ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

砂漠の都から

2012-07-30 03:57:07 | アフリカ

 ”LE MYSTERE JAZZ DE TOMBOUCTOU ”

 1977年、マリの国営レーベルに残されたレア音源とのこと。ともかくタイトルが素敵ではないか。サハラ砂漠の中のミステリアスな歴史を秘めた交易都市チンブクトゥの、ミステリアスな旋律。
 長い長い時の流れと吹きすさぶ風の中で乾ききった風景を捉えた、詩情溢れるジャケ写真が非常に味わい深く、これを眺めているだけでも心ときめくものがある。

 演奏ではまず、軽くエコーを伴い、カラカラと鳴り渡るギターの神秘的なプレイが印象に残る。それはサハラ砂漠からの風にさらされながら歴史を刻んできたチンブクトゥの人々の遠い日々から木霊してくるような、深い響きを伝えてくる。
 そしてニジェール川の雄大な流れを想起させるワイルドでスケールのでかいホーン・セクションの響き。民謡調の嗄れた歌声は、神話の登場人物たちの呟きにも聞こえる。

 熱砂のただ中で謎を秘めて佇む伝説の都からの、遥かな便り。あえて、腹立たしいほどクソ暑い夏の日に耳を傾けてみる。子供の頃に読みふけった、もうストーリーも忘れてしまった冒険小説の一場面が眩しい陽光の下をしばし漂い、そして消えて行った。




夜のフィーリン、その他のフィーリン

2012-07-29 02:07:13 | 南アメリカ

 ”FEELING FEELIN'”by VARIOUS ARTISTS


 ”ワールドミュージックの時代”の曙の頃とでも言ったらいいのかな。それまでロックとかブラックミュージックを聴いていた連中が、サルサの我が国への本格的紹介がなされたりしたのを契機として、カリブ海の音楽への注目をし始めた時期。
 皆は、「つまり、総本山はキューバのようだな」ってな事の本質を素早く嗅ぎつけ、いわゆるアフロ=キューバン系の音楽に入れ込むのが正道、みたいな空気が流れ始めていた。「極寒のニューヨークの深夜に響く熱帯のクラーベのリズム。ニューヨーク・サルサは鋭く状況をえぐっている。そしてその源流はキューバにあるのだ」とか言っちゃってね。

 そんな頃、私はあえてサルサとか聴かないで、ヘソ曲げてカリプソとか聴いていたのだった。だってさあ、そんなキューバ方面の音楽のもてはやされ方が、なんか気持ち悪かったんだもの。
 「キューバ音楽こそ民衆の生のエネルギーに溢れた音楽、正しい音楽である。これを聴いてこそ良心的音楽ファンといえよう」みたいなさあ。そんなのさ、嫌じゃないか。いつのまに音楽の評価の基準が「正しいか正しくないか」になってしまったのか。俺、正義の実現のために音楽ファンになったんじゃないよ。その音楽がかっこよかったり、それを聴くのが最高に気持ちよかったりしたからさ。断じて、音楽が正義の味方だったからじゃない。

 ああいう価値観ってやっぱり、中村とうようさんあたりが発生源だったんだろうか?それとも、もっと以前から存在している考え方か。
 同じような”正義の音楽”扱いを受けていたからブラジル音楽も嫌いになった。絶対聴いてやらねえぞ、なんて決意を密かに固めていた。思えば、ブラジル音楽やキューバ音楽が悪いわけじゃないんだけどねえ。
 いまだにこれらの反発は尾を引いていて、そのへんの音楽は、他のワールドもののファンの人よりまるで詳しくなかったりする。私が唯一、入れ込んだラテン音楽は、どう考えたって”正義”の臭いのしない退廃美のかたまり、アルゼンチン・タンゴだったりするのだ。

 ほんとにさ、皆は音楽を正義のためになんか聴いているんだろうか?もっと心の中の不定形な、歪んだ欲望や後ろめたさややましさなんかも込みで受け止めてくれる巨大な何か、であったりしないかな、音楽って。
 なんてことを思い返しながら、この”フィーリンを感じて”なる編集アルバムを聴いている。編集者の、「1950年代後半から60年代初めの“フィーリンの時代を感じさせる”録音を集めたのが本CDです」なるコメントあり。決まった形式などない、ほんと雰囲気だけで存在しているような不思議な音楽だ、フィーリン。

