ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

その旗の下には立ちたくないと言う話

2010-05-17 02:56:17 | 奄美の音楽

 以前よりいろいろ想いを寄せている奄美の音楽の世界で、下のような音楽イベントがあります。

 <夜ネヤ、島ンチュ、リスペクチュ!>

 上に掲げたポスターをご覧になればお分かりのように、内容だけなら、そりゃ文句のつけようがない。私だって都合さえ付けば「それいけ!」ってなものですが。
 でもちょっと、引っかかるものがあるんですねえ。それについて、流行のツイッターに下のように呟いてみました。

 ”微妙な話ですが。奄美の地に憧れを持ち島唄を愛しているけれど、ヒップホップやレゲが大嫌いな私にとって、この「リスペクチュ!」って言葉、凄く複雑な気持ちになります。ヒップホップが嫌いな奴は奄美を愛しちゃいけませんか? ”

 「リスペクチュ」ってのは、要するにラップやらレゲやらが好きな連中が好んで口にする「リスペクト」でしょ?それを南島風に「くちゅ」と訛ってみた、というわけだ。
 まあ、小さな事と言えばその通りなんですがね。主催の人々は私みたいにヒップホップ嫌悪とかなくてむしろファンでおられるのでしょう。で、勢い一発でイベントのタイトルをそう決めてしまった。

 まあ、そう言うこともあるでしょう。ヒップホップの世界に共鳴している人には、さぞや楽しいジョークなんでしょう。
 けど私は、そんなヒップホップ印の旗の元に集まるわけには行かない。つまらない意地を張っているとお笑いでしょうが、嫌なものは嫌だ。それに、一言言わせていただければ、その場で奏でられる音楽のほとんどはレゲでもヒッポホップでもないんですよね?

 ・・・という、まあそれだけのお話です。




童神?それは違うだろ

2010-02-27 05:19:35 | 奄美の音楽

 奄美の城南海ちゃんの次の新曲が、古謝美佐子が歌っていた”童神”となる事を知った。。なにそれ?今、かなり面白くない気分の私であります。
 なんかドラマの主題歌に使われるらしいが、そんな”沖縄の威を借る奄美”みたいな扱いで南海ちゃんが売れても何も面白くないよ。奄美と沖縄の区別が付かない人も普通にいるからね。

 ”童神”は古謝女史が書いた歌詞にヤマトンチュの作曲家がメロディをつけた、”一見沖縄風ニューミュージック”でしょう?その予定調和的”きれいなメロディ”のうちには出来合いの南国イメージで飼い馴らされたきれい事の沖縄があり、そいつを奄美の南海ちゃんが指でなぞらされるって訳だ。
 そもそも、これまで南島出身の先輩たちがやって来た手垢が付いたような企画の繰り返しを、なんで南海ちゃんがいまさらやらなけりゃならないのだろう?

 めちゃくちゃ白けてます。

 いや、沖縄の唄を取り上げるのはすべて反対とか、そんな事を言うつもりはない。”スローラジオ”なんかで南海ちゃんが三線片手に沖縄の唄をひらりと取り上げ歌ってみせる、あの感じは大好きなんだけどね。奄美~沖縄間をユラユラ浮遊するうちに、ちょっぴり型崩れがし、奄美風にクセの付いた沖縄のメロディは、不思議に聴く者の血を騒がせるものがある。あいつはむしろファンだ、私は。

 ”童神”を歌うってのはそれとは違う。南海ちゃんを出来合いの(しかも沖縄の)観光パンフレットの中に封じ込めることだ。彼女がこれまでやって来た、そして我々が応援して来たそのこととはまるで逆行してみせる事なんだ。
 つまらない、と思う。売れませんように、とファン生命をかけて願っている。

スローラジオな夜

2010-02-05 02:41:54 | 奄美の音楽
 毎度ミーハー反応を示して申し訳ないが奄美の歌手、城南海ちゃんが昨年秋からラジオのニッポン放送で”城南海のスローラジオ”なる番組をやっている。彼女が気ままなおしゃべりをし、三線を弾きながら島唄を歌う、リスナーからの葉書を読んで質問に答えたりする、まあそんなよくある番組なのだが。

