ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

激走、シャンガーン・エレクトロ!

2010-07-29 01:48:46 | アフリカ
 ”Shangaan Electro - New Wave Dance Music From South Africa ”

 ああ、ついにアフリカから来た来た来たっ!
 いやぁ、このところずっとアフリカ発の生きの良いサウンドに出会えず、すっきりしない気分が続いていたんだ。で、ネット某所にキンシャサとかで撮られた現地の若い衆によるラップなんかの愚劣な映像がいくつも紹介されているのなんか見つけて、「そうか、アフリカも、世界中を同じ退屈の鉛色に染め替える、あのラップの泥沼にうずもれて腐り果てて行くのか」なんて、すっかり落ち込んでいたんだが。
 いやあ、やはりアフリカは負けない、こんな面白い音楽が芽生えていたんだねえ。

 音楽の名はシャンガーン・エレクトロというらしい。このCDの副題には”南アフリカ発のニュー・ウェーブ・ダンスミュージック”とある。一言で表現すればそういうことになるんだろう。レコーディングは2004年から2009年と言うことで、どうやら現在進行形で南アフリカ・ローカルで燃え盛りつつある最新サウンドの実況報告としてのコンピレーション・アルバムのようだ。

 ジャケにグロテスクなホラー風味の扮装をしたバンドのメンバー(あるいはダンサー)の姿があしらってあるのが象徴的だが、いかにもクールな諧謔趣味が各バンドの演奏を貫いている。(バンドと言っても、ここに収められた演奏がそれぞれ、どの程度独立性を持っているのか、よく分からない。同じ演奏家の手になると思われる音があちこちに出てくるし、実はメンバーがかなり重複する、あるいは、かなりの実力者らしいプロデューサーが全体のサウンドを弄繰り回しているのか。なんか後者のような気がするが)

 音は、乱打されるマリンバの音とチープなキーボードの電子音が絡み合い、民族色あったり無機的だったりのソロやコーラスの歌声と一緒に、やたらとぶっ早い打ち込みのリズムに乗って疾走して行く。ブラックジョークっぽい語りや叫びが随所に挟み込まれ、音楽に含まれる猥雑度をいやがうえにも高める。
 近代テクノロジーと民族性の融合なんて話が始まると、なんか素晴らしい新時代のサウンド誕生、なんて方向に話が行くのがワールドものの定番だが、この場には変な上昇志向なんかかけらもうかがえず、ひたすらお調子者の浮かれた疾走が続く。こいつは韓国のポンチャクなんかの魂の兄弟というべき音楽なのだろう。

 「アフリカに先祖がえりしたアフロ・キューバン音楽の」なんて定番の解説も、「おっさん、意味ない話はやめろよ」と道化師のおどけた哄笑に吹き飛ばされるがオチだろう。南アフリカの伝統音楽の影は濃厚に差しているのだが、休み無く打ち込まれるテクノな乗りの電子音からの突っ込みに絶えず晒され続け、漫才の相方の地位を強いられたままだ。頻出するマリンバの響きも、民俗音楽的というよりは、テクノだったりミニマル・ミュージック的だったりの方向にすっ飛んでいる感じだ。

 なんか意味不明の文章で訳分からないと思うけど、いやあ、音楽自体が訳分からないんだから。それも、素晴らしく素敵にクールにムチャクチャなんだからしょうがないよ。
 さて、この音楽の明日はどっちだ?なんて余計な事は考えずに、思いっきりのアホのポーズで見守らせてもらおう。行け行け、シャンガーン・エレクトロ!



ニューオリンズにいられたら

2010-07-28 03:05:05 | 北アメリカ

 ”I Wish I Was In New Orleans”by Tom Waits

 かねてから入院加療中だった義母(妹が嫁に行った先のお母さん)がいよいよ危ない、この数日だろう、なんて知らせが入ってきたので、冠婚葬祭の苦手な私は×××。そうでなくともこの夏の酷暑に打ちのめされ、かつ、仕事上もあれこれ問題発生で弱っているところだものなあ。そんなこと言うなよ。とは言うものの。
 また、義母のご主人は政界の人だったので、それは亡くなってかなりの歳月が流れているとは言うものの、そのルートがまだ有効だったら普通の葬儀では済まないんではないか。なんていってみても私んちの葬儀でもなし、どうにもならないのだが。

