ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

玄海ブルース

2009-06-29 02:48:31 | その他の日本の音楽


 さっきからパソコンの画面に映っている”愛しのマドロス港唄”ってCDの広告を眺めつつ頭を抱えているところなのだけれど・・・CD7枚組み17640円ってのはなあ・・・
 いやまあ当方、マドロス演歌と言うものには相当の関心があるのであって、その大掴みの所を知る事ができたり、手っ取り早く重要曲を手元におけるのなら、そのくらいの金は出すんだけれど、これはあんまりマニア好みの編集が成された盤でもないんですな。

 たとえば。各曲は編集担当者のセンスでランダムに置かれているんだけれど、これ、出来れば歌手ごとに集めて、なおかつ発表年順に並べて収めて欲しかった。まあそれはこちらで勝手に編集版を作れば解決するわけだけれど、収められている曲が「ちょっと違うのではないか?」ってものもあるんで、これは困る。
 やっぱりマドロスものってのは男の世界で、女性歌手のものはピンと来ないし、「アンコ椿は恋の花」とか「港町ブルース」ってのは、果たして”マドロス演歌”の範疇に入るものなのかどうか?

 ああでも、もはやこの盤でしか聴けない歌も多いしなあ。どうすりゃいいのか。
 このCDの惹句に、”マドロス、波止場、港、海を背景にした歌謡曲は昭和初期から現在にいたるまで歌いつがれています”とある。昭和初期辺りから、この不思議な歌の系譜は始まっているわけか。で、それらの歌の興隆を抱えたまま我が日本は第2次世界大戦に突入し、戦後もしばらくマドロス演歌は命脈を保ったが、高度経済成長と社会の変容の中にやがて消えて行った、と。

 マドロスたちを主人公にした演歌が、波止場、港、海、と、潮の香りを漂わせつつロマンとエキゾティシズム振りまき、人々に愛されたのは、当然、それなりの理由があるのだろう。
 地べたに張り付くように身を粉にして働きながら、当時の庶民は、大衆は、気ままに港々を渡って行く”ヤクザなマドロス”たちの日々に関わるファンタジィを憧憬の想いを持って迎えた。
 人々の仮想現実のヒーローとして、なぜマドロスが選ばれたのか?どのようにして、その夢物語は盛んになっていったのか?などなど、まだまだ当方には知らない事ばかりだが、人々が彼ら海運業従事者たちに託した夢のよすが、今日振り返ってみると、なかなかに切ないものがあり、もっともっと知って行きたいと思っている。

 田端義夫の昭和24年のヒット曲、”玄海ブルース”は、いつもコンサートのオープニングに歌われていたそうだが、なるほどそりゃそうだろうなと思えてくる景気の良い曲である。
 比較的機嫌の良いときの鼻歌として愛用していたのだが、昭和44年に出たアルバムに付された解説によれば、この歌が出た当時日本は、まだ戦後の混乱から立ち直っておらず、人々は職もなく町に浮浪者が溢れ飢えに苦しんでいた。

 そんな時代にあえてバタヤンは豪快なマドロス演歌で勝負に出た。船乗りたちが乗るべき船など、我が国にはもう残っていなかったにもかかわらず。そうか、こいつもまたマドロスもののぶち上げたファンタジィの一幕だったのかなどとあらためて思い・・・
 そうなんだよ、だからこのCD7枚組、買おうかどうしようか、さっきから迷っているのさ。

 試聴はこちらで

●玄海ブルース

奇怪な要求・・・?

