ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

非在のハバナにて

2012-11-27 03:59:42 | 南アメリカ

 ”Mi Linda Havana”by Mateo Stoneman

 ひょんなことからキューバ音楽に魅せられてしまったアメリカ白人男性、すっかり彼の地の吟遊詩人になりきって、ハバナの夕暮れの甘美な夢を歌う。
 というものであるらしい、この一枚。スキモノの間で噂の一枚。
 こういうのも、例の”フィーリン”のジャンルになるんですかね。この、甘く優しい、バラードの世界。

 私が勝手に作り出した”フィーリンの評価基準”というのがあって、まず、甘く切ないバラード専門でなければならない。気ぜわしくやかましいアップテンポの曲なんて、一曲もいらない。
 で、男性ヴォーカルであるべき。女性ボーカルでは華麗に過ぎます。どちらかといえば男子ボーカルの、ある種申し訳なさをどうしても孕んでしまう負の存在感が、ここでは良い味付けになる。
 もちろん、パワフルである必要なんてまるで無し。ひたすら非力な色男の粋筋を通して欲しい。

 さらに伴奏。これは薄ければ薄いほど良い。ギターやピアノのみがベスト。それも歌手本人の弾き語りであったら、もう言うことはない。
 歌であるが、”粋”であって欲しいがいわゆる歌唱力は必要ない。むしろ邪魔だろう。たどたどしいくらいでちょうど良いのではないか。もちろんその底に、繊細すぎてあっけないほど壊れやすい蒼いセンティメントが、感傷が溢れそうになっていなければ、お話にならない。これは大前提だからね。

 なんてことを並べているが、別に普遍的な評価基準と言い張る気など毛頭ない。当方が個人的にそのようなものを聴きたいと念じているだけの話。
 で、さて、このような当方の好き嫌いの基準に、いい具合に付き合ってくれているストーンマン氏なのであるが、そもそも彼とは関係のない土地であるハバナの街を、うっかりそこの音楽に惚れ込んでしまったのが因果、うろつきまわる羽目になったその姿が、なにやら愛らしく見えるからにほかならない。

 いや、実は、彼が気になり始めてしまった本当の理由は、彼の頼りない裏声が、あのトランペッターにして不可思議ジャズボーカルの巨星、チェット・ベイカーなど連想させたからかも知れない。
 スコンと広がった空間に奇妙な裏声がヒラヒラと迷い出し、ひととき宙を舞い、消えて行く。その有り様が、なんだか場違いな星に漂着してしまって、しかもそんな自分の異変に気がつけない一人ぼっちの宇宙人みたいに見えてくるのだ。




夜のフィーリン、その他のフィーリン

2012-07-29 02:07:13 | 南アメリカ

 ”FEELING FEELIN'”by VARIOUS ARTISTS


 ”ワールドミュージックの時代”の曙の頃とでも言ったらいいのかな。それまでロックとかブラックミュージックを聴いていた連中が、サルサの我が国への本格的紹介がなされたりしたのを契機として、カリブ海の音楽への注目をし始めた時期。
 皆は、「つまり、総本山はキューバのようだな」ってな事の本質を素早く嗅ぎつけ、いわゆるアフロ=キューバン系の音楽に入れ込むのが正道、みたいな空気が流れ始めていた。「極寒のニューヨークの深夜に響く熱帯のクラーベのリズム。ニューヨーク・サルサは鋭く状況をえぐっている。そしてその源流はキューバにあるのだ」とか言っちゃってね。

 そんな頃、私はあえてサルサとか聴かないで、ヘソ曲げてカリプソとか聴いていたのだった。だってさあ、そんなキューバ方面の音楽のもてはやされ方が、なんか気持ち悪かったんだもの。
 「キューバ音楽こそ民衆の生のエネルギーに溢れた音楽、正しい音楽である。これを聴いてこそ良心的音楽ファンといえよう」みたいなさあ。そんなのさ、嫌じゃないか。いつのまに音楽の評価の基準が「正しいか正しくないか」になってしまったのか。俺、正義の実現のために音楽ファンになったんじゃないよ。その音楽がかっこよかったり、それを聴くのが最高に気持ちよかったりしたからさ。断じて、音楽が正義の味方だったからじゃない。

