ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

レバノンの夜の触覚

2008-02-27 22:28:42 | イスラム世界


 ”Lebanese Lounge”by Julien Majorel

 アラビア音楽のアンビエント的展開とでも言うのだろうか?副題に、”チルアウト・ミュージック・オブ・・・”の文字も見える。

 アラブ世界では近年、このような不思議な手触りのエキゾティックな雰囲気音楽(?)が激増中とかで、どんなものやら興味を惹かれ、聴く機会を覗っていたのだ。
 
 時制で言えば夜。それも深夜を過ぎても決して夜明けの来ない夜。
 打ち込みリズムで切り刻まれた奇妙に冷え切った空間の中で、決して熱くなることのない無機質なフレーズが、あるいは電子楽器で、あるいはサンプリングで執拗に繰り返される。

 その狭間を縫ってアラブの民族楽器のあれこれが、血と汗の臭いを剥ぎ取られ、ただ妖しげな気配だけになって鳴り渡る。管楽器が、打楽器が、弦楽器が、人工の月の光の下で代わる代わる見事な技巧の輪舞を見せる。が、奏者の顔はあっけないほど無表情のままだ。

 アラブ・ポップス名物のストリングス・オーケストラが、まるで亡霊のざわめきのような手触りで再生され、女性ボーカルが影のように立ち上り、あるいは街頭のざわめきの録音が意味ありげに挿入される。
 
 同じ”打ち込みもの”と言っても、世界のあちこちのある”低予算猥雑市井ポップス”とは逆方向に存在する音楽である。あちらは金もセンスもからっきしだが、ナマの涙と笑いに裏打ちされた、素朴な人間賛歌がある。そしてこちらはその逆。

 ここにあるのは、技術的にも美学的にも成熟したセンスに裏付けられた音楽。だがそれを覆うのは決定的に厭世的で退廃的な感情だ。倦怠に満ちた眠りの底には、すべてのものへの研ぎ澄まされた悪意が息をひそめているようにも思える。

 アラブ庶民の精神世界の奥底で起こっている、なにごとかただならぬ蠕動を象徴するような作・・・なんて評価は考え過ぎか。と言いつつ、妙に後を引いて、このアルバムを何度も聞き返してしまうのは、私もまた彼らの同時代人であるからだろうか。

砂塵とサカラの日々

2008-02-25 01:09:08 | アフリカ


 ”Bolowo Bate ”by Yusufu Olatunji & His Group

 まさに”繰言”として何度も繰り返してしまうが、あれはサニー・アデが”ワールド・ミュージックの大スター”として国際的に成功を収めた頃、というからもう20年も前の話になってしまうのか、ある日突如として我が国の輸入レコード店にアフリカはナイジェリア直輸入盤が溢れかえったことがある。アデの人気に便乗して一儲けを企んだ人物がいたんだろうが、いや、あんな企みならいくらでもしてもらってかまわないんだが。

 ともあれ。当方としては狂喜し、あれこれ買い求めたものだったが、すべてを買い占める金はさすがになかった。
 そうこうするうちレコード店もそんなものがそれほど売れる筈も無いと気がつくが早いか、音楽ファンが”流行りものとしてのワールドミュージック”に飽きるが早いか、ともかくその奇妙な商品の洪水は始まったときと同じく、ある日突然に終わってしまった。

 後に残されたのはごく少数の、「どこかに売ってないかなあ、ナイジェリア盤」などとウワゴトを呟きながら街をさすらうアフリカ音楽に飢えた亡者たちだけであった。もちろん、その一人が私なのであるが。ああもう一度、あんな日々がやって来ないものか。

 さて、ユスフ・オラトゥンジである。ナイジェリアのイスラム系音楽、”サカラ”の第一人者。今回、全盛期の70年代レコーディングが現地盤でCD再発されたものを幸運にも手に入れた。

 彼の音楽は、あの”ナイジェリア盤がレコード店に溢れかえった頃”に、たぶん耳にしている。行きつけのレコード店主に聞かせてもらったのか、もしかしたら当時中村とうよう氏が主宰しておられた”アフリカ音楽を聴く会”の例会において、だったかも知れない。

 ともかく当時の印象としては、「これは地味過ぎるなあ」であり、実際、ナイジェリアのイスラム系ポップスというよりは単なる民俗音楽にも聴こえ、まあ言ってみれば外角低めに打球を見送ってしまったのだった。今にしてみれば惜しい、彼の盤も見かけたら買っておくべきだったと反省させられるのだが、まあ今にして思えば、であり、どうにもなることではない。

