ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

落花

2012-11-29 01:35:05 | アジア

 ”FALLEN FLOWERS”by CHERRY MA

 一聴、サリー・イップの「真心真意過一生」なんて古い作品を思い出してしまったのである。まだ香港が「借り物の時間」の内にいた英領時代、サリーのあのアルバムは、中華民族のドメスティックな喜怒哀楽の只中で静かに湧き出ていた、透き通るような詩情が心を込めて歌われた、見事な作品だった。
 2010年、遥か時をおいて世に出されたチェリー嬢のこのアルバムもまた、時の狭間で人知れず咲いた野の花一輪、みたいな可憐なトキメキを持ってここにある。
 連想は、アルバムの真ん中過ぎてまさに聴かせどころのあたりに、どちらのアルバムも同じように「哭砂」という中華バラードの古典が置かれていることなどに誘発されているだろう。

 もっとも、サリー・イップのアルバムはディスコっぽいダンスナンバーも含む艶やかな出来上がりだったが、こちらは生ギターの爪弾きなどが中心となったアコースティックなサウンドのうちに繊細なバラードばかりが呟きのように歌われて行く、たいへんに静的な作りだ。静謐を歌う、なんて副題が付いていてもいいんじゃないか。
 収められている歌の素性は当方の親しく聴いているものもあり、見当もつかないものもある。いずれも、中国伝統の大衆歌謡のメロディと西洋音楽の和声感覚との交差の果てに生まれた、繊細な美しさを持つ”モダン中華ポップス”ばかり。(いや、外国曲や民謡も含まれてはいるのだが、ここまで親和してしまえば、もう同じこと?)

 どれも20世紀の中国で巷間、親しく歌われていた大衆歌謡の有名無名の佳作群から撰ばれた曲なのだろう。
 そんな、微妙なバランスでこの世にひと時だけ存在した宝石の面影が、時代遅れの幻灯機に映し出されて姿を現す。
 荒れ狂う憂き世に、過ぎ去ってしまったものだけが美しい。そんな悲しい余韻を残して、それらは儚く夜闇に消えてしまう。見送る我らを現世に残して。



非在のハバナにて

2012-11-27 03:59:42 | 南アメリカ

 ”Mi Linda Havana”by Mateo Stoneman

 ひょんなことからキューバ音楽に魅せられてしまったアメリカ白人男性、すっかり彼の地の吟遊詩人になりきって、ハバナの夕暮れの甘美な夢を歌う。
 というものであるらしい、この一枚。スキモノの間で噂の一枚。
 こういうのも、例の”フィーリン”のジャンルになるんですかね。この、甘く優しい、バラードの世界。

 私が勝手に作り出した”フィーリンの評価基準”というのがあって、まず、甘く切ないバラード専門でなければならない。気ぜわしくやかましいアップテンポの曲なんて、一曲もいらない。
 で、男性ヴォーカルであるべき。女性ボーカルでは華麗に過ぎます。どちらかといえば男子ボーカルの、ある種申し訳なさをどうしても孕んでしまう負の存在感が、ここでは良い味付けになる。
 もちろん、パワフルである必要なんてまるで無し。ひたすら非力な色男の粋筋を通して欲しい。

 さらに伴奏。これは薄ければ薄いほど良い。ギターやピアノのみがベスト。それも歌手本人の弾き語りであったら、もう言うことはない。
 歌であるが、”粋”であって欲しいがいわゆる歌唱力は必要ない。むしろ邪魔だろう。たどたどしいくらいでちょうど良いのではないか。もちろんその底に、繊細すぎてあっけないほど壊れやすい蒼いセンティメントが、感傷が溢れそうになっていなければ、お話にならない。これは大前提だからね。

