ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

真夜中のドライバー

2008-09-29 16:49:43 | 音楽論など


 ”GOLDEN☆BEST”by ネーネーズ

 9月27日に続いて、さらに”黄金の花”問題ですが。
 この問題に関連して、ネット上の知り合いの”にこさん”に、”真夜中のドライバー”なる歌の存在を指摘していただきました。そうでした、この歌の存在を早く思い出していれば、もっと上手い話の運びが出来たのに。

 ”真夜中のドライバー”は、”黄金の花”と同じく岡本=知名コンビが作り、ネーネーズが歌った曲で、島を遠く離れた都会で働く沖縄の青年を想う、その恋人の独白という形をとった唄です。
 これも”黄金の花”と同趣向の”異郷で働く人に呼びかける唄”なのですが、この唄ならば納得できると私は思うのですね。”黄金の唄”に漂ううさんくささは感じ取れない。

 歌詞を全文引用したいところなのですが、著作権関連を考えると安易にやっていいのかどうか分からず。とりあえず下のURLのブログの記事内に”真夜中のドライバー”の歌詞が全文、掲載されているので、ご覧ください。
 ↓
 ●真夜中のドライバー”の歌詞掲載ブログ

 この歌詞のどこが”黄金の花”と違っているかといえばまず、唄の”語り手”が”人間の顔”をしているところ。

 ここでは語り手は、さまざまな欠点もエゴも抱えているであろう、罪多き、つまりは寄る辺ない平凡な一個の人間として描かれている。
 そんな彼女が故郷を遠く離れた都会で働く恋人の暮らしを案じてみせる。時には浮気をしていないかと疑いもする。
 つまりは、この卑しき地上で精一杯の命の火を燈す、我々と同じ血が通う生き物として描かれている。
 それに立脚するこの唄なら、こちらとしても自然にこの歌の世界に入って行き、共鳴することが可能です。

 その一方、”黄金の花”の場合は。
 語り手はいきなり”上から目線”です。どうやら”神の視点”で日本にやって来た海外からの労働者を見下ろしている。そして、やれ黄金の花はいつかか散るぞ、納豆は食ったか、などと彼らをまるで判断力もない子供のような扱いでこずき廻す。
 何様なんでしょう、この語り手は?

 ここは私の勝手な推測なんですが。
 ”真夜中のドライバー”と”黄金の花”の製作年月日等、私は知りません。が、ひょっとして”真夜中のドライバー”の唄としての完成度に、悪い表現ですが調子に乗った製作者の側がその延長線上に、「島唄の従来のテリトリーを越えて、インターナショナルな視点でものを言おう」なんて野心を起こし、大風呂敷を広げ過ぎた結果の、これは失敗作なんではないでしょうか。
 似たような設定ではあるんですよね、”真夜中のドライバー”と”黄金の花”は。

 まあこれ、私なりに”良いほうにとる”という作業をした結果の解釈なんですけどね。

 そして始末が悪いことにこの唄”黄金の花”の、”いかにも優しげな表面上の言葉遣い”が、古来よりの日本人の感傷過多な心情にアピールしてしまった気配がある。
 この唄が支持されている理由は、何のことはない、「世界の中心で愛を叫ぶ」とかのベタベタのメロドラマを好む我等が湿度過剰な気質、それゆえですよ。
 国際問題どうのこうの、でもなければ拝金主義を論じているからでもない。

 もし、たとえば拝金主義批判が共感を呼んでいるのだったら、この唄を支持している人たちが唄を聴いたその感想を、「ウルウルしてしまった」「つい涙ぐんでしまう」なんて言葉で表現するはずがない。「この唄は今日の拝金主義に抗議しているなあ」なんて感じて涙ぐむ人はあんまりいませんからね。

 「可哀相な外国人労働者をおもいやるこの唄、なんて優しいの。そして、その唄を聴いて感動している私って、なんて優しいの」
 これが、この唄を聴いて感動している人々の心のうちにある”感動”の正体でしょう。つまりは始末に終えない自己陶酔の共有。
 だから、まあ言ってみれば”黄金の花”における外国人労働者の存在って、自慰行為における”ズリネタ”であるわけですね、酷い話だわ。いや、品のない言葉使いで恐縮なんですけどね。

 この”自慰共有問題”については章を改めていずれきちんと論じてみたく思っておりますが。
 ともあれ、以上のような構造になっているがゆえに私は、”黄金の花”なる唄が名曲扱いされる現実を”いかがなものか”と首をかしげずにはいられないのです。

美少女系ディスコ演歌from韓国

2008-09-28 00:47:23 | アジア


 ”LOVE IS WHAT MAKES YOU SMILE WHEN YOU TIRED”by SA GONG YUN

 待ってました!の、韓国美少女ディスコ演歌シリーズの新作が手に入った。とか言ってるが、現地でこんなものがシリーズとして発売されているかどうかは知らないよ(笑)
 知らないんだけれど、どうも韓国においてそのようなアルバムが続々と作られているらしいのは事実で、その目に付く特徴といえば、

