ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

カラ岳よ永遠に

2008-07-29 02:21:52 | 沖縄の音楽


 ”島時間”by 大島保克

 というわけで。奄美の民謡を聴く行き掛かりに、かってあまり馴染めずに終わった沖縄の島歌に再入門を行なっている今夏なのである。
 今回のこの歌い手、というか石垣島の民謡系のシンガー・ソングライターと呼ぶのが正確なのか、大島保克などは、そんな当方の最近のお気に入りなのである。その、悠久の風に吹かれて枯れ切ったかのような歌いっぷりに象徴される、飄々たる個性がいい。

 民謡と、それに根を生やしたオリジナル曲の二本立てで勝負しているようだが、特に気負うでもなし、両者を当たり前のように並列させて歌ってしまっているのも、ある種、痛快である。
 オリジナルに関しては、とにかく三拍子のバラード(というのか?)で、大島は良い味を出す。このアルバムの冒頭に収められている”カラ岳”や、逝ってしまった島歌の偉大なる先達に捧げた”流星”、そして最終曲の”真砂の道”など、どれも深い、が湿度の多過ぎない感傷が心地良く、何度でも聞き返したくなるものがある。

 面白いのは、三線が奏でる”カラ岳”の間奏の始まりが、まるでアメリカのカントリー・ミュージックでも始まるかのようなノリを示したり、また2曲目、”大和からぬ舟”の三線の織り成すリズム・パターンが同じくアメリカのオールドタイム・ミュージックにおけるバンジョーの奏法を彷彿とさせるものがあったりするあたり。
 まあ、わざとやっているのかも知れないが。なにしろバイオリンや西アジアのものらしきパーカッションも当たり前のように伴奏に取り入れてしまっているアルバムなのだから。と言ってもあくまでさりげなく、なのだが。

 酷暑、エアコンの効いた部屋で夏バテの体を横たえ、遠い南の島を想いつつ聞き入るには最適の、静けさに満ちた、まさに”島”のゆったりとした時間の流れを届けてくれるアルバムである。
 もっとも、良い気持ちでばかりは終わらせてくれない苦さも舌に残して行く。先に述べた冒頭の”カラ岳”の問題である。

 そこは標高、ほんの100メートルほどの”山”なのだが、霊的な雰囲気さえ感じさせる景勝地である。また、観光資源としてばかりではなく貴重な動物相にも恵まれている。

 そのカラ岳がこの数年、新石垣空港の建設候補地として挙げられ、その自然が根こそぎ破壊される危機に貧しているとの事。建設計画における行政の強引で乱暴過ぎる動きと、一部の者だけに利益誘導をせんとする策謀のあまりのあからさまさに慄然とする。
 その有様、まさに税金の無駄遣いとしかいえない静岡空港の建設に反対し続けている静岡県民としては他人事とは思えず。
 いずこも同じゼネコン行政に憤然たる思いを禁じ得ないのだが、そのあたりを頭に入れて”カラ岳”を聞き直すと、物静かな表現の内に燃える静かな怒りの炎に粛然たる気持ちにもさせられるのである。

”カラ岳ぬ上や いちまでぃん ユリぬ花どぅ咲き
 カラ岳ぬ上や いちまでぃん カヤぬゆれる”

 (”カラ岳”作詞・大島保克)

東京=香港・合わせ鏡の幻想

2008-07-27 06:20:12 | アジア


 ”Super Girl ”by ステファニー・チェン( 鄭融 Stephanie Cheng )

 明石家さんまが27時間テレビなどやっていて、夕食後、寝転んでそれを見ているうちに寝込んでしまったようだ。目が覚めたら夜中の3時、テレビの画面ではゲストだったらしい谷村奈南の出演コーナーが終わるところだった。あたたたた。私は彼女のファンでしてね。
 こりゃ惜しい事をしたな、もう少し早く起きていれば、などと悔しがりつつ起き上がり、こうして憂さ晴らしに香港の谷村こと(?)ステファニー・チェンの話など書き始めている次第で。

