ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

ウィスキー・ア・ゴーゴーを遠く離れて

2007-10-30 23:02:05 | 60~70年代音楽


 ”At The Whisky A Go Go”by JOHNNY RIVERS

 音楽ファンとして目覚めたばかりだった中学生の頃。

 通い始めたレコード屋の壁に、当時、つまり60年代に”ミスター・ゴーゴー”とあだ名され、いくつものヒット曲を放ったアメリカのロック歌手、ジョニー・リヴァースの、ライブ・スポット”ウィスキー・ア・ゴーゴー”において録音されたライブLPが飾ってあった。
 その頃の私は彼がどんな歌を歌うアーティストなのかは知らなかったが、ギターを抱えたジャケ写真がかっこ良かったので、店に行くたびに見とれていた。というか、彼が抱えているギターが欲しくてならなかったのだった。

 すると、私をよほどのジョニー・リヴァースのファンなのだろうと誤解したらしい店員が、好意でそのアルバムをある日、聞かせてくれたのだった。
 初めて耳にする彼の音楽は。チャック・ベリーのカヴァー等、あえて死語を使うがノリノリのシンプルなロックンロール連発で、あ、こいつはごく当たり前にかっこいいなと思えた。「かっこいい曲なら何でもホイホイ歌ってしまう」みたいな腰の軽さはむしろ、”フットワークの軽い自由な魂の発露”と感じられ、それにも好感が持てた。

 とは言え、当時私がもらっていた小遣いでは、すでに忠誠を誓っていたローリング・ストーンズのシングル盤を買うのが精一杯で、ジャニー・リバースのアルバムなどとても手が届かず、それはそのままになってしまったのだが。
 そしてその後も、ある程度の金が自由になってからジョニー・リバースの盤を買う、と言うこともなかった。それよりも当時、よりナウだったニューロックやら、その後にはシンガー・ソングライターやらアメリカ南部サウンドなど追いかけるのに忙殺されて、いつの間にか”ミスター・ゴーゴー”のことは忘れて行ったのだった。

 さらにそれから長い長い年月が過ぎ・・・私はロック好きのおにーさんからロック好きのオヤジになっていた。
 そんなある日、ネットの上のみの知り合いだった音楽ライターのYN氏が突然、田舎の私の家を訪ねてきた。呆れたことに「レコーディングをしないか?良ければ自分がプロデュースをするが?」との提案だった。

 当時、70年代音楽の掘り起こしがちょっとしたブームで、その時代、レコーディングの機会にも恵まれないまま、ライブハウスや路上やらで歌った過去しかない私にまで、お呼びがかかってしまったのだった。そんな名もないシンガーの、どこを流れていたやら?の伝説(?)を追いかけて、「あ、それはあいつのことじゃないか?」と私に思い当たる彼の執念にも呆れるが。

 「その歳でデビューでもいいじゃないですか、イアン・デュリーの例もあるし」と彼は笑って私の肩を叩き、私の心の底でくすぶっていた青春残侠伝に火を注ぐのだった。
 いつの間にか乗せられて、ギターの弾き語りでデモテープを取った。ギターの腕は昔よりマシになった気がしたが、歌はひどいもので、何より自分の作った歌なのに歌詞がまるで覚えられないのに、我が事ながら閉口した。

 しばらくして、デモを聞いた、YN氏のお仲間の音楽評論家氏からメールをもらった。

 「あなたのその、ジョニー・リバースのライブみたいなワイルドなノリを生かした盤を作るといいんじゃないでしょうか」

 うわぁ・・・これにはビックリしてしまったのだった。

 そのデモテープの中の私は、そう言われてみると確かに、あの日店員が聞かせてくれた壁のレコード、”ウイスキー・ア・ゴーゴーのジョニー・リバース”みたい、とは言わないけれど、そんなものになったつもりのミスター・ゴーゴー気分でギターをガシャガシャかき鳴らしつつ、歌いまくっていたのだった。いや、確かに「こいつ、影響受けやがって」みたいなものが感じられるの、その時初めて気が付いたんだけど。

