AZIZ MIAN
「イスラム神秘主義(スーフィズム)の儀式のための歌」ということらしいんですけどね、パキスタンのカッワーリーなる音楽。なんて説明もいるのかなあ?それなりに知名度もある音楽と思うんで、話はこのまま進めます。
やはりカッワーリーといえばヌスラット・ファテ・アリ・ハーン、ということになるんでしょうね。
手拍子とタブラの打ち出す地の底から打ち出されるような重いリズムや、ヌスラットの強力なスキャットによるインプロビゼイションなど、これはまさに魂の持って行かれ度世界一の音楽と思えた。というか、今でもそう思っているんだけれど、久しぶりに以前集めたカッワーリーのCDをあれこれ引っ張り出して聴いていたら、かって、私としてはそれほど評価していなかったカッワーリー歌手、”アジズ・ミアン”のアルバムが非常に好ましいものに感じられ、ひとこと言いたくなった次第。
アジズのカッワーリーは、ヌスラットのそれと比べると、ほとんど粗野といっていいような印象を受ける。
その歌唱の中枢を占めるのは、ヌスラットのような華麗なボーカルによるインプロビゼーションではなく、まるでバックコーラス陣との怒鳴り合いのごとくのワイルドなコール&レスポンスである。声自体も、ヌスラットとは比べものにならないガラガラ声で、微妙なコブシ回しよりは一本調子の押しの強さが売りであり、ヌスラットのもたらす”天上の音楽、地に降りしく”みたいな至福感は、アジズの音楽からは望むべくもない。
アジズは、生まれ年はヌスラットより6年ほど早く、音楽家としては、やや旧世代に属していると考えてもいいのかも知れない。シンプルな音楽性を剛速球で投げ込んでくるミュージシャンといった印象である。
そのような事情もあり、カッワーリーに出会った当時は”参考までに聴いておく”くらいの評価だったのだが、いやあ申し訳ないっ!いま、先入観や思い入れなどを廃して虚心に聞いてみると、妙に芸術的なヌスラットより、豪快なノリ一発でアタマから乗せてくれる音楽を聞かせてくれるアジズの方が、よっぽど心地よいのだ。
地を揺るがせ、そのワイルドな重戦車のような音楽が驀進して行くさまに身を預ける快感、これはたまりませんのだ。
その辺の良さが見えていなかった私も、リスナーとして不甲斐なかったなあ。いや、凄さが分かりやすいからね、ヌスラットの方が。でもまあとりあえず、遅まきながら、「アジズ・ミアン最高!」と叫んでおきます。