 1)どれも、グラビアアイドルかと見まごう美少女歌手ばかりである。
 2)歌詞カードと込みで、ほとんど写真集のノリで作られているオシャレなジャケが使われている。
 3)アルバムタイトルの多くは英語。
 4)以上のようにオシャレな意匠を凝らしたビジュアルに反して、肝心の盤に収められた音は、えげつないディスコ調のアレンジがほどこされたド演歌である。
 5)女の子たちの歌唱力は、一様に高い。

 といったところか。ドロクサ系のサウンドは好きなんで、そして美少女はもちろん好きなんで、この種のものは出会うたびに買い求めているんだけど、これはいったい何のだろうなあ?

 これらの歌手たちが、韓国社会のどういう需要を満たしているのかが分からない。
 セレブな世界(と韓国でも言うんだろうか?)の女の子と何とかなるような日々を夢見ている、でも実際にはド演歌的現実を生きて行くしかない韓国青年たちの願望をつかの間、満たしてみせているんだろうか、などと想像しているのだが。

 さて、サ・コンユン嬢のデビュー・アルバムたるこのアルバム、他の美少女ディスコ演歌作品との一番の違いは、いかにも”深窓の令嬢(とっくの昔に死語)”っぽい彼女のルックスに合わせたかのように、各曲の曲調が演歌よりもむしろ、やや古風な歌謡曲タッチであることだろう。

 この感触、日本だったら”昭和30年代調”というところだが、韓国ではどんな表現を使うのか。というか、どのように意識されている時代感覚なんだろうか。

 ともかく、パワフルな打ち込みのリズムに乗って、いかにも”安易な大衆娯楽”を絵に描いたような下世話な一昔前の歌謡曲的メロディが堂々と歌い上げられる。他のド演歌系美少女歌手たちのパワフルなコブシ回しとも趣の違う、やや陰ある声で憂いを秘めてうねり流れる、サ・コンユンの歌声。
 最初は切れが悪いなあ、などとすっきりしない感想だったのだが、気がつくと妙に癖になっている。

 とはいえ、この盤で覚えたメロディを日常生活でうっかりハミングとかしてしまわないように気をつけねば。”裏町歌謡曲派のワールドミュージック・ファン”とか自称している当方でも、さすがにこの種の音楽を愛好している現場を人に見られるのはちょっと恥ずかしかったりする。
 この、”嫌だなあ。かっこ悪いなあ”と思っているうちに、隙をついて心の裏側に染み付いてしまう感じが、まったく演歌だ。

 それにしても歌う側の女の子たちは、この演歌路線に満足してるんだろうか?実はオシャレなアイドル・ポップスかなんか歌いたかったりするんじゃないのかなあ?その辺も知りたいものだなあ。

”黄金の花”がふりまく偽善の香り

2008-09-27 04:13:01 | 音楽論など


 奄美の島唄への評価に関する部分で引っかかってしまったので、ミュージック・マガジン誌のレヴューにおける中村とうよう氏の発言のもう一つの問題部分に触れ遅れてしまったのだが。こっちのほうがよっぽど問題かも知れない。たびたびすみません、”黄金の花”への評価問題であります。

 奄美の島唄への酷評を行なったとうよう氏、そのすぐ隣りに置かれた、沖縄のネーネーズ久しぶりの新譜に対するレビューで、こんな事を言っておられる。”かって名曲”黄金の花”にウルウルしたが”と。
 ・・・って、とうようさん、しっかりしてくれよ!いったいあの唄のどこが名曲なんだ。あんなものに”ウルウルした”なんて、その感性を疑うよ。

 ”黄金の花”に関しては8月20日のこの日録に書いているんで、もうリンクなんてまだるっこしいや、この記事の最後にその文章を全文、再録しておきます、未読のかたは読みください。すでにお読みのかたも、もう一度読んでみてください。お願いだから。

 日本に出稼ぎにやって来た外国の人々を矮小化して描き、そいつに上から目線で”慈悲の言葉”をかけてやることで国際的なヒューマニストたる自分に自己陶酔する、そんな、なんともグロテスクなんだけどね、あの唄は。あんな唄に”ウルウルする”出来るなんて、信じがたいことなんだけどね。

 でも、どうやら島唄に興味のある向きにはあの唄、”名曲である”って合意が出来上がっているみたいで、なんとも情けない限りだ。ネットを検索してみても賞賛の言葉なかりでね。情けないなあ。島唄ファンって、あの唄の偽善性に気がつけない人たちばかりなの?
 あの気色悪い言葉使いといい、”黄金の花”から溢れ出しているのは、もうむき出しの生暖かい偽善性なんだが、あれを聴いていて気持ち悪いと一瞬でも感じたことはないんだろうか?そんな感性しか育めないなら、島唄を聴くなんて行為自体にたいした意義がないって事になりゃしないか?

