ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

わが心に歌えば

2009-04-30 02:49:58 | 60~70年代音楽


 ”With a Song in My Heart”by Stevie Wonder

 最後まできちんと聴いた事のない盤について書く。もちろん、現物を持ってもいない。
 ”我が心に歌えば”は、あのスティービー・ワンダーが1963年、まだ13歳の頃に出したアルバムだ。ディズニー・ソングの「星に願いを」をはじめとして、チャップリン作の美しいバラード、「スマイル」などスタンダード・ナンバーを、オーケストラをバックにじっくり歌い上げた作品集だ。

 ストリングスや大編成のコーラスが前面に出ていたり、ジャズっぽいアレンジだったり、大人っぽい音作りの中でスティービーは、それら古き善き時代の思い出たる名曲の数々を丁寧に歌い上げている。
 ジャケの、大きく口をあけてマイクに向う幼いスティービーの屈託ない笑顔が、なにより印象に残る。
 音楽ファン稼業を始めた頃、なんとなくこのアルバムに憧れを持っていた。まずタイトルがいいじゃないか。我が心に歌えば、だ。当時貰っていた小遣いではロックの最新シングルを追うのが精一杯で、とてもR&Bのアルバムなど購入する余裕はなかったのだが。

 当時の私はこのアルバムをよすがに、幼くして視力を失ってしまった少年歌手のスティービーを見守り、その才能を育んでやろうとする彼の周囲の大人たちの愛情溢れる視線と、青春のとばくちに立ち、未知の明日に向い頬を上気させているステービー少年の胸のざわめきなどを空想して、陶然となっていた。
 世の中がそんな奇麗事で出来上がっているなんて事はありえないと、その頃の私はもう、うすうす知っていたのだが。いや、だからこそ、そんな甘ったるい妄想を弄ぶのが快かったのかも知れない。

 このアルバムをスティービーが録音したのと同じくらいの年齢だった私は、オトナになったら子供の頃からの憧れの通りにSF作家になろうか、それともこのところ急激に胸中に育って来ている音楽への情熱に殉じた一生を送ろうか、などと思い巡らせながら、丘の上の中学校へ至る坂道を歩いた。背中に春の日差しを感じながら。
 お笑い種さ、そんな夢を信じたがっている自分は、とてつもない甘ったれだ。学校に行き着く頃には、いつもそのような結論が出る事になっていた。

 歳月は流れ、懐具合にも余裕が出来、が、私はついにこのアルバムを買うことはなかった。 大人の耳で聞けばこのアルバム、変声期ただ中のスティービーの幼い歌声が、なにやら思春期前期の少年の青臭い性の懊悩など連想させ、気色悪くも感ずるようになっていたのだった。
 だから私はレコード店店頭で一度試聴しただけで、もうこのアルバムを忘れてしまう気でいたのだが。ご覧の通りこんな具合に、アルバム”わが心に歌えば”をふと思い出す夜もある次第である。。

スタイフィ発汗!

2009-04-29 05:03:28 | イスラム世界


 ”KHAYNA - 100% STAIFI” by FARES & FIFI

 とにかく北アフリカはマグレブ世界の大衆音楽シーンはえらい事になっている・・・らしいのだが、そしてその混沌の中から我が愛聴盤もいくつか拾い上げてもいるのだが、情報不足もあり、その全体像はなにやら漠として分からない。

 このアルバムも、あのモロッコの強烈な祝祭音楽・レッガーダへのアルジェリアからの返答とも言うべき存在であり、スタイフィなる名を持って現地では呼ばれている音楽の注目の新譜のようなのだが、もはや当方、我が愛する混沌の一形態としか認識していない。
 細かい呼び名をあれこれ覚えてみたところで、後になって、「あれはすべて現場の人間が宣伝用に思いついたスカタンでした」なんて事になるやも知れず、騒ぎが一段楽するまでは、どれほどの意味があるのやら分からない。