 三つ子の魂百まで、と言うのはここで使ったら見当違いの言葉ですな。なんて言ったらいいんだろうな。

 ともかくあの時、店員が聞かせてくれたレコードのたった一回の記憶が、パフォーマーとしての私をずっと”あんな風にやりたい衝動”と言う形で支えて来ていたのかなあと、なんだか”遠い目”気分になってしまったのでありました。
 (あ、私のレコード・デビューはその後、プロデューサー役のYN氏とひどい喧嘩して、オジャンになりました)

 いやあ、想えばはるか遠くに来たものです。あんまり成長はしていないんだけどね。歳だけは取った。それにしても、その後、ジョニー・リバースはどんな歌手人生を歩んだんだろうな。それも知らない。ひどい話か。

見えない街、イスタンブール

2007-10-29 02:04:23 | イスラム世界


 ”7'n Eitirdin”by Nazanoncel

 最初、トルコ版の”小倉ゆうこりん”みたいなものかな?とか思っちゃったのでした。

 不思議な衣装を着けてマンドリンを抱えた歌手ご本人のジャケ写真は、我が国のギャル諸嬢がそうするようにクチャクチャといたずら書きで縁取られていて、ピンクのジャケを開けると、これまた奇妙な感覚のカラーイラストが描き込まれた歌詞カードが絵葉書感覚で封入されている。このディープな不思議ちゃん世界。

 もっとも、詳しく見て行くと、収められている曲はすべて自身の作詞作曲で、編曲もプロデュースもご本人の手になり、ジャケのマンドリンも撮影用に持っているだけじゃなくて中で実際に腕前を披露しているし、カラーイラストも自分で描いているし、と言う具合でして。
 この、自身のメルヘン世界を自力で仕切れちゃうあたり、結構ベテランなんじゃないの?って気配あり、不思議少女で通る年齢ではない可能性も大なり。ゆうこりんじゃなく、谷山浩子あたりを想起すべきかもしれないですな、これは。

 飛び出してきた音は、その念の入ったビジュアルに負けない、なかなかに鋭い感性をうかがわせる幻想世界の響きでした。必要最小限の電気楽器とリズムに、トルコの伝統的な打楽器やら、彼女自身の奏でる民族楽器などが絡み、アラブ音楽の伝統にのっとるような、どこかそっぽを向いたような、ともかく非常に私的な響きのする音楽世界。

 こいつはなかなか興味深いポジションにいる人で、だってトルコというか中東の音楽と言うもの、いくらワールドもののファンとしてそれなりに聴き慣れているとは言うものの、やはり現地の者ではない我々には風変わりな異郷の音楽に違いないですから。
 そしてこのアルバムでは、そんな異邦の人たるnazan嬢が、自ら夢想した虚数の世界を音楽を利用して構築にかかっているわけで。異世界の二乗だ。
 はたしてどんな世界が展開されているのやら、好奇心がうずきますな。

 と言うわけでアルバムを腰を据えて聞いて見ますと。

 実は、ジャケのイメージほどブッ飛んだキャラはないですな、彼女。むしろ、しっとりと沈んだ口調で、ほとんどモノクロに近い内省の世界を歌い上げています。もちろん、歌詞はトルコ語なんで、何をテーマに歌っているのかはわかりゃしないんですが。

 アラブの音楽が基礎にはなっているのですが、彼女はそれが本来持っているネットリとした官能性を、ここでは拭い去りました。その代りに音楽の正面に置いたのは、独特の内向きの哀愁と、あちこちに漂う、どこか寄る辺ない放浪の面影。旋律が、ときにロシア民謡っぽく響く瞬間もないではない。
 いつか、本来、故郷であるはずのイスタンブールの街角を、非常な疎外感を持って彷徨する年季の入った文学少女の、長い独白に付き合っている気分になってくる。

 イスタンブールの町の上空には重苦しく灰色の雲が垂れていて。いつもは海の輝きに満ちているはずの、アジアとヨーロッパを隔て向かい合うポスプラス海峡は霧に閉ざされていて。
 そうそう、青少年の頃に私も、そんな気分で街をさすらった日々があったっけ。

 なんて次第で。相変らず正体分からぬものの、その音楽とひとしきり付き合ったら、なんだか私も彼女と心の交流が成立したような。気分になったってのは、それもまた幻想だろうなあ。