 とうようさんも、奄美の音楽界とはあんまり付き合いがないんで歯に衣着せぬ発言はするが、沖縄の島唄には思い入れがあるんで採点が甘くなるというか、欠点には目をつぶってやる、そんな傾向がありはしないかな、ひょっとして?

 まあ、あの唄を作詞した”岡本おさみ”という人物はかって、吉田拓郎の唄に詞を提供していた人物でね。吉田拓郎に詞を書くような奴は、吉田拓郎の唄レベルの作詞しか出来ないんだよ。その辺で大体の見当はつくはずじゃないかなあ。
 あんな歌詞に曲をつけてしまった知名定男も情けないけどねえ。あれほどの策士が、あの唄のインチキ性には気がつけなかったのか?まさか、あの唄に乗っておいた方が大局から見て有利だ、なんて判断・・・したとは思いたくないけど。

 それでは8月20日の文章の再録です。お読みください。

 ~~~~~

 というわけで今回は、主に沖縄音楽好きの間で評価の高いらしい”黄金の花”なる歌についてここで考えてみたく思います。

 岡本おさみ作詞・知名定男作曲。ネーネーズの歌唱がどうやらオリジナルで、その後、いろいろな歌手たちがレパートリーに入れています。
 この歌は沖縄音楽関係者の間で、すでに”名曲”みたいな扱いを受けている。それが定評、みたいになってるけど、私にはなんだか聴いていてどうにも気色の悪い気分になって仕方がないんですね。これについて考えてみたいというわけです。

 歌詞を載せていいのかどうか。幸い、全歌詞を掲載しているサイトがあったので、下にそこのURLをリンクしておきます。読んでみてください。

 ●”黄金の花”の歌詞●

 この歌、どうやら海外から日本に出稼ぎにやって来た人々に呼びかけるという仕様のようです。日本の生活のペースに巻き込まれ、心を曇らせないでと呼びかけているようなんですが。
 私がこの歌を聴いてまず首をかしげたのは、彼ら”きれいな目をした人たち”は「黄金の花はいつか散る」ことを、いちいち我々が”指導”してやらないと気もつけない連中なのか?ってことです。

 この詩を読んでいただければお分かりになるかと思うんですが、ここでは彼ら”他所の国の人々”は、ろくに判断力もなく、ただただ助力を必要としているひ弱で無能な人々、そんな風に描かれています。そんな風にしか私には読み取れません。
 少なくとも、彼らの伝統や文化に対するリスペクトってのはこの歌詞の中からはまったく読み取れませんよね?

 そう思って読み直してみればこの歌詞、物言いは丁寧なように見えますが、すべて上から目線です。この詩の中では海外からの人々はまるで、明日にでも死にそうな病人か老人みたいにみえます。
 彼らはあくまでも、”よりすぐれた上位者からの庇護や助言を必要としているひ弱な人々”なんですね。で、その上位者ってのは「もちろん、我が優秀なる日本民族である」なんて奢った意識、この歌詞の裏に脈々と息付いてはいないか、もしかして?

 だって、ここには彼らを、”もしかしたら我々の側こそが教えを請わねばならぬ貴重な文化をその内に秘めているかもしれない人々”なんて形で敬意を払おうなんて姿勢は覗えないんだから。ただただ”弱者”として、庇護の下に置かれるべき非力な人々として扱われているんだ。
 
 どうやらその辺で私は、この”黄金の花”って歌に、というかその歌詞に反発を覚えているようなのです。
 
 この曲の存在意義って、なんなのか?
 何のことはない、この歌を作り、あるいは歌い、あるいはひいきの歌手がそれを歌うのを聴き、「ああ、弱い立場の人々を思いやってあげている私って、なんて心優しく正しい人なのっ!」と自分に感動する、ための、自己陶酔するための、自己満足するための、お茶番ソングじゃないのか、つまりは。

 そう思うと、なんかムカムカしてくるんですがねえ。沖縄のミュージシャン諸氏よ、あの歌にそのような違和感を抱いたことってありませんか?

さらに奄美に戸惑いつつ

2008-09-25 05:53:11 | 奄美の音楽


 ”スマイル”by 渡哲一

 先日の奄美民謡に関する文章では、まるでもう奄美の民謡に興味を失ってしまったかと取られかねないのだが、もちろんそんな事はないのであって、かの音楽はいまだ、私にとって刺激的なものであり続けている。
 が、心のうちに、「しかし、これはこれでいいのかな?」という疑問が生まれていたのも事実で、そこにいずれ調査隊を派遣せねばと思っていたら、とうよう氏がいきなり爆弾を落としてしまったので、そしてそれがあながち誤爆とも思えないものだったので、ちと困惑気味といったところなのであって。

 この夏、奄美のお隣の沖縄の音楽をまとめて聴いたことも影響しているのだろう。