 キューバより発した音楽ではあるものの、”革命への志”なんてドスを呑んでキューバ音楽を聴こうなんて”正しい”ヒトビトにはお気に召さないだろう、あからさまなジャズの影響。それも、どうしたってホテルのサパークラブの深夜を想起せずにはいられないムーディなオルガンの響き、なんて方向の影響なのだ。あるいは天より舞い降りる甘美なストリングス。甘く囁くクルーナー・ボイス。
 気怠い夜の向こうに続く酒とバラの日々から立ち昇るセンティメントは一見、あまりに”芸能界”っぽい埃にまみれているように感じられ、それが、”正義”なんかじゃ救いきれない雑多な民衆の切なる願いの結晶であること、気が付けない人さえいるのかもしれない。、



九龍城の灯火も消えて

2012-07-25 05:58:27 | アジア

 mixiのCM考察コミュに韓国タレントが出ているCMがどうのこうの、なんてスレが立っていたので、またネットウヨみたいなのが因縁つけてるのかと思って覗いてみた。
 そしたら、”変なじいさんと女性たちが韓国のお酒を飲みながらよくわからんフレーズを発するCMを「妙に気になって、見ると楽しくてほんわかする」とベタ褒めした記事”が新聞に載っていて、ひどい記事だと思ったって書き込みだったので、「ああ、俺もあれ、ひどいCMだと思うわ」と、その件に関しては納得したのだった。
 そう言われてみると、街の書店の雑誌売り場の半分以上は韓国ネタの雑誌なのであって、あれも異常と言えば異常だよなあ。そこまで需要があるんだろうか。まあ、売れるから出しているんだろうけど。

 で、あの種の韓流ファンってのは、かっての香港ファンの女子たちの流れに連なるものなんだろうか、それとも”アジアファン”としてひとくくりには出来ない、まるで別のものなのだろうか、なんて考えたりする。
 通ったよなあ、あの頃。香港映画関係のグッズを売っている店に香港ポップスのCD買うために出かけると、店の客は女の子ばっかりで、それまでは男の客しかいない、いようがないブラック・ミュージック専門のマニアなレコード屋ばかりに出入りしていた身としては、万感迫る想い(?)であったのだった。

 いつの間にかそこまで香港ポップスに入れ込む気持ちもなくなっていて、それらの店とも縁が切れてしまったのだが、あれらの店は今頃、どんな具合になっているのだろうか。もしかしてあれらもすっかり韓流状態か?それらの店の店名も、店に行く道順も、もう忘れてしまったのだが。
 あの頃は、店で手に入れたサリー・イップやステファニー・ライのCDやら、香港で発行されているケバケバしい芸能雑誌を小脇に抱えて道を歩いているだけで、”香港”と言う名の、はるかシナ海を下った南華の一都市で行われている奇妙に熱っぽい祭りのような日常に、こちらまで参加しているような不思議なたかぶりを感じることができたのだった。

 今も香港という街はあり、一国二制度というのか、中華人民共和国の一部の特殊な行政区として昔と変わらぬ日々がそこでは繰り返されているはずだ。が、その土地から送られてくる音楽に私は、昔と変わらぬ熱気を感じ取ることはできない。かわりに受け取るのは、シンと沈み込むよそよそしい冷気と、吹き止むことのない秋風みたいな喪失感。変わってしまったのは彼らか私か。
 いずれにせよ、それも仕方ないのだろう。たとえ”返還”がなかったとしても、それでも時は勝手に過ぎ行き、すべては変わって行くのだから。

 あの時代を象徴する歌手といえば、やはりフェイ・ウォンだろうか。大陸出身の、時に奇行が話題とされていた、なにやら”依り代”系の歌い手。
 あの時代を象徴、というのは「香港が盛んだった頃」という意味ではない。「大陸への”返還”が秒読みとなってきて、香港市民が過ごした”借り物の場所、借り物の時”が、やがて失われてしまうことに関する終末感がそぞろ街の空を覆い出した、そんな時代の空気を象徴している」という意味だ。