 というわけでスタイフィ。ジャケでは、いかにも下町の小悪党、みたいな兄ちゃんと厚化粧のいかにも毒婦、みたいな姉ちゃんがこちらを睨んでいる。いや、そう見える、そうみたいな二人とだけ言っているので、ほんとはどうだか知りませんよ。あくまで私が受け取ったイメージ。とか何とか言ったって、どうせこの二人がこの文章を読む可能性はゼロなんだから、気にせず言いたい事を言ってりゃいいんだけどね。

 ともかく。上のキャッチフレーズからは、なんかレッガーダのライバルと目されているみたいなスタイフィだが、違っている部分もあれこれ目につく。まあ、細かい音楽上の話は出来ないのだが、当方の気になった部分をあげれば。

 まずは、このようにスタイフィは常に男女のデュエットで歌われるもののようだ、という事。歌詞内容がはっきりすれば分かるのだろうが、もともとは男女の相聞歌のごときものとして発祥した歌なんだろうか。
 それにしても、ここで聴ける男女の掛け合いはエグい。男のほうの民謡調の喉声とオネーサンのほうのパワフルなド根性声は、歌い上げるイスラミックなコブシが、こいつもこの種の音楽ではお馴染みのヴォコーダーによる変形を受けて、まるで大蛇がのたくるような生々しさを発散しつつあたりを這い回る。

 また、砂漠の砂嵐の中を千切れ飛んで行く細切れのフレーズ、みたいなレッガーダの乾いた歌メロと比べると、スタイフィで歌われるメロディは、より歌謡性が強いように思える。比較的、程度のものだが。スタイフィ音楽の生々しさは、この辺りからも生まれてくるのか。
 それから湿度。カラカラに乾いたレッガーダと異なり、スタイフィはずっと湿った熱気に満たされているように感じる。こいつは発展した地の風土の差によるものかとも思うのだが、もちろん、確実なことなど何も分からず。
 もはや北アフリカ名物ともいいたい、気ぜわしい前傾姿勢でつんのめるように打ち込まれる変拍子のリズムもまた熱気と湿気をはらんで激しく大地を打ち、スタイフィ音楽は盛夏における相撲の稽古場の様相を呈する。

 って・・・以上、なんの構想もなしに出まかせでキイを叩いていたらこんなんなりましたが。この辺にしておいた方がいいかもな、ということで。

アリラン峠のジャズ渡世

2009-04-28 01:33:25 | アジア

 ”CatTrot” by Lee NoKyung

 なんだよこれは?と完璧に絶句させてくれたこのアルバムに、まず敬意を表する。退屈極まるこのご時世、わけ分かんないものを作り上げた時点で、すでに君の勝ちだと認めよう。とはいえ、演者ご当人は本気っぽいのではあるが。
 韓国のジャズピアニスト、イ・ノキョン女史の2008年作のアルバムである。ノキョン女史は、「大学でクラシックを勉強した後、以前から好きで弾いていたジャズの世界に入りました」いかにもそんな感じの、綺麗なタッチのピアニスト。ここではギターとウッドベースによるトリオを率いてお達者なテクニックを披露してくれる。

 まあ、要するにおおむねやっている音楽の姿はジャズなのであるが、取り上げる曲が問題であり、トロット、つまりド演歌なのである。これ、コテコテのド演歌を達者な技量を駆使しつつ、クールにジャズってみせるアルバムなのである。
 この違和感がたまりません。唖然としつつ、つい、何度も聴いてしまった。不思議なものを見てしまうとつい目が離せなくなる、あの感覚である。
 なぜ、こんな演奏をせねばならないのだろう?分かりません。冗談やパロディと取るには、演奏は終始真面目なものであり、とくにオチなど用意されているわけではないのだ。と言って、聴いていて素直に納得できる音楽でもない。

 どうやらタイトルの”キャトロット”というのもキャット&トロット、つまり”ネコとド演歌”みたいな意味を込めてのものと思われる。ネコと演歌を二つ並べるとどのような意味を成すのかも、もちろん私は知りません。
 ノキョン女史のピアノはフォービートのリズムに乗り切り、ブルージィなフレーズを駆使して、時にフェイクをまじえながらド演歌の臭いメロディをなぞり、そして思索的なアドリブの世界に突入さえしてみせる。その姿勢、あくまでクール!