 オラトゥンジの演じるサカラなる音楽のもっとも特徴的なのは、ナイジェリアの民俗楽器であるバイオリン系の擦弦楽器が使われている点だろう。
 その鄙びたキーコキーコという響きに導かれてオラトゥンジの錆びきった歌声が流れ、それをパーカッションのアンサンブルとユニゾンのコーラスがバックアップする。

 やはりパーカッション+ヴォーカルのみの音楽とは言え、聴き馴れた同じナイジェリアのイスラム系ポップスたるフジやアパラと比べると、確かにずいぶんと素朴な響きのものだ。

 リード・ボーカルとコーラスの、コール&レスポンスを基調にした丁々発止としたやりとりがあるでもなし、パーカッション間の火を吹くようなリズム合戦があるでもなし。まったりとしたメンバー間のやり取りが悠々と流れて行く、ずっとのどかな音楽。
 使用されている音階のせいもあろうが、なんだか日本のご詠歌の合唱みたいに響く瞬間もある。

 聴いていると、かの地のイスラムの人々の日々の生活から流れ出た素朴な祈りそのものを受け止めているような気分になってくる。
 空を覆うサハラ砂漠から吹き寄せてくる砂嵐に吹かれながら、彼らがよくすると言う牛の放牧を行なっている姿などが浮かんでくる。いつか、ナイジェリア音楽を紹介するビデオで見た一シーンだが。

 その悠長な音の響きから伝わってくるアフリカ人の体温の感触をしみじみと噛み締めつつ、うん、”あの頃”の自分にはこの良さは分からなかったかも知れないなあと、分かったような事を呟きつつ。ああ、あなた、どこか知りませんか、ナイジェリア盤が店頭に溢れかえっているようなレコード店を。

我がソウル20選

2008-02-23 03:48:26 | 北アメリカ


 ”SAM&DAVE ”

 今日、書店をうろついていたら、レコードコレクターズ誌が”60~70年代のソウル・ファンク100選”なんて特集をやっているのが目に付いた。どうもそういうのを見かけると自分でもやってみたくなってしまうので、とりあえず”我がソウル20選”など。

 と書きつつ、「なんだろうなあ・・・」と苦笑せざるを得ないのだけどね、まだネットをはじめたばかりで自分のホームページとかブログとか持つなんて思ってもみなかった頃を思い出すと。

 あの頃は気の合う”普通の音楽ファン”の掲示板にお邪魔して音楽話を交わしたりしていたのだったが、実はワールドミュージックの話がしたくてたまらなかった。が、普通に英米のポップスを聴いている人たちって、そういうものを嫌う傾向があるし、それはさすがにはばかられた。
 でも、「どこかに自分が好きな音楽を思い切り語れる場所があったらなあ」とか、当時は切望していたのだ。

 それが、そいつが叶って、”ワールドミュージック”の看板を掲げた自分のブログを持ったと思えば、ソウル・ミュージックの話をはじめるって何なのさ?そんな話、あの頃でも出来たじゃん。
 ともかく枠組みを壊したいのだ、それがたとえ自分で作った”ワールドもの”という枠組みであっても。なんて気持ちが心中にあるのかな、などと自己分析してみるのだが。

 そんなわけで。ほんのお座興でございます、私が選ぶ60~70年代ソウル20選。あ、すべてシングル曲ね。
 そうそう、レココレ誌の記事にあった萩原健太氏の、「68年当時までは、ポピュラー音楽はシングル盤単位で作られていたのだから、シングルで評価すべき」に大賛同させていただく。そりゃそうだよな。あの頃の洋楽事情をアルバム単位で語られたって。