 なんてことを並べているが、別に普遍的な評価基準と言い張る気など毛頭ない。当方が個人的にそのようなものを聴きたいと念じているだけの話。
 で、さて、このような当方の好き嫌いの基準に、いい具合に付き合ってくれているストーンマン氏なのであるが、そもそも彼とは関係のない土地であるハバナの街を、うっかりそこの音楽に惚れ込んでしまったのが因果、うろつきまわる羽目になったその姿が、なにやら愛らしく見えるからにほかならない。

 いや、実は、彼が気になり始めてしまった本当の理由は、彼の頼りない裏声が、あのトランペッターにして不可思議ジャズボーカルの巨星、チェット・ベイカーなど連想させたからかも知れない。
 スコンと広がった空間に奇妙な裏声がヒラヒラと迷い出し、ひととき宙を舞い、消えて行く。その有り様が、なんだか場違いな星に漂着してしまって、しかもそんな自分の異変に気がつけない一人ぼっちの宇宙人みたいに見えてくるのだ。




海の残照

2012-11-24 04:04:28 | いわゆる日記

 この時期になると、海岸遊歩道に吹き寄せる風も木枯らしの様相をおび、夏のあいだは我が物顔で歩き回っていた男女のカップルたちもさすがに影もなく、閑散とした遊歩道にときおり行き交うのは、厚ぼったい冬着をまとった犬の散歩の老人たちと、私のようにウォーキングに精を出すもの好きだけとなる。
 今、遊歩道は夕闇が訪れつつあり、それがそもそも信じられない。まだ時計は五時を回ったばかりではないか。しかしもう、遊歩道沿いの飲み屋の看板も明かりを灯した。

 クリスマス・ツリーかと思うほどの電飾をほどこした島巡りの観光船の最終便が、暗くなった湾に入港してくる。ますます気温は下がっていて、そろそろウォーキングの時間帯の変更を考えるべきかもしれない。
 ヨットハーバー越しに海を眺めると、もはや定かではない水平線のあたりに小さな灯りがいくつか認められ、あれは漁船だろうか、海底ケーブル関連の作業船だろうか。

 まれに、そんな遠くの船の船橋あたりに、とうに山陰に沈んだはずの夕陽の残照が当たり、夕闇の訪れた海の中で、そこだけポツンとピンク色のちっぽけな輝きが浮かんでいることがある。
 そんなものをうっかり見てしまうと、何やら非常に切ない気分になってしまい、いっそのこと、その場に座り込んで号泣してやろうかとさえ思ったりする。実際には、やりゃしませんがね、もちろん。

 あの時の、とんでもなく切ない気持ちの正体というものはなんだろう。終わってしまった今日という日に寄せる愛惜の気分?
 わからないのだが、過ぎ去ろうとしている今日という日の、たったひとかけらが、あんな遠くの船の上で暖かい光のひとかたまりとなって揺れている。その感じがたまらないのだ。

 と書いてみても、誰に伝わる話でもないんだろうな。ああ、気がつけば、また冬がやってくるね。




台湾サパークラブの夜は更けて

2012-11-23 04:49:02 | アジア

 ”手只”by 黄千芸

 台湾の演歌歌手、黄千芸の2010年度作品。とはいえ、10年前に作られていたとしても、10年後に作られるとしても、同じような作りになっていたろう、なんて気がする。彼女の歌声は、そんな、ジットリと民衆の心に染み付いて取れないままの年季を経たシミみたいな音楽だ。

 黄千芸女史は落ち着いた歌声の、決して派手なキャラクターではないのだが、なにやら濡れ雑巾のようにヌメッとこちらの心の裏側に張り付いてくる独特の癖のある歌声の持ち主で、当方は初めて聴く人だが、それなりにキャリアは長いのではないか。
 このアルバムの中に男性歌手とのデュエット曲が2曲あるのだが、そのデュエット相手に合わせる彼女の歌声は、楚々たる印象のうちにも、何とも言えない淫靡なエロティシズムを醸し出していて、これは深い世界だなあと感心した次第。

