ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

女王の一枚、その他の一枚

2012-05-31 04:43:20 | アジア

 ”Elegy Nouveau”by Yang Pa

 そんなわけで。”韓国のロックな女の子たち”なるテーマが気になり出して、しばらく前からあれこれ盤をあたってみたりしているのだが、なに、そんなジャンルやら傾向やらが存在していると確信できる実態をつかんでいるでもなし、「こうだったら面白いだろな」なんて空想をしているだけである。

 たとえばこのYang Pa(ヤンパと発音するんだろうか?)などは、韓国において”女の子がロックする道”を切り開いたパイオニアのひとり、なんて話を聞いたことがある。最近も、若手のミュージシャンを”舎弟”のノリで引き連れて”姐御”の貫禄十分でレコーディングした新譜を発表したみたいだが、まあ、それも恐れ多いんで当方は、ジャケ写真の出来の良い昨年出たこの盤でも聴いておきたい。
 と、CDを回してみたんだけど、戸惑う部分も少なくなかった私なのでありました。歌は確かにうまいんだろうけど、どうも彼女、何をやりたいのかわからない。

 彼女の場合、ロックというか「韓国歌謡にR&B要素を持ち込んだ人」との評価もあるわけなんだけど、日本でそんなポジションの人といったら、もうドロドロに黒っぽい歌唱で盤一枚塗りつぶすことになる。私も実は、そんな世界を期待していた。が、この盤に限って言えば、なのかもしれなけど、どうもいろいろな要素を入れ込みすぎているんじゃないのか。
 曲により、軽いポップスっぽくなったり、突然タンゴ調が出てきたり、落ち着かないし、ゴージャスに盛り上がるバッキングにも馴染めない。それに乗せられてか時にスムーズに響きすぎる彼女の歌声も、何か屈託なさすぎて、こちらの心に引っかって来ない感じだ。

 この盤において一押しらしい2曲目の「痛い」とか、5曲目「友人」みたいに本来の粘っこい黒さの歌声が堪能できるバラードものには聴かされてしまうのであって、この傾向のものを満載してくればきっと好きな盤になっていたであろうはずなのに、残念な気がする。(”痛い”を下に貼っておくんで、お試しを。こういう曲を歌ってくれればいいのに)
 まあ、実力派がキャリアを重ねてくると、いろいろ脱線してみたくなるって事なんだろうか。

 ここで先日、紹介したレディ・ジェーン嬢のことなど思うと、右も左もわからない駆け出しの歌手が、追い込まれた末にふと自覚もなしに歌ってしまった傑作、なんてドサクサ主義のロマンに私の興味はやっぱりむいているんだなあ、などと改めて思うのでありました。




レディ・ジェーンのニッキ味ファンク

2012-05-30 00:03:05 | アジア

 ”Jane,Another Jane”by Lady Jane

 とりあえず、儒教の風吹く東アジアは韓国に人として生を受けながら、レディジェーンなんて芸名をつけられてしまったら、そりゃ「人生、まっとうに生きるべし」なんて考えの人々には、まともに取り合ってもらえない立場となるのは仕方のないところだ。ましてや、その名で初めて世に問うたのが、陰気ビート歌謡の香り馥郁たるディスコナンバーであるならば。
 もともとは清潔そうな男女デュオのユニットを組み、おしゃれなシティポップスを歌っていた彼女がソロ歌手として独立するにあたって、どのような事情があってレディジェーンを名乗り、慣れないディスコ路線を取るようになったのかよくわからないが、まあ、事務所の人が、そのほうが儲かりそうと考えたんじゃないでしょうか。