 それにしても結構な暴君だったらしいご主人に尽くして何度も政界に送り届け、家では三人の息子をそれぞれにエリートとして育て上げた義母の目には、私のような人間はどう映っていたのか。ヒッピー崩れの遊行者だものなあ。ほとんど人間の屑と思われていたのではないか。実際、一度も敬意というものをもって見られた記憶がないものなあ。ま、しょうがないんだけどね、それが正当な評価というものだ。
 などと言いつつ。来て欲しいわけでもないその瞬間をただ待つしかないのが残された者の出来ることだったりする。

 しょうがないから夜のウォーキングに出る。しかし今年の夏はなんだ。例年なら日が落ちればそれなりに気温も下がり、快調に歩き出す気分にもなるのだが、今年は深夜にいたってもモワッとした熱気が街を包んで動かない。ウォーキングは今夜も中途半端に終わり、汗を拭き吹き途中にあったコンビニに入り、本の立ち読みにかかる。
 いつも思うのだが、気持ちが落ち込んでいるときにコンビニの片隅のエロ本コーナーにしけこむ際の、物悲しいようななんだか懐かしいような、この暖かく湿った感覚は何だろう。ルーザース・パラダイス”なんてタイトルの曲があってもいいような気がするが。
 トム・ウェイツの”I WISH I WAS IN NEW ORLEANS ”などは、そんなひとときのテーマソングにちょうど良いかも知れない。

 南からのあまやかに匂う夜風が通う、時代から取り残された音楽の都で、昔ながらの酒に酔っていたい。すべてのものの輪郭が夜闇のうちに曖昧になる、そのことの優しさ。懐かしい友、会った事もない友、何百年も昔に死んでしまったはずの友と手を組み、ジャズの音流れる古い通りを大笑いしながら酒瓶片手に闊歩していたい。
 そんな時間の内に、世界などは崩れ去ってしまえばいい。もう辛い浮世などを振り返る必要がないように。この世のすべてが終わりのない祭りで、酷薄な運命を運んでくる夜明けなど、永遠に訪れることなどないように。

 そして来るべき朝。酔いどれて道に横たわる罪人にはそれ相応の報いが必ず用意されており、であるからこそ、罪人はますます深く酔わねばならないのである。



地中海組み立て方

2010-07-27 03:59:04 | ヨーロッパ

 ”CAMPI MAGNETICI”by FRANCO BATTIATO

 ああ、こういうときにはむしろ、この種の難解盤が向いてるのか。なるほどなあ。などと、他人にはどうでもいい事で頷いてしまったのでした。
 なにを隠そう、このところのクソ暑い気候のせいで文章を書く気力もまったく起こらず、文章をまとめる能力も霧散してしまった。というか、肝心の音楽を聴いてみてもさっぱり乗れず、むしろうっとうしいからやめとこうか、といった具合で、まったくの無為の夏を過ごしていた私なのでありますが。
 いやそれにしても夏って、こんなに暑かったっけ、昔から。

 と言うわけでイタリアの怪人音楽家、フランコ・バッティアートであります。この人は以前この場で、シュールレアリズム詩人とのコラボ作など紹介したことがあったんだけど。
 何しろこの人、電子楽器を駆使して前衛的な実験音楽を作ってみたかと思えば、ごく普通のポップスをギター抱えて歌いまくり、かと思えば本格的なオペラをものにしてみたり、頭の中がどうなっているやら見当もつかない、といった大変な人なのであります。今回のこのアルバムだって前衛バレーのための音楽とかで、クラシックの専門レーベルから発売されている。

 とはいえ、収められた音楽は普通にクラシックと納得できるものじゃなくて、電子楽器を駆使したアバンギャルドなダンス・ミュージックとでも言うしかない代物。まあ、ダンス音楽の伴奏として作られたものなのだから、ダンスと一緒に鑑賞しなければ本当のところは分からないかも知れないね、なんて意見もあるかと思うが、いや、そんなことしたらますます訳がわからなくなると思う、私は。変なダンスに決まっているもの、バッティアートなんかを音楽に起用する踊りなんてものは、さ。

