ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

百万本のバラ、萎れて腐れば

2007-04-30 01:23:18 | その他の日本の音楽



 夕食を食べながらだったので油断をして、ついうっかりテレビで加藤登紀子の青春記というか、ダンナとの思い出物語などを見てしまう。まあ、昔からこのヒトは嫌いです。彼女をお好きな方はこの先を読まないでいただきたい。

 で、番組の冒頭、彼女が自分の店で”百万本のバラ”をボサノバのリズムで歌うのが映し出され、「ロシアのヒット曲をボサノバでって、どういう感性だ。たとえオリジナルがボサノバで歌われていたとしたってボサノバのアレンジでは歌うべきではないのに」と呆れたのだが、そう、ここでチャンエルを変えておけば良かったのだろう。

 まあ、内容は紹介するようなものではないです。歌手稼業をやっているさなかに、学生運動の委員長だかなんだかをやっている男と出会い、恋愛関係に。やがてダンナは首相官邸への突入を試みて逮捕され。

 (ここで首をかしげてしまったのだが、官邸に突入して、それで何をどうする気でいたのだろうか?結局、タイホされて終わりだろう。理由を問えばおそらくややこしい闘争論理が延々と返って来るんだろうけど、その内実は安いヒロイズムだけじゃないのかなあ)

 続きだが。そしてダンナは逮捕されムショ送りとなり、彼女は自分が妊娠しているのに気付く。

 もうさあ、絵に描いたような世界ですわね。私は若い頃、ワンランク社会意識の高い東大生歌手でございました。学生運動の闘士と恋愛関係でございました。しかもペーペーの活動家じゃないぞ、委員長だぞ。一般社会の因習に閉じ込められた考え方はしないので、好きな時に子供とかも生んでしまうぞ。
 昔、早川義夫氏が、加藤登紀子の臭い臭いステージに辟易して野次を飛ばした思い出など書いておられたけど、もう、その種の臭さが臆面もなく場面に充満する。

 新宿ゴールデン街(だよね。出ると思った、この場所)に昔馴染みの飲み屋をたずねると、かっての名物女主人はもう亡くなっていたけれど、彼女とダンナの昔の馴染みと言う客が”偶然”居合わせる。しかも彼は”在日”のヒトである。もう、どこまでもどこまでも絵に描いたような”定番”の連発。

 昔のサヨクのヒトの格好の酒の肴、みたいな話ですな。「俺も若い頃は、権力と戦ったもんだ」なんて言ってねえ。彼女はその夢の具現化のごとき一幕芝居を演じて見せる。そんな彼女を「オトキさん」とか呼んで(ゾワ^_^;)良い調子に酔っ払える種族の愛玩物として。
 私はもちろん、そんな人種ではないんで、その一幕芝居に「臭い」と顔をしかめる権利がある。

 そして彼女はダンナとの思い出の場所である京都なども訪ね、かっての学生運動の”闘志”連中とエリート臭フンプンたる”思い出話”に興ずるのである。いいけどさあ、”同窓会”なんか勝手にやってれば。ただ、テレビなんかで臆面もなく全国中継するなっていうんだよなあ。

 それにしても、そこで語られる亡きダンナの肖像ってのが、昔のサヨクの典型なんだけど、それはつまり、ゴリゴリの”昔の日本の男”なんだよねえ。「お前らは余計な事を考えず、俺の言う事を聞いていればいいんだ」言いたいことは要するにこれだけね。
 私としては、自分がウヨクもサヨクもまったく信じる気になれない理由を再確認させていただきました。同じ人種じゃねえか、あいつら。右も左も。

 というわけで。まあ、今回の文章の音楽的な結論としては、「”百万本のバラ”をボサノバにアレンジして歌うな」これです。

フラミンゴ・セレナーデ

2007-04-29 02:39:18 | 北アメリカ


 ”Best of Flamingos”

