ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

沖縄に行ちぶさ 戻いぶさ

2011-08-01 05:40:58 | 沖縄の音楽


 ”めんそーれ沖縄かい”by 玉城貞子

 先日から私の街のスーパーで、沖縄物産展とかやってましてね。私は、おう、こいつはいいや、とか言って沖縄のチューハイ缶など買い込み、冷蔵庫に放り込んでおいたのですね。で、昨夜、沖縄島歌のCDを聴きながらブチ、と缶を開け、パイン&シークァーサー”味のチュウハイをグビグビやったんですが。
 いや、その甘さに驚いた。パイン味ってこれ、パイナップルの缶詰に満たされている甘い甘い汁、あいつがそのまま缶を満たしている、くらいの迫力ある甘さがある。大丈夫かこれ、飲んでるだけで糖尿病にならないかな、なんて本気で心配しちゃったんですが、でもあの容赦ない甘さこそが太陽輝く南国のノリなんでしょうね。そこを分からんのでは仕方ないな。とか言いつつ昨夜はいくつもの缶を開け、すっかり南国直送の泥酔を満喫したんです。

 さてこのCD、帯には「風狂の女歌人」なんて凄い惹句が書いてあります。こりゃすごそうだな、とんでもないエキセントリックなド迫力の歌をうたうんじゃなかろうかと、まあ蛇道な期待をしてこのアルバムを買ったわけです、私は。が、聴いてみれば。どこが、という作品なんでありました。私はすっかり和んでしまったのでした。
 いやいや、現地沖縄の人々にしてみれば、これで”風狂”な感じなんですかね。その辺はなんとも分からないが。
 ともかくこのアルバムで聴く玉城貞子さん、キンキンしたところの何もないフワッとした高音が、なんだか雲を吐く、なんてのも、ものすごく意味の分からない表現だろうけど、そんな感じの歌魂がゆらゆら舞い出るみたいな歌い方で、飄々と沖縄の古い懐かしい歌を歌いついで行く。あくまでもマイ・ペースで。

 この軽い感じがとても良いのですね。時々顔を出す男性歌手とのデュオでは、ほとんどメオト漫才の空気が漂います。このところ、ほんとにいろいろめんどくさいことがあってクサクサしていた私はひと時、すっかり癒されたのですね、貞子さんの歌に。
 そのうち、気がついた。たとえば”古酒になるまで”とか”冬ぬ夜雨”なんて地味な哀感の漂う歌がとてもいいんですね。前者なんか英国民謡の”ジョン・バレイコーン”なんかと比べてみたい歌なんだが、まあそれはここではあちらに置いておくとして、このしみじみとした情感がゆっくりゆっくりと伝わってきて、気がつくとこちらの心はすっかり懐かしさに水浸しになっている、この感じね。これはたまらんものがある。

 懐かしいって、どこに?うん、行った事もない、見た事もない、もう多分失われてしまったのだろう、古い沖縄の風物が懐かしくてたまらない。
 こちらのテーブルの上におかれた過激に甘いチューハイの、グラスの中に揺れ動く気配はそのまま黒潮逆巻く海を渡り、同じ時間、懐かしい沖縄の酒席の上のグラスと同じペースで揺れている。懐かしいです。海を越え、懐かしい人々の元に帰りたい。その、逢ったこともない人々と杯を交わしたい。

 さて、下に貼る試聴がなにもないのが残念でなりません。貞子さんの歌、You-tubeには一曲もありませんでした。ほかの人で、”うちなーブルース”とか、貞子さんのヒット曲を歌っているものでもないかなとさがしたんですが、ダメだった。貞子さん自作の”ふるさと”なんて曲、聴いてほしかったんですがねえ。




ちょんちょんキジムナー探訪

2010-08-08 04:37:42 | 沖縄の音楽

 ”ちょんちょんキジムナー”by 照屋政雄

 沖縄方面のミュージシャンで私が一番興味あるのが、実は照屋政雄氏なのであって。あれは普天間かおりのヴァージョンだっけか、政雄氏の代表作である”チョンチョン・キジムナー”を聴いて、何だこりゃ、こんなひょうきんな歌を作ったのはなにものだ?と慌てて氏の経歴を調べたりCDを買い込んだりしたものだ。
 キジムナーとはもちろん、あの沖縄の愛すべき精霊なのであるが、氏は彼ならではの愛嬌たっぷりの手管で、現実と非現実のあわいに住む伝説の生き物を、実に生き生きと親愛の情を込めて描き出していた。

