ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

山のフールス

2013-01-06 22:18:14 | ヨーロッパ

 ”Cry of the Mountain”by Micheal O' Suilleabhain

 ジャケの、夜闇をバックに目を見開く野鳥のイラストを見ていたら、「山のフールス」なんて数奇話を思い出してしまったのだった。
 あれは誰か作家の思い出話だったかなあ、例の「カラスなぜ鳴くの カラスは山に」って童謡、あの二番の歌詞、「山の古巣に来てみてごらん」の意味を彼は誤解して聞き違え、「山のフールスに」と思い込んだというのだ。

 山のフールス。そこは、人知の及ばぬ深山幽谷にあり、様々な獣や妖怪のたぐいが跳梁跋扈する魔境である。
 彼の想像の中で、山のフールスとはそのような不気味な場所であり、「気味の悪い歌だなあ」と震え上がったというのだが、うん、良い話じゃないか。

 で、このアルバム、アイルランドのトラッド界の要人の一人、Micheal O' Suilleabhain が1981年にリリースしたアルバムのCD化である。実に山のフールス的な驚異に満ちた良作と思う。
 80年代の当方はヨーロッパの音楽といえばプログレばかり聴いていてトラッドとの関わりは全くなく、状況がよくわかっていないのだが、当時、アイルランドのトラッド界は創造の雰囲気が高まっていたのだろうか。

 そもそもこのアルバムは、音楽作品として世に出す前に、何かの映像につけられるものとして作られたものらしいが、そのある意味の気楽さが逆に音楽的な冒険を試みる姿勢をこの盤にもたらした、なんてこともあるのではないか。
 ともかく、随所で使われているアフリカの親指ピアノなどを例にとっても、アイリッシュのイメージを壊すことなく音楽の世界拡大に大いに寄与しており、これには舌を巻く。こいつらの発想、この時点でもうワールドミュージック状態に手が届いていたんだ。

 盤のあちこちにそのような創造的雰囲気はみなぎっており、明るく力強い感性に裏打ちされた音が弾む。バンドっぽい音ではなく、室内楽的セッションに終始するのだが、トラッドの楽しさがいっぱいで、何やら嬉しくなってくる山のフールスなのだった。

 (このアルバムの音は、You-tubeには見当たらないようで。しょうがないから、 Micheal O' Suilleabhain の比較的最近の仕事でもご覧ください↓)




フィンランドの合言葉は森

2013-01-04 17:35:15 | ヨーロッパ

 ”SUDENMORSIAM”by JOHANNA KURKELA

 この人も初めて聴く人だが、フィンランドの人気ポップス歌手とのこと。北国の澄んだ大気の広がりに、いかにも似合いの澄んだ可憐な歌声を響かせる。音楽そのものも、またジャケ写真など見ているとその外見も妖精めいて、アイドル歌手かとも見えるのだが、既に彼女、歌手としてのキャリアは10年近いものがあるようだ。

 在フィンランドの日本人によるネット上の文章に、「フィンランドの大衆音楽はヘビメタやラップなど、どうも好きになれないものが多く残念なのだが、彼女だけは別」といった表現があり、かなりかの国では独自のポジションを保つ歌い手のようだ。いわゆる、「こんな世の中で耳にするとホッとさせられる」という存在か。

 彼女の歌声も、それを包むサウンドも、シンプルながら極北の森の国の幻想に聴く者の心を遊ばせてくれるのだが、その元ネタは汎ヨーロッパ的な中世的官能美演出や神秘なケルト趣味などでもなく、これもフィンランドの大地の上に伝承されてきた素朴なフォークロアにもとずくもののようだ。
 などということを書いていると、ムーミンなどという絵物語などふと思い出してしまったのだが、あれはフィンランドのスエーデン語圏で書かれた物語だったか。

 決して激することなくじっくり世界を見据え、内なる物語を静かに語り継いで行く。ある人のレポートにあったような北国の小さな教会における彼女のライブなど、いつか見ることができればと想う。



バルト海のロック姉ちゃん

2013-01-03 05:25:31 | ヨーロッパ

 ” Egle Jakstyte”