 もはや過去の栄光という話もないではないが、とりあえず夜景が売りの一つとなっている観光地に住んでいる。が、その夜景の根幹を成すネオンの海の真ん中に住んでいては、逆にその光景を楽しむことは日常ではなかったりする。たまに、よその街に仕事やら遊びやらで出かけた帰り、車のハンドルを握りながら窓の向こうに展開する光の海を見ては「ははあ、なるほどこれが夜景か」などと、いまさらながらの事を思ったりする。

 でも、観光客たちはおそらく気がついていない。その光の海のあちこちに、深々と横たわる暗闇がある事を。昼間、そのあたりを通りかかれば、そこにはあたりを埃だらけにして老舗のホテルの解体工事が行なわれているのを見るだろう。
 経営の立ち行かなくなったそれらホテルがよその土地の資本に次々に買い取られ、リゾート・マンションに立て替えられるために続々と打ち壊されているのだ。

 健康のため、というかあまりみっともなく中年体型になりたくないので、日課としてウォーキングをしているのだが、時間の使い方がうまく行かず、歩く時間が取れないままに夜になってしまうことがある。夜になってからの観光地の繁華街、などというものはかなりウォーキングには向かない雰囲気なのだが、まあ、仕方がないので周囲の光景は無視していつものコースを歩く。

 暗くなり建物の輪郭の失われた夜の街は、ホテルやらマンションやらの窓から漏れる明かりの連鎖で描かれた抽象画みたいなものに姿を変えている。
 その光の連鎖は時に錯誤を生む。見慣れたホテルの最上階のバーで展開されている風景などを、はじめて見たもののように思い込ませたりする。

 あの豪華なシャンデリアは何だ?いやに高級そうなバーが出来ているじゃないか。・・・なに、昼間にそこを訪れてみれば見慣れた古ぼけたバーの風景があるだけで、すべては夜の明かりが生み出した錯覚と知るのだが。

 角度によっては、その最上階のバーが、夜の真ん中でポツンと明かりを燈しながら宙に浮かんでいるような幻想を生むこともある。
 どこか知らぬ宇宙の果てから飛来してきて、観光地の夜景の中に紛れ込んでプカリと浮かんでいる、空飛ぶ酒場。その中でカクテルのグラスを傾ける異星人たちは、弱肉強食の煉獄にいる我ら地球人の生き様を半ば同情、半ば軽蔑しつつ、静かに見下ろしている。

 50年代、人気黒人コーラスグループとして鳴らしたフラミンゴスのサウンドは、ずっと好きだった。代表作、”アイル・ビー・ホーム”が我が国ではポール・アンカのヴァージョンでしか知られていないのが、なんとも口惜しく思える。

 その、ボーカルだけでなくピアノやギターやドラムスや、ともかく収められている音のすべてに深いエコーのかかったような独特のサウンドは、”フラミンゴ・セレナーデ”とあだ名された。深々とした甘みを湛えた音の響きの幻想性は、黒人の魂が奥底に持っているトロリとした甘美さの具現化かと感じられる。

 青少年の頃のオノレの頭の固さと言うか教条主義振りというのか、を披露するようでかっこ悪いが、私は彼らフラミンゴスが、あのシカゴの町の出身で、しかもコアなアメリカ黒人大衆音楽の殿堂ともいうべきチェス・レーベルの所属と知った時、意外に感じたものだった。チェスって、ハードなシカゴ・ブルースで売っているレーベルじゃなかったっけ?フラミンゴスみたいな甘々なコーラス・グループなんて、なぜいるの?