 バックの演奏がまた傑物で、生のピアノが前面にでているのだが、これがレコーディングでプレイする内容ではないだろう、というもの。どちらかと言えばボイストレーニングの際にコーチの先生が弾くようなピアノ、という感じだ。それに従うリズム隊も、ズンチャカチャッチャ、ズンチャ、ズンチャとなんの工夫もないルーティン・ワークに終始し、全体としては田舎の温泉町のホテル最上階のサパークラブの風情が漂う。そいつがまた、黄千芸のレイジーな演歌に似合っているのだった。

 どういう経緯か分からぬが、遠い昔に日本から、おそらくは民衆の口から口へと歌い伝えられつつ台湾の地に移入した演歌音楽。それは昭和30年代あたりで本家たる日本演歌の影響を離れ、台湾独自の道を歩き始めた。
 結果、生まれたのは、我ら日本人にはたまらなく昔懐かしい演歌の響き、でもよく聴くと深いどこかで決定的に違っている、そんな不思議な音楽。

 その音楽が抱きしめた台湾の人々の不安と孤独。いくつもいくつもの夜が、南の島の岸辺を洗った。
 そして今夜も、田舎町のサパークラブの夜は明けない。




ペギー・ジナの地下水脈

2012-11-22 01:00:12 | ヨーロッパ

 ”SOU HROSTAO AKOMA ENA KLAMA”by PEGGY ZINA

 山岸凉子の世界、みたいな俯く女のジャケイラストが気になって手に入れましたはギリシャ演歌のライカの歌い手、ペギー・ジナ女史のこのアルバム。歌詞カードを開けば、まさにその山岸凉子作品の登場人物実写版、みたいなペギー女史の写真に出会ったりいたします。

 しかし、ファーストネームがペギー、と英語風なのが昔ながらの芸能界っぽさで、逆に嬉しくなるじゃないか。そして今、うっかり書いてしまったが、ライカという音楽は、例えばタイの大衆歌謡ルークトゥンを演歌と呼ぶような要領で演歌と呼んでしまっていいのかどうか。存在としてはそんなものかと思うんだが。
 CDを回せば聴こえくる、酒と男と哀しい運命とギリシャの夜風にさらされて鍛えました、みたいなペギー女史のハスキー・ボイス。90年代デビューで、これが12作目のアルバムということで、もう中堅の歌い手と呼んでいいのだろうか。

 先に書いた、古い芸能界っぽい汚れの中に身を沈め、馴染みきって生きてきた女の気怠さなんかがペギー女史の歌の奥にはジットリと脈打っているように感じられる。そんな生き方の中で自分を守るために身につけた彼女なりの孤高と気品と。
 あれこれ言ってるが、単にそのような芸風、ということはもちろんあるよ、それが芸能界だから。

 鳴り渡るブズーキの響き。と同時に、結構カッチリしたロックバンドがバックを務める。それは彼女の歌から土俗を奪い今日的方向に持って行くよりむしろ、ライカというギリシャ・ローカルな哀歌を、広く東西に、それも民衆の足元にジワジワと広がるがゆえに地図では見えない歌謡曲連続体の一員に加える、そちらの方により作用しているのではないか。
 そんな”聖なる通俗性”を孕んだペギー女史の歌の中の”聖なる汚れ”みたいなものに、妙に惹かれてしまっている昨今である。

 14曲目、曲名のあとにカッコしてパリとか書いてある割にはロシア民謡風メロディな曲の、霧に包まれた古都の夜に吹き寄せる吹雪の寂寥が心に残った。いや、そんな歌かどうか、もちろんわからないんだけどさ。




アフリカの忘れ物、またまた発火!