 ああいう価値観ってやっぱり、中村とうようさんあたりが発生源だったんだろうか?それとも、もっと以前から存在している考え方か。
 同じような”正義の音楽”扱いを受けていたからブラジル音楽も嫌いになった。絶対聴いてやらねえぞ、なんて決意を密かに固めていた。思えば、ブラジル音楽やキューバ音楽が悪いわけじゃないんだけどねえ。
 いまだにこれらの反発は尾を引いていて、そのへんの音楽は、他のワールドもののファンの人よりまるで詳しくなかったりする。私が唯一、入れ込んだラテン音楽は、どう考えたって”正義”の臭いのしない退廃美のかたまり、アルゼンチン・タンゴだったりするのだ。

 ほんとにさ、皆は音楽を正義のためになんか聴いているんだろうか?もっと心の中の不定形な、歪んだ欲望や後ろめたさややましさなんかも込みで受け止めてくれる巨大な何か、であったりしないかな、音楽って。
 なんてことを思い返しながら、この”フィーリンを感じて”なる編集アルバムを聴いている。編集者の、「1950年代後半から60年代初めの“フィーリンの時代を感じさせる”録音を集めたのが本CDです」なるコメントあり。決まった形式などない、ほんと雰囲気だけで存在しているような不思議な音楽だ、フィーリン。

 キューバより発した音楽ではあるものの、”革命への志”なんてドスを呑んでキューバ音楽を聴こうなんて”正しい”ヒトビトにはお気に召さないだろう、あからさまなジャズの影響。それも、どうしたってホテルのサパークラブの深夜を想起せずにはいられないムーディなオルガンの響き、なんて方向の影響なのだ。あるいは天より舞い降りる甘美なストリングス。甘く囁くクルーナー・ボイス。
 気怠い夜の向こうに続く酒とバラの日々から立ち昇るセンティメントは一見、あまりに”芸能界”っぽい埃にまみれているように感じられ、それが、”正義”なんかじゃ救いきれない雑多な民衆の切なる願いの結晶であること、気が付けない人さえいるのかもしれない。、



フィーリンな夜に頬寄せ

2012-07-24 03:54:54 | 南アメリカ

"CANTA SOLO PARA ENAMORADAS" by JOSE ANTONIO MENDEZ

 例の映画、”ブエナ・ビスタ”を見ていたら、キューバの老バラード歌手を指して、「彼こそがキューバのナット・キング・コールなんだ」とかいう場面があり、うんそうだ、キング・コールこそが重要なんだと、我が意を得たり、みたいな気分になったものだった。あ、キューバ音楽、ろくに知らないんで固有名詞が出てこなくてごめん。

 音楽の通人となった、なんて自分で信じ込み始めた頃には、ディープなダミ声なんかで泥臭く熱唱する歌手を見つけては、そんな彼の暑苦しいシャウトをこそリアル、なんて思い込んだものだ。が、さらに一巡り音楽の天国と地獄を見て回るうち、甘い声で美しいバラードを歌い上げる優男の歌声にこそ、大衆音楽のホントの凄さが潜んでいると気がつくようになる。
 妖しく空の高みから舞い降りて夜の秘密を包み込む、甘いストリングスの幻想。コロコロとグラスの淵を転がるカクテルピアノの響き。優男は、昔々の秘められた恋歌をビロードの手触りの歌声で繰り出しては、さらなる夜の深みへと女たちを誘う。この甘美な煉獄の果てしない罪深さよ。

 キューバにも、その手のヤバい夜の秘密を歌う音楽の系譜が存在していたというわけだね、フィーリン。その道の開拓者、メンデス氏のこの盤を一枚、しかも今、聴きつつあるだけの状態であれこれ言うのもなんだけれども。
 音楽的には、ラテンのボレロなんかに根があるのはもちろんなんだろうけど、ジャジーなバラード方向に演者の視線は向いていそうだ。この、インプットはラテンの情熱でアウトプットはジャズの粋筋という捻れ現象が深い味わいを、このフィーリンなる音楽に与えているようだ。

