ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

遠きにありて

2011-05-31 04:26:27 | その他の日本の音楽

 ”もうひとりの私-ちあき船村徹をうたう ”

 前回に続いて、船村演歌についての話をまたはじめてしまいます。すまんこってす。

 幼い頃、ふと目覚めてしまった深夜に遠く聴く夜汽車の汽笛の音などというものほど凍てつく孤独の塊の如くあるものもなかった。その車両の片隅に座り込んだ魂が抱え込んだ地獄のように深い孤独を思うと、それはもう恐怖そのものといっていい感情が沸き起こり、慌てて布団の中に頭からもぐりこんだものだった。
 あるいはすでにこちらは大人になっていて、まさにその夜汽車の乗客になっている。自分が好き好んで始めた北を目指す旅の途上である。時はすでに夜半を廻り、汽車は北国の名も知れぬ駅を通り過ぎるところである。夜汽車の窓を飛び過ぎて行く遠くの街の灯りを思う。それは広大な夜の闇に比すればあまりに頼りない小ささで、漆黒の中に光を放っている。

 ふと思う。あの明かりの中、名も知れぬ街のあそこに自分と本当に理解し合える懐かしい人々、まだ逢った事はないが懐かしい人々はいて、だが自分はその人々とは永遠に出会う機会はないのだ、などと。そして街の灯りは遠方へと飛び去って行く。
 ちっぽけなセンチメンタルだが、なに、人はそんなつまらないものにすがって生きて行くものだ。
 で、いまここで、ちあきなおみが船村徹作品ばかりを歌ったアルバムを前にしているわけだが、演歌作家船村徹のソウルのありようというのは、そのような”遠方”を透視する感性ではないか、などと思っているのだが。

 彼の作品で私が最初に強烈な印象を受けたのが”涙船”だったのだが。北島サブちゃんの歌唱が印象的なあの曲、なにしろ「別れの記憶を反芻する涙の雫がゴムの合羽に染み透って行く」のだ。寒風吹きすさぶ北の海における漁場の一叙景。
 そんな凍りつくような、そして彼の故郷である北の国と二重写しになる一場面を船村は想っている。はるか東京のネオン瞬く紅灯の巷で。
 あるいはまた”あの子が泣いてる波止場”。浮気なマドロスは、もうとうの昔に後にして来た潮風の匂う街で出会った、心の純な娘の思い出を反芻している。思い出したところで、もう戻れる世界ではないと、波頭が笑っている。そんなこともあるのだろうと、とりあえず船乗りではない船村は想いを馳せながら、五線譜に陽気な、けれどいつか淋しいメロディを書き印した。

 あるいは空間が、あるいは時間が、あるいはその両方が心のあるべき場所から遠く遠くへ人を連れ去って行く。それは後にして来た故郷であったり別れた女であったり、つぶれてなくなった飲み屋であり、若くして亡くなった親友であったり。
 もう戻らないそれらとの距離を越えようとする思念のありようが船村の切なさの存在証明だ。意味分からない文章だ?いや、私もそう思いつつ書いているから大丈夫。まあ、気分で読んでいただきたい。




さだめ川ランブリン・ブルース

2011-05-29 04:43:18 | その他の日本の音楽

 ”さだめ河”by ちあきなおみ

 ちあきなおみは以前、「演歌でも船村徹先生の曲なら歌ってみたい」などと言い、船村先生の作品集をリリースしたりしているのだが、彼女のそれほどまでの”船村評価”の根拠と言うのはどんなものなのだろう。船村氏のどこが好きだったの?その内容を知りたくて調べてみたのだが、見つからなかった。