 とりあえずアーティスト名、どう発音するやら見当がつきません。エグレ・ジャススタイテ?まさかねえ・・・
 リトアニアの新人歌手のデビュー盤であります。とは言っても2010年発売の盤なので、もはやここで聞かれる音は歌い手にとってすでに過去の思い出になっているのかも知れません。

 ”あのバルト三国”の一国であるリトアニアのポップス、なんてあたりに思い入れしてかの国の流行歌を聞いてみる、なんてのは極めて作為的な側面のある音楽の楽しみ方で、もう聞く前から思い切り偏見や過大評価やら勘違いな思い込みやらが入り込み、しまいには聞こえてもいない音を聞いてしまうことだってあるのでして。
 いかにも大変な思いをしそうな位置にある小国、そして実際、彼らが刻んできた苦難の歴史、なんてものがその音楽にも影を落としているのではないか、なんて気を回してみたりですな。

 というわけでエグレ嬢の歌でありますが、少女時代からコンテスト荒しとして恐れられ、実力派の新人として堂々のデビューを飾った人ですから、そんな悲痛な影は見つからない。むしろ、アメリカのロックや黒人音楽から受けた大々的な影響を前面に押し出し、過剰に鑑賞に溺れることなくクールに、そのぶっとい声でドスコイ!と歌い倒す、その男勝りのロック魂が爽やかだ。
 なんか、こちらの感傷や思い入れをせせら笑われているみたいで、それが逆に心地よい、みたいな気分になってくるのですなあ、年老いた浪漫主義者としては(?)




ハープの向こうの春

2012-12-19 16:50:32 | ヨーロッパ

 ”Shall We Gather”by Kim Robertson

 アメリカにおけるケルティック・ハープの第一人者のKim が、これまでリリースしたアルバムの中から、とりわけ精神性の高い楽曲を集めたものとのこと。副題に”Hyms & Inspiring Air From Kim Robertson's Collected Recordings”とある。
 収められた曲はどれも美しいメロディを持つ曲ばかりで、単なるBGMとして聴いても十分に成立してしまう。というのが良いことなのかどうか、よくわからないのだが。

 ゴージャスなクラシック音楽の世界のハープ音楽しか知らない人は、同じハープを名乗りながら、こちらのハープの素朴な音色と演奏に拍子抜けするのかもしれない。が、すぐにこの遠い古代に生きた人々の心を伝える音楽に共鳴する術を覚えることになるのではないか。

 ここでこうしてアルバムを聴いていると、なんだか部屋の中を春の風が吹き抜けて行くような気分になる。自分は緑萌える丘の上かどこかにいて、何に心を悩ませることもなく、古代人の生きた時間に、ただ身を任せているばかり。”The Water is Wide”で始まり、以後、トラッド定番曲頻出の桃源郷。どうか、一刻も早く本物の春の到来のならんことを。

 (残念ながら You-tube には、このアルバムの収録曲をみつけられなかったので、とりあえず Kim のライブ演奏などお楽しみください↓)



幻灯アイルランド

2012-12-15 13:51:46 | ヨーロッパ

 ”The Key's Within”by Triona Ni Dhomhnaill

 ボシーバンド、ナイトノイズなどの著名なアイルランドのトラッドバンドで活躍した Triona のソロ作。トラッド界では珍しいピアノ・ソロをメインにしたアルバムだ。
 ジャケの中には、ちょっぴり寒そうで寂寥感の漂う、でも不思議に心惹かれるアイルランドのさまざまな風物を映した小冊子が歌詞カード代わりに封入されている。水鳥、水路、引き潮の情景、凍てつく荒野に秋の色をして立つ樹々。

 冊子のはじめのページに、「私が人生と音楽を実現するために手助けをしてくれた人たち。私は彼らのために愛と感謝を込めて音楽を書き上げた」と書かれてあり、終わりのページには、「この音楽を私は、以下の人たちの思い出に捧げる」とのコメントのもとに、彼女の亡くなった弟をはじめ、7人の物故ミュージシャンの名前が挙げられている。

 ジャズでもクラシックでもない、あまり聴かないタイプのピアノ・ソロが、静かに流れて行く。アイリッシュ・トラッドの、どこかで聴いた覚えのある切片が、立ち上がってはひとときたゆたい、何処へか流れ去る。 Triona の心を横切る人々と音楽の想い出、そのイメージがまさに走馬灯のように揺らめき、流れて行く。