 実はそれまでいろいろ事情ありで(これに関しても、もう何度も書いてきたが)敬遠してきた沖縄の音楽だったが、積もり積もった恩讐を捨てて(?)素直な気持ちで聴きなおしてみた結果、それまで聴いていた奄美の島唄の世界と比べて何と緩くて自由なのだろうと、いまさらながらに驚かされたのだった。なんだ、なんでもありじゃないか、と。

 沖縄では生活に歌の世界が直結している感じで、続々と暮らしに根ざす唄が生み出され、人々は、まるでサンダル履きで実生活と歌の世界とを行き来している。
 かえりみるに、奄美の島唄の、なんとストイックなことだろう。剛直に”伝承の継続”という柱が中央にそびえ立ち、唄者たちは脇目も振らずにその一直線の道をひた走る。時代の流れや個人的な感傷は、ここでは問題にされてはいない。

 そいつはとうよう氏の言うとおり、”型にはまった世界”とも言えるだろうし、また、”トラディショナル・ミュージック”としては、いっそ一途で潔いという捉えようもあるように思えた。
 私が惹かれた”現代に生きる古代歌謡”の世界もつまりは、このような継承のされ方の結果として存在しているのであろうし。
 と、このあたりで、まあ途方に暮れているわけですよ、奄美島唄のファンとしては。

 さて、ここにとりい出しましたるは。
 奄美島唄のベテランであり、奄美南部の島唄形式、”東(ヒギャ)唄”の最高の歌い手として名をはせ、長いこと島唄講座の講師として後進の指導にあたっているという大物らしい渡哲一氏のアルバム、”スマイル”である。
 といっても、そのような触れ込みに興味を持ってこのアルバムを買ったのではなく、ジャケ写真の、アロハを羽織り、リラックスしきった微笑を浮かべる渡氏の姿と、”スマイル”という、その奄美島唄らしからぬアルバムタイトルに惹かれた。

 つまりは、なにかというと純度の高い感じのつくりである奄美島唄の盤とは趣が異なり、何か一味違うものが聴かれるかと期待して盤を手に取ったのである。
 この盤を購った当時は奄美島唄の聴き始めの、まだ無心にその世界を探求していたはずの私だが、その頃から、”もう少し表現の幅が欲しい。奄美島唄の別ルートからの歌声も聴いてみたい”そんな欲求は芽生えていたようだ。

 そんな私であるが、この盤から飛び出してきた音を聴いて、まずは大いに戸惑ったのを覚えている。
 それまで馴染んできた奄美の唄者たちの鋭い歌声とは趣の異なる、なんだかモコモコした感じの歌声であり、三振と共に織り成すリズムも、「え?これで合っているのか?」と途方に暮れる不思議な癖があった。
 いや、実はいまだに、これでリズムが合っているのかどうか私には分からないのだが。いやいや、合っていないわけがないのだが。

 これが”巨匠の余裕の一撃”という奴なのだろうか。いつもの研ぎ澄まされた島唄表現とは別の”引き”のパターンではある。が、沖縄の島唄に感じた”緩さ”とも、また違う。
 こいつもまた、奄美の”伝統一直線”の剛直な道筋を歩む唄には違いない。ただ、そのアプローチが”激渋”であるだけで。この持ち味、”老獪”といってしまって良いのかどうかも、いまだ分からないのだが。

 ともかく巨匠がお仲間たちと繰り広げる渋いセッションに、なにやら子供の頃、寝しなに、大人たちが別間で繰り広げていた酒宴の歌声を漏れ聞いていた、そんな記憶など呼び起こされつつ、悩み多き秋の夜は更けて行くのだった。

奄美島唄の不可能性?

2008-09-23 01:42:40 | 奄美の音楽


 ”ミュージックマガジン”誌の10月号が書店に並んだので立ち読みしていると、中村とうよう氏による奄美民謡CDのレヴューがあった。それがなかなかに強烈な問題提起なのであって。

 たとえば川畑さおりという歌手のアルバムへの評文には、こうある。”たぶんコンテストでは決まった節回しを競うのだろう。”罰則減点で縛り付け、自由な表現という歌の大原則に背を向けた、いわば奴隷の美意識ではないのか”
 また、福山哲也という歌手のアルバムに対しては、”奄美島唄が形を厳守する音楽なら、今後この欄で扱うのは無意味だから”と。

 ううむ。奄美の島唄ファンの当方であるが、とうよう氏の主張に共鳴する部分もないではないのだ、実は。

 ただ、昨年暮れあたりからかな、奄美島唄に興味を持って聴き始めた身としては、この問題について考えるのは、もう少しあとにしたかったのだが。そう、当方も奄美島唄が孕む問題点には、うすうす気がつき始めていたのだ。
 だが、それに関して自分なりの考えを述べるには、まだまだ島唄について知らないことが多過ぎるので、その問題はしばし棚上げにしておきたかったのである。おきたかったのだけれどねえ・・・