1)僕のベイビーに何か?/サム&デイヴ
2)ピープル・ゲット・レディ/インプレッションズ
3)男が女を愛する時/パーシー・スレッジ
4)ジョージアの雨の夜/ブルック・ベントン
5)ウー・ベイビー・ベイビー/スモーキー・ロビンソン&ミラクルズ
6)ヤングボーイ・ブルース/ベン・E・キング
7)エヴリディ・ピープル/スライ&ファミリー・ストーン
8)サッド・ソング/オーティス・レディング
9)ネイディーン/アーロン・ネヴィル
10)アイ・ラザー・ゴー・ブラインド/クラレンス・カーター
11)テネシーワルツ/サム・クック
12)渚のボードウォーク/ドリフターズ
13)マンズ・マンズ・ワールド/ジェームス・ブラウン
14)リコンシダー・ミー/ジョニー・アダムス
15)ラブソングはお好き?/マンハッタンズ
16)愛さずにはいられない/レイ・チャールス
17)太陽のあたる場所/スティーヴィー・ワンダー
18)シンス・アイ・ロスト・マイベイビー/テンプテーションズ
19)ロンリー・マン/チャイ・ライツ
20)アイル・ビーゼア/ジャクソン5

 一アーティスト一曲、という”縛り”を設けた。また、現時点で当時を振り返って「あれは凄かったから入れておこう」というのは無し、と。リアルタイムで愛聴していたものだけを挙げる。後出しジャンケンで勝ちとか狙わない。

 でもまあ結局、私は本格的ソウルファンじゃ全然ないね。甘くて軽いのが好きだった。バラードもの主体だし。本格的ソウルファンになるのを避けていたと言うか。暑苦しい泥沼に本気で踏み込みたくないと思っていた・・・
 まあ、サム・クックが”ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム”ではなくて”テネシーワルツ”であるのが象徴的というか。

 というか、あまりにもディープなソウル世界は私の音楽趣味とはちょっと違うんではないかと感じていた。
 これは、ディープな方向へ平気でズブズブ入って行ったブルース愛好時代とは大分違っていて、なぜ違うのかは今後の研究課題としておきたい。


 あとレココレ誌の特集では60~70年代のソウル&ファンクとなっていたのでそれに準拠したのだが、私の気持ちとしては50年代のフラミンゴス、ムーングロウズ、ペンギンズ、そしてなによりプラターズ、といったトロッと甘いコーラスものを挙げたかった、ほんとは。その辺が大好きな私なのであって。
 さらには、大好きなファッツ・ドミノとか。リトル・リチャードとか。

 多分、私にとってのソウルというかR&Bは、もう少し前にずれていて、”50~60年代”のものなのだろう。”ファンク”というものにほとんど関心を持てなかったのも、これと同根かと。
 また、女性が一名も入っていない。これもヤバイかも知れないが、いや、しょうがないじゃないか、どうも女性シンガーとはそりが合わなかったんだから。

 ついでに言っておけば、野球だかフットボールだかの試合開始セレモニーにおけるホセ・フェリシアーノが歌うアメリカ国歌、なんてのも入れたいんだけどね、気持ちとしては。
 あれは60年代当時、いきなりヒットチャートに入ってきて、ラジオで聞いていた私をのけぞらせたものだった。ソウルフルだったと思うんだが、けどまあ、ラテン系白人ものを入れるのもなんだかなあ、なんで。

 それを言い出せばラスカルズの”グルーヴィン”なんてのも私にとっては”ソウル”なんだけどなあ、というのがあるんだが。
 いや、それをはじめると、「ズーニーブーの”可愛いあなただから”を入れさせろ」なんて話になって収拾がつかなくなるのであって。とりあえずこの辺で何もまとまらぬままにお開きとさせていただきます。

果てしなきイントロ地獄

2008-02-22 07:38:22 | いわゆる日記


 腹立て呆れ、ついには笑ってしまったんだけど。

 ネットの通販サイトで、商品のCDを試聴できる仕組みになっているところは多いですが、あれ、マイナーなアイテムの場合、結構アバウトに作ってあるんですね。

 たとえば奄美島歌出身の歌手、RIKKIのデビューアルバム”むちゃ加那”などをクリックしてみると、「なんじゃこりゃ?」と言うことになる。
 このアルバムはRIKKIのデビューアルバムで、奄美の民謡ばかりが納められている訳です。
 で、ものが民謡なんで、まず一くさり三線のソロがあり、その後、おもむろに歌が始まるパターンがほとんどです。

 ところが。ネットの通販サイトの試聴システムでは、どの曲も「イントロから初めて何秒」とかをただ機械的に収めてあるだけのようで、ことごとく唄の始まる寸前でフェイドアウトがされてしまう訳です。
 結局、そこの試聴システムでは彼女の歌を聴けず、ただ三線のソロだけが響くのみ。
 事情を知らない人が聞いたら、彼女の事を歌手ではなく三線弾きの専門家かと思うぞ。