 それにしても照屋林山、登川誠仁両氏をはじめとして、錚々たる師匠連に沖縄の伝承音楽を学び、言ってみればかの世界の”王道”を歩いてきたかに見える正雄氏、にもかかわらずさっぱり偉そうではない、むしろ素っ頓狂なキャラを貫いているのが嬉しいではないか。
 中ジャケでも複数の人が政雄氏の日常のトボケた失敗談など紹介しているが、その楽しさ、暖かさがそのまま、氏の音楽の魅力と直結している。
 ここに挙げたアルバムは沖縄のローカル・レーベル、”んなるふぉん”から2002年に発売になった、おそらくは氏の初のソロアルバムなのだが、ここには政雄氏の音楽の、気のおけない楽しさが頭から尻尾までギッシリと詰まっている。

 沖縄と言う土地の日常の、なにげない生活の喜怒哀楽や伝承を歌う、その狭間々々に、聴く者の脇の下にもぐりこんでコチョコチョくすぐり倒すような飄々とした風刺と諧謔のタマシイが潜んでいる。その標的となるのはオカミの作ったなんの役に立つやら分からない道路から、”分かっちゃいるけどやめられない”と自堕落な生活を続ける名もない庶民の日常まで、分け隔てはない。
 沖縄の伝統音楽の素養はもとより身についている政雄氏だが、一方、沖縄漫才等の方にも手を染めていて、そのあたりから身に付けたのだろう、”寄席芸の肌触り”が、彼の歌声、節回しから良い具合でこぼれ落ち、氏の音楽に更なる奥行きを与えている。彼の歌の向こうに、裏表から見た沖縄の庶民史が透けて見えてくるような気がしてくるのだ。

 ギターやベース等の軽い伴奏が付いている曲もあるが、多くは政雄氏の三線の弾き語りで、このパフォーマンスにおいても、鋭さよりはどこかコロコロした鈍角の愛嬌(?)を滲ませる政雄氏である。
 コミカルでファンキーな自作曲の間に伝統曲を挟みつつ進行したアルバムは、かっての紅楼の巷におけるドタバタ騒ぎを活写した愉快な”吉原漫歩”で幕を閉じる。こいつがまた、楽しい曲である。
 で、聞き終えると同時にこちらは、照屋政雄氏の世界にますます惹かれ始めていて、「早く次のアルバム、出ないかなあ」などと呟いてしまっている次第だ。





わたんじの歌

2010-02-08 03:03:30 | 沖縄の音楽

 日曜の朝刊を開いたら、先ごろ亡くなった森繁久弥の回顧CDの広告など載っていた。そいつを見ながら「う~む、CD6枚組で13000円かあ・・・」などとツイッターしつつ頭を掻く。どうしたもんかねえ。
 いや、特に森繁のファンだとか思い入れがあるとかいう訳じゃないんだが、この大部の全集の隅っこにいくつか気になる曲があり、なんとなく引っかかるのだ。気になる2~3曲のために大枚13000払う訳にも行かないし。他の音楽なら、それを買った奴に聞かせてもらうという手もあるのだが、こういうものを買う奴がそう簡単に身近かにはいないだろう。

 今回の全集で言えば3枚目の、”哀しき軍歌”に入っている「ポーランド懐古」なんてのは気になる。ロシアとドイツ。なにかとナンギな両国に挟まれて苦難の歴史を歩んできたポーランドの運命に関わる歌なんだろうか。このタイトルだけで、もう歴史へのロマンとなにやら切ない思いで胸がシンとして来はしないか。
 ネットで調べてみると、”他国に領土を蹂躙されたポーランド国に同情の想いをこめて作られた”なんて解説がされていて、ほら見ろやっぱり。それ以上の詳しい解説も、もちろん歌詞の現物も見つからないので、後は想像するしかないのだが、聴いてみたい、と言う想いはつのるよなあ。

 同じく軍歌編には”バタック族の歌(戦士を送る母の歌)”などと、ますます気になる曲もある。バタックといえばスマトラ島北部に住む独自の文化を誇る民族で、イスラム国のインドネシアにおいてキリスト教を信仰する者も多かったり、何かと気になる人々である。
 これは、それらの人々をテーマにして我が国で作られた曲なのか、それともバタック族の間で歌われていた歌に日本語の歌詞でも付けたものだろうか。バタック族は音楽面でも独自の才能を持ち、興味深い内容の民族ポップスを持っていたりするので、これは気になる。
 この曲に関しても満足できるような解説には出会えず、そして両曲ともYou-tubeでも見つけることは出来なかった。