 いや、コロコロと健康的な体系の谷村と大人の色気で迫るステファニー、まるでタイプは違うんだけれど、どちらも青少年の性欲視線を一身に集めての爆裂ダンス&歌唱が売りという部分においては共通するんではないかと。

 いま、この文章を書くためにステファニーに関して検索をなんとなくかけてみたんだけど、「香港には珍しいダンス系の」なんて文言が見つかり、フムフム、などと頷いたところで。確かに、香港の地には踊りまくりの色気爆裂系の歌手など、もっといても良さそうな気がする。どうしてなのかな?まあ、今後の研究課題ということで。
 そういえば検索をかけていたら、ステファニーの先輩格にあたる同じくダンスもので評判をとっていたサミー・チェンとの共演の話題も見つかったのだが、サミーも90年代より、香港におけるダンスものの孤塁を守っていたものだった。

 これまでも私は、香港という地と、その地独特のポップスに寄せるやや歪んだ思い入れを語って来ている。が。その思い入れも、租借帰還が終わり、香港が英国の植民地という立場を終えて北京政府に”返還”が成されたその途端に、あっけなく霧散してしまった感がある。そう、私は現実に着地してしまった香港など、見たくはなかった。

 私は香港と言う場所が99年間にわたって過ごしていた”英国による租借”なる幻の時間を愛していたのかも知れない。政治的現実から数センチ遊離して、本来は地味な中国の田舎町だったはずの空間にきらびやかなネオンを輝かせていた、あの香港の街のつかの間実在した幻、下世話な喧騒に満ちた奇跡を。

 このCDに、ステファニーの昨年夏の大ヒット曲である”東京百貨”が収められている。恋人と別れた傷心を東京への一人旅で慰めんとする香港女性の姿を描いたバラードである。
 オマケに封入されたこの曲のプロモーション・ビデオの中の東京は、なんだかひどく頼りない陽炎のように揺らめいて見える。私の幻想と合わせ鏡のように、香港人が寄せる身近かな”実在する幻想”の街としての東京の姿を見るような感触がある。

 そう、たとえ幻想が砕け散ろうと、人は生きて行かねばならない。私はステファニーの演じて見せる今日を生きる香港人の姿から、そんな想いを受け取ったのだが、いや、それも私の心に宿った新しい幻想に過ぎないのかも知れないね。

ラムティの花咲く丘で

2008-07-25 06:26:13 | アジア


 ”IN LOVE with INDONESIA”by Jelita Septiana

 このアルバムを聴きながら、”巷に雨の降る如く”・・・と古い翻訳詩歌など思い出してしまったのは、しっとりと落ち着いたジャジーな音作りの奥底に、古い歌謡曲的感傷の脈打っているのを聞き取ってしまった気がしたから。まあ、歌謡曲的とは言っても、あくまでもインドネシアにおけるそれなんでありますが。

 歌手のJelita Septianaに関する知識はまるでないんだけど、歌いぶりからして結構キャリアのあるジャズ系のシンガーのようだ。余計なフェイクもまじえず、清潔感のある歌声で、小粋なジャズ・アレンジの施されたインドネシアの懐メロ(?)をスインギーに歌いつずって行く。

 「インドネシア音楽ファンにとってはお馴染みの、”Andaikan”から”Sepanjang Jalan Kenangan”まで、懐かしい曲ばかりが収められている」なんて、この盤に関する評を読んだ事がある。フムそうか、そのような曲を集めて歌った盤なのか。

 昨日のタイ・ポップスに関する話と似たような事情なのだが、インドネシアの大衆音楽についても当方、ジャイポンガンやプルコルン・コルンなどなど、泥臭いローカル・ポップスばかり聴いてきたので、かの国においてメジャー展開していたヒット曲のタグイにまるで親しみがない。それが、このような盤に出会ってしまうとなかなか残念に思えるのだが、まあ、いまさら仕方がないね。

 そんな次第で、思い出の共有は出来ないのだが、インドネシア民衆の思い出の角々で静かに鳴り渡り、インドネシア民衆と喜怒哀楽を共にして来た歌の数々、それをインドネシアの民衆がどのような思いを込めて記憶しているか、ある程度の想像はつく。

