも興味もないのが、日本の音楽ファンの現実だろう。イタリアのポップス界に、誰も関心を持っていない。イタリア観光は人気があるみたいなんだけどねえ。

 なんでこんなことになっちゃったのかなあ。あの宇崎龍童が歌謡曲の作曲を志した際、助言を求めて作曲家の先輩を訪ねたら、「それならカンツォーネの勉強をしておけ」と言われた、なんて逸話もあるくらい。それほど日本の流行り歌とイタリアのカンツォーネとは親和性があるというのにねえ。そうそう、布施明なんて人は、ご本人も認めておられるとおり、カンツォーネ歌手のジャンニ・モランディの、日本製コピーとしてスタートしてるわけで。

 60年代、ラジオの洋楽番組では、あるいは街の通りには、ロックなんかよりよほど普通にカンツォーネの新曲が流れていたと、この記憶は、イタリア好きの身びいきばかりではないはずだ。
 冒頭に述べた、日本のポップス歌手によるカンツォーネのカヴァーも普通に行われていた。ジリオラ・チンクエッティの「夢見る想い」なんて曲も、日本人歌手によるカヴァーのほうが印象深いね、私は。

 良かったよねえ、あの地中海の陽光輝く、甘美で下世話な音楽世界。花咲く丘に涙して。アリベデルチ・ローマ。月影のナポリ。砂に消えた涙。コメ・プリマ。アベマリア。この頬の涙。アルディラ。ヴォラーレ。
 まったくなあ・・・あれだけ日本人に親しまれていたイタリアン・ポップスを我々の音楽生活から奪っていったのはどこのどいつだ。

 あの人懐っこくヤクザなイタリアの歌謡曲、カンツォーネをもう一度、我々の手に取り戻してみませんか?つーか・・・今、どこへ行けば買えるんでしょうね、イタリアン・ポップスのCDは?




音楽バトン

2006-07-22 05:05:44 | いわゆる日記


 ネットをやっておりますと、たまにバトンなどというものが回ってまいります。まあ、アンケートのようなものですかねえ。今回、それが音楽ネタだったんで、こちらにも載せておくことにしました。

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■好きなアーティストを3人(グループ)教えてください。

 ・ファッツ・ドミノ(50年代に活躍した、ニューオリンズR&B界の大物歌手。のったりまったりしたアメリカ南部の鼻歌フィーリングがよろしい)
 ・ハーブ・オオタ(ハワイのウクレレ名人。ポコポコとのどかな弦の響きで紡ぎ上げる、南国の感傷を秘めたメロディが良い塩梅です)
 ・岸井明(戦前の日本ジャズ界にまったりと光り輝く緩み系ボーカリスト)

 もう年々、テンション高い人は苦手になってきておりまして、結果、このような選出結果に。

■無条件で好きな曲を5曲教えてください。

・ 「港の見える丘」 平野愛子
・「恋はもうたくさん」ダイナマイツ
・「君に涙と微笑を」オリジナルのボビー・ソロではなく、ここはキャンディーズによるカヴァー・ヴァージョンを。
・「霧笛が俺を呼んでいる」赤木圭一郎
・「真っ赤な自転車」オニャン子クラブ

 収拾がつかなくなるので、日本語曲のみから選びました。まあ、結局、収拾はついていないのだが。

■今一番よく聴いている曲を教えてください。

 現在、ベタなハワイアンの世界を探求中なので、「恋人よ、アロハ」とか「スイート・レイラニ」なんてのばかり聞いている。

■あなたにとって懐かしい曲を教えてください。

 加山雄三の一連のヒット曲。それが、”のんきなガキ”としての私の記憶の最後の、つかの間の陽だまりのような記憶の中に浮かんでいる曲たちだから。それ以後私は、グシャグシャに屈折した青春時代に突入する。

■あなたにとって失恋曲は?

