ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

退屈なるネットの達人・奄美編

2008-01-31 16:44:18 | 音楽論など

 相変らず奄美の民謡に興味を惹かれており、ネットの世界もあれこれ覗き歩いているのですが、ある奄美民謡愛好コミュに、こんなスレが立った。

 「あなたの好きな奄美民謡の歌手を挙げてください」

 まあ、愛好サイトの掲示板としては当たり前の話題ですね。で、そこに皆、それぞれごひいきの歌手の名を書いて行く訳ですが、中に一つ、こんな書き込みがあった。

 ~~~~~

 (書き手に”文章の勝手な流用”と文句をつけられても面白くないので、引用は省略させていただきます)

 ~~~~~

 ・・・。これを分かり易い日本語に訳しますと、

 「俺くらいの達人になるとよう、歌手本人と親しいなんてのは当たり前で、歌手の親とまで顔見知りで、その人となりにも詳しかったりするのよな。そこまで行ってはじめて、唄の奥義ってものが分かる。お前ら”この間初めてCD一枚聴きました”みたいな浅いファンなんかが一人前に奄美の民謡を語ってもらっちゃ困るんだよ。えーい、下がれ下がれ!この俺をどなたと心得る!」

 とでもなりましょうか。

 ハイハイハイ、よーく分かりました。あんたが大将、そこで勝手にオダ上げててください、ってなものですが。
 どこにでもいるんですねえ、こういう人種。ともかく他人に差をつけたくて仕方がない。ままならない現世で押さえつけられてる自我を、ネット世界と言う限定空間で思い切り膨れ上がらせて欲求不満の解消としているんでしょうな。何も知らない初心者を虚勢いっぱいの書き込みで恫喝し、ビビらせる事によってオノレのちっぽけな”需要人物願望”を満たす、と。

 そんなのねえ・・・つまらないじゃないか。もし本当に年季の入った知識も人脈も豊富なファンであるのならばむしろ、初心者たちがもっともっと奄美の民謡を好きになるように優しく導いてやったら良い。違いますか?

 なんて言ってみても、そんな”ネットの偉人”タイプの人々に話が通じたためしもないんですがね。まあ、なんと申しましょうか悲しい、そして見飽きた光景のお話でありました。

診察台上のアリア

2008-01-30 04:38:32 | いわゆる日記


 右下奥の歯が一本壊滅状態で近日中に抜かねばならず、なかなか気が重いことである。もう根しか残っていなかったんだけど、それ自体、もはやボロボロとかで。また歯科医も、それゆえに抜歯も難作業となり、余計痛いとか脅かしてくれるもんだから、ますます気が重い。

 思えば病院の待合室に流れるBGMというもの、音楽の存在に関するさまざまな形而上学的思考をもたらしてくれたものだった。ともかく順番待ちの果てには逃れようのない運命と言うものが待ち受けている。その前に無防備で揺れ動く人間のタマシイ。

 胃カメラの順番待ちなどというものは、喉に麻酔をかけるためのシロップ状の薬を口に含んで天を仰いだ姿勢のまま「ヤバいものが見つかったらどうしよう?」なんて不安に胸ふさがれつつ硬直している訳で、人生における悲喜劇を体現するような風情である。そんな時、人間にどんな音楽が必要か。

 歯科医の待合室で直面するのは、もう少し直接的な”痛み”への予感である。恐怖である。ああ、気が重いなあ。

 昔、ブライアン・イーノが”環境音楽”とか言うアイディアを提示し、”ミュージック・フォア・エアポート”なんてアルバムを世に問うた事があるが、「空港なんかより、病院の待合室用の音楽とか開発した方が多くの人々への救いになるんじゃないかなあ」なんて感想を抱いたものだった。まあ結局はお洒落ネタでしかないんだろうなあ、ああいうものは。イメージ的にも空港の方がお洒落なんでしょ。

 とりあえず待合室の不安状況で人は、あんまり感動的な音楽とか欲しないような気がする。”音楽ファンとしての自分を変えた一曲”なんてのがその場に流れて来てもらっても、私の場合は、であるがややうっとうしい感じだ。むしろ、特に個性も感じられない演奏により、そこそこきれいなメロディを淡々と流してくれるほうが癒しになる、救いになる。

