ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

ラップランド想い年越し

2005-12-31 02:39:40 | ヨーロッパ


 ヨーロッパ北端はスカンジナヴィア半島に、太古、ゲルマン人たちが入るまでに住んでいた、いわゆる先住民族でありますところのサーミなる民族がおります。現在は北欧三国とロシアの4カ国に別れて主に北極圏あたりの”ラップランド”に住む、その人口三万余りの少数民族、という立場にあるのですが。

 そのサーミ民族の伝統文化継承運動において主導的立場におりますサーミの詩人であり歌手である、Nils-Aslak-Valkeapaaがもう10数年前に出したアルバム、”Beaivi,Ahcazan”は衝撃でした。サーミ民族の間に伝わる”ヨイク”なる音楽に今日的アレンジ(かなりプログレ色濃い)を施した作品なのですが、Nils の狼の遠吠えの如き迫力の野太い歌声によって執拗に繰り返されるプリミティヴなメロディと、太古の闇の底から聞こえ来るようなパーカッション群の響き、この呪術的音世界に、こちらの心の底に眠っていた原始の血の騒ぎを呼び起こされるようで、すっかり私はヨイク音楽のファンとなってしまったのでした。

 トリコになったのはいいのですが、このヨイクなる音楽、かなり不思議な音楽であるのも確かで、そもそも歌詞を持たないのが原則、なんて声楽もめずらしいではないか。ただただ極めてシンプルな、というか原始的なペンタトニックのメロディをヨーデルの如き要領で空中に呼ばわるのみ。
 いわゆるボーカリゼーションとでも呼ばれるジャンルに入るのでしょうが、芸術上の意図があって歌詞を省いたのではなく、もともと存在していないと言う、その理由が分からない。ものの本など紐解いても「謎の音楽である」に始まり「謎はますます深まる」なんて記述に出会ってしまったりで、要領を得ないこと、おびただしい。

 ・・・で、その後、先に述べましたように10数年の歳月が流れたのですが、いまだにたいした文献にも出会えず、いやまあ、あんまり真面目に資料漁りもしてこなかったこちらの怠惰ゆえってのが大きいのですが、ヨイクに関する知識はさっぱり深まらず、まあもうどうでもいいや聞いて気持ち良ければ、なんていい加減な地点に落ち着いてしまっている昨今の私なのでありました。

 そんな訳で取り出だしましたるこのCD、Nils が先のアルバムに続いて世に問いました作品、”Eanan,Eallima,Badni”であります。いやあ、これももう10数年、冬越えに使っているんだなあ・・・そうなのです、このヨイクって音楽、冬の夜空を見上げながら一杯やるなんて時には最適の音楽なのですねえ。

 このアルバムのオープニングは、オドロオドロのパーカッション群ではなく、ラップランドの凍てついた夜空を流れ渡る銀河の雄大な姿を想起させるシンセの音、そして朗々と響くNils の歌声・・・聴いていると、太古のサーミ人たちが手彫りの木船を操って大宇宙に向かって漕ぎ出して行く、そんな幻想が私の脳裏を横切ります。太古の人々が大自然と行っていた魂の対話が再現されているような。
 今年も私はこのアルバムと若干のアルコールをお供に浜に出て、地球がその公転の軌道を次の年用に入れ替える、そのひそかな音に耳を傾けようと思います。それでは・・・

 (PS.冒頭に掲げたのは、同じNilsの作品ではありますが、文中では触れられていない”ウインターゲーム”なるアルバムのジャケです。こちらの方がラップランドの風景が分かり易いかと思いまして)




ハナミズキの探求

2005-12-30 03:50:18 | 音楽論など


 ずっと気になって仕方がなかったのだ、女性歌手の歌う、一人称が”僕”である歌って、なんなのだろう?と。何のために性を逆転して歌を歌わねばならないのか?そのあたりになにごとか、この世の謎のすべてを解く鍵が潜んでいるような気がしてならなかった。一度、分析してみねばならんと考えていた。

 たとえばここに、女性歌手である一青窈が自ら作詞し唄う、「ハナミズキ」なる歌がある。

 >薄紅色の可愛い君のね 
 >果てない夢がちゃんと終わりますように
 >君と好きな人が百年続きますように

 この辺りが注目部分である。その前段に、「僕の我慢がいつか実を結び」なる文言が置かれている。ここでの語り手は”僕”である。一青窈は、女性でありながら、一人称単数を男性に設定して、この唄を作り、歌った。なぜ?
 その”僕”は、彼の想い人であるらしい”君”が、他所の男との”百年続”く恋愛を成就させることを、祈っている。お人よしにも、想う女が他の男と結ばれるのを。そういう歌である。一見。