 この種の昔の歌い手の大全集の広告を見るたびに、こんな思いをしているのだが、有効な対処法はないものだろうか。時の流れの中でその面影薄れ行く、かって人々に愛された歌々と、それらが秘めていた様々なドラマ。なんとか捉えてみたいが、何しろ1曲や2曲のために13000円は痛いよなあ。
 などと、貴重な資料を得るためにはゼニなど惜しまない真面目な研究者からはセコい奴と呆れられそうなぼやきを繰り返しつつ、それでも当たってみるうち、4枚目の”老いた船乗りの歌”編に収められている「わたんじの歌」に当たりが出た。

 この歌は大正12年に、沖縄、というか八重山の宮良長包氏の作曲、大浜信光氏の作詞によって作られた「泊り舟」なるローカルの歌謡曲であるようだ。
 森繁は「泊り舟」を聴いて気に入って、舞台などで歌っていたようだが、何しろうろ覚えのメロディを例の森繁節で勝手に改変し、かつ一番しか知らない歌詞も、その後の部分を勝手に創作し書き加えてしまった。結果、本来の歌とはかなりかけ離れた出来上がりとなり、原曲を知る八重山の人々は、森繁のこの録音を聴いてかなり複雑な想いをしたようだ。

 で、この曲はめでたいことにYou-tubeに見つけることが出来た。確かに沖縄本島の歌とは微妙に手触りの違う歌で、これが八重山の味の一つなのだろう。

 「渡地(わたんじ)は風だよ 今日も泊り舟 風見の旗がホイ ちぎれるぞ」

 吹き抜ける風に海の暮らしの厳しさや寂寥感が滲むような切なさの伝わってくる歌で、森繁が惚れたのも分るような気がする。
 それにしても森繁が偶然この歌を聴いた、その成り行きというのはどのようなものだったのだろう?”ひょんなところで島唄と遭遇”というと、あの田端義男と奄美新民謡との出逢いなど連想せずにはおれないのだが。



ニライカナイ・レイジーブルース

2009-08-11 04:10:24 | 沖縄の音楽


 ”桃源楽”by 吉育

 ハーモニカ、と言うよりはこのアルバムに関しては、その演奏スタイルからブルースハープと呼ぶべきなんだろうけど・・・
 これはブルース系のハーモニカ演奏による沖縄名曲集。妙な事を思いついたもので、なかなか不思議な切り口から沖縄音楽の楽しみを広げている。2007年作。
 プレイヤーは京都で活躍中のブルースマンとのこと。そもそも沖縄の音階なんか吹けない筈の構造の楽器を見事に操り、とても素直な手触りで、かの地のメロディを紡いでくれている。

 というか、私は無謀にも確信持って言うけど、これ、ふと”PW哀りなむん”をハーモニカで吹いてみたら結構決まっていたんで、そこからアイディアが膨らんでアルバムが出来てしまった、なんてことはないかなあ?
 いやなに、あの第2次大戦直後、アメリカ軍の捕虜になった沖縄島民の悲哀を描いた曲のメロディをはじめて聴いた時、「あれれ、これは沖縄音楽であると同時にブルースでもある、みたいなメロディだなあ」なんて感じたことがあるものだから。

 その”PW・・・”はチューバなども入ったオールドジャズ風というかボードヴィル調のアレンジで、コミカルな中にも悲哀が滲む感じの演奏を聴かせるが、その他の曲も多彩なアレンジがほどこされている。
 チンドンっぽいバックが付いたりシロホンやウクレレが鳴り響いたり、おもちゃの国の行進曲風になったりアイリッシュ・トラッドっぽくなったりと変幻自在に、この世のどこかにありそうでいてありえない楽園のファンタジィを描いてみせている。夏の暑さに倦んだ体と心にとても気持ちの良い出来上がり。そして時に聴く者の心を、気ままな旅への欲求で一杯にしたりもする。

 もっとも私の好みで言えば、もっとシンプルな音も良かった。たとえば三線、あるいは生ギター一本だけをバックにのんびりと聴かせてくれたら、なんて考える。ふらりと沖縄に立ち寄った旅人が気が向くままに、その地で出会ったメロディをポケットに忍ばせてきたハーモニカで吹いてみた、なんて図が出来上がるんじゃないか。その時、スカスカの音の隙間から吹いてくる風の感触はちょっとしたものじゃないか、なんて思うんだが。