 いや、この辺は微妙なところか。患者本人の抱えた病状にもよるだろうしね。

 いわゆるイージーリスニング、マントバーニとかのムード・ミュージックの存在意義を知ったのも歯科医の待合室でだった。ひたすらきれいなストリングス中心に、時代遅れの映画音楽や軽クラシックなど優雅にかなでる、あの音楽。
 その種のものはそれまで”一山いくらの無菌音楽”と馬鹿にしていたんだけれど、自分の抱えている”壊れやすい人体”なる難題と対峙しつつ審判の時を待つ病院の待合室では、どれほど救いとなった事か。

 先日は、診察台で大口を開けた状態で診察室に流れて来たのが、こいつもこれまであまり関心をもって聴いた記憶のないジャズのピアノ・トリオの軽妙な演奏だったのだが、その時の心境(「ヤバいな、次の処置は痛いのかな。この辺で終わりにして欲しいよな」)とピタリと一致、悩ましい筈の治療の時を、それなりに楽しく過ごさせてくれたのだった(痛くなかった、ということではないが)

 でもこういうのって、”スキー場で知り合ったカップル、街に帰ったら即、分かれる”の法則(?)に則り、その時の演奏者と曲目を調べCDを購入しても、そのままの楽しさを自分のリスニング・ルームにもたらしてくれるわけでもないのだろう。

 おそらくは・・・待ち時間なり診療を受ける時間なりに患者の心に生じた心の間隙にスポンとはまり込む特性を主眼とした選曲がなされているのだろうから。その辺は微妙なところで、選曲における何らかの法則など選曲者に尋ねても、彼もおそらく明確な答えの不能な、感性の幽冥境における作業かと想像する。

 それにしても、いつも行く歯科医院のBGMのメニューって、誰が考えているんだろう?その種のものの配信会社から流されてくるようだけれど、チャンネル選択くらいは医院側でするのだろうか?
 行きつけの歯科医院の担当医は特に音楽に興味はなさそうだが、流れて来る音楽に毎度、”外れ”はなく、見当違いなものを聴かされた記憶はない。で、行くたびに微妙にタイプの違う音楽が流れている。やっぱり配信会社の全コントロールなのかなあ?

 とかなんとか。いくら書いてみても、やっぱり抜歯せねばならぬと言う現実は変わることなく、運命の時はいずれやって来るのだった。

ロシアン・フォークの女王

2008-01-28 04:49:06 | ヨーロッパ


 ジャンナ・ビチェフスカヤ(Жанна Бичевская)

 ロシアの民衆の心を歌う、みたいな存在の人らしいですね。

1944年6月モスクワ生まれ。自ら採取した古いロシア民謡などをギターの弾き語りで歌い、人気を得る。その人気はロシア国内にとどまらず、パリのオリンピア劇場で8日連続公演、などという記録も打ち立てている。ロシア人民芸術家なんて称号も得ているようで。

 アルバムを聴いてみると、まさにロシアの大地の歌声、みたいな印象を受けます。
 お得意の12弦ギターの弾き語りで深々とした歌声を響かせ、真昼に聞いていても彼女の声が聞こえる範囲内は夜中、みたいな感じになる。ファドとか、あの辺の重たい歌い手を引き合いに出して語りたくなってきます。

 「ロシア版ジョーン・バエズ」なんて仇名された時期もあったようですが、確かに、彼女の初期のレコーディングなど聴きますと、気恥ずかしくなるほどジョーン・バエズ的と言いますか60年代のアメリカン・フォークっぽい感触がある。ギターなんかジョーン・バエズ通り越してデビュー当時の森山良子みたいでね。
 実際、自国の民謡を採取して歩き、そいつをギターの弾き語りで歌うなんて彼女の発想も、彼女が歌い始めた頃に知ったアメリカのフォーク歌手連中の活動がヒントになっているんじゃないかなあ。

 60を過ぎても今だ現役で歌い続けるジャンナですが、その歌手としての姿勢には、やや変化が覗えるそうな。1990年頃から、かって人民芸術家なんて称号をくれた国とはやや距離を置き、ロシアの民族色を薄め、むしろ宗教的な色合いが濃い歌を歌うようになっている、との事。

 この辺のニュアンスに興味があるのですが、なにぶんにもロシアの大衆音楽関係の情報なんかろくに入ってこないわけで(彼女の大ヒット曲、”ゴリーツィン中尉”について知りたくて検索かけたけど、ネット内に日本語の情報は無きに等しい)断片的な情報からあれこれ想像するよりない。

 でも、面白いと思うんですよ。彼女がもしかしたら心中に抱えていたかもしれない屈託など思うと。人民芸術家なんて称号を得て、それは、かっての”ソ連”においては”おいしい”立場であったのだろうけれども、彼女の本心としては、それほど名誉な事だったろうか?

