ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

Dala色の風立ちぬ

2012-09-03 05:13:03 | フリーフォーク女子部

 ”Who Do You Think You Are”by Dala

 青春時代の一時期、ずいぶん入れ込んで聴いていた北米方面のシンガーソングライターたちの音楽は、こちらの耳がワールドミュージック状態となってしまった今、もう聞くこともあるまいと思っていたのだが、この一~二年、急に熱が舞い戻ってきたみたいにポツポツと聴くようになってきた。
 昔のように、と言ってしまって良いのかわからないが、ともかくもそのジャンルで、興味を惹かれる作品に出会う機会がいくつかあったのではあった。
 もっとも、かってはヒゲに長髪、薄汚れたジーンズ姿の男性歌手が渋い声で放浪を歌う、なんてのが好みだったのが、最近聞くのは女性歌手たちのさわやかな歌声、という具合に、内容に若干の変化はあるのだが。

 そんな具合に私の内で”フォーク復興”の気運を盛り上げた女性歌手たちのアルバムを取り上げてみる。カナダの女性デュオ、”Dala”である。このところ、順調に毎年、新作を発表してきている彼女らだけれど、これは2007年に発表したアルバムが今年になって再発となったもの。
 しばらく前から、我が国のフォーク好きにちょっとしたアイドル的人気(?)を博しているDalaだけれども、このような再発が成されるということは母国カナダでは、あるいはアメリカあたりでも、注目されて来ているのではなかという気もする。
 ともかく北の大地の草原に結ばれた朝露みたいにピュアな彼女らのキラキラ輝く歌声には、余計な理屈なしに惹かれてしまうのさ。

 この5年前の、こうやってすぐ再発されたのは、新作としてリリースされた時点では話題にもならず、あんまり売れなかったのかもしれないなあ、なんて余計な想像を喚起するアルバムは、それがテーマだったのだろうか、その他のDalaのアルバムと比べると、ずいぶんタイトな、フォークロック的とも言いたいシャープなコーラスで満たされている。
 その、シャープな中にもほんのり香る甘さが良い感じで、まさに北国でとれた新鮮な果実を丸かじり、みたいな爽やかさに溢れ、う~ん、これも素敵なアルバムだなあ。
 なんとも過酷だったこの夏の疲れをさらっていってくれる、涼やかな高原の風が一吹きみたいなこの一枚が、今年の秋の扉を開いてくれそうだ。





カスタードクリーム渓谷にて

2012-07-03 23:09:30 | フリーフォーク女子部

 ”Get Your Soul Washed”by Ladylike Lily

 フランスにおけるケルトの地として知られるブルターニュ半島出身の20代の女性シンガー・ソングライターの今年出た、どうやらデビュー作らしい。とはいえ、その歌声はロー・ティーンのものと言われても納得できるようなロリロリした砂糖菓子ぶりだ。

 すべて自作らしい収録曲も、その種の、ヨーロッパの大衆文化のうちにどこからか生まれでたミステリアスな少女幻想を織り込んで、虚構性の高い”少女アリス”物語を奏でている。我が国で言えば谷山浩子のセカンドアルバムのA面、”西洋おとぎ話篇”などを思い出させる。なんて言って、ああそうかと納得できる人がどれだけいるか分からないが。
 伴奏陣もトラッドなアコースティック・ギターの爪弾きからプログレなシンセの音の壁まで様々な手法を駆使し、濃厚な幻想を紡ぐ。音のアイディアは豊富に湧き出て退屈をする暇もない。

 どこから見つけてきたのか奇妙な風景写真ばかりが張り込まれた歌詞カードには、ひねくれたレイアウトの手書きの文字で、風変わりな歌詞が書き込まれている。変わり者の女学生のノートブックを覗いているみたいな気分だ。
 下劣で退屈な現実世界に舌を出し、ゴージャスな万華鏡の終わりなき幻想世界に旅立った少女の冒険行の儚い美に、ただ馬齢を重ね、つまらない大人に成り果てたこちらとしては、ただ見入るのみ。