 第2集の計画があるなら、その方向で検討してみて欲しい。まあ、あんまりありそうな気もしないのだが。そこをなんとか。

 試聴も貼りたかったんだけど、さすがにネットのどこを探しても音がなかった。

鳩間の港の猫時間

2009-07-21 03:43:48 | 沖縄の音楽

 ”ヨーンの道”by 鳩間可奈子

 あれは何を調べようとしたんだっけなあ、ともかく私はその日、You-tubeの沖縄シマウタ関係をあちこち覗いては何ごとか探し出そうとしていて、そのついで、というのもなんだけれども、その時偶然に出会った鳩間可奈子という女の子の歌う”鳩間の港”なる歌がちょっと気に入ってしまったのだった。
 まあ何のことはない、宴席で手拍子を打って歌うのにちょうど良い、調子の良いメロディの波止場のお別れ唄なんだけど、その気のおけないメロディが気に入ってしまったのだった。一杯機嫌で歌ってみたら楽しいだろうなあと。

 その後、彼女が”鳩間の港”を含むアルバムを沖縄現地のレコード会社から出していると知ったんでさっそく取り寄せてみた。今、ジャケ裏を見てみるとこのCD、2000年の暮れに出ている。何を今頃言っておる、だろうなあ、シマウタ好きの人たちには。こんな文章は。いやあ、私は沖縄の音楽を聴きはじめたのはごく最近のことなんで、ここの所はお許しを願いたい。

 この鳩間可奈子と言う歌手は沖縄は石垣島方面の出で、八重山の民謡をことに好んで歌ってきているとのこと。まあ、今述べたように八重山の民謡の特性、といった事もまだ全然分っておりません、私。申し訳ない。
 まあそんな訳で、なるほど、歌詞カードを見ると”八重山民謡”と記された曲もいくつかある。そして。完璧にシロートの私がこんな事を言うのもなんだけれども、確かにこれまで聴いてみた沖縄のシマウタとは、趣が違っている。なんというか、よりのんびりした時間が流れているみたいな手触りを感じたのだな、彼女の歌に。それが八重山の民謡の特徴か彼女の個性かは分からない。どちらでもある、みたいな気がするのだが。

 あまり”プロ!”って感じにいきり立つよりも、そこら辺の音楽好きの女の子がふと唄ってみた、そんな気負わなさがふんわりとした唄の個性となって彼女の歌には漂っている。そののどかさが心地良く思えた。ちょうど、このアルバムに八重山民謡で”与那国の猫小”って曲が入っているが、港に住み着いた野良猫が暖かな日差しの中でのんびり昼寝をしているみたいな、そんな風景が浮かんでくる彼女の唄の個性が、なにやら嬉しいのである。

 アルバムの主人公である鳩間可奈子の個性はそれでいいとしても、このアルバムの作りはしかし、いかがなものか。すべてではないが、何曲か問題ある曲が目につく。
 冒頭の”トゥバリャー”や4曲目、”NIFAI-YOU”あたりの、妙に都会的なオシャレなサウンド作りはどうだろう。彼女の個性には全然合っていないと思うのだが。どうなっているのだ。策士、知名定男らしからぬ誤算と言えまいか。
 それでも製作者の期待に答えようとロックなバックトラックに負けじと力んで声を張っている彼女がなんだか痛々しくもある。

 憤りさえ感じたのが、中山千夏作詩、小室等作曲の”老人と海”なる曲。なんスか、これは?70年代の亡霊が立ち上がって来たとしか思えない、時代錯誤もはなはだしい曲だが、何で彼女にここでこの唄を歌わせねばならないのか?理解に苦しむ。時々、プロデュースの知名定男は、こういう変な行動に出るのだよな。
 それでも昨年出た2枚目のアルバムでは、妙な小細工は成されることなく、おそらくは一作目への反省に元ずき(と信じたい)彼女の個性を生かした八重山民謡中心の構成になっていると聞く(私も盤は買ったのだが、まだ聴いていない)ので、そのうち時間を作ってのんびり聴いてみようと思う。

 ・・・と、書いてみてあらためて驚いたのだが、1stと2ndの間が8年か。いくら島時間と言っても。いやまあ、これが彼女のペースであるのなら文句を言う筋合いでもないのだが、もちろん。




ジントーヨーBLUES・普久原恒勇の世界

2009-03-08 01:52:34 | 沖縄の音楽


 ”芭蕉布~普久原恒勇作品集~

 沖縄大衆音楽界の誇る大物作曲家、普久原恒勇氏の作品集である。
 この人の名は田端義夫氏のアルバム、”島唄2”で覚えた。そこに収められていた、普久原恒勇のペンになる2曲が、アルバムを聞き返すうちに段々気になってきたのだった。
 何しろその2曲、まったく作風が違う。かたや、スイングジャズ調と言って良いのか、明るい曲調で沖縄賛歌を謳い上げる”泡盛の島(こちらのアルバムには「うるま島」の名で収録)”、もう一曲はコテコテの音頭調島唄といいたい”南国育ち”である。

