ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

チベットへの道

2008-04-29 05:00:40 | アジア


 ”徳乾旺姆(ドーチェン・ワンムー)”

 果てしない青空の下に広がる、遥かな山々と広漠たる草原。風渡るその風景の中に古びた鐘楼がポツンと立っている。そんな写真が表ジャケに使われている。
 先月の11日にチベットの女性シンガーソングライター、央金拉姆 (ヤンチン・ラムー)のアルバムを紹介したが、今回はチベットに隣接し、古くからチベット民族による吐番王朝の支配するところでもあった場所、中国領青海省出身の歌い手、徳乾旺姆(ドーチェン・ワンムー)のデビュー・アルバム(2006年作)など。

 こちらも同じチベット民族の女性シンガーソングライターではあるのだが、歌詞はほぼすべて中国語で歌われている。また、いかにもフォークシンガー然としてチベット高原の風が吹き抜けるような涼しげな歌声を聞かせる央金拉姆に比して、こちらはかなり情熱的でパワフル、かつ歌謡曲的猥雑ささえ秘めた歌唱である。

 サウンドはシンセと打ち込みのリズムが中心の音つくりで、時にNHKの”シルクロード”のシリーズの音楽を手がけた”喜多朗”のサウンドなど彷彿とさせる部分もある。それに時によって民族楽器が絡むという形で、歌手のスケールの大きな歌唱と相まって、広漠たる青海省の風土を聴く者の目の前に生き生きと展開してみせる運び。

 強力に民族音楽寄りの音作りでチベット民族の個性を前面に出す、という方向性で作られてはいないが、それでもかなりエキゾチックな辺境民族ポップスではある。ジャケ内に収められた草原や山々の壮大な広がり、荘厳な仏教寺院などの写真を見ながら聴いていると、心は雄大な歴史を秘めた風吹きすさぶ西域へ。

 青海省は古くから各民族が覇権を争った場所であり、チベット族とモンゴル族とが共に暮らした世界でもあった。以前よりチベット文化とモンゴル文化と通ずるものがあるような気がしていたのだが、なるほど、青海省が交流の場となっていたのだな。

 それは今日の中国政府によるチベット政策の事情ともかかわってくるのだろう。チベット民族は青海省もまた古くからのチベット民族の地と考えており、もしチベット本土と青海省とが共に中国から分離に向う事になれば、その領土は内蒙古に通じて中国西部を縦に割ることとなり、その西にはこれもおりあらば自主独立をとの気概を秘めた新疆ウイグル自治区が控えている。
 痛快だろうと思うけどねえ、ほんとにそうなったら。

 3曲目、中国最大の湖を歌った、まさに広々として神秘的な歌、”青海湖”の歌詞中で繰り返される”民族的自尊、祖国的光栄”が複雑な気持ちにさせてくれる。ここ言う民族とはどこの民族なのか、祖国とは何を指すのか。

 さっきから壮大という言葉を何度も使いたくなって困っているのだが。ほんとに広々とした時間と空間を感じさせるアルバムである。
 そしてラスト近く、高らかに歌い上げられるチベットの首都への賛歌、”ラサ祝福”は、その明るさ、内に込められた聖なるものへの敬意などなどが、チベット民族の明日への祈りに結実するかのように聞こえて、なにやら切なくもなってくるのだった。


聖火の影でもみ消された真実

2008-04-28 05:04:32 | 時事

 長野における”聖火イベント”は予想通り、我が国が中華人民共和国の属国に堕ちていた事を証明する屈辱の記念碑と化しました。
 マスコミの報道に真実はなかった。それどころかマスコミは警察と結託して中国政府の下働きに徹していたのが実情でした。

 中国の対チベット政策に反対の意思表示を行なうために当日、長野に行かれたアリ@freetibetさんの日記を紹介します。現場ではどのようなことが起こっていたのか、詳細なレポートをご覧ください。
 
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アリ@freetibetさんの日記

世界最低の国、日本

4/26日を振り返ります。

早朝、善光寺へ向かった。
Mちん、Tさん、F君、Yちゃんと5人で。

町には何台もの大型バスが乗り入れ、中国人が降りてくる。
僕らがそれぞれ旗を作り、プラカードを作り、前日からカラオケボックスで寝ていたのに対し、
彼らは中国大使館から支給された巨大な旗と、チャーターバスで堂々登場した。

