ヨーロッパ北端はスカンジナヴィア半島に、太古、ゲルマン人たちが入るまでに住んでいた、いわゆる先住民族でありますところのサーミなる民族がおります。現在は北欧三国とロシアの4カ国に別れて主に北極圏あたりの”ラップランド”に住む、その人口三万余りの少数民族、という立場にあるのですが。
そのサーミ民族の伝統文化継承運動において主導的立場におりますサーミの詩人であり歌手である、Nils-Aslak-Valkeapaaがもう10数年前に出したアルバム、”Beaivi,Ahcazan”は衝撃でした。サーミ民族の間に伝わる”ヨイク”なる音楽に今日的アレンジ(かなりプログレ色濃い)を施した作品なのですが、Nils の狼の遠吠えの如き迫力の野太い歌声によって執拗に繰り返されるプリミティヴなメロディと、太古の闇の底から聞こえ来るようなパーカッション群の響き、この呪術的音世界に、こちらの心の底に眠っていた原始の血の騒ぎを呼び起こされるようで、すっかり私はヨイク音楽のファンとなってしまったのでした。
トリコになったのはいいのですが、このヨイクなる音楽、かなり不思議な音楽であるのも確かで、そもそも歌詞を持たないのが原則、なんて声楽もめずらしいではないか。ただただ極めてシンプルな、というか原始的なペンタトニックのメロディをヨーデルの如き要領で空中に呼ばわるのみ。
いわゆるボーカリゼーションとでも呼ばれるジャンルに入るのでしょうが、芸術上の意図があって歌詞を省いたのではなく、もともと存在していないと言う、その理由が分からない。ものの本など紐解いても「謎の音楽である」に始まり「謎はますます深まる」なんて記述に出会ってしまったりで、要領を得ないこと、おびただしい。
・・・で、その後、先に述べましたように10数年の歳月が流れたのですが、いまだにたいした文献にも出会えず、いやまあ、あんまり真面目に資料漁りもしてこなかったこちらの怠惰ゆえってのが大きいのですが、ヨイクに関する知識はさっぱり深まらず、まあもうどうでもいいや聞いて気持ち良ければ、なんていい加減な地点に落ち着いてしまっている昨今の私なのでありました。
そんな訳で取り出だしましたるこのCD、Nils が先のアルバムに続いて世に問いました作品、”Eanan,Eallima,Badni”であります。いやあ、これももう10数年、冬越えに使っているんだなあ・・・そうなのです、このヨイクって音楽、冬の夜空を見上げながら一杯やるなんて時には最適の音楽なのですねえ。
このアルバムのオープニングは、オドロオドロのパーカッション群ではなく、ラップランドの凍てついた夜空を流れ渡る銀河の雄大な姿を想起させるシンセの音、そして朗々と響くNils の歌声・・・聴いていると、太古のサーミ人たちが手彫りの木船を操って大宇宙に向かって漕ぎ出して行く、そんな幻想が私の脳裏を横切ります。太古の人々が大自然と行っていた魂の対話が再現されているような。
今年も私はこのアルバムと若干のアルコールをお供に浜に出て、地球がその公転の軌道を次の年用に入れ替える、そのひそかな音に耳を傾けようと思います。それでは・・・
(PS.冒頭に掲げたのは、同じNilsの作品ではありますが、文中では触れられていない”ウインターゲーム”なるアルバムのジャケです。こちらの方がラップランドの風景が分かり易いかと思いまして)