 独立後のインドネシアもまた、長い長い混迷の現代史を歩んで来たのだ。そいつをつかの間、歩を止めて静かに振り返った。これは、そんな趣旨のアルバムではないのか。
 瀟洒に歌い流すジャズの響きの中で、その想い出は決して激することなく、が、忘れられることもなく、身重くそこに横たわっている。よく見ればそいつは、いまだ生々しい血潮の流れが脈打ってもいるのだ。

 上品なジャズ仕立てにしたのは、インドネシアの人々の達成感の表れ。そいつにふと漂ってしまった哀感は、その道が決して平坦なものでなかったことの証。そして彼らは、また歩き始める。白いラムティの花咲く道を。

 それにしてもインドネシア民衆の思い入れは奇妙なところに発揮され、いわゆるデジパック仕様のジャケ、普通の1,5倍の長さがあります。ウルトラ豪華ジャケは良いが、ともかく異常にでかくて、収納のどこにも入りゃしません。仕舞い込まずに、おりに触れて聴けって意味かなあ。

カキ氷とバイオリン

2008-07-23 15:37:10 | アジア


 ”Emotions of the Violin Vol.1”by Ampere Cinderella

 タイ・ポップス関係。
 シンデレラなるグループのメンバーのソロ作とのこと。とか言ってるが、そのシンデレラなる連中に当方、何の知識も無し。何しろタイの大衆音楽というと土俗系のモーラムやルークトゥンの類しか聞いていないんで、オシャレなポップスに関する知識は皆無です、ご容赦。

 で、このアルバム、バイオリン奏者であるアルバムの主 Ampereが、彼女の所属するレコード会社が過去に放ったヒット曲を集めてインスト・ヴァージョンを繰り広げるという趣向らしい。
 もともとがイージー・リスニング好きな当方としてはソッコーで購入した次第。いや、これはなかなかに心地の良いムード・ミュージックぶりで気に入りましたね。

 淑やかなるバイオリンの響きに乗せて、タイ・ポップスの中でもひときわ洗練されたバラードものを粛々と奏でる。余計な小細工無しで、ただ美しいメロディを辿っているだけの演出が良い。
 ときどき顔を出す親指ピアノを模したキーボードの響きも効果的で、ワールドもの好きの心の琴線をくすぐる。

 こうして音楽の構成要素のうち、”美しいメロディ”のみを抜き取って、その他の要素を洗い流してしまうと、タイ・ポップスも日本のポップスもまったく同質の世界を並走しているのだな、なんて思えてくるのですな。しっとりと濡れたような叙情の水の中を揺れながら流れて行く淡い悲しみの旋律。

 何度か思い浮かんだのはなぜか奄美出身の歌手、中孝介。彼の奄美の民謡の歌唱法を生かした裏声まじりの歌唱法で、ここに収められた曲のいくつかを歌ってもらったらさぞ気持ちよかろう、とか。かと思えば、松田聖子が歌っても何も不自然ではない曲もありで。
 ともかくクソ暑い夏の日、こいつはひと時の音の涼でありました。


吹雪の彼方のベトナム

2008-07-22 05:52:47 | アジア


 ”doi cho ta the ”by khanh ly ・trinh cong son

 ベトナムのポップスにはあまり詳しくない。まあ東南アジア方面はさまざまな音楽の宝庫といえる国が多くて、なんとなく後回しになってしまっているだけで、別に苦手としているわけでもないのだが。
 そんな私でも知っているベトナムの大歌手、カン・リーと、これも高名なかの国のシンガー・ソングライター、チン・コン・ソンの、これは連名盤である。とは言ってもチン・コン・ソンの歌声は収められておらず、つまりはカン・リーがチン・コン・ソン作品ばかりを歌った盤、という趣向なのか。