 まあ、閑話休題。大衆音楽における甘ったるいラブ・バラードの重さ深さというもの、当時の私には、よく分かっていなかったのだ。

 そいつはまるで夜のシカゴの上空に浮かぶ幻想、湖からの強い風が四季を通じて吹き抜ける、ハードな街の見た夢だ。
 詩人、カール・サンドバーグが、”ガミガミ怒鳴る、でっかい肩幅の街”と歌った、大衆のエネルギーの躍動する街の上空にポッカリ浮かんだ、ピンクのカクテルの色をした幻想から降ってくる、フラミンゴのバラード・・・

カフェ・ナポレターナ

2007-04-28 02:14:48 | ヨーロッパ


 ”Cafe Napoletana”by Napoli Mandolin Orchestra

 あるバラエティ番組の人生相談のコーナーで美輪明宏先生が、あまりにもいじましく未練がましい視聴者からの恋の悩み相談に苛立ち、「そんなに恋しけりゃ、その女の窓辺に毎晩通ってマンドリン弾きながら恋の歌でも歌ってりゃいいのよっ!」と言い放ち、司会の明石家さんまが「マンドリン弾きながらて」と腹を抱えて笑っていたのを覚えているのだが。

 マンドリンの故郷であるイタリアには、そのようなマンドリン片手の恋の歌、”セレナータ”を想う女の窓辺でご本人の代わりに歌う恋歌代行業が、かってあったのだそうだ。

 で、そんなイタリアの人々の心とも言えるマンドリンの響きを今に蘇らせようとナポリ・マンドリン・アカデミーなる音楽院で1992年に結成されたのが、この”Napoli Mandolin Orchestra”であり、これは彼らが2003年に発表した初めてのアルバムである。

 マンドリンが5人、低音部マンドリンであるマンドラやマンドチェロが各2人、計9人のマンドリン弾きをメインとした18人編成のマンドリン・オーケストラ。豪華なものである。というか、そのようなものはイタリアに行けばゴロゴロあるのかと思っていたが、現状ではこれが精一杯のマンドリン復興事業であるらしいと聞き、意外に思っている次第である。

 収められているのは”オ・ソレミオ”のようなナポリ民謡からオペラの歌曲で名を売った作曲家の手になる作品までバラエティに富んでいるが、どれもナポリの土壌に根ざすものばかり。ナポリの田園生活から生まれたという独特の早い八分の六拍子のリズムである”タランテッラ”も頻繁に登場する。イタリア人の耳にも、これはかなり渋い選曲となるのではないか。

 当然ながら馥郁たるマンドリンの重奏の響きがメインとなるのだが、その音の録り方がなかなか独特なもので、これが本場の感覚なのか、それともちょっと変わった効果を狙ったのか、知りたい気がする。

 というのも、いかにもマンドリンらしいきらびやかな弦の響きを強調するというよりは、低音マンドリンの重々しい弦の鳴りが強調されてとらえられていたり、奏者が手に持ったピックを弦に押し当てはじく、その感触がリアルに拾われていたりする、そんな”弦楽器の生々しさ”を強調するミキシングとなっているのである。

 響き合い交錯する弦のざわめき。そんな音の波の間から浮かび上がってくるのは、古くから地中海に咲き乱れた、東西の歴史と文化の面影である。このようなマンドリンの音のとらえ方は、さすがマンドリンの故郷の人々の感覚なんだなあと感心してみるのだが、いやまあ、そんなもの、違法の音楽ファンのただの勘違いに過ぎないのかも知れない。

 陽光吹き零れる地中海を巡る潮のように、満ちては引く音の輝きこそすべて。さあ、マンドリンの輝きを楽しみたまへ。

ロック検定落第記

2007-04-25 06:13:36 | 音楽論など

 mixiの”ロック検定”にトライしてみる。が、最後まで行かないうちになにがなにやらさっぱり分からずで挫折する。10問も正解できなかったのではないか。

 ビートルズやストーンズのメンバーに関する話や、「ほう、”ロコモーションを歌ったのは誰か?”なんてのは渋い話題だなあ」とか感心しているうちは良かったのだが、「この”ニルヴァーナ”ってのは、複数の設問に顔を出すけど、大物なのか?」とか首をかしげている有様は、青少年諸君にはまさに過去の遺物ではあるまいか。

 いいんだけどね、それで。この歳で最新のロックに詳しかったりするのも、むしろおかしいんじゃないか。
 そりゃあそうだよなあ、最近のロックなんて、まるで聞いていないもの。

