”Degung Bali Instrumentalia plays Japan Evergreen Hits”
えーと・・・
そもそも、ここで取り上げられているドゥグンなる音楽はインドネシアはスンダ地方特有の音楽なのであって、それがこのアルバムではバリ島のガムラン音楽のスタイルで演奏されている。
これだけでもうかなりとんでもないことらしいのだが、なにしろガムラン音楽の芸術っぽい雰囲気が苦手でインドネシア音楽はポップスばかり聴いている当方、その方面の知識はまるっきり持ち合わせないからどの程度とんでもないことなのか見当もつかない。
が、別の方向に存在している、このアルバムのとんでもなさは、簡単に気がつくことが可能だ。何しろ演奏されている曲目が凄い。北国の春。昴。つぐない。北空港。北酒場。別れても好きな人。長良川演歌。男と女のラブゲーム。なんだよこりゃ。ウチの裏のスナックの、ある夜の風景じゃないんだから。
これらの曲が、ガムラン音楽の神妙なる響きによって次々に奏でられて行くのだから、これはただ事ではない。至極まじめな顔をして冗談を言われているような、しかもその冗談がいつまでも”落ち”にたどり着かずに延々と終わらない、そんな笑っていいようないけないような、奇妙にむずがゆい世界が歴然と存在してしまっているのである。
しかも、ここがなかなか微妙なところなのだが、これらの日本のベタな歌謡曲のうち、ガムラン音楽の楽器では演奏が不能な音階のものがあるのであり、その辺を各楽器の間で何とかやりくりしつつメロディを繰り出して行くあたり、なんだかガムラン音楽の響きの中を聞き慣れた日本のメロディが、まるで見えない蛇が空中を這い回るがごとくうねって流れて行くみたいな幻想が浮かぶ瞬間もあり、いやまあしかし、何でこんな妙な音楽をやる気になったのかね?
そもそも、誰に聞かせるために、というか、ぶっちゃけ、誰に買わせるつもりでこんなアルバムを作ったのだろう?ジャケには、ピンク色にかすむ五重塔をバックに日本舞踊を踊るゲイシャ・ガールの絵が、なぜか椰子の木こみで描かれているが、冗談音楽の気配はない。むしろ、添付された広告を見る限り、バリ島のガムラン音楽がスンダ地方のドゥグンのスタイルでインドネシアの伝承メロディを演奏するシリーズの番外編としてこのアルバムは出されているようであり、冗談どころか、かなり学級的な代物である可能性さえある。
だがなぜ日本のメロディを取り上げる気になったのだろう?私のような物好き以外、このアルバムに接する事になる日本人はいないだろうし、そんな人種はおそらく、アルバムの製作者には想定外のはずだ。ともかく、ある程度の売り上げが見込めるゆえに市場に出ている商品なのだから、これは。誰か喜んで買うものがいなければならないのだが。
以上、何度も考えてみたんだけれど、わかりません。誰が、どんな楽しみ方をしているんだ、このアルバムを?
わかる人がいたら教えてくれ、と降参状態で文章を終えるが、いや、こんなへんてこなものにも出会える楽しみがあるからワールドミュージック探求はやめられないんだよと、負け惜しみを言っておこうか。