ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

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メキシコの北、テキサスの南

2006-10-31 03:55:40 | 北アメリカ


 ” Calture Swing ”by Tish Hinojosa

 テックス・メックスである。アメリカはテキサス州と、メキシコ合衆国の国境線上に展開する音楽。

 たとえばそこのスターだったフレディ・フェンダー(哀悼)の歌声には、国境線上にわだかまる人間ドラマの匂いがする。国境を越えれば”チャラ”となり消え去る過去。あるいは不法に越える国境の向こうに存在するかもしれない儲け話。そんなものに賭けた、人々の体温がある。

 その結実がシリアスな重苦しい音楽ではなく、切ないバラードであるところに、大衆音楽としての面目があったと思う。

 一方、今回取り上げたTish Hinojosa の音楽においては。人々のドラマはより昇華され抽象化され、国境線上に吹く風の中に気配として舞っている。彼女のポジションとしては”メキシコ系アメリカ人のフォーク歌手”といったところか。あまり、テックスメックス的側面を濃厚に演出している人ではない。あくまでもさりげさが身上である。

 一曲め、By The Rio Grandeが気持ちの良い出来上がりで、アルバムのムード決定をしている。彼女は素直な歌声で南テキサス方面の地名を列挙しながら、心躍る旅の楽しみを歌い上げる。控えめに付き添う、メキシコ風アコーディオンの響きが快い。

 彼女、テキサス州はサン・アントニオ出身という。今、検索してみたが、水と緑の豊かな美しい町である。素直な歌声の前に素直な気分になって、そんな”南の豊饒”を湛えた彼女の歌声をよすがとして国境の旅の余情の幻想に酔ってみるのもまた良し、かも知れない。

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猥褻表現・その他

2006-10-29 03:32:54 | いわゆる日記


 ”私もリアルタイムで手に入れて読んだ者の一人ですが、私は摘発騒ぎを聞き、「あの程度で中川五郎は英雄になっちゃうのかよ」とか、そういう方向で釈然としないものを感じていました”

 以上は、音楽評論家の小川真一さんのサイトで”folk report うたうたうた 冬の号事件”が取り上げられていたんで、乱入して書き込んでみた文章であります。

 フォークリポート事件といったってもう30年以上も前の話で、知らない人のほうが当然多いわけで。まあ要するに1970年、音楽誌であった”フォークリポート”に、歌手の中川五郎が”二人のラブ・ジュース”なる青少年のセックス初体験ネタの小説のようなものを書き、それが猥褻表現であるとして警察の摘発を受けた、そんな事件なんだけど。

 で、私は、「たいした小説とも思えないのに、あんなものを書いただけで中川五郎は”権力に弾圧される反体制のヒーロー”になってしまうのかよ」、とか、ちょっと別の方向で反発したものだったのです。当時の私の周囲の評価としては、”権力の横暴を怒る”みたいな方向一辺倒だったもので。

 そして、小川さんのページへの若い人たちの反応を見るに、なんだか”伝説の、あの小説がこれなのか”みたいな神格化の気配さえ感じる部分もあり、それもまたいかがなものか、時間の経過もあいまっての過大評価だよ!と、違和感を感じてしまったからでもありました。

 そもそも、私は反戦フォークの牙城みたいな高校で一人でロック少年をやっていて、「意識の低いバカ」って扱いをフォーク好きの奴らから受けていた過去の恨みもあり、フォーク好きの連中には根本的に反発がある。
 だからフォーク誌の摘発に対し、”権力側の弾圧”と入れ込んで反発する気にもなれなかったし、ましてや、リアルタイムを知らない若い人たちが”偉大なる神話”としてあれを認識してしまうのは、ますます納得が行かないのであります。

 だってさあ、ほんと、たいした内容の小説でもないんだよ。当時の警察、よくあんなものを摘発したなあ。もちろん、”反体制を気取る奴らへの見せしめ”って側面はあったんだろうけど。というか、それがすべてなんだろうけど。
 そして、いかにも”摘発してください”みたいな小説を、問題になりそうな時期を見繕って発表しておいて摘発されたからって文句言うってなんなんだよ?という方向で、私は首をかしげずにはいられない。