2009-06-28 02:43:32 | いわゆる日記

 あのア○ゾンに注文しようとしたら、下のような説明文付きでクレジットカードの番号を入力しろって言ってきた。もちろんそんなもの、とっくの昔に入力してあって、これまで何度も買い物をしているんだが。
 それに、「そこは今までクレジットカード払いで一度も荷物を届けた事がない住所です」とか言ってるけど、そこにこれまでずっと荷物を配達させて 来たんだけどね、俺は。
 何を言い出したわけ、ア○ゾンは?気持ち悪くてクレジットカードの番号なんて打ち込めないよ。
 下は、その怪説明文と、それに対して私が出したカスタマーサービスへの質問文であります。今のところ返事無し。これ、何が起こっているか分る人おられますか?

 ~~~~~

 注文を確定しようとすると、”支払方法を選んでください”と称して、とうの昔に入力済みのはずのクレジットカードの番号をまた入力せよとの指示が出てしまいます。
 また、以下のような”説明”も表示されるのですが、こちらが指示した届け先は、もう何度もクレジットカード払いで商品を送っていただいている場所であり、この文章は理解不能です。
 貴社のシステムに問題が生じている可能性も考えられますので、この件に関する納得できる説明がいただけるまで、貴社への注文は中止することとします。ご説明をお願いいたします。
 私の個人情報ははたして守られているのでしょうか。非常な不安を感じています。

 ~~~~~

 問題のア○ゾンが提示した説明文。何を言っておるやら。
 ↓
 >ご指定いただきましたお届け先は、今までに一度もクレジットカード払いでお荷物をお届けしたことがないご住所です。 クレジットカードでのお支払いをご希望の場合には、アカウント保護のためカード情報を入力してください。 お支払い方法の情報は記録されますので、同じお届け先をご使用の場合、次回からはカード情報を再度ご入力していただく必要はございません。

 何を言っておるやら。その”再度ご入力”を要求されちゃったんだからさ、こちらは。

アラゴンの残照

2009-06-27 04:49:06 | ヨーロッパ

 ”Deria”by Mara Aranda y Solatge

 そもそも裏ジャケにあるバックバンドのメンバーの見かけからして凄い。博物館に所蔵されている、遠い昔に描かれたスペインの庶民の肖像としか見えないのだが、これが実写である。ふつうにメンバーたちの写真を撮っただけのものである。
 それが歴史を経た名画に見えてしまう。メンバーの内に漲る、「伝承音楽を極める事によって、過去に生きた人々の想いを掴み取ってやろう」との気概が、数百年も前の民衆がまとっていたのと同じ空気感を彼らの周囲に生じせしめたとしか思えないのだ、その演奏を聴いてしまった今となっては。

 スペインの誇るトラッドバンド、”L'Ham de Foc”のボーカリストであるMara Arandaのソロ・プロジェクトによる作品である。大航海時代、世界に覇を称えたスペインはアラゴン王国の世から伝えられる歌曲を、彼女たちが得意とする汎地中海サウンドで調理して今日に蘇らせようと言う趣向のようだ。古楽器ハーディガーディが昔語りを殷殷と唸り、ブズーキやダルブッカが地中海の香りをふんだんに振りまきながら宙を舞う。

 ともかく一曲目のイントロから気品高く、各楽器の音は確かに16世紀から時の壁を越えて聴こえて来ているとしか思えない。使われている古楽器群がそのような音を出すのは、まあ納得するとしても、たとえば、かなりジャズ的なニュアンスもあるプレイをするウッドベースの音までが、「なるほど、16世紀のスペインではそのような演奏が成されたに違いない」と頷かせるような説得力を持って響いてくるのは、ただ事ではない。

 これはえらい事が始まりそうだと息を呑んで見守れば、Maraのテンション高く香気溢れる歌声は高々と天に突き刺さり、もはやこちらは、目の前の中世スペインの黄色い大地の広がりに見入るばかり。
 気品と情熱溢れる歌と演奏で、遠い昔に失われたアラゴン王国の幻を今日に現出して見せたMaraと彼女のスタッフに敬意を表する。

 下に試聴を貼りました。

●試聴1

●試聴2

ギニア・ビサウのサイケな夜

2009-06-26 01:57:00 | アフリカ


 ”Super Mama Djombo ”

 あれはなんて雑誌に掲載されたのかなあ、ある人が書いた東アフリカ放浪記の中に、現地ケニアの若者と二人でギターを弾き合うなんてシーンがあって、そこで弾かれたのがブルースだと言うんで、あれ、そうなのか?と意外な気分になったものだった。
 だってさあ、アフリカのあの辺りだったらコンゴっぽい、リンガラ・ポップスのギターとか弾くんじゃないの?とか思ったんだけど、アフリカ人なら誰でもあのコロコロキラキラしたフレーズを弾けるってものでもないってことですかね?「とりあえず弾けはします」レベルの奴は、我々日本人のシロウトが酔った勢いでギター抱えた時とあんまり変わらないネタを披露するものなのかも知れない。