 奄美の島唄に惹かれたのは何より、”日本の古代歌謡が生きた形でそこにある”という事実に驚かされたからだった。
 本当に古代歌謡までも連なりそうな形の唄が、博物館に収まるのでもなく、また古老の思い出話の一部として埃を払って引き出されるのではなく、次から次にと登場して来る若い歌い手によって歌われる、そのありように新鮮な驚きを覚え、夢中でCDを買い集めた。

 歌詞に関しての書籍など読んでみると、今となっては意味の分からなくなってしまった歌もかなりあるらしい。もともと民俗学の本など読むのが好きだった当方としては、ますます血の騒ぎを覚えた次第。

 そんなこんなで、奄美の島唄に夢中になって行った。
 だがその一方、ちょっと気にならないでもない部分も、聴き進むにつれて出て来た。たとえば、どの歌手のCDを聴いても、収められている曲目は似たようなものじゃないか、という事実。
 お隣の沖縄のように、新作の島唄というものが続々と生み出されているという状況では、どうやらないようだ。

 あの”サーモンとガーリック”のアルバムでも、いまだに坪山豊氏が”ワイド節”を創唱した事実が”栄光の歴史”として語られているのだが、いったい何年前の話なの?その後に、歴史を変えるような新作は登場していないのだろうか?
 登場しにくいような精神風土が奄美島唄の世界にあるのだろうか?なんて疑問がそぞろアタマをもたげては来ていたのだ、私の心のうちでも。

 また、奄美の唄者たちのアルバムを聞き進むにつれて、かなりハードな様式美の世界のようだな、との手触りはかなりリアルに伝わって来てもいた。踏み外すことの許されないレールの幅は、どうやらかなり狭そうな・・・
 楽しみに聴いている奄美島唄ではあるのだが、このまま行くとクラシック音楽のファンみたいに、厳格な形式に縛られた、しかも限られたメニューの中で歌い手各々の歌の解釈の微小な差をああだこうだと語る、重箱の隅をつつくような神経質な愛好家の世界に入り込んでしまうのではないか?

 などとファンとしての将来になんとなく暗雲を感じ始めないでもない、みたいな気分になっていたところに出会ってしまった、冒頭に紹介したとうよう氏の一文である。
 うーむむむむ・・・
 まあ、分かんないです、まだ。この件に関して結論を出すのは、もう少し奄美の島唄に付き合ってからにしよう。というか、ほかにとるべき道もないよ。自分としてはまだまだ、奄美島唄という音楽の存在を新鮮なものとして楽しめているのだからね。

 それにしても、あのとうよう氏の評論に対する奄美の唄者自身の感想というもの、訊いてみたいものだなあ。

くたばれ、半疑問形

2008-09-22 00:23:52 | 時事

 一部で”半疑問系”と称されている奇妙なアクセントを付けた話し方が、ある年代の女性たち中心(らしい)で使われるようになって久しいが、私はあれが不愉快でならない。
 文章でどう表現するのが適当なのか分からないが、たとえば”液晶のテレビを買おうと思います”と発音すれば足りるところを”液晶のぉテレビを? 買おうと思います”みたいに文節の一部をまるで相手に問いかけるみたいに跳ね上げてみせる。

 この”を?”の部分の跳ね上がるアクセントが不愉快でならないのである。

 自分の事情を語っているのだろう。なのになんで相手に問いかける?非合理であるし、なにやら相手にもたれかかるみたいな感触がベッタリと込められている感じで、そのあたりも気色悪い。
 しかも、その自らの語りに仕掛けた不愉快な装飾をご本人、どうやら”ちょっとオシャレな話し方”とでも自覚しているらしいのが、こちらの苛立ちをますます駆り立てるのである。

 もちろん、これを使うのは女性ばかりではないね。たとえばお笑いの島田紳助なんかも時々、この不愉快なアクセントをまじえて話すことがある。「こんなオシャレな喋り方ぁ? も出来んのやで、俺」とばかりに得意げに。
 バカか。いやしくも言葉を商売にしている者が、半疑問系の気色悪さも自覚できない無神経、まことに情けない。

 最近、この件で私に盛んに喧嘩を売って来ているのが、なんとかいうガン保険のコマーシャルである。
 コマーシャルでその生き方を紹介されるのは、フィギュアスケートかなんかの女性プレイヤーで、外国に留学している、
 ある日、彼女を応援してくれていた父親がガンで亡くなる。その一年後、彼女自身もガンを発症する。だが彼女はスケートの留学を続けるため、外国で孤独に病と闘いながらスケートに取り組んだ。そんな彼女に氷の上のプロポーズが待っていた、とか言う物語。

