ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

13月があったなら

2011-12-31 03:54:44 | ヨーロッパ

 ”Zeit”by Tangerine Dream

 ずっと「年末は苦手だ」などと称していたのだが、考えてみれば年末自体はむしろ好きな時節なのだった。
 早めに暮れてゆく街、街を行く人々を包むうつむき加減の無口な気配、夜の街を彩るオーナメント、シンと空気の澄んだ感じ、そして何より、濃厚に漂う”終わり”の雰囲気。一年間やってきたのだ。もう、そいつもすべておしまいになるのだ。この静かな終末の、ちょっぴり寂しい色をたたえた湖の、深々とした優しさよ。
 結局、その終わりの季節を心から楽しめないのは、その後ろに”新年”という厄介ものが控えているせいなのだ。せっかく一年がかりの大仕事を終え一息ついたところなのに、また最初からやり直さねばならない。降り注ぐ光の下で。なんと残酷な話だろう。

 そもそも新年というやつはキンキラキンに輝くばかりで深い陰影というものがない。「おめでとうございます!」などと挨拶は景気がいいが、そもそもなにがめでたいのか、実質など何もないではないか。
 新年などという無粋なものがやってこずに、永遠に年末が続いたら、それは素晴らしいだろう。12月の次は13月、そして14月、15月。夜はどんどん長くなってゆき、ついにはすべての日々が濃厚な夜の闇に塗りつぶされる。決して明けることのない終末の帷のぬくもりの、なんと優しい手触りであることか。

 そんなわけで、ドイツのシンセサイザー音楽の先達バンド、タンジェリン・ドリームの”Zeit”である。このタイトル、時、という意味らしいが。オリジナルは1972年に発表され、今ここにあるのは、それに当時の未発表ライブを加えて昨年、CD化されたものである。
 教会っぽい和音を悠然と重ねるオルガンに被るように、初期のシンセの奏でる、なんとも素朴な電子音が鳴り渡る。この、今となっては古臭い神秘音の世界の、物悲しく懐かしいことよ。失われた夜の神秘を思い起こすことも可能だ。

 音の隙間の多さはむしろそこに幽玄を呼び込む。時が巨大で鈍重な見えない蛇の姿で空間をくねりながら渡って行くのが見える。空から結晶となって降り積もるのは、時の永遠に挑戦しては敗れ去って来た、幾多の人類の夢の欠片だろうか。

 かなわないです、時の経過には。ああ、13月があれば。14月があれば。




母が倒れた

2011-12-29 22:14:24 | いわゆる日記

 母が倒れた。先日来、大量の痰が絡む、嫌な咳をしていたのだが。
 診断は肺気腫とのこと。医師は「タバコを吸う人の罹る病気なんですがねえ」と首をかしげたが。
 それ以上にきつかったのが、母に明白な認知症の兆候が見えるとの指摘。「この病気が治っても、これまでと同じ元気なお母さんで家に帰れそうにないんです」との事。表の病気に隠れて、もうひとつ、厄介な奴がひっそり進行していたというわけだ。
 神様、ずいぶん厳しい筋書きじゃないか。

 このところ、たて続けに親しい人たちを亡くした母の気持ちを思う。家には母専用の無駄話用の電話があるのだが、考えてみればそこにかけてくる人たちは、もう何人も残っていなかったのだ。
 長生きであることが、必ずしも母を幸せにしていない。これはどういうことだ。などと思ってみるが、何かするべきことが思いつけるものでもなかった。

 ここで負けてばかりもいられないので、音楽マニアの意地として、以前、吾妻光良氏が「ひどい頭痛にやられている場合の音楽」とかいうのを書いていて面白かったのを思い出し、真似して書いてみる。

 こんな形で落ち込んでいる時には結構染みるのではないかと思っていた賛美歌系の、つまり祈りの音楽関係は意外にもあんまり聴く気になれない。同じく、暗いブルースもので憂鬱の泥沼に落ち込むのも、あんまり救いに感じなかった。あれはまた別種の沼なんだろう。
 ロック関係は問題外、と思っていたのだが、プログレ方面はそれなりに今の心境に馴染む部分もあり。とはいえこれは癒しを得るというのとはまるで違う、むしろ困難事を前にして、いっそ異常心理に傾いてしまおうか、なんて心境にヒットしている感があるので、これはあまりやらない方がいいような気がする。

 では、どんな音楽が一番の癒しになったかと言えば、ちょっぴりセンチで可愛らしいメロディを素敵なリズムでただ素直に歌い上げた、つまりは古くから庶民に愛されてきた、ちっぽけな流行り歌、ということになる。なんのことはない、毎度自分が探し求めている港々の歌謡曲、ということじゃないのかね。と、我田引水にて終わり。