 とにかくビシバシと打ち込みのリズムが降り注ぐ冒頭のトランスミュージック(?)から、バッティアートの奔放なイマジネーションの世界が容赦なく展開され、もうこれはついて行ける奴だけついて行くしかないよね。
 シンセの描く奇妙な音像がゆらめく中、お得意のクラシック調というべきか、グレゴリオ聖歌かオペラのアリアかという歌声が天から舞い降りてきて、ソロで、コーラスで、異形の幸福に満たされた別世界の輝きを歌い上げる。
 それだけやりたい放題やっていても普通に聴けてしまうのは、彼の音楽の中に地中海の陽の光をいっぱい浴びた陽性のパワーが漲っているからではないかなあ。光浴びた海辺にいっぱいに広げたキャンバスを相手に自由奔放に絵の具を塗りたくる、そんな開放感に満ちた音楽だから、バッティアートの作品は。

 そして最後に、まるで冗談みたいに置かれた古いシャンソン、”ラ・メール”が朗々と歌い上げられる。ああ、作者自身も念頭に”海”を置いてこの作品を作ったのか。なんだか、照りつける夏の陽光にうんざりした挙句にこの盤を聴きたくなったこと、作者から「正解」とお墨付きをもらったみたいな気分になった。
 あるいはこの作品全体が、子供の心に帰ったバッティアートが夏休みの宿題として描き上げた自由奔放な一枚の絵みたいにも思われ、楽しくなってくるのだった。



”パリ発ワールドミュージック”の効率的な捨て方は

2010-07-26 00:37:21 | 音楽論など
 (king sunny ade:Synchro System )

 前回のまとめと、その後の展開を思う。

 まずまとめとして言えば、他人の文化や他人の立場に、もう少し謙虚に接するべきではないか、ということ。そうすれば、高所から「そんなものを評価するなんて、ブラジル音楽を聴いてないんじゃないの?」なんて発言は出てこないんではないか。
 そしてもう一つ、そもそもあの盤が突きつけている問題は、ブラジル音楽ウンヌンという切り口で解決がつくものなのかどうか?と言うこと。

 たとえばここに、キング・サニー・アデが1983年に発表したアルバム、”シンクロシステム”があります。英国のアイランド・レコードが、所属アーティストだったレゲのボブ・マーリーが急逝した後、次なる「第三世界からのイーロー」として売り出さんと白羽の矢を立てたのがアデでした。
 アフリカはナイジェリアのローカル・ポップス、”ジュジュ”のトップミュージシャンだったサニー・アデが、世界の音楽市場を相手に打って出た記念すべきアルバム(これはアイランドからの2枚目だけれど、インパクトはこちらの方が強かった)なんだけど、これなんかどうでしょう。

 このアルバムを耳にしたとき、多くの人々は”ナイジェリア音楽を知らない人”であったはずです。あの頃、突然に”通”の人が光臨して一言、”シンクロシステム”を「これを評価する人ってナイジェリア音楽を聴いたことのない人だね」と切り捨てたら、どのような作用が起こったのだろう。
 ”シンクロシステム”が”ゲッツ/ジルベルト”と取り巻く状況で一番の違っていたのは、関係者一同が、つまりミュージシャン、プロデューサー、マスコミ、そしてその音楽を受け止めるファンの側まで含め、裏の事情まで知っている上での、”参加者全員確信犯”の”イベント”であったのですね、

 つまり、”シンクロシステム”はナイジェリアで聴かれている本来のジュジュ・ミュージックそのままの音楽ではなかった。西欧のレコード会社が世界市場の大衆の好みを想定し、彼らが受け入れ易いようにあちこち細工した音楽だった。アフリカ音楽の泥臭さを取り除き、一曲の長さも短く刈り込んで。
 振り返ってみればあの当時、ワールドミュージックがそれなりに商売になっていた頃、そんなアルバムが続々と生み出されていたものです。”パリ発ワールドミュージック”なんて言葉もありましたねえ。アラブのポップスをはじめて全世界に紹介して見せたシェブ・ハレドの”クッシェ”とか。パキスタンの宗教音楽カッワーリーの巨匠、ヌスラットなんて人も、聖なるお方にもかかわらず、ロックな音をバックに声を張り上げていた。