 これは謎だらけの歌で、どう受け取ればよいのか、理解に苦しむ部分は多々ある。
 なぜ、歌い手と歌の中の語り手の性が逆転しているのか。なぜ、語り手の”僕”は。こんなにもお人よしなのか。その語り手に、男性としてのリアリティがかなり希薄なのはどうしてか。いや、男性としての、というより人間としてのリアリティが希薄である。まるで、視線だけの存在かと感ずる。
 また、”君”が想う”好きな人”も、一応いることになっているだけで、歌における存在感はますます薄い。具体的な人間像は、まったく浮かんでこない。なぜか。
 にもかかわらず、一人、”君”に関してのみは、ハナミズキの花に仮託し、歌の全段に渡って描写が行われている(”空を押上げて手を伸ばす””薄紅色の可愛い”等々)のも不思議だ。そもそも歌い手の一青窈は、一体、歌の中の何に感情移入をしつつ、唄を歌っているのか。

 以上の疑問に関し、私なりの考察を書く。

 この歌に出てくる”君”の正体は、一青窈自身なのではあろう。
 彼女は、彼女がする恋愛が、”ちゃんと終りますように”と、つまり、無事に成就し、しかもそれが百年続くのが理想であると祈る、そんな唄を歌おうとした。が、そのようなことを真正面から唄うのはあまりにベタであり、それを恥ずかしく感ずるのが現代を生きる者の羞恥心のありようである。

 だから彼女は、自分の想いを”君”なる”風景”に、まず仮託した。次に、それを見守る者としての”僕”を置いた。性の転換は、一青窈に対する”僕”の第三者としての立場の形成の意味があるのではあるまいか。
 そして一青窈は”彼”に、まるで三角測量を行うように”君”と”君の好きな人”を見守らせ、そして唄わせた。”君と君の好きな人が百年続きますように”と。
 これでもう、「百年続く確かな愛の成就」なんて願いを、すれっからしの同時代人に突っ込まれ笑われる危険はない。歌の表面を”他人が勝手に言っていること”にしてしまったのだから。

 男性として、人間として、語り手の”僕”にリアリティがないのも無理はない。そもそも”僕”なんて人間は存在せず、そこにあるのは一青窈がその場に置いた、ただの鏡に過ぎないから。その鏡に、彼女は自ら語らせた。「僕の苦労がいつか実を結び」と。鏡自身も、”君”の幸せを祈っているのだ。彼女への無償の愛を自身の喜びとしているのだ。そのような設定を与えたのだ。だから鏡は、一青窈が「見たくない」と感じるもの一切を映し出す危険がない。また、”君の好きな人”の存在感のなさは、この歌が一青窈の恋愛論であり、具体的事象に関わるものでないことを現している。

 かくの如きさまざまな仕掛けを施した結果、ようやくにして彼女は自らの恋愛への憧憬をおおっぴらに歌い上げることを可能にしたのである。自意識が鋭く尖ってゆく一方の現代、歌一つ作るのも、なかなかややこしい。あっと、今挙げたすべてを一青窈が意識的に行ったとは、わたしは思っていない。むしろ、表現者としての彼女の嗅覚のようなものが無意識にそのような表現を選んだ、と解釈すべきだろう。




2005年CD年間ベスト10

2005-12-28 04:41:12 | 年間ベストCD10選


1) CONGOTRONICS by Konono No1 (Congo)
2) CEASEFIRE by Emmanuel Jal & Abdel Gadir Salim (Sudan)
3) LA BONNE AVENTURE by L'attirail (France)
4) CUADROS TANGUEROS by Pablo Agri Sexteto (Argentina)
5) KEMBALI MENEINTAIMU by Mayang (Indonesia)
6) SON DE MADERA by Los Orquestas Del Dia (Mexico)
7) SMOKIN' CLASSICS by Smoky Greenwell (USA)
8) SILVER NOTES by Christy Sheridan (Ireland)
9) ZELVOULA by Gramoun Lele (Reunion)
10) RUBY WITH TATOU BAND by Ruby (Egypt)