次の波を40年間待っていた砂浜で

2007-10-27 21:26:12 | 音楽論など


 「夏だ海だと歌ってるだけのクセして、なにを悩む必要があるんだい?」
 (あるラジオ番組における、ビーチボーイズに対する泉谷しげるのコメントより)

 mixiでお知り合いになった”バッキンガム爺さん”さんと言う方がご自身の日記で、”究極のビーチボーイズ”なる企画をやっておられた。

 これは、爺さんさんがご自身の楽しみのためにビーチボーイズのコンピレーションCDを作ろうとし、20曲を選んだのだが、残りが決まらない。あとCDには9曲入るのだが、さてあなたなら何を入れますか?というものである。
 いわゆるベスト10企画のようでいて、すでに3分の2の曲は決定済みというタガがはめてあるのが新機軸ですな。

 で、さっそくやってみようとしたのだが、どうも意気が上がらない。何か、自分のうちで”ビーチボーイズの推し曲を挙げることによって、自分のポップス論を語りたい”みたいな衝動が熟してこないのですな。
 これはなんなのだろうと首をひねったのだが、つまりは私にとってビーチボーイズというバンドがどこからどこまで”リアル”であるのかよく分からないから、どうもつかみ所が見つからない、と言うところなのではなかろうかと。

 ”無心の時代”といいますか、ビーチボーイズが陽気なサーフィン・ミュージックのヒットを連発していた60年代、私は音楽ファンの初期段階にいて、どちらかと言えばイギリスのビート・バンドに熱中していた。アメリカのバンドには、積極的な興味はなかったのだ。

 とは言えあの頃のポピュラー音楽ファンの通例として、ヒットパレードに興味がないわけはなかったから、その種のラジオ番組は好んで聞いていたし、自然にビーチボーイズのヒット曲には馴染んでいて、いつの間にかいくつかの好きな曲は出来上がっていた。まあ、イギリスのバンドに対するほどには入れ込んでいなかったとは言え。

 それが「こいつら、凄げえや!」とのけぞるハメになった一発が、言わずと知れた、であろう”グッド・ヴァイブレーション”である。能天気な若者のお遊び気分を歌っているだけのバンド(だとしても、それで十分偉大であるのだが)と認識していたビーチボーイズが、こんなにかっこいい”ポップスを超えるポップス”を展開して見せるなんて。それこそ、”こりゃ一本取られたな”でありますな。いやあ、こんなんだったら以前からファンをやっていればよかった。

 そんなわけで大いに見直す気になったビーチボーイズであって、こうなると次の曲が気になってくる。なんでも次の曲はさらに凄いものになる、との噂であります。ところがこれが、いくら待ってもリリースされない。さんざん焦らされたあげく・・・

 問題の”次の曲”を最初に聞いたのは、受験勉強中の夜、机の上に置いたラジオから流れていた洋楽ベストテン番組だったんですが、なんかこれが分かったような分からないような曲でね。もうこちらは聞く前から”凄い一発”を迎える気分は出来上がっていて、盛り上がる用意は十分だったので拍子抜けもいいところです。
 それが例のヴァン・ダイク・パークスとの作業による”英雄と悪漢”であって、まあセンスの良い凝った曲であるのは理解できたが、楽しい曲とは思えなかったし、”グッド・ヴァイブレーション”のようなタイプの衝撃は、そこにはなかった。

 そしてその頃、伝説の闘いが、カリフォルニアのスタジオでは始まっていたのですな。
 ビーチボーイズのリーダー、ブライアン・ウィルソンによる、新しいロックの扉を開けんとする、今日ではもう知らない者もないあの闘いが。”スマイル”なる未完のアルバムに関わる、壮絶な魂の地獄が。

 でも、当時、海の彼方でファンをやっていたこちらはそんなこと知らないから、「な~んだかなあ、ビーチボーイズの次の曲って、あんまり面白くなかったじゃん」と、ブライアンの苦闘の成果の一つを軽く浮け流してしまっていた。

