星へ通ずる小道はいつも、変哲もない裏通りのさらに横道、そんな場所にひっそりと存在している。
私の町で言えば、市街地を抜けた国道が大きく曲がって海沿いの崖の上に向かって伸びて行くあのあたり、もう使われていない倉庫や、住む者もなく朽ち果てるにまかされた家々が立ち並ぶ淋しい通りの裏にあるのだが、知る人はもちろん少ない。
まるで近所の銭湯にでも出かけるようなサンダル穿きでその通りを歩いてみれば、ほんの一筋裏に入っただけなのに、国道の喧騒は気配も伝わらず、いつもシンと静まり、人影もない。小道は働き者のオヤジがいつまでも元気な、あの布団屋の自宅である、大きな庭のある日本家屋と、東京の大会社の社長の別宅であるとか聞く、生垣に囲まれた古い洋館との間に、緩やかな傾斜を持って裏山に続いている。
小道に踏み込み緩やかな坂を登って行けば、道の片側に、ゲームセンターで使われるタイプの大振りなゲーム機が何台も何台も放棄されているのが見える。どれもかなり古い形式のものである。どのような事情でそんな場所に捨てられたのかは分からない。
バブル期に建てられた、入居者がいるのやらどうやら、いつみても閑散とした感じのマンションが曲がり角の先に唐突に巨大な姿を現したり、まるで中世の古城のような奇矯なデザインの一戸建てを見つけて怪しんで表札を検めれば、高名な建築家の別荘であることに驚かされたりする。そんな風に道は続いている。
道は、ゆるゆると曲がりくねりながら裏山を縫って登って行く。次第に道の両側に家屋も少なくなり、雑木林がその層を厚くして行くばかりである。木々の間からときおり町の姿が、意外なほど下の方に広がっているのが見える。
喉の渇きに、道端の自販機に寄って清涼飲料を求めようとするが、収められている缶入り飲料はどれもその表面に記された文字が見たこともない、もちろん判読の仕様のないものばかりであり、困惑させられる羽目になる。何とか見当をつけて購入してみると、不思議な文字が記された缶にふさわしい、奇妙な飲み心地のものである。それでも良く冷えた水分を取ったことで、それなりに生気を取り戻すことは叶い、再び道を登って行く事となる。
どれほど歩いたろう、気がつけば足は地面を踏んでいない。何もない空間を、中空をただ歩き続けている自分である。裏山は、いつのまにか足下遠くに広がる箱庭の如くであり、そのさらに遠くに、もはやジオラマと化した町の風景がある。広がっていた青空はすっかり漆黒へと変化し、星々の輝きはすぐ傍、まるで手を伸ばせば届くかと思われるほど近くに感じられる。やがて地球は、暗い中空に浮かぶ一個の球体に過ぎなくなる。
歩き続ける。あるいは星々の生成を見、あるいは凍りついた永遠の時を見る。歩き続けて、やがて一つの惑星に下る小道を辿る事となる。
その日、星は祭りだ。輝く青空の下で紅い幟、青い幟が風にはためき、ときおり花火が打ち上げられる音が響く。星の人々は、こちらが外界からの客であろうと気にする気配もなく魚の言葉で話しかけ、笑いかけて来る。風は涼やかで、すべてが幸運に包まれていることを示す感触が空気を充たしている。
時はいつか過ぎ、ふと、あの星への小道の登り口に立っている自分に気がつくこととなる。星で過ごした時と、自分が帰り着いた時との矛盾は、いつものことである。星へ旅立ってから、数年後に小道に帰る場合もあれば、星への旅に立つ数日前に帰り着いてしまった例もある。この場合は、まだ旅立つ前の自分自身と間の悪い邂逅をしてしまう事となる。
いずれにせよ、星々への旅に出るなら徒歩に限る。ただ、あなたが星へ向かう小道を見つけることが出来ればの話ではあるのだが。