 まあ、定番の企画ではありますが、我が”ワールドミュージック年間ベスト10”など並べてみました。

 とりあえず2005年のベストとしておきますが、もしかしたら何年も前の作品が混じっているやも知れません。まあ、その辺は「俺が聴いたのは今年なんだからしょうがないじゃないか」と居直っておきます。というか、そもそも資料不足で制作年代の分からないものもありまして。10位の奴なんかレコード会社名らしきもの以外、ジャケに書いてあるのはすべてアラビア文字なんだから、どうにもなりゃしません。

 いくつかの作品については、すでにこのブログでコメント済みですが・・・1位は、以前から噂のみ伝わって来ていたけどやっと音そのものに出会え、即、喝采!アフリカの路上より世界の最先端に突き刺さった一発は痛快の一言でした。
 2位も同じくアフリカ勢。スーダンのラップですが、民俗調のバックトラックともども、アフリカの大河の流れを想起させる雄大なスイング感(?)で持って行かれました。
 3位は「架空の共産圏サウンド」なる擬似非ワールドミュージックのアイディアが、まず傑作!あとは余計な意味付けなど企まずに、虚構の世界の馬鹿げた冒険を楽しもう。
 4位。弦楽6重奏によるタンゴの幻想世界。こんな風雅な音世界もまた、この世界にはありうるのだな、という・・・歌ものタンゴの古典、「想いの届く日」のインスト版の美しさに、しばし陶然でありました。
 5位。インドネシア・ポップス界に孤高の位置を占める中堅女性歌手による都会派ポップスなのだけれど、作品の中ほどに収められたジャワ旋律の古典がすべてを「それでは収まらない何か」へと強力な求心力を持って押し上げている。崇高なる仕上がり。にもかかわらず、ポップス。
 6位。これは私にはまったく未知だったメキシコのローカル・ポップスなのだけれど、ヨーロッパより流入したラテンの要素とアフリカより連れて来られた黒人音楽の激突の瞬間のヒリヒリした感触がいまだ鮮烈に息ずいているようで、その生々しさにドギマギ。
 7位。多言は無用。メチャクチャかっこ良いブルース・ハーモニカです。ブルースへの愛情、再燃でした。
 8位。マンドリンとバンジョーによって、美しいアイリッシュ・トラッドのメロディを慈しむように奏でる。ただそれだけ。いや、それ以外、何が必要と言うのだ。桃源郷の音楽です。
 9位。インド洋の果て、マダガスカル島に寄り添うように浮かぶ小国、レユニオンの、その成り立ち、大いに興味深いローカル・ポップス。旅先でふと立ち寄った田舎の祭りみたいな素朴な手触りがいとおしいです。
 10位。詳細を知らないのですが、なんでもエジプトのアイドル歌手とのことです。アラブ・ポップスの伝統的要素とテクノやドラムン・ベース音との混交。そしてその狭間に響く、クネクネと官能的なルビー嬢の歌声。ひたすら妖しい世界です。


 以上、訳の分からない盤ばかり並べまして恐縮ですが、皆さんがこれらの音に何かの気まぐれからでも接するきっかけになってくれたらと祈りつつ。
 (冒頭に掲げたのは第10位のルビー嬢のアルバムのジャケ写真です)





スーダンのラップを聴いて考えたこと

2005-12-27 02:52:03 | アフリカ

 ”CEASEFIRE” by Emmanuel Jal & Abdel Gadir Salim

 エジプトの南とでも国の位置関係を紹介すればいいのか、スーダンの撥ね返り系ラッパー、エマヌエル・ジャルが、かの国の伝統音楽系ベテラン・ミュージシャン、アブドゥル・カディル・サリムの作り上げた民族色濃厚なサウンドに乗ってラップした一枚。

 どれほどの裾野があるやら、レベルはどうやら?スーダンのラップ界の事情は分からないが、まあ、こういうものは最初の一枚は結構面白くなります。これまでの経験から言うとね。大きく外したものはそもそもこちらが聞けるような場に出てこないだけかもしれませんがね、もちろん。しかしラップというもの、どうも出ウケの一発芸みたいなところはありますまいか?まあ、よく知らない世界をあれこれ論ずるのはやめておくが。

 この一枚も期待にたがわず面白い出来になりました。そもそもスーダンという国が、国内にアラブ・アフリカとブラック・アフリカを抱え込んだ、なかなか興味深い国である訳で、カディル・サリムの、かの国のなんだか底なし沼みたいに得体の知れず奥深い(こちらに知識がないだけなのだが)民族色を豊かに表現したサウンドに乗って、どちらかと言えば無気力系のけだるいジャルのラップがノタノタと繰り出されてゆく様、まるでこのような音楽がスーダンには古くから存在しているのでは?と、ごく素直に信じ込まされてしまう自然な出来上がりとなっている。
 雄大なアフリカの大地やら、そこを流れるナイルの源流あたりで牛を追って生きる人々の息使いなどが悠然たるタイム感覚で描き出されて来る感じなのだ。