 若き日、アメリカン・フォークの影響でギターをとって歌いだした人ですからね。内心、それなりにリベラルな、と言う表現でいいのかどうか、考え方の人ではなかったかと思うのですよ、彼女。ソ連の国家体制に違和感を感じていたのではないかと。
 それが、アメリカのフォークシンガーの行き方を真似て(想像が大分入っていますが、放っておいてください)自国のフォークロアの探求を行い、自らも歌ってみたところ大衆の人気を得、またソ連の国策にも都合の良い歌手として認知されてしまった。

 彼女自身は国家の方策とか関係なしに民族の心を探求していただけなんじゃないか?
 それゆえ、ソビエト連邦という国家が崩壊に向い、人民芸術家という、栄誉であると同時に彼女にかかっていた”縛り”でもあるようなものが解けると、それまでの民族歌手の看板をたたみ、自らの心との対話、宗教の世界に入っていってしまった。そんな裏事情があったんじゃないか?

 まあ、ロシア大衆音楽界に関する少な過ぎる情報から、当方が勝手に想像してみた物語なんですけどね、結局。

ケータイ小説としての赤軍派

2008-01-27 04:35:24 | その他の評論


 ネットの世界に連合赤軍の記録映画を研究するコミュなど出来たそうなので、やつらと、まあ同じ時代を生きた私としては若干の興味を抱き覗きに行ったのだった。
 そしたら、「彼らのまじめさ、ひたむきさに心を打たれた」とかそんなことがコミュ設立の趣旨として記してあって、暗澹たる気分になってしまったのでした。

 私は、もうあんな”純粋真理教”はこりごりだよ。

 一つの”真理”に囚われて他の何も見えなくなってしまう。その結果、とんでもない袋小路に入り込んで陰惨な命の削りあいに終始する。
 そんなのが”純粋”と言えるんだとすりゃ、”純粋”ってのは”狂信的”とか”小児病的”、あるいは単に”バカ”という意味しか持ちえないだろう。

 もうそんな愚は冒すまい、もうあんな悲し過ぎる喜劇はたくさんだと我々は学んだんじゃなかったのか。
 にもかかわらず。同じ愚かしさがもう一度グロテスクな戯画として繰り返されてしまったのが、あのオウム真理教の事件だった。若い信者たちは”尊師”とその教えに”ひたむき”に帰依し、その結果、”純粋”の旗印の下に陰惨な殺戮を繰り返すに至った。

 そしてまた、か?
 この”まじめ”や”ひたむき”なる呪文に酔い、”清く正しい私たち ”の、穢れた世の中に対する短絡的な最終戦争の夢こそが、青春なる狂気の時の永遠の玩弄物なんだろうか。どこかにないのか、この狂気を覚ます特効薬は。

 そして最後の締めは昨今流行の”涙”だ。「映画を見終えたとき私は感動で涙が止まりませんでした」と、この一言だけで映画の神聖化は完了する。

 神聖にして犯すべからず。昨今の若者たちの最高の神器、涙。

 「監督さんも泣きながら映画を取ったに違いありません」なんだって。
 そうだよなあ、”ハートブレイク・ホテル”の歌詞にもあったものな、「ホテルの人も 黒い背広で 涙流してる~♪」ってね。
 従業員が泣いてたんじゃホテルの仕事は務まらないだろう。なんて冗句も正義の使徒には通じません。やれやれ。

 真実から目をそらし、事件を自分に都合の良いファンタジィに作り変えるための工作としての”感動”やら”涙”やら。
 結局、映画を見た昨今の若者には赤軍派の事件が、世界の中心でなんとかかんとかやら”百倍泣けるケータイ小説”などの一種と感じられているのだろう。

 そんなに赤軍がお気に入りなら、今でもその残党は存在していますからそこに合流して、あなたの言われる”ひたむきでまじめな”人生を実体験したらいかが?とでも申し上げておきましょうか。