 聴いてみると生ギター二本だけの伴奏で、カン・リーがかなり無防備なというか、無造作な歌唱を聴かせている。
 本来はもっと豪華な伴奏を従え、華麗な歌唱を聞かせる人であるはずだ。”素顔のカン・リー”みたいな企画盤かとも思われる。
 哀切なバラードが、あるいは気ままな田舎道の旅など想起させる素朴なフォーク・タッチの小品などが、シンプル過ぎる伴奏を伴い、気ままに歌われて行くのを聴くのは悪くない気分だ。カン・リーと、そしてチン・コン・ソンの気のおけない生の歌心に触れる感じで、こんな盤がもっとあるならそれも聴いてみたいと切に希望する。

 なにしろ解説文が何もない盤で、勝手な想像で補いつつ聴き進めるよりないのだけれど。
 中ジャケにある、雪の中で一本の樹に寄り添うカン・リーとチン・コン・ソンの姿ばかりが妙に心に残る。上に掲げてみたが、ニュアンスが分かっていただけるかどうか。実はこの写真への思い入れだけでこの文章を書いている。白状してしまえば。

 カナダのモントリオールで1992年に撮られた写真だそうな。本来、雪などには無縁の南国の民である二人が、そのような場所で肩寄せあい、遠くにある何かを見つめている。
 そうそう、アメリカ在住のカン・リーのアルバムはアメリカでしかリリースされていないんだそうですね。でもさすが民衆に愛された歌い手カン・リー、ベトナム国内にはアメリカ盤の海賊版ヴァージョンがゴロゴロ、だそうだけれども。

 ベトナム戦争が戦われていた時代、南ベトナムの地にあって、政府への相当辛らつな抗議の歌など作り歌っていたゆえにたびたび体制からの弾圧を受けていたチン・コン・ソンだったが、私は「これで戦争が終わってベトナムが統一されたらされたで、また別方向からチン・コン・ソンは締め上げられるんだろうなあ」とかぼんやりと想像していた。

 70年代半ば。
 南ベトナム政府が倒れ、北ベトナム政府により”開放”された南ベトナムでは、いかにも共産圏の国らしく、歴史のある通りの名などが”革命通り”などと改名され、新体制に馴染めない人々は難民と化して頼りない漁船をあつらえ、命がけで国を出た。
 そして、かって”アメリカの傀儡政権”である南ベトナム政府から反政府分子として弾圧を受けていてチン・コン・ソンは、今度は新しい支配者である北ベトナム政府から”反革命的思想の持ち主”と弾劾されて思想矯正所に送られた、なんて話が伝わってきた。
 予想の当たった私は、「やっぱりね」などと知った顔して頷いてみたものだった。

 物事の矛盾を芸術家の感性でピタリと見破り、鋭い批判を加える歌など作る者は為政者にとって邪魔臭いだけの存在であるという、シンプルなお話。

 ただ知りたいのは、そんな北ベトナム政府の扱いをチン・コン・ソンはどうとったのだろうか?ということ。「裏切り」か?それとも私と同じように「やっぱりな」だったのだろうか。
 思想を”矯正”されて出所した後のチン・コン・ソンは、どのような歌を作り、歌い、新しい”解放後のベトナム”の現実を生きたのだろうか?
 まだまだ知りたくて知らないことは山ほどあるなあ・・・

 このアルバム、これもやはりアメリカ盤で2000年にリリースされている。そしてその翌年、ベトナムのホー・チミン市で闘病生活を送っていたチン・コン・ソンは、62歳でこの世を去っている。カン・リーにとってはこのアルバム、”思い出のよすが”って奴になるのだろうか。

南洋中華テレキャスター航路

2008-07-20 15:40:47 | アジア


 ”海風海涌海茫茫”by 張美玲

 東南アジア在住の中華系の人々の間で流通する娯楽音楽が、歌詞中で使われる頻度の高い福建方言から”福健もの”なんてとりあえずの呼び名を与えられ、我が国のワールドもの音楽好きたちに紹介されだしたのは、もう10数年前のことだろうか。

 中国の”民歌調”のメロディや日本の艶歌の流用やらが目立つ選曲がノリの良いチャチャチャのリズムを施され、アクの強い節回しで歌い上げられる。その猥雑なエネルギーの炸裂ぶりが痛快で、かっては好んで聴いていた。地図の上では存在しない国の音楽、というあたりも面白く思え、当方は”南洋中華街サウンド”などとあだ名をつけていたものだ。