 下に貼ったのは、これから買う予定の、つまりまだ持っていないCDからの曲なんで、あれこれ言えないんだけど、どうやら1960年代に、いわゆる”一発屋”で終わったフレンチ・カリビアン歌手のレコーディングを集めたアルバムらしい。うん、それもまた、切なくて良し。



光の帝国

2011-12-28 04:13:24 | いわゆる日記

 「NHK総合テレビを見るなら、午前3時からが最高」と、世の中にはどんなマニアもいる、映像散歩マニアの声は上のようになり、彼らは何度も繰り返し巻き返し放映される深夜の埋草番組に、期待に胸躍らせつつチャンネルを合わせるのだが。

 そんな彼らのうちで「最高傑作!」と評価も高い「日本の夜景」シリーズだが、昨今の節電傾向もあり、なかなかオンエアしにくい状況になっているのかも知れない。最近、さっぱり見ないものな。
 そんな世情を憂い、この映像を貼るものである。昨年は東京~横浜編だったが、今年は神戸編。

 NHKよ、こんな傑作を死蔵するのは完全に罪といえる。放送しようよ!



年間ベストCD10選・2011

2011-12-26 06:04:51 | 年間ベストCD10選

1)Dilara・Bu Fasulye 7,5 Lira / Ankarali Ayse Dincer (TURKEY)
2)Hal Layle Ma Fi Noum / Najiwa Karam (LEBANON)
3)Avancer / Zia (KOREA)
4)Kon Tee Tur Kid Tueng / Earn The Star (THAILAND)
5)寄付 / 秀蘭瑪雅 (TAIWAN)
6)Opou Agapas Ke Opou Gis / Maria Anamaterou (GREECE)
7)la Giuong / Nhu Quynh (VIETNAM)
8)Sozyaslarim... / Deniz Seki (TURKEY)
9)Bent Aboi / Mashael (SAUDI ARABIA)
10)Tell My Sister / Kate & Anna McGarrigle (CANADA)

 という訳で、毎年末恒例の年間ベスト10であります。例年通り、昨年の新録盤および、我が国に入ってくる時間差を考慮しまして若干の一昨年盤より選んでおります。
 今年はすっきりと「これが俺の年間ベスト1だ」と言い切れるものに出会えなかったことが残念。例えばこれまで挙げて来たチベットの女性シンガーソングライターであるとか韓国の少女トロット演歌のように、「恐れ入ったか!」と挙げられるものが欲しかったなあ。
 また、トラッドやトロット演歌あたり、すごいのが出てくるんじゃないかと期待していたんだけれど、意外に盛り上がらなかった感じだ。まあ、こちらのアンテナに引っかからなかっただけなのかも知れないけど。
 その一方、例の震災でなんか鬱屈してしまった心に、なぜか妙に響いたトルコ歌謡でありまして、2011年はやたらトルコものばかり聴いていたなんて事情もあり、我が音楽ライフにも、それなりの影は落ちたと申せましょうか。

 1)アンカラリなるトルコのローカルポップスなんだそうですが、詳細はまだ知りません。ともかくドンツクドンツクとパワフルに脈打つリズム、呪文のようなプリミティブなメロディがワイルドにコール&レスポンスされ、キーボードやギターが奇天烈なフレーズを連発しながら歌声をはやし立てる、この猥雑な楽しさ。非常にアインラ・オモウラ度の高い音楽で血が騒ぎます。
 2)上に続いて猥雑合戦ですが。彼女のような高名な歌手が、このような泥臭い音で勝負してくれる、そこが嬉しいですね。
 3)大都会ソウルの黄昏時を漂う孤独の影を歌う。この情感過多とも言える切々たるバラードこそ、実はあのポンチャク・ミュージックと裏表の構造となっていると思うのです。
 4)都会派っぽく洗練されてはいても、やはり”タイの演歌”ことルークトゥンであります。この切々たる情感の流れ、裏町歌謡の血は脈々と息ずいております。
 5)3,4,5と3作続けてしまいました、懐念歌謡シリーズ。これはほぼ全曲、スロー物でありまして、いやが上にも慕情をかき立てます。雨の高雄に涙の基龍、今も心に優しく浮かぶ。ああ台北の灯よいつまでも。
 6)今日の感覚で古雅な楽曲を。クールな手つきがかっこいいです。
 7)ベトナム民歌の今日的展開は、歌手ニュ・クィンにとってもはや、ひとつの美学として完成されているのでしょう。
 8)黒のムードがかっこいい。
 9)地の底から湧きいでたような怪奇なリズムをバックに、清純な声を凛と響かせる。こんな人もいるのか。清楚にしてミステリアス。深いねえ。
 10)カナダのベテラン・シンガー・ソングライター姉妹のためのメモリアル盤であり、ファンだった者にはたまらなく切ない唄たちの記憶。