善光寺参拝が終わり、街中へ。
とりあえず聖火リレー出発地点へ向かった。
ここで日本とは思えない景色を目にした。

出発地点に、中国の旗を持った人は入場できるが、チベットの旗を持った人は入れない。
警察の言い分。
「危険だから」
じゃあ、何で中国人はいいんだ?
「......ご協力お願いします。」

は?
それやらせじゃん。
中国国旗しかない沿道って、警察が作ってるんじゃん。

この後TBSの取材が来た。
チベットサポーターの1人が、
「日中記者交換協定があるから映せないのか?」とアナウンサーに聞いた。
アナウンサーは「は?勝手に叫んでれば?」
と吐き捨てて消えた。

街中に行くとどこに行ってもFREETIBETと叫んでいる。
そこに中国人が押し寄せ、罵声を浴びせてくる。
交差点で中国人と僕らが入り乱れた。
突然Mちゃんが顔面を殴られた。
僕は殴った中国人のババアを捕まえて、目の前の警察に言った。
「こいつ殴ったぞ!!」
警察は何もしなかった。

ババアが俺の手を噛んだ。手から血が出た。
警察と目が合った。
警察は何もしなかった。

ババアが僕の顔面を殴ってきた。
周りのチベットーサポーターが、
「おい、警察、現行犯だろ、捕まえろよ!!!!」
と言ったのに、
警察は何もしなかった。

これが抗議活動中じゃなかったら、普通にブチ切れて乱闘になってる。
でも非暴力を貫く為、ひたすら耐えた。

Mちゃんが1日かけて一生懸命書いたプラカードを、
中国人が叩き落とした。
拾おうとするMちゃん。踏みつける中国人。
「おい、てめー何やってんだよ!」と制止に入った。
2mくらいの距離に警察がいたが、何もしなかった。

街中いたるところで抗議合戦。
救急車が来たり大騒ぎ。
僕らはひたすら抗議活動をした。

雨が降ってきた。
それでも誰も抗議を辞めなかった。
中国人がかたまってる交差点を、
Tさんと旗を振りながら渡った。
沿道の中国人は蹴りを入れてくる。
とても沿道に入れず、車道を歩いていた。
警察が来て言った。
「早く沿道に入りなさい!!」
は?今入ったらボコられるじゃん。
なんで日本人の安全を守ってくれないの?
「じゃあ、あいつらに蹴りいれるの辞めさせろよ!!」と僕は叫んだ。
警察は「ご協力お願いします」と言った。

雨の中、聖火リレーのゴール地点へ向かった。
何故か中国人とチベットサポーターに分けられた。
警察は、「後で聖火の方に誘導するから。」と言った。
嘘だった。
ゴールの公園の外の何も無いスペースにチベットサポーターは閉じ込められた。
聖火なんか、どこにもなかった。
目の前には警察が何十人も取り囲んでいた。
こんな場所じゃ、声すら届かない。
数百人のチベットサポーターは、泣きながら警察に向かって叫ぶだけだった。
国境無き記者団もこちら側に来させられていた。
代表がマスコミのインタビューに答えていた。

聖火リレーがいつ終わったのかも分からないまま、
土砂降りの中僕らは叫び続けた。
この声を、伝えることすら出来ないのかと思ったら涙が溢れてきた。
MちゃんもF君も泣いていた。
こんなのってあんまりだ。
せめて伝えて欲しいだけなのに。
この叫びを聞いていたのは目の前に並んだ警察だけだった。

チベット人の代表が弾圧の現状を訴えた。
涙が止まらなかった。
内モンゴルの代表が弾圧の現状を訴えた。
涙がとまらなかった。

伝えたい。ただ伝えたいだけなのに、国家権力によって封殺された。
悔しい。悔しい。

日本は最低な国だ。
平和だ、人権だと騒ぐ割には、
中国の圧力に負けて平気でこういう事をする。
警察を使って。

帰りに携帯でニュースを見た。
「聖火リレーは無事終了。沿道は大歓迎ムード。」
「聖火リレーで日本人5人逮捕。中国人留学生に怪我。」

僕は愕然とした。
この国のマスコミは終わったと感じた。

あの怒号は、
僕らが受けた痛みは、
彼らの悲痛な叫びは、
どこに反映されたのだろう。

警察によって意図的に中国人のみの沿道を作り、
そこをマスコミは撮影し、
中国人の暴力を黙認して、日本人を逮捕する。
これが日本のやることか?
ここは本当に日本なのか?
中国の旗を持たないと歩けない沿道って何なんだ?