 でですね、実はここからは本題なんだけど、春歌とか、つまりエロ歌のタグイをステージで得意げに歌う奴も似たような理由で、虫が好かないと昔から感じていたのだ、私は。

 なんかね、特に状況を撃つような歌を作れるでもない連中が、そこら辺からすけべな歌を見繕って来て歌えば、それなりの弾圧とかも受ける事が出来て、それなりの”反体制のヒーロー”面さえすることが出来る、反骨の歌手としての箔が付く、ってのはいかにも安易じゃないか。

 その辺がいかにもうさんくさくて嫌だったわけです、私にとっては。

 などと書きつずっても、いまどき”反体制”が受けるご時世でもなし、全体に無意味な文章を書いてしまっているのかも知れないけどね。
 でも、ともかく人の良い今日の青少年諸君に言っておこう。過去の伝説を初めから信じ込んで受け止めるのは危ないぞ。ともかく、安易に乗せられるのは良くない。”分かりやすい反乱”ってのは、大体怪しいと考えて間違いない。と思うよ。
 
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映画”黄金の雨”を見て

2006-10-28 05:18:34 | いわゆる日記


 ☆黄金の雨
 (81年米●[監]ハーバート・ロス[出]スティーヴ・マーティン、バーナデット・ピータース、クリストファー・ウォーケン、J・ハーパー。不況下の1930年代、平凡なサラリーマンの過酷な現実と、彼が夢見る甘いロマンスを対比させて描いたミュージカルファンタジー)

 ・・・という映画を深夜、テレビ朝日で見た。

 まるでトーキー初期、みたいな作りのオープニングで、それ風に痛んだ映画フィルムを思わす”雨降り”状態の画面処理のうちに古いジャズソングが流されて、何しろこちらはその種の音楽に目がないものだから、つい、古い音楽映画が放映されるのか、しめしめ、などと思ったのだが、くそ騙された、80年代の映画だった。

 それでも、要は古いミュージカル映画へのオマージュ的趣旨の映画なんだろうか、現代風の作りの画面にたびたび古い音源を使ったミュージカル・シーンが挿入されるという作り。その部分は楽しめるのだが、ドラマ進行部分に戻ると、なんかかったるいなあ、との感想は否めない。

 この種の擬古調の作品というのは、作者が感じている”現在”への違和感の提示、現実への批評がなければならんでしょう。なぜ、”今”を拒否して過去に表現の舞台を求めなければならなかったのか、その理由提示。いきなりただ”昔は良かった”とか言い出されてもねえ。

 そうでなければ、「古いミュージカル映画にも造詣が深いボクって、趣味がいいでしょ?」「今の悪趣味な現実の中にいる、心優しい”良い人”のボクって可哀そうでしょ?」みたいな自己陶酔で終わってしまう。

 で、この映画は。残念ながら自己陶酔に終始してしまったみたいですな。過去をただなぞって見せただけだったみたい、私が見た感じでは。それと対峙される映画のリアル部分は逆に生々し過ぎて、息が詰まる感じだ。
 結局、古いジャズソング、「黄金の雨」がフルで流れたオープニングが最良の部分だったかな、この映画の。雲の間から陽の光がもれて、歌が湧き出して、ねえ・・・


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パナマの夜

2006-10-27 04:00:46 | 南アメリカ


 NHKテレビが深夜3時過ぎとかに埋め草的に放映している番組を偏愛している、なんてことは以前書いたのだが、はじまったのが”世界の民俗音楽”の南アメリカ編だったりすると、いやあ、「儲けた!」みたいな気分になってしまう(なにをやるやら、新聞のテレビ欄を見ても分からないし)

 ともかくラテン音楽の楽しさを、なんというかシンプルにまとめて、ストレートに伝えてくれる番組なのだ。

 今日がまさにその日であり、いきなり中米パナマの音楽など聞こえてきたので嬉しくなってしまった。いいなあ、パナマの音楽というのは。こんな番組で以外、まとめて聞く機会などないのだが、アフリカとヨーロッパの伝統の激突の様相が実にスリリングに繰り広げられていて、しかも総体としてとても愛らしい大衆音楽なのだ。

 また、画像が良い。パナマの庶民の暮らしを良い具合に切り取っていて、どれもが一片の絵のようだ。

 その感触は、続いてはじまったコスタリカ編でも同様であり、グアテマラ編もまた楽しく、うわあ、ラテン音楽ってのは良いよなあ。日頃、比較的聞く機会のある南米の音楽と微妙に似て非なる、実に鄙びた、美しい音楽の連発である。

 この種のローカルポップスでは定番の登場といえるハチロクのリズム、中米の名産といっていいのだろうな、素朴なマリンバの響き、画面に展開される、中米先住民たちのカラフルな伝統文化、いやあ良いな。あれら、神の小さな土地とそこに住む人々に乾杯!