 思えば私も、”香港の喪失”に関する文章を何度書いてきたことだろう。まあ、それだけの魅力を、当時の、中華人民共和国へ”返還”される前の香港という街が持っていたのだから仕方がない。出不精の私が唯一”住んでみたい”と考えた街だったのだ。
 などと書いていると、なんだか別れた恋人の話をしているみたいで、どういうものかねえ、これも。




フィーリンな夜に頬寄せ

2012-07-24 03:54:54 | 南アメリカ

"CANTA SOLO PARA ENAMORADAS" by JOSE ANTONIO MENDEZ

 例の映画、”ブエナ・ビスタ”を見ていたら、キューバの老バラード歌手を指して、「彼こそがキューバのナット・キング・コールなんだ」とかいう場面があり、うんそうだ、キング・コールこそが重要なんだと、我が意を得たり、みたいな気分になったものだった。あ、キューバ音楽、ろくに知らないんで固有名詞が出てこなくてごめん。

 音楽の通人となった、なんて自分で信じ込み始めた頃には、ディープなダミ声なんかで泥臭く熱唱する歌手を見つけては、そんな彼の暑苦しいシャウトをこそリアル、なんて思い込んだものだ。が、さらに一巡り音楽の天国と地獄を見て回るうち、甘い声で美しいバラードを歌い上げる優男の歌声にこそ、大衆音楽のホントの凄さが潜んでいると気がつくようになる。
 妖しく空の高みから舞い降りて夜の秘密を包み込む、甘いストリングスの幻想。コロコロとグラスの淵を転がるカクテルピアノの響き。優男は、昔々の秘められた恋歌をビロードの手触りの歌声で繰り出しては、さらなる夜の深みへと女たちを誘う。この甘美な煉獄の果てしない罪深さよ。

 キューバにも、その手のヤバい夜の秘密を歌う音楽の系譜が存在していたというわけだね、フィーリン。その道の開拓者、メンデス氏のこの盤を一枚、しかも今、聴きつつあるだけの状態であれこれ言うのもなんだけれども。
 音楽的には、ラテンのボレロなんかに根があるのはもちろんなんだろうけど、ジャジーなバラード方向に演者の視線は向いていそうだ。この、インプットはラテンの情熱でアウトプットはジャズの粋筋という捻れ現象が深い味わいを、このフィーリンなる音楽に与えているようだ。

 昔からよくする譬え話なんだけど。ここに2枚のディスクがあって、片方には「正しい音楽」が、もう片方には「間違った音楽」が収められている。さあ、あなた、どちらのディスクを聴きたいと思いますか?
 このフィーリンなる音楽は堂々、「間違った音楽」に収められる資格があるだろう。「明るい明日を築こう」なんて呼びかけるつもりは全くなかろうから。ただ甘美な夜の終わりなき誘惑を讃え、罪に堕ちて行くことの痺れるような快楽を歌う。
 だから私は迷わずにフィーリンに付いて行こうと決め、「間違った音楽」のディスクを手に取らずにはいられないのだ。



ブライアン・ジョーンズのファンであること

2012-07-21 04:39:27 | 60~70年代音楽


 レコードコレクターズ誌の8月号の特集が”ローリング・ストーンズ ベストソングス100”というもので、「フン、こんなもの、俺に言わせりゃよう」などといろいろ文句をつけたいところなのだ。
 が、なにしろこちとら、ともかくブライアン・ジョーンズのファンであり、「ブライアン脱退後のストーンズにはなんの興味もない、その後のストーンズはストーンズであってストーンズではない」という特化した評価しか持っていないので話の噛み合いようがない。

 まあ。それは仕方がないにしても、かってリアルタイムで「ロンドンの不良のバンド」としての彼らを愛していた人々は、その後の大産業ロックと化した彼らをも同じように愛せるものなんだろうか?「あのストーンズ」と、現在ストーンズなる名を冠して存在しているバンドとは全く違うものと私には思えるのだが。両者ひっくるめて”ベスト100”とか評価してしまえるものなのだろうか。不思議だぞ、ご同輩。

 しかしブライアンのファンである、というのもなかなか苦しい立場(?)なのであって。ストーンズの持ち歌の中にブライアン作の傑作曲があるという訳でもなし、ストーンズの楽曲の中からブライアンの演奏と判断されたギターやハーモニカやらの演奏をピップアップして、あれこれ言ってみても、それは顕微鏡下の細胞標本から野生動物の生体を想定するみたいなじれったさがある。