 そもそもがこの船村先生というのが興味深い人物である。
 たとえば同じ演歌作曲の大家、遠藤実先生と比べてみよう。彼は家が貧しくてまともに学校に通わせてもらえず、手の届かなかった学園生活への憧憬を込めて舟木一夫の「高校三年生」を作ったなんて話があるわけだが、船村先生は地方の金持ちの息子であり、音楽学校にまで通わせてもらっているのである。それは作曲家として名を成すまでの苦闘等、さまざまあっただろうが、基本的に”天然”の人ではない、と言う現実がある。
 そんな人であるからこそ、海の向こうの新進歌手であるプレスリーの”ハート・ブレイク・ホテル”に対抗心を燃やし、小林旭の”ダイナマイトが150トン”を作ったりもするのである。それから、歌謡曲マニアにはお馴染みの”スナッキーで行こう”とかね。

 そういう人が、どちらかと言えば”天然”の人の方が有利であろう大衆音楽のフィールドで演歌に燃やす情熱、というのも内心、なかなかに屈折していると考えるほうが自然じゃないうのか。実際、船村先生のメロディ、分析的に見てみると相当に技巧的な部分が表れてきたりもするのである。
 とはいえ、エモーショナルなものがなければ長いこと演歌の作家として第一線で活躍できるわけもないし、その辺の内的構造、知りたいものだなあ。

 と、ここで取り上げるのが、そんな船村先生が書き下ろした真正面からの演歌、”さだめ河”である。温泉街盛り場育ちの身の上から言わせてもらえば、さまざまな運命に翻弄された人生の敗者たちが、ネオンの灯りとアルコールの匂いに満たされた夜の大気の中で溶けるように情愛の世界に崩れこんで行く、そんな崩壊感覚の向こうに燃える陶酔の様相が見事に描かれた傑作と思う。
 こういうものはそれこそ、”エモーショナルなもの”と技巧とのせめぎ合いの末に出てくるものなんだろうな、やっぱり。





モスクワの倦怠、偽の左岸を夢見る

2011-05-27 23:21:32 | ヨーロッパ

 ”12 историй”by Настя Задорожная

 さて、ロシアの美少女歌手として、その筋では知られるナースチャ・ザドロジュナヤちゃんの2009年度作品、「12の歴史」であります。彼女のアルバムを聴くのは初めて。「ジャケ買いですまん」とか言って浮かれた文章を書きたいところだけど、そういう気分にもならない。まるでアイドルのアルバムって作りでないからであります。
 歌詞カードには歌手のさまざまなポーズを取った写真が載っていて、彼女の容姿に惹かれてCDを手にするような連中相手の商品であるのは明白なんだけど、収められている音がさっぱり心浮き立つようなものではないのですな。

 まず冒頭、聴こえて来るのは延々とむさい男の声によるロシア語のラップでありまして、手違いで別の歌手のCDが封入されているのかと心配になってくるほど。やっとナースチャの歌声が聞こえてきても、彼女は結構ドスの効いた声でぶっきらぼうに歌う人なんで、華やぎというものがないのですな。収録曲のメロディラインも薄暗い印象が強いし。あ、サウンドはロシア名物、打ち込み音も冷え冷えとしたスラブ風ファンクです。
 それにしても、アルバムを覆う武骨とさえ呼びたい雰囲気はなんだろう。変な言い方だが、各歌の一人称単数を直訳すれば「俺」になるみたいな印象。アイドル・ソングっぽくないどころではない、オヤジくさいとさえ言えそうなタッチで語り下ろされる日々への違和感が、無機的なリズムを打ち込まれたダルいメロディに乗って流れて行く。

 冒頭のラップを聴かせた男は何者なんだろう。その後も再三、歌ったり語ったりでアルバムに顔を出し、単なるゲスト以上の存在である事を誇示しているようだ。そういえばよくナースチャと写真に写ったりしているヒゲ面の中年男がいるけど、この歌声が彼なのだろうか。と、ここまで考えて、やっと分かったのだった。この男、ナースチャのプロデューサーのような立場にいる男で、セルジュ・ゲーンズブールを気取っているのだ。