 ひんやりとした、なにか物寂しく、でもなぜか蠱惑的なアイルランドの空気が部屋を満たし、行ってしまった人々の面影と、変わらずにそこにある音楽の手触りが窓の向こうの灰色の空に広がって行く。

 (上に貼ったのはジャケ写真ではありません。若き日の Triona 女史のお姿。なんとなく貼りたくなったんで。ご容赦)



失われた秋のために

2012-12-07 04:14:43 | ヨーロッパ

 ”300Miles”by Janet Dowd

 俺なんか日本人だからさあ、やっぱ秋になるとトラッドを聴きたくなるわけだよね。スコティッシュとかアイリッシュとかね。いいよなあ、あの荒れ狂っていた下品な夏の気配がいつの間にか去って。空気がシンと澄んでさ、空が高く高く感じられる季節がやってくる。トラッドの季節だ。
 旅に出たくなるよねえ。紅葉の中で落ち葉かなんか踏んで歩こうじゃないか。ティン・ホイッスルが朗々とエアーとか吹き鳴らすのが聴こえてくれば最高なんだけど、それは無理があるから、特に要望はしない。まあ、心の中で鳴っていればそれで十分だから。
 とはいえ、真夏が間を置かず真冬に直結するのが当たり前になった昨今では、秋なんて季節はもはやどこかに失われてしまった。今年もついに秋らしい日を感じることなく冬になってしまったよなあ。

 年々歳々人同じからず。我らは秋を失えど、海の彼方よりトラッドの新作は届く。
 北アイルランドの女性シンガー、2009年度作品。まあ、最近手に入れたんだから私にとっては新譜です。
 冒頭の一曲が流れ出すのを聴いただけで、いやあ、良い歌手だなあと彼女のファンになることを決めたのだった。澄んだ声で素直な歌唱を聴かせる。新鮮なミルクのような、あるいは牧場を覆う朝霧の手触りのような、生まれたての生命の息吹きが伝わってくるような爽やかさを伴う、素敵な歌声なのだ。しかもその素直さの中に一筋、アイドルっぽいと言ってもいいようなコロコロした媚びのようなニュアンスが潜んでいる。たまりまへんな。

 トラッド半分、オリジナル曲半分。そのトラッド部分の選曲が、Water is Wide とか、Lark in the Clear Air みたいな、もはやベタと言いたいような定番を持ってきているんだけれど、それが退屈じゃなくて新鮮なのだ。とはいえ、特に変わったアプローチをしているわけじゃなくて、彼女の素材勝負の歌いきり方が逆に新鮮なのだった。
 音を絞りきったバッキングも好感。これもまるで朝の通りで耳をすませると、どこからか聴こえてくる、くらいの静けさに満ちた佇まいで、聴かせる。

 失われた秋を想って、さあ、今夜も一杯・・・




ペギー・ジナの地下水脈

2012-11-22 01:00:12 | ヨーロッパ

 ”SOU HROSTAO AKOMA ENA KLAMA”by PEGGY ZINA

 山岸凉子の世界、みたいな俯く女のジャケイラストが気になって手に入れましたはギリシャ演歌のライカの歌い手、ペギー・ジナ女史のこのアルバム。歌詞カードを開けば、まさにその山岸凉子作品の登場人物実写版、みたいなペギー女史の写真に出会ったりいたします。

 しかし、ファーストネームがペギー、と英語風なのが昔ながらの芸能界っぽさで、逆に嬉しくなるじゃないか。そして今、うっかり書いてしまったが、ライカという音楽は、例えばタイの大衆歌謡ルークトゥンを演歌と呼ぶような要領で演歌と呼んでしまっていいのかどうか。存在としてはそんなものかと思うんだが。
 CDを回せば聴こえくる、酒と男と哀しい運命とギリシャの夜風にさらされて鍛えました、みたいなペギー女史のハスキー・ボイス。90年代デビューで、これが12作目のアルバムということで、もう中堅の歌い手と呼んでいいのだろうか。

 先に書いた、古い芸能界っぽい汚れの中に身を沈め、馴染みきって生きてきた女の気怠さなんかがペギー女史の歌の奥にはジットリと脈打っているように感じられる。そんな生き方の中で自分を守るために身につけた彼女なりの孤高と気品と。
 あれこれ言ってるが、単にそのような芸風、ということはもちろんあるよ、それが芸能界だから。