鳥は今、どこを飛ぶか

2012-03-28 03:37:08 | フリーフォーク女子部

 ”Horizon”by Beautiful Huming Bird

 ハンバート・ハンバートという男女デュオのフォークっぽいグループがあり、そこの女性ボーカルの声がきれいに澄んでいて好きなのだが、相棒の男の方がやたらコーラス入れてきたり、あろうことかリードボーカルまでとったりするんで迷惑しているとは、何度も言ってきた。
 実際、それほど素晴らしい歌い手とも思えないのに、彼はなんであそこまででしゃばって歌いたがるのだろう。相棒の彼女の歌声があんなに良いのだから、そのまま一人で歌わせておけばいいではないか。それを何でいちいちお前が出てくる。あいつ、オノレの間抜けな声がどれほど邪魔くさいか。まあ、きりがないんでやめておくが。

 同じような個性のグループと認識され、同じ文脈で語られることの多いビューティフル・ハミングバードという男女デュオがおり、だがこちらは男性メンバーが歌うことに興味がないとみえ、楽器演奏に徹していてくれるので安心である。彼は横で静かにギターを弾いているだけなので、こちらは安心して女性ボーカルの小池女史の歌を楽しめるのである。
 ゆえに私は、ハンバート・ハンバートのアルバムは一枚も持っていないが、ビューティフルハミングバードのアルバムはすべて購入済みである。まあ、当たり前の話だね。

 ビューティフル・ハミングバードの音楽を初めて聴いたのは、もう大分前、某建築関係の会社のCMソングを歌っているのをテレビで聴いたのだった。
 最初は、外人の女性が歌っているのかと思った。小池女史は、いわゆるジョニ・ミッチェルなどの系統に連なる、かなり癖の強い声の出し方なのである。だから私はてっきり、ジョニと同世代のアメリカの、こちらはそれほど有名ではないフォーク歌手が来日ついでにバイト気分で吹き込んでいったものなのかな、などと。
 そんな歌手が今だ、生き残っているのだなあ、などと、ウッドストックをはるかに離れた酔っ払いのおっさんDaysを送っていた私は、なにやら過ぎ去りし青春の日々を想い、甘酸っぱい気分になりつつ聴いていたりしたのだった。

 その後、ビューティフル・ハミングバードが日本のグループと知り、興味を惹かれてCDを買い始める。声の出し方、及びそれ以外の小池女史におけるジョニ・ミッチェルの影響とか、そんなことほじくり出しても退屈なんでやらないが、ビューティフル・ハミングバードの音楽の中に息付いている、遠い昔の、今は無くしてしまった絵本の世界の記憶など想起させる、すべてのものが時の止まった中でシンと静まり返っている風景の感触など、なんともイマジネイティヴで、ステキに思う。
 季節で言えば早春だったりするのか。なんとなく肌寒い空気で満たされている感じだ。草の匂いや水の気配や。
 曲で言えば、”カレン”て歌に初めて出会ったときは結構興奮させられたものだ。あの辺から「一生ついて行きます」体制となる。

 そんな訳で、これは先日出たビューティフル・ハミングバード(話題に持ち出すには、長い。このグループ名のいい感じの省略形は誰か思いついていないのか?)の新録アルバムである。サウンドは、よりバンドっぽい志向となってきたようだ。
 歌われている世界は、より濃密に、淡水画の世界から油絵的な方向に向かっているようだ。曲のバリエーションも増え、よりパワフルになり深くなり、これから聴き込んで行くのが楽しみで仕方ない。
 いいよねえ、女性のソロ・ボーカルは(え、しつこい?うん、しつこいんだよ、俺は)




ケイトとアンのまかない飯

2012-02-08 04:01:55 | フリーフォーク女子部

 ”Odditties” by Kate and Anna McGarrigle

 へえ、Kate and Anna McGarrigle の、こんなアルバムが出ていたのか。2010年の発売。トボけたタイトルだが、様々な企画のもとに録音してきた”ふざけた曲”ばかりを集めた盤、ということのようだ。
 とはいえ、別に冗談音楽をやっている訳でもなし、英語やフランス語の歌詞の細かいニュアンスまで理解できるわけでもない身としては、コミカルな曲に吹き出す、という訳にも行かず。
 彼女らの活動の本流から外れていると二人が判断した曲たちを集めてこのアルバムに押し込んでみた、ということのようだ。