 まあ、あれを作った広告代理店のクリエイター諸君には、自作の”CF”の感動大作ぶりに自分で勝手に酔っていろとでも言うしかない代物なのであるが、ここで話の主人公たるスケーターの女は、こんな具合に語って見せるのである。
 「いい時も 悪い時もぉ? 充実した毎日を送っていたい」とかなんとか。

 普通に「いい時も悪い時も」とスッと語ってしまえば良いものを、それをわざわざ2文節に切って、”いい時も 悪い時も”とし、なおかつ2つ目の”悪い時も”の”も”を”もぉ?”と、語尾を跳ね上げるのがたまらなく不愉快である。
 その”もぉ?”を発音する彼女の様子は、その語り方を疑いもなく”オシャレな一発”と信じ込んで来た者のそれで、なおかつその発声には年季が入っている。長いこと、”悪い時もぉ?”とやりつつ彼女は生きてきたのだ。そいつの響きの美醜を疑うこともなく。慣れ切って。いい時も悪い時も。

 なんとかならねえのか。あの気色悪いアクセントの置き方が、我が日本語にこのまま生き残ってしまうのだろうか。

 「最近の日本語は乱れている」とか嘆いてみせるのは一番手っ取り早い軽文化人の証明みたいで、彼らは皆、なんとやらの一つ覚えで、「私は”ら抜き言葉”だけは許せません。”来れる”ではなく”来られる”ですっ!」とか飽くことなく繰り返すのである。
 であるが、あの半疑問系のアクセントへの疑問が彼らの間から沸き起こることがない。この話を理解する能力もどうやら、ない。うら寂しいことである。

小山ルミ再発見

2008-09-21 04:42:45 | 60~70年代音楽


 ”ドラム・ドラム・ドラム”by 小山ルミ

 小山ルミといえばリアルタイムでテレビ等でその姿を見ているはずなのだが、不思議になんの記憶も蘇らない。今で言うバラドルみたいな事をやっていたような記憶もあるのだが、他の誰かについての記憶と混同している可能性も大いにある。
 などと思いつつ、クソ、もっとよく見ておけば良かったなあなどと30年遅れで悔しがってみるのも、今年になってCD再発された、この1972年に世に出ていたアルバムが、かなり良い感触の作品になっているのに気が付いたからである。

 結構カッコいいんだよ。平山ミキの”フレンズ”とか朱理エイコの”北国行きで”などなどカバー曲が多いのだが、今聴いても全然古臭くない”ロックな”歌唱法が切れまくり、へえ、小山ルミって、こんなに良い歌手だったのかと驚いている次第。
 もっとも当時、ゴリゴリのロック少年で歌謡曲などバカにしていた私が、リアルタイムでこのアルバムを聴き、その良さを素直に認めていたかどうかは分からないのだが。

 しかもこのアルバム、発売当時は8トラックのカートリッジ・テープでしかリリースされなかったのだとか。この扱いが何を意味するのか、今となっては実感として理解は出来ない。軽い扱いだったのか、それとも”めちゃくちゃナウい”処置といえるものだったのか?
 ともかくこのアルバムは普通の”レコード”という形ではなく、もっとラフに時代の中に放り出された。そんな”生の感触”が収められ音の中にも息ずいている、時代の熱さが脈打っている、そんな感触がある。

 ”フレンズ”などは平山ミキのオリジナルよりも、よりロックな手触りの出来上がりで数倍カッコいいし、終わり近くに収められている”許されない愛”の、自分の出せる最高音ギリギリまで使っての熱唱など、ちと胸が熱くなる感がある。そうだ、今頃になって”歌手・小山ルミ”の熱烈なるファンになっている私だ。

 ところで”許されない愛”って曲は、誰か男性アイドルの持ち歌との記憶があるが、誰だったか思い出せない。ここまで出ているんだが、という奴で。まあ、男性アイドルの名前なんてどうでもいいんだが。
 むしろ聴いているうちにこの曲、早川義夫が1969年に出したソロアルバム、”かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう”の中に入っていた曲、なんて気もしてくるのだった。そんなはずはもちろん、ないのであるが。

 この錯覚の原因は実は分かっている。早川のアルバムの一曲に、一部これと似たようなリズムとコード進行の曲があるのだ。そのあたりから生じた錯誤なのだ、おそらく。
 が、元の男性歌手の歌からはそのような錯覚は生じなかったのであって。これはやっぱり、小山ルミの歌唱の内に流れている時代の魂がロックだったからと言えるのではないか。

 早川のあのアルバムにおける、ピアノの弾き語りのみの死ぬほど地味な音楽に、60年代から70年代にいたる、屈折しつつ燃焼していた時代の魂が脈打っていた。その鼓動と共鳴するなにかが、この”ドラム・ドラム・ドラム”にも流れていることを今頃発見して、なにやら、どこかへ駆け出したいがいまさら行く先もない、みたいな妙な血の騒ぎをもてあます私なのだった。