 昔からよくする譬え話なんだけど。ここに2枚のディスクがあって、片方には「正しい音楽」が、もう片方には「間違った音楽」が収められている。さあ、あなた、どちらのディスクを聴きたいと思いますか?
 このフィーリンなる音楽は堂々、「間違った音楽」に収められる資格があるだろう。「明るい明日を築こう」なんて呼びかけるつもりは全くなかろうから。ただ甘美な夜の終わりなき誘惑を讃え、罪に堕ちて行くことの痺れるような快楽を歌う。
 だから私は迷わずにフィーリンに付いて行こうと決め、「間違った音楽」のディスクを手に取らずにはいられないのだ。



Lolaの島唄、ビギンの輝き

2012-04-26 01:16:10 | 南アメリカ

 ”LOLA MARTIN”

 という訳で、フレンチ・カリビアンものであります。カリブ海はグァデロープにて1969年の録音とあります。古き島唄、ビギン集。いやあ、実に愛らしい一枚と言えましょうなあ。
 いつまでもしつこく続く冬に対する不愉快気分の表現として、あえて北国の陰鬱な音楽をずっと取り上げてきたこの日録なんだが、このところ妙に暖かかったんで、そんな時にはこういう音も聴いておきたい。

 しかし良いねえ、この音は軽くて。こういう音楽に出会うと私は、タモリの名言を思い出してしまうのだ。いわく、
 「いいねえ、あんたの音楽は。な~んにも言ってなくて」
 言われた相手は井上陽水で、苦笑しながら「いや、何か一言ぐらい言っていると思うんだが」と不満げに呟いていたが。
 この音楽に関しても、「何を言っているんだ。この音楽はいろいろなことを言っているぞ」とお怒りの向きもあるかもしれない。まあ、そりゃそうなんでしょうけど。

 これが同じカリブ海の音楽でもキューバものといいますか、スペイン系のものなんかになると、あのドロッと粘り気のある濃い口のスペインの怨念とアフリカの爆発力とが入り混じって、”血の祝祭”みたいな業の深さがどうしても漂う。
 そこへ行くとこの種のフレンチものは、なにやら小洒落た雰囲気など漂わせながらスイスイと街角を流れ過ぎて行ってしまう感がある。口笛など吹きながら。
 収められている曲目は詠人知らず版権開放ものが大半ですが、メロディラインは、これはカリプソの系列に属するものですな。優雅に上下するクロマティックな音列が心地よい。

 これはさ、確かに実は何か言ってるのかもしれないけど、そんな素振りも見せずに紅灯の巷に姿を消す遊び人の粋に通ずる良さがある、ととらえたい。
 このアルバムの主人公、Lola嬢の歌声も、こりゃアイドル声と言っていいでしょう。立派な歌なんか歌うより可愛がられちゃったほうがおいしいわ、との価値観が楽しげに泳ぎ回っている。バックコーラスの男声陣との掛け合いのシーンも多く、そこにはそこはかとない大衆芸能の楽しさ、胡散臭ささ、などが漂います。
 バックのリズム隊もギターや木管吹きも、結構、ややこしいことやったりもしているんですが、それを押し付けてくる感じではないですな。

 終わり近く、歌謡曲色の濃いマルチニック賛歌(?)から愛らしいワルツに、そして島の祭りにて締め、という構成が気が利いています。ローラの島唄、これで終わりかなあ。もっともっと聴きたいがなあ。

 試聴です。
  ↓

  

フォルクローレ、明日への扉

2011-11-08 00:23:58 | 南アメリカ

 ”Margarita y Azucena”by Mariana Baraj

 長い髪の美女が眼光鋭くこちらを見つめているジャケ写真が印象的です。どこぞの寺院の阿修羅像とか、あるいは私みたいな外れ者は学生時代、クラスの生真面目な女子に「その態度は不真面目だと思います」とかホームルームで糾弾された記憶など蘇ったりいたします。