 こいつはなかなか傑作ではあるまいかフムフム、などと聞いていた私なのだが、さて、このような音楽が我が国において存在しうる可能性は?となると、ほとんどゼロに近いだろう。日本の伝統的な音の今日的展開って奴。

 その種の試みは、何となく成功しやすく思われるのであろう沖縄辺りを中心に数多く成されてきているわけだが、「1と1を足したのだから2になる筈なのである」みたいな無理やり納得系(?)の結果しか出ていないように思える。少なくとも私は、こいつはカッコ良いや!とシンプルに乗せられた音楽って出会ったためしがないぞ。ミュージシャンだって、この方面の成功にすっきり喜べた経験って、実はないんじゃないですかね?

 たとえば「日本人たる自分に目覚めた」ベテラン・ロッカー氏が自分のステージに、フンドシ一丁で鉢巻締めた和太鼓叩きのオニーサンを引っ張り出して、彼のたたき出す祭りのリズムとロックのサウンドとの強引な混合とか行ってしまう。で、「ああ良かった良かった、いやあ、日本人の俺の血が求めていたのは、こんなサウンドだったんだよ、いやあコンサート大成功、みんなありがとう」とか何とか言って握手して廻るんだけど、彼の心の底に一掻き、「これ、なん違くないか?ほんとに俺のやりたい事か?」みたいな違和感って、残る筈なんだ、そうならなかったら表現者としての感受性ゼロと言わざるを得ないだろう。

 いやそもそも「日本人なんだから日本的なものをやろう」なんて発想自体がすでに不自然であるのであって。その時点で負け戦は決定済みなのであって。ではどうすればいいのかって?分かりませんよ、そんなこと。解答は、あと30年くらい待ってくれるか。






マシューの航海地図

2005-12-26 04:09:28 | ヨーロッパ

 マシュ-・フィッシャ-などと言ってもピンとくる人もあまりいないかと思うが、プロコルハルムの「青い影」のオルガンを弾いてる人と言えば、少しはマシな反応が返ってくるだろう。
 彼は、69年度のアルバム、「ソルティドッグ」を最後にプロコルハルムを脱退後、私の知るかぎりでは、の話だが4枚のアルバムをリリ-スしている。

1)Journey's End (73)
2)I'll Be There (74)
3)Matthew Fisher (80)
4)Strange Days (81) 

 20年間に4枚だから、まあ、寡作と言えよう。と言うか、そもそも彼の作品、あまり話題になった事もないし、売れたとも思えないから、このペ-スでしか出せなかったと考えるべきなのかも知れない。音の方も、そこはかとなく「B級」の雰囲気が漂い、歴史の闇に忘れ去られて行く宿命のミュ-ジシャン、なんて言葉も浮かんでくるのだが・・・

 そんな彼の音楽、私は結構ひいきにしているのだ。一言で言えば、プロコルハルムからR&Bっぽさを抜いたような音楽をやっているのだが、彼の書く、いかにもヨ-ロッパ的な、独特の陰りを帯びたメロディは、なかなかおいしい。もともと歌手ではないので、歌声の頼り無さは仕方がないのだが、それさえも、メロディの底に流れる哀感とクロスすると、むしろ効果的に感ぜられたりする。そして、あの特徴ある響きのハモンド・オルガン。いやあ、いいよなあ・・・

 レコ-ドリリ-スの年度を見ると、バンド脱退の勢いでアルバム2枚をリリ-スしたものの、あまり売れず、80年代に再度勝負に出たものの、やっぱり売れなかった、そんな筋書きが浮かんできて、そして多分、それで間違っていないと思う。4枚とも、発売年度は違えど、音楽性はなにも変わらず。どれも同じようなサウンドだ。時の流れには、多分、1stリリ-スの時点ですでに乗り遅れている。自分の殻に閉じこもった音楽しかやって来なかったのだから、売れないのは、まあ、自業自得というか、当然引き受けねばならない運命だったろう。

 私が昔買ったアナログ盤の「ソルティドッグ」の解説を、なぜかあのユ-ミンが書いていて、そこで彼女はマシュ-・フィッシャ-を、「私にもっとも大きな影響を与えたミュ-ジシャン」と紹介している。言われてみれば、その教会っぽい(?)コ-ド進行やウェットなメロディ・ラインなど、彼とユ-ミンの音楽性、似ている部分が多いといって言えなくもない気もしてくる。特に、マツト-ヤではなく、荒井由美の頃。これ、ひょっとしたらマシュ-・フィッシャ-にとって、「青い影のオルガン」以降、最大のメジャ-な話題なのかも?