 韓国名物と言っていいんだろうが、”ミニアルバム”なるCDの形態があり、今回のこのアルバムもその形をとっている。7曲入りではあるが、そのうち3曲は一曲目から3曲目までのカラオケであり、実質4曲入り。
 こんな形態の”アルバム”が韓国においては頻繁に出されているのだが、正規の、つまり十何曲かが収められているアルバムのように歌手その世界を堪能するにはもちろん十分ではなく、前菜を味わっただけで食卓を追われたような、なんとも中途半端な気分である。
 とはいえ、いくら待ってもフルアルバムを一向にリリースせず、ミニアルバムばかりをポツポツと出し続ける歌手もかの国では少なくはなく、興味をそそられる歌手については、それらを気が向かないながらも買わざるを得なかったりする。いや、このようなアルバム形態が普通に存在する現実をまず受け入れてみる、それもまた、韓国の大衆音楽理解への道なのかもしれないなどとも思えてきたりする。

 さて、今回のこのアルバムは、問題のファンキー・チューン、”Janie”の他は、レディ・ジェーンが改名前に歌っていたようなソフトなシティ・ポップスの形態をとっており、なんともバラバラの印象だ。しかも、ソフト路線の曲のひとつはレディジェーンご本人の作詞作曲だったりし、彼女の本音としてはどちらをやりたかったんだろうな、などと勘ぐらざるを得ない。いや、やっぱりオシャレ路線がやりたかったんだろうな。今回は、無理やりなイメージチェンジを”大人の事情”で受け入れねばならなかったが。
 と、今後の展開が気になるレディジェーンなのだが、私は今回のディスコ路線、結構気に入ってるんで、このまま行ってしまえばいいのにな、などと密かに期待している。だってこのディスコ路線の”Janie”なる曲、なかなかいい塩梅な俗っぽさを放ち、見事大衆歌謡の裏街道に弾けまくっているのである。

 バックダンサーなど従え、派手なリズムで華やかに始まる”Janie”だが、その裏には伝統的な韓国演歌のうらぶれ気分がジットリ染み付いている。いくらアレンジで盛り上げてもどこかB級じみてくる、いくら洗えども拭えない貧乏くささが歌の核のあたりにでんと腰を下ろし、全てを台無しにしてしまう。
 この間合いが良い味を出している、と私は感じるのである。この駄菓子屋っぽい臭気漂う感触こそ、東アジア・ファンクの明日を占う指標の一つだ、みたいに思えてならないのである。まあ、訳のわかんないこと言ってるけど、分かって下さる方もおられるかも、と願い、記す。がんばれ、レディジェーン。



夜汽車よ台北へ

2012-05-28 01:54:38 | アジア

 ”離家出走”by 丁噹

 彼女の顔、どこかで見たことがあるんだよなあ、とか毎度思うんだけど、スピードのエリコちゃんとAKB48の高橋みなみと、最近見ないけど巨乳グラビアアイドルの根本はるみ、この三者を結ぶ線のどこかにいるんだよなあ。
 という訳で、台湾のロック・クィーン、ディンダン嬢の2007年作品であります。

 曲目を見ると、「離家出走」とか「自由」なんてタイトルが並んでるんで、これはオザキな乗りのメッセージソングでぶっ飛ばしてくるのかな、いつものディストーションかかったギターが、ンガッガッガッガッとハードなリズムを刻んでさ、とか心構えをしていたんだが(なにしろCDのパッケージには”屈強系女声新萌主”なんて書いてあるしなあ)流れ出したのは結構メロウなスローバラードだったのでした。ストリングスをバックに、自分の心に言い聞かす感じの抑制の効いたバラードを静かに歌いだす彼女に、意表を突かれたてしまった。

 へえ、そういう趣向なのかと聴いて行けば、次の曲もまた次の曲もバラードもの。結局、アップテンポのロックは2曲のみ、あとラップなんか入るミディアム・テンポのものがあるほかはすべてバラード、という意外な方向で勝負のスロー・ミュージック盤だったのであります。

