ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

”レココレ誌の60年代”をさらに疑う

2007-05-31 05:16:10 | 音楽雑誌に物申す

 昨日の続きでアレですが。

 昔々、あるフォークグループがやっていたラジオの番組で、視聴者から寄せられた彼らの新曲への感想文が読み上げられたのです。その視聴者のお婆ちゃんが、彼らの新曲をラジオで聞いていて洩らした言葉として。
 「ああ、私も若い頃、あのかたと、この歌のように夜の××の町をいつまでも二人だけで語り合いながら歩いたものじゃった。私は女学校に入ったばかり、あのかたも旧制高校の学生さんでのう」

 フォークグループのメンバーは”良い話”として、その葉書を読み上げていたのだが、私は「嘘付け」とせせら笑っていたものだった。あのなあ、戦前がどういう時代だったか分かってないだろ。今と同じ”恋人たちの風景”がずっと昔からあったと信じてるの?
 たとえ兄と妹の間柄といえども、若い男女が二人連れで夜の街を歩いたりすれば大顰蹙だったの、その頃は。ましてや、旧制高校生と女学生が二人きりでなど、考えられないんだってば。そんなの、視聴者の”作り”のエピソードに決まっているじゃないかよ。

 あの葉書を思い出させるものがあります、「レココレ」誌の”60年代ロック記事”は。まるで今と同じ時代が、30年も40年も前から続いていたかのような。
 60年代も、今と同じように皆がポンポンとアルバム単位でレコードを買い、誰それの新作は名盤だの何だのと普通に語り合われ、音楽雑誌にもそんな記事が溢れていたかのような印象を受けるでしょ、あの特集を読むと。

 そもそもさ、今日あるようにシリアスにポピュラー音楽について語られるようになったのは、あくまでも”ニュー・ミュージック・マガジン”が創刊された後の話であって、それ以前の音楽雑誌は、”軽い芸能の話題”に終始していたんだよ。

 「どこそこのバンドのメンバーの何とか君の靴のサイズは何センチ」とか「好きなタイプの女の子はこんな感じ」なんてのが音楽雑誌のメインを占める話題であって、「このアルバムにおける黒人音楽の影響は」とか、「××の新アルバムを分析する」なんて話題をする奴が、今と同じような形で存在していたわけじゃない。

 そりゃ、マニアの人々はいましたよ。アルバム単位で音楽を聴くような。けど、いつの時代にも例外的に存在する、そんなマニアの人を基準に話をしてみても仕方がないしね。

 当時は皆、軽くて浅いポップスファンだったの。どれが名盤だの何だのって屁理屈並べたりはしていなかったんだよ。で、お金が無かったからレコードはシングル盤しか買えなかった。当時、”名盤××”なんて、リアルタイムで買えた奴なんて、まずいなかったんだよ。買えなけりゃ聞けない訳だし。

 そんな時代の音楽のありようを語るのに、今と同じ”ベストアルバム100選”みたいなやりかたって、なんかおかしい。別の語り方がなされなければ、”同じように時代背景が連なっていた”みたいな誤解の発生の元にしかならないと私は思うのですね。

 なんか、音楽雑誌の”記事作りの都合”に合わせて音楽の歴史が組み替えられていっているような。そんな違和感を感じてならないんです、レココレ誌の特集記事を読むと。

レココレ誌の60年代企画に反発

2007-05-30 02:22:27 | 音楽雑誌に物申す
 もう古い話題ではあるが、お許し願いたい。「レコードコレクターズ」誌で、おそらく同誌の創刊何十周年記念とかの企画なのだろう、60年代や70年代のロックのアルバム・ベスト100の選出などが行なわれた。

 私もレココレ誌の企画を立ち読みしたとき、自分もアルバム100枚を選んでみたい欲望にかられたのだが、考えてみれば私が音楽をアルバム単位で聴きだしたのは69年も終わりの頃で、69年だけのベストを”60年代のベスト”とか言って選出してみるのもおかしな気がする。
 といって、当時、リアルタイムで聞いていなかったアルバムを後追いで、つまり今の耳で聴いてあれこれ言うのも、なんか違うなあ、と。