 あ、ここで表現者に対する偉大な芸術家物語やらお涙頂戴物語などを積み上げるのは意味ないですね。
 ミュージシャンなんてものはオノレが好き好んでやっているものであって、嫌になったらやめたらいい、それだけですから。やめずに続けているのはつまり、その仕事が好きなんですよ、結局。好きで続けていることに辛いも何もないでしょ。
 だから、つまんない曲はつまんないと反応するのは、ゼニカネ払ってCD買ったりライブ見に行ったりしているファンとしての正当にして正直な姿勢です。それだけですわね。

 で、話は冒頭に戻りまして、たとえば私はブライアン・ジョーンズが亡くなった時点でローリング・ストーンズは終わったと捉えている訳ですね。その後の活動は惰性、さらにその後は”企業の論理”というカンフル剤を打たれて死につつも生きながらえさせられているゾンビ状態と。

 その伝で行くと、ビーチボーイズって、いつ”終わった”んだろう?いや、まだ続いてるじゃないかと言う方もおられるでしょう、ストーンズのケースと同じく。でも私には今のビーチボーイズは、昔のメンバーの一部が勝手に結成した同名の別バンドと思えてならない。

 あの”ココモ”とかヒットさせているのが、私にとっての”あのビーチボーイズ”と同じバンドとは思えないんですよ。まあ、”思いたくない”と言うべきかも知れないが。ともかく何かが、何かが欠落しているように感じられてならないわけで。そんな連中に”ビーチボーイズ正統”を名乗られても納得するわけには行かない。

 もっともことの性格上、その欠落とは何なのかを誰にも分かるようには説明できないのがこちらも苦しいところで・・・
 ともかく、ブライアンがドラッグ浸りになって隠遁してしまったりバンド内のゴタゴタがあったりメンバーが亡くなったりのドサクサのうちに、すべてがナアナアで解決澄み扱いとなっているみたいな感じで。どうもうさんくさくていけません。

 などと言ってますが、ではそのさらに以前はどうなのか。”スマイル”以前と以後ではどうなのか、また、さらに以前には何かなかったのか、そのあたりは一繋がりに”ビーチボーイズ”扱いは出来るのか、などと考えているうちにビーチボーイズについて考えること自体が面倒になってしまったってのが私の事情で。

 とまあ、こんな実のない話をするのに長い文章を書いてしまって申し訳ない。なんかねえ、こんな事をしてしまうあたり、私には私なりのビーチボーイズへの思い入れがあるんでしょうねえ、やっぱり。それがきちんと文章化できるようになるまで、しばしお待ちを。

二ヶ月早いクリスマス、しかも赤道直下

2007-10-26 02:07:28 | アジア


 ”Dignity”by Angel Karamoy

 そもそもがイスラム教国というイメージも強いインドネシアに、なぜそんなものが存在しているのかがよく分からないキリスト教音楽の”ロハニ”のお話であります。
 そして、どうもこの種の、事情の良く分からない異邦の人間には謎の多い音楽につい心惹かれてしまう物好きな性分の私なのであって。タイだったら仏教ポップスの”レー”に興味津々、とかね。

 ともかく、どれほどの人数がいるのやら知らないけどインドネシアのクリスチャンたちの間でかなりの人気を集めているらしく、新譜も新人も次々に登場してくる”ロハニ”であります。

 このロハニなるもの、要するにキリスト教徒が教会の外で日常的に愛唱する準賛美歌(?)的な音楽なのであって。曲調はことごとく清浄な賛美歌調で、それが洗練された都会派のサウンドに乗り、揃いも揃って実力派の歌手たちにより心を込めて歌われるという美しい世界。

 基本的にはR&Bっぽい志向のポップ・インドネシアの歌手による作品が多くて、だからまあ、その音楽の佇まいを我が日本の音楽ファンに手っ取り早く理解してもらうには、あの”ミーシャ”あたりがクリスマス商戦に向けてリリースしたバラードの新曲など想像してもらえばだいたい当たっています。

 その種のバラードものが粘りっこいインドネシア語で延々と歌われる世界。それがロハニ。

 今回の盤も、そのロハニの新人のデビュー盤なんだけど、聞いていると堂々たるといいますか、落ち着き払った雰囲気で力強くも清純な歌を歌い上げている。これでほんとに新人なのかね?もはや独自の世界を築きかけている、そのある種の貫禄に舌を巻かずにはいられません。