 実際、聴いてみると奇妙な曲も含まれてはいるが、それが逆に、成り行きでそのような歌も歌う羽目になった彼女らの営業模様(?)を偲ばせ、興味深いものとなっている。
 聴いていると二人がライブ会場の楽屋裏で、あるいはコンサート・ツアーの合間に交わした無駄話やら笑い声みたいなものが聞こえてくるような、いわば二人の音楽活動の”行間”に流れていた空気感などを生々しく伝えてくるようで、気が付けば何度も聞き返してしまっているのだ。

 ことに、旧態依然、という感のあるバラードものが何曲が収められているのだが、その臆面もない感傷丸出しの歌い方が、これはパロディでやっているのだろうが、今となってはむしろ心に残る。皆の愛した姉妹デュオの片割れが昨年、天に召されてしまって、もう幸せなデュエットは聴くことができない、という現実を見据えてしまった今となっては。
 そしていつか、そんな”不在の日々”の手触りにも慣れとしまって、それでも我々の生きている明日は続いて行く。




時の日差しの海へ

2011-09-28 05:12:05 | フリーフォーク女子部

 ”The Home Place”by Orlaith Keane

 というわけで、フォ-ク・ネタは続くよいつまでも~♪という状況で申し訳ないですが。
 ”セプテンバー、だって9月はフィンガー・ピッキング気分の月、移り変わる季節の色が君の面影呼び戻すから~♪”とかなんとか。日本人の心の琴線、こんなものですわな。
 あっと、そうは言いつつも私のルーツは60年代のブリティッシュ・ビート・グループの音楽なんであって、フォークじゃないです念のため。フォークギターなんか弾く気になったのは、あの伝説のロック喫茶・ブラック・ホークに通うようになり、シンガー・ソングライターの音楽に興味が出て来てからの話。

 そんなわけで今回は、あのアイルランドの歌后、ドロレス・ケーンのいとこ、という人の今年出たデビューアルバムであります。「そういう人だったら、そりゃ歌もうまかろう世」と、私などは本人の努力とかハナから無視で気楽なことを考えてしまいますが、さて、どうなんでしょうか。
 などと勝手なことを言いつつ聴いてみると、なるほど、声質や節回しなど、そこはかとなくドロレス・ケーンの面影がある。まあ、こちらがその気で聞いてしまうせいもあるんだろうけど。
 で、スッと空気が澄んでアイルランドらしい寂寥感漂う雰囲気の中で、ドロレス似の声を響かされると、なんだか”権威”になってしまった自分から自由になりたくなったドロレスの生霊が、まだ無名のイトコの身に乗り移り歌っている、なんて仮説も思いついたりするのだった。(ひどい話だ。大臣なら辞表を出さにゃいかん)

 ここには定番のトラッド曲と、ジョニ・ミッチェルやメアリィ・チャピン・カーペンターなどの新作フォーク曲が平行して収められているわけだけれど、何か両者、とても良い響き合いをしている。今日は過去に光を当て、過去が今日を照射し。こうして歌を響き合わせることで、今日を生きる魂と遠い昔に生きた人々との間の静かで深い魂の交感が行われる。波間に沈んでいった少年水夫の想いと、ビルの谷間で「人生なんてほんとに分からない」とつぶやく少女の想いと。
 灰色に荒れる北の空から一条の光が差し、過去も未来もここでは等しくリアルに映し出された。うん、これはあまり見たことのない光景だな。




いじわるなギター天使

2011-09-27 04:03:44 | フリーフォーク女子部



 ”Don't Hurry For Heaven”by Devon Sproule

 幼い頃、ちっぽけなヒッピーのコミューンかなんかで育てられた女性というんで、浮世離れたキャラを想像したんだが、むしろそのすっとんだユーモアで間抜けな浮世をおちょくり倒す感覚は、大都会のど真ん中で育ったおしゃまな女の子って感じだな。
 このジャケは自由の女神のパロディなんだろうか?彼女だったら、十分考えられるが。
 なんともユニークな個性の女性シンガー・ソングライターだ。根っこにはカナダ人ながらカントリーがある感じなんだが、ポップ方向によじれまくってばかりいる。その、見事なずっこけを決めてみせたときのドヤ顔が彼女の真骨頂なんだろうな。