 ”スタンド・バイ・ミー”

 私が高校生の頃、町のディスコには生バンドが入って、二つのバンドが交代で演奏をし、客を踊らせていた。各バンドがステージ最終曲、盛り上げに使っていたのが、この曲。
 そして、「ちょっと良いかな」とワシらが憧れていた不良少女たちは、この曲が演奏されている間に、筋金入りの不良少年連中やモノホンのヤクザが浚って行ってしまったのだ。

■共感できるor好きな歌詞の一部を教えてください。

 ニューオリンズにいられたらなあ 夢に見えるようだぜ。
 みんなで腕を組み合って バーガーディーのビン持ち酒盛りやる
 南の空にはデキシーのお月さん 
 ニューオリンズ、いつかきっと行ってやる
 
 (”I Wish I Was in New Orleans”トム・ウェィツ作詞、山本沙由理対訳)

■友達にアルバムを1枚勧めるとしたら?

 「結成50周年クレイジーキャッツ・コンプリートシングルス」

■別れた恋人に聴いてもらいたい曲は?

 「フーチー・クーチー・マン」マディ・ウォータース

■今の恋人(好きな人/大事な人)に聴いてもらいたい曲は

 パンタの「マーラーズ・パーラー」をフルコーラス(10分くらいかかるのではあるまいか)

■カラオケで、歌いたいけど声域が合わなくて歌いづらい・歌えない!という曲は?

 そんな質問を私にするとはっ!声域3オクターブを超える私と知っての上での狼藉かっ!
 でも実は一曲だけある。淡谷ノリ子先生の「別れのブルース」をオリジナルのキーで歌おうとして、途中で挫折はした。

 (写真は、”クレイジーキャッツ・コンプリートシングルス”のジャケ)




NHK映像散歩

2006-07-21 04:58:28 | いわゆる日記


 ここの書き込み時間を見ていただけばお分かりいただける通り、私はメチャクチャな時間に寝たり起きたりしている人間なのですが、そんな訳で好んで見ているテレビ番組なんてのもピント外れでして、夜中の三時頃からNHKで不定期に放映している、映像番組というんですかね、そんなものをひいきにしていたりする。

 世界の名所やら人々の暮らしやら、探査船が送って来た星の世界の映像やらにかぶせて、環境音楽というんですか、よくジャンル名が分からないんですがイメージ音楽、そんなものを淡々と流す。これが妙に好きでしてね。人々の寝静まった深夜、「こんなの、誰も気を入れて見ている奴、いないんだろうなあ」とか思いつつ、最後まできっちり見てしまったりする。

 NHKのサイトを覗いて番組表を確かめても、それらのアーティスト名も曲名も明記していなくて、なかなか歯がゆい思いをします。要するに朝が来て本格的に放送を始めるまでの時間稼ぎの埋め草番組ってことなんでしょうけど、そんなものでもわざわざ選んでチャンネルを合わせている者もいるんで、NHKも少し気を入れて資料公開などして欲しいものです。

 本日は、なにやらシルクロードがテーマの新作のようで。何しろ先に述べたように巻き返し繰り返しの多い時間帯ですから、新しいメニューが加わるのは大歓迎。で、この新作は、なかなか好ましい出来上がりであります。
 とか何とか言っているが、私が見ていなかっただけで、もう何年も前から放映されているものである可能性も大。この辺も、この関係の番組を見る際の、ある意味醍醐味といえましょう。

 といっても、かの地の音楽が聞けるわけではない。延々と続く砂丘の風景や、オアシスにおける人々の暮らし、名高い敦煌の”砂漠の大画廊”の映像にかぶせて、どうやらトラッド系のイメージ音楽(とにかく、どう表現したら良いのか分からない。決まったジャンル名はあるんだろうか?)が流されるだけなんですが、このどうでも良さが逆に深夜には好ましい。

 いつ作られたのかも分からない、淡々とした映像詩の世界。それに似合いの淡いイメージ音楽。生々しい昼間のテレビ番組とは絶縁された価値観の世界が展開されます。その、ちょっぴりうら寂しい時間の流れに身を任せる快感が好きなのであります。

 が、時節によってはこれらの番組、まったく突然にぶった切られ、急に「大相撲ダイジェスト」とかいう素っ頓狂な番組に切り替わってしまったりする。
 けだるい夜の時間を乱され、ド夜中に日なた臭い番組やってるんじゃねーよ、と怒りを感じたりするんですが、それはもう深夜ではなく早朝に属する時間帯なんでしょうな。

 ここらでとっとと寝ないと、無駄に元気の良い早朝のニュース番組などがそろそろ始まるのであります。