 この番組、なにしろ放送時間帯が毎水曜日の夜9時半から20分というものなので、夕食を終えてテレビを見ながら寝転んだりしようものなら、うたた寝しているうちに終わってしまうという狂おしいプログラムであり、実は3回のうち2回くらいの頻度で聞き逃している次第で、なかなかもどかしい。
 それでも「まあいいや、来週があるサー」とあんまり悔しがる気にもならないのは番組の独特のペースのおかげであって。
 これは奄美のリズムなのか、それとも城南海という女の子が独自に持っているノリなのか分らないが(後者の確立が高いような気がする)ともかく悠揚迫らざるというのか番組全体を城南海ちゃんの、の~~~~~んびりした口調のもたらすゆる~い空気が流れていて、「きっちり聞き逃さずにチェックせねば」みたいな律儀な気持ちは起きては来ない。

 なんとかこの番組、放送時間をもっと深夜に持って行っていくれないものか、そして放送時間も長くしてくれないかと思う。できれば、今のノリのまま、同局で”オールナイト・ニッポン”を担当して欲しい。2時間に渡って、あののた~~~っとした語りが、この気ぜわしい日本の夜の中に広がって行くのを想像しただけでも楽しくて仕方がないのだが。
 まあ、途中でほとんどの聴取者が眠ってしまう可能性もあるのだが。

 で、この番組の冒頭で、南海ちゃんは三線の弾き語りで奄美の音楽を歌う。CDに収録されているオリジナル曲以外の、あまり聴く機会のない曲が聴けるので、これはなかなかおいしいひとときなのである。
 ことに、奄美の民謡のCDなどにも入っていないような奄美の俗謡を、これは意識的にやっているのだろうか、よく紹介してくれるので、ますますおいしい。その時の南海ちゃんの歌声は、こう言っては何だが、CDで聴けるそれよりラフな魅力に溢れていて、かなり良い感じなのだ。
 発声法は、より民謡色が強くなり、その響きが振りまく泥臭い”島の女”の色気のイメージに、ちょいヤバい気分になったりもするのである。あの感じを生かしたオリジナルを作ったらいいんだがなあ。
 というか、あれら俗謡を集めたアルバムを作ったらいいと思う。正統派の奄美の民謡を集めたものではなく、あの番組で歌っているようなものばかりを。

 なかでも、なんとも微妙な野趣に溢れて心地良いのが、奄美原産ではなく沖縄方面の島唄に奄美なりの歌詞が付けられた、奄美=沖縄系というか琉球弧路線というのか、その辺の曲である。さっきからグシャグシャな表現をしているが、正式な呼び名は多分ないので、しょうがないじゃないか。
 先日の放送でも”ヤエマ”と南海ちゃんは呼んでいたか、八重山諸島の民謡に奄美の歌詞が付けられた労働歌が歌われ、あれは聴いていて相当に血の騒ぐものがあったので、ぜひとも、あの三線の弾き語りのままでディスクに収めて欲しいと願っているのだが。

 以上、思いつくままダラダラ書いてきたが、城南海ちゃんの”スローラジオ”を聴きましょう皆さん、と呼びかけておきます。




奄美、南海のロッキン&ジャンピン

2009-11-01 02:47:17 | 奄美の音楽

 ”星降ル島ヌ唄”by 前山 真吾

 昨夜は”人が橋を歌うとき”なんて文章を書いた。こちらの話の進め方のムチャクチャゆえに、もしかして誰にも意味が分らなかったかもしれないのだが。人は橋に歌心を喚起されたとき、そこに彼岸を見ているのではないか」とか、そんな事を言ったつもりなんだが。なんて余計な文章を付け加えるとますます意味が分らなくなるのだろうが。

 そういえば、奄美の島唄にも橋を唄った歌があったのだった。らんかん橋という。「大雨が降ってらんかん橋が流されてしまった。おかげで河が渡れず、遭えなくなった恋人は泣いて帰った」という内容の唄。遠い昔にあった出来事から生まれた唄だろうか。昔において欄干があるというのは、かなり立派な橋のはずだが。

 この唄など聴いていると、なんだか七夕の、星空を舞台にした織女と牽牛の逢瀬の物語など思い起こされてしまう。やっぱり橋は人の意識を違う世界に飛ばすカタパルトじゃないかとか、言いたくなっても来るファンタスティックな歌なのであった。
 今回はその”らんかん橋”も含まれた奄美民謡の若手、前山真吾のデビューアルバム(2006年作)である。