 こんなものを見ていると、ともかく今日、中米の音楽を聞く機会があまりないのが非常に残念である。昔のラテン・ブームの際は、どうだったのだろう。あの頃はメキシコ音楽がもてはやされていたのだから、中米の音楽にももう少し注目は集まっていたと思うのだが。いや、その当時開発された中米音楽入手のルートが今でも残っていはしないかと考えているのだが。

 関係者、何とか中米の音をもっと入れる努力をしてくれ。そしてその辺の知識自慢の人、もっと話を聞かせてくれ、お願いだから。



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ブルース・ラングホーン

2006-10-25 05:03:07 | 北アメリカ


 ”ブルース・ラングホーン Bruce Langhorne ”

 ピーター・フォンダに”さすらいのカウ・ボーイ(The Hired Hand)”というやたら地味な映画があって、何しろあまりに地味だから、今、思い出そうとしてもどんな物語だったのか思い出せないくらいなのだが。
 ただ、青い空をバックに野の花が風に揺れているシーンばかりが記憶に残っている。そして、その風と一緒に吹き寄せてきたかのような微かなバンジョーの爪弾きの音などが。

 映画を見たのは春だったはずなのだが、思い出そうとすると秋の出来事としてしか蘇ってこない。映画の中に吹き過ぎていた、薄ら寒い感じの空気のせいか。あれを見た頃。自分は大学は出たものの就職も決まっていず、いっそ下宿の荷物を家に送ってしまい、このままギター片手の旅に出てしまおうかと迷っていたのだった。

 旅に出てはアルバイトで食いつなぎ、あちこちのライブハウスで、いや、多くは路上でギター片手に自作の歌を歌う、そんな生活をする者たち何人かと知り合った頃だった。自分も同じ生活を送るのも悪くないと思えた。というか、思おうとした。

 実のところ自分は彼らのように必ずしもシンガー・ソングライター志望というわけでもなかったのだが。何になりたいかといえば具体的な何があるのでもなく、そりゃ音楽で食えればそれに越した事はないが、自分にそんな才覚があるとも思えなかった。

 ただ何しろこのままでは仕事にも就けず、ただなんでもない存在でしかないではないか。彼らの真似をして旅に出てしまえば、とりあえず格好はつく。なんぞと妙な思いつきが、いつの間にかそれ以外に選択肢はない、そんな感じになりつつあった。

 そんな中途半端な気分のまま、ふと入った映画館でやっていたのが”さすらいのカウ・ボーイ”だったのだ。

 特に面白いというわけでもなく映画は終わり、最後のタイトル・ロールをボッと見ていた私の目に入ってきたのが”音楽・ブルース・ラングホーン”の文字だった。
 ブルース・ラングホーンの名は何度か目にしていた。60年代のアメリカ・フォークの世界で羽振りを利かせたギタリストとして。ボブ・ディランはじめ、何人かのビッグネームのレコーディングに付き合っていた。

 とは言え、ラングホーンの演奏がどのようなものか、実際は分かっていなかった。彼が加わったレコーディングは、私のレコード・コレクションには入っていなかったのだ。リアルタイムで彼の演奏に接したのは、音楽ファンとしては私より若干前の世代の人々だった。むき出しに言えば当時、もう時代遅れの存在だったのだ、ラングホーンは。

 へえ、あれがラングホーンの音楽なのかと映画で初めて接し、意外に感じた。名ギタリストというのなら、もう少し押しの強い演奏を行うものかと思っていたのだが。あんなに地味なプレイを聞かせる弾き手とは思わなかった。アメリカの伝承音楽の切片、そんな響きをカラカラと風に舞わせるみたいなバンジョーの響きだった。とりとめのない。ラフなスケッチみたいな。

 自分の前に同じ道を通り過ぎて行った人々のことなど、ふと思った。私よりほんの数年前に同じ音楽ファンとして日々を送った人々のこと。アイビー・ルックに平凡パンチ。その後の世代の貧乏臭い雰囲気を漂わせたそれではなく、エエトコの息子たちの優雅な趣味としてのフォークソング。