 どちらかといえば、そんなまっとうな評価を試みるより、彼のファッションや、あるいは目の下のいかにも不健康なクマやたるみへの偏愛を語ったりするほうがブライアン的世界へ近付けるような気がする。
 彼でもなければ取り上げることもなかったろう奇妙な外見のボックス社製ビワ形ギターやら、わざわざ左利き用のネックを取り付けたギブソン・ファイヤーバードに憧れてみる。ついでに、GS時代から鋭くブライアンに反応して同じビワ型ギターを愛用していたかまやつひろしまで贔屓してみようか。

 その、シタールやマリンバの演奏やら、彼の死後発表されたモロッコ音楽紹介のアルバムを拾い上げてワールドミュージック的評価を加えてみよう、などというのは、こいつも無理やり過ぎる。奴にそんな学究的意図があったとも思えず。それらの行為に関しては、「こいつ、何をやりたかったのか、さっぱりわからん」と、ただ首をかしげてみせるのがブライアンの遺志にもかなうような気がしてならない。

 本来はストーンズの創始者でリーダーであるはずが、バンドの本流から外れ放り出され、時代に気配のようなものを残しただけである日ふと自宅のプールに浮かぶ、という奇妙な、だが妙にお似合いでもあるこの世とのオサラバの仕方をした彼の残していったクエスチョン・マークの数々をそのまま受け止め、何やら割り切れない不安を心の底に残したまま残りの人生を中途半端に生きる、これがブライアンの正しいファンのするべきことだろう。というか、我々は他に何をどうする訳にも行かないのである。




ペルシャの夜を遠く離れて

2012-07-20 02:14:23 | イスラム世界


 ”I WILL NOT STAND ALONE”by KAYHAN KALHOR

 とりあえずワールド・ミュージックのファンをやっているのだが、各国の民俗音楽とか古典音楽とかには、あまリ興味は持てないのだった。時間の流れから隔離されて博物館に陳列されているような音楽を退屈こらえて聴いているよりも、各国の生きのよい流行り歌、港々の歌謡曲に、同時代を生きるものとして共鳴したい。
 この盤はイランの民族楽器、カマンチェの奏者による古典音楽ということで、まあ、いつもの私ならスルーする筈の物件なのだが。これが不覚にも、というのも変だが、試しに聞いてみたら一発で引き込まれ、ついにはCDを手に入れてなんども聞き返す羽目となったのだった。

 カマンチェというのは、床に対して垂直に立て、弓弾きする胡弓タイプの撥弦楽器であり、今回は特に倍音成分の多い豊かな音色が出るように調整された特別な楽器を使っているという。伴奏には、チター系、と言えばいいのだろうか、これも従来のものより弦の数を増やし、低音域を充実させたものが使われている。
 この二つの楽器が濃密に絡み合う演奏を聴かせて行くのだが、なにやら深く静かな悲しみの感情の表出に、それこそ同時代的に共感してしまった私なのだった。
 二つの楽器の対話メインで構成されている演奏だから、当然、音の隙間の多い演奏となるのだが、その隙間にビロードの手触りの夜が存在している。

 二つの楽器とその奏者たちを囲んでシンと静まり返り、どこまでも広がっている濃厚な夜の気配があり、その暗闇を探ろうと伸ばされる、音の触手がある。音は凛としたテンションを保ちつつ、殷々と啜り泣く。アルバムタイトルは、なにかの逆説であろうか。むしろ永遠に埋められるとこのない人間の普遍的な孤独への嘆きが、この盤一杯に敷き詰められているのだから。
 全てはオリジナル曲、とはいえペルシャの古典音楽の形式にのっとって書かれたこの音楽が、全く同時代のものとして切実にこちらの胸に響くのは、なんとも不思議な気分。これはこの盤の主人公、カイハン・カルホールの資質によるものなのか、こちらが胸襟を開けば、本来古典音楽もこのように楽しめるものなのか。それはまだ、よくわからずにいる。



女王の帰還

2012-07-19 04:18:29 | その他の日本の音楽

 mixiニュースでAKB48の新メンバーというかまだ研究生の立場にある光宗薫ってコに関わる一つの記事を見つけ、たいして熱心なAKBウォッチャーでもない私にも妙に気になったコの、その後についての非常に味わいのあるオハナシであったので、こりゃ良いものを読んだなあと感じ入った次第。まあ、興味のある向きは、下に引用した記事や、その掲載サイトなど覗いてみていただきたいが。