 飛び出してくる歌声に漲る、フレッシュさというか若い男のリアルな存在感がまず印象に残る。(ご本人は録音したものを聞いて、”自分はまだ青いな”とくさっていたそうだが)
 同じ若手でも中孝介のような繊細な唄い口とは違い、かなり太い声質で土臭く迫る。そのもともとの声の太さと、奄美の伝統的な裏声を多用する歌い方の関係などに、裏声唱方の成立由来が見えてくるように思えて、なかなかにスリリングな気分である。

 前山自身、奄美の唄に興味津々という気持ちがあり、民謡のフィールドリサーチなども積極的に行なっているそうで、その成果としての、他の人とは収録曲が一曲もダブらないアルバムなど、そのうち出してくれたらなあ、などと勝手な期待を公表しておこう。

 ところで。実は私がこのアルバムで大いに心に残ったのは、前山の三線が織りなすリズムだったのだ、なんて言ったら、何しろ相手は”唄者”なのだから叱られてしまうかもしれないが。けど仕方がない、私はこのアルバムを聴いていて、唄と三線が織りなすリズムに思わず体が動き出してしまい、デタラメな踊りもどきを始めていたのだから。そんな経験ははじめてだ。

 湧き出してくる、それこそ奄美の海に寄せては返す波のきらめきのようなリズム。それも、生まれたばかりの。そいつを新世代の唄者としての”売り”の一つとしても良いではないか、などとも思ったりする。
 ともかくなんだか眩しいアルバムだなあ。




地球港の立神は

2009-08-23 23:57:54 | 奄美の音楽
 ”加那ーイトシキヒトヨー”by 城南海

 さて、待望の城南海ちゃんのデビュー・アルバムである。それはいいんだけれど・・・一聴、「あ、そういうことだったのか」と、私は頭を掻いたのだった。
 これまで城南海がリリースしてきたシングルCDに関して抱いて来た疑問が氷解したと言うか、彼女に対する自分の理解が結構セコかったなと反省させられもしたのである。
 だいたいが、数日前にここに書いた、デビュー時の城南海を追ったドキュメンタリーへの我が感想というものが、こうなってくるといかにも小さな論であり、実に情けなくなってくる。
 あの文章で私は、「奄美の先輩唄者たちが集まった宴席で、自己流の島唄を比較的最近歌いだしたばかりの彼女は気が引けたのではないか」なんてくだらない方向に気を廻したが、城南海の音楽志向はそんな小さな世界にとどまるものではなかったのだ。

 では、いったい彼女は何をやりたいのだ?と問うなら、すでに彼女は自身のブログでも述べている。グイン、つまり奄美の伝統のコブシで世界の音楽の読み直しを行ないたいのだ、と。
 その文章を読んだ際、私は、まあ「世界の願い、交通安全」とか「人類が平和でありますように」とか、その種のありがちな標語的コメントかと思ったのだ。申し訳ないことに。
 歌手がインタビューで語る、「ジャンルにこだわらず音楽を作って行きたい」とか、ありがちなコメントがあるでしょ?なんか意味ありげだが実態がよく分らない。一応、言ってみただけ、現実に何をやるかといえば何をやるでもなかったりする。その一種と受け取っていたんだなあ、私は。が、彼女は本気だったのだ。

 このアルバムを聴いてみると、確かにここには城南海による「グインで編み直す世界音楽」のための試案が展開されている。グインを視点に掘り起こすワールドミュージック。そのための序章。
 そのタイトルからふと、奄美民謡の「太陽ぬ落てまぐれ」なんて曲を思い出してしまった冒頭の曲、”太陽とかくれんぼ”。そこではまず、南米からアフリカへと通ずるようなリズムに乗せて神話的風景が提示され、もう一つの世界の扉が開けられる。
 デビュー曲”アイツムギ”も新しく軽いサンバっぽいリズムが付され、奄美の伝統世界が海によってつながった、より広い世界に向けて漂い始める気配を感じ取れるようだ。
 その後も内外の民謡や民話にインスパイアされた曲が続き、カラフルな世界巡りが続いて行く。世界がグインによって目覚め、スイングし始めようとしている。

 一曲、アイルランド民謡が取り上げられているが、それは我々の知っている”正しい”メロディとは微妙に違っている。これなど、”グインvs世界”のとても分り易い構図であり、興味をそそられるのだった。中孝介の歌う”アベマリア”などと聴き比べてみるのも面白いだろう。
 それにしても城南海は、どこからこんな事を思いついたのだろう?そして、この盤のあちこちに溢れる、いいようのない”切なさ”の正体は?そしてこれから城南海はどれほど遠くへ行くのだろう?楽しみになってきた。非常に楽しみになってきたぞ。