 鳴り渡るブズーキの響き。と同時に、結構カッチリしたロックバンドがバックを務める。それは彼女の歌から土俗を奪い今日的方向に持って行くよりむしろ、ライカというギリシャ・ローカルな哀歌を、広く東西に、それも民衆の足元にジワジワと広がるがゆえに地図では見えない歌謡曲連続体の一員に加える、そちらの方により作用しているのではないか。
 そんな”聖なる通俗性”を孕んだペギー女史の歌の中の”聖なる汚れ”みたいなものに、妙に惹かれてしまっている昨今である。

 14曲目、曲名のあとにカッコしてパリとか書いてある割にはロシア民謡風メロディな曲の、霧に包まれた古都の夜に吹き寄せる吹雪の寂寥が心に残った。いや、そんな歌かどうか、もちろんわからないんだけどさ。




モスクワ・夜の最前線

2012-11-11 22:37:28 | ヨーロッパ

 ”SEX”by Винтаж

 ロシア~東欧あたりの女性ポップスのCDジャケなど見てゆきますと、女性歌手の主な仕事はセミ・ヌード姿をジャケで披露することなんじゃないか、なんて疑いたくなるような、まあなんと言いますか、嘆かわしいといいますか嬉しくなっちゃうような状況があちらでは続いている訳ですが。ほんと、そんなジャケばかりだよなあ。

 例えばロシアの男女三人組グループ、ヴィンターシュが2009年にリリースしたこのアルバム、ジャケ写真など見ますとその中央、革下着&網タイツ姿のボーカルの女性が目隠しなんかされて気怠く足を投げ出し、床にはロウソクが”SEX”という文字の形に並べられている。
 実にわかりやすい。これでアルバムタイトルが”SEX”ですからね。収められている曲名も”ストリップ”とか”セクシー・ダンス”とか。これなんぞはロシア男性の性の欲望、根こそぎ頂戴いたします的グループの個性が一目で分かる公式になっておりますなあ。
 などと思っていると、実はこのグループ、ロシアの若い女性たちから圧倒的な支持を得ているなんて情報が入ってきて、あれあれ、と。わからんものですねえ、よその世界の流行りものの実情。

 そういえばこのグループ、女性同士のレズ愛憎劇などテーマにした曲でロシアのポップチャートの一位を取ったりしていて、なるほどあの楽曲は、その種の需要(?)に答えたものだったのかと、今頃になって頷けるものがあったりで。ただ女性向けエンターティメントの現場における性の混沌、我が国の例えば少女マンガなんかでは定番はホモですが、ロシアではレズなのか?まあこの辺、よくわからないんで今後の研究課題といたしますが。
 そうすると、あのジャケ写真の件もどうだかわからん。あながち男性のスケベな欲望を満たすためじゃなく、むしろほら、昨今の若い女性相手のファッション誌なんかの表紙は、男性向けグラビア誌と区別がつかないくらいセクシーなこしらえの若い女性タレントの写真を使っていますでしょう?あれと同じ理屈なのかなあ、などと想像してみたりするのですが。

 ともかく、あちらにはエロティック・エレクトリック・ポップなんてジャンルがあるみたいなんだけど、その中枢に位置するグループと思われます、このヴィンターシュ。
 サウンドはロシアにありがちなエレクトリック・ポップなんだけど、さすがトップグループとなると一本調子なんてこともなくて、緩急織り交ぜ、いろいろサウンド・コラージュを取り入れたりなどもして、飽きさせません。
 ロシア語の無骨な響きをよく生かした陰鬱なマイナーキーのメロディを、打ち込みのリズムの上で焼け付くような焦燥感を振りまきつつのたうちまわらせて歌う女性ボーカルも聴き応えあり。