 ようやく7曲目にして、いかにもジャズらしい楽曲、”朝日の如く爽やかに”が出てくる。しかし、その演奏たるや。
 ノキョン女史のピアノはメロディのあちこちで、臭い演歌歌手のコブシを鍵盤上にねちっこく再現してくれるのである。たまにコメディアンがやる、”欧米のポップスを演歌のコブシを廻して歌ってしまう”ギャグ、あれである。
 もちろん女史は受けようと思ってそんな事をやっているのではない。あくまでも崇高なる芸術表現に携わる者の手つきで、それを行なっているのである。何度もいうが、私にはその芸術の行き着くところは想像もつかない。

 盤のハイライトは、ウエスタンというより”アメリカのホームソング”とか”カウボーイ・ソング”とか言うべきだろう、”レッドリバー・バレー”である。なんでジャズと演歌ネタでこの歌がと思うのだが、三拍子にアレンジされた聞き慣れたメロディがジャズィなアドリブや演歌のコブシをまぶされて奏でられると、意図は明白となってくる。この歌は朝鮮半島の国民歌謡、”アリラン”の暗喩なのだ。
 ”レッドリバー・バレー”は、ある時は短調に変奏され、また長調に戻り、そしてある時はソウルフードの、ある時はキムチの匂いを染め付けられながらのたうちつつ、中国からの黄砂に煙る街を望み流れて行く。おおお、唐辛子に染まったジャズが漢江に沈んで行く。

 ふと昔、某巨大掲示板で見た、「ジャズは朝鮮半島で発祥した、我が韓国の誇る伝統芸術であり、それを米国原産であるなどと妄言を成すのは、韓民族に対するあからさまな文化的侵略行為である」とかステートメントを読み上げる韓国国民、なんてギャグを思い出してしまったのだ。
 う~ん、ジャズは本当に韓国固有の文化かも知れんなあ。とは思わなかったけどさ、それは。

城南海の単なるファンです。

2009-04-26 02:52:07 | 奄美の音楽


 ”城南海”

 うわ。今、城南海ちゃんの新曲のビデオクリップ(という言い方で良いのか、まだ?それさえ分からないほどナウいヤングと無関係な生活となってしまっている我が日々・・・)を見てしまった。そうか、あるんだ、そういうものが。なんとなくテレビをつけたらやってたんで終わり近くを見ただけだぞ、くそ。

 他にもあるんだろうなあ、ああいったフィルムは?なんか7月にまたシングルが出るらしいけど、ビデオクリップ集も早いとこ発売よろしくなっ。そういや、「地元・鹿児島ではデビュー前に異例の55分のドキュメンタリー番組が鹿児島テレビ(KTS)で放送されることが決定」なんて昨年秋の日付けの記事をネットで見かけたけど、これはどうなったのだ?ローカルで放映されただけなのか?

 と、もう彼女に関しては単なるミーハーと化してしまっている私である。面目ない話である。
 まあ私は、モーニング娘の歴代メンバー全員の名前とか普通に覚えているアイドル好きであるので、お許し願いたい。
 もっとも、先日書いた新しいシングルへの感想に変わりはないのであるが。つまりはあの方向に行くと、元ちとせの二番煎じで終わりそうで、どうも納得できないのだ。何度か聞くうちに、最初に聞いた時の違和感はある程度薄れていってはいるのだが。

 そもそもが、古代歌謡が原型のまま生き残っているようだ、という方向から奄美の島唄に興味を持った私だった。
 知人が熱烈に入れ込んでいるので気になって奄美の島唄を聴いてみたら、あれももう20年以上前の作品になるのか、桃山晴衣が中世歌謡の再生に挑んだ”梁塵秘抄”なんて作品、あそこに収められていた歌の世界が血と肉を通わせ、立ち上がってくるように思えた。