この国は最低な国です。
チベット人は泣きながらありがとうと言っていたけれど、
僕は彼らに謝りたかった。
初めて日本人であることを恥じた。

帰り道、僕らは泣いた。

これが真実です。
僕は日本政府は中国以下だと思った。
弾圧にNOを言えずに、言いなりになって彼らの叫びを封殺したこの国は、もう民主主義国家ではない。

4/26日長野。
そこには言論の自由はなかった。
歩行の自由すらなかった。
中国人を除いて。

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光市事件の被害者数を”1,5人”と記した青学准教授

2008-04-27 03:51:29 | 時事


 ”人権派の法律家”がいかに非人間的な世界観の持ち主かを実証してみせたような出来事といえるだろう。殺人事件の被害者の一人が幼児だから、”0,5人”と数えてみせるなんて。

 ☆ブログにおける准教授の発言内容を引用します。

 ”最低でも永山基準くらいをラインにしてほしいものだ。永山事件の死者は4人。対してこの事件は1.5人だ(まったくの個人的意見だが赤ん坊はちょっとしたことですぐ死んでしまうので、傷害致死の可能性は捨てきれないと思っている)。一審、二審の判断は、相場から言えば妥当なところではなかったろうか”

 今回問題を起こした瀬尾佳美准教授の言うところの、”赤ん坊はちょっとしたことですぐ死んでしまう”現実を考慮に入れたとしてもそれは「失われやすい幼子の命が一つ」としかカウントのしようがないはずだ。
 一つの命は一つの命。何をどう考慮に入れようと人の命を”0,5人”なんてカウントが出来よう筈がない。

 その後、批判を受けてもご本人は反省はもちろん、自分の発言の問題点を再検証する気配さえなく、本気で謝罪する姿勢もなく、批判の声がそちらに行っているからなのだろう、「今回の発言と所属する組織とは関係がない」と言い張るのにひたすら腐心する有様。
 こうなってくると瀬尾准教授の人格そのものについて疑問を持たざるを得ません。

 ☆参考資料・ネットで拾った瀬尾佳美准教授発言集(マメに探せばもっととんでもないものがあるようです)

 光市母子殺害事件に関して
「差し戻した最高裁の判事の妻は、おそらく専業主婦で、TVばっかり見ていたため洗脳され、夫の仕事にも影響したのだろう」

 奨学金の返還滞納問題に関して
「光市の母子殺害事件の被害者みたいに、借りるだけ借りておいて、卒業したら間髪いれずに孕んでそのままぜんぜん働かず、挙句の果てに平日の昼間から家でぶらぶらしていたため殺されちゃうなんてことになっては回収不能になるからだ」

 北朝鮮による拉致被害者の横田めぐみさんに関して
「『めぐみちゃん』はちゃんと育って、結婚までして、あまつさえ子供まで儲けています。私の目から見ると信じられないくらい幸福です。なのにその幸福に感謝もしないで、いつまでもいつまでも『めぐみっちゃん』とか不幸面してられるアンタが心底うらやましいよ」
「私は『めぐみちゃん』とほとんど同じ年ですが、ホントできることならいくらでも替わってあげたいです」
「是非拉致されたい。行き先は北朝鮮でも火星でもとにかく日本人がいないところならOK」


 で、このような人物から青山学院大学の学生諸君は今後も、授業を受け続ける訳だね?