城南海の”夜明け前”

2009-08-19 05:03:43 | 奄美の音楽


 ”城南海~女性シンガー デビューへの軌跡~”

 奄美出身の新人歌手、城南海ちゃんの話です。という事は当然、ミーハー乗りの内容となります。お許しを。
 今、BSフジで放映された”城南海~女性シンガー デビューへの軌跡~”を見終えたところです。
 南海ちゃんのデビュー当時に製作され、鹿児島ローカルでだけ放送されたという、”城南海~女性シンガー デビューへの軌跡~”なる、1時間弱のドキュメンタリー番組があると知り、ずっと気になっていたんだけど、さきほどBSフジで再放送がなされて、やっと見ることが出来た。いや、すっきりした!

 内容はタイトル通りの、新人歌手の経歴紹介やらレコーディングやライブ活動など、デビューに向けての新人歌手の日々を紹介するといったもの。
 当然ながら、奄美の文化に興味があったり、島唄が特別好きだ、なんてマニアな人のための作りはされていないから、特に突っ込んだ内容となっていない。
 まあ、それは初めから予想のつくことであったし、こちらだって南海ちゃんへの興味のベクトルがこのところすっかりアイドル方向に傾き、モーニング娘の番組を見るのとあんまり変わらない視線で画面を眺めているのだから、あんまり偉そうなことは言えない。

 それでもいくつかの新発見はあり、たとえば彼女がピアノに打ち込む少女であり、高校はその専門のところに通っていた、なんて事実。それは、今日まで城南海ウォッチングを続けて来た私も分からなかった。彼女の言動にも音楽性にも、その種の専門教育の面影は感じ取れなかったのだが。
 その一方、これはすでに一部知っていたことだが、城南海は子供の頃から島唄の世界に生きて来たわけではなく、高校時代に兄の影響で島唄に興味を持ち、ほとんど自己流でマスターしたとの事実。

 以前、中村とうよう氏がミュージックマガジン誌上で批判していたように、相当に形式の遵守に厳しいらしい奄美島唄の世界のことである。”奄美島唄大賞受賞→歌手として認められる”という”正統”の道を歩まなかった城南海のような歌手は、奄美を離れた鹿児島の地でなければ認められるチャンスもなかったと考えていいのだろうか?

 だから番組の終盤、”思いがけなくも奄美の先輩唄者たちが、デビューをひかえた南海のために集まってくれた”の場(まさか中村瑞希たちが、ほんの一瞬にしろ、画面に登場するとは思わなかった!)など、その1シーン1シーンの”そのまた裏”が気になって仕方なかったのだ。先輩たちは城南海を迎え、歓迎の唄遊びお始めたのだった。
 奄美ですごした子供の頃は島唄に興味はなく、鹿児島に移り住み高校に通い出してから歌いだしたという”我流”の城南海の島唄は、だからこそ私などには斬新なスリルと創造性を孕んだものと受け取れるのだが、先輩たる彼ら彼女らにとって納得の行く出来合いのものだったのだろうか?
 そして先輩たちを変則的な形で追い越して”メジャー・シーン”にまだ10代の身を投じようとしている城南海にどのような感想を抱いているのか?

 番組は、「先輩たちは暖かく城南海を受け入れてくれて、寄り合いの席はまるで彼女のデビュー祝いの宴席となり、唄は次々に飛び出し、人々は次々に立ち上がり、踊り出した。島の人々はいつもの通りに暖かかった」と言う方向に”まとめ”に入って行ったのだが・・・
 先輩方は、「言いたい事もあるが、盛り上げてくれた」のだろうか、「番組制作サイドからの要望があったからそのように振舞った」のだろうか。それとも、こんな勘ぐりは私の性格の歪みゆえで、あの暖かい島の人たちの新人の壮行をかねた集いは、掛け値なしに本物だったのだろうか?