 これがどういう意図なのかは知らないけれど、でも、いろいろの発見のある盤とも言えましょう。まず、ノリノリのロック姐ちゃんと思っていた彼女が、こんなに内省的な表現もまた持っていたのか、と。
 こんな具合にバラードものを歌う際、例えば同じアジアの韓国歌姫勢なら沸き上がる情感に任せて、持ち前の強靭な喉を震わせ、行くところまで行ってしまうのが常だけど、我が台湾のディンダンはむしろ抑制を効かせて聴く者を自分の世界に引き込んでしまう度量のある人だったんだ、と。

 (なんて私の言い方も、実はおかしいんだけれどね。だってこれは彼女のデビューアルバムなんだから。道理で彼女のいつもの凛とした歌いぶりに、より清新な響きがあると思った・・・そう、もともと彼女はこうだった。それから変化していった。ただ、聴く順番がこれが後回しになっていた、というあくまで私の都合。まあ、お許しを)

 ともかく。いつも忙しくしている人とじっくり話し合う機会を持てたみたいな、これからも時々引っ張り出して聴くことになりそうな一枚だった。また、アジア・ポップスの世界でこのところ気になる、”全曲バラードもの”の一つと捉えてみるのも面白いとも思えるのであります。



スーパーの怪人・創作趣意書

2012-05-26 22:55:54 | ものがたり

 我が田舎の温泉街のスーパーも、いつごろからか夜の11時過ぎても営業をしてくれるようになり、嬉しい限りだ。とは言っても特に夜半に買い物の必要に駆られることが頻繁にあるわけでもなく、夜、なんとなく出かけてブラブラ出来る場所があるというのは、医師に酒をひかえるよう言われて酒場ライフを絶たざるを得なくなった自分には非常に助かる、という意味である。

 夜、なんとなく手持ち無沙汰な気分となり、愛用のバイクを引っ張り出して明かりの消えた商店街を横切り、スーパーを目指す。節電の昨今、やはり夜間に煌々と外壁の明かりを灯すわけにも行かないのだろう、夜の街にくろぐろと姿を沈めたスーパーの店内に歩みいると、なかにはいつもと変わらぬ明かりが灯り、昼間と比べると人数は少ないものの、のんびりと買い物をする客たちの姿がある。
 その光景は、太陽が力を失い西の空に力なく落ちてしまい、人々はいつ終わるともしれない夜の闇の中に封じ込められ、皆がひとりぼっちでいつ来るかわからない次の日の出まで生き残る算段をせねばならない、夜風の伝えるそのような噂はすべて嘘であり、それが証拠に、ここにこうして光あふれる昼の破片が生き残っているではないか、などと行ってくれているようでもあり、ああ、助かったなあ、とため息をつく、と言ったらオーバーすぎる話ではあるが。

 惣菜売り場の商品は、さすがにタダ同然の価格に値下げされており、これを買って帰って一杯やったらさぞうまかろうと思ったりするのだが、諦めるよりない、今日は酒を飲んでもよい日ではないのである。
 ところで。このような深夜スーパー行脚の日々を続けるうち、気になる人物の存在に私は気がつくことになる。それは私が「深夜スーパーのヌシ」とひそかに名付けた人物なのであるが。

 ともかくその彼は、深夜にスーパーを訪れると、そこに居なかったことはない。ともかくそこに行けば彼は必ず、あるいはカゴを抱えて買い物の最中であり、あるいは仕事上の知り合いらしきオバサンと談笑している。ともかく100パーセントの出席率だ。毎日。ともかく夜毎、彼はスーパーに姿を現しているとしか思いようがない。
 そのメガネと顎ヒゲの具合など、若き日のデビット・ブロンバーグ、かのアメリカン・ルーツミュージック系ギター弾きに似ている彼は、いつもタオルを頭に巻いて長髪を纏め、ジャージの類を身にまとっている。年齢は30代半ばくらいか?いや、もっと若いか、もっと歳がいっているか、どちらもありそうな感じだ。