 ○<青学准教授>「光事件、死者1.5人」 ブログ記載で謝罪
 (毎日新聞 - 04月26日 12:41)
 山口県光市の母子殺害事件を巡り、青山学院大の女性准教授が昨年9月の個人ブログで、「事件の死者数は1.5人で、無期懲役とした1、2審判断が妥当」などとした記載したことに、広島高裁の死刑判決後に同大へ批判の電話などが相次いだ。同大の伊藤定良学長は25日、准教授に口頭注意するとともに、「記述が適切ではなく、関係者に多大な迷惑をかけた」と大学のホームページで謝罪した。
 准教授は、事件の遺族が高裁で死刑を求める陳述をした翌日の昨年9月21日付ブログで、「死刑は重すぎるように思えてならない。犯人が少年だからだ。子供を死刑にするのは正義感に合わない。最低でも永山基準くらいをラインにしてほしい。永山事件の死者は4人。この事件は1.5人だ」などと記した。
 同大によると、判決翌日の23日に「子供の命を0.5人と数えている」と批判する電話が数件あった。24日以降は、「電話が鳴りっぱなし」(同大広報課)の状態になった。
 伊藤学長は25日、「子供の命を0.5人と数えるのは社会通念上、適切ではない」と、本人に口頭で注意。准教授も26日、個人ブログで「わたくしの発言によって傷ついた方たちに心からおわび申し上げる」と謝罪した。
 事件の差し戻し控訴審で、広島高裁は今月22日、当時18歳の元少年(27)に対し、求刑通り死刑判決を言い渡している。【川崎桂吾】


台湾の紅き夢

2008-04-26 01:10:20 | アジア


 ”流沙”by 百合

 紅楼夢というのは中国の官能小説のタイトルだっけか?よく覚えていないんだけど、一発で変換出来たのだから、少なくともこういう言葉が存在することだけは分かる。なに、春宵一刻、検索かけて調べるなんて野暮なことはしないよ。なんだかよく分からないところが粋なんじゃねーか、そりゃどういう意味だと問われても答えはないけどさ。

 中国の古い街の粋筋で、門口にかかっている紅い雪洞の仄かに点いているあたりがこの言葉の出所か。あの雪洞があちらの罪買う場所の道しるべなのだろうか。灯りを飲んだ紅がポツンと深い夜の底に灯る、その甘美な罪深さの予感と、底に淀む生温い感触に不思議な懐かしさがある。

 その”紅楼夢”なる歌をかってヒットさせた”百合”は、1980~90年代辺りに活躍した台湾の女性デュオである。”百合二重唱”なる名を名乗る二人もいるが、これも同じユニットの異名なのか。

 同じ”百合”を名乗る二人組でも写真では顔ぶれが違っていたりするのでややこしく、どうにも正体が知れない。似たような名前、微妙に入れ替わるメンバーで、あちこちで細かく稼いでいたなんて事情があるのやも知れない。
 それこそ検索をかけてみてもグループの詳細はよく分からない状態で、もはや現地でも忘却の彼方、といった扱いなのかとも思う。浮き草稼業の儚さだなあ。

 ここに掲げたジャケのようになにやら妖しげな性的幻想を帯びたビジュアルが売りのグループで、男を挑発するかと思えばレズっぽさも演出して見せ、もう、ヤバければなんでも良いのかとも思われる。

 女性二人の透明感のあるコーラスが、台湾ポップスでは珍しくない中華フォーク歌謡とでも言うべき、仄かに切なくも流麗な曲調を、甘くけだるく歌い流して行く。春の世は値一千金。いつまでも明ける事のない紅楼夢。

 この妖しげな美学の揺らめきが中国4000年のスケベなトキメキの集積である。正直言うが結構ファンで、かっては”百合”を好んで聞いていた私だ。
 このようなグループが中華歌謡界にはゴロゴロいそうなんだけど、そうでもないんだなあ。探してみたんだけど。そのあたりの不思議も含めて紅楼の幻か。

ジャスラックに立ち入り調査

2008-04-24 04:46:11 | 時事


 あのジャスラックに公正取引委員会の調査が入ったそうですね。とりあえず良い知らせであろうと思う。放送局との間で同業者の参入を阻害するような契約を結んでいた事が、独占禁止法に触れる疑いがあるとの容疑だそうだ(詳しくは、下のニュース記事で)

 社団法人・日本音楽著作権協会(JASRAC)

 ヤクザのミカジメ料なんてものまで連想してしまうようなえげつない料金徴収のありよう、そのくせ徴収した著作権料の流れが不透明などなど、著作権という利権を自らの懐に抱え込み、甘い汁を吸い続けてきた組織である。

 忘れられないのは、夫婦で毎日、一杯二杯のコーヒーを煎れて長いことコツコツとやって来たイナカの小さなジャズ喫茶に、何十年も前の開店時までさかのぼって店でかけたレコードに関わる莫大な著作権料を請求した事件だ。
 そしてまた、深夜のピアノ・バーにおいて余興にハーモニカでビートルズ・ナンバーを吹いた70歳過ぎのバー・オーナーをしょっぴいた、あの事件だ。