 レコード店で見かける、古びたジャケの売れ残りのアメリカン・フォークものは、その人たちが買い残したものなんだろうな。あの人たちに、ブルース・ラングホーンの演奏はどのように聞こえていたのか。私の知らないラングホーンの、もっとケレン味のあるプレイなども存在しているんだろうか。

 ラングホーンのバンジョーやギターの演奏の断片は、そのまま私の中で町を吹きぬけるからっ風に呼応するようにカラカラと響き続け、そして映画館の帰りに立ち寄ったラーメン屋から出る頃には自分は、旅に出る決心をしていた。ろくな選択ではなかったこと、その後、大いに思い知ることとなるのだが。

 (添付した画像は”さすらいのカウ・ボーイ”のサントラ盤のジャケ写真)



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森の小径

2006-10-24 03:45:57 | 太平洋地域


 ふとウクレレなど手にとって何を弾くでもなし、ポロポロやっていると、たとえば「森の小径」なんて小曲をなんとなく弾いてしまっている事があります。
 「森の小径」といえば、知っている人は知っている、日本ウクレレ協会の会歌であります。灰田勝彦氏、1940年のヒット曲。

 ♪ほろほろこぼれる 白い花を 受けて泣いていた 愛らしいあの子よ♪

 いかにもウクレレに似合いの、シンプルな愛らしいメロディ。ただ弾いているだけなら楽しいのだけれど、私は切なくなってしまうのですね、この曲の背景を思うと。

 1940年のヒット曲。つまり、この曲の流行と前後して、日本は第二次世界大戦の只中に突入してしまう訳で。こんなに優しい曲の思い出を胸に抱いて、多くの日本人が過酷な戦火の中に身を投げ出していったのだ、と思うと、たまりませんな。

 そして今、この時間にも戦火のうちに置かれている人々が、この地球上には数え切れないほど。その人たちはどんなメロディーを胸に秘め、過酷な運命を生きているのだろう・・・

 添付した写真は私が贔屓しております日系ハワイ人のウクレレ名手、オータサンことハーブ・オオタの若き日の姿です。軍服を着てウクレレを奏でております。彼、海兵隊員として朝鮮戦争に従軍しているんですね。しかも、第2次世界大戦中の私の父と同じく、兵隊が嫌で通訳志願だったそうで。ちょっと苦笑してしまった次第。

 ♪憶えているかい 森の小径 僕も悲しくて 青い空仰いだ ♪

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捕鯨再開!アイスランドに続け!

2006-10-23 13:13:15 | 時事

 ◎アイスランドがクジラ捕獲=商業捕鯨の再開決定後初

 【ロンドン22日時事】アイスランドからの報道によると、同国の捕鯨船が22日までに、ナガスクジラ1頭を捕獲した。17日に同国が商業捕鯨の再開を発表して以来、実際の捕獲は初めて。  (時事通信社 - 10月22日 23:10)

 そもそも捕鯨反対運動ってのは60年代、ベトナムへの軍事介入に対する反対論を押さえるため、アメリカが画策したエセ環境運動であるわけだから。
 反戦を謳う”ヒューマニスト”諸氏の目をそらせるネタが欲しかったから、そんな人たちが好きそうなオハナシ、”可哀そうな鯨”って玩弄物を引っ張り出した。

 そんなのが始まりで、その後、欧米の白人たちを中心に広まった新興宗教みたいなものでしょ、反捕鯨の動きなんて。偽善の塔がそそり立っているだけの話。
 日本も捕鯨を再開しようよ。きちんとした生態系保護の形が出来れば、何も問題はないはず。そしてその作業は、なにも難しい事ではないはずだ。
 
 想像せよ。日本が反対を押し切って捕鯨を再開したら欧米風良識派連中が声を合わせて「可哀そうな鯨を救うために広島と長崎にもう一度原爆を」とか言い出すさまを。そんなもんだよ、連中の”ヒューマニズム”なんてのはさ。

 (上に添付したのはベトナム戦争当時、政府軍によって公開処刑されんとするベトナム解放軍兵士の姿)