 これ、アルゼンチンのフォルクローレ界で非常に創造的な活動を行っている女性パーカッション奏者&歌手のMariana Baraj女史、2007年度の作品です。
 このアルバムが三作目になるのかな?もともとがジャズマンの父を持つ彼女、そこからの影響もあるんでしょうか、前作までは伝統的なフォルクローレとフリー・ジャズを混交させた攻撃的な作品を世に問い、世間を騒がせたんだそうですが、私はこのアルバムが初対面なんで、その時代は知らず。このアルバムは、彼女が次のステージに突入した姿を捉えたものといえましょうか。

 取り上げられる楽曲もチリやボリビア、キューバといった南米地域にとどまらず、ケニアやアルメニアといった汎第三世界に視線の行きとどいたものとなっています。 サウンドのほうも、彼女の本職(?)であるパーカッションは当然、パワフルに打ち鳴らされ、親指ピアノやマリンバなどのアフリカ色濃厚な楽器が舞台正面に持ち出され、変則ビートに乗って歪んだシンセの音がのた打ち回る、きわめて刺激的な音作り。
 やっぱり阿修羅像かなあ、とジャケの彼女の顔を見直してしまうんですが、でもその歌声は、落ち着いてよく聴けばやはり良いところのお嬢さんが戦闘態勢に入る、みたいな、ちょいと無理した高揚も感じられると言いますか、底の方には清純なインテリ女性の、あくまで知的な血の騒ぎが透けて見える瞬間もある。

 やはりこういう前衛もの、頭で作った生硬な音楽、といった側面があることは否めませんて。でも、このような作品は彼女が、あるいはシーン全体が今後、盛り上がって行くための一里塚として、やはり必要なものでしょう。
 それにしても、先に取り上げましたトノレク・フォルクとか、南米ではこの種のアバンギャルド・フォルクローレのシーンが存在し、深く静かに盛り上がっている、と考えていいんですかね。こいつは面白そうだと期待していいんだろうか。

 いずれにせよそれらの音楽、ひところ流行った”パリ発ワールドミュージック”みたいに”先進国”の商売人の手が入ったものでなし、かといって北アフリカはマグレブのレッガーダみたいに路上の楽師がゼニ欲しさにドサクサで作り上げてしまったものでもなし。
 その土地の、結構インテリの若者たちが、それなりの理想を持って作り上げていっているものというあたりに1960年代っぽい青臭い輝きを感じてしまって、なんだか私なんかの年代の者は、眩しさに思わず照れ笑いなどしてしまったりするのですが。

 いや、茶化しているのではない、老兵にもいろいろ、長い人生を振り返ってかみ締めるべき苦味もあれば感傷もあると言う、まあこちらだけのお話です。




コルネット・バイオリンが跳ぶ夜

2011-10-07 02:12:40 | 南アメリカ

 ”Javier Casalla ”

 まあこれは・・・「マニアなオタクのお楽しみ」とか言われちゃってもしょうがないだろうね。現地、アルゼンチンではロックバンドとの競演も多いというタンゴのバイオリン弾き、Javier Casalla のこのアルバム、なんとコルネット・バイオリンなんて代物を引っ張り出して来ているのでした。

 コルネット・バイオリンというのは。どこかで見たことがあるんじゃないかなあ。バイオリンのボディをはずし、代わりにホーン楽器の筒先みたいなものを取り付けた異様な外見の楽器であります。
 これはおそらく、コンサート会場のPAシステムとか、あるいは電気楽器とかが発達していない時代に、大きなボリュームの音を出せる楽器が欲しくて開発されたものなんでしょう。

 で、その結果は。確かにでかい音は出るかもしれないけど、なんかバイオリンが鼻をつまんだみたいな癖のある音になってしまって。その後、たいした展開もなく滅びて行ってしまったのも仕方がないんだろうなあ、と。
 そんな楽器をJavier Casalla は持ち出し、このアルバムにおいて全面的に弾きまくる。奇をてらっているのか、この楽器の音がよほど気に入っているのか、なんとも分かりませんが、まあ、オタク以外、そんな楽器をわざわざ持ち出しはしませんわなあ。