 そんな具合に音楽を愛する人の心をはぐくむ場に、料金算定の根拠も非合理な著作権請求を行い、殺伐とした収奪の刃を振るった、かの組織。
 彼らは”金の卵を産むガチョウの腹を裂いてすべてを台無しにしてしまった老夫婦に関する寓話を自らの行為に重ね合わせて読んでみるべきなのだ。

 しかし、唖然としてしまいましたね。上のようなような理由なら、とっくに捜査が入っていても良さそうなものを。
 なんか裏にあるのか?まさか大山鳴動してネズミ一匹、結局、曖昧な結末に導かれ、ジャスラックの横暴は変わらず、なんて事にはなるまいなあ。

 なにしろ役人の天下り天国でもあったジャスラック、政界からの妨害圧力も強いのではないか。
 いや、とりあえず事態の推移を見守ろう。そして正義がなされるのをともかく信じてみよう。信じて、公取委の公正と健闘を祈ろう。そしてこれをきっかけとして、我が国における著作権管理が公正な形のものとして運営される日がいつか来る事を期待することとしよう。

 ○JASRACに立ち入り検査、音楽著作権新規参入を阻害(読売新聞 - 04月23日 12:25)

 テレビで放送される音楽の使用料をめぐり、社団法人・日本音楽著作権協会(JASRAC、東京都渋谷区)が放送局との間で同業者の参入を阻害するような契約を結んでいたとして、公正取引委員会は23日、独占禁止法違反(私的独占)の疑いでJASRACを立ち入り検査した。
 音楽の著作権管理は2001年10月の著作権管理事業法施行で新規参入が可能になったが、JASRACは著作権数で圧倒、依然として業界で支配的な地位を占めている。
 業界関係者によると、JASRACはNHKや民放各局との間で、著作権を管理しているすべての曲の放送や放送用の録音を一括して認める「包括契約」を締結。使用料を実際に使用した回数にかかわらず、各放送局の前年度分の放送事業収入に1・5%を乗じた額と定めている。06年度は各放送局から計約260億円を集めた。
 新規参入が認められた01年以降、10法人が文化庁に音楽の著作権管理業者として登録した。しかしJASRACが管理する曲数が圧倒的に多いため、放送局が他の業者と包括契約を結ぶ利点はほとんどない。
 使った曲ごとに対価を支払う「曲別契約」という契約形態もあるが、すべての曲を把握するコストや労力がかかるため、ほとんど採用されていないという。
 現行の契約形態では、放送局がJASRAC以外の事業者の音楽を使用すればさらに費用がかかるため、公取委はJASRACに著作権の管理を委託する傾向がますます強まって、競争が阻害される恐れがあると指摘している。
 音楽の著作権管理は1939年施行の「著作権に関する仲介業務法」で文化庁長官が許可した1団体のみに認められてきた。このため、JASRACは01年に著作権管理事業法施行で新規参入が認められるまでの62年間、楽曲の著作権管理を独占してきた。
 今月現在、JASRACに著作権の管理を委託する作詞・作曲家は約1万4500人で、06年度の徴収額は約1110億9832万円、分配額は約1106億5998万円に上った。
 歴代会長には星野哲郎氏らが名を連ね、現在は船村徹氏、理事に荒木とよひさ、川口真両氏らが就任している。

歌とフルートと春

2008-04-22 02:29:22 | ヨーロッパ


 ”Oft Times I've Been Cheery”by Helen Flaherty

 春は処置に困る季節というか何というか。

 暑さや寒さと戦いつつ日々を刻んで行く冬や夏、あるいは取り入れの豊饒があるその一方で生命あるものはすべていつか衰退へ向う定めにある、そんなものの哀れを噛み締めつつ歩く秋、なんてメリハリは春にはない。冬が終わったのは助かるが、なにやらモヤ~っとした手触りの日々がそこに横たわっているだけでねえ。

 そのうえ花粉症なんてものに見舞われるようになった昨今となれば、日々はただ鬱陶しいばかりである。さらには、新年度ということでいろいろ処理せねばならない事項が出てきたりと、ろくな事がない。先々週は税務署に出す書類をややこしい思いをしつつ作成してたんだよなあ。くそったれめが。

