ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

”Willard ”

2006-03-04 03:31:49 | 北アメリカ


  アメリカのシンガーソングライター、ジョン・スチュワートの1969年のアルバム、”California Bloodlines”に、「オマハの虹」って歌が収められている。変哲もない日常をすごすうちに、ふと駅に向かい、やって来た行く先も知らない電車に乗り込みどこまでも行ってしまいたくなる、そんなあてもない放浪への憧憬を歌った小品だ。

 アメリカのオマハという街、と言っても、まあ、何のイメージも浮かばないなあ。確か中西部のど真ん中にあったんじゃなかったっけ?子供の頃、オマハの町を映した絵葉書をなぜか見たことがあって、だだっぴろい広場の真ん中に大きな噴水がある、その変哲もない光景が何となく記憶に残っているのだが「オマハの虹」理解に、何の役に立つでもない。

 ジョン・スチュワートってシンガー・ソングライターを、私などは「あのキングストン・トリオのメンバーだったジョンがソロ・アルバムを出したんだけど、それがなかなかいいんだってさ」なんて形で聞き始めたのだが、さて、どう説明したものか?かっては、「モンキーズのボーカルだったデイビィ・ジョーンズがソロでヒットさせた”デイドリーム・ビリーバー”って曲、あれを作ったのがジョン・スチュワートなんだよ」で通ったものだが、もうそれだって30年以上も昔の出来事だものなあ。

 70年代の初め頃、ジョニー・キャッシュなどを彷彿とさせるド低音で、自作のポップがかったカントリー・ソングを無骨に歌い上げるジョンの音楽世界に、ずいぶん入れ込んだものだった。彼の歌の主題は、アメリカ合衆国の中西部、広漠たる大地に生きる名も無い人々の生の哀感だった。歌の主人公はいつもしがない農民、トラック運転手、川べりの廃屋で無為の日を送る孤独な男、いつもは温厚だが、戦死した息子の戦場における功績を讃えて国から送られてきた勲章の話になったときだけは、「そんなものが何になる!」とつい声を荒げてしまう実直な雑貨屋のオヤジ、そんな人々だ。

 タイトルに挙げた”Willard ”は彼の 3rdアルバムで、そもそもが地味な彼の作品中でも生ギターの弾き語りにシンプルなバックが付いただけの、さらに地味な出来上がりとなっている。収められた曲はどれも、いかにもギターを爪弾きながら気の向くままに作ったような人懐こい表情を持っていて、ジョンがその歌のうちに込めた、名も無い人々の喜怒哀楽のエコーを伴い、聞く者の心に静かに収まる。

 現在、”Willard ”は 2ndの”California Bloodlines”と2in1の形でCD化されているが、アナログ盤時代、「神様、あなたの真意はどこにあるのでしょう。人は私にあなたの言葉をいつも曲げて伝えるのです。燃やせ、我が子よ、燃やせ、と」という、戦争と自然破壊に対する素朴な問いかけがひときわ印象に残るナンバー、”白い大聖堂”が、収録時間の関係でカットされてしまっているのが、非常に残念である。