 ・・・といった、情けない側面も含めて、私は、マシュ-・フィッシャ-を偏愛するものである。(何やってるんだろうなあ、彼は今?)




香港式冬日浪漫

2005-12-25 04:10:11 | アジア

 あの頃。と言ったって分からないでしょうが、あの香港が99年に及ぶ「借り物の時間」を終え、中国に、というか北京政府に”返還”されるその運命の時が数年後に迫っていた、そんな時期、私は心あるワールドミュージック・ファンに顰蹙買いながら、その香港のヴィヴィアン・チョウなる女性歌手のCDを集めていたのだった。
 ヴィヴィアン・チョウ。漢字で正式名を書けば”周彗敏”である。これを広東語で発音すればチュウ・ワイマンとなる。この発音で呼ばれるのを彼女はひどく嫌っている、などという噂を聴いたことがある。なぜですかなぜですか。知りませんが。この噂自体がどこまでほんとやら、みたいなものだけど。なんか好きだわ、この話。

 なぜ彼女のCDを集めるゆえに顰蹙など買うかと言えば、彼女が特に歌の上手い歌手でもないせいでしょうかねえ。実際、彼女は香港では当たり前の芸能人のありようである”歌う映画スター”だったのだが、まあそのルックスで女優としての評価の方が高かったのではないですかね、その唄の実力をあんまり褒める人はいなかった。
 そして私はといえば・・・まあ、こんなところでぶっちゃけ話もなんですが、私は彼女を”巨乳アイドル”として支持していたんですわ、いや、申し訳ない。でも実際、写真とか見るとねえ、なかなか・・・とはいえ、そんな次元の低いファンぶりも我ながら情けないような気もして、そのような”ジャケ買い事情”は公言しなかったんだ、当時は。
 まあでも、私のように”巨乳評価組”にしてみれば、彼女のようなキャラはむしろ歌なんか下手でいてくれたほうが、なんかリアルで按配がよろしい、みたいな気がしないでもなかったなあ。いやまあ、私のスケベ話など延々書いても意味ないですが。

 そんな彼女の、私が聞いた範囲ではの話ですが、いちばん好もしく感じられるアルバムがこの”冬日浪漫”であります。タイトル通り、冬の、それもクリスマスから正月へかけてあたりの感傷が歌われている。まあ、あんなにも南の香港における冬の日って、あんまり切実なものがイメージできないんだけど。
 でもそれなりに、曇りガラスの向こうをすべてのものを凍えつかせて渡って行く季節、時の流れ、そんなものの気配や、その中の人々の暮らし、喜怒哀楽などなどが、アクの強い広東語によるアメリカン・ポップスや日本のニュー・ミュージック(の、時代でした)のカバーなどを織り交ぜつつ、彼女のたどたどしい歌唱で描かれて行くのを聴くのは好ましいものでした。

 とうに中国に返還されてしまった香港。なんだかこちらとしても、たいした理由もなしに入れ込む気合のようなものを失ってしまって、結構好きだった香港ポップスを聴かなくなってしまったんだけど、ヴィヴィアン・チョウはどうしているんだろうなあ。あれから世界はダイナミックにその様相を変え、そんなローカルな芸能の話題などに振り向くこともせずに未踏の世界へ突き進んで行ってしまった。そんなこんなで成すすべもなく時は流れ、今年も暮れようとしている。そろそろ一年一度”冬日浪漫”を引っ張り出して聴いてみる時期だなあ。






「ホタル」・批判

2005-12-24 02:00:48 | その他の評論


 木曜日の夜、深夜のテレビで高倉健主演の「ホタル」って映画を見ていたわけですよ。これがまあ、いつ作られた映画か知りませんが、なんともはや・・・

 健さん、太平洋戦争当時に特攻兵だった、が、戦友は戦いに散ったが彼自身は出撃命令はついにくだらず生き残った、なんて設定ですわ。で、高倉健は当然、心の中でそれを引きずっていますな。けどそんなことはおくびにも出さず、寡黙に漁師の仕事に精を出している。昭和天皇崩御(そうか、あの頃、作られたのか)に絡めて、元特攻隊委員のコメントを取りたい新聞記者(これが「朝日新聞の記者」と再三強調されるのは、意味あるんでしょうね。ヨミウリでもサンケイでも東京スポーツでもない。アサヒシンブン)なんかがやって来ても、話すことは何もないとそっぽを向いている。まあ、そんなキャラ設定。