 検索をかけてみると、まあ、この種の人の通例として現地語のサイトにしか出てこないんで、詳細は分からないんだけど、”インドネシアン・アクトレス”といった表現も見られ、もしかしたら女優が本職なのかも知れない。確かにきれいな子ではあります。女優の余技と考えるには歌が上手過ぎる気もしますが。

 こうして日本で勝手にファンをやっている身には、「ロハニ、来ているのかもな?」とか思えてくるくらい盛況に感じられるその勢いなのですが。ひょっとしたら現地インドネシアの大衆には宗教関係なく、単に美しいバラードものの音楽のジャンルとして愛好されているのかも知れないです、そんな気もします。

 それにしても、事情を知らずにロハニを聞いたら、誰も赤道直下の国のポップスとは思わないんじゃないか。だって確実に歌手の肩越しに見える窓のむこうには雪が降ってます、サンタクロースのソリに付けられた鈴の音が聞こえてます。そんな音楽なんだものなあ。どういう気分で愛好しているのか、本当のところを尋ねてみたいですね、これは。

遠雷、アトラスの山より

2007-10-24 04:37:34 | イスラム世界

 ”REGGDIATES VOL.4”by JALAL EL HAMDAOUI

 昨年の我が年間ベストCD10選で、初対面の音楽にもかかわらずその概要紹介的コンピレーション盤が、なんとベスト1に輝いてしまったモロッコのレッガーダ・ミュージック。
 ともかくその際は、こいつは凄まじい音楽に出会ってしまったと、とりあえず驚愕した次第です。

 で、この盤は、まだまだ生まれたばかりと思われるこの音楽の、自分はクリエイターであると名乗る人物、Jalal の新作だそうで。こいつは期待せずにはおれません。(ジャケの写真はなにやら薄化粧して気色悪いですが、これは我が国の大衆演劇とかの世界に通ずるものがある大衆文化のむしろ国際的本道、とでも取っておきましょうや)

 で、さっそく聴いてみれば、その生命力溢れるワイルドなノリにすっかり持って行かれて、唖然とするうちアルバムを聞き終えていた、と言うのが掛け値なしの感想。

 ともかく変則リズムを狂騒的勢いで打ち鳴らす民俗打楽器群と、休みなく吹き鳴らされる民俗管楽器群、そしてそれらが一体となってともかく前のめりで突っ込む狂騒的祝祭世界、という具合で、”PA”とか何とか言うより、そこらのメガホンでも掴んで、イスラミックなコブシをコロコロ廻しつつ怒鳴り倒している、そんなイメージのボーカルの勢いも相まって、ともかく我々スキモノの血を熱くせずにはおきません。

 この音楽の魅力の由来を簡単に言えば、かの国のアトラス山系に由来するベルベル民族のトランス系祝祭音楽が急速に今日化する過程で、外界の音楽からもある種歪んだ形で影響を受けつつ強力にファンキーな方向に捻じ曲がっていってしまった、そのワイルドなありようがともかく魅力的なのだ、とでもなるんだろうか。

 いや、実のある紹介文なんて書けるわけないよ、その音楽の背景も何も、推測の域を出ない状態であるわけだし。この音楽、我が国の活字メディアでも未紹介なんでしょ?
 そんな訳で、まだまだ分からない部分が多い音楽なんだけど、それはともかく、嬉しくなってしまいますな。地球の音楽地図には、いまだにこんな音楽が飛び出してくる余地がある、という事実が。


トロット娘の血は騒ぐ

2007-10-23 01:09:24 | アジア


 ”1st Album”by On Hee Jung

 韓流ブームとか言ってるけど、かのハングル帝国がド演歌の天国である事実などはやっぱり「ないことにしておこう」って扱いで進行してるんでしょうな、ブーム仕掛けサイドとしては。うん、だったらわざとでもかの国の演歌の話を書いておかねばならん。

 以前、ここに紹介したこともあるLPG(ロング・プリティ・ガールズ)の人気爆発なども要因となっているのだろうか、ここのところ、なかなか生きの良いトロット演歌の新人女性歌手のデビュー盤に出会うことも多い韓国の音楽シーンである。あちらでは、本当にトロット演歌のブームが来ているのかな?それも、若い女性歌手主導で。