 そりゃ、”当時まだ生まれていなかった”なんて人たちがそのようにして過去の名盤とかを語るのはしょうがないとしても、あの時代をリアルタイムで生きた、つまりは私の同時代人たちに、今の”結論”の出た後の視点なんかで自らの歩いた道を語って欲しくないのだ。何を冷静になっているんだよ。そんなに”権威”が欲しいのか。あの頃、自分の流した血や汗や涙について語ろうぜ。

 (そして若者たちよ、先人たちの選んだ”定番”を追認し過ぎてはいないか?という疑問もあるぞ。それこそ60年代の終わり、ジャックスの早川義夫は歌っていたぜ、”信じたいために 親も恋人をも すべてあらゆる 大きなものを 疑うのだ”と)
 
 ディランのアルバムなんて当時、一般の音楽ファンは誰も聴いちゃいなかったよね?ディランどころかビートルズだってアルバムで聞いてる奴なんて、相当のマニアしかいなかった。
 ビーチボーイズの”ペットサウンズ”が当時、評価されていたみたいな嘘は言うのはよそうよ。当時、私はビーチボーイズはファンだったけど、でもあの頃のファンは皆、サーフ・ミュージックのシンプルなファンだったのであって、誰が”ペットサウンズ”の芸術性に関する話なんかしてたかって。リアルタイマーとして証言するが、そんな奴は絶対いなかった。

 などなど・・・レココレ誌の記事を読みながら、実は「オノレの音楽ファンとしての過去を都合の良いように捏造するんじゃねえよ」みたいな反発の思いも湧いて来ないでもなかった私だった。

 「とびきりスィートな60’ズ。いつも決まって海辺で聴こえていたのは、あのビーチボーイズ」とか嘘はやめよう。あの頃、海辺で聴こえていたのは、バッキー白畑とアロハ・ハワイアンズとかエセル中田。加山雄三やベンチャーズなんか、かっこ良過ぎたくらいでさ。

 ふと思い出す。まさに60年代、私は中学最後の夏休みをただひたすら泳ぎまくって過ごすために、町の沖にある小島に友人たちと泊りがけで出かけたのだった。泊まった民宿の窓辺に仲間のうちの誰かが置いたラジオから、そりゃもちろん、そのような番組を選んだからなのだが、ストーンズの”ジャンピン・ジャック・フラッシュ”とビーチボーイズの”グッド・バイブレーション”がたて続けにかかり、そいつはまるで奇跡に思えたのだった。

 それじゃ、60年代の当時に聞いていたシングル盤のベスト××でも挙げてみる。
 思いついた順。だから順位も無し。ジャンル分けも何も無し。”当時の私にとってのリアル”を最優先し、推敲もなにもなく速度で勝負だ。ベスト××というのは、面白いと思える間だけ続け、飽きたら即、やめるため、いくつ選出することになるか分からないためである。
 さて。

グッド・ヴァイブレーション(ビーチボーイズ)
黒く塗れ(ローリングストーンズ)
イン・ナ・ガダダヴィダ(アイアン・バタグライ)
孤独の叫び(アニマルズ)
愛しておくれ(スペンサー・デイビス・グループ)
CCライダー(アニマルズ)
デイドリーム(ラヴィン・スプーンフル)
アイム・ア・ボーイ(ザ・フー)
サニー・アフタヌーン(キンクス)
リリー・ザ・ピンク(スキャッフォールド)
マザーズ・リトルヘルパー(ローリング・ストーンズ)
サマー・イン・ザ・シティ(ラヴィン・スプーンフル)
ビコーズ(デイブ・クラーク・ファイブ)
サイレンス・イズ・ゴールデン(トレメローズ)
恋はお預け(クリッターズ)
ブラック・イズ・ブラック(ロス・ブラボーズ)
アウト・オブ・タイム(クリス・ファーロウ)
ハンバーグ(プロコルハルム)
銀色のグラス(ゴールデンカップス)
可愛いあなただから(ズーニーブー)
ラストチャンス(フラワーズ)
バック・イン・USSR(パワーハウス版)
恋はもうたくさん(ダイナマイツ)
ブラインド・バード(モップス)
Mrプアーマン(カートゥーン)
僕のベイビーになにか?(サム&ディブ)
ブルー・スター(シャドウズ)
太陽はもう輝かない(ウォーカーブラザース)
青空が知っている(デイブ・クラーク・ファイブ)
ラブ・ジェネレーション(ジャックス)
モーニングサービス(シモンサイ)
モーニング・ブルース(沢知美)
ふうてんブルース(緑川アコ)
ウーマン・ウーマン(ユニオン・ギャップ)
アズ・ティアーズ・ゴー・バイ(ローリング・ストーンズ)
霧のカレリヤ(スプートニクス)
悪い星の元に(アルバート・キング)
いとしのドーチカ(ザ・ジェノバ)
狂ったナポレオン(ナポレオン14世)
レイン・オン・ザ・ルーフ(ラヴィン・スプーンフル)
さよならだけが人生ならば(寺山修司作・劇中歌)
愛なき夜明け(アウトキャスト)
ベンド・イット(デイブ・ディー・グループ)

