”Sitantelman”by Tifred
アフリカの東海岸に浮かぶ小島、レユニオン島のローカルポップスである”マロヤ”・・・なんてものがたびたび話題になるなんて場はここぐらいのものだぞ、と無意味に威張っておくけど。
これは、そのマロヤ・ミュージックのの新人である”ティフレッド”のデビュー・アルバムであります。
ジャケの、昭和30年代の日本風の版画(?)が気になる。
あの頃のアクションものの貸本漫画に出て来た”殺し屋”みたいなシルエットが佇んでいる。胸にハート型の風穴が空いていて。
昔の漫画に出て来た殺し屋ってイメージを受けてしまったのは、その斜めにかぶった帽子や大き目のコートのせいだけれど、これはもしかしたら1940年代のアメリカの黒人たちの間で流行ったズートスーツという奴を身にまとっているのかも知れない。
聴こえてくるのはいつものマロヤのシンプルなサウンド。メロディ楽器は一切使われていない。パーカッション群とコーラスのみをバックに、ティフレッドの錆びた歌声が、時におどけて、時にしみじみと響き渡る。使われている言葉は、もの凄く訛ったフランス語。おそらく普通のフランス人には理解できないであろうと思われるくらいの、アフリカ語化したフランス語である。
どれも、長くても8小説ほどのシンプルな、どこか悲しげな風の吹くメロディだ。マロヤを聴くたびに思うのだ、このメロディの中に漂う独特の哀愁はどこからやって来たのだ?と。インド洋に面したアフリカ東海岸の音楽というより、むしろある種のサンバなんかを連想させる部分もなくはない。
打楽器群だけをバックに、男女数名のコーラスとコール&レスポンスしながら進む歌といえば、まず頭に浮かぶのはナイジェリアのフジやアパラだが、あのような凶悪な熱狂とは程遠い、素朴な民謡調の不思議な哀感を伴う瀟洒な音楽。どこかに潮風の香りも漂っていて。
シンプルなリズムやメロディを執拗に反復するうちに、どんどん熱くなって行くのがアフリカ音楽の一典型と言えるのだが、マロヤの場合そうはならず、静かな反復のうちに、ただ進んで行く。ある意味、クールである。ミニマル・ミュージックなんて言葉もふと思い浮かんだりするが、それがこの場合、適切であるのかどうかは分からず。
そしてある時、ふと思いついたからとでもいう感じで、まるで気ままな散歩の終わりみたいに音楽は立ち止まり、終わる。それから再び”詠唱”なんて表現を持ち出したい感じの無伴奏のメロディが歌い上げられ、リズムが入り、次の曲がはじまる。
聞けば聴くほど、奇妙な音楽だなあとの思いが濃くなる。時の止ったような、古代の世界を描いた絵画から聴こえてくるみたいな、乾いた哀感が吹き抜ける音楽。まだ生まれて間もないこの音楽がどのように変化して行くのか、非常に気になる。そして、音のうちに漂う、正体不明の独特の哀愁の出所も。