 うわ、凄い、こんな歌が生きている世界があったのか。お隣の沖縄の島唄とは、まるで次元の違う、不思議な存在の仕方。血が騒いだね、この出会いは。

 そういえば島尾敏雄の小説なんかも高校の頃に読んだよなあ、とか思い出して奄美の風土に関する本も読んでみたら島の文化自体にも惹かれるものがあり、といったルートで我が奄美熱は高まっていったのだった。が、アイドルまで奄美産を嗜好するようになろうとは。
 いや、彼女をアイドルと呼んでしまっていいのかどうかが分からないのだが。そもそもレコード会社は彼女をどういった方向に進ませたいのだ?やっぱり奄美の先輩、元ちとせの路線なのか?

 まあとりあえず城南海ちゃんにおかれましては、タイアップ曲を歌うのはいいけど、”余命なんたらの・・・”みたいな悪趣味なお涙頂戴ドラマの主題歌とかを歌うようにだけはならないで欲しい、とそれだけお願いしておこう。

裸で何が悪い

2009-04-25 02:53:21 | 60~70年代音楽


 ”Naked, if I want to”by Moby Grape

 ”あなたの街を歩きながら
  裸になっちゃおうかなあ
  7月4日に花火を打ち上げられるだろうか
  アンプを月賦で買うことが出来るだろうか
  文無しだけど 死ぬまでには払えるだろう”

 ”Naked, if I want to”はサンフランシスコのサイケデリック・ロックバンド、Moby Grapeのレパートリーであり、メンバーのJerry Millerのペンになる、とぼけたブルースロック調のその曲は、1968年に発表された彼らのデビューアルバムに収められている。
 と思うんだが、とうの昔にその盤を紛失している当方には、それを確かめるすべがない。彼らの2ndアルバムである”Wow!”はCDで持っているのだけれど、それに収められている同曲の演奏は、一分足らずのオマケ程度のおふざけヴァージョンである。まあ、「どうしても聴きたい!」と渇望するような曲でもないのだが、ご時世なんで、ふと思い出した次第。

 この曲とバンドのことは60年代の終わり頃、植草甚一氏の”ニューロック”に関する文章で知ったのだった。ジャズ評論で人気のあった”不思議な爺さん”である植草氏は当時、”ロックの新しい波”に入れあげておられ、氏が雑誌等に書くロックの最新情報は、その種のものに飢えていたロック小僧の当方にはたまらなく魅力的であり、貪り読んだものだった。

 もっとも当時、最先鋭の盤がソッコーで日本盤発売となるでもなし、輸入盤店が今ほど一般的だった訳でもなく、植草氏が話題としていたレコードそのものを入手出来たのは、その数年後だったりするのだったが。
 そして、手に入れてみるとそれらの盤の多くは、あの植草氏の文章の中にあった”60年代末”という時代の高揚の幻から醒め、なんだか朝の光にさらされてしらっちゃけてしまった昨夜書いたラブレター、みたいな響きを醸し出すばかりだったりもするのだった。

 ・・・しっかし警察も、何を見つけるつもりで家宅捜索までしたんだろうねえ。
 あんなに大々的に報道されちまった”単なる酔っ払い”もいないだろうなあ、なんかかわいそう・・・
 それにしても。あれだけ飲んだら、そりゃあ気持ちが良いだろうなあと、ちょっぴり羨ましいみたいな気持ちにもなった私は、長年の飲み過ぎで医師に飲酒を制限されている。人生は上手く行かない。