 そして今週は、車の保険の更新が終わったと思ったら車検にも出さねばならず、その費用がいちいちかかる。当たり前だが。車を持っているって事は毎年、こんなに余計な金が要るんだっけ?と、こっちの方でも頭に来つつある昨今である。
 そんな中で。

 筒井康隆いわく、「すべてのジャンルの熱狂的なファンでいることは不可能だ」となるのだが、たとえば英国諸島圏のトラッドもこの頃は、”ふと気がむいたので聴いてみる”的な聴き方になってしまっているのだが、まさに今、ふと気が向いたので聴いてみているのがこのアルバム。

 若手実力派アイリッシュ・トラッドのグループ、SHANTALLAのメンバーという女性歌手の初ソロアルバムだそうだが、私はそもそもそのシャンタラなるグループを聴いたことがない。まあ、それはいいや。

 ジャケ写真で笑顔全開の Helen だが、歌詞カードの写真の中でも大口を開けて笑っている姿がいくつも覗え、なかなか豪快な性格なのだろうなと察せられる。
 収められた音楽も、そのおおらかな気持ちの広さが心地良く伝わってくる仕上がりであり、爽やかな印象だ。アイルランドとスコットランドのトラッドに、イワン・マッコール等の作ったフォーク・ナンバーが混ざる曲構成。

 冒頭、シンプルな伴奏が歯切れの良いリズムを刻む中、Helen の明るい歌声が柔らかな音色のフルートと絡み合いながら響く、その一曲で決まり、だ。冬の寒気に暗く閉ざされていた窓が開け放たれ、暖かな春の陽光が部屋に満ち風が踊っている、そんな情景が目に浮かぶ。

 その他、”Blackwaterside”とか”Schoolday’s end”とか、このジャンルでは、まあ、なにをいまさらというか”ベタな選曲”といえる作品がどれも良い感じだったりする。こういうのも”逆のそのまた逆”で新鮮と思えるから妙なものである。
 ひたすら、Helen という女性のおおらかで爽やかな人柄に魅せられる一枚だ。

 という次第で。関係ないけど、私の土地では早咲きの桜がもうとっくに満開になりすでに散ってしまっているんだけど、そのあとに今度は遅咲きの桜が咲き始め、なんだかこの春、二度目の桜の開花、みたいな錯覚がある。こいつもなんだか不思議な気分だ。
 

明けない夜を求めて

2008-04-21 05:01:19 | いわゆる日記


 この文章を書き終わる頃にはもう朝がやってきて、文章の趣旨の対象時間じゃなくなってしまう公算大なのだが。

 何度かここにも書き込んだけれど、この日曜日の夜更けなんてものは実に憂鬱なものでね。明けて、また一週間が始まるのかぁ・・・とか。いやもう時間はとうに月曜日になってしまているんだけれど。ともかく、日曜の夜は哀しい。

 で、なんとも憂鬱な気分で一人、深夜のNHKテレビなどを呆然と見つつ、過ぎ去る時に耐えているわけです。こうしていれば永遠に日曜日の夜中のままで、クソやかましい人々の生活がまた始まるまぶしいばかりの朝などやって来ないのではないかと。まあ、そんなことがあるはずはないんだけれど、祈りつつ。

 これは夜中にいきなりテレビショッピングとか始める素っ頓狂な民放じゃダメでね。NHK深夜独特の、時の止まったような静謐に満ちた画面と音楽が一番、孤独な深夜の気分にはふさわしい。

 先ほどまでは、あれは”クラシックの歌曲”というくくりでいいのかな、声楽を流してました。ヨーロッパの雪山の情景などのバックにね。それからロシアのクラシック音楽と名跡めぐり、みたいなメニューが。こういうのはありがたいです。静かなクラシックを地味に地味に聴かせてくれるのがよろしい。

 基本的にクラシックを聞く趣味というのはないんだけれど、レコードもろくに持ってやしないんだけれど、この時間帯だけは大のクラシック支持派となる私なのである。今日はまた、凍りつくような孤独を孕んだ曲ばかり並べてくれて、ありがたいなあ。

 考えてみれば私がこうして聴きたいと渇望している音楽のこの感触、子供の頃に布団の中で深夜、ふと目覚めて聴いた遠くの夜汽車の汽笛の音なんかに通ずるものがあるのかも知れない。