 そのジャケなどみるとどれも、今回のものもその好例なのだけれど、まるでアイドル歌手のそれかと見まごう可愛さである。まあ、本人のルックスのクオリティもそれなりに高いんだろうけど、カメラマンも相当に入れ込んで撮っている感じだ。
 その辺、スタッフ連中が若い男たちの需要を標的に仕掛けてきているなと思わざるを得ない。これはやっぱり本気でブームに持ち込んでゼニ儲けする目論見なんだろう。

 で、ジャケの意匠は可憐なアイドル歌手なのに、収められた音は堂々のド演歌である。その辺の落差が妙に楽しく、見かけるとつい購入してしまうのですな。

 昨年の我が年間ベスト10に入れた”Noyuni ”のアルバムもそうだった。あれもアイドル顔の女の子がキリッとこちらを見つめ、タイトルなんか英語で”Love Always Finds a Reason ”と銘打たれ、でも内容を聞いてみれば打ち込みリズムに乗ったど根性娘のパワフルなコブシがこだまする大演歌大会なのだから、これは痛快だ。

 今回の On Hee Jung 嬢も、なんだかグラビアアイドルみたいなルックスに、Noyuniよりもさらに実力アップした歌唱力で本格演歌を熱唱していて、これは迫力。ドスンと腹に響くコブシ・ボーカルで、しかもアレンジこそディスコ調なれども、楽曲自体は相当にディープに韓国演歌の根幹に根ざすもので、聴き応え十分。

 このアイドル演歌ムーブメント、このままドンドコ白熱していってくれること、大いに期待するものであります。ジャケを見ているだけでも十分楽しめるってのも嬉しいよねえ。

夕ご飯に間に合うように

2007-10-20 23:58:56 | いわゆる日記


 昨日に続いて音楽に関係ないCM話で恐縮ですが。

 あれは電気かガス関係の会社のCMだったと思うんだけど。若い夫婦が主役でね。

 ダンナの方が会社から家に電話をかけている。で、最後に奥さんが「晩御飯はどうする?」とか尋ねます。するとダンナは、仕事上の付き合いもあるんでしょう、そんな感じで、「いいよ、外で食べて行くから」なんて答える。で、奥さんは、「そう・・・ううん、いいの。まだ作っていなかったから」とか答えるんだけど、電話を切る寸前、炊飯器の音声通知機能が「ご飯が炊き上がりました」なんて”喋って”しまう。

 晩御飯の用意はしてたんですな、この奥さん。でも、ダンナに気を遣わせまいと、「まだ作っていなかった」とか嘘を言った。ところが炊飯器の音声が電話の向こうのダンナの耳にも聴こえてしまい・・・

 ここで暮れ行く町並みを走り抜ける電車が画面に映りまして、次のシーンでは、「ただいま」とか言って我が家の扉を開けるダンナの姿が。仕事をやりくりして、あるいは断って、家に帰ってきたんでしょう、奥さんの作ってくれた晩御飯を食べるために。
 と、心温まっているのは勝手なんだけどさあ。

 炊飯器が「炊き上がりました」と言ってから、ダンナが家に帰り着くまで、どのくらいの時間がかかってるんだ?映像を見る限りでは、かなり大きな都会暮らしのようだし、ちょっと隣の町内の会社に出勤、てなものではないでしょう。部屋を借りたにしても家を立てたにしても、自宅は結構遠いぞ。通勤に1時間や2時間はかかるのが普通だ。

 ダンナも何も伝えず、”意外にも予定通り帰宅して奥さんを驚かす”というコンセプトで動いていたようだしね。帰ってきたはいいけれど、奥さんはすでに諦めて料理は中断、下ごしらえしかけの材料なんかはラップに包んで冷蔵庫へなんて具合で、”いまさら帰って来ても困る。外で食べてくるって言ったじゃない!”とか、そういう状況になってしまったりするんじゃないのか、ほんとだったら。