 だらしなく着崩したファッションで無頼を気取り、使えそうな女を見つけてきてはスターに仕立て上げるのを得意技としている、あの無精ひげと咥えタバコが売り物のフランスの洒落男に、この、どういう立場か分からん、プロデューサーなのか作曲家なのか、この男は憧れている。そしておそらく、それなりの実績をロシア国内ではあげて来ているのではないか。
 たとえばここではナースチャが彼の”作品”であるのだろう。彼女はブリジット・バルドーなのか、ジェーン・バーキンなのか。彼女自身も、彼の”芸術的なプロジェクト”に、そんな形で参加できるのを誇りに思っていたりするのではあるまいか。

 もちろんロシア語は分からないのだけれど、歌詞の内容が理解できたら。ますますうんざりするんだろうなあ。とは思ったものの、もう二度と聴きたくないかと問われたらそうでもないような。変なことやらされてるナースチャを聴く、不愉快な面白さみたいなものを、このアルバムに見出してしまったから。
 でも、ちゃんとした軽薄なアイドルアルバム(?)を、一度、作ってやってくれないものか。そういうの聴きたいんだよ、ロシアのゲーンズブールさんよ、と私は名前も分からないその男の写真に向って呟いたのであります。まったくややこしいぞ、大衆音楽の真実。




アテネ・ヨーロッパの午睡

2011-05-24 03:37:40 | ヨーロッパ

 ”EISITIRIA DIPLA”by NATASSA BOFILIOU

 夕刻、降り始めた雨は夜半に入ってさらに勢いを増し、軒先を伝い落ちる雨の雫の垂れ落ちる音が妙に存在感を持って響いて、こちらの気持ちを憂鬱にさせます。明日は一日、雨なのかなあ。
 こんなときは逆療法と言いますか、雨に振り込められた表通りと同じくらい湿度の高い感じの音楽を聴いてしまったりすることもあるわけで。
 ナターシャ・ムポフィリオウとでも読むんでしょうか?ギリシャの歌い手であります。まだ20代の半ば、これが3枚目のアルバムとのことなんで、今が美味しい感じの(?)新人歌手と言うところでしょうか。

 挿入されている歌詞カードを兼ねたブックレットに詳細な解説が掲載されているようだがギリシャ語なんで一言も分からず、というか、どう発音するのかも見当がつかないギリシャ文字。彼女がどんな歌手なのか、まったく分からぬまま聴き始めたわけですが、まあ、毎度お馴染み、彼女が美しかったがゆえのジャケ買いですけん、これでいいのだ。

 実はジャケで彼女が着ているのを最初、古いタイプのトレンチコートと勘違いしていて、なんか昔のスパイ映画の一シーンみたいだなあ、なんて思ったのでした。
 当時、冷戦の最中だったから、ポスポラス海峡を抜けて黒海の向こうはすぐソビエト連邦というロケーションのギリシャは、結構諜報戦の舞台だったんじゃないか。
 ブズーキの妖しげな旋律が響く喧騒のアテネの街の雑踏に紛れて消息を絶つ女スパイ一人。
 昔の映画ってさあ、物憂い昼下がりの窓から差す弱い陽光、なんてものまで風情があったもんですなあ、あれはどういうわけですかね。それともこれは、年寄りの感傷に過ぎませんか?

 ナターシャ嬢の歌うのは多くはマイナー・キーで、どれも濃厚な哀歌。悲痛で、時にミステリアスな影を宿す、深い深い何かを秘めた旋律。達者な歌唱力で、それを切々と歌い上げて行くナターシャ嬢であります。重々しい、堅牢と言っていいアレンジを付されてそれらは、落日の町並みで悪巧みを凝らす古きヨーロッパの屈折した苛立ちの表出みたいに響きます。
 長い歴史を秘めた街角の底を蛇のように這いまわり、そして物語は孤独なスパイの背後から放たれる一発の銃声で突然の終わりを告げる。そして街は、何事もなかったかのように、また新しい一日を始めるのです。