 そもそもこの光宗なるコ、まだ実績のない研究生の身ながら、アイドル誌の記事のみならず、ワイドショーの芸能ニュースなんて場でも大スター扱いとなっていた。多くは「トップモデルへの道を蹴り、AKBの明日を担う新人へ!」なんて趣旨の記事だったのだ。
 実際彼女は、CMやらテレビドラマやらで大きな仕事を早々とこなしつつあったようだ。”大スター候補!”との評価がぶち上げられちゃうと、バタバタとおいしい話が舞い込んでくる、モンキー・ビジネスとしての芸能界の甘さと怖さを象徴するような話。

 私が光宗に強い印象を受け、彼女の存在に興味をもったのが、某アイドル雑誌の、あるテレビドラマの撮影探訪記事だった。
 AKBの先輩メンバー連中が脇役として出ているその番組で彼女は、ほとんど主役みたいな役柄を割り当てられ、その雑誌の記事でも、ほかのメンバーは「××ちゃんにドラマ出演の感想を聞いてみた」みたいな友達扱いの記事内容なのに、光宗に関しては「光宗さまが気軽にインタビューに応じて下すった。サインまでもらえた。ラッキー!」なんて超スター扱い。
 すごいことになってるなあ。このまま行くとえらいことにあるのではないか、それがどんなことか知らないが、と私はなんとなく背筋に冷たいものを感じたのだが。

 そのうち開催された、AKB名物の総選挙。
 上述したような下にも置かれぬ扱いで芸能生活をスタートさせた光宗、「ひょっとしたら私は、新人でありながらトップの座を奪ってしまうんじゃないかしら?」なんて、はちきれんばかりの自負を胸に臨んだのだろうが。
 その結果は。光宗に票はまったく集まらず、彼女は順位がつく64位以内にも入れないまま終わった。「自分たちがスターを作り出している」とのプライドのあるAKBオタ連中であり、運営側からゴリ推しされているメンバーは人気が出るどころか反発を買うとのジンクスはあるしねえ、あの世界には。

 結果発表の直後の光宗は、憤怒の表情で会場を埋めたAKBファンを睨み続けていた、とのこと。まあ、睨んでみたって、そこにAKBファン全員がいたわけでもないし、そもそもファン連中から「投票する」って約束が取り付けてあったわけでもなし。「話が違う」とか怒ってみたって、そりゃ言いがかりにしかならんでしょう。
 もうねえ、私、この種の話を聞くと、因果もの好き、変なもの見たさの血が騒ぎ、嬉しくて仕方なくなってくるのですわ。

 さて、その後の光宗は。下にあるように、「明日からは絶対に負けない。次は負ける気がしないです」とか。まだわかっとらんわ。そんなコメントするから嫌われるんでしょ。だったらどうすればいいのか?うん、たとえばラジオ番組、”EXILEネスミスのオールナイト・ニッポン”でも聞いてみたらいいんではないか(笑)
 
 以下、引用記事。

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 ☆AKB48光宗薫が苦悩を告白「なぜ自分は何かが出来る事が前提なのか」。
             (ナリナリドットコム - 07月18日 15:40)

アイドルグループ・AKB48への加入以来、“超大型新人”として多くのメディアに登場し、話題を集めてきた13期研究生の光宗薫(19歳)。そんな彼女が現在置かれている自身の状況について、Google+で苦しい胸の内を吐露している。

光宗は18日深夜、ファンに向けて「怖いしつもん」とのエントリーを更新。「野心や責任感が、自分を過大評価していると思われる程強い事やそれを剥き出しにする事はアイドルとして間違ってますか? 話題性での結果から本人の努力の結果だと感じ方が変わるのはいつですか?」とつづり、周囲の目に映る“光宗薫”像と自身のギャップに戸惑いを感じている様子をうかがわせている。

そして「なぜ自分はある程度何かが出来る事が前提なのかな、それも自意識過剰かな。研究生だけの特権が自分には無いように思うよ」と、研究生という立場にも関わらず、求められているモノの大きさに苦悩。その上で「なんだかんだそんなこと言ってまだ自分は悩む程努力してる時間と経験値が全然足りてない」と自戒している。