 なぜなのだろう、どことなく”追われた種族”みたいなイメージで影を引きずり、交わす会話も声をひそめがちな感じの深夜スーパーの客たちなのであるが、そんな人々の真ん中で彼、”スーパーのヌシ”だけはいつも陽気で、ニコニコと商品を眺め、知り合いと会話を交わしている。
 スーパーの入口に小さな喫茶室のような場所があり、客たちはそこに座り込んで、今買ったばかりのジュースを飲んだりアイスを食べたりしながら談笑することが出来るのだが、それも昼間のこと。夜ともなれば談話室の照明は消され、隣のパン売り場から漏れるか細い明かりのおすそわけでぼんやりと室内を照らし出すだけ、うら寂しいばかりでそこに立ち寄ろうとする人もいない。ただ、”スーパーのヌシ”だけは、違う。時に彼は、薄暗いその談話室の椅子にたった一人で腰掛け、楽しそうにコーヒーを飲んだりしているのである。

 ある夜、そのスーパーに欲しかった品物がなかったので、街のもう一軒のスーパーへ移動し、そちらで探してみたのであるが、ふと気がつくと、二つほど先の棚に向かい、なにやら買い物中の”スーパーのヌシ”がいた。本気で恐怖したものである。さっきまであちらの店にいたというのに。
 彼は深夜営業しているすべてのスーパーの店内に遍在しているのか。あるいは私は追われているのか。未だにあれはどういうことだったのか分からない。

 そもそも彼はどんな仕事をしているのだろうか。他に行きどころのないホームレスとかではないようだ。着ているものも小ざっぱりしているし、ちゃんと仕事を持ち普通に日常を送っているきちんとした生活者の雰囲気がある。
 彼の存在に気がついてどれほどになるのか。特に関わろうともせず、その姿を見てみぬふりでそそくさと買い物を済ませて帰ってきてしまう私だが、彼の”正体”に関わるバカな説でも思いつけたら、それを小説にでも仕上げたいなんて気持ちも無いではない。タイトルは、有名な”オペラの怪人”をもじって”スーパーの怪人”である。

 そうなると当然、クライマックス・シーンは、スーパーの秘密の地下洞にある巨大な湖に、空気を満たして膨らませたレジ袋を集めて作った船に乗った彼が、誘拐した美女を抱えて乗り込み・・・

 さて、夜も遅いし、スーパーに買い物にでも行ってくるか。



グダグダなる日録

2012-05-25 05:44:14 | いわゆる日記

 先日、某通販サイトにCDを注文した訳です。で、ほどなく「発送した」とのメールが届いた。が、その後、待てども待てども現物が到着しない。
 まあ、注文内容はしがないCD一枚、メール便だから遅いのもしょうがないかと気長に待ってみたんだが、気が付けば2週間以上経過していた。さすがのんきな私も、これはおかしいと感じて宅急便屋に電話したのですわ。

 すると、帳簿ではもうとっくに配達済みになっているとのこと。おい、それはおかしいだろうと通販サイトのカスタマー・サービスにメールを出すと、「こちらからも宅配屋に連絡を取っておいた。後はあなたと宅配便屋とで話し合って欲しい」との、まるでひとごとのような返事がやって来た。

 なんだこりゃ?こちらはちゃんと発送したのだからあとは知らん、というのかね?勘違いしてないか?商品が顧客の手に渡るまで、あなたがたの責任ある仕事じゃないのか、それは。
 あきれ果てたねえ、××Vよ。

 そして×M×よ、私は料金だけ取られてCDは送ってもらえない状態なのだが、これ、どう収拾するつもりだい?このままなの?

