さっきからパソコンの画面に映っている”愛しのマドロス港唄”ってCDの広告を眺めつつ頭を抱えているところなのだけれど・・・CD7枚組み17640円ってのはなあ・・・
いやまあ当方、マドロス演歌と言うものには相当の関心があるのであって、その大掴みの所を知る事ができたり、手っ取り早く重要曲を手元におけるのなら、そのくらいの金は出すんだけれど、これはあんまりマニア好みの編集が成された盤でもないんですな。
たとえば。各曲は編集担当者のセンスでランダムに置かれているんだけれど、これ、出来れば歌手ごとに集めて、なおかつ発表年順に並べて収めて欲しかった。まあそれはこちらで勝手に編集版を作れば解決するわけだけれど、収められている曲が「ちょっと違うのではないか?」ってものもあるんで、これは困る。
やっぱりマドロスものってのは男の世界で、女性歌手のものはピンと来ないし、「アンコ椿は恋の花」とか「港町ブルース」ってのは、果たして”マドロス演歌”の範疇に入るものなのかどうか?
ああでも、もはやこの盤でしか聴けない歌も多いしなあ。どうすりゃいいのか。
このCDの惹句に、”マドロス、波止場、港、海を背景にした歌謡曲は昭和初期から現在にいたるまで歌いつがれています”とある。昭和初期辺りから、この不思議な歌の系譜は始まっているわけか。で、それらの歌の興隆を抱えたまま我が日本は第2次世界大戦に突入し、戦後もしばらくマドロス演歌は命脈を保ったが、高度経済成長と社会の変容の中にやがて消えて行った、と。
マドロスたちを主人公にした演歌が、波止場、港、海、と、潮の香りを漂わせつつロマンとエキゾティシズム振りまき、人々に愛されたのは、当然、それなりの理由があるのだろう。
地べたに張り付くように身を粉にして働きながら、当時の庶民は、大衆は、気ままに港々を渡って行く”ヤクザなマドロス”たちの日々に関わるファンタジィを憧憬の想いを持って迎えた。
人々の仮想現実のヒーローとして、なぜマドロスが選ばれたのか?どのようにして、その夢物語は盛んになっていったのか?などなど、まだまだ当方には知らない事ばかりだが、人々が彼ら海運業従事者たちに託した夢のよすが、今日振り返ってみると、なかなかに切ないものがあり、もっともっと知って行きたいと思っている。
田端義夫の昭和24年のヒット曲、”玄海ブルース”は、いつもコンサートのオープニングに歌われていたそうだが、なるほどそりゃそうだろうなと思えてくる景気の良い曲である。
比較的機嫌の良いときの鼻歌として愛用していたのだが、昭和44年に出たアルバムに付された解説によれば、この歌が出た当時日本は、まだ戦後の混乱から立ち直っておらず、人々は職もなく町に浮浪者が溢れ飢えに苦しんでいた。
そんな時代にあえてバタヤンは豪快なマドロス演歌で勝負に出た。船乗りたちが乗るべき船など、我が国にはもう残っていなかったにもかかわらず。そうか、こいつもまたマドロスもののぶち上げたファンタジィの一幕だったのかなどとあらためて思い・・・
そうなんだよ、だからこのCD7枚組、買おうかどうしようか、さっきから迷っているのさ。
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●玄海ブルース