 いや、良く考えてみれば最近の、どころではなくて、私がロックに夢中になっていたのは60年代末期から70年代の中頃までの、ほんの数年だったのである。
 こんな風になってみるとロックなる音楽、わが生涯のほんの一時期に偏愛していた事もある音楽、なんて定義になってしまいかねない。ロックとは、遠きにありて思うもの、だなあ。

 とか何とか言いつつ音楽ファンだけはやめる気は無くて、というよりますます加熱し、今は世界のあちこちの”港々の歌謡曲”を漁りまわるワールドミュージック・ファン(この言い方もいかがなものかと思うんだが)をやっている。

 やっているのだが、これってロックを出発点にして、本来たどり着くべき”世界音楽愛好”に至ったのか、それとも、ロックにかってのように楽しみを見出せなくなってしまったから、その代りにそれ以外の地域の音楽の中に、かってロックがもたらしてくれたような熱狂を探しているのか。

 この辺が自分でも分からない。どちらも正解のような、どちらも見当外れのような気がしている。

 冒頭に掲げたのは、アメリカのルーツ・ロックのある方面での最高峰を極めたザ・バンドのアルバム、”カフーツ”のジャケット。

 このアルバムのあちこちに溢れるアメリカ南部はニューオリンズ音楽の香気に魅せられ、ニューオリンズか面するカリブ海の向こうに広がる世界には、そしてそのまたむこうには何があるのか、たまらない興味をかき立てられた。私の趣向がワールドミュージック方向に展開して行く、一つのきっかけを作ったアルバムだった。

仏教フォークは雲の上

2007-04-24 02:44:45 | アジア


 ”因此更美麗”by 齊豫

 その全体像を概要だけでも知りたいと思いつつも、相変らず茫洋たる謎の空間として存在し続ける、”東アジアの仏教系ポップス”シーン。
 いや、”シーン”と名付けるのが可能なほどの明確な形があるのやら、それ自体も分かりませんが。ともかく、仏教の影の差す大衆音楽が東アジアのあちこちに存在しているのだけは事実。
 とりあえず、その方面の一方の宝庫と言えそうな台湾からの一作を。2004年盤。

 ”齊豫”と書いて”チー・ユィー”と発音するようですが。台湾の美声歌手として、もう長いキャリアを重ねている女性であります。でも、見かけも声も凄く若々しくて、長いキャリアって実感が湧かない。このアルバムでも、御仏の前で歌を奏上するにふさわしい清浄な乙女の歌声を聞かせてくれます。

 収められているのは”懺悔文””大吉祥天女””般若波羅密多心経”の3曲のみ。とは言え、全体の収録時間は普通のCDと変わらないのであって、一曲一曲がいかに長いか。音盤一枚の中に、まことに悠揚たる時間が収められているわけですねえ。

 音楽的には、台湾独特のフォーク歌謡が基本となっているんですが、ほのかに読経っぽいニュアンスのメロディと感じられないこともない。ピアノ、生ギター、シンセなどが穏やかな起伏を織り成しながら静かに奏でられるうちに、そんなメロディがゆったりと歌い上げられて行く。一言一言をじっくり時間と想いを込めて。

 ラストの”般若心経”は、例のあのお経に曲を付け、全編歌ってしまうんですが、なにしろ「ギャーティギャーティハラギャーティ」なんてインパクト強い発音のお経なんで、どんな具合かと心配(?)したのですがね、聞いてみると実に愛らしいフォーク調のメロディが付けられている。このあたり、日本人との感覚の違いですかねえ。

 ともかく悠然たる時間の流れるこのCDのペースに気持ちを合わせて聴いていると、せわしない現世から離れて、水墨画なんかであるでしょう、山紫水明なる深山幽谷に庵を結んで瞑想にふける高僧にでもなった気分で、心洗われるんですなあ。

レバノンの一夜

2007-04-23 03:44:23 | イスラム世界


 ”2006”by Jacqueline

 ええい、もうしょうがないから、さっき偶然見つけたレバノンのカジノの映像でも貼っておくか。ともかく、こんな感じの音楽なんですよ。なんて言ってもますます分からんか。

 ワールドミュージック・ファンのこれがなかなか苦しいところで、手に入れた音源について何か知りたいとかアーティストの映像が欲しいとか思っても、とにかく検索の方法が分からない。ロシア文字やらハングルやらミャンマー文字やらタイ文字しかジャケに書かれていないCDについて調べようったって、どうすりゃいいのさ?