 演ずる高倉健にしてみても楽勝の役柄、見る側の健さんファンも見慣れたパターンで何も考えずに安心して見ていられるって感じの映画ですね。
 登場人物も物語りもことごとくその方向に見事に割り振られていまして、健さんファンに軽蔑されるために出てくるアホ役やら、いかにも絵に描いたような古典的な”けなげで可哀相な妻”などが要所要所に配されております。お定まりの役振り、定番のストーリー。観客の期待は何一つ裏切られることはない。新しいことは何もやらないようにしていますから。観客、新しい事物なんか見たいと思ってませんから。

 で、結局、すべては「健さん渋い、かっこいい!」に収束して行く仕組みになっている。なんかこれってさあ、「ウルトラマンの怪獣退治」とドラマツルギーにおいて何も変わることがないって気がするんだけど、あなた、どう思いますか?

 そしてなにやら物語の運びの次第で、高倉健は、かって特攻兵となって”大日本帝国”のために死ぬ羽目になった朝鮮人の特攻兵の遺族に会いに海峡を渡る。彼の遺言を彼の家族に伝えるためなのです、これが。気の重い任務ですが、もちろん、健さんの耐える男のかっこ良さを演出するのが狙いですな。
 そしてそこでも、「はじめは日本人が来たというので敵対的だった韓国の人たちも、健さん扮する元特攻兵の誠意ある態度に、次第に心を開いて行くのでありました」となる訳です。都合良過ぎやしないか、話が。

 人情話でごまかしつつ、結局正当化してるんですよ、大日本帝国が朝鮮半島の人たちを特攻隊に狩り出した事実を。「自分は朝鮮人民としての誇りを持って特攻に赴いたのだ」とか朝鮮人特攻兵に遺言として言わせる事によって。ひどい映画だよ、これ。人々の高倉健に寄せる安易な感傷に便乗して、特攻を賛美し、日本のかっての朝鮮半島領有も正当化するというあからさまなゴリ押し作戦であり、相当にたちが悪い。

 そして映画終了直後、テレビは近日公開の映画、「男たちの大和」の大宣伝に突入するのでありましたとさ。うん、そんなことだろうと思った。で、「大和」を見終わったバカな高校生の涙のインタビューなど挿入されて、一同めでたく舞い収める。と。
 昨今のワカモノたちは、涙にさえ持って行けば楽勝ですべて判断停止してくれるから楽でいいでしょうなあ、政治家の皆さんも・・・





我が沖縄事情

2005-12-23 03:01:24 | アジア

 沖縄の音楽が苦手と言うのは、ワールドミュージック・ファンとしては、相当に珍しい趣向なのかも知れない。けど、どうも私は苦手なのですねえ、かの地の音楽が。
 これには、「猫嫌いの人は、本当は猫そのものが嫌いなのではなく、猫好きの人間が嫌いなのだ」なる説があるけれど、それに近い事情があるのである。まあ、もったいぶるような話でもなし、ぶっちゃけで言ってしまうが、沖縄音楽を紹介する人や沖縄に入れ込む人の姿勢が疑問だったのだ、私の場合。

 沖縄の音楽を紹介する際に、そのシンパの人が決まって言うには。沖縄の音楽こそが優れたものである。沖縄の音楽家は例外なく偉大な芸術家である。沖縄では、すべての人が優れたミュージシャンである。日本人が忘れてしまった本当の歌が、沖縄だけに生き残っている。
 あなた、沖縄の音楽に接する際、その紹介者たちの上のような言質に出会い、うんざりしてしまった経験てありませんか?私にはある。”2ちゃんねる”風に言えば、その手放しの”マンセー”ぶりにウンザリしてしまったのである。