あ、ダメだ、疲れたんでこの辺でひとまず。

魔境の風

2007-05-29 04:58:25 | その他の日本の音楽


 さっきまでNHKの夜中の番組で工藤静香の特集みたいなのをやっていたわけです。彼女がオニャンコクラブにいた頃の恩師(?)である秋元康史をトークのゲストに招いてですね、あとは花の歌謡ヒットパレード(?)だ。
 NHKって、夜中にときどきこういう番組をやってるけど、とりあげるタレントの人選の基準ってなんなんだろう?な。などと首を傾げるほどの深い理由もないんだろうけど。

 で、ですね、オニャンコ時代の思い出話から近況に至る、という形で秋元と工藤のオハナシが繰り広げられる。彼女の性格の本当の部分とか家庭では子供とどう接しているかなどなど。まあそんな具合で工藤静香の人間性を開示し行く、なんて趣旨なんでしょうが、その話題の裏に”昔ながらの汚れた芸能界”的な匂いが濃厚に漂う。これって何なんだろうなあ?

 ベテランの演歌歌手とかは別にして、こんな臭気を醸し出すのって、彼女の年代では珍しいんではないか?

 「家庭では子供とこのように付き合ってます」あるいは、これはもう古いのかな、「意外にサーフィンをやってます」なんて話題の運びにしても、いかにも所属事務所の担当マネージャーが出した「工藤はこのようにイメージ演出して行きたく思っていますから、その線でお願いします」なんて要望が透けて見える感じだ。

 いや、芸能界ってものは、そのタレントが誰であれそんなものだと思うんですよ、それはね。いずれにせよ作り物の世界で。けどなぜ、彼女の場合はそれが非常にあからさまに臭ってしまうのか。これが以前から不思議で仕方がない。それとも、こんな風に感じるのは私だけですかねえ?

 今は、「芸能人と言っても、普通の人と同じなんですよ」というアピールが当たり前となっているわけですが、かっては”まっとうな市民生活を送るカタギの人間”とは確実に一線を画した魔境であった。芸能界というのは。で、今でも何も変わらない本質ってあるでしょう、それは。

 その辺の”虚実皮膜の間”に生きるのが芸能人って次第で、かっては”魔境”の血の匂いをを濃厚に漂わせていたこわもての大物俳優なんてのが、自宅の庭の芝生の上で子供たちとバーベキューを楽しんで見せたりして、良き家庭人を取材カメラの前でニコニコと演じる。それが時代ってものなのでしょう。

 なんか、そんな時代の流れに一人で”異物”として違和感を漂わせている、そんな工藤静香のありようって何なんだろうな?と、これは微妙過ぎる話題で、通じる人とそうでない人がいそうな気がしますが。

 そういえば、と言う扱いでいいのかどうか、”ザードのボーカルの坂井泉水”が亡くなりましたね。
 彼女は、作品は非常に日なたの存在であるにもかかわらず、ご本人は日常、なにをしているのか分からない。ライブをするわけでも無しねえ。そのあたりが不思議だった、というか、そう思わせるのも戦略だったのかもしれないが。

 それが、ガンの治療を受けている最中、病院の階段で転落死と。突然の知らせに、”魔境”に生きることの、実は昔から何も変わらない孤独など嗅ぎ取ってしまったんですが。

 まあそもそも、”ザードのボーカル”ってさ、構成メンバーははじめから実質、彼女しかいないのは誰でも知っていることで、でもあくまでも”ザードのボーカル”って肩書きが強調され、テレビのニュースでまでもそう呼ばれる。この辺が今風の典型的芸能界の嘘のありようなんですね。
 