2012-11-19 02:27:01 | アフリカ

 ”Ndigal”by Karantamba

 今回のこの盤は、またしても80年代アフリカはセネガル=ガンビア方面で活躍していた無名バンドの発掘音源CD化とのことで、それだけ聞けばもう、すっげえカッコいいサウンドが飛び出てくると決まったようなものだ。なんて言ってみたくなる気分。
 時の流れの果てに置き忘れられてしまうところだった過去のアフリカンポップスの知られざる傑作音源を掘り起こし、陽の元に明らかにしようという動き、そりゃ社会の片隅のワールドミュージック者の世界のできごととはいえ、小さなブームになっているようで、しかもそうして出てくる音源がそれぞれに埋もれていたのが不思議なくらいの聴き応えのある物件なのであって、スキモノにはなんとも嬉しい限りの昨今なのである。

 この盤は、大きなくくりでは土地柄、ムバラの一種と言っていいのだろうが、ユッスーなどの音楽と比べると、よりファンク色、サイケ色が際立っていて、ミステリアス度は倍増、ともかく音の奥行が深い。むしょうに血の騒ぐ出来となっている。
 全編、パーカッション群による壮大なリズムの波が押し寄せてくるのだが、そのありようはあくまでクール。サウンドの全体を覆う、この温度の低い感じで鋭く突き上げてくる刃物のようなファンキーな手触りが、このバンドの大きな魅力と言えるのではないか。
 そしてともかくカッコイイのがギターのプレイで、奔放に暴れまわるサイケ道全開のイマジネーションあふれるプレイにはすっかり魅了された。こいつのプレイを堪能できる録音はこれ以外、残っていないのだろうか。

 毎度、この種の発掘物件に接するたびに浮かぶ思いは、これらの音、同時期にユッスーやサリフ・ケイタが出していた音より、圧倒的にかっこいいんじゃないか?という疑問。
 リアルタイムでこれらのバンドをユッスーたちのその時期の新譜と並行して聴くことができていたら、私は文句なくこちらの連中に賞賛の拍手を送っていただろう。実際、こいつらの方がカッコいいもの、出してる音は。
 なのになんだって彼らは無名のまま終わり、ユッスーたちは”世界”に向けて飛躍できたのだろう?

 なんてのは、まあ、後出しジャンケンのような論理の遊びで、今更言ってみても仕方がない、ともかく今からでもいい、彼らの偉業をたたえよう、そして次に発掘される音源がどのようなものか、刮目して待つ!
 それにしてもサハラ以南のアフリカ音楽、私としては最新のサウンドとかにはまるで興味がなくなってしまい、こんな具合に過去の音源発掘ばかりに聞き惚れているのだが・・てえことは、アフリカ音楽、もう盛りを過ぎてしまったということなのかい?
 などと書いてしまったが、「おっと待ちねえ、そんな風に決め付けるたあ、ちとばかり気が早すぎるぜ!」と威勢よく、かの地から凄いバンドが飛び出してくることを願う気持ちは、もちろん溢れるほどだ




アルプス鎮魂のシンセ

2012-11-18 05:01:41 | エレクトロニカ、テクノなど


 ”BLACK NOISE”by PANTHA DU PRINCE

 あいかわらず、雨に振り込められた日には電子音楽に耽溺して過ごしたくなる、妙な癖は今だ収まらず、17日の土曜日も、予想外の雨に慌ててタクシーに乗り込む観光客たちの姿を横目で見ながら、窓を伝う雨滴を目で追いつつ、シンセの音に無為に耳を傾けて一日過ごしたのだった。
 今回はドイツの電子音楽ユニットの2010年度作品。ドイツ人のくせにユニット名がフランス語なのはなぜなんだろうな。

 (この”電子音楽”という呼び方も何とかしたほうがいいのではないかと我ながら思うのだが、次々に発生してくるナウいサウンドの呼び名をいちいち覚えてゆくのももはや面倒くさいので、これで全部統括したい。あーだこーだ言っても、要するに電子楽器で音楽をやっているんじゃないか、何が変わりがあるもんか)