売り売り帰るアフリカ瓜売りの声

2011-05-23 03:59:09 | アフリカ

 ”ALHAJI ODOLAYE AREMU / VOL.3”

 ナイジェリア西部の伝承芸能にエグングンという仮面舞踏があり、そこから派生したのではないかと想像されている”ダダクアダ”なる音楽を聴く機会を得た。
 音楽の形式はと言えば、毎度お馴染み、ヨルバ名物というか定番のトーキング・ドラムをメインに置いたパーカッション・アンサンブルと、それをバックにリード・ボーカルとコーラス陣がコブシのかかった掛け合いを聴かせる、という代物のようだ。実際、バンド(というのかどうか)のメンバーをずらりと並べたジャケ裏の写真など、アパラやフジのそれと、とりあえず見た目は変わるところはない。

 盤は、かってアナログ盤として世に出たもののCD化であり、オリジナル盤は1978年に世に出ている。ちなみに歌手は60年代から80年代にかけて活躍した人であり、すでに故人だ。
 伝承芸能より派生と言うことで、なんとなくご詠歌調の陰気くさい歌を聴く羽目になろうと想像していたのだが、実際に音を聴いてみると、意外に明るい声の調子に驚かされた。何かひょうきんな印象さえある。歌手たちは皆が終止、笑顔で歌っていると言われても納得出来る。

 この系列の音楽を代表するフジやアパラの重々しく影や険のある響きとはそのあたり、あきらかにタイプの違う音楽である。おめでたい陽性の響き。むしろ私などには、幼少期の記憶にある物売りの声や夜回りの声調を思い出していた。
 「火の用心、さっしゃりましょう~♪」とか、「金魚え~金魚っ♪」「玄米パンのホッカホカ~♪」などなど、記憶に残っている呼ばわりの声が、このとんでもない遠国の伝統歌謡を聴くうち、蘇ってきたのだ。
 あるいは昔、役者の小沢昭一が「日本の放浪芸」などと称し、街角で伝承されてきた角付け芸の呼ばわりの声などをレコードに収めていたが、そこで聴かれた、まだ家々の門口で新年の祝いなど演じていた頃の”漫才”などもこの音楽に近しいものと感じられた。
 この辺は、アフリカからユーラシア大陸を貫いて走るイスラム演歌連鎖域の可能性などと並べて考えてみたいところだ。これらの音楽も、何事かを寿ぐために奏でられていたのか?非常に興味深い。

 盤の2曲目、というかアナログ盤時代はB面だった部分が始まると、音楽はそれなりに高揚を迎える。
 伴奏のドラム陣も白熱化し始め、バックのボーカル陣が同じフレーズを何度も何度も繰り返してはリード歌手をけしかけ、また聴衆をシンプルな熱狂のほうに向けて導こうと企む。やはりだてに太鼓が並んでいるのではないなあ、いかに”縁起物”の響きがあろうと、これは大衆の間に生きて機能中のダンスミュージックなのだと、当たり前のことに気がつきつつ、とりあえず最初のレポートを終わっておく。しかしこれ、もっといろいろな盤を聴いておきたいね。




ソン・ダムビ、女王あり、乙女歌あり

2011-05-22 04:04:01 | アジア

 ”Type B” by Son dam bi

 雑誌みたいな手触りのミニ写真集付きの凝ったジャケであり、いかにも「満を持して真打登場!」みたいな気合いが伝わってくる、ソン・ダンビ嬢のデビュー・アルバム。 何の真打かと言えば、韓国のセクシー・ダンスクィーンの、である。そういえば、このアルバムに先行する予告編たる(?)ミニ・アルバムのタイトルも、そのものズバリ「クィーン」だったのだ。
 ネットなどを覗いてみると、ダンビ嬢を「最近韓国で流行している“セクシーダンス”とは違い本格的な“パワフルなダンス”で“韓国のビヨンセ”と称されている」なんて紹介文に出会うことがある。
 問題のジャケの写真も、あのやたら目を吊り上げて描く韓国化粧も濃厚にカリスマ・スタイリスト大動員、もうめいっぱい行ってしまっているファッションに身を固め、時代の先端に飛び出す者の輝きで眩いばかりである。さすが、所属事務所も決まらないうちからCM出演の依頼が続々と飛び込んだという逸話が納得できる逸材の証明と言えよう。