 そんな”福建もの”だが、この数年来、話題の新譜も聴かぬままにとんとご無沙汰していた。まあ、世界中が相手のワールドミュージック好き稼業なんで、何もかもの熱心なファンでいるのは物理的にも不可能だしね。

 そんな所に出会ったこのアルバム。久しぶりに”福建もの”を聴く気を起こした。何しろタイトルが広々とした南の海を想起させ、そぞろ照り付けだした真夏の太陽によく馴染むようで、聞いてみたら心地良いんではないか、南海の潮の香りのする音楽を楽しむのも暑さしのぎの一趣向となりそうだ、などとの気まぐれからだ。

 この歌手の歌声は以前、カセットで聴いていていて「威勢のいい歌い手だなあ」などと感心した記憶があるから、馴染みがないわけではない。
 が、まず飛び出してきた軽快なギターの音には戸惑ってしまった。そのカラッとはじける音は”ファンダーのテレキャスター”とか”70年代のアメリカ西海岸”なんて言葉が口を付いて出るような世界を想起させるものだったから。

 「盤が違うんじゃないか?」と一瞬焦るあたりで、こちらの心を見透かすようにコロコロコブシを廻しつつ飛び出してくる、えげつない福建方言の中国語の歌声。サウンドは爽やかなれど、赤道直下の中華街の喧騒を偲ばせるエネルギッシュなチャチャチャ演歌の本質は変わらず。

 ああ、一発やられたな。しばらく離れているうちにこんな次第になっていたのか、南洋中華街サウンドは。とレコーディングのデータを検めれば、その印象的なギターを弾いているのが山口太郎なる日本人名前になっていてまたびっくり。本物の日本人かね、これは。なにしろ他のレコーディング・メンバーを見ると、ドラマーの名がただの”黒人”となっていたりで、どこまで信用できるものやら分かりません。

 などと妙な成り行きに目を白黒させつつも、これは中国の人のお気に入りのメロディみたいね、故・三橋美智也先生のヒット曲、”赤い夕日の故郷”やら千昌男の”星空のワルツ”あたりの日本曲カバーを聞き進むうちにいつしか和み、歌手のねちっこいコブシ回しとチャチャチャのリズムにすっかり”福建もの”への愛情を取り戻していたのでありました。

 それにしてもそこはかとなく漂う潮の香りと暑苦しい中華街の淀んだ空気のブレンド。爽やかなんだかくどいんだか、よく分からん世界だなあ(笑)

 それはともかく。ああ、南シナ海は日本晴れだぜ。

那覇に降る雨

2008-07-18 04:29:48 | 沖縄の音楽


 ”島情/夜雨ブルース”by 城間和子

 先にもこんな文章を書いた記憶があるが、沖縄音楽紹介を行なう人々の多くが陥っている妙な島歌神聖化がひっかかり、どうも私は沖縄の音楽を聴く気になれなかった。
 なれなかったのだが、しばらく前から奄美の民謡を聴くようになったついで。といってはあんまりだが、まあ、それをきっかけに沖縄の音楽も雑音を排してすべてリセット、その上で聞き直してみようとしている昨今である。

 これは、そんな私が”ああ、こりゃいいね”と最近愛聴している沖縄音楽のアルバム。
 最近の作でもないんで、残念ながら年間ベストとかに反映は出来ないが、結構気に入っているのだ。

 製作元の”んなるふぉんれこーど”による帯の惹き句には”沖縄民謡界きっての美声の歌姫城間和子が歌うヒット曲「島情」を含む昔唄、琉球歌謡を集めた一枚”とある。
 確かに美声である。同時に城間和子女史の歌声には、沖縄の人々の日常生活の喜怒哀楽を含んで染み渡るような、ある種の湿気があり、奇麗事だけの美声ではない。そこが好ましく思える。

 収められているのは、例の特徴ある沖縄音階の曲ばかりでなく”内地”の、いわゆる艶歌と同じ短音階が用いられたものも多い。この辺の、あまり語られることなく来ている沖縄音楽の”場末の歌謡曲”性が気になっているのは、これも以前述べたとおりだ。この辺について、もっと知りたいものだなあ。