 というわけで、中東はレバノンの”Jacqueline”なる女性歌手のアルバムです。ともかくこれでもか!ってくらいな厚化粧をした歌手本人のジャケ写真の上には、ただひたすらアラビア文字が踊っておりまして、”2006”とあるから昨年出たアルバムなんだろうなあと想像されるけど、それ以外の何も分かりません。
 検索かけてみても、あのジョン・F・ケネディ大統領の妻だったジャクリーン夫人の情報とかが出てくるのみで、なにも分からず。といって、歌手名のスペルくらいしか検索のネタも無し。

 CDを廻して、まず出てくるのはシタールみたいな民俗楽器が意味ありげにクネクネと官能的なメロディを奏でるさま。ついで、バシバシと民俗打楽器と手拍子によるパワフルなアラビックなリズムが響きますが、どうもこれは打ち込み臭い。

 ブカブカと安易な作りのキーボードがかぶせられまして、どうにも下町の音楽の、独特なチープな匂いが横溢、といったところで、アルバムの主人公”Jacqueline”の、妖しげながらもパワフルな歌声が響きます。

 アラブ・ポップスというとやはり、豪快に打ち鳴らされるパーカッションと、ユニゾンで官能的な調べを奏でる大編成ストリングスの響きなどゴージャスな世界を考えてしまいますが、こいつはそれらとは別の世界に生きる音楽なのでありましょう。聴き進むと、アコーデイオンやらクラリネットがなかなか良い味を出して絡んで来ますが、いずれにせよ、下町キャバレー風味は一貫して流れ続ける。

 まあ、お酒ご法度のイスラム世界における場末のキャバレーって、どんな具合のものなのかよく分かりませんが、とりあえずはこの”Jacqueline”みたいなケバいおねーさんの濃厚サービスなんかもあるんでしょうなあ。

 どうもこれ、リズム打ち込み担当をかねたキーボード弾きと、曲ごとに入れ替わるシタールやらアコーディオンやらの”臭い楽器”担当者、この二人だけでバック・トラックを作ってはいないか?と、何曲か聴くうちに気がつきます。裏町風情、安易に一丁上がりの音楽性と来て、私はここで韓国のポンチャク・ミュージックなどを思い出してしまったのですが。

 実際、あのレベルのいわゆる一般大衆の生きる現場の本音を伝える音楽が、これなんでしょうねえ。アラブの体温みたいなものがネットリと伝わってくる一作なのでありました。

ナポリ、ナポリ、今度は勝つだろう

2007-04-21 00:54:06 | ヨーロッパ


 ”Le Favole Del Giardino”by Giardino Dei Semplici

 懐メロ頼りに生きるB級バンドとか、イタリアを代表するラヴ・ロックグループ、イ・プーのバッタもん、なんて悪口も言われるナポリっ子のロックバンド、”Giardino Dei Semplici”が、な~んか私は好きであります。

 何しろファンがこのバンドをほめる際にも「もっさりした田舎臭いところが良い」なんて表現なんだから、ほとんど救いというものがないが(笑)その、いかにもナポリ・ローカルな、のどかな良さというんですかね、そこが好きなんですねえ。

 この文章を書くためにネットを検索していたら、70年代、おりからイタリア・ロック界を覆ったプログレッシヴ・ロックのブームに乗る形でレコード会社にプッシュされデビューしたものの、もともと持っているドン臭さゆえ波に乗り切れなかったとも、もともとナポリターナ(ナポリ民謡というか、昔ながらのナポリ歌謡と解釈しておきましょうか)を歌うために結成されたバンドだったのだ、とも言われている。