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南海の紫煙

2006-10-22 02:11:46 | その他の日本の音楽


 下は、旧友の”鉄の目キリコ”さんの掲示板で3年ほど前でしたかねえ、交わしましたあるタバコに関する会話の抜書きです。別の場所でタバコが話題になっていたので、ふとこの会話を思い出し、懐かしくなって再録する次第です。その後、ネット世界から疎遠になってしまっているキリコさんに「帰ってこいよ~」との願いを込めつつ。

南島の紫煙 投稿者:マリーナ号 投稿日: 2月21日(金)02時45分32秒

☆屋嘉節 by松田永忠・石原節子

”なちかしや沖縄 戦場になやい 世間御万人の 流す涙流す涙
 心勇みゆる 四本入りたばく 淋しさや月に 流ちいさゆささゆさ”

沖縄のローカルレーベル各社から出されたシングル盤のアンソロジィであるCD、「チャンプルーシングルズ」のシリーズ第二集、第二次世界大戦に絡んだ歌を集めた「平和の願い」の末尾に納められた歌である。
沖縄の地を苛酷な戦火の坩堝に叩き込み、戦争は終わった。傷つき、疲れ果てた身を収容所に横たえ、ただ、平和だった頃の故郷や恋人の夢を見るだけの主人公。その心を慰めてくれる配給のタバコ。心の寂しさを月に流してしまおうと試みるのだが・・・

投稿者:鉄の目キリコ 投稿日: 2月24日(月)02時46分50秒

大戦がらみの沖縄の煙草ソングですか、これは意表を衝かれました。相も変らぬ博覧強記ぶり(音楽の場合もこの言葉でいいのだろうか?)には感心させられますです。
「心勇みゆる 四本入りたばく」つーフレーズになぜかぐぐっと来てしまいました。娯楽がほとんど皆無であろう収容所生活では、この4本のタバコを大切に大切に深々と吸う時間はなにものにも替えがたいものだったのでしょうね。くゆる紫煙の向こうに煌々と輝く月を眺めながら故郷や恋人に想いを馳せ・・・そして彼は帰ることができたのでしょうか。。。

あ、関係ないけど琉球方言では「たばく」と言うのか。ひとつ賢くなったぞ。

四本入りたばく 投稿者:マリーナ号 投稿日: 2月24日(月)20時36分44秒

先に紹介しました「屋嘉節」に出てくる”四本入りたばく”ですが、これは裏が取れていない私の推測だけの話なので書かなかったのですが、もしかしたら戦時中、兵士たちに上官から「天皇陛下のお心である!」と手渡された”恩賜のタバコ”である可能性もあります。
だとすると、この歌の奥行きはさらに深くなります。敗残の兵として米軍の収容所に収監されている主人公が、おそらくは沖縄現地徴用の「皇軍兵士」であった頃に与えられた菊の御紋章入りのタバコをくゆらせ、心の慰めとしている。”心勇みゆる”の一言にも、二重三重の意味が加わってきます。まあ、確証が取れていないので、何とも言えないのですが。
恩賜のタバコと言ってもピンと来ないでしょうが、映画「戦場のメリークリスマス」の中で、ビートたけし演ずる軍曹が、坂本龍一演ずる将校からこのタバコを手渡され、最敬礼で受け取るシーンがあります。画面いっぱいに菊の紋章入りのタバコがアップになりますが、意味の分からない人がほとんどだったのではないか。
もっと身近かな例を挙げますと、今の天皇陛下が皇太子時代、私の家の三軒となりのホテルに宿泊された事があるのですが、その際にも宿の主人に恩賜のタバコが渡されたとのこと。まあ、そんな形で使われてきたタバコであるわけです。
この恩賜のタバコ制度も、嫌煙権運動との兼ね合いで廃止されたとか廃止が検討されているとか聞きましたが、どうなりましたか・・・

投稿者:鉄の目キリコ 投稿日: 3月 1日(土)00時02分42秒

>(”四本入りたばく”)もしかしたら戦時中、兵士>たちに上官から「天皇陛下のお心である!」と手渡された”恩賜のタバコ”である>可能性もあります。
なるほど、興味深い仮説ですね。確かにそれが「恩賜のタバコ」なら歌詞の意味も随分変わってくるし、「彼」の生き方や後人生の解釈というか推測も大分変わらざるをえませんね。同時代の方が歌詞を読めば感覚的にわかるのかもしれませんが・・・。
でもどうなんでしょ、米軍の捕虜収容所で「恩賜のタバコ」が配給されることなんてあったんでしょうかね?わたしゃやっぱりこれはラッキーストライクかなにかの米軍配給の煙草だったと思いたい。だって、本土防衛の盾にされ故郷も焼かれて捕虜にされ、つまり人生を台無しにされた上に、それでもまだ「天皇陛下からの賜り物」に「心勇みゆる」んじゃあ、あまりにも救いがないではありませんか。。。