 途中で、それまで「おう、良いな。誰が弾いてるんだろう?」と感心していた、コリコリした音感のファンキーでひょうきんなフレーズ決まりまくりのエレキギターが、彼女自身が弾いていることに気がつき、のけぞる。ラスト曲なんか、そのエレキギターのみの弾き語りナンバーだ。
 シンガー・ソングライターながら生ギターの人ではなく、あくまでエレキギターの人であるのもかっこいいじゃんか、Devonよ。歌詞にも「ライ・クーダーの新しいのがラジオから」なんて一言がさりげなく放り込まれ、そもそもがギター少女なんだろうね。
 私は、彼女がギター弾きまくりのオール・インスト・アルバムが出たら買うね、うん。聴いてみたいね。

 いや、痛快なねーちゃんが出てきたものです。ここでとぼけた漫談を聞くような趣さえある歌詞の内容にもあれこれ言いたいところなんだが、それをやるほど英語に自信がないのが残念だ。
 そうそう、せっかく女の子の歌ってるCDを買ったのに、歌詞カードにはむさいオッサンの写真ばかりがある、というのも彼女独特のサドなユーモアなんだろうか。一見、ロリロリした天使のようなアイドル声の向こうに、人の隙を見ては足払いかけてくるような皮肉な視線がある。かなわんなあ。



野を渡る風の歌

2011-09-26 03:40:36 | フリーフォーク女子部

 ”COLOUR GREEN”by SIBYLLE BAIER

 ジャケ買いよりさらに原始的な形、雰囲気買いとでも言えばいいんだろうか。
 昔撮った白黒写真が長い時を経てセピア色に変色してしまった、みたいな色合いのジャケ写真には、なにやら寂しげな風情の女性が目を閉じて佇んでいる。
 遠くまで広がる背景は休耕田なのか単なる荒地か。遠い昔に見たことがあるような風景。だが、それがいつでそこがどこか、思い出すことは出来ない。
 そんなジャケの雰囲気に惹かれて手に入れた一枚だ。

 アルバムの中から聞こえるその歌は、まさにこの物寂しげな風景を吹き抜ける晩秋の風の囁きみたいに聴こえる、ひそやかなものだ。
 歌っているのはドイツ生まれでアメリカの映画界で活躍した(今でも活躍しているのかも知れない)女優、SIBYLLE BAIERである。

 1970年代のはじめ頃、彼女は自作の歌を、自ら爪弾くギターを伴奏に、自宅の一室で家庭用のオープンリールのテープレコーダーに録音した。が、それは日の目を見ることもなく(というか、そもそも売る気であったのかどうかも分からないが)終わった。
 彼女のその音楽はやがて30年の時を経て、彼女の息子があるロックミュージシャンのところにそのテープを持ち込む、という経緯でCD化され、こうして世に出ることとなった。

 この音楽をなんといったら良いのだろう。気配そのものを音楽にした、なんて表現が一番近いように思える。意識の流れに沿ってゆらゆらと微妙に揺れ動くメロディ。つぶやくように歌われるその歌は、我々一人一人が内に抱える寂しい荒野を吹き抜ける風の音に、やっぱり似ている。



北国の少女たち

2011-09-25 03:56:32 | フリーフォーク女子部

 ”Girls from the North Country”by Dala

 土曜日の昼前、急な用事が出来て、いつものTシャツ&短パンで愛用のバイクにまたがり、エイヤッと出かけたのだが、一分と走らぬうちに吹き抜ける風に震え上がり、あわててUターン、家に着替えに戻った、なる間抜けごとがあった。
 何なんだよ、この気候は。昨日までは盛夏、今日からは秋の盛りって、そんな馬鹿な。などとぼやきながらアクセル吹かしつつ、長袖のトレーナーの捲り上げた袖口に遊ぶ冷やっこい風に、秋口にはなぜかいつも頭の隅に浮かぶ、いくつかのイメージを噛み締めた。
 中学から高校にかけて好きだった、もちろん話の一つもしたことのないまま終わった同窓女子のことや、ポーンと高い青空の下で気ままに出かける秋の旅や、もう顔を合わさなくなってずいぶんになる古い友人の顔など、もうとっくに遠いものになってしまったものたちのことなど。