 こちらがイメージする沖縄音楽のイメージを完全に裏切ってのクロマチックの音階、そこに含まれる湿度もほぼ0パーセント、明るく弾むメロディを持つ”泡盛の島”には、「へえ、沖縄にはこんなにも早くから”洋楽風”なポップスを書く作曲家が存在していたのか」と、まだ喜納昌吉あたりからしか沖縄を知らなかった頃の当方としては、認識を新たにさせられたのだった。
 が、後者、”南国育ち”は島グチ混じりの歌詞を持つ、一杯機嫌の手拍子が似合う、昔ながらの気のおけない宴会ソング風のメロディである。なんなんだこいつは?一人で伝統の破壊者と守護者の役を演じているじゃないか。

 その後、沖縄音楽のCDをあれこれ聴き進むうちに、作曲家・普久原恒勇の作品にあちらでもこちらにも、と言う感じで出会う事になり、そこには沖縄における大ヒット曲と言える作品も少なからずあって、ますます彼の事が気になってきたのだった。
 やはり作風の幅は相当に広く、沖縄音楽を意識的に聴き始めたばかりの者には古くから伝わる民謡としか聞こえない曲があるかと思えば、”うるま島(泡盛の島)”の線の、爽やかなジャズ・コーラスのアレンジが似合う曲もあり、といった具合。その他、調べてみれば交響曲の作曲をするかと思えば、三線の教則レコードまで出しているようだ。

 その全貌と言うか正体を知りたくなり、探し当てて手に入れたのがこのアルバムという次第である。
 普久原恒勇は1932年の生まれ、家業は沖縄音楽専門レーベルである”マルフクレコード”だったというから、これはもうかなわない、と頭を下げるしかないみたいに思える。そして、幼い頃から専門的な音楽の教育も受けていたようだが、ご本人は音楽の道にはさほど興味がなく、はじめは写真家を目指していたようだ。西洋音楽に興味はあったが沖縄音楽にはさほど興味はなかった、などと余裕のスルーぶり。
 いやあ、こういうとんでもない仕事をやり遂げる人の経歴なんてものはこんなものだよね。意識することもなしに身に付けてしまっていたんだろうか。あの幅広い活動を可能とする知識とか感覚と言うものは。

 このアルバムは普久原恒勇の作品のうちでも、革新的なアレンジがほどこされたものを主に集めているとの事で、聴き進めばなんとも目くるめく音楽的冒険の数々に出会うことが出来る。あるいはボサノバ・ギターと三線が絡み合う中から歌い出される伝統的島唄のメロディがあり、ジョン・レノンの”ラブ”に共鳴する形で書き下ろされた唄があれば、古い八重山の民謡を分解構成させた実験作もあり。
 私を驚かせた”沖縄ジャズポップ”調の曲は1960年代、沖縄の新しい歌を作ろうという運動に呼応する形で生み出されたもののようだ。

 素晴らしいのは、それらすべてがあくまでも片々たる大衆と共に生きる者の感性から歌い出されている点であり、民衆を離れた実験室の学者の御作品となってはいない点である。複雑な実験は行なわれてはいても、その魂は無名の市井生活者のポジションから外れることなく、いつでも彼らと酒を飲み交わしながら歌いだせる人懐こさを失うことがないのだ。

 この文章を書くためにあれこれ調べていて知った事。彼の、もっと知られている作品といっていいだろう、”芭蕉布”という美しいワルツがあるが、この曲は元々は1965年、ハワイの日系三世の歌手、クララ新川のために英語詞を付けられた形で生み出されたそうな。活動のスケールもでかいなあ。
 その後、日本語詞が付けられて日本のあちこちで歌い出され、ついには東京は新宿の歌声喫茶「灯」で”50年間に歌われた曲”のベスト2になったという話にも驚く。私はこうして沖縄音楽のCDなど聴き出す以前にはこの曲、耳にした記憶がないのだが。

 この”芭蕉布”って、沖縄っぽいところがないようである、みたいな微妙なメロディ展開も面白く、良い曲と思う。気に入っている。
 ところでこの曲、女性ばかりが録音しているみたいだが、男性が歌ったら変なニュアンスが出てしまうのだろうか?ちょっと気になるんで、ご存知の方、ご教示ください。ときどき、ギターを弾いて唄っているんでね。
 それにしても、こんな人こそ何枚組みかの作品集を出して欲しく思うんですがね、レコード会社のみなさん。