 どちらがほんとやら分かりませんが、いずれにしてもカッコ良くはないエピソードだね。

 実際、1975年にこのバンドが歌い、テレビ番組のテーマ曲として使われたナポレターナの有名曲、「Tu ca nun chiagne(泣かないお前)」がヒットして、どうやらそれが”Giardino Dei Semplici”のバンドとしてのイメージ形成に大きな役割を担ってしまったらしい。

 なにしろ原曲は、あのカルーソーの1915年のヒット曲。そんな古臭い曲をリバイバル・ヒットさせたおかげで、バンドのいなたいイメージが決定的になってしまったと。

 いやでも、アルバムを聞いてみると、甘いメロディを美しいハーモニーで聴かす、なかなか素敵なグループと思うんだけど、もう、そういうイメージが出来てしまうとどうしようもないものなのかも知れない。しかもその後、特にヒット曲にも恵まれず、結局、「泣かないお前」のヒット頼りの懐メロバンドとしてナポリ・ローカルでシコシコ活動を続けている、となると。

 ”Giardino Dei Semplici”の持ち歌の中で私がことのほかお気に入りの曲があって、それが2ndアルバム、”Le Favole Del Giardino”に収められている”ナポリ、ナポリ”である。

 路地に下げられた洗濯物や日曜の朝の光景など、ナポリの生活の情景が歌いこまれたナポリ賛歌であり、いや、もしかしたら現地ではサッカーの応援歌として使われているのかもしれない、そんな気配もある、なかなか切ないメロディの歌である。”ナポリ、ナポリ、今度こそ勝つだろう”というリフレインが泣かせる。

 サッカーの応援歌であったとしたら、負け試合のあとで地元サポーターが肩を組み、次回の必勝を祈願して歌われるのだろうか。なにしろ「今度こそ勝つだろう」というのだから、今日の試合は負け試合だったのである。イタリア・サッカー界においてナポリというチームが占める位置など思えば、ますます泣ける。

 こんな歌によって地元のナポリ市民に愛されているのなら、たとえ田舎のマイナー・バンドと、あるいはダサい懐メロバンドと嘲笑されようと別にかまわないじゃないかと、大いに思えるのである、私は。いいよなあ、”Giardino Dei Semplici”は。

引っ込め、スピリチュアル・ユニティ野朗!

2007-04-20 03:27:48 | 音楽論など


 沖縄民謡界のドン、と言っていいのかな、登川誠仁って人がいるでしょう。古典の伝承を行なうかと思えば、私のヒイキだった故・照屋林助氏とコミックバンドを組んでみたり、なかなか自在な音楽活動を行なってきている人である。

 それはいいのだけれど・・・この人が沖縄ローカルではない、”本土”のレコード会社から出しているアルバムのタイトルって、何やら妙なものばかりなのはなぜなんですかね?
 いわく。「ハウリン・ウルフ」「スタンド!」「スピリチュアル・ユニティ」など。どう考えてもこれ、1930年生まれ、一貫して沖縄の大衆音楽の現場で生きて来た登川氏ご当人が思いついたものではないでしょ?

 「ハウリン・ウルフ」は、シカゴ・ブルースの巨人、ワイルドな歌いっぷりでついでに顔もでかい、なかなか豪快な個性のブルースマンだった、あのハウリン・ウルフの名を拝借したのだろう。
 「スタンド!」は、おそらくスライ&ファミリーストーン、1960年代から70年代にかけて活躍し、ファンク音楽に新しいページを開いた、あのバンドの代表作からの、「スピリチュアル・ユニティ」は、前衛ジャズの風雲児、アルバート・アイラーの、これまた代表作の、それぞれタイトルを拝借したのだろうと思われるのだけれど。まあ、いずれもいかにもな印象を与える物件となっている。

 なんかさあ、これ、盤を製作したスタッフが「俺って、いけてるよなあ。センスいいだろ?」とか自己満足のしたり顔をしている様子が目に見えるようで、不愉快なんですわ。アルバムの主人公たる登川氏は、あんまり細かいことにこだわる人じゃなさそうだし、いいわいいわでタイトル決めるのもまかされちゃっているのを良いことに、調子に乗ったんじゃないの?