モスクワの街角で

2008-01-25 01:45:49 | ヨーロッパ


 ”Массква (Переиздание)”by Лера Массква

 お寒うございます。つーか、クソ寒い日々が続いておりますね。冬って毎年、こんなに寒かったでしたっけ?なんかさっきから喉にやばい痛みがあります。んも~。もはや大自然の私個人に向けての嫌がらせとしての気温低下としか思えなくなっております。
 あんまり腹が立つんでヤケクソで、私の知っている限りもっとも北の、寒そうな地域出身の歌手の話など。レーラ・モスクヴァ、1988年生まれのロシアのポップス歌手です。

 出身地は、ロシア共和国ヤマロ=ネネツ自治管区ノーヴィ・ウレンゴーイ。もう、完全に北極圏であります。寒そうだなあ。昔、NHKテレビでロシアの北極圏の人々の暮らしを北極海伝いに巡るドキュメンタリーなんてのを見ましたが、あんな環境で育ったのかなあ。

 もっとも彼女は普通のロシア人でありまして、北極圏のどこぞの少数民族とかの出身ではない。仕事の都合で北極圏の小さな町に暮らしていた両親の元に生まれた、というだけのようで。歌手活動も普通に首都モスクワを中心に行なっていて、つまり彼女の音楽に北極らしさは特に覗えません。まあ、表面的には。

 このデビューアルバムが出た2006年当時、ロシアポップスのファンの間で(しかし・・・日本にロシアのポップスのファンて全部で何人いるんだろう?)彼女の名がロシア共和国の首都、モスクワをもじったものである、なんて噂も流れましたが、どうやら本名と言うことのようで。
 こんな話が出たのも、やはり彼女の出身地があまりに辺境なんで、なにごとかその辺の意味合いを引き出したい、なんて想いがあるせいじゃないかなあ。

 アルバムは、ややオールドジャズっぽいマイナー・キーのアップテンポの曲で始まります。この一曲で、今の彼女が暮らす騒がしく落ち着きのない大都会、モスクワという舞台設定が完了するわけですな。

 そして始まる2曲目はメジャー・セブンス系のコードを掻き鳴らすエレキギターと控えめに流されるオルガンの響きが、私なんかの世代には60年代のアメリカ西海岸ポップスなど連想させずにはおかない。
 こんな曲を聴いていると、歌手・レーラ・モスクヴァの内に秘められた一人の”ロシアの今風の女の子”としての息遣い、みたいなものがサラッと街角の風景として描かれてているのを感じ、当方としても過ぎ去りし青春の日々など振り返って甘酸っぱい想いなど噛み締める次第です面目ない。

 また彼女の歌声がやや低めの心持ちドスを聞かせた味わいのものであり、いくつか見つけた写真も、どことなくなんとなく自分を取り巻く社会に違和感を抱きブツクサ不満を抱えていそうな風情であり、なんかアイドルというよりはロック姉ちゃん的翳りなど漂わすレーラのキャラも相まって、ますます”モスクワ青春物語”は盛り上がるのでありました意味不明だったらごめん。

 昨年、レーラ・モスクヴァは2枚目のアルバムを出しているようなのだけれど、今だ入手出来ずでもどかしい限り。現地ロシアでは結構人気者になっているみたいな彼女が次に展開して見せた世界がどのようなものか、早く覗いてみたいのだけれど。

ブエノスアイレス1970

2008-01-22 23:57:29 | 南アメリカ


 ”BUENOS AIRES Y YO” by ELADIA BLAZQUEZ

 ジャケ写真はブエノスアイレスの中心街なのだろう。高層ビル立ち並ぶ大都会の様子があしらわれているのだが、華やかな印象を受けない。それは現実の色彩がそうなのか、あるいはそのように彩色されているのか知らないが、なにか煤けた茶色じみた色合いが写真全体を覆っているからだ。

 このジャケ写真を見ながらアルバムを聴いていたら、その画面に差し込んでいる午後の日差しや通りの喧騒、排気ガスにまみれた交差点とそこに佇むビジネスマンたちの身のうちに蓄積しているであろう日々の疲労感などなど、昼下がりの倦怠に沈むブエノスアイレスの街の体温までが感じられるようで、なんだかどぎまぎしてしまったのだった。