 あの頃、遠くの夜汽車が運んでいる深い深い凍りつくような孤独を思って、布団の中で恐怖に近い気分に襲われたものだったけど、今は一人、迫り来る月曜日の足音に絶望的な気分になりながら、あの深い孤独の再現を、テレビから流れてくる音楽に求めている。

 そんな感じもあるのだ、オノレの気分を分析的に覗いてみると。
 これも一種の破滅願望なんだろうか。うとましい月曜日の朝なんかが来る前に、この冷え冷えとした夜の孤独の中で凍りつきたい、と。

 などと言っているうちに、ほら、テレビの画面に日の丸が翻り、テレビの時間帯が深夜から早朝に切り替わった。もうすぐアナウンサーが画面に出て来て朝の挨拶をし、ニュース番組が始まり、そしてまた一週間が始まる。助けてくれ。

”素晴らしい方”稼業

2008-04-20 05:54:35 | その他の評論


 6日の日記に武田鉄也をクサす文章を書いたら、その翌日、さっそく武田のファン、というより信者と言うべきであろうと思われる人物からコメントをいただいた。いわく。

 >実際の武田さんは金八以上に素晴らしい方ですよ。

 私は脱力のあまりイスから転げ落ちそうになったのであるけれども。

 だからね、それはあの男がドラマの中でも役を離れても、とにかくカメラの前にいる限りは”素晴らしい方”扱いをする、そんなドラマのヒットを受けて出来上がった芸能界内部の合意があって、すべてはそれに従って動いてるのであって。
 あなたはテレビドラマも何もかも含め、そんな”芸能界”という名の出来合いの芝居を見ているだけなんだよ、言っても通じない雰囲気だけれども。

 ここででふと思い出してしまった事がある。以前、テレビで”街を行く頭の軽そうな女の子の意識を探るインタビュー”なんてのをやっていたのだ。
 マイクを向けられた、そのいかにも今そうな女の子は、「好きな芸能人は?」って質問に「××さん」と、その頃人気の高かったある俳優の名を挙げた。インタビュアーは重ねて問う、「なぜ、××さんがすきなんですか?」と。彼女は答えていわく、「やさしいから」と。

 変な答えだね。その俳優が優しい人物かどうか、”一般人”の彼女にどうして分かる?
 まあ、その発言の根拠の見当は付いた。その頃彼は、高視聴率を取るテレビドラマで”やさしい人”の役をやっていたのだ。

 要するにあれなのね、いまやドラマの中で”優しい人”の役をやったらすなわち優しい人、”素晴らしい方”の役をやったら、その役者はイコール”素晴らしい方”なのだ、その素顔も何もかも。
 音楽の世界でも同じことですな。優しい歌を歌っていたら優しい人。明るい歌を歌っていたら明るい人。

 虚構と現実、作り物と本当の姿なんてめんどくさいことは、もう皆、考える事をやめてしまった。誰かが”優しい人”を演じているドラマが心地良かったら、その俳優は現実でも”優しい人”なのだ。そう決まったのだ。だってその方が楽しいもの。なのでしょう。
 で、そんな思い込みの楽園を乱すような発言を成す者があったら、「あなたの心は歪んでいる」となる次第で。こりゃやっぱりへんちくりんな宗教もどきの現実拒否システムと化してしまったのでしょう、芸能ファン意識って。

 かっては現実の側に身を置き、”役者が役を演ずる事を楽しむ”って芸能への接し方があったと思うんだけど、もはやそんなものは無効となっていて、そのようなシステムとは別の形で社会に機能しているらしい、今日の”芸能”なる代物。
 何でこんなことになってしまったのか、おいおい検証して行きたく思う次第です。
 

全然分かっていないイスラエルを聴く

2008-04-19 04:49:18 | アジア

 ”Best of Avi Perez ”

 イスラエルのポップス歌手、Avi Perez が数年前に出したベスト・アルバムだそうです。もちろん、これが初聴き。

 考えてみればユダヤ民族の音楽というもの、東ヨーロッパをさすらった人々が生み出したクレズマーやら南ヨーロッパを流れた人々の間で生まれたセファルディなどと聴いてきたのだけれど、イスラエルの音楽となるとまるで未知だったりするのだった。いやそもそもイスラエルの音楽と言ってもどのような素性のものか。
 国を失い各地に流れた民の築いた国の音楽ということは、クレズマーやセファルディのような、他の土地からの”お持ち帰りもの”の音楽なのだろうか。

 ところがとりあえず聞いてみたその音楽の感触は、イスラエルを囲むアラブ諸国のものに普通に通じる”中東のポップス”の響きそのままなのだった。
 打ち込みと民族打楽器がカチカチと火花を散らして打ち出すリズムに乗って、メリスマのかかったボーカルがうねりながら流れて行く。なかなかかっこ良い音楽なのですが、あれ?