 そして時は流れ。その辺のアルバムって聴かれますか、ご同輩。私はもう聴くことはまずないですね。聴こうにも、それらのアルバムのほとんどを、もう手放してしまっている。現地盤を手に入れ、現地で聴かれている音を聴くことの出来る今となっては、それら”世界仕様”盤は、あまり必要のないものになってしまっているから。
(だからと言って、「あんなものをありがたがる奴はアフリカ音楽を知らない奴だよ」とか言うつもりは、もちろんありませんよ、もちろん)

 ところで。そんな私ですが、「ゲッツ/ジルベルト」は、たまに聴きたくなるアルバムです。なんかね、これも前回書いたことですが、なんとなく気になる部分があって、本場のブラジル音楽が聴けるようになったからといって用澄み、でもないんですよね。
 この辺が微妙なところで。さて、私がとうに手放した”パリ発ワールドミュージック”がなんだか気になりだして、慌てて買い戻す日なんてのは来るのでしょうか。なんとも分かりません、来るべき明日のことなど。つーか、今、ここに音を貼るために”シンクロシステム”をYou-tubeで本当に久しぶりに聴き直したら、なんか新鮮で、「これもありかな」なんて思い直している次第で。




俗物はどちら?

2010-07-23 03:43:06 | 音楽論など
 ”Getz/Gilberto”

 ここにとりいだしましたるは、ジャズのサックスプレイヤーであるスタン・ゲッツが、ジョアン・ジルベルト、アントニオ・カルロス・ジョビンといったブラジルのボサノバ関係の要人たちと吹き込んだ1964年度作品。これの大ヒットによりアメリカにおけるボサノバ・ブームが巻き起こることとなるわけですな。その反面、いろいろボサノバと言う音楽への誤解を産んだりしたわけですが。

 何でこんなアルバムを引っ張り出したかといいますとですね、ネット上でこのアルバムに関して「自分はまったく評価しません」という意見がなされ、それに呼応して「あれがいいと言うのは、ブラジル音楽を知らない人ですよね」なんて発言がなされたから。
 私はそれを読んでのけぞってしまいました。いやあ、よく言えるなあ、そんなこと。ここにはまず、「自分はブラジル音楽を正しく理解できている」という強烈な自負がある。私もまあ、そこそこですがブラジル音楽を聴いてはいます。でも、そこまでは言えない。「あれを良いなんていう奴はブラジル音楽を分かっておらん」と一刀両断に切り捨てる、なんて。

 しょせんは地球の裏の、自分が育ったのとはまるで別の文化の中で育まれた音楽ですからねえ。その音楽の本質を掴んでいるか知っているかと問われたら、胸を張って「知っている」と答える自信はない。自分が気が付いていない、どんな見落としや誤解があるかも知れないし。せいぜい、「聴いたことはある。好きなものもいくつかはある」程度でしょう、答えられるのは。審判を下す席に着くなんて考えられない。
 ここで書いてる文章にしたって「好き・嫌い」「面白い・つまらない」以上のものはないわけでね。
 まあこれに関しては個々人の性格というものもあり、文句をつけてもしょうがないんですが。ただ、「よく言えるなあ、”お前、ブラジル音楽を知らないだろ”なんて」と驚いているだけのことで。

 で、このアルバムについて、ですが。
 なんか、青少年の頃、ジャズ喫茶に入り浸っていた頃など思い起こさせる音ですねえ。いや、そう感じるのは後付けの記憶で、本当に聴こえていたのはレストランや商店街のBGMとして、だったのかも知れない。まあ、そういう扱いのアルバムじゃなかったか。
 でも思うのですね。このアルバムが吹き込まれた当時、ボサノバなんて音楽は世間的にはまるで知られてはいなかった、と言っていいんじゃないでしょうか。まず、そういう時代背景がある。

 そこに、前の年に吹き込んだ「ジャズ・サンバ」で一山当てたばかりのスタン・ゲッツがいる。おそらくはもう一発当てようと企んでいる。呼び寄せられたブラジル側のミュージシャンだって、ゲッツの計画に乗って何らかの現世的利益を、と考えて無かったってこともないでしょう。
 レコーディングの最中にゲッツとジョンの間にボサノバ理解を巡って一悶着起こったなんて話も聞きましたが、いろいろあったでしょうねえ、それは。二人とも、ただ事ではない人格ですからね、それは。