 なんてどうでもいい事を思い出してしまったのであります。70年代、独立直後のアフリカはギニア・ビサウで活躍したという、かの国の当時のトップバンド、Super Mama Djomboを聴いていたら。
 なにしろ突然、”サイケなブルース・ロック”ってな感触のギター・ソロが飛び出してきたんで。音楽の全体の形としてはやはりリンガラっぽい、コンゴ・ルンバの影響大の世界なんだけど、そのど真ん中に、私なんかの年代には”懐かしのニュー・ロック”とか言いたくなるギターの長めのアドリブが置かれている。こいつはなかなか不思議な気分であります。
 ことに、ちょっとモトネタの分からないモヤッとした雰囲気のスローものなんか、60年代末の欧米のサイケデリック・サウンドのバンドに極似した瞬間があったりもするわけで。うわわ、なんだこりゃ?

 この辺、どのくらい自覚的にやっているのかなあ?結構ドサクサにブルースっぽいギターを間奏として放りこんで行くうちに出来上がってしまったサウンドではないか?なんて想像したりもするんだけど。なにしろ全体に、濃厚にB級っぽさの漂うSuper Mama Djomboであります。なんか、まぐれ当たりで相当スリリングな表現を生み出しかけていた、とか言ったら失礼か?
 そして、コンゴのバンドの影響を受けているとはいえ、決してあの狂おしき恋歌から狂乱のダンスパートへ突入し、終わりなきダンス・ワールドに観衆を誘う、なんて熱っぽさもまた、バンドからは感じられない。どこか音楽の底の方に、ひんやりとした感触が横たわっている。 この辺りは元ポルトガル領の国の音楽らしいと言えば言えるでしょう。

 いや、不思議なバンドがいたものです。この奇怪な熱帯サイケ世界が、独自性を保ちながらうまい事成長して行ったら、ずいぶん面白い物が出来上がっていた・・・かも知れないと思います。まあ、なんとも分かりませんがね。今日、ギニア・ビサウにそのような音楽が存在するとの噂は聞きませんが。

こりん星イサーン説

2009-06-24 04:48:45 | アジア
 ”Khor tua pai roang hai”by Lookpud Pimchanok

 タイの、我が国で言えば演歌にあたろうかと言う音楽、ルークトゥンの新人のデビュー作であります。
 とはいえ。いや、なんてことはない、ジャケを遠めに見たらこの歌手、”こりん星”でお馴染みの小倉優子りんにちょっと似ているような気がしたものだから、ついジャケ買いしてしまった次第です、面目ない。
 まあ、よく見ればたいして似てはいないんですが、なんかこういうポーズを得意としてるでしょう、ゆうこりんは。

 で、その歌声はと言えば、実に伸び伸びととタイ演歌を歌い上げていて、なかなか気持ちの良いものがあります。タイの演歌専門レーベルのコテコテのサウンドに乗って、スローものもアップテムポもケレン味なく歌い上げる、その姿勢が潔い。このアルバムを作った時点で、まだ十代だったようですが、堂々の歌唱力を披露しています。
 この声の出し方、日本の演歌箇所の誰かに似てるんだよなあ。デビュー当時の西川峰子?そうでもないかなあ・・・

 それにしてもこのルークトゥンという代物、我々日本人にとってはなかなかクセモノの音楽と申せましょう。どの曲においても、おや、どこかでこんな歌を聴いたぞと思ってしまう聴き慣れたフレーズが頻繁に飛び出し、こちらは郷愁を刺激されるままにタイの田園風景に誘い出される、なんて微妙な幻惑を秘めている。イントロの部分なんて、あまりにも日本の演歌で笑えてくる時もあるものなあ。
 歌手の感情表現の方法論なんかも、日本の演歌と変わらないでしょう。コロコロとコブシを重ねてメロディーを織りなして行き、ここぞ!と言うところでゆらりと声が裏返る、歌手の声がハスキーにひしゃげる、その瞬間が恥ずかし嬉しと申しましょうか、気持ちよいんですなあ。

