”At The Whisky A Go Go”by JOHNNY RIVERS
音楽ファンとして目覚めたばかりだった中学生の頃。
通い始めたレコード屋の壁に、当時、つまり60年代に”ミスター・ゴーゴー”とあだ名され、いくつものヒット曲を放ったアメリカのロック歌手、ジョニー・リヴァースの、ライブ・スポット”ウィスキー・ア・ゴーゴー”において録音されたライブLPが飾ってあった。
その頃の私は彼がどんな歌を歌うアーティストなのかは知らなかったが、ギターを抱えたジャケ写真がかっこ良かったので、店に行くたびに見とれていた。というか、彼が抱えているギターが欲しくてならなかったのだった。
すると、私をよほどのジョニー・リヴァースのファンなのだろうと誤解したらしい店員が、好意でそのアルバムをある日、聞かせてくれたのだった。
初めて耳にする彼の音楽は。チャック・ベリーのカヴァー等、あえて死語を使うがノリノリのシンプルなロックンロール連発で、あ、こいつはごく当たり前にかっこいいなと思えた。「かっこいい曲なら何でもホイホイ歌ってしまう」みたいな腰の軽さはむしろ、”フットワークの軽い自由な魂の発露”と感じられ、それにも好感が持てた。
とは言え、当時私がもらっていた小遣いでは、すでに忠誠を誓っていたローリング・ストーンズのシングル盤を買うのが精一杯で、ジャニー・リバースのアルバムなどとても手が届かず、それはそのままになってしまったのだが。
そしてその後も、ある程度の金が自由になってからジョニー・リバースの盤を買う、と言うこともなかった。それよりも当時、よりナウだったニューロックやら、その後にはシンガー・ソングライターやらアメリカ南部サウンドなど追いかけるのに忙殺されて、いつの間にか”ミスター・ゴーゴー”のことは忘れて行ったのだった。
さらにそれから長い長い年月が過ぎ・・・私はロック好きのおにーさんからロック好きのオヤジになっていた。
そんなある日、ネットの上のみの知り合いだった音楽ライターのYN氏が突然、田舎の私の家を訪ねてきた。呆れたことに「レコーディングをしないか?良ければ自分がプロデュースをするが?」との提案だった。
当時、70年代音楽の掘り起こしがちょっとしたブームで、その時代、レコーディングの機会にも恵まれないまま、ライブハウスや路上やらで歌った過去しかない私にまで、お呼びがかかってしまったのだった。そんな名もないシンガーの、どこを流れていたやら?の伝説(?)を追いかけて、「あ、それはあいつのことじゃないか?」と私に思い当たる彼の執念にも呆れるが。
「その歳でデビューでもいいじゃないですか、イアン・デュリーの例もあるし」と彼は笑って私の肩を叩き、私の心の底でくすぶっていた青春残侠伝に火を注ぐのだった。
いつの間にか乗せられて、ギターの弾き語りでデモテープを取った。ギターの腕は昔よりマシになった気がしたが、歌はひどいもので、何より自分の作った歌なのに歌詞がまるで覚えられないのに、我が事ながら閉口した。
しばらくして、デモを聞いた、YN氏のお仲間の音楽評論家氏からメールをもらった。
「あなたのその、ジョニー・リバースのライブみたいなワイルドなノリを生かした盤を作るといいんじゃないでしょうか」
うわぁ・・・これにはビックリしてしまったのだった。
そのデモテープの中の私は、そう言われてみると確かに、あの日店員が聞かせてくれた壁のレコード、”ウイスキー・ア・ゴーゴーのジョニー・リバース”みたい、とは言わないけれど、そんなものになったつもりのミスター・ゴーゴー気分でギターをガシャガシャかき鳴らしつつ、歌いまくっていたのだった。いや、確かに「こいつ、影響受けやがって」みたいなものが感じられるの、その時初めて気が付いたんだけど。
三つ子の魂百まで、と言うのはここで使ったら見当違いの言葉ですな。なんて言ったらいいんだろうな。
ともかくあの時、店員が聞かせてくれたレコードのたった一回の記憶が、パフォーマーとしての私をずっと”あんな風にやりたい衝動”と言う形で支えて来ていたのかなあと、なんだか”遠い目”気分になってしまったのでありました。
(あ、私のレコード・デビューはその後、プロデューサー役のYN氏とひどい喧嘩して、オジャンになりました)
いやあ、想えばはるか遠くに来たものです。あんまり成長はしていないんだけどね。歳だけは取った。それにしても、その後、ジョニー・リバースはどんな歌手人生を歩んだんだろうな。それも知らない。ひどい話か。