 このパターン、CM屋さんて結構好きですね。
 昔、これはなぜかはっきり覚えているけどオージービーフのCMで、同じ発想のものがあった。

 やはり電話の向こうで「今日はこれから付き合いがあるんだよ」とかいうダンナに、奥さんがフライパンの上で焼きあがろうとしているステーキのジュージュー言う音を受話器越しに聞かせ、そのうまそうな音を聞いたダンナは舌なめずりしつつ家に飛んで帰り、ビーフのおかげで今日も一家は明るい食卓を囲むことが出来ました、なんて話。

 これも相当なものだぞ。たった今、フライパンの上で焼かれている牛肉を、大急ぎで会社から家に帰って食べごろのうちに食べるなんて芸当は、会社の隣に家でも建てなきゃ無理だろう。

 もっとも事実はCMよりも過酷で、あの故・寺山修司が若く、まだ実母と暮らしていた頃の話が凄い。

 その日は家で食事をすることになっていたので、母は寺山が好きなハンバーグを夕食に用意していた。が、出先で寺山は急な用事が出来てしまい、結局、家に帰り着いたのは夕食の時間を何時間も過ぎた頃だった。
 帰宅した寺山が家のドアを開けると、母親は憤怒の表情で、「お前がいくら待っても来ないから!」と言い、テーブルの上の皿に焦げ臭い煙を上げる小さな黒い塊を乗せ、「食え!」と言った。

 なんと寺山の母は、寺山が帰って来るまでの数時間、ずっとフライパンでハンバーグを焼き続けていたのだった。おそらくは心尽くしの料理を軽視され、夕食を放置されたことに立腹したゆえの嫌がらせとして。

 どうだ、CM屋諸君。このエピソードを何かの宣伝に使う気はないかね。
 

不可解なるCMソング

2007-10-19 16:10:41 | いわゆる日記


 小田急ロマンスカーの、”あなたは今 どの空を見ているの♪”とかいう、長年あそこのCMに使われている歌の歌詞が不可解だ。

 ”水平線がゆっくりと 一つに重なれば♪”

 とかいうんだけど、”水平線が一つに重なる”ってのは、どういう意味だろう?
 CMで描かれているあの瞬間まで、水平線は複数、存在していたのか?

 水平線とは海と空とを分かつ境界線なのであって、そんなものが何本もあるはずは無い。それが”重なる”ってのはそりゃ、どこの天体の話だ?

 分からんわ、いくら想像力を逞しくしても。

馬来之伊達男

2007-10-18 03:11:44 | アジア


 ”Semalam”by Sean Ghazi

 上着を脱いだネクタイ姿で長椅子にポーズをとる伊達男ぶり、いやいや最近はちょい悪オヤジと言うのか、ともかくアルバムの主人公、”Sean Ghazi”は、本職はマレーシアの大物俳優なんだそうだ。確かにそんな感じだなあ。
 で、歌自慢でもあるのでしょう、こうしてちょっとお洒落で切ないノスタルジックな”ジャズ”ボーカルもののアルバムを出した。

 ”マレーシアのナット・キング・コール”というレコード店の惹句があったので、なにしろこちらは思い切りキング・コールのファン、否応も無く購入したのだった。
 針を下ろすと(CDだけど、音が音だけに、この表現を用いたい)聴こえてくるのは、確かに懐かしい”ジャズソング”の数々。あくまでもソフトな、しかしゆるぎない歌唱力でSean Ghaziは楽しげに歌いまくっております。

 その他、ラテン音楽を取り入れたダンスナンバーも含まれているあたり、まさに”大衆歌手としてのナット・キング・コール”に通ずるものがあって、ちょっぴり嬉しくなる。
 その一方、マレーシアのフランク永井ってな気もしてきますが。つまりそれだけ、お洒落なばかりではなく、ドメスティックな庶民音楽の親しみもまた、どこかに流れている。
 欧米風アイスクリームの味の奥底に、なんかドリアンの芳香が気配として残っている。そんなニュアンスで、マレー音楽の魂が音楽のボトムに息付いている。

 収められている各曲の出自はしらねど、昭和30年代には我が国の”洋楽ファン”にも愛好されていたような、古いタイプのジャズ調、というかどちらかと言えばミュージカル映画の挿入歌みたいな感触もあるものがほとんど。”純ジャズ”と言うよりは、60年代はじめのアメリカのポピュラー音楽フォロワー、と受け取るべきでしょうな、この歌手は。