 今日のアルゼンチン・タンゴ界を支える重要な作曲家の一人として高名な存在だった(1931 - 2005)ELADIA BLAZQUEZだが、もともとは無名のフォルクローレやスペイン歌謡歌いだったそうな。

 そうな、などと書いているが、アルゼンチンの地において「スペイン歌謡歌い」なる職業がどのようなポジションになるのか、不勉強にして知らない。が、この事実を記した記事の調子から私は、あまり芳しからざる稼業、といったニュアンスを感じ取ってしまったのだが。

 ともかくそんな彼女はある日、オズオズとタンゴの作曲を始め、その作品群はいつしかタンゴの世界で人々の愛唱するところとなり、ついにはいくつもの大ヒット曲が生まれていったのだった。
 このアルバムは、そんな彼女がタンゴの歌手兼作曲家としての強力な第一歩を記した記念碑的作品集といえるのだろう。1970年作である。

 などと分かったような事を言っているが、彼女の功績を正しく知っているわけではない。今、彼女の功績を記した記事を追い、「おお、あの曲も。そうかこの曲も、ELADIA BLAZQUEZのペンになるものだったのか」などと呑気な事を呟いている次第で。

 それでも収められている曲の、30年以上の時を隔ててもいまだに新鮮な輝きを失わない魅力を感じ取ってはいる。ことにタンゴ特有のリズムや和声の流れのうちに、ある種ジャズィ&ブルーズィとも呼びたいメロディが忍び入るあたりのカッコ良さには、ちょっとたまらんものがある。

 また、ELADIA BLAZQUEZの、自身の才能を自分でついに信ずるに至った、まさにその瞬間における力強い歌いっぷりや、バックを受け持つ楽団の、これまた力の入った演奏も素晴らしく、まさに音の向こうに1970年のブエノスアイレス最先端が生々しく息ずいている。

 裏ジャケの隅には”レジステンシア・デル・タンゴ”とある。抵抗のタンゴ。このように名付けられた名盤再発シリーズの一枚として、この盤はCD化されたのだ。
 何に対する抵抗かと言えば、当時世界を席巻していたロックの波に対するアルゼンチンのタンゴ・ミュージシャンによる抵抗だというのだからもともとはロックファンとして音楽好きになった身としては複雑な気分にならざるを得ない。

 そんな”抵抗運動”があったのか。闘いの趣旨としては、なんだかかっこ悪いような気がしないでもない。
 しかし、このアルバム全体に覗える、歌手、ミュージシャンもろともに覆った高揚は、確かにその”レジステンシア”の思いゆえに、であったのだろう。

 そして三十余年の歳月はロック、タンゴ、双方の音楽の上に流れた・・・

2007年度ベストアルバム10選

2008-01-21 01:38:58 | 年間ベストCD10選


1) BNAT REGGADA by Chaba Wafae (Morocco)
2) HIGHWAY TO HASSAKE by Omar Souleyman (Syria)
3) MGODRO GORI by Mikidache (Comores)
4) Девушкины песни by ПЕЛАГЕЯ(Russia)
5) SEMALAM by Sean Chazi (Malaysia)
6) 1ST ALBUM by On Hee Jung (韓国)
7) MUJIZAT ITU NYATA by Joy Tobing (Indonesia)
8) KOO BOON KOO BUAD 2 by Waipoj&Tossapol&Sriprai (Thailand)
9) BARAJANDO by Hernan Genovese (Argentina)
10) WALID TOUFIC 2007 by Walid Toufic (Lebanon)

1)昨年に続いて、またもレッガーダを一位に選んでしまった。ともかくこの堂々のアホさ加減には敬意を表するよりない。ヴォコーダーによるロボット風コブシ・ヴォーカルをヒラヒラと宙に舞わせつつ、あくまでも能天気に前のめりに一本調子の突撃をするさまは、韓国のポンチャク・ミュージックなどを連想してみたり。バッカだねえ、とはもちろんこの場合は褒め言葉。

2)世界中のどこへ行ってもアホな人はいる。もちろんシリアにもいる。うん、まあそういう事だ。大いに笑わされ、乗らせてもらいました。

3)アジア文化とアフリカ文化交錯するインド洋音楽の逸品。マダガスカル島の北に位置する小島コモロの、潮風吹き抜ける粋な島歌集。世界の路地裏における密かな楽しみ、みたいな裏通りの祝祭感覚に心ときめく。