ベンチャーズ宇宙に行く

2008-09-20 04:43:24 | 北アメリカ


 ”Ventures In Space ”by Ventures

 これを聴いていると、深夜のテレビなどでたまにやる昔のアメリカ製の三流SF映画の一シーンが脳裏に浮んでなりません。浜辺でビキニを着た金髪の”グラマーガール”がゴーゴー踊ってるの。何の必然性もなく。と、そこに煙を吹きながら現われる、思いっきりハリボテの安っぽい怪物。それこそは金星からやって来た謎の侵略者であった!

 これは、日本に”エレキブーム”を巻き起こしたベンチャーズが1964年に発表した、”宇宙もの”の曲を集めたアルバムであります。あの頃は米ソの宇宙開発競争などもあり、こんなものが流行のファッションだったのでしょう。
 同じ頃、別のエレキバンドが”テルスター”なんて”人工衛星もの”のヒット曲(?)を出し、また、スプートニクスなんて宇宙服を着てステージに出てくるそれ専門の連中まで現われた。そりゃ、”インスト・エレキバンドの第一人者”を持って任ずるベンチャーズも黙ってはいられなかったのかと思われます。

 ともかく素っ頓狂な演奏の連発で、こいつは楽しいです。

 なにしろSFネタのアルバムなんで奇矯なアイディアは出し放題。当時考えられた”宇宙っぽさ”を演出するために奇怪なテンション・コードが投売り状態で提示され、いつもより余計にエコーをかけてみました、のギターはぶっ飛んだフレーズを快調に奏でて、不吉な響きのキーボードと美しい女性コーラスは宇宙の神秘を歌い上げ、奇怪な効果音はいたるところに差し挟まれて。

 すべてデタラメやり放題の無法地帯で、まさにオモチャ箱をひっくり返したような楽しさ。
 でも演奏の聞かせ所の盛り上げ方は、いつもの”テケテケテケ♪のエレキ・サウンド”であるのも、なんか気恥ずかしくも嬉しかったりするのですわ。
 いくつか聴かれるスペイシーな広がりを持ったバラードものの甘いメロディは、私なんかの世代には、青春時代に切ない思いで見上げたあの星空を思いおこさせ、ああ、あの頃は彼女も私も若かったとの感慨に。

 いやいや、世界そのものが若かったのでしょうね。
 あの頃、まだまだ人類が開くべき扉は無限に残されていると信じられ、未来は栄光に包まれていると皆は思い込んでいた。そんな栄光の輝きの影で、人類の抱え込んださまざまな矛盾は、知られぬまま膨れ上がっていたのだけれど。
 まだ幼かった世界が夢見た、ついに人類が手を触れることの叶わない宇宙の地平線の幻。この無邪気な音楽の戯れの向こうに、そいつは面白くやがて哀しき、みたいな儚い姿で揺れているのであります・・・

マグレブ式狩猟歌

2008-09-18 01:59:12 | イスラム世界


 ”abidat r'ma sorba”

 現時点で、ワールドミュージックシーンの間違いも無く最先端にいるのが北アフリカのアラブ世界なのだが、世界のほとんどの人がその事に気がついていない。いや、ワールドミュージックという概念そのものに興味を持つ人がろくにいないんだから、そりゃしょうがない。
 北アフリカのアラブ人たちも自分たちのやりたい音楽をやっているだけで、最先端も何も知ったことではないだろうし、まあ、こんな事を書いてみるのも余計なお世話でしかないのだが。

 というわけで今回の盤。これはその北アフリカはモロッコ在住のベルベル人社会で、狩猟の際、獲物を追い込むために奏でられていた伝統音楽を再生させたものだとか。
 とにかく凄いテンションが終始漲っている音楽で、一聴、圧倒されてしまうのだった。

 前のめりの性急なノリで打ち鳴らされる民俗パーカッション群のワイルドな響き。そして鍛えられた声質の雄々しくも鋭い表情のボーカル陣が、それに乗って歌というよりは呪文、あるいは祝詞みたいなシンプルなメロディのコール&レスポンスを歌い交わす。
 聴いているだけでも血圧が上がってくるようだ。いったいどんな動物を追いまわしたのか?この音楽の中に受け継がれている猟人たちの血の騒ぎの熱さに驚きつつ、思う。

 サハラ砂漠を吹く風には極めてよくお似合いの、あくまでもクールに乾ききった表情の中に、研ぎ澄まされた激情が駆け抜ける。
 ふと、ブラック・アフリカの怒号王、ナイジェリアのアパラ・ミュージックの突撃隊長だった、故・アインラ・オモウラの音楽など思い出す。オモウラの音楽と迫力において張り合える音楽など、この時代に”新譜”として聴けようとは予想だにしなかったので、これは嬉しい驚きなのだが。

 それにしても、このせき立てられる様な性急なノリと攻撃性。どこまでが伝統に由来し、どこまでが今日を生きる者の抱え込んだ抑圧に由来するのか。