 それにしても冒頭に収められている”島情”の歌詞はなんですかね。歌詞の前段、哀切極まる短調のメロディで失った恋を嘆く乙女の姿を切々と描いて見せ、それを「一度はめんそーれ、珊瑚の島へ♪」とのリフレインで締めるのだが、なんかこの両者が妙なつながり具合である。
 「それじゃ何かい、失恋した乙女の姿ってのがご当地の特産物なのか?そいつを一目見に来いって言うのか?どういう観光客誘致をやっているんだ」などと揚げ足を取る誘惑に駆られる。
 まあ、そんな聞き手は根性歪んだ私くらいのものだろうから気にかけることもないだろうけど。

 最後に収められている”夜雨ブルース”は、たとえば台湾では”雨夜花”として知られる演歌である。
 私はこの曲、戦前、おそらくは朝鮮半島起源のメロディが底辺の庶民に愛好されつつ、かっての”大日本帝国”の版図のすべてにいつの間にか行き渡り、どの地でも人々はそのメロディを自分たちの民族の間から生み出されたと信じ込んだ、そんな経緯があるのではないかとかってに想像している。この歌の東アジア各地における愛され方に、そんな気配を感ずるのだ。

 ともかく。せっかく美しく咲き誇った花一輪が誰の目にも止まることなく夜来の雨に打たれ地に落ち、顧みられる事もない、その悲しみ。元歌の歌詞はそのようなものだったようで。
 アルバムを覆う、人の運命に寄せる静かな霧雨のような諦念を含んだ悲しみの表出は、この歌あたりから滲み出してきているように思う。
 このあたりをキイとして、黒潮洗う東アジアポップス総体の真相に至れたら、などとふと夢想したりもするのである。

裏町人生インターナショナル

2008-07-16 04:56:48 | その他の日本の音楽

 この間この場に、ザ・ブームのヒット曲である”島歌”に関係する文章を書いたのだけれど、これに関するちょっと気になる情報をいただいた。
 あの曲の作曲者であり歌い手であるザ・ブームのリーダー、宮沢が、かの”島歌”を反戦歌であると称しているのだそうな。なんだかなあ?

 まあ、その発言のソースも何も私の手元にはないので詳しい発言の背景は分からないのだが、「つまらない事を言う男だな、宮沢と言う奴も」なんてしらけた思いにとらわれたものだった。

 もし、その発言の裏に「単なるラブソングなどより、社会派のメッセージが込められた反戦歌の方が高度な価値ある音楽なのであって、俺の作ったあの曲をくだらないポップスと一緒にしてくれちゃあ困るんだよね」なんて宮沢の意識があるのだったら、本日を持って私マリーナ号は”ブームの宮沢”に宣戦布告させてもらう。そんな事を言い出す奴は明白に自分の敵であると、考えるものである、私は。

 政治的な主張が込められているから、あるいは政治行動に役立ったから素晴らしい唄だ、なんてものなのか、歌と言うのは?ちがうだろう。政治のための立て看板やビラ代わりとして有効に使えるから立派な歌、なんて価値観はどう考えてもおかしい。

 人を感動させる音楽があったとすれば、それはただ単に、音楽として素晴らしいものであるから人を感動させたのだ、違うか?

 片々たる庶民が、時の流れのうちに生じた運命の巨大な渦に巻き込まれ、孤立無援で自らを、そして時には自からの愛する者たちを守ろうと絶望的な戦いを戦う羽目に陥った時。、
 彼の心に鳴り響き、彼の魂を支える唄は、高度に社会派のメッセージを含んだ”政治的に正しい唄”なんかではないはずだ。そんな計算ずくの音楽が人の魂を救えるものか。

 魂の救いは、片々たる他愛のない”歌謡曲”にこそ潜んでいるではないのか。極限に追い詰められた人の魂を救うのは、若き日の失恋の思い出として心に残っていた他愛のないラブソング、そんなものの記憶だったりするのではないのか。
 人間って、人の心って、そんな構造のものじゃないのか?”党の指導”に沿って規則正しく合理的に感動なんかするものじゃない、そりゃそうだよ。