 その他の島唄唄者で試してみたが、ことごとくそんな扱いになってますね。まだ全部調べてみた訳じゃないが、それ以外の音楽のジャンルでも、そんな不都合ってあるんじゃないかな?
 そしておそらく、もっとメジャーな音楽や大スターの音楽に関しては、きっとずっと丁寧に作ってあるだろう。すくなくとも、歌手のアルバムだけどイントロのギターソロしか聴けない、なんて事はないでしょ、確実に。

 なんか、そういうソフトでもあるんですかね?一枚のCDに収められた曲目の、おのおの冒頭30秒だけを機械的に拾って次々に試聴システムに組み込んで行く作業をする、そんなものが?
 少なくとも、人間が手動でやったら、あんな具合にはなるはずない。あれじゃ試聴システムの役を成さないわけだから。

 まあ、「人手も足りないし、いちいち丁寧に作っていられないよ」ってなものなんでしょうけど、「なんか変だな?このままでいいのかな?」と考えるところが出て来たっていいと思うんだけど。


”後方支援”

2008-02-21 06:10:02 | 時事


 これは、沖縄でアメリカ兵がデタラメやっているニュースから日本人の目をそらし、怒りがそちらだけに向わぬよう、米軍の下請けとしての自衛隊が行なった、撹乱行動です。
 わざとぶつけたんだよ、同胞の船に。日本の世論からアメリカを守るために。

 ○<イージス艦事故>「あたご」に回避義務 レーダー役立たず
 (毎日新聞 - 02月19日 22:04)
 千葉・野島崎沖で海上自衛隊のイージス艦「あたご」=艦長・舩渡(ふなと)健1等海佐(52)、7750トン=とマグロはえ縄漁船「清徳丸」(全長約12メートル、7.3トン)が衝突した事故で、清徳丸を右舷側に見て航行していたあたごに海上衝突予防法に基づく回避義務があったことが分かった。乗組員による目視が不十分だったため清徳丸に気付くのが遅れ、回避動作が間に合わなかった可能性が高い。海上保安庁と海自は行方不明の清徳丸船主、吉清(きちせい)治夫さん(58)と長男哲大さん(23)の捜索を続けると共に、横須賀海上保安部が業務上過失往来危険容疑で艦内を家宅捜索し、舩渡艦長らから事情を聴く。

冬のウクレレ

2008-02-19 01:30:19 | アンビエント、その他


 ”ウクレレ・アダージョVol.1&2”by キヨシ小林

 とりあえずウクレレの音が好きなのであって。なにしろウクレレをどれほどハイテクニックで弾きこなそうと、なにしろあの愛嬌あるポコポコした音ですからね、あんまり人に尊敬されたりするようなところがない、そんな脱力感やら温かみが何より好きなわけです。

 シリアス好み、高テンション好みのクラシックの人なんか、まずウクレレを楽器とは認めようとしないでしょ?カラヤン指揮のベルリン・フィルによるウクレレ協奏曲、なんてもの、あるはずないしさ。

 で、生活のバックに、たとえばドライブのお供になど流すのもウクレレのアルバムが多くなるのだけれど、年がら年中ハワイアンて訳にも行かないし、ことにこんな冬の真ん中ではね、雰囲気に似つかわしいものもなかなか見つからなかったりします。

 そこでこれですよ。我が愛車の中の最近、ハード・ローテーションで廻っているのが、これまでも興味深いウクレレ・アルバムを発表して来ているキヨシ小林の近作、”ウクレレ・アダージョ”であります。
 ほぼすべてウクレレのソロによってレコーディングされたクラシック曲集でありまして、これは冬の風景の中で聴くウクレレ作品としてはかなりよく出来ていて、嬉しい一作です。

 クラシックの持つ権威臭がウクレレののどかな響きで腰砕けとなりつつキヨシ小林の高テクニックで弾きこなされていってしまう、この、のどかな痛快さとでも言うしかない心地良さが、妙にくすぐったく楽しい次第です。バッハだろうがモーツァルトだろうが、なんでも持って来やがれ、ベラボーめ。

 2月。見回せば沿道の冬の木立は灰色に枯れ果て、空行く雲は、あたかも刷毛でなぞったが如く薄い膜として空を覆うばかりで、まるで頼りない。大自然そのものから生命力のことごとくが抜け落ちてしまったかのような世界なのだけれど、時至れば今年もまた、生命の萌え出ずる春はやって来るのでしょう。