 このユニット特有の繊細な音作りで静かに音楽は始まる。中身を飲み干した後のジュースの空瓶に金属棒でも突っ込んでカラカラ回しているような、独特の乾いた響きの回転音像が、陰りのあるベース音の上をどこまでも踊って行く、そんな風に聞こえる音楽。
 特に口ずさめるようなメロディもなく、刻々と変転するリズムパターンの提示が続く。その構造はワールドミュージック耳には、ガムラン音楽やケチャなんかの響きが遠くで聴こえてくるような気もしないでもないのだが、実際に影響を受けているのか、似ているように思えるのは偶然で、あまり関係はないのか、どちらに断言できるほど確たるものがあるわけでもない。ひたすら涼やかな叙情が、かすかな悲しみの色合いを秘めて移ろい続ける。

 ジャケは、このような音楽を包むにはあまり似合わないオーソドックスな油絵で、山間ののどかな村の姿が描かれている。中ジャケにも、そんな村の暮らしのスケッチのような写真が何葉も乗せられている。なんだか場違いな気がするが、なんでもこの盤、アルプスの山中にかって存在していて、ある日崩落事故にて失われてしまった、ドイツのある村の記憶に関するアルバムとのこと。
 それとは別に、例えばテレビで深夜にクラシック音楽が流れる、なんて場合に、画面に映し出されるのはなぜか雄大な山や森の風景だったりして、昔から不思議でならなかったのだが。あの感じに通ずるものを、このCDのビジュアルは持っていると感じずにはいられない。

 つまりはクラシック音楽のど真ん中にド~ンと居座る、ドイツ伝統のロマン主義とかいう奴なんだろう。そのようなものへの憧憬が、このユニットの内側には息づいているようだ。
 そんなものの伝統には連なっていないこちらとしては、交響楽団とプログラムされた電子楽器、なにやら不思議な取合せに感じるが、ご当人たちが納得しているなら、そりゃまあ、しょうがないよな。ととりあえず納得したふりで、さらに山村の悲劇の物語に耳を傾ける。

 雨はまだ止みそうにない。むしろ夜を迎え、ますます激しくなってきているようだ。



エチオピア騒音派

2012-11-17 00:08:33 | アフリカ

 ”Trio Kazanchis ”

 エチオピアン・ミュージックの注目の新人バンド、とはいえこれもエチオピア人一名とヨーロッパの白人二名との合流バンドとのこと。
 どうもこの、純正エチオピア人バンド、というのがさっぱり出てこないのはどういうことなのかなあと首をかしげてしまうのだが、どうなっているのか。

 いや、その逆方向、なんでエチオピア音楽に外国人はこのような関わり方をしたがるのか、と考えてみるべきかも知れない。
 それも、ほかの音楽みたいに「イギリスのバンドがレゲのリズムを取り入れた」とか「ニューヨークのバンドが、アフリカ音楽の影響が色濃い新譜を発表した」なんて具合に”その要素を取り入れる”のではなく、”エチオピア音楽のバンドのメンバーとなり、そのシーンを形成する一人となる”と、”外人”連中が内側に飛び込んでしまう方向を選びたがるのはなぜか、という不思議。
 まあとりあえず、「さっぱりわからん」という結論しか出てこないのはどちらも同じことなのだが。

 などとブツブツ言いながら聞いてみたこの盤、最初の感触は「お調子者の白人野郎が、エチオピア音楽にかこつけて悪乗りしやがって」というものだった。ディストーションのかかった楽器をかき鳴らし、ガサツなリズムを叩きつけてくるそのサウンドの手触りの第一印象は私の場合、そんなものだった。
 とはいえ、盤を聴き進むうち、いや、そもそもエチオピア音楽自体が非常にえげつない存在なのであり、このがさつさもまた飲み込んで、この音楽は、その表現を拡大してゆくのではないか、なんて思いが浮かんで来た。そうだよ、これでいいんじゃないのか。
 そして、気がついたらこのガサツ系エチオ・ファンクに、私はすっかり魅せられているのだった。