 なんて事をふと考えた。中ジャケ写真の、民族衣装を身にまとって草原で伝統的遊牧民の暮らしを演じ、あるいはまた、ジーンズを履いてあくまでも今日を生きる若者としての表情を浮かべつつモロッコの古びた街角をのし歩く、このユニットのメンバーの写真を見ながら。

 鮮烈な鞭の一閃、みたいな音楽。”空耳アワー”的話題ではあるが、中途で「ヤバイ!」「ヤバイ!」「ヤバイ!」「ヤバイ!」と聞こえる怒号の応報の瞬間があり、うんまったくだ、ヤバい音楽もあったものだなあと納得してしまった次第。
 やっぱり北アフリカからは目が離せない。

”加護営業”のうさんくささ

2008-09-17 04:24:30 | いわゆる日記


 リストカットといい未成年者喫煙といい、ともかく心の病関係者がちょっとでも隙を見せれば強引に顔を突っ込み、その道の権威者ズラして高所からものを言うという”加護営業”は順調に稼動しているようですな。
 それにしても加護はなぜ、あんなにも偉そうに出来るんだろう?”自殺未遂か?"と疑われた某少年俳優に対するコメントなんかには呆れるしかなかったんだけれど。

 で、加護のバックにいる事務所関係者というもの、どういう神経でいるのか。どのくらいの商売が成り立っているのか知らないが、その結果として明らかに、一人の単にバカな女を大勘違い人間へと変身させているわけだが。この”勘違い”だって”心の病”だよ、もちろん。

 加護とかかわりを持って喜んでいる社会運動関係者ってのも分からない。話題になって人を呼べればそれで良いのか?そんな事をすれば自分がそれまで築きあげてきた実績、いや、その社会運動自体までもがすべてうさんくさく見えてしまうって、分かっているのかな?

 そして、加護が何かやるたびに、下のように全面的支持の内容の記事を掲げるマスコミって何?何らかのビジネス上のつながりがあるわけ?
 とにかくうさんくさいよなあ、あれに関わるすべてのものが。

 ○加護ちゃん 自殺未遂者に生きるエールを送る!
 (日刊サイゾー - 09月16日 09:10)
 9月13日(土)、新宿ロフトプラスワンで、自殺防止を呼びかけるイベント「ストップ自殺!~あなたは1人ぼっちじゃない~」が行われ、特別ゲストとして、元モーニング娘。の加護亜依(20)が登場した。
 今イベントは、自殺未遂体験者の話を聞くとともに、どうやって「生きづらさ」を乗り越えたかについてゲストを交えて話し合い、死を考える人々へ生きるメッセージを投げかけようという趣旨。
 前半では、対人恐怖症やパニック障害などで自殺未遂を経験した5人が、絶望の淵から生きる気力を取り戻すまでの体験談を語り、詩の朗読やライブなどのパフォーマンスを行った。自らの孤独とやりきれなさを切々とつづった詩の朗読には、客席のあちらこちらからはすすり泣きが聞こえるほど。
 そして後半では、作家の中山美里さんと、加護ちゃんことタレントの加護亜依を招いて、「生きづらさ」をテーマにトークライブを実施。加護が登場すると、前半の神妙な雰囲気とは一変、会場は異様な盛り上がりを見せる展開に。
 自らも自殺未遂経験者である同イベントの主催者・月乃光司氏に「僕たちの仲間です!」と紹介された加護。司会者から「今まで生きている中で、一番辛かったことは?」と聞かれると、「未成年の時に喫煙をして事務所を謹慎、解雇になった時。でも、母親が叱ってくれたり、周りの人間が頑張っている姿を見ていたら、『もう一回頑張ろう』って、段々と前向きになれて。私は1人だと悲劇のヒロインみたいになっちゃうので、色んな場所に行って色んな人と話すことで、ストレス発散になって考え方も変えることができました」と、自虐ネタも織り交ぜつつ語り、観客の笑いを誘った。
 さらに、「落ち込んだ時の対処法は?」という質問には、「プールに行って、人魚姫になった気持ちで泳ぐ。苦しくなるまで泳ぐと、最後に負けないぞ、という気分になってやる気が出るんです」と明るく回答。また、作家の中山さんから「私は16、17歳のころは辛い時期を過ごしてきたのですが、加護さんの思春期はどんな辛さがありましたか?」と聞かれると、「当時はモー娘。にいた時ですが、基本的に辛いと思ったことはありません。17歳のころは、最高の青春でしたね!!」と、笑顔を見せた。
 最後には「落ちこんだ時は色んな人と話すことが大切。『加護亜依LIVE~未成年白書~』の中で私はいろんな人と対談したのですが、とても勇気をもらった。だから、この本を読んで私みたいに前向きになってくれる人がいたら嬉しいです!」と、8月25日に発売した著書の宣伝も卒なくこなした。