 と、まあ、こんな事をふと考えてしまった次第であります。屈折しててほんとにすみません。しかし可愛かったね、城南海ちゃんは。



ニューヨークの奄美島唄

2009-08-01 01:33:15 | 奄美の音楽



 思い返せば・・・奄美の島々を突然の浮かれ騒ぎと奇妙な悲喜劇模様に叩き込んだ、あの皆既日食騒ぎ(もうずいぶん前の出来事みたいだ)の当日はまた、奄美出身の歌手、我らが城南海ちゃんの3rdシングルの発売日でもあった。私がその事に触れないのをお嘆きの向きも。まあ、おられないというか、ほとんどどうでもいい、そりゃ誰だ、という人ばかりかとは思うが、クッソー、いいよ、どんどん書いて行ってしまうから。

 それはもちろん、城南海ちゃんのシングルはちゃんと買ってあり、それなりの感想も書きかけていたのだが。

 その前に。南海ちゃんはこの春先にニューヨークに出かけていたのを知ってた?その地で開かれていたチェリーブロッサム祭りとかいう、まあ日米親善の催しのゲストみたいな形で、かの地のアメリカ桜の元で小コンサートを行なってきていたのだった。ちょうどあのインフルエンザ騒ぎ(こいつもまた、相当に昔の事のような気がする・・・)の最中だっただけに、感染者続出のアメリカへ出かけるにあたってはずいぶん迷ったようだが。

 で、その際の出来事は南海ちゃんのブログなどに記述されており、アメリカ人の客たちの間に南海ちゃんの歌声が沁み込んで行く様子、ついにはアンコールまでかかった、なんて頼もしい報告が自身の筆で(ブログだが)描写されていたのだった。

 やあ、それは見たかったな、どこかのテレビ局が取材してないのか、などと思いつつ待ったのだがオンエアの噂もない。もどかしいなあ、どんな具合だったのだろうなあなどと中途半端に日を送っていたのだが、そんなある日、全然別の事を調べている最中に、その様子、つまり”城南海・ライブ・イン・ニューヨーク”の様子が、あのYou-tubeに何人もの人々によって挙げられていることに気が付いた。
 なるほどなあ、こんな事、とっくに気が付いていなければいけなかったなあと自分の要領の悪さを悔やんだものだったが、しょうがねーだろ、オヤジなんてそんなものさ。

 で、ですね、そこで三線を爪弾きながら奄美の島唄を歌う南海ちゃんを見ていたら、大事な3rdシングル、どうでもよくなっちゃった。だってさあ、やっぱり奄美の島唄の方が重さ深さにおいて、圧倒的に勝ってるんだもの。聴いていて、血の騒ぎ具合が全然違うんだもの。

 ・・・なんて事、言っちゃいかんな。あの、城南海ファンの皆、今度のシングルも買わなきゃいかんよ。勝負なんだから。
 とかなんとか。本日、めちゃくちゃなこと書いてるけど、いや、読んだらすぐに忘れて欲しい。うん、まあ、そういうことだ。




海辺の叙景

2009-07-24 03:43:14 | 奄美の音楽

 (写真は、日刊スポーツの記事より)

 悲喜こもごも、と言いましょうか、こんなことにも勝ち組と負け組みがいるのか、なんて思ったりもしてしまった皆既日食祭りでしたが。

 でも私、ちょっと良い光景かなあ、とか思わないでもなかったのでした。だって、普段はそんなことにはまるで関係ない日々を送っているたくさんの人たちが、天体の移動という大宇宙の壮大なドラマと対峙したわけでしょう、スーパーで買った太陽観察用遮光メガネと、握り締めた南島への船のキップを得物として。

 こいつは結構好きなイメージだなと、日食見物に出かけた人々の辿ったさまざまな運命をテレビ越しに見物しながら思っていたのです。また、今回、恰好の観測場所として注目が集まったのが奄美諸島というのも素敵じゃないか。それも悪石島なんて、こんな事でもなければ大多数の人々は耳にする機会もなかったろう、造化の神が置き忘れた(?)みたいな場所にぽつねんと位置する小島に注目が集まるなんて、風情のある話だ。

 古い古い、正体不明の失われた民族が残した遺跡なんかを調べると、祝祭の場のメイン会場に冬至の日の日差しとかがちょうど差し入る構造になっていたりする。そんなにも昔から、宇宙の運行と同じ波動のうちに自らの生の時を定義したい、なんて憧れのうちに人々は生きて来たのだろうか。

 なんかねえ、日食観察のために島に渡った人々が、地球と言う岸辺に置き忘れられて途方に暮れる遥か銀河の彼方からの旅人、なんて風に見えてきたりもするのですよねえ。そういえばポール・サイモンの”アメリカン・ソング”の歌詞にもありました、”我々は月に行く船で、あるいはメイフラワー号で、この混乱の時代に辿り着き”って。