 こんな簡単な仕掛けで心が動かされてしまっていいのかと反省させられるんですが、なに、その背筋を駆け上がる恥ずかしさこそが、君が演歌を心の底では愛している証拠なのだと五木寛之も小説「演歌」の中で言っております。
 それにしても、この子は可愛いよな、Lookpud Pimchanok ちゃん。ジャケ買いしたのは間違いじゃなかった。2枚目のアルバム、出てたんでさっそく買い求めました。

 下に試聴を貼り付けておきましたので、お試しを。

 ●試聴はこちらで

ロリロリしつつ天に至る

2009-06-23 03:29:10 | アジア
 ”Penyuluh Jalanku”by Adelia Lukmana

 毎度お馴染み、こうやってあーだこーだ言ってるけど、この日本に私以外にこの音楽のファンっているのかいな?とはなはだ頼りない気分になってくる、インドネシアのキリスト教系ポップス、ロハニであります。またも登場の、なかなか可愛い新人歌手のお話など。
 このAdelia Lukmanaちゃん、ずいぶん幼い感じの子だなあとジャケを見て思い、ネットとか検索してみると、もっと幼い写真とか出て来て、なんかドギマギしてしまう。だってさあ、児童ポルノ法とか、いろいろ登場して来るじゃん、得体の知れない法律がさあ。とか言ってみたくなる今日この頃ですが、ご無事でお過ごしですか。

 静岡空港も開港とか言ってるけど、私は断固反対だからな。出来た後は廃港を要求する。あるだけでも赤字を生み続ける無用の長物、そんなものの尻拭いに俺らの税金が使われるんじゃやりきれないよ。
 今、静岡県知事選挙の投票券とか届いてるんだけど、与党も野党も空港容認じゃしょうがないよなあ。投票の仕様がないだろ。結局、ゼネコンと結託した知事とのやり得か。このまま逃がして良いのか、県民諸君!

 ・・・と、わざと話題を逸脱させてますが。Adelia Lukmanaちゃんに話を戻します。
 これまで取り上げてきたロハニの歌い手であるお姉さま方と比べるとずいぶんと幼い印象の彼女ですが、歌の方もうらうらと春の日の昼寝気分のうららかな歌声を響かせております。曲調自体はいつもと変わらぬ賛美歌調の、というか賛美歌なんですが、こののどかな歌い口は新鮮だ。
 これまでの実力派のお姉さま方の”凛!”って感じの、祈りが張り詰めた感情表現となって天にまします主のもとに向う、そんな歌声をロハニと思っていた私だけど、こんなパターンもあるんですねえ。

 なんかロハニのファン、信仰に事寄せてアイドル歌手を楽しんでないか、とか言ったら叱られるんだろうなあ。不信心な私は、その方向で楽しんでしまってますけどね、申し訳ないです。


知らねえよ、そんな曲

2009-06-21 01:53:12 | 音楽雑誌に物申す

 ”レコードコレクターズ”誌の7月号に「アメリカン・ロック/ポップ名曲ランキング」なんて特集が掲載されていて、1954年から1966年にかけての米国のベストソング100を選んだのだそうだ。25人のライターが各々選んだ個人ランキングを元に編集部がランキングを作成した、と言う事で。
 この辺の時代になると、当方も音楽ファンになりつつある頃という事で、それなりに思い入れがある。で、昔の事など思い出しながら目を通していったのだが、聞いたことのない曲というのがいくつか出て来て、いやそれは私だって音楽ファン稼業を始めて以来、すべての楽曲にチェックを入れている訳も無し、知らない曲があって当然なのだが、なんか”居心地の悪い知らなさ加減”を感じてしまうのだ、今回のランキングには。
 その感想の正体がどうもはっきりしないので、それに関して書いてみようと思う。書いているうちにはっきりするかも知れないんで。
 どうせだからベスト10風に行く。

1)THAT'LL BE THE DAY/The Crickets(第6位)
 