 いや、いいですよ、沖縄島歌のアルバムに英語のタイトルをつけたって。ただ、”いかにも俺ってセンスいいだろと言いたげな命名感覚”が不愉快だって話です。音楽聴くこちら側はレコード会社のスタッフのファンじゃなくて、あくまでもミュージシャンのファンなんだからね。”センスのいい俺”には引っ込んでいて欲しい。と思うのである。

旧墓地

2007-04-19 04:47:15 | アジア


 私の家の墓というのは菩提寺の墓所になぜか二箇所あった。一番日当たりの良いあたりに曽祖父の代あたりから入っているメイン(?)の”新墓地”があり、場所の外れの方に、それ以前の人々が埋葬されているらしい”旧墓地”があり、墓参りの時期ともなると2箇所に詣でなければならず、面倒といえば面倒な思いをしていた。

 そこで今日、寺に頼んで墓の一本化を行なってもらった。旧墓地の”御魂”の新墓地への移動、ならびに旧墓地の廃止である。そんなこと、とっくにやってもらえば良かったのであるが、そこをダラダラと「いつかやろう」で引き伸ばしてしまうのが我が家のだるい家風とでも言うのだろうか。

 旧墓地の廃止の行にかかる前に、住職が調べてくれた旧墓地の由来など聞いたが、ちょっと奇妙なものであった。なんとなくそんなものではないかと想像してはいたのだが。

 まず寺の過去帳を遡ると我が家は文政期まで辿れるそうで、これはえらいことだな、一応土地では旧家となっているのだが、なるほどと坊主ともども感慨にふける。講談等でも「頃は文化文政の頃でございます」なんて決まり文句があるが、何しろ200年も前である。そんなに前から我が一族はこの街に住んでいたのか。それ以前は?と一瞬興味を持ったが、さすがにそこまでは分からず。

 奇妙なのは、旧墓地に立っていた墓石3つの銘である。理屈から行けば曽祖父のその前、”ひいひいじいさん”からそこにいるべきなのだが、3つとも、その名ではない。だったら誰の?ということだが、どうも寺の過去帳を見ても該当する戒名が刻まれていない。ひいひい爺さんの兄弟であるとか、そのあたりが紛れ込んでいるのでは?というのが住職の推測である。

 そもそも、昔は大人数の兄弟が普通であったのに、帳面にはひいひい爺さんの名しか記されていないのだが、普通に考えてそれ以外の兄弟もいたはずであり、墓石にあるのはその人たちの名ではないかとのこと。まあ、そのように考えるしかないのだろう。「いろいろ今回は勉強させていただきました」と、住職は苦笑する。

 ひいひい爺さんの来歴にも不思議なものがあり、まず二人の女性と結婚しているようなのだが、同じ名である。厳密に言えば、同じ発音の女性名の、ひらがな表記の人とカタカナ表記の人、二人である。そのうちの一人は21歳で早世しており、最初の奥さんが早くに亡くなったので後添えを貰ったのでは?との住職の、これも推測であるが、しかし同じ名前とは?偶然なのだろうか。あるいは記帳の際のミスか何か?