 それにしても我らが城南海ちゃんの壮挙。あの日食の瞬間、ひとときの闇の訪れた奄美の海岸でプロモーション・ビデオを撮ったそうな。それはファンタスティック!それとも、こいつもやっぱり”たくましい商魂”の内に入るんだろうか。
 で、テレビのインタビューで話していた、南海ちゃんの日食に関するコメント。「暗くなったときより、また明るくなるのが不思議でした」
 しかし、ずっと暗くなったままって訳にも行かないからねえ。でもまあ、気持ちは分かる。なんとなく。



奄美のエコー

2009-07-22 04:49:12 | 奄美の音楽

 ”姉妹(うなり)たちの唄が聴こえる”by 山下聖子・平山淳子・西俊子

 昨日、21日の夕方に、山の手の別荘地帯を気まぐれに車で走ってみたのだが、高みは濃密な霧に覆われていて、ちょっと驚かされたのだった。たまにすれ違う下りの車は皆、昼間と言うのに思い切りライトを燈していて、いかにも異常事態という雰囲気である。霧が出ているのは承知していたが、ここまでとは。
 別荘地帯に入り、木立の間から遥か眼下に広がる街を見下ろしてみると、そこは濃密な白い流れに覆われ、市街地と海の境も判別しがたい状態である。へえ、あの霧の底にさっきまでいたんだ、と思うと不思議な気分になってくる。この山の手ばかりではなく、我が街のすべてがいつのまにか、濃密な霧の海に飲まれていたのである。

 昨日までのカンカン照りの夏日を思えば、なにやら異様な気象の変化である。先ほどすれ違った車たちの真似をしてライトを点灯し、視界の悪さを考慮せず不意に飛び出す無謀を犯す車に注意しつつ、ゆっくり進めて行く。どのみち、この辺りをこの時刻に走る車などいもしないのではあるが。
 家に帰りつくと、居間のテレビが中国地方を襲った豪雨のニュースを流していた。その雨がそのままこちらにやって来る、という形勢でもなさそうだったが、とりあえず雨に対する心構えだけでもしておくべきかと思われた。日本中を不安定な気象が覆っているような形勢である。

 ”姉妹たちの唄が聴こえる”は、”奄美民謡大会”の第28回(平成19年)の優勝者である山下聖子のアルバムである。同じ笠利町の出身である同世代の歌い手、たとえば里アンナの華やかさや中村瑞稀の鋭さと比べると、一見地味な芸風に感ずる歌いぶりである。地味な日常生活の連なりの中からふと湧いて出たような当たり前さをまず、感じとってしまう。
 が、聴き進むにつれ山下聖子の、スッと背筋を伸ばして端正な文字を一つ一つ書き付けて行くような、奥ゆかしげな唄の表情の、その裏に秘めた強靭なバネと、地を這うようなビート感覚にだんだん気が付きはじめ、そうなるともう一度CDを頭から聴き直さずにはいられなくなってくるのだった。

 海に生きる奄美の上代の民は、姉妹(ウナリ)信仰なるものを持っていたそうな。板子一枚下は地獄の海の生活の中で、姉妹神の霊験により命を救われた、などという。
 アルバム製作者の弁として、ここでその姉妹神との関わりも語りつつ、このアルバムでは合唱としての奄美島唄に焦点を当ててみようとした、と語られているのを読んだ事がある。つまりそいつが”姉妹たちの唄”というわけだ。
 その割には、いつもの掛け合いと違う、女性歌手たちが声を合わせてメロディを歌って行くという形が、このアルバムでは8曲目の”とらさん長峰節”でしか聴けないのが物足りない、というか残念だ。確かに女性コーラスによる奄美島唄は珍しく、新鮮な響きがして好もしく感じられるので、ここはもっともっと聴いてみたかった。次の機会には全曲コーラスもので、どうか頼みます、関係者諸氏よ。

 さて明けて22日、国内で46年ぶりとなるとて話題となっている皆既日食が起こるまで、もう何時間もない。日本国内ではもっとも長時間日食が観測できるとかで、奄美の島々に突然にスポットが当たり、こいつも意外な展開となった。天候がどうももう一つでじれったいが、ここは奄美のためにもきれいに天体ショーが観測できる事を祈る。