 なにやら音楽について書く気でいたが、この不愉快な返答のおかげで何を書きたかったのか忘れてしまい、いや、どのみち、この不愉快な気分で、たいしたものも書けまい。

 ボッとしていたら深夜のテレビが伊丹十三の生涯をドキュメンタリー化したものを放映しはじめた。これはいいやと、文章を書くのは諦め、視聴に専念する。
 高校から大学くらいの頃、伊丹のエッセイは愛読してた。自室に自閉して伊丹のエッセイを何度も読み返すのが至福の時に思えた。暗い青春?うん、暗いがどうした。

 なに、ここで書いてる文章だって、実は伊丹エッセイの下手くそな真似事が根っこにあるのだった。あんな文章を書きたかったのだ、私が文章を書き始めの頃。特に一冊目のエッセイ集、「ヨーロッパ退屈日記」はミーハーに憧れた。
 その後、映画を撮り出してから彼は私には「あんまり関係ない人」になっていってしまったが。さらにその後、ご本人が自らの手で自分をこの世と関係のない人としてしまったが。

 ちょうどその映画第一作のあたり、これから彼の人生、派手になるぞというところで番組はプツリと終わり、「次回に続く」となってしまった。全く計画性のない私、何らかの偶然に恵まれない限り、気になる次回以降は見損なうのだろう。

 見損なうと言えば、明けて明日、25日にBSで奄美の城南海ちゃんの番組もやるらしいが、大丈夫だろうなあ、見損なわないだろうなあ。え?ビデオに撮ればいい?ああ、そうすることを忘れてしまうのさ。

 さてここらでと立ち上がり、サンダルを突っかけて家を出た。
 こんな具合にパソコン前に座り込んで夜を過ごしていると、エコノミー症候群と同じ症状になる、なんて話も聞くし、夜半過ぎのオシッコはあえて家を出て、近くの海浜公園のトイレに行くことにしている。気休めかもしれないが、まあ、それなりに歩けば、少しは運動になるのではないか。

 海浜公園はもう完全に夜明けとなっていて、薄い朝焼けの海が非常に美しかった。国道を、長距離トラックが行き交い始めていて、初期のトム・ウエイツの世界だね。



スカイツリーが両手を回す日

2012-05-23 04:16:37 | 時事

 昨22日は雨に祟られた東京スカイツリー開業日とかで、テレビでミヤネヤとかいうワイドショーを見ていたら、霧雨に上の方が霞んで見えない、かの巨大建造物を空しく画面に映し出しながら、「見えませんねえ」「こちらも見えません」とか、ずーっとやっていて、アホらしくて逆に面白くさえなってきたのだった。あれ、あのような想定外の事態にどう対処するか考えてないのかねえ。

 それにしても、あのスカイツリーなるものの建立、なんにもめでたくない、むしろなんか知らず縁起の悪いものみたいに見えて仕方がないというのは私だけですか。
 世界一とか言われても全然嬉しくないし、逆にバベルの塔今日版なんて暗いイメージが、その根っこのあたりから湧いて出ているように感じられてならない。いずれ遠からぬうちに、なんかの事故であっけなく倒壊するような絵が浮かんで来るのよなあ。
 先輩?の東京タワーが戦後日本の高度成長を象徴する建物であるのに対し、スカイツリーの方は不景気とか大震災とか、どうも絡んでくる挿話もパッとしないものばかりだし。

 なんてことを考えていたら、その前夜、ラジオで聞いた三橋美智也の昔々のヒット曲、おっと、今調べたら昭和37年のヒット曲となってるな、”星屑の街”のことなど、ふと書きたくなってしまったのだ。

 とはいえ、この曲が大好きで、なんて話題ではなく、歌詞の意味不明な歌だったなあ、って話なんだが。
 この歌の歌いだしの歌詞、これがどうも意味が分からず、子供心に不思議に思っていたのだったが、何、「今考えたってやっぱりどういうことなのか見当がつかない。

 ”両手を まわして 帰ろう 揺れながら”

 というんだが、これ、具体的にどういう動作をするんだろうか?両腕を大車輪状態でグルグルまわして、それで空気を掻いた推力で前進するって意味なんだろうか?ほとんど物理的には意味をなさないと思うんだが。しかもその運動を”揺れながら”せねばならないのだから。もっとも、両腕をぐるぐる回している状態では当然体のバランスは崩れるし、結果として揺れるしか仕方がないのかもしれない。