 ちょっと粛然とさせられた事があるのだが。
 まず、私の曽祖父の代に、女の子が何人か生まれたのだが、ほんの幼い頃に次々に亡くなるという事情があり、これはひょっとして呪われているのではあるまいかとして、隅に守護を祈る仏像などが立てられているのが、我が新墓地の目を引く特徴だったのだが、過去帳を見ると、その先代、ひいひい爺さんの頃にも、そのような事件があったようである。

 「○○童女」なんて戒名が名簿に続いている。遠い昔、私の家系で、まだ年端もゆかぬ内に、生まれては亡くなっていった女の子たち。まあ、今と比べて乳幼児の死亡率も高い頃でもあったのだろうが、ひい爺さん、ひいひい爺さんと2代続けて同じようなことがあったのか、と。しかも女の子ばかり。
 なるほどねえ、と住職と茶をすすりながら溜息をつく。それしか出来る事もなかったのであるが。

 過去を探る旅が終わり、旧墓地へ出かける。墓所に清めの塩や酒を振りかけ、豊饒を祈る米粒を撒き、香を上げ、住職が魂を抜くための経を挙げる。初めて聴く響きの経だった。聞いていてもまったく意味の取れないそれはいわゆる梵語、サンスクリット語そのままなんだろうか。

 その節回しもまたかなりディープなもので、心なしかインド古典声楽などを想起させられる響きがないでもない。遠い遠い過去の仏教伝来の旅など、そりゃ私にはろくに知識もありませんが、その場の事情が事情だけに非常に生々しいものとして感じさせられたものだった。

 そういえばその辺の音楽も最近、聴いていないな。今日あたり、就寝前に法要の意味でも聴いてみるのも一興か、などと思いつつ式も終わり。まあとりあえず雨にやられなくて良かったよ、天気予報じゃ一雨来るみたいな感じだったが、などと言いつつ、我々は現世に還って来たのであった。

”熱血、オヤジバトル”を見たものの・・・

2007-04-18 04:30:02 | その他の日本の音楽

 夜更け、なんとなくつけておいたテレビが”第10回 熱血!オヤジバトル”なんて番組を流し始めた。
 NHKの番組表を見ると、”平均年齢40歳以上のグループを対象としたバンドコンテスト「熱血!オヤジバトル」。全国各地から応募してきたバンドは233組。選りすぐりの8組が熱演を繰り広げる”とある。

 そういえば、時々こんなアマチュアのコンテストを夜中にやっていたが、そうか、平均年齢が40歳以上に限定されていたとは知らなかった。
 へえ、日本のオヤジたちのバンド・シーンってのは今、どうなっているのかと興味を惹かれ、私はこの番組をはじめて気を入れて見たのであるが。

 う~む、なんとも重苦しい気持ちになるばかりなんだよなあ。これってなぜなんだ?と3秒ほど考えてみるに。

 たとえばさあ。
 飲み屋を経営する参加者中最高齢者が率いるバンドが歌うのは、その飲み屋の常連である、今は定年暮らしの典型的サラリーマンであった親父に捧げる歌だなんて。そもそも、爺さんが親父に捧げる歌なんて作るなよ、気色悪い。日本を支えてくれた産業戦士の皆さん、お疲れさま、かい?まさかNHKにあてがわれた曲じゃないだろうなあ、うさんくさいなあ、出来すぎじゃないか。

 しかもその歌詞内容ときたら。そのオヤジの生涯をテーマとした内容なんだけど、娘の結婚相手にむかっ腹が立ったとか、さだまさしあたりが大得意とするような生ぬるい、ユーモアとも言えない様な月並みなクソフレーズの連発である。ああ、臭い。

 ほかにも、コンサート本番直前に奥さんが亡くなったとか、難病に犯されて楽器の弾けなくなってしまったギター弾きと彼を支える奥さん、夫婦揃ってのバンド活動とか。
 そんな、いかにもな”健全な国民の皆様の共感を呼ぶような”予定調和の物語にドラマを誘導しようとする、ごり押しのわざとらしさが、たまらなくいやらしいんだよな、気になり始めると。

 やがて、ゲストの”ゴダイゴ”が演奏を始めるにいたり、ああそうなのか、そういうやっぱり生ぬるい奴らがゲストで出てくるような番組であったのかと私は納得をしたのである。
 だから私は、お呼びでない、お呼びでないね?と呟き、そっとテレビのチャンネルを変えたのであった。