 なにしろ沖縄音楽普及に入れ込む人って、おとなしく話を聞いていればそのうち、「ともかく、沖縄のものだから優れているのだ。疑問を差し挟む奴は許さん」とか言い出す。いると思うよ、沖縄にも、音痴の奴も音楽そのものが嫌いな奴も。
 ここに、沖縄を語るのが大好きな、と言うより、それにすがって生きているみたいなサヨクの人なんか絡むとうっとうしさは果てしなく。沖縄人にあらずば人にあらず、みたいな話にさえなって行くんだからなあ。
 こういうのを贔屓の引き倒しって言うのでありましょう。そんなヒトビトのおかげで私は、すっかり沖縄音楽が嫌いになってしまった。

 さらに沖縄崇拝話を遡れば。
 なぜ、「お前らはヤマトンチュー」とか罵倒された挙句、「本当の沖縄をお前らの胸にちゃんと沈めて欲しいのさ」などと大阪府出身のフォークシンガー、中川五郎に歌で説教されなければならないのだ、静岡県民の私や長野県民の碓井や北海道民の関谷が、という話もある。なんかおかしくないか、これって?いや、いきなり話が30年以上前の反戦フォーク怨念話に遡ってしまって恐縮だが、でもこの答えはいまだに受け取っていないんでね。一応書いておく。

 そんな次第で沖縄音楽に距離をおいてみる立場になってしまった私には、沖縄のミュージシャンって皆、あまりに沖縄に耽溺しすぎているように見える。”沖縄であること”で事足りてしまっているんだなあ。その先が何も見えてこないんだなあ。そんな気がしませんか?と言ってみたって共鳴してくれる人もいないのかも知れないが。
 そして、そんな私が唯一、好きだった沖縄のミュージシャンが、先ごろ亡くなった照屋林助氏だったのだ。林助氏は沖縄の伝統をしっかと踏まえつつ、しかもそれのみにとらわれることなく、自身の音楽によって自由に宇宙を飛び回っていた。しかも何も力まず、飄々として。
 あんな人が続々と出て来たら、私の沖縄アレルギーも治癒するんではないかと思う。そりゃ、簡単なことではないだろうけどね。




いまどきボサノバをジャズの一種とか言う奴をどうしたら良いか会議覚書

2005-12-21 03:35:44 | 南アメリカ

 ”Terra Brasilis”by Antonio Carlos Jobim

 某所の書き込みに、「ボサノバっていうのはブラジルなどラテン系の血がチョット混じったジャズなんですが」なんてあったんで、その雑な音楽理解に唖然。いまだ、そんな事言ってる奴がいるんですね。
 あれはブラジル国籍の独立した音楽であってジャズなんかじゃない。なんてことは特にボサノバについて知識を仕入れずとも、普通に音楽を聴く耳を持っていれば分かることでしょ?

 それが出来ないってのは、アメリカ中心のものの見方、世界理解で事足れりとして生きているバカで無神経な人間だから、と断定させてもらおう。他に考えようがないじゃないか。ああ、あんな物言いに出会うのが一番不愉快だな、ワールドミュージック・ファンとしては。
 晩年のアントニオ・カルロス・ジョビンが「ボサノバはジャズの一種なんかじゃない。リオの海岸に打ち寄せる波の間から生まれた、ブラジル独自の誇るべき音楽なんだ」と昂然と胸を張って言い放った、その心意気をなんと心得る!とかいったって、そういう手合いには通じはしないんでしょうな、うん。私が何に腹を立てているのかさえ理解出来ないに違いない。

 こういう御仁って、スタン・ゲッツなんかがやったやつを聞いて、それがボサノバのすべてだと信じ込んでるのか。いやいや、それだけ聴いたって、「ボサノバっていうのはブラジルなどラテン系の血がチョット混じったジャズ」なんて理解は出てこないでしょ。それが「アメリカ人ミュージシャンが一時借用した、異邦の音楽の舞台装置」である気配は感じ取れると思うよ、ほんのチョットの感受性さえあればね。
 にもかかわらず。あくまでも主体は「ジャズ」であり、「ラテンの血」なんぞは、どこやらから紛れ込んでくる外道でしかない。「その逆」である可能性などはハナから考慮に入れることがない。

 そんな風に「アメリカ=普遍=すべて」を髪の毛一筋も疑わないもののとらえ方がすなわち、アメリカ軍が自分たちの都合で世界中いたるところに劣化ウラン弾のタグイを撃ちまくり放題、それを異常とも考えない、そんな国際世論の潮流を根底から支えている。そう思うとハラワタ煮えくり返って来ますけどね。
 日暮れて道遠し、なんて言葉がよみがえってくるなあ。ナイジェリアのイスラム系音楽がどうの、ギリシャのポップスがどうの、なんて話をここでいくらしてみても、これじゃあ仕方がないですよ、ご同輩。いやまあ、それでも諦めずに歩いて行きますがね。