 この問題をネットで調べてみたが、やはり疑問を持った人はいて、いろいろ考察がなされている。いわく、これは酒場で一杯やってから故郷へ帰ろうとしている人の歌であって、両腕をぐるぐる回して、狭い酒場で凝った体をほぐしているのだ、とか。これは準備体操説といえようか。
 また、故郷へ帰る列車の、その機関車の車輪の動きを両手で真似ているのだ、というのもあった。電車ごっこ説とでも言おうか。
 などといろいろあったのだが、どうもスッキリ納得できるものに出会えない。

 というか、作詞者本人、あるいはそれに近い人の証言などあれば、説得力があるのだが、それに出会えないので、ともかく決め手を欠く。
 それにしても、当時”大人”としてリアルタイムでこの歌に向かい合った人々は、この歌詞をどのように解釈していたのだろうか?そんな昔話も見つからない。雰囲気ですべて受け入れてしまったのだろうか。などと首をかしげれども、もう時は流れ過ぎて久しい。
 この歌がヒットした年、堀江謙一氏が太平洋をヨットで単独横断し、東京の人口が一千万人を超えている。




エチオピアン・ブルースクィーン

2012-05-22 05:36:59 | アフリカ

 ”Qene”by YESHI

 「え~い、とびきりリズメン・ブルーズがバイヤな今夜はファンキー・ナイトなんだ。辛気臭いアフリカ音楽なんか聴いちゃあいられねえぜ!」とか訳の分からないフレーズをウィ・インシストしちゃったのは、盤から飛び出してくるスッキリ潔い元気な音、ウダウダしないその響きがすっかり気に入ってしまったからにほかならない。
 ちなみに、聴いていたその盤がつまり、今回取り上げる一作。R&Bの文法を大々的に導入した音作りでアフリカ音楽の明日をズバリ切り裂いて見せてくれたエチオピア女性、Yeshi Demeelashの最新盤なのであって、もちろん堂々のアフリカン・ポップスなのである。

 それでも、随所にのぞくソウルな発声、コブシ回し、ホーンセクションの鳴り、ドラマーのスティックさばきなどなど、その小またの切れ上がった生きの良さに、なにやらゴキゲンな気分になっちゃってねえ。それはエチオピア音楽の伝統を生かしながら、同時にかっこいいR&Bでもある、その痛快さゆえ。
 そのかっこよさに何ごとかド外れた賞賛の言葉をかけてみたかったからだ。
 などと言いつつ、聴き進むうちに始まった、むしろアジアっぽい歌謡曲色濃厚に漂うスロー・ナンバーなんかにゆったり浸かりながら、「ああ、いい塩梅のワールドミュージックだよなあ」とか気持ちよくなっちゃっているんだから、いい気なもんですわ。

 いや、でもこれ、ほんとにスコンと抜けた痛快な一作だと思いますよ。
 何から抜けた?現代を生きるうち、いつの間にか自らの内にも揺るぎ難い価値観として住み着いてしまっている、否応なく覆いかぶさってくる、”アメリカ音楽、その世界支配”を一旦受け止め、逆にそいつをバネにして自らの血の中にある魂の音、地の霊の歌声を再生させ飛翔させること。そこに至るひとつの仮説が、ここに示されているんだと私には信じられる、そんな話なんだけどね。




奴はアラブの伊達男

2012-05-21 02:58:21 | イスラム世界

 ”Abdelhalim Hafez”

 ともかく冒頭の曲の出だしで、あのアラブ独特のユニゾンのストリングス・オーケストラが、スタンダード・ナンバー「煙が目にしみる」のメロディをアラブ風に様々に変奏しながら曲を展開して行く、その有り様に度肝を抜かれた。
 アラブの伝統的歌謡のスタイルの合間に、明らかにアメリカのミュージカル映画の影響であろう、西欧世界風に洗練されたオーケストレイションが堂々と顔を出し、ホテルのラウンジが似合いのカクテルピアノが華麗なソロを取る。うわあ、こんなんありかよ。