光宗は昨年3月に開催された「神戸コレクション モデルオーディション2011」でグランプリを獲得したものの、モデルの道には進まず、AKB48の13期研究生に。昨年末開催の「AKB48紅白対抗歌合戦」には同期16人の中で唯一出場した。

加入まもなくの今年1月には「週刊プレイボーイ」(集英社)で6ページのグラビア+インタビュー、2月には「行列のできる法律相談所」(日本テレビ系)に単独出演、さらに日本ヒューレット・パッカードのCMに前田敦子、篠田麻里子、小嶋陽菜、板野友美と共に出演。4月からは連続ドラマ「ATARU」(TBS系)にレギュラー出演、今冬公開予定の映画「少女カメラ」では初主演と異例の抜てきが続いた。

こうしたほかの研究生とは異なる猛プッシュに、ネットでは「ゴリ推しなのではないか」との声が上がったが、総合プロデューサーを務める秋元康氏は今年2月の時点でその疑惑を否定。Google+で「今、テレビやグラビアやコマーシャルをやっているのは、すべて、先方からのオーダーです」「僕が押し込んだわけではありません」と異例のコメントを発表した。

また、6月6日に行われた「AKB48 27thシングル 選抜総選挙」で、光宗は64位までの“議席”に入ることができず圏外に。この結果を受けて「自分はもっとAKB48に全てを捧げなければいけない」とそれまでの活動を反省し、Google+に「明日からは絶対に負けない。次は負ける気がしないです。何でもする」と新たな決意をつづり、現在の活動に励んでいる。

(Narinari.comってどんなサイト? → ★★★ )

くそったれめ

2012-07-15 04:17:52 | いわゆる日記

 さる6月12日にこの場に、「K神社の暴虐の下で」なる文章をすでに書いておりますが、この夏、街の神社の祭りを我が町内が運営せねばならないことになっています。
 これはこの街の各町内には20数年に一度、めぐってくる神社への奉仕義務となっておりまして、いや、大変な災難。結構大規模な祭りなんで、手間も金もかかるのです。「あれさえ無事に終われば、うまい酒が飲めるんだがなあ」と例年であれば祭り好きの連中も今年ばかりは頭をかかえております。

 ちなみに夏祭りは、もう目前に迫っている訳であります。おいおい。当日は朝7時なんて時間から動員されて神事の仕切りから、宮神輿の行列に付いて町中を回り、交通整理から食事の手配まで。終わるのは夕方ってんだからひどいもので。奴隷ですわ、これは奴隷の仕事。
 やっぱ神社爆破、これしかないですわなあ。毎年、順番の回ってきた町内はパニック状態で一年過ごす(夏祭りばかりじゃなく、節分の豆まき大会から、ともかく一年間の神社の行事すべてを担当させられるのです)のでして、これまでにも頭にきて祭りなんか吹っ飛ばしてしまおう、なんて夢見た奴っていなかったのかなあ?

 だってさあ、私、神社なんか明日、消えてなくなっても何も困りませんよ。街の多くの人にとってもそうだろう。あれ、なんの役にたってるの?神社が我々住民にこれまで、何か良いことをしてくれたことなんかあるのだろうか。そんなもののために、なんだってこんな奴隷の日々を。頭くるよなあ、まったく。

 なんて文書しか頭に浮かばない今を、まったく残念です。




ギターのオマール

2012-07-13 02:49:34 | イスラム世界

 ”Guitar El Chark”by Omar Khorshid

 1970年代半ばの数年間、「アラブ世界にエレキギターを持ち込んだらどうなるか?」という趣旨の様々な音楽的冒険を繰り広げた男の途方もない足跡が2枚組のCDとなって、ここにある。
 いやほんとにおそらくはじめは、「ウードのフレーズを、このエレキギターなるナウい代物で弾いてみたら面白いんじゃないか」というイタズラ心から始まったんではないかと想像するのだが、その後に展開された世界は・・・

 粋でいなせな60年代エレキバンド風のスタイルから、ホテルのサパークラブ・タッチの甘々なエコーだらけのムーディな一夜を、一気に飛んでプログレ紛いの複雑怪奇な迷宮の構築までと、聴いて行くと頭がクラクラするような世界が広がっているのだった。何やらとてつもないスケールの創造力の持ち主だったようだ、このエジプト人は。