4)ロシアの民族性を生かしたロックという方向で、なかなかの完成度と思う。もっとも、ネットにいくつか上がっている映像など見ると、ライブではさらに土俗性の匂う感じでやっているようで、そいつを音盤上でも披露して欲しいものです。

5)ある人のいわく、「マレーシアのナット・キング・コール」と。この一言で分かる人には分かるね。南国の伊達男、オシャレでクールなポップスを決めてくれた。

6)若くかわいい女の子たちによるディスコアレンジのトロット演歌の展開、というこの奇妙なブームがもっと燃え盛るのを、おおいに期待するものであります。ピリピリと唐辛子系の辛口刺激が快い。

7)以前より妙に気になっているロハニ・ミュージック。要するにインドネシア語によるゴスペルなんだが・・・なかなか言葉で説明の難しい不思議な魅力がある。ともかくあくまでも澄み切り、そしてパワフルなトビン嬢の歌声にすっかり魅了されてしまった。

8)毎度お馴染み、タイの仏教ポップス、”レー”である。今回は2大スター・プラス1による、お楽しみ演芸大会と言った風情。冒頭の語りでは、タイ語が分からない者にもどう考えても漫才としか受け取れないおどけたやり取りにのけぞる。宗教ポップスとか言うより、これは法事の後の宴会のようなものかと。

9)新人タンゴ歌手のデビュー盤なんだが、やってる事は古色蒼然。地味にギター伴奏でガルデル気取りの古典を歌い、後ろ向きの美学に酔い痴れる。そんな芸風が主流派を成しているかと想像されるアルゼンチン・タンゴのヴォーカル世界、その病み具合が美しい。

10)レバノンの重量級アラブポップス。棍棒で一撃!みたいなぶっとい迫力に圧倒される。


 と言うわけで。遅くなりましたが、昨年のベスト10など選んでみました。入れたかったけどはみ出てしまったもの、大量にあり。心残りではあるけれど、まあ仕方ないや。
 一国(あるいは一ジャンル)一枚、という”縛り”を設けました。また、制作年度は2007年のもの、一部2006年産品も”誤差の範囲内”として認める、制作年度の分からないものに関してはテキトーにやらせていただく、と言うことで。
 とにかく最近は怠惰なリスナーと化してしまっているので、購入したものの”未聴コーナー”に放り込んだままの気になる盤が溢れかえっている次第で、後で見直せば「何でアレを入れなかったのか?」と後悔するハメになる可能性も大なんだけど、この辺で一区切りつけておかないとベストそのものを発表しそこなうんで。

太陽を孕む唄・里アンナ

2008-01-19 03:07:57 | 奄美の音楽


 ”きょらうた”by 里アンナ

 上の盤、奄美の島歌CDを集め始めた際、ともかくジャケ写真が可愛いんで即、ジャケ買いを決行。ほかにも、パシフィック・ムーンから出ている”島歌”ってアルバムをはじめとして、なかなか可憐に写っているジャケ写真の多い人でして。

 けど、ジャケの裏を返すと、一瞬、「あ」と思うこともあり、いや、騙されたとか言うんじゃなくて、ただちょっとニュアンスが違うかな、と。いや、いずれにせよルックスの良い人であるのに違いは無いですよ。このアルバムの歌詞カードに添えられた高校の頃の浴衣姿の写真とか見るにつけても、かなり気になっていたクラスの男子もいたんではないか。

 けど、どっちがほんとの里アンナのルックスなんだ?まあ真相はパシフィック・ムーンから出ているライブDVDを見れば分かるんだろうが、ファンになって日の浅い私はまだ心の準備が出来ていないんで、それは出来ない。
 ・・・なんという事を言っているのかね。これがファンの書く文章であろうか。というか、音楽の話をせんかい。

 里アンナは、もうずいぶん前に奄美を離れて唄の現場を東京に移しているのだそうだ。活動は島歌だけにとどまらず、「ポップスシンガーを目指して」と言うことなので、その道では先輩に当たる元ちとせのような方向を考えているのか。その後にリリースされたアルバムも、前記”島歌”以外は純島歌の内容のものはなく、いわゆるJ-POP的なものの中に南の島的ニュアンスが漂う構成となっている。