ハエ男ヘンリー

2005-12-20 05:26:25 | ヨーロッパ

 ”Henry the Human Fly”by RICHARD THOMPSON

 う~ん、ついに聴いてしまったけどあんまり乗れなかったです、リチャード・トンプソンの新しいアルバム、”Front Parlour Ballads”は。
 あっと、この”乗れなかった”と言うのは主に私の側の事情によるものなんでね、あなたがリチャード・トンプソンの熱心なファンで、これまでのアルバムも興味深く聴けていたのなら、多分心配はない、きっと今回のアルバムも楽しんで聴くことが可能でしょう。すでに「傑作!」の声をあちこちで聞いていますしね。

 なんと申しましょうか、私は”Henry the Human Fly後遺症”とでも言ったら良いような状態にあるんです、70年代このかた。リチャードの新譜が出るたびにあのアルバムに迫るような作品になっていはしないかと胸ときめかせ、そして期待を裏切られて、まあ勝手な期待なんですが、ガックリ来る、そんな事を繰り返してきた。

 70年代初頭、ユニークな”トラッド・ロック”の地平を切り開いたばかりのバンド”フェアポートコンベンション”から、「さらに自分なりのトラッドを極めたい」とか、そんな理由で脱退し、その最初の成果としてリチャードが世に問うたのが、アルバム、”Henry the Human Fly”でした。

 このタイトル、「ハエ男ヘンリー」って、なんなんでしょうね?アニメのヒーローかなにかなんだろうか?これには、自らに寄せられているであろう頭でっかちな期待を一発はぐらかそうとした、そんなニュアンスがあるんじゃないかと想像してるんですが。
 いずれにせよ、地味な学級肌のミュージシャン、というトンプソンのイメージを大幅に裏切る馬鹿げたハエ男の扮装に身を固めたジャケ写真には一本取られた気分になったものでした。そしてその内容といったら。

 一人のミュージシャンが、その才能のもっとも輝ける瞬間に時代の最先端と切り結んだ、とでもいうんでしょうか、まさしくこのアルバム制作時のトンプソンはそんな状態にあった。収められている12曲は、ことごとく大傑作でした。ロックの好きな英国の青年だった彼が、自国のトラッドとの出会いによって手に入れた表現の沃野を縦横に駆け抜けてみせた一場の大活劇の記録とでも言いましょうか。アルバムの隅から隅まで”素晴らしい瞬間”が脈打ち、流れていた。

 リチャードはその後、70年代半ばより、妻であるリンダとのデュオ・チームにより、彼の作品を歌いついで行く事となります。が。私はこの成り行き、あんまり面白くなかった。リンダの歌手としての素養がどうのと言う以前に、リチャードの唄は男声、それもリチャード自身によって歌われるのがベストと私には感じられたので。が、リチャードはリンダとのコンビでステージに立ち続け、アルバムもリチャード&リンダ名義で出し続けました。
 その音楽的キャリアのもっとも素晴らしい時期をそのような形で浪費してしまった、などと言ったら、リチャード&リンダのファンも多いことであるし、あまり賛成票は得られないでしょうが、「リチャードの作品はリチャードの唄で聞きたい」と願う私のような者には、そのように嘆くよりなかったのでした。

 そして・・・その、私にとって見れば困りもののコンビを10年近く続けた後
、リチャードはリンダとの結婚生活にピリオドを打ち、再びソロで音楽をやって行く事となるのですが、もちろんその音楽は時代とともに変化してきている訳で、ソロに戻ったからと言って彼の音楽が即、”ハエ男ヘンリー”の続編となる筈もなかった。

 ともかく私にとっての素晴らしかった瞬間は、アルバム”ハエ男ヘンリー”一枚で終ってしまった、それは確かなのでした。で、そんな私がリチャードの新アルバム発表のたびごとに再度のハエ男の飛来を期待し続けているのは、そりゃまあ、こうして事の次第を文章にしてみると、いかにもないものねだりって感じなのですが、でもねえ・・・
 どうせ別れるんだったら、初めからリンダとのコンビではなく、ソロでやっていてくれたらなあ、とか、せめて今からでもいいから、コンビ時代の曲を彼の歌声で吹き込み直してくれないものか・・・などなど、ハエ男信者のボヤきは終らないのでした。
 それにしても”ハエ男ヘンリー”って、なんだったんだろうなあ、結局?