 当時はそんな映画もアラブの民衆に普通に享受され、人気を博していたのだろう、今日のように西欧世界とアラブ世界がこじれきった関係になる以前の、まだまだのどかだった時代の空気がここにうかがえる。
 1950年代のエジプトはカイロにおけるデビューから、70年代の半ばに早世するまで、アラブ世界の大衆歌謡に粋な二枚目のクルーナー歌手として君臨した男の、その生涯を振り返る2枚組のCDの登場である。
 これが歴史の裏面に息付く庶民の様々な喜怒哀楽の様相を生々しく伝えてくれて、非常に興味深いのだった。ベタな二枚目として俗塵を被って生きた人の評伝であるがこそ、刻まれたリアルな歴史の相貌。

 そのボーカル・スタイルも濃厚なアラブ色を漂わせるものではなく、その時点でのインターナショナルな二枚目のイメージに準拠したナチュラルな響きの青春スターの歌声が響く。クセのない歌唱法のまま廻されるイスラミックなコブシが妙に新鮮に感じられ、なにやらかっこよくも感じられてくる。
 また、その音楽志向の中に紛れ込んだ”西欧世界の視点から見たアラブ世界のエキゾティックさ”が、”本物のアラブ音楽表現”とないまぜになり、展開される、その危うい美しさよ。

 まさに”大衆音楽の真実”がてんこ盛りで光り輝き、生き生きと呼吸をしている一枚なのであった。それにしても下に貼った画像、”若大将映画”というものは洋の東西を問わず、どこに行ってもこういうノリなのだなと・・・



電子の森で遊び続けろ

2012-05-19 03:33:09 | エレクトロニカ、テクノなど


 ”Consequenz”by Conrad Schnitzler

 コンラッド・シュニッツラーは1937年に生まれたドイツの先鋭的ミュージシャンで、60年代末から70年代にかけて、タンジェリン・ドリームやクラスターといったかの国のエレクトリック・ミュージックの先駆けとなったバンドに属し、電子音楽とロックの世界を切り開き、その後もソロ・アーティストとしてユニークな音楽作品を生み出していった。
 ・・・なんてことを今更書くのも実は気はずかしい。そんなことは私なんかよりこの方面にはずっと詳しい何人もの人が既に書いているのだろうし。
 だが今、ふと気がむいて彼のアルバムを引っ張り出して聴いていたら、私だってファンの端くれ、追悼文代わりの小文でも記してみたっていいだろう、なんて気分になっ来たのだ。まあ、彼が亡くなったのは昨年の八月、どう考えたって遅すぎるが。

 それにしても、彼の音楽について述べるのはなにやら難しい。同じドイツのエレクトリック音楽組でも、クラウス・シュルツェとかの繰り広げる壮大な音世界とか、そういった分かりやすい彼の個性というのが見つけにくいのであって、アタマで”先鋭的な”とか分かったようなことを書いたが、ホントのことをいえば、彼が何をやっていたのか、説明できるような形で把握できてはいない。
 例えば、今聴いているこの盤、”Consequenz”にしたってそうなのであって、どうすりゃいいのか、この盤を。

 アルバムは、同じドイツの電子音楽畑で活躍するWolf Sequenzaとの連名となっていて、実際、二人が対等に向かい合って電子楽器を奏で、音楽のクリエイトを行なっている。
 縦糸と横糸というのか、そもそもがドラマーであるWolf Sequenzaゆえ、リズミックなプレイで、コンラッドの繰り出す奇想に満ちた音塊に独特の生命感を吹き込んでいて、これはなかなか好きなアルバムだ。ごく普通に楽しい音楽、と受け取れる・・・と思うのだが、聴き慣れない人にはそうも行かないのかもしれない。
 音の記号をピンポンのように打ち合う感じの(アナログ盤でいえば)A面が終わりB面部分に入ると、音の幅は広がり、電子の森の中を浮遊するような幻想が楽しい。こんな演奏を聴くと、コンラッドというのはつまり、電子楽器をいじってへんてこな音をピコピコ出すのが楽しかった人なのである、なんて結論を出したくなってくるが、それじゃいかんか?