春やかりゆし

2009-01-01 23:41:00 | 沖縄の音楽


 ”春やかりゆし”by 玉城一美

 昨日は「風邪ひいてるけど大晦日だし、酒飲んじゃおうかなあ」とか書いたけど、結局大事を取って飲まなかったのでした。シラフで年越しをしたなんて、20年、いや30年ぶりとかさ、そのくらいになるんじゃないか。軟弱になっちゃったなあ、かっては医者も呆れるアルコール依存の凶状持ちだったのにねえ。
 で、昨夜のネット上の知り合いたちの日記を覗いて歩いたら、なんかやたらにあちこちですき焼きの話題がのぼっていたんで、こちらも食べたくなって来た。で、正月の夕食に、真似してすき焼きをたらふく食ってみた。
 そしたら今になって若干の回復の感触が出てきたんで、「よし、一日遅れだが今夜、昨夜の分を飲み直すか」なんて気分もあり、なんだが、その一方、「調子に乗るな。もう一晩、断酒しておけ」とか心中、諌める声もあり。
 どっちにしようかな。あなた、どうしたらいいとお思いですか。

 本日の一枚は、なんかいかにもジャケの写真が”新春”って感じなんで、購入した昨年の夏から”新年一発目の日録にはこのジャケを貼ろう”と決めていた一枚であります。

 これは昨年リリースされた沖縄の民謡歌手・玉城一美の、多分2枚目のアルバム。
 玉城一美は、沖縄民謡の父といわれた玉城安定の娘であり、沖縄の民謡界で活躍を続ける一方、かっては坂本龍一のワールドツアーに参加したり、といった活動もしている人のようだ。

 収められたどの唄にもジャケ通りの、ほっこりと春がほころんだ、みたいな暖かく華やかな空気がほんのりと通うアルバムであり、風邪に悩まされつつ春の日差しを待つ、みたいな気分の時には最適の作品だ。
 いわゆる沖縄島唄の歌い方なのだが、重くない持ち味に好感が持てる。あくまで軽やかにふんわりと歌声を空気に乗せて行く。いくつも”春”や”花”の一文字がタイトルに含まれる曲が収められているが、この辺も彼女の持ち味を分かっての事なのだろう。

 そんな具合に、”沖縄・春気分”のアルバムではあるのだが、その一方でこれは、戦争の翳りがあちこちに差しているアルバム、という側面もある。
 たとえば、これも沖縄音楽の巨星・普久原朝喜が第二次大戦時、滞在していた大阪の地で、沖縄戦で荒廃した故郷を思って書き下ろした名曲、”懐かしき故郷”が収められている。その他、「二見情話」「軍人節」「平和の願い」などなど。

 それは、玉城一美自身の筆による父母への想いを記した小文が添えられているように、このアルバムには亡き父(2001年、没)の残した唄を歌い継ぐ、というテーマがあり、それに沿って曲を選んだ結果、玉城安定の生きた時代が時代であったから結果としてそのような内容になってしまった、というのが本当のところなのかも知れない。

 けれど、先に述べた玉城一美のフワッと軽やかで暖かな歌唱でそれらが歌い上げられて行くと、もうこの世にはいない人々の魂よ安らかにと玉城一美が捧げる魂鎮めの唄、あくまでも春の風に似合いの優しい笑みを含んだ送り唄、との意味合いも出てくるようで、こいつはちょっと、ほっこりしつつも粛然とした想いにも駆られる、不思議な作品となっているとも言えよう。

 ああ、いいね彼女は。よし、最初のアルバムもなんとか手に入れとこう、と決まる。


≪収録曲≫

1.春ぬうた三味線
2.バチクヮイ節
3.宝親がなし
4.汀間節・月ぬ夜
5.二見情話(共演:神谷幸一)
6.久米阿嘉節
7.多良間ションガネー
8.懐かしき故郷
9.越来・城前町
10.花ぬ恋心
11.華ぬ高離り
12.軍人節(共演:神谷幸一)
13.世持節
14.春や春
15.平和の願い


面影の世果報に

2008-08-26 03:07:56 | 沖縄の音楽


 ”ゆがふ”by 普天間かおり

 ”ゆがふ”とは、すべての人々が平和で健やかに生活が出来る、そんな世の中を表す言葉だそうな。

 沖縄出身のシンガー・ソングライターである普天間かおりのバイオグラフィーを見ると、”琉球王朝の流れに生まれる”なんて書いてある。
 この事に音楽上、どれほどの重さを見るべきか当方には分からないのだが、彼女の音楽自体には特に濃厚な沖縄音楽の伝統臭は感じられない。
 まあ、その種のものを期待するのはワールドミュージック好きの野次馬たるこちらの余計なお世話なのであって、沖縄出身のミュージシャンが東京や大阪の同業者と同じタイプの音楽をやったらいかん、というものでもない。