 で、ここに一つの歴史の扉が開けられているわけですね。何の扉かといえば”一つの音楽が若干の通俗化を伴い、世界規模の大衆音楽の流れに組み込まれて行く瞬間”という。
 立派な志ばかりでもなかったでしょう、”純粋”を旨とする音楽愛好家には納得できない音素だらけかも知れません。でも、そのいい加減な継ぎ接ぎの音楽の流れの底に、清濁併せ呑んでギラリと光る人間の生の営みの証し、みたいなものが覗く瞬間があるように思え、私は、こういうアルバムを簡単にバカにするものじゃないぞと密かに呟いてみたりもするのです。




見えない王国の歌

2010-07-22 04:50:13 | 太平洋地域


 ”Hawaiian Memories”by NA LEO PILIMEHANA

 ハワイの人気者女性3人組のコーラスグループ、”ナレオ”の2005年度作品。(グループ名は”"the voices blending together”を意味する、とのこと)
 このアルバム、そのほとんどが古くからハワイに伝わる伝承歌なのだそうで、実際、なだらかな起伏を描く流れるようなメロディののどかな曲が続き、大いなるハワイの自然と人々の心に包まれるようで、実に癒されるものがある。

 そもそもこのグループ、ただ音楽好きの女子高校生が集まり、自ら楽器を弾きながら遊びで歌っていたものが、コンテストで優勝したのをきっかけにプロの歌い手となってしまったなんて次第らしいが、いかにもそんな気安さが音楽の中に流れていて気持ちがいい。この種の楽園音楽で気張られたって扱いに困るからねえ。

 いかにもハワイと言っていいのか、それぞれにいくつもの民族の血が混交している感じのメンバーの顔立ちだが、その歌唱法は特に民族色を伝えるものではなく、ジャズ的というか平均的アメリカンポップスらしいもの。いかにもアメリカの平均的健全な家庭に育ったお嬢さんたち、みたいな空気がくっきり伝わってくる歌声だ。
 もともと、”本土”であるアメリカから伝わってくるポップスに心ときめかしていた彼女らなのであって、ナレオの3人は普段はそれらのものに大いに影響を受けた”ハワイ風のアメリカン・ポップス”を主に英語で歌っている。どちらかと言えば、それが彼女らの本来の顔なのである。

 そんな彼女らが20年に及ぶと言うキャリアの中でただ一枚世に問うた、ハワイ民族の血にかかわるアルバム、それがこの”ハワイアン・メモリー”だった。
 ナレオの三人の、澄んだコーラスによって歌い上げられる古い、はじめて聴くのに懐かしいような旋律は、その癒し効果によってこちらの心を包み込む。
 が、やがて私たちは知るのである。それら旋律の底に沈んでいるのは、失われたハワイ王国の哀しみの記憶である事を。 そいつはまるで”気配”と言ってしまえるような儚さだが、歌の中心に深い陰影を刻んでいるような気がする。


バリ・ジャイポン、混ぜるな危険

2010-07-21 03:33:10 | アジア


 ”Bali Jaipong”by SAMBASUNDA

 サンバスンダとは1990年代末、西ジャワで生まれた実験精神溢れるガムランのチーム。ジャワ島独特の小編制の瞑想的なガムラン音楽の伝統をユニークな方向に展開させる運動を行なっている。ともかく普通じゃない連中であるのは、グループ名から、すでに明らかであろう。
 とか何とか言っているけど、私はガムラン音楽に、まるで詳しくない。持ってるアルバムだって、これを入れても数枚といったところで。
 なんかねえ、これは偏見なのだろうけど、どうもガムラン音楽ってのは妙に格調高くて、胡散臭い気がしたのですな。”お芸術”好きな西欧人に受けようとして、あのような形が出来上がったのではないか、なんて疑ってしまって、好きになれなかった。と言うか本気で聴く気になれなかった。