 それにしても、”トロイメライ”とか”ユーモレスク”なんて曲は、こうして聴くと、ウクレレで演奏するために作曲されたとしか思えないよなあ。

テルスターのいない空

2008-02-18 05:03:22 | 60~70年代音楽


 本日、所用あって昨年の暮れの出来事を思い出さねばならなくなり、そうしてみて、たった2ヶ月ほど前の出来事の一つ一つがもうすでにセピア色の甘やかな霧に包まれているのに呆れた次第。
 駅前のクリスマスの装飾、時節外れに催された冬の花火大会を寒さに鼻水を垂らしながら見入っていた観光客たちの嬌声などなど年末の風物。それらがもう、還れるものなら還りたい、取り戻せるものなら取り戻したいとの熱い想いを伴いつつ記憶の中に息付いている。

 それに比し、来るべき明日には、もはや不安や絶望の翳りしか覗うことが出来ない。いや、それゆえに過ぎ去った過去はますます美しげに輝くのだろう。なにしろ過去はもうそれ以上悪くなることは無い、それだけは確かだから。
 子供の頃には考えられなかった事であって、あの頃未来は輝いていて当たり前だった。明日は今日より素晴らしいものである、それはもう当然の了解時とされていたものだった。
 
 小中学校時の同級生のYの具合が良くない。町の病院から地域の総合病院、それから某センターへと転戦し、が、すでに病巣は転移を起こし、経過ははかばかしくないとの事。
 柔道の達人で、街で子どもたち相手に個人の道場など開いていた猛者も、さすがにヤマイには勝てない。というより、体力自慢のものほど悪性の細胞の活力も優れているのだ、なんて気がしてくる。

 いやほんとに。”神は、力持ちの男にはより優しい心を与える。彼に猛々しい心を与えたら、この世は修羅場になってしまうから”なんて考え方があるらしいが、それを地で行くようなYであり、彼が性格歪んだ言動を成す場面に出くわしたことがない。いつも大きな体の上から世の中を静かな目で見守っていた。

 生業であるスナックの経営でも人望ありで、その方面の組合の長になるところだったとも聞いたが。ともあれ、彼の店に行けば小中学校時代のクラスメイトが常時集っているので、万年同窓会状態ではあった。
 しかし、幼馴染みの私にとってYは柔道の先生でもスナックのマスターでもない。まず第一に、”中学生の頃、当時流行っていたベンチャーズのギター演奏を仲間内で最初に完全コピーに成功した奴”なのである。

 忘れもしない、中学の2年だった。近所の仲間の家に放課後、何人かで集まり無駄話をしているうち、その家にあったギターを使って”エレキの曲”をやろう、なんて話が急に盛り上がった。一人は自分の家にとって返し、買ったばかりの自慢のエレキギターを持ってくる入れ込みよう。

 まだ音楽ファンではなかった私としては、なんだなんだ妙なことが始まったものだなと戸惑っていたのだが、そんな私にも古ぼけたクラシック・ギターが手渡され(いったい、あの家には何本のギターがあったのだ?)て、「この弦を押さえて、リズムに合わせてダダダダダと弾いていればいいから」とか指示が下った。
 いま思えば、ギターの最低音弦でルート音を弾き続ける事でベース的効果を出させようという意図だったようだが。ギターに触れたこともない奴を演奏に加わらせる方法としてはうまい事を考えた、というのかどうか。

 そしてその時、私は幼馴染みのYがギターを弾くのを始めて見たのだった。曲はなんだったのか、ともかくベンチャーズのヒット曲のどれかだったのだろうが。

 Yはその巨体のおかげでなんだか小さく見えるフェンダーのギターの模造品を抱え、まったく楽々と、という感じで当時ラジオなどから頻繁に流れていたその曲を弾きこなし、ついには簡単なアドリブさえ差し挟んで見せたのだった。あれれ、いつの間にこんなに弾けるようになっていたんだ?こいつにこんな事を愛好する側面、あったのかなあ?