ヴォラーレ、あの頃の陽だまり

2007-05-28 02:17:58 | ヨーロッパ


 ”Il Meglio Di ”by Domenico Modugno

 これは、”初期作品の内のベスト盤”という解釈でいいのかしら?ふと聴きたくなって引っ張り出してみたドメニコ・モドゥーニョ(Domenico Modugno、1928年1月9日-1994年8月6日)のCDであります。

 彼の名を挙げてもなんだか分からない人は多いだろうが、その人たちも彼の初期ヒット、このCDにも収められている”ヴォラーレ”や”チャオ・チャオ・バンビーナ”などのメロディには、どこかで接しているのではあるまいか。

ドメニコ・モドゥーニョは、1928年1月9日に”洞窟レストラン”で有名な、南イタリアはポリニャーノ・ア・マーレPolignano a Mareで生まれ、1950年代に歌手としてデビュー、でもそれ以前から作曲家としても活躍していた、当時の”カンツォーネの新しい波”を代表するような歌い手だった。というのが大急ぎの経歴紹介。

 当時はまだイタリアの大衆音楽の中で大きな存在だったナポリ風歌謡や、旧来のカンツォーネとは一線を画す新感覚の音楽で人気を博したのだそうだけど、今の耳で聴いてみる彼の音楽はむしろ、古きイタリアがのんびり日なたぼっこしている姿が浮かんでくる感じだ。まあね、容赦なく時間は流れ、”記憶”は順送りに”歴史”に組み込まれていってしまうのだから、これは仕方がない。

 オーケストラをバックに声を張り上げるナンバーから、ギターやオルガン一つだけをバックにリラックスして歌いかけてくる作品もあり、なかなか多彩な世界が展開される、このCDである。そして確かにジャズなどの影響も明らかな部分は存在し、発表当時としては革命的だったのだろう。

 でも、そのハザマにときどき顔を出すマイナー・キイの、いかにもドメスティックでイタリアの歌謡曲チックないくつかのナンバーが、このアルバムをイタリアの下町の匂いや体温の内にとどめている。モドゥーニョを、そのような場における大衆のアイドルとして繋ぎとめている。

 アルバム中で大活躍をしているオルガンの使い方が面白い。それはオルガンというより”エレクトーン”と呼びたくなってしまうような音色全開で弾きまくられる。かなりの曲で印象的な使い方をされているのだが、なにしろリバーブ(というより”エコー”という感じ)のかけ過ぎで、なんともどうにも場末のホテルの酒場のBGMっぽく響いてしまっているのだ。いや、これだってアルバム発表時にはお洒落なものだったに違いないのだが。

 かって吉行淳之介が言った「新しいものから順に古びて行く」を地で行く話だが、このアルバムにおけるオルガンのそれは、素敵に愛らしい感触で古びている。そのかけ過ぎのエコーの中に、発表当時のイタリアの下町、そこに暮す人々の喜怒哀楽、そのようなものがセピア色に退色しつつ息ずいているのだ。

 などなど。なんともねえ、憎めないアルバムなのだ。純粋に音楽的に評価すれば、すでに役割を終えてしまった盤かも知れないのだが、なんかふと思いついて聴いてみたくなる、そんな一枚なのだった。

ソイヤソイヤに耳をふさいで

2007-05-27 03:45:08 | その他の日本の音楽


 ブログで相互リンクを結んでくだすっている”異国ポピュラー音楽館”のkisaraさんが先日、”一世風靡セピア”について述べておられたので、当方も感想のようなものを書き込ませていただいた。その文章にちょっと付け加えたい事が出てきたので、ここに、まるで新しい記事のような顔をして書かせていただく。

 一世風靡セピア。という名前のようだけど、「セピアじゃない、プレーンの一世風靡」って、あるの?とか質問したいくらいだから、このグループのファンだったことはさすがにない。
 ないんですが、タイトルナンバーや、グループ解散後に柳葉が出したシングル曲などで聞かれる演歌調と言うか民謡調というか寮歌調というか、のメロディの使い方はちょっと血の騒ぐものがあります。それも、あんまり自分の内にあるとは認めたくないような騒ぎ方で。