 それは別にしても、普天間かおりの音楽は”重厚なメッセージを込めた歌を感動的に歌い上げる”という方向に主眼が置かれているようである。公式サイトの曲目紹介にも、”この歌が歌われると感動して泣き出す人が”なんて表現も多く見られる。
 根が時代遅れの裏町詩人で、”しがない歌謡曲”にこだわる当方としては、そのような志の高い音楽は苦手であって、彼女のファンになるのは諦めた次第。

 普天間かおりは見た目も美しく、また”王朝の血を引く”なんて話は好きなんだけどねえ、残念だ。
 でも、そんな彼女のアルバムで好きな一枚があって、それがこの”ゆがふ”なのである。

 このアルバムには彼女のペンになる作品は収められていない。代わりに”芭蕉布”やら”ティンサグの花”といったスタンダードな沖縄もの、そしてさらにベタな”花”や、あるいはザ・ブームの”島歌”などという曲目までもが歌われている異色のアルバムである。
 普天間かおり自身の解説文によればこのアルバムは、彼女自身が幼い頃から親しんできた民謡やわらべ歌、あるいは沖縄にちなんだ有名曲などをあえて歌ってみたものだそうだ。
 つまりは一旦、”感動を与える歌い手”という立場を離れ、肩の力を抜いて自らの足元を見直し、ルーツを検証してみたアルバム、と理解したのだが。

 ここに見られる普天間かおりは、まさに等身大の喜怒哀楽を歌う普段着の歌い手であって、いつもの空の高みを目指して飛翔する”感動の送り手”ではない。
 彼女の、ここでは体温までも感じ取れるようであって、こんな音楽を心の一番柔らかな部分に秘めつつ、彼女は歌っているということなのだろう。
 こんな音楽ばかりをやっていてくれたらなあ、などとつい思ってしまうのだが、いやいや、人は”更なる何か”を求めて、この優しい土地をある日、立ち去って行くものなのだろう。更なる高みを目指して。

 まあ、進歩ない世界で安酒に呑んだくれて一生を終えるのは、根っからの裏町詩人の当方だけで十分か。

女子高生島歌戦記

2008-08-22 02:27:06 | 沖縄の音楽


 ”アダンの実”by 麻乃

 今は本名の伊禮麻乃を名乗って、どちらかといえば”Jポップ”寄りのサウンド展開をしている沖縄出身のシンガー・ソングライターの、若き日のご乱行(?)アルバムである。なにしろ”怪作”なんて書き方をしている批評にもであった事があるからね、この盤。
 あ、彼女の名は知らない人でも、彼女の歌声は耳にしているんじゃないかなあ。日清オイリオのCMソングであるでしょう、「ビュ~ティ~フル・エ~ナ~ジィ~♪」っての。あの、フォークロック調のメロディを沖縄民謡のコブシ入りで歌っているのが伊禮麻乃です。

 彼女はともかく音楽に関しては早熟の天才とも言うべき人のようで、高校生の時に古典音楽三味線優秀賞、古典音楽太鼓優秀賞など、さまざまな賞を得、その上、琉球古典音楽安冨祖流教師免許なんて資格まで取ってしまっている。最年少だそうです、この資格を高校1年で取ったなんてのは。

 そのまま順調に音楽生活を続けている彼女なんだけど、その音楽を聴いてみると、その種の才能ある人に時にある器用貧乏の気配も感じないではないのですね。洗練されたポップスもあれば、ド~ンとディープに民謡を聴かせてみたり。
 どれも見事に出来ちゃうんで、焦点が絞りきれないんじゃないか。私としてはやはり、彼女の出発点である民謡をもっと聞かせて欲しい気がするんだけどね。まあ、私が言いたいのはどっちかといえばこれなのかも知れない(?)