 今回、取り上げるのは、カナダの女性フォーク・デュオ、”Dala”である。昨年、彼女らのアルバムをこの場で取り上げたはずだが、あれがデビュー盤になるのかな。北国らしい、爽やかな美しさのあるアルバムだった。
 今回はライブ盤である。それにしてもこのタイトル・ナンバー、もちろんディランのあれなのだが、まるでDalaたち二人のための曲みたいじゃないか。まあ、私は似たような歌詞のスカボロー・フェアでも歌って欲しかったんだがね。その代わりというんではないが、ジョニ・ミッチェルの”Both Sides Now”がカバーされている。あくまでもカナダにこだわる、かぁ・・・

 で、2曲目の”マリリン・モンロー”という曲が非常に気になる。前作にも入っていなかった曲。この盤には歌詞カードがないんで、正確な歌詞がわからず、あれこれ言うことが出来ないが。
 簡単な伴奏は入っているが、実質、二人だけのステージと言っていいだろう。ワイルドにコードを叩きつける生ギター、時にパワフル、時に繊細に、二人のハーモニーが生だけに生々しく響き渡る。
 聴いていると、カナダ人の女の子になってギターケースを肩に、オタワでもモントリオールでもいいや、もう雪の降り始めた町を歩きぬけてみたくなる。大股で、力強く歩を進める。チャラチャラした若い男たちが声をかけてくるが、それどころではない、私にはライブがあるのだ。

 自分たちの歌の世界を見つけた、そんな感動に満たされた二人が、嬉々として音楽の中にいる。そんな二人の充実感に共振してみる、そのことが快いのだ。
 このアルバムで一番美しい瞬間は、やはり中盤、あの”Heat Like a Wheel”からトラッド曲、”Red is the Rose”へと流れる場面だろう。美しいメロディに乗って澄んだ余情が、スッと透明になり、ずっと空の高くの永遠に溶け込んで行く。
 ラスト前に、”Oh Susanna”の4人をゲストに迎えてバンドの”The Weight”を歌いまわす。こんな具合のこの曲の使い方があったとは知らなかった。

 ジャケの二人は、薄明の中で線香花火みたいなものを持って歩いているのだが、なんだか蛍狩りをしているようにも見える。それにしても、本当は何をしに行くところなんだろうな。





タクラマカン彷徨30年

2011-09-16 02:19:55 | フリーフォーク女子部

 ”タクラマカン”by 佐井好子

 佐井好子、である。
 彼女のアルバムは以前、この場でも取り上げたことがある。70年代、おそらく正当な評価も得られることもないままに一人、奇怪な幻想歌を歌い続けた、ユニーク過ぎるシンガー・ソングライターだ。
 大学時代、病を得て療養生活を余儀なくされた際に慰めにむさぼり読んだという夢野久作、小栗虫太郎、久米十蘭などの作家たちによる幻想小説に表現上の影響を受けた、という話を読んだことがある。

 なるほど、そんな感じの、不思議な懐かしさをはらんだほの暗い悪夢の一刻をその歌のうちに描き出していた、ユニークな歌い手だった。後年になって彼女の世界に注目する者たちが現れ、吹き込まれた数枚のアルバムもCD再発がなされた。
 そしてこの盤は、なんと30年ぶり、2008年に吹き込まれた、佐井好子の新録、復活盤である。戦前のブルースマン風に言うなら、”再発見後の吹き込み”ということになろうか。このレコーディングが可能になった経緯は知らない。そういうことは知らないほうが楽しめるんではないのか。

 一聴、昔と変わらぬ、あの佐井好子の世界である。子供の頃、熱に浮かされてみた悪夢の中で遠く聴こえていた、あのメロディに乗せて、煙の出ない煙突に登りハト撃つオヤジやこぼれた大豆を数えて暮らす髭男や青いケシの花が咲く山を歌う。川をたゆとう釣り船には死んだ父さん乗っている、と。以前のままの歌声が響いている。
 ひゃあ、昔と同じ歌だよ、よく変わらないでいてくれたものだ。がっかりさせられることも多いものね、この種の復活盤というものは。