 小説家の五木寛之は彼の”演歌論”の提示として書き上げた”怨歌”のあとがきに、次のように記している。「演歌こそ、未組織労働者のためのインターではないか」と。
 この主張に私も賛同する者である。そのような姿勢で、大衆の音楽を聴いて行きたい。
 
裏町人生 (作詞:島田磐也)

暗い浮世の  この裏町を
覗く冷たい  こぼれ陽よ
なまじかけるな 薄情け
夢も侘しい  夜の花

失われた島々

2008-07-14 03:04:18 | その他の日本の音楽

 ”中ノ島ブルース”by 秋庭豊とアローナイツ

 さて、それでは日本”本土”の、”内地”の島歌となるとどういうことになるのかといえば。そりゃああなた、”中ノ島ブルース”ですよ。いや、ネタではなく。まあ、若干はネタの部分もあるかも知れないが、それも含みつつの中ノ島ブルース。

 1975年度作品。いくつかのグループによる競作だったようです。上に挙げたアローナイツよりも、内山田洋とクールファイブのヴァージョンが記憶に残っている人も多いでしょう。
 今ではもうあまり聴く機会も少なくなってしまった”ムード歌謡”の典型みたいな曲でしたね。私のような昔ながらの盛り場を生まれ故郷とする者には、妙に郷愁をくすぐられる曲です。

 この唄は、演歌にはよくあるご当地ソングに見えて、実は特定の場所だけを歌っているのではない。日本各地に”中ノ島”なる地名があることから、各地の”中ノ島”を歌いこんだというところが新機軸だったようです。とはいえ、レコード化された”中ノ島ブルース”は、札幌、大阪、長崎の3箇所しか歌われていないが。

 ちなみに日本全国に”中ノ島”の付く地名は42箇所あるんだそうで、今、検索をかけてみたらすべて調べ上げてサイトにアップしている人もいましたな。
 それら”中ノ島”群がすべて、中ノ島ブルースに歌われているような繁華な土地柄であるのかどうか分かりませんが、地理上の特徴は似ているのかも知れません。大きな川の河口とかにあって三角州を形成している、なんて所が多いんじゃないかと想像してるんですが。

 ここで思い出されるのが、”思案橋ブルース”について書いてみた際、現実の思案橋が歌が書かれた時点でもう存在していないと知って驚いたこと。

 錯綜した恋の行方に疲れた恋人たちなんかが、もう別れてしまおうか、いや、もう一度、とかなんとか行きつ戻りつしている橋の上、その橋の名こそ思案橋。
 なんて想像をしていたんですがね、思案橋はもっともっと歴史の古い橋で、思案橋がかけられていた川は、あの唄が作られる遥か以前に、とうに暗渠となり地上からは消滅し、存在理由を失った思案橋もとっくに撤去されていたそうな。

 つまり実態としての”橋”はすでになく、地名としての橋しかそこにはなかった。橋の記憶さえも失われ、ただ慣習としての”橋という呼び名”だけが残る。そんな場に人々の生活があり、その日々に過去からの伝言の如くに”思案橋”なるイメージの残響みたいなものが忍び入って来て、いつの間にか1つの唄が立ち上がってしまう・・・

 そんなイメージがちょっと気に入っているんで、この”中ノ島”って地名が喚起する幻想ともちょっと遊んでみたくなっている次第。

 おそらく、というか確実に、各地の中ノ島は”中ノ島”って地名が生まれた当時とはその地勢は相当に変わっていることでしょう。私が想像したような川沿いの土地であるならば、その川はいつかコンクリートの囲いの中の単なる水の流れとなり、ついには暗渠となり都市の地下に追いやられ、そして風景の中で忘れられる。

 都市はさらに発展を続け、広大な、だが抑揚のない平べったい領土を拡大して行く。そこがなぜ”中ノ島”であるのかも人々が忘れかけた頃、かってそこに住んだ人々の記憶の集合体である”地霊”はふと永の眠りから覚め、小さな身じろぎをする。
 そんな古代からのエコーに反応する感性を脳のどこかに持ち合わせる個性の持ち主がある日、地霊からの呼びかけに訳も分からずに答え、作ってしまったのが”中ノ島ブルース”ではなかろうか、などと。