 その伴奏部分の音もJavier Casalla は自身で構成しているのですが、これがまた。 すべて彼自身が奏でるバイオリンの多重録音でまかなっている。コルネット・バイオリンに付き従ってハーモニーを奏でるバイオリン、叩きつけるような、パーカッシヴなフレーズを積み重ねて打楽器としての効果を出そうともくろむバイオリン、ともかく、聴こえて来る音のすべてがJavier Casalla の奏でるバイオリンの音。

 なんか聴いていると何台ものバイオリンが群れを作り、グイグイと魚みたいに空間を泳ぎだしている光景が浮かんで来るのですなあ。
 クネクネと体を捩じらせて風に乗り、空高く泳ぎ出るバイオリンの群れ。高らかに弦の音を響かせながら。
 演奏されているのはタンゴの古典的なものが多いみたいなんですが、こうなってくると音楽家として保守なのか革新なのか、よく分かりませんな。いずれにせよ、描かれる音像があまりにも不思議なんで、つい何度も聴き返してしまうんですが。




カディカモの古時計

2011-10-06 02:09:54 | 南アメリカ

 ”Varela Canta Cadicamo”

 アドリアーナ・バーレラといえば、私が時代錯誤にもタンゴを聴き始めた頃にうっかり出会ってしまい、「こんな凄い女がいるのなら、タンゴを聴いてみる価値はある」なんて妙な確信を抱くにいたった、猛女である。
 初めて聴いた、その彼女のアルバムはライブだったのだが、ともかく男女の性別さえ定かではない低音の濁声で、タンゴの秘曲をハイテンションで怒鳴り倒す。客席の罪もないタンゴファンを打ちのめし、二度と立ち上がれなくなるまで、歌いやめることはない。

 そんなハード・タンゴの歌い手として私は彼女を知り、崇め奉り、彼女のアルバムを見つけるごとに購入していた。が、あれこれアルバムを聴くうち、狂騒状態で怒鳴り散らすだけの人ではなく、しみじみと情感を伝える歌い方も出来る人でもあると知るのである。まあ、普通、そうなんだが、何しろ最初に聞いた盤が凄まじかったんで。
 そんな、”しみじみとアドリアーナ”な世界を最初に味あわせてくれたのが、このアルバムだった。

 タンゴの初期にいくつもの名曲を生み出したタンゴの歴史上の人物の一人、エンリケ・カディカモの作品集である。1900年生まれのカディカモは、このアルバムが吹き込まれた1995年の時点でまだ健在で、ジャケ写真に、アドリアーナと肩を並べて譜面に見入る姿を見る事が出来る。アドリアーナも、見たこともないくらいの柔らかな表情で巨匠に寄り添う。良い写真である。
 カディカモの傑作選ということで、当然、アルバムは懐メロ集となるのだが、鉄火肌のアドリアーナは湿度過多に思い出を歌う歌い手ではなく、伴奏陣もあえてノスタルジィを強調することなく、淡々と事を運ぶ。結果、もう主はいなくなったけれど掃除の行き届いた古い家にひととき過ぎた日の風が吹きぬけた、みたいな乾いた感傷が香る一枚となった。

 カディカモは、このアルバムが世に出て4年後にこの世を去る。1900年生まれ、1999年逝去、というのも凄いね。あともう少しがんばって21世紀も見て行けばよかったのに。いや、そうする価値もない”未来世界”か、今日は。後ろ向きの美学のタンゴ世界に生きた巨匠としてはむしろ、19世紀に後戻りして死にたいくらいに考えていたのかもしれない。

 アルバムから、「パリにつながれて」を。
 一攫千金を夢見てはるばるパリにやってきてはみたものの、仕事はうまく行かず、無一文のままなのでアルゼンチンにも帰るに帰れない。そんな出稼ぎ労務者を歌ったもの。今はただ雪降るパリの街で大西洋の向こうの故郷、ブエノスアイレスを想う。
 「タンゴ・ガルデルの亡命」なんて映画では、軍事政権に追われてパリに亡命した人々の心象を代弁していた。