 しかし・・・なんだか聴き進むうち、”昔と変わらぬ佐井好子”を喜んでもいられない、みたいな気分にもだんだんなってきた私なのだが。
 何を言っているのかって?彼女は実は、自身の生み出した幻想世界に封じ込められ、出てくることが出来なくなっている閉塞状態なのではないか。だってほら、タイトル曲で彼女もこう歌っている。

 ”そばにいても 姿はここじゃ 見えない
  まるで一人 この世に生きているみたい”

 と。
 子供の頃見たアメリカのSF映画に時間の狭間に閉じ込められて出られなくなった男の話があったが、佐井好子のこの盤も同様に、そんな彼女の悲鳴ではないのか、なんて私は危惧するのだ。いや、ほんとにそうかどうかなんて分かりませんよ、私には。そうじゃないといいけどね。表現の世界って恐ろしいね。という話である。

 そして再度聴き返す、心象風景としてのタクラマカン砂漠の荒涼。錯綜する思念の中に凍り付いて、夜闇の向こうにどこまでも広がっている。





彼女が部屋を白く塗る理由

2011-08-22 02:32:57 | フリーフォーク女子部

 ”CLOSE TO YOU”YOO HAE IN

 玩具のピアノにかがみこんでいるジャケ写真が妙に印象に残ったので、衝動買いしてしまったもの。韓国の女性シンガー・ソングライター”ユ・ヘイン”嬢の、出たばかりのデビューアルバムのようだ。どうやらジャケの意匠のまま、自作の曲をピアノの弾き語りをメインに歌って行く人らしい。
 とにかく聴いていると、シンプル、ピュア、クリア、そんな言葉ばかりが浮かんでくるアルバム。素直に育った人なのでありましょう、「雨上がりの日曜日」みたいなみずみずしいメロディを、ジャケの印象通りの澄んだ歌声で、独り言をつぶやくみたいなさりげなさで歌って行く。

 内ジャケには、このジャケ写真を撮った部屋の全容が写っているのだが、やや古い感じのアパートの一室を、壁も床も天井もペンキで白く塗り、白いカーテンを下げ、アンティークのミシンや柱時計をあしらって、スタジオとしたらしい。よく見ればあちこちに塗りムラがあるのは、手抜きなのかフェイクなのか。
 ともかくCDをまわしているだけで当方の部屋にも涼風が吹き抜けて行く感じで、二日酔いの身の上としては「おれの柄じゃないよな」などと思いつつも良い気持ちで聴いていたのだが、ふと、購入した際に教えてもらい、領収書の裏にメモしてきた、収録曲のタイトルの日本語訳に目が行く。そこにはこんな言葉が並んでいたのだった。

 「あなたが一人になった時」「どこにいますか」「一人で歩く道」「見送った道」・・・。

 ありゃりゃ。エエとこのお嬢さんが涼しげな微笑を浮かべて午後の買い物に行く、なんて歌を歌っているのかと思ったら、なにやらどのタイトルにも孤独やら別れの影が差している。
 そういえば、ずっと聴いてきて、彼女の歌には他人の気配があまり感じられない事に気がつく。真っ白に塗ったアパートで一人暮らし、の歌なんだな、どれも。
 ひたすら爽やか、みたいに思えた彼女が実は抱えていた屈託。それに気がついた私を見透かしたように始まる7曲目、「とても愛した日」。ここにきて初めて登場のマイナー・キーの曲。そのメロディは妙に生々しく、快活に振舞っていた人の本音を見てしまった感もあり、なにやらドギマギ。

 そして次の曲、彼女としては精一杯のロック、なのだろう、「アカシア・隠された愛」で弾けて見せるのは、彼女なりに示して見せた解放へのビジョンなのか。
 エンディングは、これまで出会った人々とのさまざまな出来事を歌っているのかも知れない、過ぎ去った時間を遠望するようなしみじみとした調子が心を打つ、「ひとりごと」。
 そんな次第で、あれれ、想像したのとはまるで違う感動を受け取ってしまったのでした、このアルバムから。まこと、いろいろな人がいろいろな事情を抱えて生きているのが、世の中というものであります。