 そして私は、ギターを奏でるYがあんまり楽しそうなのでなんだか羨ましく、その楽しみを自分も享受したくなり、そしてそのギターの音が”ラジオから聴こえてくる音楽”の立派な再現であることに、まったくシンプルに感動していたのだった。

 つまりは、その時の俄か作りの”バンド”体験が意外に楽しかったので、私はそれまで”特殊な人種の行く場所”と認識していたレコード店などに足を運ぶようになり、小遣いを貯めてギターを買い込み、ついには音楽マニアと言う無間地獄に堕ちて今日に至るのであるが。

 冒頭に掲げたのは、あの頃、値段が手ごろなのでよく買っていた”コンパクト盤”のジャケだ。ヒット曲ばかり4曲入ったミニ・ベストアルバムとも言うべき内容のものがシングル盤とさほど変わらない価格で手に入るので嬉しかった。

 これに収められた曲が私のハンドル・ネームの由来なのだが、「英語の正しい発音で行くと”マリナー号”が正しいのだろうがベンチャーズのシングル盤では”夢のマリーナ号”となっていたから」とこれまで言い張っていたけど、こうしてみると、このコンパクト盤でも”マリナー号”だなあ。まあ、”シングル盤ではマリーナ号”である事実に変わりはないものの。

 Yの見舞いにはいまだ、行っていない。痩せこけてしまったという奴の姿を見るのはいやだったし、そもそも病室にどういう顔をしていれば良いのか、彼と何を話せば良いのかが分からない。
 それに、そんな現実を見さえしなければ、ある日、Yがかってと変わらぬ姿でひょいと通りの向こうから姿を現し、いつものように髭面をほころばせ、「やあ、久しぶり!いや、俺さ、ちょっとひどい病気をしちゃって。いやもう大丈夫なんだけどさ」などと元気そうに言うのに出会えるような気がするのだ。

 さっき、あまり腹が減ったので近所のコンビニに行って来たのだが、帰り道の国道沿いに広がる海岸通りは、Yや私が子供の頃、時の経つのも忘れて遊び呆けた頃とはすっかり様相を変えてしまっている。
 国道沿いに並んでいた高層ホテルはことごとく解体され、なんだかよそよそしい風体のリゾート・マンションと成り果てているし、そもそも肝心の海自体が自然のものではなく、湘南方面から砂を運んで作り直した人工海岸だ。

 そんな夜の海の上に広がる夜空は、”テルスター”も”マリナー号”も飛び去って久しく、ただ冷え冷えと凍りついている。
 

マグレブの蛇、都会へ

2008-02-16 01:18:06 | イスラム世界


 ”Al Ghorbah”by Saber Rebai

 居並びます妖艶なる歌姫たちの華麗なる歌声を収集し愛でるのが、我が国のアラビアン・ポップス愛好家の道でありますが、一人そいつに棹差しまして、むくつけきオヤジたちが蛮声放つ盤を相変らず追いかけているワタクシであります。
 いやいや私だってスケベ道方面ではキレイなネーちゃんの大好きな凡夫であるのですがね、ことアラブのポップス愛好面におきましては、なぜか妙に”男道”を追求したくなってしまう次第で。

 で、今回取り出しましたるこの盤も北アフリカ、マグレブ世界の一国チュニジア発の人気男性歌手、Saber Rebaiの新譜であります。

 まず目を引くのはジャケ裏の写真。昔風の大型のマイクを取り付けたマイクスタンドを相手に、まるで社交ダンスでも踊るかのようなポーズをとった歌手本人。なんかニルソンの”夜のシュミルソン”のジャケ裏のイラストにあったような光景だなあ。あんまりアラブの男性歌手世界では見かけない、ナンパなオシャレを演出しております。

 ジャケを開くと、ほどよい具合に無精ひげを生やした歌手が白いカーテンの向こうから半顔出しつつ妖しげに微笑んでおりまして、この歌手、手の付けられないナルシストにも、あるいはゲイのようにも見える。知りませんが、実のところは。

 始まるのは、アラブの伝統的リズムが、でも結構都会的に処理された、クールなアラブ・ポップス。跳ね回るチョッパー・ベース(死語?)と、いつものアラブ世界の泥臭いそれではない、斬新な動きを見せるストリングスがカッコ良い。
 熱いんだけど汗臭くはない、今日的なアラブポップスの展開が、そこにはあります。
 そして、まるで60年代末の”ニューロックの世紀”など想起させる”ファズ”のかかったエレキ・ギターが一閃、カッコよさはますます極まる。