 その後、バリ島の芸術自体が、そのような西欧を視野に入れた観光資源志向を孕みつつ発展して行った、なんて話を”バリ島”って本(講談社現代新書・永渕 康之 著) で読んだもので、ほれ見ろ、やっぱりじゃないか、などと意を強くしたのだった。ほら、”ケチャ”なんて大合唱音楽もあるでしょう、バリには。あれなんかも、いかにも”芸術でござい”なんて佇まいがあるでしょう。あれも偶然じゃない、はじめから西欧人のエキゾティックな南海に向ける期待にこたえんがために作り上げられた音楽なんだからね。

 などと悪口言っている私がこのアルバムを聴く気になったのは、同じバリ島に発生した、こいつは本物の大衆音楽である”ジャイポンガン”を、サンバスンダの連中が取り上げているからと知ったから。 
 ジャイポンガンというのは、小編制のガムランの伴奏を伴って歌い踊られる、比較的歴史の若いダンスミュージックで、変幻自在なリズムと感性の躍動が聴く者を血湧き肉踊る世界に誘う、といった音楽。
 端正なバリのガムランとエモーショナルなジャイポンガン、どのような対決を見せてくれるのか。こいつは興味をそそられた。

 聴いてみれば、バリのガムラン音楽が作り出す華麗な音像の中で、エロティックとまで言われたジャイポンガンの暴れまくる様、実に痛快であり、まさに外はカラッと仕上がり中は肉汁たっぷりの強力な民俗料理に仕上がっており、この辺には実はあんまり詳しくない私も、大冒険世界を大いに楽しんだのだった。これは凄いよ。

 残念ながらサンバスンダのこのアルバムの音はYou-tubeにはないみたいなので、ジャイポンガンの映像を再生回数の多いものを選んで貼っておきます。




人類の面影

2010-07-18 04:34:34 | 北アメリカ

 ”ILLINOISE”by Sufjan Stevens

 毎度、ユニークなイラストのジャケに弱くて、すぐジャケ買いとなってしまう私なのであって。この盤も、どのようなアーティストなのかまったく知らずに、ただただ雑誌に載ったジャケ写真に惚れて購入。すでにアメリカのシンガー・ソングライターなど聴くこともなくなっていた当方であり、内容はまあ、問うまいと覚悟していたのだが、いやこれが予想を裏切って面白かったのだった。この分野でこれほど楽しめるとはね。

 音楽的にはどう定義していいのか分からない。様々なフラグメントが横切る。広義のアメリカン・ミュージックとでも言うんだろうか。何か私には甘美な夢も悪夢もゴタマゼになった歪んだ夢の中でゆらめいているアメリカと言う名の虚像の記憶を歌う音楽、みたいに聴こえる。ジャズやらカントリーやらボードビル音楽やら、何もかもが奇妙な懐かしさの中で解け崩れ、夕暮れの空にちょっぴり現実離れした華やぎを見せている。

 歌詞など読んでみると、こいつはまるで何百年も未来から廃墟と化したアメリカの大地を眺め、その荒野に眠る記憶を掘り返した、みたいなポジションで書かれている。なにしろ歴史上の重大事件も、アホなUFO目撃談も、ゾンビ映画のストーリーもが等価で描かれているのだ。遠く過ぎてしまった出来事たちを遠くに眠る夢と認識する者にとっては史実も虚構ももはやその境界はぼやけ、見分けがたくなっている。ただ残るのは、かって生きていた人々の見た夢の照り返しだけ。偉容を誇る高層建築も、ただ廃墟の面影を宿すものとしか描かれていない。

 そう、実はもうこの世界は終わってしまっているのだろう。にもかかわらず、それに気が付かずに生き続けねばならない我々の滑稽さと悲哀を何世紀も未来から振り返って歌ってみたのが、このアルバムではないのか。



ダルい夏の入り口で

2010-07-17 02:35:08 | いわゆる日記

 15~16日と当地は夏祭り。もちろん私は祭りなんか嫌いだ。が、近所付き合いもあるので15日は山車巡行に付き合う。クソ暑い中、疲労困憊。おかげで明けて16日、起きられずに祭りをサボってしまう。そして明日17日、実は一番大変な”祭りの後片付け”がある。出ないわけにはいかんなあ。う~。(2