 アコーディオンの伝統的プレーヤーと組み、華麗なアラブ音楽絵巻を繰り広げるかと思えば、チュニジアのトラッドをサカナに、まさにプログレバンドかと見まごう狂躁世界を描く。この振り幅の凄さ。そいつをまさに”カミソリ”の切れ味のピッキングで弾き倒してみせた彼だった。
 エンリコ・マシアスの「ソレンツァラ」など取り上げているのは、もともとがアラブ・ルーツであるマシアスへの共感をこめてなのか、それともあの曲自体、アラブ世界でもお馴染みの”流行歌”だったのか。

 ライナーなど読む限りでは彼の音楽は、アラブの庶民の日常生活の様々な場面で、まさに使い慣れた道具、通いなれた道、くらいの気安さで愛されていたようだ。そんな彼の音楽が人肌の距離感で鳴り響いていたアラブの街角を想像すると、なにやら血が熱くなってくるようだ。
 そんな彼、オマールが、まったく納得しがたい形で若くしてこの世を去らねばならなかったのは、実に口惜しい出来事と言うしかないのだった。



シンジケート・リスボン

2012-07-11 05:26:57 | ヨーロッパ

 ”Lisbon Bass”

 「人生の終焉の時を、地球上どこでも好きな場所で迎えられるとしたら、君はどこを選ぶ?ワールドミュージック・ファンとして回答したまえ」なる質問を以前された際、私は「それならポルトガルのリスボン。そのような場所があるなら、暖かい陽の差す裏町の、古い石畳の道に置かれたオンボロの椅子の上がいい」と答えたものです。
 こんなこと言うと、よほどポルトガル音楽のファンなのだろうと思われるかも知れませんが、実はそうでもない。ポルトガル国籍の音盤、数え上げても数枚しか持っていないのであって。例えばかの国の大衆音楽の代名詞といってもいいだろうファドなんかでも、宿命がどうのこうの、なんて重苦しい話題が多くて、どうも聞く気になれなかったりするのですな。
 だったらどうしてポルトガル?といえば、やはりかの国が地球上のあちこちに撒き散らしていった音楽の種の記憶に心惹かれるものがあるのでしてね。

 大航海時代の幕開けとして七つの海に乗り出していった海洋国家のロマン・・・とか言っても、その一方では他の土地を暗黒大陸扱いし搾取する大迷惑な植民地主義の種もまたまき散らしていたりもしたのだが、そのへんのやましさも含めて、なにか”後ろ向きの憧れ”みたいなものをポルトガルに感じてならないのですな。
 世界音楽の消息を訪ねると、あちこちで出くわすこととなるポルトガルの足跡。定かのようで、何やら頼りなく、それは時の向こうで揺れている・・・

 などと言いつつ、そのポルトガルの今を伝える、オムニバス・アルバムであります、これ。
 なにやらポルトガルと南米やアフリカなど、大洋を超えて連なるコネクションの中から浮かび上がって来た音楽群のようだけど、そのようなものが存在しているのか。
 どこまで自然発生的なものなのか、詳しいことは知らず。まあ、どれも庶民が勝手気ままに紡ぎ出した音楽群であるのは、その全体像のホットなとっ散らかりようからも想像がつく。
 まあ基本は、打ち込みのリズムに乗っかるシンセから掛け声やらピアノやら、といった作りのエレクトリックな、ナウくて猥雑なダンスフロア御用達の物件ばかり。

 聴いていて何度も感じるのは、どの曲からも程度の差こそあれ伝わってくるどうしようもないあったかさ、人懐こさの類い。ドイツ人なんかの作った”鉄の夢”系列の冷徹な叙情とは大違いの緩いそして、通奏低音として奏でられる貧乏くさい感傷の提示。こういうのがサウダージって奴ですか?
 冒頭の、いかにもヨーロッパらしいクールな曲調から、順を追って聴いて行くうち、徐々に体温が、人間くささが増して行く構成になっている。終わり近くにはややへんてこではあるものの、普通のサンバを聞いているのとあんまり変わらなくなって来る。こいつが太洋の彼方、時の向こうからポルトガルに押し寄せた返り波の響きなんだろうか。