 Saber Rebaiの歌声は、どこかサルサの歌い手など思い起こさせる平べったいもので、かつ、そのコブシは打ち込まれる官能的なリズムの間を縫い、粘りつくようにクネクネと揺らめく。
 その様子は砂漠生まれの蛇のよう。もっともこの蛇、遠い昔に故郷を離れ、すっかり都会暮らしが身についたヤクザなへビであります。

 イスラム教世界に沿い、コブシ主体の音楽ベルトは地中海世界から東の果ての我が国まで伸びているのですが、今日を生きる日本人に一番共鳴しやすい音楽を作り出している者の一人がSaber Rebaiである、なんて結びたくなります。いやそれともマグレブ世界の音楽が今、ワールドミュージック最前線にある、それゆえにそんな風に感じてしまうのか。

 いずれにせよこの男とその音楽、今後も要注目、ということで。いや、カッコ良いわ。

”ロハニ”の幻を求めて

2008-02-14 04:29:41 | アジア


 ”Berserah Kepada Yesus”by Ruth Sahanaya

 以前よりゴタゴタ言っております、インドネシアのキリスト教系ポップス、”ロハニ”でありますが、このアルバムが、かの音楽との初対面だったのでした、私には。

 歌い手は、さっき現地のサイトを覗いたら”インドネシアのジャズ・クィーン”なんて表記も見かけた、インドネシア・ポップス界の大物女性歌手、ルース・サハナヤ。まあ、実力派といっていいのでしょう。きれいな声で普通にポップスを歌い上げる人なんですが。
 その彼女がクリスチャンということもあり、ロハニのアルバムを出している。その一枚が今回取り上げたこれである訳です。

 そもそもは”イスラム教国と聞いているインドネシアに、なぜキリスト教系のポップスなどがあり、しかもそのアルバムが多くの歌手たちにより、続々とリリースされているのだろう?”という素朴な疑問から、このアルバムをためしに手に取った次第で。

 聴いてみると、まあ基本的には賛美歌(本人のサイトのディスコグラフィには”ゴスペル”とのジャンル表記があり。実際、ぶっちゃけて言ってしまえばロハニってインドネシア語のゴスペルです、要するに)であるからでしょう、清浄なる響きのストリングスなんかをお伴に非常にシンプルに美しいメロディを小細工なしに歌い上げる訳です。

 そのあまりの素直さが、世界中のさまざまにややこしいサウンドと切り結びつつ”ワールドものの音楽ファン”をやって来た身には逆に新鮮に感じられて、以来、ロハニのアルバムを見かけるたび買い集めてきたのです。

 ・・・という説明は、すべてを言っていないな。なんかその音楽の奥底には”インドネシア人、しかもキリスト教徒”という立場の人たちだけが共有する文化と言うか感性というか、そんなものの息付くのを感じられるみたいで、気になって仕方がない、なんて部分もあることはある。

 なんて神秘めかして私は考えてしまっているけれど、実のところ、インドネシアの人口の9パーセントほどをクリスチャンが占めるとかで、アラブの方のカッチンカチンにイスラムな国々と同一視するからいろいろ妄想が出てくる。普通にキリスト教の信徒たちがかの国にはいて、その宗教観に合致する音楽を聴いて楽しんでいる、それだけの話なのかも知れないけど。

 と、自分からこの文章の空気を抜くような事を言ってしまっていますが。
 いや実際、検索して見ると、こちらの思い入れをはぐらかさんと意図しているかのようにロハニに関する情報って見かけないのですね。現地でも対して重きを置かれていない音楽なのかなあ?などと、ほんとに気が抜けてしまうのですが。

 そうだなあ・・・

 昔私が普通のロックファンだった当時、アメリカの南部ロック・ミュージシャンであるドン・ニックスなんて人のファンだったのですが。
 彼のデビュー・アルバムで取り上げられていて結構好きだったゴスペル・ナンバーがこのアルバムにも収められているんです。
 その聞き覚えのあるナンバーが濃厚に南アジアの響きのあるインドネシア語で歌い上げられるのを聞いていたら、ある種の妖気を感じたんですよ、私は。

 キリスト教文化ど真ん中で、そのうちに収まりきらずにドクドク脈打つアジアの魂、そんなものの幻とでも言いましょうか。
 もしかしたら私の妄想だけかもしれないそれの正体を掴みたくて、私はロハニを聴き続けているような気もしますね。