 実際、収められた楽曲も、どれも一癖あるものばかり。このデビュー・アルバムのコンセプトは副題にあるように「Back to 80's”」となっているようだが、スタッフはそれらしい楽曲を用意するに飽き足らず、レコーディングにいたって80年代当時の録音機材まで揃えてしまった、という入れ込みよう。
 まあ当方、60~70年代の仔であるのでその辺の成果のほどは良く分からぬが、よく出来たダンスポップスのアルバムと評価するにやぶさかでない。
 あえて過ぎ去った時代の魂を今日の風俗最前線に持ち込むというバイアスのかけ方は、アルバムの表現に独特の緊張感をもたらすことに成功しており、湿った激情とでも言うべき、独特の熱っぽさがアルバムを支配している。なかなか快感である。

 でも、ちょっと違和感が伴うのは肝心の主役のダンビ嬢の声質である。なんか、”ダンスクィーン”とスポットライトをあてるには、やや線が細くないか?いや、下手だといっているのではなく、なんだかエエトコのお嬢さんがとんでもないところに引っ張り出されて戸惑いつつ、必至で与えられた役割を演じている、みたいに聴こえる歌唱とも聴こえるのである。
 強力なバックサウンドにごまかされずに注意深く耳を傾ければ、ダンス曲の狭間に置かれた可憐なバラード、「ゆっくり忘れる」などの慎ましやかな昔ながらの乙女世界が彼女の本領と分かってくる。
 この辺が、ちょっと面白いのですね。

 根っからのビッチと想像できる同業のダンスクィーン、イ・ヒョリなんかとは決定的に違う佇まいである。そういえばダムビ嬢、もともとは女優志願の人であった、とのこと。事務所の事情など、いろいろあるのかも知れないですなあ。
 また、ダンスで売り出すと決まったはいいが実は彼女、あまりダンスのセンスはなく、しょうがないからデビューを前にしてアメリカに三年もダンス修行に出された、なんて話も聞いた。
 ・・・三年て、なあ?さすが男は万人が徴兵されて鍛えられる国である。半端なことはしない。その辺、アマチュア同然でデビューさせ、プロらしくなって行くのを見て楽しむ、日本の緩い芸能界とは決定的に違う。
 なんて昔ながらの裏構造を勘ぐりながら聴く、大衆音楽ビッグビジネス部門。いやあ、罪深くも甘美なものでございます。





東京電力の長い午後

2011-05-21 06:11:37 | ものがたり

 冷え切った空気が大地を張り付くように覆っていた。力ない光を放ちながら灰色の空を、ゆっくりと太陽が横切って行く。埃っぽい道は地平線に向ってまっすぐに続いていた。道の両側にはひと気のない田舎町が広がっている。
 ひょろ長い体に青い作業服を着け、集金鞄を下げた耐放射線ロボットは、途方に暮れた眼差しで街を眺めた。この街・・・人影も見当たらない廃墟の町にしか見えないのだが。
 それでも職務に忠実な彼は通りの入り口の商店に入り、声をかけた。
 「ごめんください。東京電力のものですが。電気ご使用量の集金にうかがいました」
 返事はない。気がつけば薄暗い商店の中には厚い埃が降り積もり、およそ人の暮らしの気配はなかった。
 彼が製造され、東京電力に配属されて最初に申し付かった仕事がこれだった。
 ”もうどこからも電気料金の振込みがなくなってしまった。だから一軒一軒、契約家庭を廻ってメーターの検針を検め、直接電気料金を徴収して来い”
 そして彼は、上司たるメイン・コンピューターから渡された地図を片手に、この街にやって来たのだ。しかし。
 