 そうなってくると、たとえばセコい音であえて単純な和音を単調に叩きつけるキーボードの動き、なんてものもとてつもなく痛快に感じられて来る。ディストーションのかかったエチオピア竪琴動きのクソやかましいさも一つのファンキーとごく自然に受け止められる。
 そして、もう一度頭からこの盤聞き返す頃には、すっかりTrio Kazanchis のファンと化した自分がいるのだった。
 まあ、総じて言えばいい加減な話なんですが、わけのわからん音楽との付き合い、こんなもんですよ、結構。



冤罪の可能性はないのか

2012-11-16 03:14:18 | 時事
■週末の顔NHK森本アナ逮捕…強制わいせつ容疑

 本人は「やっていない」と言っているようだ。そして、この記事の文面を読む限りでは、痴漢を行ったという確定的な証拠も提示されていないように思える。まだこの段階では、被害者(一応、そう呼ぶが)の勘違い等による冤罪の可能性が配慮されて然るべきではないのか。

 にもかかわらず、一方的に犯人扱い。まだ”容疑者”でしかないのに、全国に”犯人扱い”で名前が報じられ、勤務先までもが”事実関係を調べ”たわけでもないのに、早々に謝罪の談話など発表してしまう。このアナウンサー、実はやっていなかったとしたら、この世の地獄だよ。

 mixi日記など読んだ限りでも、ほとんどの人が「犯人確定」を前提に意見を述べている。そのほうが面白いから、なんだろう。魔女狩りの時代と、何も変わっていない意識のうちに我々は生きている。

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 ☆週末の顔NHK森本アナ逮捕…強制わいせつ容疑(読売新聞 - 11月15日 11:21)

 警視庁玉川署は14日、NHKニュースキャスターの森本健成(たけしげ)容疑者(47)(千葉県浦安市)を強制わいせつ容疑で現行犯逮捕した。
 同署幹部によると、森本容疑者は14日午後7時45分頃、東急田園都市線渋谷―二子玉川駅間を走行中の電車内で、東京都世田谷区の女性(23)の服に手を入れて胸を触った疑い。調べに対し、森本容疑者は「電車に乗って帰宅する途中だった。触った覚えはない」などと供述しているという。
 NHKによると、森本容疑者は同局アナウンス室の専任アナウンサーで、2008年からニュース「おはよう日本」の土日曜、祝日のキャスターを務めている。森本容疑者は14日昼過ぎに仕事の打ち合わせを終えた後、夕方まで同僚と飲食しており、当時は酒に酔った状態だったという。
 森本容疑者は1990年にNHKに入局。06年2月にアナウンス室に配属された。NHKは「キャスターを務めている職員が逮捕されたことは誠に遺憾であり、関係者や視聴者の皆さまに深くおわびいたします。事実関係を調べたうえで、厳正に対処します」とのコメントを発表した。


深き淵より

2012-11-14 21:39:54 | いわゆる日記

 ”銀座ブルース”by 松尾和子&和田弘とマヒナスターズ

 誰が言い出したんだか、「人生で大事なことは皆、幼稚園の砂場で学んだ」とかいう言い方があって、これをタイトルに人生について重い話軽い話、いろいろ語ったりする。
 こいつはあっという間に酒場バージョン、露悪バージョン、エロバージョン、バカバージョンと、さまざまなパロディも呼んだ。皆、いろんなところでいろんな人生を学んでいるのだった。
 なんて書き出しだと、こうやって音楽ネタの日記など書いている身としては、「重要な事は皆、音楽から教わった」なんて文章が始まるかと期待される向きもあるかもしれない。いや、そうたいした話にはならないだろう、申し訳ないが。
 そういや高校時代、「くっだらねえなあ、俺は先に帰るぜ。そんなことやるこたあねえって、ローリングストーンズが教えてくれたぜ」てなセリフを言い捨ててみたことがあったが、フォーク好きな学友諸君からは失笑を買っただけだった。