 私の住んでいるあたりというのは結構祭り好きの連中も多くて、一世風靡の連中が盛んに連発していた”ソイヤソイヤ”って掛け声、あれは当方にとっては、”まるで興味はないんだけれど、近所付き合いもあるからしょうがない、嫌々神輿を担ぐ際の掛け声”なのであって、まあ、憂鬱にしかならないです、聞いていても。イキとかイナセとかねえ、そんなわけの分からないことが好きな奴はいるんだ、ってな感じ。

 けど、先に述べた演歌=民謡系のメロディを、エレクトリック・ポップ調のサウンドに乗せて、ガサツなユニゾンで歌い上げるという仕掛けは、何かこちらの血を、イキやイナセへ向けて”不覚にも”という形で騒がせる何かを持っている。
 これは何なんだろうなあ?五木寛之は昔、演歌をテーマとした小説の中で、そんな”不本意にも湧き上がってしまう共鳴”を、その音楽が実は魂の奥深くに染み付いている証左である、なんて書いていたんですが。

 このあたりは、かなり気になるんでもっと掘り下げてみたら面白いと思うんですが、作る側にはそのような、つまりワールドミュージック的な方向への関心はないみたいですね。(まあ、それはそうだろうな)

 なんて書くのも、ほんとは嫌だったんですけどね。ツッパリ連中の歌声に共鳴してしまう部分が自分の内にある、なんて認めるのは。
 そういえば、今年も祭の季節がやって来るなあ。うっとうしいなあ。ソイヤソイヤかあ。

弁護士たちの専横(光市・母子殺害事件)

2007-05-25 07:05:46 | 時事

 >「ままごとの仮想状態であり、母親のように甘えて抱きついたら、首を絞めるような形になり 死んでしまった。」
 >「赤ちゃんは、泣かせてしまい、おわびのつもりで首に紐でちょうちょ結びをしてあげただけ」

 このブラック・ジョークとしか聴こえない”物語”が、死刑廃止論の最先鋭である弁護士団(21人編成!)のひねり出した最終回答なのか?現実の出来事とも思えず。こんな論理で、裁判を死刑廃止論展開の場として利用するとは。

 死刑の是非云々以前に、法曹関係者は一般国民をバカにし切っていないか。怒りをむしろ、被告よりも、この弁護士たちの姿勢に感ずる。我々は、こんな連中が法にかかわる事を許しているのだろうか。この状況が放置されて行くのだろうか、このまま?

 ★被告は「最高刑」で償って
 (時事通信社 - 05月24日 21:10)
 「人を殺(あや)めた罪を、生きて償うとはどうすることなのか、分からない」-。山口県光市の母子殺害事件の遺族、本村洋さん(31)は差し戻し控訴審が始まった24日、広島市内で記者会見した。「この国の最高刑で被告は償ってもらいたい。その最高刑が、わたしの考えている命をもって償うということと合致している」と述べ、これまで通り極刑を求める考えを強調した。
 亡くなった2人の遺影を胸に公判に臨んだが、ためらいもあったという。「(弁護団に)とんでもないことを主張されるだろうと思っていた。聞かせたくないという気持ちもあったが、家族3人で最後まで見届けたいと思った」と振り返った。
 弁護団は被告の犯行を「仮想現実に逃げ込んだままごと遊び」と表現した。本村さんは「法廷を混乱させようと奇々怪々なことを言っている」と批判。「被告を救うことは手段で、目的は死刑制度の廃止を訴えること。遺族だけでなく、被告さえ利用している」と厳しい表情で語った。
 被告から封筒張りの作業償与金や手紙が郵送されるようになった。本村さんは「弁護士に言われて書いていると思うが、刑が確定した後も手紙を書き続けるなら真の反省であり、私も受け入れなければならない」とした。しかし、被告側が事実関係を争う姿勢を示していることに触れ、「(現状では)受け入れることは到底できない。(今まで来た手紙も)開封していない」と述べた。 