 ○草なぎ容疑者宅を捜索=24日送検へ-公然わいせつ容疑で警視庁
 (時事通信社 - 04月23日 17:01)
 東京都港区の公園で全裸になったとして、SMAPのメンバーでタレントの草※(※=弓ヘンに剪)剛容疑者(34)が公然わいせつ容疑で現行犯逮捕された事件で、警視庁赤坂署は23日午後、同区赤坂にある同容疑者の自宅を家宅捜索した。24日に同容疑者を送検する方針も固めた。
 同容疑者は23日午前3時ごろ、同区赤坂の檜町公園で全裸になったとして、逮捕された。
 同署によると、同容疑者は酔いが完全にさめておらず、取り調べが十分にできていないため、行動の全容を解明するため、身柄送検する。
 捜索は動機や背景を裏付けるのが目的で、押収物はなかったという。
 同容疑者は22日夜、同区赤坂の居酒屋で、知人の男女とともに飲酒。23日になっても飲み続けた後、徒歩で女性と帰宅した。
 同容疑者は同日午前2時20分ごろ、同公園に入る階段付近で別れた。知人は著名人ではないという。
 尿検査の結果、薬物反応は出なかった。
 同容疑者は容疑を認め、「ビールと焼酎を飲んだ」と供述している。

イタリアン・ソングバード

2009-04-24 03:14:40 | ヨーロッパ


 "Sospiro" by Faraualla

 パーカッション担当のメンバー二人をバックに、というより彼らが繰り出すリズムと遊び戯れながらイマジネーション豊かなポリフォニー・コーラスを聞かせる、女性4人組のコーラス隊。これはなかなか良いです。
 グループは南イタリアの出身のようです。それなりの歴史もあるグループのようなので、昨年リリースされたこのアルバムが初対面とは、我ながらなかなか口惜しい。もっと早く聴いておきたかった。とにかく、聴いているうちに思わず知らずニヤニヤしてしまっていたってくらいの楽しい音楽を聴かせてくれる連中なのだ。

 イタリアをはじめ、バルカン方面と思われるトラッドや古い教会音楽、子供の遊び歌のようなもの、懐メロ歌謡的なものと、さまざまなジャンルの音楽を遊び心に溢れた独特のアレンジのコーラスに仕立てて聴かせる。ともかく明るい。クリエイティブである。そこが良い。
 おそらくはアフリカの民俗音楽で聴かれるポリフォニー・コーラスなどにインスパイアされて、あるいはそのような志向のロックかソウルのグループなどに影響を受けて始まったグループの歴史なんだろうけど、詳細は知りません、毎度こんなので申し訳ないですが。

 ともかく、ややこしい理論を押し立てればいくらでもややこしい展開が出来そうなネタなんだけどかっこつけて芸術に走ったりせず、あくまでも躍動感のあるリズミックなエンターティメントとして提示してくるのがこの連中の良いところ。
 素っ頓狂な叫び声をまじえて呼び交わしつつ、巧妙に交わるコーラスを聴かせる彼女らは、ジャングルの奥深くで鳴き交わすカラフルな熱帯の鳥に変身したかのようだ。
 とか他人の事だと思って勝手なこと言ってるけどこの音楽、譜面とか見たら、もの凄くややこしいんだろうね。

アゼルバイジャンの風の歌

2009-04-23 01:28:53 | イスラム世界


 ”ADI YOK”by AZERI GUNEL

 一聴、あ、音楽の出来も良いじゃないかと得したような気になる。というのもおかしな話だが、いやなに、ジャケ写真をご覧になってお分かりのように歌手本人がなかなか美人なので、単にジャケ買いしたCDであって、内容とかはあんまり期待していなかったのであります。
 彼女は中央アジアはアゼルバイジャン出身の歌手で、トルコの伝統派ポップス界の巨星、イブラヒム・タトゥルセスに見出され、音楽大国トルコに出て来て活動するようになった人だそうな。日本におけるケイ・ウンスクとかオーヤン・フィフィとか、そのような立場の歌手かと想像する。このアルバムはそんな彼女の最新盤。