 そこで、「銀座ブルース」(作詞: 相良武 /作曲: 鈴木道明 )である。”たそがれゆく銀座 いとしい街よ♪”なんて歌い出しが記憶にある人も多いだろう。
 これは1966年、ムードコーラス・グループの和田弘とマヒナスターズがゲスト歌手に松尾和子を迎えて放ったヒット曲である。夕闇迫り、並木の通りに明かりが灯り、モダンな時代のおしゃれな人々が恋の予感に胸躍らせながら行き交う、シックスティーズ・トウキョウの風景を描いた、当時流行りの都会派歌謡曲の秀作である。
 この曲にはちょっと学んだ。この歌には下のような歌詞がある。

(男)゛あの娘の笑顔が可愛い ちょっと飲んで行こうかな゛
(女)゛ほんとにあなたっていい方ね でもただそれだけね゛

 どうだ。この歌を聴いたときはまだほんのガキだった私だが、そんな私なりに、人生そのものに対する、どうにもならない絶望のようなものを覚えたものだ。「まだ頑是ないガキである自分であるが、これから始まる人生を多分、ついに手に入れずに終わるのだろう」と、そんな決定的な予感を。 

 だってそうじゃないか。いいか、ここに出てくる男は”いい人”なんだぞ。少なくとも、次に登場する女には、そのような評価を得ている。
 が、その舌の根も乾かぬうちに(という言葉の使い方があっているのか分からないが)女は言い放つのだ、「でも ただそれだけね」と。ひどい話じゃないか、あんまりな話じゃないか。
 人に”いい人”と言ってもらえる、思ってもらえるなんて、素晴らしいことじゃなかったのか。なんか、授業で習ったか大人に教わったか、ともかくそう信じ込んでいた、ガキの自分だった。
 でも、”いい人”と人に認めてもらうのは、それはそれは大変な作業である。すくなくとも電車に乗ったら100回くらいおばあさんに席を譲ったり、学校では掃除当番を一回もサボらなかったり、帰り道では捨て犬を拾ったり捨て猫を拾ったり、そして毎日、給食にどんなものが出ても残さず食べたりしなくちゃならないんじゃないのか。

 いいや、そんなんじゃきっとダメだ。なんかこう、想像もつかない素晴らしいことを平気で日常的に出来る人がきっと、そう呼ばれる資格があるのだ。
 そしてその”素晴らしいこと”をさっぱり思いつけない自分ゆえに、それこそまさに、”いい人”からは思い切り縁遠いダメ人間である。実際、”いい人”なんて言われたこともないしさ。
 しかも、それだけではダメだ、とこの歌に出てくる女は言っているのだ。「ただそれだけね」と。”いい人”であるだけでも、まだ足りないのだ。まだ、その上に何ごとかをなさねばならぬ。

 ともかく、このオトナの歌の中で、そのようなハードな人格評価が当たり前のように表明され、そしてそれは、それを歌詞の一部に持つこの曲のヒット、という形で世の中の人々に認知されているのだ。そして、”いい人”なんて言われたこともないこれからも言われることはないであろうバカガキの自分は、これから送る人生を、そのような価値観の中に飛び込み、生きて行かねばならないのだ。
 なんてこった・・・自分にはとても無理だ。途方にくれて見つめる、山の端の夕日だった。

 そして人生は幻のごとく過ぎ去り。”いい人”なんて一度も言われることなく人生を見送った男、ここに一人、老境にいたり、「銀座ブルース」を一人口ずさむ。”いい人”である、その上に、なんでなければならなかったのかは、ついにわからなかった。別にいいけど。”いい人”という最初の目標さえ、クリアできなかったのだから。同じことさ。
 以上。これが俺が歌謡曲から学んだ人生だ。恐れ入ったか。