ハーバーライト

2007-05-24 03:48:07 | いわゆる日記


 このところ時間の使い方がメチャクチャになってきていて、日課のウォーキングも夜の10時とか11時とかにするのが当たり前のようになっている。
 今日も今日とて、夜の9時頃に海岸遊歩道に出て歩き始めたのだが、まだその頃なら遊歩道のベンチで話しこんでいるカップルがいたり犬の散歩をしている人が通りかかったりして、夜のウォーキングもそれほど妙な感じでもないようだ。

 今年は異常に風の強い日が多いが、今日も終日、強風が吹き荒れていた。夜になっても風はますます強く、遊歩道から見下ろすヨットハーバーでも、吹き寄せる風に舫ってあるヨットはことごとくユラユラと揺れていた。

 遊歩道を行くと、いくつかの音が耳に付いた。ヨットを結び付けていた繋索が風に吹かれてギシギシと鳴ったり、あれは何の音だろう、やはりヨットの何かの部品だと思うのだが、吹き寄せる風に呼応するようにボウボウと鳴り、それはまるで正体の知れない巨大な海獣の吠え声みたいに、暗くなった湾全体に響いていた。

 昔読んだ吉行淳之介の小説の書き出しに「その町の外れに、ハーバーライトというバーがあって」とかいうものがあった。と言っても、覚えているのはその部分だけで、どんな筋書きだったのか、何も覚えていない。ただそのバーの名前ばかりが記憶に残っている。ハーバーライトというのは、その小説が書かれた昭和30年代にプラターズがヒットさせた同名の曲にちなむものなのだろう。

 暮れなずむ、おそらくはささやかな船着き場。そいつを映し出す港の明かりに託した感傷。そのむこうに、海の予感が広がっている。なかなかに胸ときめく、良い歌だった。
 小説の冒頭に置かれたのが渚の風景などで無く、それを歌った曲の名を冠せられた飲み屋であること。気配だけの海が、そこにある。その、独特の感触が忘れられない。小説そのものの中身は忘れてしまったが。

 遊歩道の片側に広がるのは、ちょうどその小説が書かれた頃に全盛を誇った、そんな古い飲み屋ばかりが立ち並ぶ、煤けた横丁である。かっては、国道を挟んですぐに海を囲む堤防があった、そんな海辺の飲み屋街だったのに、繰り返される埋め立てのたびごとに、海は遠くなってしまっている。

 打ち寄せる波の音を感じ取りながらグラスを重ねる、そんな楽しみは失われてしまった。そしていつか遠からず、飲み屋街そのものさえもが、町の再開発の対象となり、失われてしまうのだろう。

 ハーバーライト。調べてみると1937年、イギリス製のナンバーだそうな。あまりにもプラターズのあの伸びやかな歌声と”50年代ポップス”の雰囲気がはまり過ぎているので、そんなに昔のイギリス人の作というのが信じられない感じだ。

 港の明かりの元で、ずっと昔に別れた恋人の思い出に涙する男。曲の冒頭の、カーンという警鉦の響き。それに導かれて湧き出るストリングス。”I saw the harbor lights~♪”とはじまる、美しいメロディ。
 あの音楽の輝きを思い出すと、今よりずっと素朴で貧しかったはずの過ぎし日々の記憶は黄金の色を帯びて蘇るのだが、そいつもまた、沈んでしまった夕陽の残照でしかないのかも知れない。

フジミュージック3本勝負・後編

2007-05-22 05:22:13 | アフリカ


 ” FLAVOURS(の2枚目と3枚目) ” by KING WASIU AYINDE MARSHAL

 というわけで、フジ・ミュージックのワシウ・アインデ・マーシャルの新譜3枚組への挑戦は続くのであります。

 そもそもナイジェリアのフジ・ミュージックとの出会いは、同好の志の皆さんと同じくでありまして。あのサニー・アデが”シンクロ・システム”で国際的な成功を勝ち得た80年代に、「ナイジェリアには、こんな音楽もあった」なんて形で知った次第です。

 かの国のイスラム系の人々が生み出した音楽であり、トーキング・ドラムを中心とする打楽器だけによるストイックなサウンド構成、強力なイスラムっぽいコブシを伴うボーカルなどなど、非常に独特の響きがあり、西欧のポップスの影響がまったく感じられない、アフリカ的洗練の極地とでも言いたいその美学が、たまらない魅力でした。