 昨日の夕方、そろそろ山車が出発する時間だな、付いて歩くのは面倒くさいなあ、などとブツブツ言いながらコーヒーを飲んでいたら、どこかであの南アフリカにおけるワールドカップの際、話題になった民族楽器ブブゼラを吹き鳴らす音が聴こえた。
 ああ、持ち出す奴がいるだろうなとは思っていたよなあなどと苦笑するうち、そのブブゼラ奏者は、私の街の祭り太鼓のリズムパターンの一つを吹き鳴らし、と、彼を取り囲んだ連中が「エエドッコイ!」と唱和した。
 ああ、馬鹿馬鹿しくていいなあ。うっとうしい祭りに吹いた一服の涼風と。言うほどではないにしても。あれ、本番の山車の上でもやってやったらいいのに。

 ダラダラ歩いて山車のところに行くと引き綱のあたりに、どこかの神輿から流れてきたかと思われる、おそらく水商売関係の若い女数人がギャーギャーと盛り上がっている。まあ、慢性的に参加者不足で困っているわが町内、なんだって歓迎なのだが。
 その彼女らの衣装、サラシを巻いた祭りの装束とアムロナミエのステージ衣装の折衷、とも言うべきもので、なるほどこれが現代というものか、などと昭和30年代のドキュメンタリー番組のオヤジくさいナレーション風に呟いたりしてみる。
 その彼女ら、山車巡幸の間、ずっと祭り太鼓のリズムに合わせてヒップホップ系のダンスを踊りまくり、エグザイルといったっけ、あの連中のステージの物真似とかも披露し、だんだん私は面白くなっていったのだった。やったれやったれ。

 と、無駄な文章を続けるうちにも時は過ぎ行く。ああ、酒が飲みてえ。けど、飲んでしまったら明日、目覚める自信はない。



神話を疑え

2010-07-15 02:29:51 | 音楽雑誌に物申す

、知り合いが、レコード・コレクター誌の8月号、「日本のロック/フォーク・アルバム・ベスト100」なる記事に関してmixi日記を書いておりました。それに呼応して私が書き込んだコメントが下のものであります。そんな次第でこれだけでは意味の分からない部分もあるかと思いますが、まあ、大体の趣旨はご理解いただけるかと。

 ~~~~~

 別にパクリだってかまわないと思うのです、聴く側のこちらにしてみれば、結果としてその音楽が面白いものになっていれば良い。大衆音楽なんて、元からそんなものだった。
 節操も無くってかまわないじゃありませんか。世界中の音楽をつまみ食いしているワールドミュージック好きの当方としては、一つの音楽に操を立てて同じような作品ばかり繰り返し作り出しているミュージシャンのもたらす退屈より、よほどマシです。
 要は、結果として出来上がった音楽が面白いかどうか、それだけで十分でしょう。いくら志が立派だって生み出される音楽が退屈では仕方がない。

 それにしても、その音楽が日本のシーンをリードした、なんて。”日本のロック史=細野晴臣の歴史”なんて、おこがまし過ぎますよね。
 そもそも私、細野氏は、というか”はっぴいえんど”人脈は、過大評価のなされ過ぎだと思うのです。それほどのものだろうか?
 日本語ではじめてロックをやった、とか。では、それ以前は日本のロックはすべて英語で歌われていたとでも言うのか?あるいは、”はっぴいえんど”の”ロックの歌詞”が、それ以前の”日本語のロック”をすべて”無価値”としてしまうほど優れたものだったと言い切れるのか?

 ようするに細野氏をはじめとする人脈を”偉大なるミュージシャン”としておく方が商売に都合の良い”業界”があり、それと結託して動くジャーナリズムがあり、というまったく古くから変わらない”芸能界の産業構造”がある、それだけのことではないですかねえ。
 そして、垂れ流されるもっともらしい神話に踊らされるファンたち。
 昔、早川義男氏は”ラブジェネレーション”の中でこう歌いました。「信じたいために親も恋人をも すべてあらゆる大きなものを疑うのだ」と。
 若い皆さんには、「ベストが出たら一から疑え」とでも提言しておきましょうか。

 以上、70年代の初めに”はっぴいえんど”のアンプ運びを担当していた者として、非常に苦い思いで記しました。