 トルコ語にしてはあんまり馴染みのない響きの言葉が頻繁に出てくるので、一部の歌詞を(もしかしたら全部を?)アゼルバイジャンの言葉で歌っているのではないか(今、検索して知ったのだが、日本盤が出ているようだ。それに付されている解説に詳しい話は載っているであろうから、正しい情報が必要な方は、そちらをごらんになってください。ここは”正しい情報より勝手な話を”がポリシーの場所なので、ご用心を)
 音楽的にも、高く熱く張り詰めたトルコ音楽のテンション高い情感はこちらにはあまり伺えない。いずれにせよイスラム色濃い音楽である事に違いはないのだが、この盤では彼女の故郷である中央アジア高原の厳しい自然と、その中に生きる人々の孤独を伝えるような、寂しい草原に吹き抜ける乾き切った風の響きを秘めた歌と演奏が聞こえる。

 どこかで一歩引く様な、ある種の奥ゆかしさを感じさせるAZERI GUNELの歌声。声を忍ばせつつコブシを廻す、その翳りある歌唱法からはなにやら、”振袖で涙を隠しつつ忍び泣く”みたいな日本舞踊の所作を連想させられたりもする。そのあたりも相まって、全体により東アジアっぽい歌謡曲性を感じさせもする。
 妙に日本の古い歌謡曲を連想させるフレーズが登場し、「あ、これ、聴いた事がある!」と思いかけるのだが、そこにサズのイスラミックなフレーズが一閃し、一気に場面を中央アジアに持って行かれてしまう、なんて場面があちこちに用意されている。その気安さから勝手に日本の歌謡曲との近似性を感じ取ってしまうのだが、安易な推論をせぬように気をつけるべきなのだろう。

 それにしても、このAZERI GUNEL の”異邦人”ぶり、トルコの人々にはどのように聴こえているのだろう?現地においてもエキゾティックな魅力で売っている部分はあるはずなのだが。そのあたりを知りたく思う。そして彼女のこの音楽の魅力もまた、アゼルバイジャン直送のものではなく、異郷トルコに身を置いてこそ成立し得たものではないか、そんな気もするのだが。
 などと、とりとめのない考えを弄びながらジャケを繰り彼女の写真を眺めていたら、あのカンツォーネの大物歌手、ジリオラ・チンクエッティに、やや面影の似ている一枚を見つけ、ちょっと胸ときめく。中央アジアから小アジアを経て南イタリアへと至る、遥かな血脈の旅を想って。

感動屋稼業

2009-04-22 03:48:14 | 時事

 (YouTubeで公開されている公式動画より 写真:ITmedia)

 ○英国発“美声のおばさん”にYouTube熱狂

 審査員席や客席のわざとらしい反応、臭い演技、何が起こるか分かっている事が丸見えなカメラワークなど、露骨なヤラセの感動劇ですね、これは。

 このフィルム、ワイドショーの”事件再現ビデオ”レベルの演出かと思うのですが、そんなものを見て多くの人々が簡単にその気にさせられ、”感動”を表明しているありように、ちょっと空恐ろしさを感じてしまいます。

 はじめは嘲笑していた審査員や観衆が一声聞いただけで感動し熱狂するとか、出演者の演技も稚拙だが筋書き自体も、頭の緩い人向けに作られたお手軽なメロドラマレベルのものではありませんか。

 そんなものの製作者にやすやすと乗せられ、彼らの思惑通りに感動ごっこに酔ってしまうなんて。安過ぎませんか、あなたの心は?


 ○英国発“美声のおばさん”にYouTube熱狂
 (ITmediaニュース - 04月20日 09:51)
 地味なおばさんが、マイクを持ってオーディションのステージに立つ。「エレイン・ペイジ(英国のミュージカル女優)のようになりたい」と話す彼女に、審査員も、会場の観客も苦笑。だが、彼女が歌い出すなり、あまりの美声に会場が総立ちになる――
 英国のオーディション番組「Britains Got Talent」のこんな一幕が4月11日、YouTubeで公開され、世界中で驚きと賞賛を呼んでいる。彼女の名はスーザン・ボイル(Susan Boyle、47歳)。独身で無職の教会ボランティア、男性とキスしたこともないという。
 美声で歌ったのは、ミュージカル「レ・ミゼラブル」のナンバー「I dreamed a dream」。番組が公式にYouTubeにアップした複数の動画のうち最も人気のものは、19日までに約3000万回再生された。女優のデミ・ムーアさんもTwitterで「大ファンになった」と賞賛している。
 ボイルさんの動画やインタビュー動画は、一般ユーザーも大量に投稿しており、「Susan Boyle」で検索すると6000件以上ヒット。日本語字幕付きのものも複数あり、19日までに多いもので約10万回以上再生されている
 メディアでも話題になり、英語版Google Newsで検索すると2000以上の記事がヒットする。日本では19日のNHKの海外ニュースが紹介するなど、話題は広がっている。