 で、すっかりファンになったのはいいけれど、その後、ナイジェリアの音楽そのものが我が国にはレコード等もまるで入ってこなくなってしまい、もどかしい思いがずっと続いている訳なんですが。

 さて、2枚目。スタートさせるといきなり飛び出すワシウの強烈なしわがれ声。イスラムっぽいコブシがコロコロの痛快なもので、ついで飛び出すトーキング・ドラムの連打。おお、フジだフジだ。こいつは良い。
 1枚目に収められていた演奏よりグンと良くなっている。なにしろこちらはドラムセットが使われておらず、あくまでもトーキング・ドラム中心の重心の低いビートが演奏をリードして行く、それが嬉しい。

 が、喜んだのもつかの間、2曲目はなんと、コンゴ風のギターの音などが派手に鳴り渡るリンガラ調の曲が始まってしまう。なかなかパワフルで出来は良いけど、なにもワシウの盤を買ってまでリンガラを聞く必要はないんだが。

 その後も、正調フジに戻るかと思えばハイライフ風の演奏が始まったりの調子で、もしかしてワシウの今回のアルバムにおける真意は、アフリカ各地の大衆音楽を網羅することであるのか?などと首をかしげた次第。何をやりたいんだろうなあ、彼は。
 なんて調子でいちいち書いて行くと疲れてしょうがないのでラストに行っちゃいますけど、3枚目なんか相当に良い、オーソドックスなフジ・ミュージックの演奏です。

 とにかく原点に返ったプリミティブな響きが良い。この辺は、フジの世界の流行の中心がメロディ楽器の導入等、軽く明るい方向へ流れた際にもプリミティヴな打楽器中心の音作りに固執したワシウの面目躍如たるものがありますな。
 でも。なんですかね、そんな演奏が快調に続く3枚目にいたっても、やはり途中でサックスの音が響き、ハイライフ風の演奏が差し挟まれてしまう。もったいないなあ。フジ一辺倒でやってくれたらどんなに良いか。

 ワシウの真意は分かりません。まあ、聞く側のこちらもフジに固執するのはやめて飛び出してくるすべての音楽を楽しんでしまう気持ちになれば、それで良いのかも知れない。知れないけど・・・

 遠いアフリカ、ミュージシャンの考えなど、分かっていたつもりが全然見当も付かないものだよなあと、チョイほろ苦気味の結論であります。いや、良いんだけどねえ、演奏そのものは。

フジ新作三本勝負・その一

2007-05-21 04:05:21 | アフリカ


 ” FLAVOURS ” by KING WASIU AYINDE MARSHAL

 ”紙ジャケ”なんてお上品なものじゃないです。ヨレヨレとなったボール紙を適当な形に折りたたんで、そこに埃だらけのCDが三枚、押し込んである。まあ、「さすがだなあ。ナイジェリア盤は、こうでなくてはいかん」という気がしないでもない。
 中のミュージシャン自身の解説では、「我が国における初の3枚組CDである。ワシが最初じゃ。開拓者じゃ。わははははは」てなことが書いてあるけど、どういうもんかね。

 というわけで、さっばり音盤も情報も手に入らず、なかなかにもどかしいナイジェリアからの音の便りであります。それも、かの国でひときわ血が騒ぐイスラム系ダンス・ミュージックであるフジの新譜!

 なおかつ歌手は、あのワシウ・アインデ・マーシャル。昔々はワシウ・アインデ・バリスターと名乗り、変質して行くフジ・ミュージック・シーン主流を尻目に、シンプルなサウンド構成で本家(?)シキル・アインデ・バリスターをガシガシ追い上げていた男となれば、これは期待せずにはおれません。

 とは言え、現地の音楽事情がいかがなものかさっぱり分からずなんで、どんな出来やら?無邪気に胸ときめかせつつ、というわけにも行かないのであって。恐る恐るCDを再生してみるのであります。
 まず飛び出してきたのが、おおお、パーカッションのみを従えた作法通りのフジ・ミュージック!余計なキーボードとか入っていないのには救われた気分ですな。