 これは彼女が望んだ路線なのか知る由もないが、彼女のデビュー作である島歌アルバム”きょらうた”を聴いて彼女のファンになった者としては残念だ。

 里アンナの公式(?)キャッチフレーズは「精霊の宿る声」なんだそうで、これも元ちとせの、百年に一度だか千年に一度だかの歌声、といった売り文句を意識しているのだろうけど、そのような神秘めかした方向は、カラッと明るい個性を持った歌い手である里アンナには似つかわしくないように思える。

 全国デビュー前、奄美ローカルの島歌歌手だった頃の元ちとせの録音を聞くと、結構ドロドロした情念をたぎらせているのであって、精霊のなんのと言うあっちの世界の話は、そのような個性の持ち主に任せておいたほうが無難だろう。

 と言うわけでやっと本題の、アルバム”きょらうた”にたどり着いた。
 冒頭に書いたようにジャケ買いしてしまったこのアルバム、里アンナが18歳の時、奄美民謡大賞新人賞を受賞した記念に吹き込まれたものだ。

 まず引っかかったのが、冒頭の”朝花”に顕著にみられるのだが、フレーズの末尾をややアウト気味の音程で放り出すようにして終わるパターン。このような歌唱法の伝統が奄美の島歌にあるのか知らないが、なかなかファンキーでカッコ良く聴こえ、実はその一発で彼女の歌のファンになってしまったのだ。

 たとえば、ややストイックな個性でハードエッジな切れ味が魅力の中村瑞希とくらべると、里アンナの島歌はふくよかな温かみや明るさが感じられる。果汁100パーセントのジュースみたいな個性なのだ。
 そいつがなかなか好ましいので、その辺をアピールして行けばいいのになあ、精霊とか言うよりも。そして時には島歌のアルバムも出してくれれば、などと遠い街よりお願い申し上げる。

 うん、実は私、里アンナの”ポップス”もののアルバムも買ってしまっているんだけどね、「島歌ファンとしては残念だ」とか言いつつも。ファンなんてそんなものであります。
 

森のエコー

2008-01-18 03:48:37 | ヨーロッパ


 ”Starflowers” by Sinikka Langeland

 Sinikka Langeland と言えばノルウエィのフォーク歌手としてはもはや大物と言っていいんだろうが、何で彼女はフィンランドの民族弦楽器カンテレを弾き語るのだろう、と不思議に思ってはいた。今回やっと知ったのだが、彼女の両親はフィンランド人で、彼女は両親の移住先のノルウエィで生まれ育っただけ、そんな事情があるようだ。
 そいつを先に教えてくれなくちゃなあ。歌い手の血の中に関わる部分、いろいろ気になるトラッドのミュージシャンを聞く際には知っておきたい”諸事情”じゃないか。

 彼女の最新作であるこのアルバムは、このところのように強力に冷え込む冬の夜に一人で夜更かしなどする際、流しておくと実にはまる音の流れである。

 北国の歌手特有のと言っていいんだろうか、Sinikka の清涼感のあるボーカルが、寒気に閉ざされた長い冬の孤独の中で研ぎ澄まされたみたいな、まるでガラスの破片みたいな美しさのある(訳の分からない喩えですまん)メロディを淡々と積み上げて行くこのアルバムは、冬の夜の空気に良く馴染む。

 収められている作品はすべて、Hans Borli なる詩人の作品にSinikka が曲を付けたもの。浅学にしてこの詩人については何も知らない。ノルウエィの名のある詩人なのだろうか。歌詞カードにある詩の英語訳を読むと、夜の川の流れや遠い森の響きに耳を傾ける、そんな自然志向の瞑想的な作品が多いようだ。

 バックを務めるのはペットとサックス、生ベースとパーカッションという4人編成の、露骨にジャズのミュージシャンであって、彼らはSinikka の織り成す極北のメロディのローカル性に必要以上に調子を合わそうとはしていない。彼らはただ、素材たる彼女の音楽に、あくまでもジャズ・ミュージシャンとして対峙するのみである。紫煙に煙る昔気質のジャズ・クラブの一夜。

 北欧の民謡ルーツのシンガー・ソングライターであるSinikka の、静謐な哀感漂う音楽と、クールなジャズ・クラブのマナー。澄み切ったカンテレの弦の響きとブルージィなホーンセクションのアンサンブルとの不思議な絡み合い。ミスマッチのようでいて、聴き進むうちに違和感は無くなって行く。

