野音、といいますが、要するに東京は日比谷の野外音楽堂。そこにおいて70年代のドアタマに、もう毎週のようにロックコンサートが行われていた時期がありましてね、まあ、ちょうど東京に出たばかりの私などは好きなものだからさんざん通いつめた。その頃見聞きした事を記憶の彼方から掘り起こして書いてみようかな、と思った次第。
まあ当時は”ウッドストック”とか、あんな大型の野外ロックフェスティバルが話題になっていましたからね、それに刺激されて、という側面は大いにあったでしょう。
コンサートは大体、昼過ぎ頃始まって、夜、8時9時頃まで行われた。出演したのは有名無名の日本のロックバンドたち。それが入れ替わり立ち代り、何曲かずつ演奏を披露して行く訳ですな。
当然、というべきか、まだ日の高い頃に出てくるのはアマチュアに毛が生えたようなというか、いや、アマチュアそのものだったかも知れないバンドたちでした。
やがて夕暮れが迫る頃にはだんだんと大物が登場して来る訳だけれど、大物ったってレコードはまだ出していなかったりするのが”日本のロック”の当時の状態だった。
そもそも、そんなにも頻繁に、そのような総花的なコンサートがたびたび行われたというのも、当時は今日のようにあちこちにライブハウスなんてなかったし、演奏者側にもファンの側にも、他にロックのための場が無かったからだ。”ロックが存在可能なのは、東京の山手線の輪の内側だけ”なんて言葉もあった。当時、町に流れる流行歌といえば演歌が大々的に主流だったし、ロックで食って行けてるバンドなんてあったのかどうか。レコードだって、リリースは簡単なことではなかった。
ロックを演奏できる場って、そんな野音みたいな所にしかなかったし、当然、ロックを聞きたい側にとっても事情は同じだった。
その野音の「8時間ロックフェスティバル」の入場料、よく憶えていないんですが、500円だった時があって、「高いなあ」と感じたのを記憶しています。だから、普段の料金、推して知るべし!現在との物価の違いを考えても。やっぱり安い!
まあ、当時はロックそのものが商売にも何もならなかったし、そこで採算取るとか考えていなかったんじゃないでしょうか。まず、日本にロックを根付かせたい、そしてなにより、自分たちの音を聞いてもらいたい、そんな情熱優先でやっていたと思います、皆。それは観客も同じ事、でしたね。そんな熱気に溢れていた時代でした。
その一方で、出演するバンドの側も、そりゃ、トリを取ったりする大物連中はともかく、早い時間に出てくる無名のバンドに関しては、今から考えると、かなり貧相な音を誇る(?)連中も、相当数、いたわけでしてね。そうそう、”バンド変われど音変わらず”なんて言葉もありました。まだまだ幼かったんですよ、日本のロック全体のレベルも。
どいつもこいつもジミヘンやクリームなんかの下手な模造品を演じていただけって事実は確かにあった。きっちりとしたバンドとしてのパフォーマンスを提示出来る実力を持つバンドなんて珍しかったし、独自のサウンドなんて、ほとんどのバンドにとって、まだずっと先の話だった。
だから、同世代で”野音通い”をしていた人と話なんかすると、夕闇迫り、最後の方の大物バンドが出る辺りを見計らって野音に出かけた、なんて体験談を聞くこともあり。まあ、そちらのほうが賢い選択といえるんでしょうが、私は、そんな”昼の部”のパッとしない無名バンドもまた、愛していたんで、昼過ぎには必ず出かけていきましたね。それに、そんな時間帯だって、思わぬ拾い物がないでもなかった。まれではあるけれど。
たとえばそんな”昼の部”で一度だけ忘れがたいステージを見せてくれたバンド、なんてのもいた訳です。ライフだったかライブだったか、よく名前を憶えていないってのも間抜けな話なんですが、彼等なんかもそんな忘れがたき無名バンドの一つでした。
ギター二人にベースとドラム、4人組のバンドでしてね、見た目もなんだかアマチュア臭く。ステージに出てきて開口一番、「僕たち、解散する事になりました。これが最後のステージです」とか言って演奏を始めた。
それがまた渋く、されど軽快なブギの連発だったんです。当時の流行で、重苦しいブルースを延々とやるバンドは多かったけれど、同じブルース族でもブギ専門とは一本取られたね、でありました。聞く側にとっても。
とにかくバンドの個性、一言で言えばマニアックで、かつ人懐こい!矛盾している表現ではありますが、だって、そうだったんだもの。
自然に手拍子が起こりましたね、観客の間から。当時の野音で、そんなの初めて見たなあ。一発で観衆の心を捉えた、って奴だった。1曲2曲と演奏が続くうち、野音を埋めた観衆の中に、非常に和やかな空気が広がって行くのが見えるようだった。
彼等自身も、解散するってんで気分的にも吹っ切れていたんじゃないですか。飄々としたステージには、凄く好感が持てた。
だから、そんな彼らが10日ほど後の、やはり野音のステージに「この間のみんなの声援に力を得たんで、もう一度やってみることにしました」と言いつつ帰って来た時は、皆、歓声を持って、それに答えたものでした。
その日の彼らのステージは、やはり飄々としてリズミックで、非常に楽しめるものだった。けど結局、それが私が見た彼らの最後のステージでしたね。その後、どうなってしまったのだろう、彼等。予定通り(?)やっぱり解散してしまったんだろうか。今頃になって、彼らのその後を知りたくて、当時に詳しい人に尋ねたりもしたんだけど、そもそもそんなバンドを記憶している人に逢った事がない。
どうなったのかなあ、彼等。まだ青臭いガキで、そんな世代の思い込み一杯でコチコチになっていた私に、楽しみながら音楽をする道もある事を教えてくれたバンドだったんだけど。せめて日本のロック史にひとかけらでも足跡が残らないかと思って、折あらば彼らの事を語ってみるのだけれど。などと言ってはみても、なにしろバンドの名前自体がはっきりしないんでは、どうしようもないんだけど(苦笑)
どなたかご存知ありませんかねえ、このバンド?何かご存知でしたら、あるいは”そのバンド、見たことがあるぞ”という方、おられましたらご一報をいただければ幸いです。それにしても、どうしてるんだろうなあ今頃、あの連中は。