 なにしろ、妙に軽くて明るい音になったり、さまざまな楽器が混入して、ジュジュ・ミュージックっぽくなったりでファンとしては悲しい思いをさせられていた近年のフジ・ミュージックだったんで。もう、イスラミックなメリスマのかかったボーカルとパーカッション、それだけ、というだけで嬉しい。

 とはいうものの、全盛期、と勝手に決め付けますが、あの80年代のフジの、地の底から湧いて出るような重々しいパーカッション群の鳴りは、求むべくもない。あれらが地の底で鳴り響いていたとすれば、この新譜におけるそれは、地上数十センチあたりで鳴っている感じ。軽いです。

 その代りというべきかどうなのか、疾走感が凄い。さながらラゴス発特別快速といった趣で、各楽器絡み合いながら駆け抜けて行く。売り物のトーキング・ドラムよりもペースを握っているのは普通のドラムセット、とりわけスネアの響きのようで。ドドドではなく、スタタタなのですね。軽い。早い。これが今のナイジェリアを支配するリズム感なんだろうか?

 などと言っているうち1曲目が終わりまして、やっぱり始まってしまいます、2曲目はキーボードなどが加わってのアフロビート仕立て。こういうのは好きでやっているのか、やらずには受けないのだろうか?分かりませんが、まあ、フジに集中して欲しいのは言うまでもないことであります。

 それにしてもこの曲もなんか慌しい印象があり、もっとリズムの重心を低くして勝負したらいいのにと思わずにはいられない。ひょっとしてナイジェリアの民衆の心が浮き足立っている事の表象なんだろうか?
 その後、ジュジュになったり、最後にはまた正調フジに戻ったりで1枚目は終わる。ううむ、この時点ではめでたさほどほど、といったところなのであります。

 以下、次回に続く。

エジプト式ハードボイルドだど。

2007-05-19 00:49:42 | イスラム世界


 ”Habibi Ya ”by Mohamed Fouad

 エジプトの大歌手の近作とのことで。裏のジャケ写真は、なんだか草刈正雄に似とります。

 歌声は、かの”エジプトのライオン・ハキム”みたいなあらえっさっさの狂乱世界とは対極の、抑制ある深い渋味の噛み締め甲斐のあるもので、ジャケ写真と同じくこげ茶色の世界が広がります。大人の、苦味の利いた表現に魅せられる訳です。

 この人、初めて聴いたのだが、民族色豊かなサウンドが飛び出てくるのかと思っていたら、ど真ん中に打ち込みのリズムがドスドスと打ち込まれる、”アラブなディスコ”の作りだった。
 もちろん民族楽器の音が聞こえる曲もあり、またアラブ名物のストリングスも顔を出すのですが、それは音のバランス的にも脇役扱いで、あくまでも野太いリズムの打ち込みが主人公のハードなサウンドを志向している。

 その野太いリズムと丁々発止と切り結びながら、アラビックなコブシを廻しつつ歌いついで行く。この無骨な手触りはイラクの歌手、Kazem Al Saherなんかを思い出してしまった。タフでストイックなアラブ風のダンディズム、こいつは相当にかっこ良いではないか。

 スローな曲になると、イントロや間奏のシンセの響きが妙に喜多郎っぽいフレーズを奏でて面白かったんだけど、まあこれは偶然でしょう。

 一方、偶然とも思えず非常に気になったのは、一曲目で聞かれる、ボーカルの一部にボコーダーをかけて変調させた処理。これはモロッコのレガーダ音楽に見られる顕著な特徴、”機械処理によるボーカルの強制イスラム系コブシ化”をどうしても連想してしまうのだけれど。おそらく同じ発想のものでしょう。

 まあ、モロッコのローカルな祝祭音楽とエジプトのスター歌手の間で影響しあったとは、あんまり考えにくいから、どこかに共通の元ネタがあると考えるしかない。
 どのあたりにその源流はあるのだろう。機械処理によるイスラミックなボーカルの揺らぎ。聴いていると、なかなか癖になる独特な快感を生み出す響きで、気になって仕方ないのだが。

 こんな具合に、聴き慣れたつもりの音楽にもまだまだ分からない部分があり、しかもそこが非常に魅力的な陰りを帯びている。血が騒ぎます。やめられませんなあ、ワールドミュージック・ファンは。