 この種の音楽って眉間に皺を寄せてめんどくさい理論並べ立てるのが好きな人がよく聴いている訳で、ヒンシュク買うかもなあ。まあ、私はこの音楽をドイツ人の民族音楽、ワールド・ミュージックとして捉えているんで、お許し願いたいものです。
 それにしてもコンラッドって変な人で、ソロになってから800を超す作品を創造しているのに、それの多くを自主制作の形で、ごく少数、世に出すばかりだった。この盤にしたって初出時のアナログ盤時代には500枚しかプレスされず、とんでもないプレミアが付く羽目になったのだ。今は普通にCDが流通しているおかげで、こうしてしがない市民の私も気軽に聴くことができるわけだが。

 また、彼は自作の曲にタイトルを付けたくない、という困った性癖があったようで、それに絡むトラブルもあったとかなかったとか。というかそもそも彼、こうしてアルバムを世に問うこと自体に、どれほど執着を持っていたのか。
 たとえば彼のアルバムのジャケって、どれもなんだかやる気のないようなそっけなさで、白地にタイトルがあるだけとか、粗末なイラストとか。ともかくジャケ買いしたくなるような物件など一つもない。
 そんなこんなで無愛想な芸術家タイプかと思っていると、一人でフラフラ路上に出てライブを敢行したりもしていたようだ。雪の降る中、寒さに着膨れた体中に音響資材くくりつけた、その様子を捉えた写真など見ていると、電子音楽家というより人懐こいジャグバンドのメンバーみたいで、まるで単なる”いい人”みたいに見えてきて、苦笑せざるを得ない。

 なんだったんだろうねえ、コンラッド・シュニッツラーって。



ワルシャワの面影

2012-05-17 05:20:26 | ヨーロッパ

 ”Nie ma Cię obok mnie”by Iwona Loranc

 Iwona Loranc。彼女はポーランドの歌手である。なんて事ぐらいしか書くこともないんで弱ってしまうが。まあ、検索をかけても、ポーランド語が分かる人ならなんとか情報もつかめるでしょ、てなものである。

 彼女の歌と出会ったのは、2年ほど前の冷え込む冬の夜、別のことを調べるためにYou-tubeを徘徊していたら、偶然遭遇し、その後、なんとなく彼女の作品をのぞき込むようになった。
 はじめからめちゃくちゃ気に入った、というわけではない。あんまり愛想が良いとは言えない歌だ。ただなんとなく心に引っかかってしまって、ある日ふと思い出しては聴きたくなる、そんなタイプの歌手だ。

 彼女は暗く沈んだ、ハスキーというよりは、ややしわがれた声で、自らの心の暗闇をのぞき込むように歌う。何を歌っているのか分からぬが、なにやら揺るがぬ意思、みたいなものを感じさせる。背筋を伸ばした感じで、あまり感情に左右されずに、あくまでクールに。その影に、ストイックに押し殺した感情の燠火が燃えている、そんな感じか。旧東欧には、時にそのような個性の歌手が生き残っいるようだ。

 サウンドは、これも東欧らしいモノクローム調で、時に素っ気ない打ち込みのリズムが支配し、時にクールなジャズが流れ。でも、そのさらに奥に、70年代アメリカン・フォークの残滓が仄かに匂う瞬間がある。彼女の趣味か、より年上らしきプロデューサーの思い入れか。
 歌われる歌はどれも、彼女の歌い方にふさわしく背筋の凛と伸びた感じの理知的な曲であり、それが東欧名物無機的ポップ・サウンドに乗って歌われると、1960年代のSFに出てきた不思議な未来都市から響いてくる歌に聴こえないでもない。

 吹雪に閉ざされた情熱が、目を伏せ通り過ぎる後ろ姿のワルシャワの街角など、想う。