 なんかまとまらないなあ。まあ、分かる事を書いてもつまらない、自分の聴いている音楽のよく分からない部分に関して書いて行こうって考えなんでね、毎度こういうことになるんですが、どうか長~い目で見てください、と言うことで。

お遍路宇宙船の日

2008-02-13 04:49:16 | ものがたり


 幼い日の思い出として、お遍路宇宙船搭乗の記憶はあります。おそ
らく子守を託された祖母が、宇宙船に乗りたいとグズる私に手を焼き、
窮余の一策として巡礼宇宙港に向かったものと思われます。

 それまで乗り込んだこともなかった私鉄電車に乗り、山奥に向かっ
て何駅か行った所に、巡礼宇宙港はありました。
 広大な宇宙港に立ち並ぶ銀色の宇宙船、と言ったものを想像してい
た私は、山寺の境内に設けられた木造のロケットランチャーと、そこ
に置かれた、なんと申しますかヤニ色の小さな古びた宇宙船が一基だ
け、といった風景に、まるで拍子抜けしてしまったものでした。搭乗
口の前に列を作っているのが、ことごとく数珠を片手の老人たちであ
る事も異様に思われました。

 乗り込んでみた宇宙船の内部は、薄暗い、磨き込まれた木製の廊下
の両側に並ぶ六畳や八畳の畳の間、と言ったものでした。その船を利
用するのが老人ばかりであるのを考慮した作りなのでしょうが、これ
もまた私にとっては期待はずれと言っていい風景でした。

 三々五々、畳に座り込んで渋茶をすする老人たちの間で、お茶受け
の煎餅など齧っているうちに、操縦室に陣取った宇宙僧侶たちの読経
が始まります。木魚が連打され、鐘が打ち鳴らされますと、いつのま
にか宇宙船の機体が細かい振動を始めていました。

 読経の声が高まります。そうこうするうち、あれは職名としては
「艦長法主」となるのでしょうか、宇宙船を航行させる僧侶たちの主
任の力強い声による「オンニョハンライゲンシュピラーゲンアーヘン
ソワカ!」なる、ドイツ語混じりの引導が宇宙船中に響き渡りました。
と、宇宙船が静かに地上を離れ、上昇を始めるのが感じられました。
僧侶たちの法力が、万有引力の法則に打ち勝ったのです。

 祖母の開けてくれた障子の向こう、強化ガラスの窓越しに、私は見
ました。さきほどまで自分がいたお寺の境内が、視線の遥か下に小さ
くなって行くのを。
 やがて、眼下の風景は、学校の地図帳に載っていた通りの形象を呈
し始め、そしてほどなくそれは海に囲まれた日本列島の姿へと変わっ
て行きました。

 そんな宇宙船の中で私は、なんだかこのまま自分は、このしなびた
ような老人たちと共に果てしもない宇宙巡礼の旅に出るのだ、二度と
帰ってこられないのだ、そんなひどい孤独感に襲われ、こらえようも
なく号泣してしまっていました。それでも、窓の外、漆黒の宇宙空間
に浮かんだ青い地球の姿は、とてつもなく美しく感じられはしました
が。

 その船は、惑星八十八ヶ所巡りの為の大型宇宙船に老人たちを運ぶ、
いわばフェリーボートとして機能していたものだったようです。すぐ
に船は、地球を巡る軌道上を回遊していた、より大きな宇宙船に機体
を横付けにし、数珠を片手の老人たちはその船にゾロゾロと乗り込ん
で行き、そして漆黒の宇宙の更なる深みに旅立って行きました。
 二度と帰らない旅に連れ出されてしまったのでは?との私の恐怖は
杞憂と終わりました。

 帰りの船内は、そのまま地球にとんぼ返りする祖母と私の、二人だ
けが乗客でした。地球に帰れる、と知った私は急に気持ちが大きくな
り、船内をはしゃぎ回って祖母を困らせたものです。

 やがて船は元のお寺の境内に着陸し、こうして私の実質30分にも
満たない、生まれて初めての宇宙旅行は終わりました。
 それから私は、境内を出た参道にある土産物屋で買って貰った飴を
舐めながら、家で待つ両親と妹への土産であるお饅頭の折りをぶら下
げ、祖母に手を引かれて家路を辿りました。

 それはちょうど今日のような、空気が澄み、空がどこまでも青く晴
れ上がった、静かな冬の日の事でした。