 なにやら戸惑ってしまうのは、聴こえてきたこの音楽、彼らイスラエル国民と敵対関係にあり、たびたび戦火を交えている周辺のアラブ諸国のそれと一まとめに”アラブポップスの一種”と呼びたくなる性質のものだけれど、そうも行くまい。どう呼んだらいいんだろう、とりあえず。

 よく分からないのだけれど、この音楽はどこでどう育ってきた音楽なのか。
 だってこれ、ユダヤ民族が今イスラエルのある土地に昔からず~っと住んで来たのならこのような音楽を持っていて当たり前であろう、というような音楽なのですよ。周囲のシリアやらレバノンやらエジプトやらって国々のそれと当たり前の顔して連なり、そのあたりのポップス・シーンの一角を担っている、そんな音楽なんだ。

 イスラエルという国が出来てから周囲の国々の音楽に影響されて出来上がったって感じでもない。民衆の中でしかるべき歴史が流れた末に生まれ出て来た、地に根を生やした音楽の手触りがある。

 これはつまり、当方がイスラエルやユダヤの歴史に無知であるって事なのでしょう。
 亡国の民となって四方に散って行った人々がいる一方、”居る権利”を失った土地にとどまり、父祖の地において流浪の民としての立場を生きる、そんな微妙な歴史を生きた人々もいたんだろうか。これは、その人々の育んだ大衆音楽なんだろうか。

 なにをいまさら、ってなことを延々と書いてるけど、この辺の歴史をあまり勉強してませんでした、すまん。この辺の歴史に詳しい人は「アホか」と鼻で笑っているんだろうなあ、これを読んで。まあ、しょうがないや。
 と頭を抱える当方を尻目に、Avi Perez の歌声は結構ソリッドな出来上がりでかっこ良い””中東ポップス”を織り成しつつ流れて行くのでありました。

アポロン喪失

2008-04-17 04:42:26 | その他の評論


 知らなかったのだが、この8日に作家の小川国夫氏が亡くなっていた。享年80歳。

 独特の透明感溢れる作風が印象的な作家で、ことに私は、彼が若く、まだ無名の学生時代にバイクを駆って地中海沿岸を流離った、そんな旅の想い出をつずった詩的覚書、とでも言うべき初期作品集の澄んだ余情を愛していたものだった。
 大学を出たものの就職もせずにブラブラとフーテン生活を続けていた頃私は、「アポロンの島」等、小川国夫のそれら初期ものを読みふけった。

 いま思えば、容赦なく過ぎ去って行く時の流れから目をそらさんがために、小川氏の描く、人の姿も意識も透明になり日差しの中で溶けて行きそうな地中海の日々の永遠に逃げ込んでいたのだった。
 私は本の記述の向こうに、出口の見つからないオノレが日々へのひとときの慰謝として時間と空間の向こう、幻想の地中海世界から差して来る非在の陽光を弄んだ。

 まあ、過ぎ去った思い出のように装ってはいるが、今でも私はあんまり変わらない日々を過ごしてはいる。

 氏の訃報を聞き、あの頃と同じ、白い表紙に赤い背の文庫本で小川作品を再読してみたいなあ、などと思ったのだが、もう一度手に入れようにもあれはとうに絶版である。小川氏の澄んだ作風に似合った、良い感じの装丁だったのだけれど。
 愛読書だったはずの、あれらの書が見当たらないということは、その後の放浪時代に二束三文で手盤してしまってそれっきりだったのだろうか。そうなのだろう。今頃になって思い出したところで、もう20年も30年もの歳月が流れている。

 そして、小川氏は亡くなられた。私は、若い頃と同じようなすべてを捨てての放浪の日々に今また焦がれつつ、しかし実行に移す気力も失われたまま、なすすべもなく年老いて行く。地中海の陽光は遠く、どこでもいつでも、時との戦いは過酷だ。

 (冒頭の写真は、故・小川国夫氏)