 ただそこには、北欧を覆う神秘な森のエコーに耳をそばだてる無口な人々と、彼らが抱きしめて生きるシンと澄んだ孤独があるばかり。こいつはやっぱり冬の夜にははまり過ぎの音楽だろう。

奄美新民謡2・水の惑星から

2008-01-16 04:06:28 | 奄美の音楽


 ”海 果てしなく”by 久永さとみ(アルバム”奄美物語”所収)

 前回に続いて奄美新民謡を聴く訳ですが、なかなか悩ましいのは奄美のレコード店のカタログにある新民謡のアルバムのなかで、かなりのものが「10曲入っていれば歌入りは5曲で、後の半分はその5曲のカラオケ」という構成である、と言う事実。これで価格は10曲とも歌入りのものと変わらないんだから、う~む・・・

 新民謡なるもの、ただ聴くだけではなく歌うことが前提の音楽である事の証明と受け取れば良いのでありましょうか。

 とりあえず通販サイトの試聴コーナーを聴いて行き、まず興味を惹かれたのが久永美智子なる作曲家。それほど大量のアイテムが並んでいるわけでもない新民謡のジャンル中に彼女の名を冠したアルバムが2種も出ているあたり、斯道の大家と考えて良さそうな。その作風も、やはり基本は昔ながらの歌謡曲とはいえ微妙にオシャレな雰囲気も漂うようで、気になって来ます。

 ここで取り上げるのは彼女の名を冠したアルバムのうちの一つ、”奄美物語・久永美智子シリーズ”であります。収められているのは

1.ひれん海峡(久永美智子)
2.奄美の女(中島 章)
3.黄昏のラブソング(久永美智子)
4.南回帰線(久永さとみ)
5.海 果てしなく(久永さとみ)
6.奄美エアポート(川元末広)
7.わるつ(久永さとみ)
8.あまみ恋歌(久永美智子)

 の8曲、および各々のカラオケ(ううう・・・)

 歌伴はきわめてシンプル。あまりにもエレクトーンな奏法のキーボードの多重録音に、たまにそれ以外の楽器が一つ加わる程度のもので、このあたりはローカルポップス好きのワールドもののファンとしては、逆になにかありそで血が騒ぐ次第で。

 主人公たる作曲家(ご本人の歌も納められている)久永美智子氏は昭和17年生まれのカラオケ教室講師なる肩書きとなっておりまして、その他、歌い手の方々も名瀬市役所に勤務とか大工であるとか、いかにも街角の流行り歌がダイレクトに収められたという感じが麗しいです。

 居並ぶ各歌はどれも昔ながらの歌謡曲風とは言え、やはり”本土”のそれにはない、南国らしい伸びやかな歌心というものが感じられます。聞いていると奄美の海に沈む夕日を眺めながら時の過ぎ行くのも忘れて一杯やっているみたいな気分。いや、ほんとにそうしてみたいものですなあ。そうか、そんな時、アルバムのカラオケ部分が役に立つのか。

 通販サイトの試聴コーナーで断片として聴いていた時から心惹かれていた曲、”海 果てしなく”を、やはり何度も繰り返して聴いてしまう。

 これは、都会の華やかな暮らしを夢見て北の街に渡った女性が、おそらくは水商売に身を置きながら故郷の奄美を想う、といった趣向の演歌にはありがちな曲。
 とはいえ、歌い手の久永さとみ氏の歌いぶりは奄美の陽光あふれる自然がそのうちに脈打つようななんとも健全なもので、ネオンの街の不健康な翳りはあんまり感じられない。すでに歌の主人公は都会暮らしに見切りをつけて奄美に帰っているのかなあ、などと想像します。

 当方がこの歌に魅了されてしまったのは、歌の背景に広がる豊饒な海の広がり、そのイメージ。
 都会暮らしに疲れて歌の主人公が見つめる、裏町を縫う川の流れ。ネオンの輝きを写したその淀んだ水がやがては合流するその先に予見される広大な海の広がり。その溢れかえるような深い青の奔流は陽光を受けてキラキラ輝きながら、この水の惑星を巡って行く。

 まあ、こちらが勝手にイメージしているだけと言われりゃそれまでなんですが。というか、この文章を読んで過大な期待でCDを購入されたとしても、何の責任も取る予定はありませんから、ととりあえず言っておこうか。でも好きなんだよ、この歌。