虚しき栄誉 投稿者:マリーナ号 投稿日: 3月 1日(土)16時40分48秒

むふふ、鉄の目さん、その理解は甘いっ!「四本入りたばく」が恩賜のタバコだった場合、この歌には、より深い戦争への異議申し立ての意味が加わるのです。

恩賜のタバコを受けて「国家のためにご奉仕するぞ!」と心勇む日本帝国軍人、というのが、本来の形であるのです。建前としては、晴れがましい姿です。
が、この歌の主人公は敗残の兵であり、彼の知故は戦いで命を落とし、町は破壊されている。そんな環境で一人、本来なら栄誉である筈のタバコ、空を見上げて誇らしい思いで口に運ぶはずのタバコを、彼は、まったく救われないない状況で、真っ暗な気持ちでくゆらす訳です。その味の苦さ。
「心勇む」と、本来”臣民”が言うべき慣用句を口にするものの、そのなんと味気なく無意味である事か。一体なんだったんだ、このタバコと共に受け取った「栄誉」って?「心勇みゆる」に、二重三重の意味が出てくる、と書いたのは、そういう事を言いたかった訳で。
意義を失ってしまった恩賜のタバコの苦さの向こうに、「栄えある大日本帝国」の幻想と、その末路たる悲惨な現実が浮かび上がってくる。深い深い歌になる訳です。
とは言っても、それが恩賜のタバコであるって確証はないんですけどね、やっぱり。

投稿者:鉄の目キリコ 投稿日: 3月 2日(日)00時40分50秒

ふむふむなるほろ~。「四本入りたばく」が恩賜のタバコだとすると、確かにそういったより深い解釈も生まれますね。声高な言葉よりも静かな情景によって戦争なるものの幻想と現実を浮き彫りにする、静かながらも痛烈な反戦メッセージを込めた歌、となりましょうか(まさに「平和の願い」ですね)。
私も個人的にはこういう奥行きの深い解釈のほうに惹かれるのですが・・・んでも!やっぱり引っかかるのは「米軍の捕虜収容所で、敗戦国のシステムであった『恩賜の煙草』を相当数の捕虜たちに毎日配給してあげた」なんて事実があったのか?ということなのですね。米国の強さと正しさを教え込まねばならない捕虜たちにかつての敵国の親玉の下され物をわざわざ配給してあげるなんて、例えは悪いが、例の同時テロの容疑者たちに刑務所内でコーランの最も過激な一節を毎日朗読してあげる、くらい不自然かつ危険な行為だと思うのですが。
あと、捕虜たちが何千人いたのかは知りませんが、全員ではないにせよ彼らに毎日4本「恩賜の煙草」を配給するとなると物凄い本数のタバコが必要になるわけで(千人に配給するとしても、1ヶ月で12万本!)。敗戦でずたぼろになった国土の中、それらを米軍がどこからどうやって調達したのかというのも大きな疑問です。
この「WHY?」と「HOW?」の二つの疑問があるからわたしゃ「四本のたばく=ラッキーストライク(とは限らんが)説」を採るのですよ。もっとも「え?俺は捕虜収容所で恩賜の煙草もらったぜ?」という体験者の方の一言で吹き飛んでしまうような、説というより単なる憶測に過ぎないものだということは重々承知でありますが。

どなたか体験者の方はここにいらっしゃらないでしょうかねぇ?いらっしゃらないでしょうねぇ・・・。
ああそうか、こうやって歴史は記憶から記録に変わっていくのだなぁ、などとしみじみ感じたり。


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日系人ポップスの夜明け

2006-10-21 03:20:49 | 太平洋地域


 ”MODERN SONGS OF JAPAN”

 1950年代、つまり太平洋戦争が終わってまださほど経たない時期に、ハワイの日系2世の人々によって吹き込まれた”日本のポップス”集です。

 歌手たちばかりでなく、バックのオーケストラまで2世の人々によって構成されていたようだ。
 日本の懐メロ中心の構成だけど、当時の日系人たちの間で愛好されていた音楽の平均値はこの辺にあるのだろうか?ともかく数年前まではその”故国”は敵国でもあったのであって、その辺はどうなのか?

