ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

ジャマイカ・メント・タイム

2011-08-31 21:04:47 | 南アメリカ

 ”jamaica-mento 1951-1958”

 なんだかジャケのイラストを見ているだけでも嬉しくなってきちゃう一枚なのだった。中央に観光地図風に描かれたジャマイカの全図。それも、あちこちの名所、名産などが描き込まれた古臭く懐かしいタッチで。
 そのイラストの世界では熱帯の草花が咲き乱れ、コロニアル風の優雅な建物はのんびりと時間のハザマに寝そべり、海では水上スキーやスキューバ・ダイビングに興ずる人々がいて、海の底には昔、海賊が隠した秘密の宝が眠っている。まだゆっくりとした時間が流れていた頃の”南海の楽園”ジャマイカののどかな、美化された姿。

 そう、これはジャマイカの古い大衆歌、”Mento”の名演を集めたアルバムなのである。同じカリブ海の英語圏の島、トリニダッドで生まれたユニークなお笑いソング、”カリプソ”の圧倒的な影響のうちにジャマイカで生まれたMento音楽。
 カリプソと似て微妙に非なる、のどかなるローカル・ポップス。それは”本家”と比べて、より奔放な躍動感とB級っぽいひなびた楽しさに溢れる音楽だった。ジャズやラテン音楽から流れ込んだ雑多な音楽要素。カリプソ譲りの皮肉っぽくいたずらっぽい表情で跳ね回る、風刺のセンスに溢れた歌唱。

 この島で生まれてニューヨークで育ったんだっけ、ニューヨークで生まれてこの島で育ったんだっけ、ともかくそんな出自の大歌手ハリー・ベラフォンテは昔、このMentoを彼なりの歌唱でレコーディングし、世界的な成功を勝ち得た。世間的にその音楽は”カリプソ”と大掴みな呼び方で呼ばれた。
 そんな彼のヒット曲の原型ももちろん、このアルバムには収められている。バナナボート・ソングやマン・スマート、そしてさらばジャマイカ。それはどれも、いかにも”原曲”らしい、のびのびとした生命力が溢れ、南の太陽の恩恵の下に息つく島、ジャマイカの豊穣を歌っていた。
 (そりゃまあ、レゲのファンの人たちには、またいろいろと別の意見もあるんだろうけど)

 のどかに歌われる南の歌たちは、時代が下るにつれてレゲのリズムの面影が忍び寄り始めていて、歌い方も、よりクールさが増して行く感じだ。失われてしまった”ある時代”の記憶。愛すべきMento音楽の響きは、このアルバムの中に今でも生き生きと息ついている。





東地中海ブルースの旅

2011-08-29 02:05:19 | ヨーロッパ

 ”OPOU AGAPAS KAI OPOU GIS”by MARIA ANAMATEROU  

 なにやらスキモノの間で密かに話題になってますね。ギリシャの民族系歌謡の歌い手、まだ20代前半の女性のデビュー・アルバム、これがなかなか聴き応えあり!ということで、当方もさっそく聴いてみた次第。

 アルバムの内容としては、ギリシャの半島部や諸島部の大衆歌を学び、歌って来た彼女がさらにバルカン半島各地を旅し聴き集めた歌、そこから発想された楽想などをまとめた作品、ということになるようだ。
 実際、若い身空でよくこんな地味な世界にトライする気になったな、と呆れるくらいのディープな内容。シンプルな音つくりの中で、クリアでちょっぴりハスキーなマリア嬢の声がストイックにコブシを回し、ヨーロッパの曙に差したオリエントの光を捜し求める。

 彼女が、そのフィールドワークの成果としてまとめた、いわば”東地中海ブルースの版図”みたいな、空間的にも時間的にも奥行き深い音楽世界。
 それは南イタリアなんかの女性がよく身につけている体を一巻きで覆うような漆黒の民族衣装、あのやりきれないくらいな、地面に染み付くような暗さに通ずるものがある。地中海の明るい太陽が打ち下ろす光が輝かしいほど、地に描かれる人影は果てしなく暗い、そんな種類の漆黒を見つめながら歌っているのではないか、彼女は。

 アルバムのつくりは、アコースティックな民族楽器が必要最小限の音数で歌のバックアップをして行く、時には無伴奏の歌も聴かせる、という、西欧のトラッド歌手のアルバムなどに似ている。構造としては。
 そこに、次元の違う何かを招来しているのは、マリア嬢のコブシが織り成す”揺れ”の感覚。こいつが深い深いコクを生み出していて、なんかクセになる後味をこのアルバムに与えているのだった。




シーズン・オフの気配

2011-08-28 05:23:51 | ヨーロッパ

 ”Directorsound – Two Years Today”