 伊禮麻乃のファンになったのは、何か調べごとがあって検索を重ねていた際、偶然、彼女のインタビュー動画を収めたサイトに出会ってしまってからだった。
 彼女は三線を抱えて芝生の上に腰を下ろし、弾き語りで民謡を歌ったり、自分の生い立ちや音楽に対する考えなどを語っていた。その快活な語りや立ち居振る舞いがなんとも気持ちよく感じられた。
 で、私は「なんだか元モーニング娘のヨッスィーこと吉澤ひとみみたいな”オトコマエ”な良さのある子だなあ」なんて思いつつ見ているうちに、彼女のアルバムをすべて集めたくなっていた次第。

 で、話は彼女のデビューアルバム、”アダンの実”なんだけれど。

 これは上に述べたような絢爛たる”音楽賞ハンター”ぶりを展開していた高校生当時の伊禮麻乃が、自身の三線や鼓にドラムやベースといったリズムセクションを加え、レゲやファンクの要素もある、いや、”ヒップホップ調”とか”クラブっぽい音”とか言った方が通じやすいのかな?ともかくそんな方向性のバック・トラックを創造し、自在に沖縄民謡の古典を歌いまくった一枚である。

 今のオトナの彼女と比べるとまだまだ幼い伊禮麻乃の歌声の自由さが心地良い。ここで展開されているサウンドがどこまで彼女の意向に沿っていたのか分からないのだが。
 ともあれ、やや荒い、隙間の多い音作りゆえにサウンド全体に圧迫感がなく、それに乗って傍若無人の女子高校生たる若き伊禮麻乃がやりたい放題”沖縄古典”を遊びまくる、この痛快さが最高なのさっ!

 怪作なんて言う奴の気が知れないね。こいつは沖縄民謡アルバムの大傑作と私は思うぞ。願わくは伊禮麻乃に”アダンの実2”とか”帰って来たアダンの実”とか”アダンの実の逆襲”とか、作って欲しいです。いや、本気で。

”黄金の花”に偽善を読む

2008-08-20 01:08:05 | 沖縄の音楽


 というわけで今回は、主に沖縄音楽好きの間で評価の高いらしい”黄金の花”なる歌についてここで考えてみたく思います。

 岡本おさみ作詞・知名定男作曲。ネーネーズの歌唱がどうやらオリジナルで、その後、いろいろな歌手たちがレパートリーに入れています。
 この歌は沖縄音楽関係者の間で、すでに”名曲”みたいな扱いを受けている。それが定評、みたいになってるけど、私にはなんだか聴いていてどうにも気色の悪い気分になって仕方がないんですね。これについて考えてみたいというわけです。

 歌詞を載せていいのかどうか。幸い、全歌詞を掲載しているサイトがあったので、下にそこのURLをリンクしておきます。読んでみてください。

 ●”黄金の花”の歌詞●

 この歌、どうやら海外から日本に出稼ぎにやって来た人々に呼びかけるという仕様のようです。日本の生活のペースに巻き込まれ、心を曇らせないでと呼びかけているようなんですが。
 私がこの歌を聴いてまず首をかしげたのは、彼ら”きれいな目をした人たち”は「黄金の花はいつか散る」ことを、いちいち我々が”指導”してやらないと気もつけない連中なのか?ってことです。

 この詩を読んでいただければお分かりになるかと思うんですが、ここでは彼ら”他所の国の人々”は、ろくに判断力もなく、ただただ助力を必要としているひ弱で無能な人々、そんな風に描かれています。そんな風にしか私には読み取れません。
 少なくとも、彼らの伝統や文化に対するリスペクトってのはこの歌詞の中からはまったく読み取れませんよね?

 そう思って読み直してみればこの歌詞、物言いは丁寧なように見えますが、すべて上から目線です。この詩の中では海外からの人々はまるで、明日にでも死にそうな病人か老人みたいにみえます。
 彼らはあくまでも、”よりすぐれた上位者からの庇護や助言を必要としているひ弱な人々”なんですね。で、その上位者ってのは「もちろん、我が優秀なる日本民族である」なんて奢った意識、この歌詞の裏に脈々と息付いてはいないか、もしかして?

 だって、ここには彼らを、”もしかしたら我々の側こそが教えを請わねばならぬ貴重な文化をその内に秘めているかもしれない人々”なんて形で敬意を払おうなんて姿勢は覗えないんだから。ただただ”弱者”として、庇護の下に置かれるべき非力な人々として扱われているんだ。
 
 どうやらその辺で私は、この”黄金の花”って歌に、というかその歌詞に反発を覚えているようなのです。
 
 この曲の存在意義って、なんなのか?
 何のことはない、この歌を作り、あるいは歌い、あるいはひいきの歌手がそれを歌うのを聴き、「ああ、弱い立場の人々を思いやってあげている私って、なんて心優しく正しい人なのっ!」と自分に感動する、ための、自己陶酔するための、自己満足するための、お茶番ソングじゃないのか、つまりは。

 そう思うと、なんかムカムカしてくるんですがねえ。沖縄のミュージシャン諸氏よ、あの歌にそのような違和感を抱いたことってありませんか?