 とか、いろいろ気になる面はあるのですが、ともかく非常に温泉気分の作品集となっております。どの曲も、旅館の浴衣を着た団体客がホカホカ立てる湯の香が香るような、そんな至福感が伝わってきます。

 日本の歌謡曲が内包していた東アジアの土着の感触や湿り気は、ハワイの空気のうちで昇華され抽象化され、ひたすらのどかな鼻歌気分が支配している。”ひばりのマドロスさん”みたいな、潮の香も漂う身軽な旅人気分の歌がぴったりはまるみたいですな。

 それにしても粛然とした気分にさせられてしまうのは、やっぱりハワイの日系人ポップスの代名詞みたいになっている”別れの磯千鳥”の一曲。
 これは、日本でだったら昔風の可憐な歌声の女性歌手か、あるいはギター抱えたバタヤンこと田端義夫氏が、いなせに肩をゆすりながら歌い上げるのが常道でしょうが、ここでは男女混声の数名のコーラスによって歌われています。

 といっても、”合唱団”なんて堅苦しいものじゃないですな。アロハやらムームーやらを身にまとった近所のオジサンオバサンが集まってきて気ままにコーラスしている感じ。このルーズなコーラスからモヤモヤと湧き上がる至福感、そして裏腹に漂う哀感などなど。

 これはもう、日本の歌謡曲の範疇にはないものです。
 手触りはすでにハワイの伝統音楽に近いものとなっている。その中で、彼らの親の世代が後にしてきた”古き日本”は、ゆっくりとその姿を溶解させて行く。そして何か別のもの、2世たちが培った、新しい時代に生きる”ハワイ人としての日本民族”の感性が静かに花開いている。

 「オッケー、そちらはそちらで、何とかやっているんだな。こちらもこちらで、パッとはしないがなんとか生きてるよ。皆によろしく」そんな、受取人もない手紙の一つも過去に向けて出してみたくなる、不思議な懐かしさとエキゾチシズムが交錯する時間が過ぎていったのでした。


 PLAYLIST

GOMEN-NASAI
RINGO NO HANA WA SAITA KED
MUSUME SENDO-SAN
RINGO MURA KARA
OTOMI-SAN
WAKARE NO ISOCHIDORI
INA NO KOI-UTA
YU-HI WA HARUKA
HIBARI NO MADOROSU-SAN
ORANDDA YASHIKI NO HANA
RINGO OIWAKE
YU-HI AKAI HO



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陽の恵み、トナーダ

2006-10-19 03:00:03 | 南アメリカ


 ”La Tonada・El Himno De Cuyu Vol.1”

 アルゼンチンは中西部に展開するサンファン、サンルイス、メンドーサの3州は、まとめてクージョ地方と呼ばれているようだ。そこはワインの産地として名高く、”ワイン街道”なる素敵なルートも開けているそうな。

 さすがは”産地”だなあ。そんな、太陽の恵みをいっぱいに浴びて育ったワインの芳香そのもの、みたいな音楽がクージョ地方にはあった。このアルバムに集められている”トナーダ”なる優雅な八分の六拍子、いかにも鄙びた土地において営々と愛されてきた、そんな手触りの大衆音楽である。
 
 土地柄といってしまえば、そりゃ南米はどこでも同じだよ、となってしまうが、クージョ地方はギタリストの名産地でもあるとか。

 まさにそれを証明するごとくの、有名無名の弾き手が聴き進むうち続々と登場し、それぞれに華麗なるギターの響きが畳み掛けるように繰り出され、そして伸びやかなリズムと甘美なコーラスが広がる。

 そのさまは、まるで太陽に向けて手を伸ばし、どこまでも伸びて行く樹木の生命力を想起させる。まさに大地の豊饒がワインのビンから吹き零れる、その瞬間を、そのまま音楽にしたような。

 行ってみたいな、太陽でいっぱいのワイン街道。まあ、酒を飲みたいのか音楽を楽しみたいのか、どちらがどちらやら。いや、両方だよ。




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