26日のクリスマス

2011-12-25 04:46:32 | ヨーロッパ

 ”Stjarn - Hesten”by Folk & Rackare

 25日でクリスマスも終わりか、などと嘆いている人に、さらにもう一日の聖夜を推奨したい。
 いや、根拠は十分ある。1060年頃、宣教のためにスエーデンにやってきて殉教死した聖スタッファンを祝う祭りである。これが古くより、クリスマス明けの12月26日に祝われている。それは北スエーデンの一地方でのみ、ではあるにせよ。祭りにかこつけてはくだらん遊びに興ずる事に目が無い向きには、輸入しない手はないと思うのだが。

 祭りは26日早朝、まだ暗いうちに始まる。奇矯な服装に身をやつした若者たちが馬に乗り、キリスト教説話にもとずく歌やら隣近所をからかう歌など歌いながら各戸を回り、施しものを要求する。まあ、ハロウィンみたいなノリなのかね。で、若者たちはせしめた飲食物を持ち寄り、夜っぴて酒盛りという次第だ。
 この祭りに関わる古い歌を集めたのが、スエーデンのトラッドバンド、フォルク・オック・ラッカレのこのアルバム、”星の馬”である。北国の厳しい気候にキュッと引き締められたみたいな、清々しい北欧のリズムとメロディの響きが心地良い。

 このアルバム、英国のフェアポートコンベンションとの遭遇から始まり、欧州各国の古謡に興味が湧き、扱っているレコード屋を探しては盤を一枚、また一枚と買い集め聴き始めた頃の思い出が詰まった、懐かしいアルバムだ。(とはいえ、手元にあるのはアナログ盤から買い直したCDとなってしまっているのだが)
 盤を回してまず飛び出してくる北国の凛とした空気の感触がたまらない。遠い時間を生きた人々と遥かな星座の廻りに関わる空想を広げる、そんな冬を楽しむ術を教えてくれたアルバムでもあった。





マヤの台湾、演歌とブルース

2011-12-23 06:00:36 | アジア

 ”寄付”by 秀蘭瑪雅

 大昔、中国人がやってくる前から台湾に住んでいたという山地先住民族の血を引き、かって日本が台湾を植民地支配していた頃の置き土産である演歌を歌う。しかも、かの地では多くの場合、下働きの人たちの言葉である台湾語で。なおかつ、黒人のR&Bの影響を受けたブルージィな節回しという、妙な趣向付きで。
 もう・・・何枚、負のカードを集めれば気が済むんだ、と尋ねたくなるキャラ設定の秀蘭瑪雅の新譜であります。まあ彼女にしてみれば、普通に生きてきた結果、そうなってしまっただけなんだろうけど。

 いや、演歌をソウルっぽくブルースっぽく歌う、というのは、あえて彼女が選んだ道なんだろうな。それでも彼女の”黒っぽい”演歌は幅広く台湾の人々の支持を集めているようで、彼女の年齢を思えば意外なくらい多種のアルバムが市場には出回っているのだった。
 この最新アルバム、現地の言葉で言えば懐念的というのだろうか、どれもがゆったりとしたテンポのしみじみと懐かしい手触りの曲ばかりが収められている。黒っぽいフレージングは演歌のコブシとないまぜになり、メロディの間に染み馴染んでしまっている。

 この年の瀬に聴けば、台湾の地に足を下ろしたことのない身にもその溢れる感傷は胸に迫り、かの島の磯辺の岩間に打ち寄せる波の音にも心騒ぐ思いだ。行ったこともない台湾の地へ帰りつきたい、そんな矛盾した旅情が足元に寄せる。
 歌の中の「行ってしまったあなた」や「過ぎてしまった恋」は、つまりは全て「走り過ぎて行く時との戦い、それに決して勝つことのできない人間の定め」への嘆きなのだろう。
 冬の陽光は穏やかに煌めき、寄せては返す東シナ海の波はBluesを知らない。



年末に向けてツイッターでつぶやいたこと2011

2011-12-22 05:20:56 | つぶやき

2011年12月21日(水)

事故を起こした原発が我が国のではなく北朝鮮のものだったとしたら我々は今頃、「冷温停止と嘘を言われて信じ込んでる。北朝鮮の人はかわいそうだ」と笑っているのかも。我々はとうに北朝鮮にいる RT
 ↓
@agosto 自分の国がいつの間にか中国や北朝鮮のようになっていたという悲劇

2011年12月15日(木)

「嬉しさを隠せないイヌやネコまで」とか歌ってるけど、竹内まりや!クリスマスが来ることであの禽獣どもが一体何の利益を得るというのか。しかもそれを予見して嬉しがっているというのか。その歌は無茶だろう。

2011年12月12日(月)

「ネプリーグ」を見たあと、チャンネルをそのままにしておくと始まってしまう「私が恋愛できない理由」なるドラマには笑わされる。タイトルに反して登場人物全員、恋愛しっぱなしじゃないか。出来ないどころかし過ぎだろ、お前ら。見ている奴ら、変だと思わない訳だね、あれを。