G.S.I LOVE YOU

2009-04-21 03:27:47 | 60~70年代音楽


 ”G.S.I LOVE YOU”by 沢田研二

 なんかねえ、今日は酒を飲んで良い日のような気がしてならないんだよ。まあ、飲んで良い日も何もない、医師に「あなたはとっくに、人の一生分の酒を飲んでしまったのだから。もう飲まなくてもいいんじゃないですか」と禁酒令を出されている身、飲んで良い日なんてはじめからありゃしないんだが。
 うん、まあ、それでも最初の三年は真面目に一滴も飲まずにいたな。その後、週に一回だけこっそり飲むようにしたんだけど。ときどきそうやってガス抜きしないとヤバいんだよ。毎日、首吊って死ぬ事ばかり考えるようになってしまったから。それを実行に移すより飲むほうがマシでしょ。
 医師は気が付いているのかどうか。定期検査の結果は良いんだそうで、特に文句は言わない。週一の飲酒なんてのは誤差の範囲内なのかね?知らないけどさ。

 昨日に続いて後ろ向きの話を書いてしまうが、元人気GS・ジャガーズのメンバーだった岡本信が亡くなったというニュースを見たんで、ちょっとGS話を書いてみたくなった。
 とは言うものの、とくに岡本のファンだったわけでもない。ただGS全体に、というか彼らとその時代に思い出、と言うよりは時を経ても消えない執着がある。それだけの話だ。
 ジャガーズのライブを、その全盛時代に東京は新宿の”ACB”という店で見たことがある。そこでも岡本の印象は特にない。ボーカルの彼より、ギタリストがリッケンパッカーの、ジョン・レノンが使っているのと同じモデルを弾いているのが羨ましくてならず、そればかり見ていたのだった。

 自分の還暦記念パーティの日に逝った岡本は肝臓を病んでいたそうな。飲み過ぎだったんだろうな。この間亡くなったゴールデンカップスのデイブ平尾なんかも、いかにも飲み過ぎで命を落としそうなタイプだが、死因はなんだったか。そういえばテンプターズのドラムだった大口広司は何で亡くなったんだっけか?
 それから、自ら命を絶ってしまった元ブルーコメッツの井上忠夫。GS時代には大張り切りのモーレツサラリーマンみたいなキャラで弱ったものだった彼だったが、そんな人物が自死するのなら、これはもうしょうがないじゃないかって気がする。
 そうか、カップスはもう一人、ケネス伊東も、かなり早くに亡くなっていたんだ。それから、ほかに亡くなった奴は。

 などと点鬼簿を指で追っていると、GSのメンバーだったもので幸せになったものなど一人もいないのではないかなどと思えてくる。皆、オノレの定められた寿命が来る前に運命の蝋燭の前に立って自ら炎を吹き消し、力なくこの世から歩み去って行った、そんな風に見える。そうする理由など問うても無駄である。彼ら自身にも分かってはいないのだから。
 ただ、そんな消え去り方が、彼らにはなぜか似合いに見えて仕方がないのだ。GS全盛期に、エレキギターを抱え夜汽車に乗って東京に行き、どこかのGSもぐりこむ、なんて家出の計画を本気で立て、実行に移しかけて親に張り倒された経験を持つ私には、そう見える。