 そんな具合で、極寒の内で焼き付かんとするロシアの夜の最前線は、今夜もねちっこく燃え上がるのでありました。



アイルランドの歌の泉

2012-11-10 04:16:08 | ヨーロッパ

 ”Legacy of A Quiet Man”by Sinead Stone & Gerard Farrelly

 映画監督のジョン・フォードが、自身のルーツであるアイルランドを舞台に、緑豊かな大自然の中でアイルランドの人々が繰り広げる心温まる恋愛物語を詩情豊かに描いた名作、「静かなる男」の・・・とか、最もらしく書き出してみたが、実はその映画、見たことがないんでお話にならないのでした。毎度、こんなんですまん。一度、見てみたいものだと思っているのですが。
 これは、その映画の主題歌である”The Isle of Innisfree”を作ったアイルランドの国民的作曲家、Dick Farrelly(1916-1990) の作品集。トラッド畑の歌手、Sinead Stone をボーカルに、亡き作曲家の息子、Gerard がピアノを弾く、という形であります。

 それにしても、なんと心洗われるような美しい旋律ばかり並んでいることかと、これには、オーバーな話だが唖然とさせられてしまう。
 その作品には”The Isle of Innisfree”のようなトラッド色の濃い歌曲もあれば、その当時の流行を意識したような、いわゆるポップスっぽい表情を見せる楽曲もある。だがいずれも、その芯に水清きアイルランドの春の息吹がそのまま封じ込められたような、清冽な美しさを孕むメロディばかり。
 やはりここはアイルランドの土地柄を考慮してケルトの響きが云々、なんて話をはじめるのが常道なのかも知れないけれど、確かにこの作曲家には、そのようなものさえ飛び越えて、ピアノ越しにアイルランドの土地の精霊と直に会話を交わしていたのではないか、などと考えてみたくなる浮世離れのした霊感の感触があるのだった。

 ジャケの説明を読んでみると、ほかに本業を持ちつつ、おそらくは半アマチュアみたいな立場で、それでも生涯、歌を作り続けた人のようだ。また、作曲ばかりではなく、自身の書いたメロディにはほぼ全てに彼自身のペンによる歌詞が付けられていた。この辺のエピソードは、厳格な芸術家というより、いかにも街の愛好家らしい趣があり、好感が持てる。
 静かな生涯を送ったのだろうな、などと勝手に想像してみる。そして、アイルランドの野山の風景を思い浮かべてみる。尽きることなく湧いて出てくる美しいメロディに聴き惚れながら。



トスカーナの夕影

2012-11-06 03:41:37 | ヨーロッパ

 ”L'ombra Della Sera”

 地の底から湧き出たる、陰々たる瘴気に満ちたメロディ。それは遠い昔に封印され、忘れ去られた筈の呪われた地下室の血の惨劇を物語る・・・
 イタリアのプログレ・バンドが発表した、1970年代イタリアのホラー映画へのオマージュ曲集である。ゴシック・ロマンっぽいジャケ写真にマニア心をくすぐられつつ中を覗けば、内ジャケのえげつない見開き写真に辟易させられる構造。イタリア人、濃いわ、やっぱり。

 なにしろかの国のプログレバンドのおどろおどろしくも重苦しいサウンドは、ホラー映画の映像に見事にマッチし、その種の映画のサウンドトラック作りはかの国のプログレバンドたちの良いバイト、いや収入の額から言えば、そちらがむしろ彼らの本職であった、などという話も聞いている。

 メロトロン、ミニムーグなどという、どちらかといえば過去の遺物くさい楽器群がくすんだ音像の壁を作り、70年代プログレ臭は濃厚に漂う。奏でられるのは荘重にして悲嘆に満ちたクラシカルなロック組曲。とても2012年、この時代に世に出た音盤とも思えぬ。
 ロックバンドの割にはメンバーにギタリストがおらず、代わりに前面に出て悲嘆の絶唱を聴かせるのは、なんとエフェクト処理をかまされたテルミンである。ヒュンヒュンとユラユラと揺らめき身悶えるその音像は、まさに現世と幽冥境との境目が失われた負の祝祭を統べる者の仮の姿にふさわしいものがある。

 終盤に至り、不意に鳴り渡るトランペットの響きにはやられた。その哀感あふれる侘しい音色は、昔々、確かにイタリア映画や、それからイタリア産のツイスト・ナンバーなどでいつも鳴り渡っていたあれだ。
 しかし時は過ぎ、東の空にいつしか日の出の気配が忍び寄る。かくて棺桶の蓋は閉じられ、幻の館は霧の中に姿を消す。そしてクソ面白くもない正論の罠は、元通り我が人類の世界を覆うのである。