 もっとも、その一方で中国地方では大雨による被害が出ているなどと知らされると、大自然の荒ぶる神が「吹けば飛ぶような人間どもの思い通りになる自然ではないぞ」と念を押しているのではないか、などと怪しむ気持ちも、まあ、ムチャクチャであり被害を受けられた方々には無神経な表現で大変申し訳ないが、起こって来たりもするのである。
 なにしろ神秘のエコーを秘めた地、奄美が絡んでいるのだから、当方の性格からして、さまざまな想像が浮んでしまうのも仕方がないのだ、お許し願いたい。





久永美智子と奄美の新民謡

2009-06-14 03:27:42 | 奄美の音楽


 ”奄美物語・久永美智子シリーズ”

 まだ奄美の音楽の右も左もまるで分からぬまま(今だって分かっちゃいないのだが)、ただ我が心の中に突然生じた、行ったこともない南の島々へ寄せる熱病のような憧れの命ずるままに、手探りで奄美の音楽を探り始めた頃。
 サイフをカラにしつつかき集めた奄美方面のCDやらカセットで出会った奄美のミュージシャンのうち、なぜか気になる人の一人が、この久永美智子という人だった。
 彼女は奄美の、いわゆる”新民謡”の作曲家であり、彼女の作曲作品を集めたオムニバスCDがいくつも、奄美のレーベルから発売されている。また自身も歌い手として少なくないレコーディングも行なっている。奄美の新民謡界の現時点での最前線にいる人と言っていいのではあるまいか。

 彼女のペンになる歌は決して高度なテクニックなど使ってはいないし、革新的な何があるとも感じられないのだけれど、どれも独特の魅力を秘めていて、聴き終えた後に妙に心の底にコツンと何かが残って忘れられない。そして、沖縄のそれのようにあからさまではないものの、音楽のその奥に仄かに、そして確かに響いている南の島の潮の香。これもたまらない魅力だ。
 そんな人だったから彼女の足跡なりとも知りたく思ったのだけれど、あまりたいした資料にも出会えない。この人ならば、まあ、それほど年配と言うわけでもないけれど、それなりのキャリアも積んでいる人であろうし、まだまだ知らない名曲があるであろうと期待したが、実際あるのかないのか、それらにも出会えぬままだ。この辺り、なかなかもどかしいが、まあ、気長に追いかけて行こうと思う。

 新民謡と言うのは、いわゆる民謡とは直接の関係はなく、大正末期から昭和の初期頃まで日本中を巻き込んで盛り上がった、大衆文化運動だった。新しい時代に即した新しい日本の民謡を作ろうという趣旨で、その実は地方の産業キャンペーンであったりしたのだったが。
 有名無名の作詞家作曲家が運動に加わり、今日でも”日本の郷愁歌”などと呼ばれて愛唱されるいくつかの大衆歌が生まれはしたが、やがて”流行歌”の成立と共に新民謡は下火になって行った。
 そんな新民謡が奄美の地にのみ生き残り、人々に普通に愛好されていると言うのもずいぶん不思議な話だが、それに関しては私も良く分かっていないので、また後日と言う事で。
 ここでは、昭和30年代に全日本規模で大ヒットし、奄美ブームを作り出した、”島育ち”や”島のブルース”と言った曲が、つまり元々は奄美製の新民謡であった、と言う事だけ押さえておく。

 久永美智子の経歴を調べて意外だったのが、私はきっと歌謡曲の作曲家の教えを受けた、つまり専門的教育を受けた作曲家だと彼女を思い込んでいたのが、まったく的外れだった事。
 彼女は単なる歌好きな少女であっただけで、奄美は瀬戸内町の叔父の家で見つけた古いギターに手を触れてみるまで、作曲などに興味を持った事のない人だったようだ。
 そう知ってみると、先に述べた彼女の作曲家としての魅力の底にあるものも判るような気がしてくる。久永美智子の織りなすのは、まったくの市井の音楽愛好家が、大衆の嗅覚だけを頼りに手探りで紡ぎ出して来たメロディ群なのだった。

 今日、奄美の新民謡がどのような機能の仕方をしているのか、現地での扱いがよく分からずにいるのだが、こちら”内地”で奄美の音楽に興味を示す人々も、新民謡にはあまり関心を持ってはいないように思えて、残念な気がする。独特の奄美ローカルの歌謡曲としての味わいも心地良い今日の新民謡、私は好きなんだがねえ。
 もうちょっと応援してみようよ、何か新しい展開も生まれてくるかも知れないし、もう一度”化け”させられたら楽しいじゃないか、とか言いたい気分の私なのである。