 編曲のセンスなどにうかがえる健全な夢の時間の表現志向は、ときにディズニー映画のサントラなども思い起こさせる。
 かってマレーシアの地に、このような音楽が(おそらくは一部の階層で)愛好されていた事実があるのだろうか。愛好され、この地で新しい曲が書き上げられ、人々に好んで歌われ・・・そのうちその内幕を調べてみたいが、収穫があるやら心もとない。

 以前、映画”ブエナ・ヴィスタ・ソシアルクラブ”を見ていたら、ライ・クーダーがキューバの老バラード歌手を指し、「キューバのナット・キング・コールだ」と畏敬をこめて呼んでいたのが、わが意を得たり!で嬉しかったものだ。
 青少年の頃は、激しいリズムの尖った音楽、芸術性高い表現、などなどを偉大な音楽と思い込んでいたものだが。なに、甘美なメロディを音楽の専門的知識など持ち合わせない大衆の懐にトロッと流し込みその心を奪ってしまう優男のバラード歌い、なんてのが一番ヤバいんだよ、実は。
 

喪われた第2国道

2007-10-17 00:19:33 | その他の日本の音楽


 この間、夜の国道を車で走っていて思いついたんだけど。いや。本当はずっとそんな風な事を思っていたような気もするんだけれど。トム・ウェイツの初期の曲、”Ol'55”と、フランク永井の”夜霧の第2国道”って、ほとんど同じ曲じゃないか。いや、もちろんメロディも歌詞も違いますよ、でもなんか存在が似てないか。

 なんて言ってももはや、どちらの曲も若い人は知らん、てなものかも知れないですが。

 トム・ウェイツは時代遅れの50’ビートニク風酔いどれ詩人を気取った70年代デビューのアメリカのシンガー・ソングライターで、”Ol'55”とは彼のデビュー・アルバムの冒頭に収められていた歌。

 なさぬ仲の恋人の家からの朝帰り、みたいなシュチュエーションを歌った歌だった。闇に紛れていられた夜が終わり、酷薄に現実を突きつけてくる朝が始まる、その白々とした風景を”Freeway cars and trucks,”なる言葉の繰り返しで描いたエンディングが印象的だった。

 一方のフランク永井は昭和30年代に、そもそもがジャズ歌手であるという出自を生かした、当時としてはメチャクチャお洒落な”都会派歌謡曲”で人気を博した”低音の魅力”が売りの歌手だった。

 夜霧の第2国道の歌詞はうろ覚えだなあ。”辛い恋ならネオンの海に 置いて来たのに忘れて来たに~♪”なんて歌い出しだった。フランク永井にしてはストレートな演歌の曲調と言えようが、フランクの歌唱スタイルや編曲などで、都会派歌謡の面目は保っていた。

 第2国道とは、東京から横浜方面に下るあたりと記憶しているが、この歌の流行った昭和30年代は、もはや”戦後”も終わろうとし、高度成長経済が走り出して豊かになる日本社会、それを一方で牽引する自動車社会の到来、なんてあたりを象徴した歌とも言え、やはり時代の最前線を描いていたのだろう。

 一番の歌詞からしてうろ覚えなんだから歌の分析どうこうもないが、失った恋を忘れようとして忘れられない歌の主人公は、東京=横浜間で車のハンドルを握りながら、夜霧を貫いて走る車のヘッドライトの光芒の向こうに、かっての恋人の面影を幻視したりするのだった。

 どちらも、歌われているのは車のハンドルを握った流民の姿だ。現実が、産業が、巨大な音を立てて容赦なく歩を進めて行く。そのありようを横目で眺めながら、女への未練などという”些事”に心奪われ、鋼鉄の行進からずっこけて行く。すなわち心情的流民と化す。

 片々たる庶民のそんな日々の哀感表現が、基本は大いに時代遅れの裏町詩人である当方には、心奪われてならない。そんな”誤差の範囲内”みたいな感傷を軽く飲み込んで、時代は次の扉を開けて行くのだが。Freeway cars and trucks・・・と。