 知らねえよ、こんな曲。
 全然知らない曲が、下位ならともかく6位なんて上位にランクされている。なんか異様だ。気持ちが悪い。解説を読んでみると、ロックンローラーのバディ・ホリーがクリケッツ名義で出した、彼の出世作との事、ああ、バディ・ホリーなら不思議はないや。
 このバディ・ホリーの名、昔からロックの歴史など紐解く際に毎度困惑させられて来た名前だった。夭折したロック歌手で、彼を悼んで作られた有名曲あり、彼の逝った日にロックの灯は消えてしまったのなんのとの記述あり、とんでもない偉大なミュージシャンだったみたいな記述が成されているが、こちとら、彼の音楽自体、ろくに聴いてないんだから。
 だってバディ・ホリーなんて知らないよ。日本のミュージシャンの誰かが彼の影響を受けたとか言ったか?ホリーの曲のカバーとかやっていたか?音楽雑誌やラジオの音楽番組で特集された事なんかあるか?レコード店にバディ・ホリーのコーナーなんてあるか?あなたの周りの音楽好きの友人にバディ・ホリーのファンなんているだろうか?
 私の場合、答えはすべてNO!である。普通、知らねえよ、バディ・ホリーなんて。
 バディ・ホリーの歌自体は聴いた事がないわけではない。外国の音楽番組のビデオのタグイを見ている際、ひょっこり姿を現すことがあるので、そんな時に「ああ、これがあの夭折した天才歌手って奴か」と思って注目してみるのだが、あんまり面白くない歌なのだな、これが。歌が終わって記憶に残っているのはトレードマークのメガネとファンダーのストラトばかり。ほんとにそれほどの歌手なのかなあ?と首をかしげるばかりなのである。
 そりゃ、アメリカでは大スターなんだろうけど、我が国ではそうでもないんでしょ?だとすりゃ、その辺の”日米の溝”ってのを視野に入れた文章を書かなきゃならない。と思いませんか、担当のライターさん?だって、日本人に読ませるための日本語の記事なんだからさ。
 
 2)DANCING IN THE STREET/Martha & the Vandellas(第10位)
 知らねえよ、こんな曲。曲以前に、バンデラスってグループ名にピンとこない人も多いのではないか。
 ”54-66アメリカの100曲”で、モータウンの曲の最高位がこれかい?悪いが聴いた事がない。解説は、この曲と公民権運動とのかかわりを中心になされているが、そういう意味で上位に持って来ているとしたら、そいつはいかがなものかと思う。

 3)HEAT WAVE/Martha & Vandellas(第26位)

 知らねえよ、こんな曲。これでバンデラスは2曲目だが、ここまでに出てきた他のモータウンのガール・グループものはシュープリームスが一曲だけ。なんか不自然な気がするんだがなあ。

 4)PEGGY SUE/Buddy Holly(第33位)

 知らねえけど、まあバディ・ホリーだから当然だわな。

 ここで逆に非常に共鳴できた文章に出会えたので、それに関しても書いておきたい。38位、ビーチボーイズの”アイ・ゲット・アラウンド”について大鷹俊一氏が、
 「”ペットサウンズ”期のビーチボーイズの素晴らしさもよく分かるが、同時に、このナンバーに象徴される初期の魅力も格別で、もっともっと評価されてもいいはず」
 と述べておられるが、全面的に賛成である。
 なんかいまや、音楽ファンは60年代からずっと”ペットサウンズ”に深い共鳴を示しつつ、”スマイル”の挫折に心痛めつつ時を過ごしてきたみたいな事になっているが、そりゃ嘘だよな。みんな、ビーチボーイズといえば初期の軽快で時に切ない、あの”海辺のポップス”を愛してきたんだ。”ペットサウンズ”なんて訳の分からないアルバムを評価する奴なんていやしなかったんだから、リアルタイムでは。それが現実なんだから。

 5)SOMETHIN' ELSE/Eddie Cochran

 知らねえよ、こんな曲。
 英国での順位しか書いてないけど、ひょっとして英国でしかヒットしなかった、と言うか英国でしか意義を持ち得なかった曲じゃないのか?と疑ってみたくなるコメントが付されているなあ。これ、アメリカン・ロックのベスト100でしょ?