 そんな中で、この間、テレビで見たライブの出来では還暦過ぎても元気だったのが、沢田研二だった。そりゃ、経年劣化というものはあるにしても、ちゃんと声も出ているし、悲惨な部分が見えなかったのはたいしたものだろう。「20歳になったらやめようと決めていたロックなのに、自分は60過ぎてもまだ歌っている」との言葉が心に残った。

 その沢田に、”GSアイラブユー”ってアルバムがあるのだった。1980年度作品。ワイルドワンズの加瀬邦彦がプロデュースを担当し、佐野元春の楽曲などを取り上げている。
 沢田のソロアルバムの中ではひときわロック色の強い作品で、「60年代、タイガースのメンバーとしてデビューした当時は、自分の望むようなロックではなく歌謡曲色の濃いGSソングばかり歌わねばならなかったジュリーが今、若いロック世代のミュージシャンの協力を得て、”あの頃やりたかったロック”を実現してみせたアルバム」との評価がある。

 私もこのアルバム、そのような作品と捉えてきた。が。よく聴けばここで聴かれるのは沢田が青春の日に入れあげて来たローリングストーンズのようなロックの響きはないのだった。周囲を固めたミュージシャンの個性から行って当然と言うべきか、むしろビートルズ寄りの音がしているのだな、このアルバムからは。そうなった理由は。その方が売れるであろうから、という正しい芸能の論理からなのだろうけれど。
 沢田がこのアルバムのテーマと出来上がりとをどのように考えているのか、気に入っているのかいないのか、それについての発言を聞いたことがない。もしかしたらそんな余計な感傷などなにもない、あれは彼が長い芸能生活でこなしてきたたくさんの仕事のうちの単なる一つ、だったのかも知れず。

 ただまあ・・・自由に至る道は遠く、誰にでもたどり着けるものではなく、人はいつか歩きたくもない道を歩み、気が付けば死んでいる、そんなものなのだろうなあと思ったりしたのである。

ジャズ喫茶、1969年

2009-04-20 03:42:55 | ジャズ喫茶マリーナ
 ”Berlin Festival Guiter Workshop”

 (某アンケートに答えて)

 60年代から70年代への変わり目あたりに、ジャズ喫茶で聴いた思い出の盤ですか?他の方々の書かれている文章からは思い切りずっこけるかとも思いますが、1967年のベルリン・ジャズ祭からのライブ盤、”ベルリン・フェスティバル・ギター・ワークショップ”が印象に残っています。

 聴いたのは1969年、夏休みに東京の親戚の家に泊まりがけで遊びに行き、「東京のどこを見たい?」と尋ねられ、「ジャズ喫茶」と答えて呆れられたりしつつ、大学生のいとこに連れて行ってもらった・・・どこだったかなあ、渋谷かどこかのジャズ喫茶でかかっていた盤でした。
 ドイツのジャズ研究家、ヨアヒム・ベーレントのドイツ語のアナウンスに導かれ、バーデン・パウエル, エルマー・スノーデン, バディ・ガイ, バーニー・ケッセル, ジム・ホール,などなどのメンバーによる、”ジャズギターの周辺、およびその展開”みたいな熱演が展開されていました。

 冒頭のエルマー・スノーデンのノスタルジックなバンジョー演奏による”レイジー・リヴァー”に始まり、ヒステリックとも言える高揚を見せるバディ・ガイのブルースギター、後半には、あまりにも奔放過ぎてバックのベースとドラムスが付いて行けなくなるバーデン・パウエルの”イパネマの娘”と・・・なんだかジャズ本道から外れた演奏ばかりが記憶に残っていますが、あの時代でしかありえなかった熱い空気がギッチリ詰まった盤でした。

 あの60年代最後の夏の、東京の街の風景や人いきれなどと共に、妙に記憶に残っている盤です。そんな街の熱気と、盤の向こうに聴いた「まだ熱かった頃のジャズ」のざわめきがピタリと重なり合い、「ジャズ喫茶でレコードを聴いていただけだが、実は時代の先端に触れていたのだ」なんて、妙な高揚を噛み締めたものでした。