2011年12月04日(日)

ふと、南極大陸なるテレビドラマを見てしまう。あの頃、日本中がそこまで犬のことばかり考えていたかなあ?と異様な印象を受ける。犬ネタで感動させんがためだけのドラマ進行のグロテスクよ。そしてガキと動物さえ見せておけば幸せになるという我が民族のおめでたさよ。

2011年11月23日(水)

intelのTVCMで、勉強嫌いな子供に勉強させるために柱時計が好き勝手な時刻を表示する、というのがあるが、CM制作者はあれで”ちょっと良い話”を作ったつもりなのか?あれでは、理不尽な状況の中で子供の精神は確実に病んで行くだろう。人間というものを何と思っているのか、あの会社は。

2011年11月22日(火)

”嵐”の大野が主演の「怪物くん」映画のCMが目に付くようになったが、あんなヤンキーみたいな”怪物ランドの王子”がいるもんか。この企画と演出の下品さこそが時代の顔なんだろうね。情けない。

2011年11月16日(水)

ワロタ?この記事のどこが笑えるのか、まったくわからない。 RT
 ↓
@genpatsu_news 世田谷】ワロタ 発見されたラジウム処分に数千万円www お支払いは見つかった土地の権利者持ち

ドコモのCMに出てくる渡辺謙よ。お前はたかがケータイの役のくせして、なんでそこまで偉そうな態度でいられる?なあ、おい。

先日、”カロリミット”のテレビCMで「いっぱい食べる君が好き♪」とか歌っているフニャフニャ声の男に腹が立つといったけど、”セキスイハウス”のCMで今流れてる歌声の軟弱度も相当なもんだね。こう次々に出てくるってのは、あのフニャフニャ声に一定の支持があるってこと?

Bamana Bana Bana

2011-12-21 05:51:57 | アフリカ

 ”Kankobela of the Batonga Vol.2
(Recorded in Zambia & Zimbabwe)”

 廃品の木片や金属片を結び合わせて作った、それは手のひらの中の小宇宙。

 農作業にひび割れた指が金属片を爪弾き、しわがれた声が興の向くまま、昔、風から教わった歌を唄いだす時。小宇宙は遥か空の彼方の大宇宙と共鳴し、すべての秘密を語り始める。

 親指ピアノの”カンコベラ”はザンベジ渓谷の夢と冒険の一大ロマン。

 最近のお遊びとしては、これらアフリカの親指ピアノの演奏とジャズのソロピアノの録音とを交互に入れたものを作って車を運転しながらそいつを聴くこと。
 同じ”ピアノ”なんだからね。これでいいのだ。
 セロニアス・モンクvsアフリカの古老とか。どっちもいい勝負の深いイマジネーションの世界だ。




ロリコンなる福音、雪に舞いつつ

2011-12-20 02:18:15 | ヨーロッパ

 ”En Sod Og Liflig Klang”by Helene Blum

 Helene Blum女史はデンマークを代表するトラッド歌手の一人ですが、しばらく前に日本公演も行い日本盤も出ているんで、彼女のことはご存知の方もおられるかと。これはそんな彼女が2005年に出したデビュー盤で、クリスマスソング集となっております。この時期、聴き頃ですな。
 北欧の女性トラッド歌手というと、キリッと張った歌声も凛々しい、彫りの深い顔立ちの厳格そうなお姉さまがたを連想してしまいますが、この人は例外的にというか、やや幼い感じのアイドル声っぽい、いや、もうあえて言ってしまうが、ちょっとロリっぽい歌声を響かせる人であります。ルックスもそれに準じた幼さがあり、嬉しい。それゆえに私なんぞは大の贔屓だったりします。

 このアルバムなんぞは、デンマーク語の”きよしこの夜”に始まり、”ゲルマン民族ルーツのマリア様のための歌”などという地味なクリスマスソングばかりを、シンプルながら力強い伴奏に乗せて歌っているわけで、何かこれは不思議な癒しをもたらしてくれます。
 心中こっそり「萌~!」と呻きつつ、木綿の肌触りの、いかにも名もなき人々がクリスマスを寿ぐために歌いついで来たのであろう、心やさしい旋律を、もっともらしい顔をして聴いている訳であります。極楽、極楽。不謹慎な野郎めと言われようが平気だ、俺、クリスチャンじゃないし、街ではもっとひでえことしてる連中、山ほどいるもん。

 残念ながらYou-tubeには、このアルバムの音は上がっていませんでした。この時期、彼女のクリスマスソングを聴いていただきたかったんだけど。まあしょうがない、かわりに彼女が賛美歌を歌っている映像を見つけたんで、それなどお聴きになってメリクリしてくださいまし。