コルドバのガラガラ娘

2011-09-22 03:17:11 | 南アメリカ

 ”TIERRA AGRESTE ”by FLORENCIA TORRES

 そもそもは、あるパンフレットの隅に載っていたこのアルバムの広告を見、ジャケ写真の彼女のビジュアルに興味を持ってしまった私なのだった。そう、またジャケ買いなのであって。
 彼女は19歳のアルゼンチン人で、新人のフォルクローレ歌手。今年出た、このアルバムがたぶんデビュー盤である。フォルクローレなんていうとねえ。なんか甲羅を経た爺さんばあさんがしわがれ声で歌うのを聴くのが定番であって。こんなアイドルみたいな子が、どんなフォルクローレを歌うんだろうと楽しみだったんだが。うん、期待した以上に楽しめたのだった。

 まず、若い女の子が基本的に持っているアイドル声の面影を残しつつ、なにやらぶっとい声でドスコイとパワフルに歌いきってしまう、その潔さが嬉しい。なんか、「あと50年くらいしたら、渋い歌い方ってのを身につけるから、それまで放っておいてくれる?」って年寄りの説教を封じておいて、高く広がるアルゼンチンの巨大な青空の広がりの下、気持ちよさげに好きな歌を歌う、そんな生命力の弾け具合がね。

 また彼女は、歌の間に時おり、あの漫才の西川のりおが「ホーホケキョイッ」とかガラガラ声で怒鳴る、あれと声質も間もそっくりな歌声を混ぜる、変な芸を持っている。これはフォルクローレの世界に伝統的にある唸り芸なんだろうか?
 ふと、デビュー当時の都はるみなど連想してしまうんだけど、TIERRA AGRESTE のそれは、あれよりずっと柄が悪そうで良い感じなんだ。客席でも、「おおっ、来た来た来たっ!」とか喜んでいるんじゃないのかな、皆は。

 なんてレベルの庶民派の彼女だが、この天然パワーでどこまで行けるか。これからどんな風にフォルクローレの世界に新風を吹き込んでくれるのだろう。楽しみだね。




カルロス博士の夜のカーニバル

2011-09-10 01:23:03 | 南アメリカ


 ”NOCHE DE CARNAVAL”by JUAN CARLOS CACERES /

 たとえばサッカーのワールドカップで、アルゼンチンのチームに黒人の姿って見たことないでしょ?ほかの南米の国のチームには黒人の一人や二人、いや、チームのほとんどが黒人、なんてところだってあるのに、なんでアルゼンチンだけ?
 これ、現地へ行っても同じ事らしくて、アルゼンチン国内で黒人の姿って、旅行者以外、見る事がない。不思議ですな。
 時代を振り返れば、かの国の歴史に足跡を刻んだ黒人の姿は確認できて、かってアルゼンチンの地に黒人は確かに存在していたらしいのに。いったい何時、どんな理由で、あの国から黒人の姿は消えてしまったんだろう。
 え~、歴史の謎に胸ときめかせる楽しみをご提供するために、あえて答えは書きません。各自、ご調査ください。

 タンゴなんかでも、一聴、黒人音楽の要素はないみたいだけど、あの音楽の初期には何人もの黒人ミュージシャンが存在していて、それぞれ、かの音楽の成立にそれなりの寄与をしているようで。その辺を頭においてタンゴを聴くと、音楽の裏面に脈打つ黒人音楽の木霊などが仄見えてくるようで、こいつも胸ときめく瞬間だったりする。