 彼は、もう見ることの出来ない子供たちの笑顔や失われた日本人たちの暮らしを想い、自分がもし人間だったらきっと、ここですすり泣いたりするのだろう、と思った。
 いや。何を泣くことがあるだろう。確かに日本人は滅びてしまったが、東京電力は守られたのだ。国の庇護の下、株式会社として残ったのだ。もういなくなってしまった日本国民たちの税金を使って。そして今日も原発は順調に確実に、電気を町に送り続けている。
 何を文句があるのか。この状況に文句があるなら代替案を出せ。この便利な生活を、原子力無しで、どのようにして守ろうと言うのか。文句があるなら電気を使うな。
 ロボットは出もしなかった涙を拭う真似をし、立ち上がった。
 命令に従うのはロボットの責務。なんとしても彼は電気料金の集金を果たさねばならなかったのだ。



貸し本屋系アフロポップス

2011-05-20 01:29:17 | アジア

 ”YOU KERE YOU WOWO”by TUNDE NIGHTINGALE

 トゥンデ・ナイチンゲール(1922-1981)なるジュジュ・ミュージックのアーティストに関しては、サニー・アデがワールドミュージック・ブームの波に乗って世界を舞台に飛躍を始めたその頃に聴いたことはあった。当時、通っていたレコード店の店主氏が当時としては入手が非情に困難だったらしいナイチンゲールの盤をカセットに入れて、「参考までに」とプレゼントしてくれたものだった。

 とりあえず、ナイジェリアのローカル・ポップスたるジュジュ・ミュージックが成熟して行く過程で、オリジネイターがおりエレクトリック化の旗手がおり、といった流れの中の、新旧世代の橋渡しのようなポジションにいた人とか、そんなぼんやりとした理解があったが、それで正しいのかどうか、いまだに分からない。
 聴いてみたその音は、正直言ってかなり退屈で、世界を舞台にゴージャスなジュジュ・ミュージックを叩きつけるアデたちに比べると、昔ながらのハイライフ音楽の尻尾をくっつけた古臭い音楽としか思えなかったのだった。

 そんな時代もはるか彼方に去った今。ほんの気まぐれで久しぶりに聴いてみたトゥンデ・ナイチンゲールの音楽は、あれあれなんだか不思議に心惹かれるものがあり、一発ですっかりファンになってしまったのだった。時の流れはいろいろなものを変える。
 そのナイチンゲールなる芸名のいわれなのだろう甲高い鄙びた歌声は、奇妙にすっとぼけた鄙びたファンキー感覚を伝えて来て、ワイルドに刻まれるギターと、ナイジェリア名物トーキング・ドラムとの絡み合い織り上げるリズムも心地良く、実に心地良くこちらの疲弊した心をマッサージしてくれる。

 なんとも愛嬌のあるサウンド展開に身を任せているうちに私の脳裏に浮かんできたのは、昔読んだ赤塚不二夫の漫画に出てきたチビ太の姿だった。いつも串に刺したオデンを片手に掲げ、走り回っていた下町のガキの姿。なんだかあれとナイチンゲールの音楽が二重写しになって来た。ビンボにもめげずに無心に遊びまわる少年の幼いバイタリティの発露と、甲高いがゆえに醸し出される”成長を拒んだ子供”的雰囲気が独特の邪気となって放出されているナイチンゲールの音楽世界に、通ずるものがあるような気がして来た。

 それからこれは、無茶な話なんで小さな声で言うのだが、そのギター・サウンド、フレーズの作りや曲自体の構造の奥には、なにやらロック・ミュージックに通ずるようなエッジの鋭さを時に感じたりもする。
 いやまあ、ナイチンゲールの生年から言って、そんな音楽の影響があるはずはないんだけどね。