 6)LEADER OF THE PACK/The Shangri-Las(第56位)
 7)CRYING/Roy Orbison(第60位)

 特にコメントはないが、まあ、知らねえから。

 8)I FOUGHT THE LAW/Bobby Fuller Four(第76位)

 曲自体は、実は知っている。この曲をパンクの”クラッシュ”がカバーしたものが、ロンドンブーツ1号2号の連中がやっていたラジオ番組のオープニングに使われていて、その番組はときどき聴いていたからだ。
 ・・・つまり、そういう意味じゃないの、このランク・イン?60年代に”パンクのアリバイ”をどさくさ紛れに忍び込ませておきたいって?96位にミュージックマシンなんて聞いた事もない名前のバンドが入っているのも似たような事情ではないかと・・・

 以上。当該特集記事を読んでいるうちに、過去の検証作業がいつの間にか”過去の改竄”にすり替えられていないか?なんて疑いが生まれてしまったので、あえて記す。

スラウェシのパティ・ペイジ

2009-06-20 03:05:09 | アジア

 ”Koleksi Klasik” by Anneke Gronloh

 これはなかなかに初夏の夜にはふさわしい、ラウンジ感覚やらコロニアル感覚やらに溢れる作品集であります。アルバムの主人公、Anneke Gronlohはスラウェシ島出身で、60年代、インドネシアからオランダ、シンガポールと東西をまたにかけて活躍した大歌手だそうです。

 音楽的にも相当な一人ワールドミュージック振りで、ムラユーやクロンチョンにハワイアンやラテンやアメリカン・ポップスが混在したカラフルな音楽世界を展開しています。明るくパワフルに、あくまでも欧米仕込みのショービジネスの世界っぽい”プロフェッショナル”な手触りで、それら音楽を完全に昇華した形で。
 こんな人がいたんですねえ。凄い凄い。

 ジャケ写真はずいぶん清楚な感じのものが使われていますが、検索でこの人の画像をあたってみると、「これは失礼、どこのオードリー・ヘップバーンかと思いました」とか言いたくなるようなファッションでヨーロッパの街角を行くお姿などに出会えます。こっちの方がこの人の普段の立ち居地だったのかなあ。音楽的にも。という気がします。

 展開する音楽は先に述べたようにミクスチュア感覚溢れたものなのだけれど、それを処理する Anneke Gronloh女史の歌手としてのパフォーマンスは、あくまでも欧米の白人歌手の視点に立っているのですね。その当時のアメリカのポップス歌手の歌唱法の範囲内にきっちりと収まったもの。
 一曲、犬の鳴き声なんかが効果音として使われたものがあるんですが、それなどを聴くと、ネタ元としての「ワンワンワルツ」なんかが想起されて、ああこの人はパティ・ペイジとかに憧れて歌手を目指したのかなあ、なんて感じがヒシヒシと伝わってくる。

 そんな”アメリカンポップス”の歌い手が、たまたま出身地がアジアだったから、アジア的なレパートリーをも取り入れた”エキゾティックなショー”を欧米の大衆相手に行なっていた、という方向で理解するべきなのでしょう。
 これら音楽を欧米の白人たちがどのように受け入れていたのか、なんとなく想像はつきます。例のマーチン・デニーのエキゾティック・サウンドとか、あんな具合だったんでしょう。まあ、それに文句を言ったって仕方がないです。ワールドミュージックの概念なんてない時代の話なのだから。

 けど、当時のアジアの人々に彼女の音楽がどんな具合に聴こえていたのか、ぶっちゃけた話が聴きたいなあ。もはや尋ねようがないんだけど。今、この時代に生きる私は、こうして何ごとが起こっているかをそれなりに理解した上で、彼女の音楽を楽しんで聴けてしまうんだけど。
 どんな感じだったのかなあ、故郷スラウェシのどこかの街角で、彼女のレコードがラジオから聴こえてきたとして。


いらねえよ、VCD!