 以上、”島歌としての中ノ島ブルース”の考察でした。相変らずのムチャクチャ話、ご無礼。

 赤いネオンに 身をまかせ
 燃えて花咲く アカシアの
 あまい香りに 誘われて
 あなたと二人 散った街
 ああ ここは札幌 中ノ島ブルースよ

 (作詞 斉藤保 作曲 吉田正)

島歌と、それ以外の島歌

2008-07-13 04:33:31 | 音楽論など


 奄美、バハマ、ハワイ、インドネシア、プエルトリコと脈絡無く続く”島の音楽シリーズ”であります。

 さて島歌といえば沖縄。
 あれは80年代になるのか、沖縄の島歌の形を取り入れた”島歌”なるエスノなロック曲(?)をザ・ブームの連中が発表した際、あれは確か沖縄島歌界の大物、知名定男だったと思うんだが、「他の土地の人は、怖いもの知らずでこんなタイトルの歌が作れるんだねえ」と苦笑まじりの談話を発表していたと記憶している。

 まあ、そりゃそうなんであって、”島歌”を活動の舞台そのものとして生きている人たちが”島歌”なんてタイトルの唄を作るなんて発想としてもないでしょうな、確かに。
 知名の談話の中には、楽しみにしていた”一番おいしいところ”を通りすがりの人間にいきなり食い逃げされてしまった者の当惑みたいなものが漂っていて、奇妙なユーモアを感じさせたものだった。

 当時、あの唄に対する沖縄の人々の反応に興味があって新聞の切り抜きだの取って置いたんだけど、いつの間にか散逸させてしまって残念。とりあえず、「最初は”沖縄の島歌の本質も知らないであろう内地の人間が勝手な歌を作って”と反発を感じていたんだけど、この頃では結婚式などでも歌っている」なんて沖縄のおじさんのコメントはなかなか面白かったものだ。

 ”現地の人たちはどう思っているのか?”は、ワールドものに興味を持って聴いている者としては常に気になるところで、昔から私がたびたび持ち出しているネタなのだけれど、”オールド・ディキシーダウン問題”というのがある。
 あの70年代ロックの最高峰、”ザ・バンド”に”オールド・ディキシーダウン”って曲があり、それは要するに南北戦争で北軍に打ちのめされた南部人の恨みつらみを歌ったものなのだが、なにしろ歌っているザ・バンドは5人のメンバー中4人までがアメリカ人ではなく、カナダ人なのである。

 あの歌を聴いた南部の、それもゴリゴリの郷土意識に凝り固まった人なんかはどんな感想を持ったのだろうか?と、このあたりが気になって仕方がない。「南部魂に関して、お前ら余所者が分かったような事を言うな」なんて反発を呼んでいるケースだってありうるだろう。

 この質問、あるアメリカ音楽通の音楽ライター氏にぶつけてみたところ、「あれを歌っているのはメンバー中ただ一人のアメリカ人であり、それも南部訛りの強烈な唄いぶりなのであって、それゆえ、特に問題も生じていないようだ」とのことだったが。
 いずれにせよ、ザ・バンドのアメリカの田舎の香り漂うあたりが売り物のサウンドを好んで聴いていたのは、とうの”アメリカの田舎”在住の人々ではなく都会在住者であったのだろうな、とも思え、このあたりの調査の数字など見てみたかったりする。

 その辺の狭間を縫って”余所者”のバンドが来たりて、ちゃっかり”島歌”をものにしちゃったりするわけで。
 で、その一方で文明に汚染されていないはずの田舎の人々は、衛星放送で仕入れた情報から、ニューヨークとかの最新情報に興味津々だったりする。

 この辺の行き違いが妙に面白かったりするのですな。いや今回、説明の要領が悪く意味不明の部分も多かったかも。いずれ何とかします。長~い目で見てください。ホイホイ。