 全体的にナイチンゲールの音楽って、マンガっぽくないか?それも、昔あった貸し本屋の安っぽくも暖かい、懐かしいマンガ本のイメージ。なんて、限定された層にしか通じないような事を、まあ、言いたかったわけですな。すいません、長くなりすぎたんで、ボロボロのままですが話を終えます。




カミソリ野朗の帰還 at ナイジェリア

2011-05-19 00:19:45 | アフリカ


 ”SWEET SIXTEEN”by KOLLINGTON AYINLA

 あの1970~80年代、フジ・ミュージック全盛のナイジェリアにおいて、創始者アインデ・バリスターと火の出るようなイスラム吠え王合戦を演じ、フジ・シーンを大いに盛り上げていたカミソリ歌手、コリントン・アインラの、傑作と名高いアルバムがCD化され、こうしてここになんとか私も手に入れることが出来ているという事実を、とりあえず喜んでおきたい。

 CDを回転させると、まず飛び出してくるコリントンのアカペラ・ボーカルの、まさに鋼鉄の如き研ぎ澄まされたコブシ回しにドキリとさせられる。そうなんだよ、このヤバさが良い。フジとはこうでなくてはいかん。灼熱のナイジェリアの大都市ラゴス、その闇に蠢く人々の欲望を一固めに捏ね上げたようなヤバイ黒光りを込めて屹立する異物。その脈打つ禍々しさがフジの命なのだ、と遠方より勝手に決め付けさせていただく。
 バックに控える、トーキング・ドラムが引っ張るパーカッション群も、地獄の底から響いてくるようなディープな重苦しさを孕みつつのたうち、絡み合い、深いビートを織りなして行く。その重心の低さがもたらす強烈な覚醒に打ちのめされたまえ。

 良いねえ、この頃のフジは。無敵だった。

 やっぱり、という成り行きでナイジェリアにおける過去の名盤のCd復刻状況など、まるで分かりはしない現状なのだが、まるで噂を聞かなかったコリントンのアルバムも、最近になってCD化が行なわれ始めているようだ。私が入手できたのは今のところこの一枚だけだが、まあ、今後に期待をしましょ。これが内容の良い盤で、音も例外的に(?)良い、とのことなんで、何とか許せる気分。

 とはいえ、昔からのファンだってこんなタイトルのコリントンは知らない、と首をひねるのが当然で、実はこの盤は彼の82年度作品、“AUSTERITY MEASURE”がCD化に際して改題されたものである。このタイトルなら記憶にあるでしょ、あの植物繁茂するジャケ写真。私としてもこの盤はコリントンとの初対面だったので思い出は多い。
 それにしても何でこんなタイトルに変えたのかな?確かコリントン、80年代に、ある少女歌手との間にロリコン不倫疑惑かなんかがあり、いろいろマスコミの芸能面を騒がしていたんではなかったか。その辺のゴシップでまだ話題つくりをしているのか、とすると呆れるしかないが。なんせ相手はあのナイジェリア芸能界だ。そうでもしなければ商売にならないのかも知れないが。

 などと思いを巡らせつつ、オリジナルとはまるで様相の違うジャケ写真を見る。老醜、という表現を使うよりない年老いた今のコリントンの顔がある。こんなのだったら昔のジャケをそのまま使った方がマシだったじゃないか、なんてのも外野からの余計なお世話なんだろうけど。

 残念ながら、このアルバムの音はYou-tubeにはないようなので、だいたい同時期くらいのコリントンの盤の音を、下に貼っておく。



「計画停電」はヤラセだった。

2011-05-18 04:37:33 | 時事
 (東京新聞 05/17 より)


 今思い出しても異様なイベント、「計画停電」。あれはやっぱり、「原発がなかったら、どうなるか分かっているだろうな」という”原発利権”側からの脅しだったわけだね。実は電力は足りているのに。

 でも、あれで逆に学ばせてもらった。「なるほど、こんな具合に工夫をすれば大量の電力を使わずにやって行ける。やっぱり原発なんかいらない」ということを。