2009-06-19 04:59:04 | その他の評論

 今日、某ネット通販店から、注文してあったCDが届いた。さっそく聴いてみようとしたのだが、その中の一枚から音が出ない。なんだこれは不良品かと検めてみると、製品番号に”VCD”とある。しょうがねえなあ、もう。どうやら発送の際にCDとVCDを間違えて送って来てしまったようだ。

 さっそくクレームのメールを送ったのだが、さて、夜が明けたらどのような反応が返ってくるのか。まだ数度の買い物しかしていない、馴染みとはいえない店なので、こんなときどのような対応を見せるのか、非常に興味がある。店主氏には、私がこの先、店の客であり続けるか否かが決まる決戦の場であると自覚の上、事態の処理にあたってもらいたいものである。いや、大仰な話じゃなく本気です。

 注文したのはタイのポップスのCDなのだが、今、あらためてネット上の該当商品のカタログを見返してみると、ともかくかの国の商品、CDには皆、ことごとくそれに対応するVCDが存在するようなのだ。なんだろうねえ、タイって国も。いや、こんな状況が昨今の常識なんだろうか。
 しかもそれらCDとVCDはジャケがまるで同じデザインであるらしい。こりゃ、間違い易いよなあ。それだからこそ、商品発送に際しては注意怠りなきよう、お願いしたいものなのだが。

 しかし、それらCDとVCDを、それぞれ両方とも律儀に在庫しておくってことは、それら双方に顧客が存在するってことなんだろうか。CDしか基本的に購入しない私としては、いい迷惑としか言いようのない話である。そんなもの、いちいち両方とも集めなくたっていいじゃないか、ご同輩。VCDなんか、どうせ一回見れば終わりでしょ?
 とか言っても通じやしなんだろうなあ。

 私はVCDとか、ともかくその種の映像商品にはまったく興味がない。なぜって?音楽ファンだからだ。まあ、音楽を聴く上でのあくまで”資料”として一回ぐらいは見てもいいけど、そこまでだろう。
 目と耳、両方からの情報を受け止めるがために想像力の働く余地がなくなるからかと思うのだが、音楽関係のビデオと言うもの、一回見ればお腹一杯であり、繰り返し見たいと言う衝動にはさっぱり駆られないのだが、そうでもないですか?何であんなもの、買うの?

 とか言ってはみるものの、国によってはそちらの方がメインの商品であるとの情報もあり、なにやら面白くない雲行きを感ずる昨今なのであった。
 まあ、ともかくくだんの店主氏、とっとと誤送付の商品を取り替えてくれよなあ。どう対処するか、しっかり見させてもらうぞ。

雨上がりインドネシア

2009-06-18 02:31:42 | アジア
 ”Lenggie ”

 何だ、この子は?
 一応、”インドネシアン・シンガー・ソングライター”とかネットで見つけた写真には書いてあって、一応ポップ・インドネシアの領域に属すらしいが・・・たいした情報も見つからなかったところを見ると、このアルバムがデビュー作なんだろうか?
 などと、まだ正体のつかめていない子であります。何のことはない、ジャケ写真が加藤ローサちゃんに似ているように見えたんで、それだけでジャケ買いしました。

 中ジャケでも、セミアコのギターを抱えて爽やかに微笑む姿は、なんか帰国子女っぽい雰囲気を醸し出しております。実際、両親のどちらかがアメリカ人とか、そうでなくとも事情あってアメリカで育ったとか、そんな背景があるのではないか、なんて感じが音楽自体にも大きく色を染めています。
 収められた多くは自作の曲は、どれも涼やかなメジャーセブンスの和音が響き渡っているような、爽やかなフォーク調。Lenggieちゃんの歌声も、明るく伸びやかに広がって行きます。

 赤道直下で熱を孕む大気の底に、遠い昔、ヨーロッパからの支配者たちが置き忘れて行ったラテンの激情がエコーとなって聴こえてくる・・・なんて、これまでのポップ・インドネシアが引きずっていた過去の恩讐、歴史の尻尾とは、きれいに縁が切れている音楽と言えましょう。一番縁が深いのは、アメリカ西海岸のカントリー・フォーク調のポップスか。

 なんだかどの曲も雨上がりの街の匂いがしている感じです。一雨あって、それがあがったばかり。雨に洗われて生まれ変わったみたいに新鮮な表情を見せる街を、明るいファッションで着飾ったLenggieちゃんが明るい笑顔で闊歩して行きます。
 軽い音楽と言えばその通りなんですがね、なんだかこの音楽は、私のうちに凝り固まっていたアジア大衆音楽に関する固定観念を、その雨上がりの街を吹きぬける涼やかな風一陣とともに吹き飛ばしてくれるようで。

 これは一本や取られちゃったかな、なんて気がして来ているのであります、正直な話。2007年度作品。