”Lebanese Lounge”by Julien Majorel
アラビア音楽のアンビエント的展開とでも言うのだろうか?副題に、”チルアウト・ミュージック・オブ・・・”の文字も見える。
アラブ世界では近年、このような不思議な手触りのエキゾティックな雰囲気音楽(?)が激増中とかで、どんなものやら興味を惹かれ、聴く機会を覗っていたのだ。
時制で言えば夜。それも深夜を過ぎても決して夜明けの来ない夜。
打ち込みリズムで切り刻まれた奇妙に冷え切った空間の中で、決して熱くなることのない無機質なフレーズが、あるいは電子楽器で、あるいはサンプリングで執拗に繰り返される。
その狭間を縫ってアラブの民族楽器のあれこれが、血と汗の臭いを剥ぎ取られ、ただ妖しげな気配だけになって鳴り渡る。管楽器が、打楽器が、弦楽器が、人工の月の光の下で代わる代わる見事な技巧の輪舞を見せる。が、奏者の顔はあっけないほど無表情のままだ。
アラブ・ポップス名物のストリングス・オーケストラが、まるで亡霊のざわめきのような手触りで再生され、女性ボーカルが影のように立ち上り、あるいは街頭のざわめきの録音が意味ありげに挿入される。
同じ”打ち込みもの”と言っても、世界のあちこちのある”低予算猥雑市井ポップス”とは逆方向に存在する音楽である。あちらは金もセンスもからっきしだが、ナマの涙と笑いに裏打ちされた、素朴な人間賛歌がある。そしてこちらはその逆。
ここにあるのは、技術的にも美学的にも成熟したセンスに裏付けられた音楽。だがそれを覆うのは決定的に厭世的で退廃的な感情だ。倦怠に満ちた眠りの底には、すべてのものへの研ぎ澄まされた悪意が息をひそめているようにも思える。
アラブ庶民の精神世界の奥底で起こっている、なにごとかただならぬ蠕動を象徴するような作・・・なんて評価は考え過ぎか。と言いつつ、妙に後を引いて、このアルバムを何度も聞き返してしまうのは、私もまた彼らの同時代人であるからだろうか。