 Juan Carlos Caceres と言えば、そんな”黒人のいるタンゴの風景”を夢想し、ついには具現化してしまった、ある種SFまがいのミュージシャンであり、目が離せない存在である。もう長いことパリにあり、オノレの妄想するところの、”もしタンゴの歴史に黒人が存在し続けたら”なるパラレル・ワールドからのサウンド構築に励んでいる。
 彼がしゃがれ声のヤクザなピアノの弾き語りで、すっかり(初期の)トム・ウェイツを気取りながらタンゴの古典をレイジーに歌い流した”タンゴ・クラシコ(2004年作)”なるアルバムが忘れられない。タンゴ特有の、後ろ向きの自己憐憫でビショビショになった負け犬の美学をハードに描き出していて壮絶で、愛聴している。

 今回は、そんな彼の本年度作。相変わらず、アルゼンチンの魂、タンゴの故郷ラプラタ川の河口と、北米のミシシッピー川の河口、音楽と悦楽の都、ニューオリンズを2重写しにするような、初期ジャズとタンゴの混交する不思議な音楽を展開している。嗄れ声で呻くように歌われるタンゴ独特の悲痛なメロディと、それに絡むバスクラリネットのレイジーなフレーズ。
 その勢い余って、遥か南のリオ・デ・ジャネイロにまでさ迷い出でてしまったとて、何の問題があろうか。もともと無茶なカルロス博士の時空を超えた音楽探検行なのだから。

 とはいえ。この音楽実験に、Juan Carlos Caceres はどんな思いを込めているのだろう?単なる音楽上の遊びと解釈するのも可能だが、その音楽の底には過ぎて言った歴史のある部分に対する慟哭みたいなものが込められているように思えてならないのは私だけだろうか。



ジャマイカ・メント・タイム

2011-08-31 21:04:47 | 南アメリカ

 ”jamaica-mento 1951-1958”

 なんだかジャケのイラストを見ているだけでも嬉しくなってきちゃう一枚なのだった。中央に観光地図風に描かれたジャマイカの全図。それも、あちこちの名所、名産などが描き込まれた古臭く懐かしいタッチで。
 そのイラストの世界では熱帯の草花が咲き乱れ、コロニアル風の優雅な建物はのんびりと時間のハザマに寝そべり、海では水上スキーやスキューバ・ダイビングに興ずる人々がいて、海の底には昔、海賊が隠した秘密の宝が眠っている。まだゆっくりとした時間が流れていた頃の”南海の楽園”ジャマイカののどかな、美化された姿。

 そう、これはジャマイカの古い大衆歌、”Mento”の名演を集めたアルバムなのである。同じカリブ海の英語圏の島、トリニダッドで生まれたユニークなお笑いソング、”カリプソ”の圧倒的な影響のうちにジャマイカで生まれたMento音楽。
 カリプソと似て微妙に非なる、のどかなるローカル・ポップス。それは”本家”と比べて、より奔放な躍動感とB級っぽいひなびた楽しさに溢れる音楽だった。ジャズやラテン音楽から流れ込んだ雑多な音楽要素。カリプソ譲りの皮肉っぽくいたずらっぽい表情で跳ね回る、風刺のセンスに溢れた歌唱。

 この島で生まれてニューヨークで育ったんだっけ、ニューヨークで生まれてこの島で育ったんだっけ、ともかくそんな出自の大歌手ハリー・ベラフォンテは昔、このMentoを彼なりの歌唱でレコーディングし、世界的な成功を勝ち得た。世間的にその音楽は”カリプソ”と大掴みな呼び方で呼ばれた。
 そんな彼のヒット曲の原型ももちろん、このアルバムには収められている。バナナボート・ソングやマン・スマート、そしてさらばジャマイカ。それはどれも、いかにも”原曲”らしい、のびのびとした生命力が溢れ、南の太陽の恩恵の下に息つく島、ジャマイカの豊穣を歌っていた。
 (そりゃまあ、レゲのファンの人たちには、またいろいろと別の意見もあるんだろうけど)

 のどかに歌われる南の歌たちは、時代が下るにつれてレゲのリズムの面影が忍び寄り始めていて、歌い方も、よりクールさが増して行く感じだ。失われてしまった”ある時代”の記憶。愛すべきMento音楽の響きは、このアルバムの中に今でも生き生きと息ついている。