 今日、というか暦の上ではもうとっくに昨日になっているのだが、この夏最後の花火大会が終わった。ともかく観光客を呼ぶにはこれが一番、というわけで夏には毎週のように花火大会が開催されるわが街である。その花火大会も、これが最後。
 8月もこのあたりになると、そぞろ寂寞感など空気の中に忍び入って来ている。日差しも地面に落ちる影もどこか弱々しいものに感じられ、昼間、砂浜を埋めた海水浴客たちも、なにやら寒々しい雰囲気を身にまとう。日が暮れて、浴衣など着込んで通りに繰り出す人たちは、「この夏もこれが最後だ」なんて去り行く夏への惜別の思いなど漂わせている。

 そして打ち上げられる花火の最後の一発が夜空に消えた後、人々はなんとなく口数が少なくなってJRの駅やら宿泊している宿への道をたどるのだ。これは盛夏の花火大会の終わりだったら皆は大声で冗談を言い交わし、下駄の音高く帰って行くのだが。
 何か、行ってしまった今年の夏への哀悼の意を表しているみたいで、哀しいような可笑しいような、不思議な気分で自分もその姿を見送る。夏の残骸の中に取り残された我々、花火会場の原住民もまた、うら寂しい気分は同じこと、というか、海水浴客が来なくなればその分、懐も寂しくなる仕組みでね。これからの残暑はほんとに頭に来るんだ。「バカヤローめ、今頃暑くなったって一銭にもなりゃしねえんだ」と溜息とともに太陽を見上げる。

 今回のアルバム、英国人の、どうやら必ずしもフルタイムのミュージシャンではないじんらしい人物による一人宅録の作品である。作者が住むらしい南イングランドの海辺の町の季節のスケッチ、とでも言うんだろうか。なんだかそんな夏の終わりの、まだまだ強い陽光のうちにも、時おり吹き過ぎる足の到来を思わせる風の気配とか、そんなものを思わせる響きがあり、この季節になると聴きたくなってしまうアルバムだ。
 いや、季節がどうこうではなくて、南イングランドという地域が年間通じてそんな感じの気候だ、という話もあるんだが。

 聴こえて来る音は、なにやら玩具箱をひっくり返したような。ロックのようだったり映画のサントラのようだったり、カラフルに変化して行くのだが、楽器の音がどれも玩具のような感触で響いてくる。そしてどの音にも独特の日差しの感触。明るいけれど、どこかひんやりと落ち着いている表情がある。
 生まれた街、南イングランドの海岸で、季節が行き、時が過ぎ行くのを静かに見つめていた一人のミュージシャンの描いた一幅の絵画とも言いたいアルバムなのだった。






原発のある夏にツイッターで呟いたこと

2011-08-27 05:07:46 | つぶやき

2011年08月27日(土)

わが国に「徐々に脱原発へ向かおうとする現実主義」なんてものはなかったでしょ?あったのは一方的な原発推進とごく少数の反対意見と大多数の無関心。
 ↓
@----- 徐々に脱原発の方向へと舵を切っていく――といった甘い「現実主義」がそもそも今回の事故を招いた精神的温床

2011年08月26日(金)

管は脱原発を唱えた最初の、そして多分、最後の総理ですもんね。そんな彼が浜岡原発を止めた時も、皆、ろくに支持の声も挙げず。見殺しにした。
 ↓
@----- 辞任会見まだ見られてないのだけど、脱原発の最大で最後のチャンスが遠ざかっていくのかなぁ。そうは思いたくないけど。

師匠の角栄の代からの推進派でしょ?というか、小沢が反原発派になる理由というのが想像つかない。
 ↓
RT @----- どうなんだろうね。 @----- 小沢氏も原発推進?"

2011年08月26日(金)

この辺で改めてもう一度尋ねておきたい。「いったい、誰が新総理になればどんなことがどんな風にスムーズに運ぶようになるというのか、具体的な話が聴きたい」という、あの問いを。「次の総理?管でなけりゃ、誰でもいいさ」と言って浮かれていた君に答えて欲しい。

2011年08月23日(火)

ウヨクの人たちはなぜ、「皇国を汚した国賊」たる東京電力に天誅加えたりしないのかと不思議だったんだが、今、あの人たちの最大の関心事は「韓国ドラマ偏重のフジテレビの不正を撃つ」だったんだね。あの人たちの世界では原発事故自体、起きていないみたいに見える。

2011年08月15日(月)

ざまあみやがれって・・・病気になって苦しむのは、我々国民ですよ。なにが嬉しいの?
 ↓
RT @----- 「心筋梗塞は放射線が原因の可能性」長崎大病院意見書…原発被曝労働の実態報道番組(文字おこし):ざまあみやがれい! -

2011年08月13日(土)

でも、出口のところの感想ノートに「Very Good!!!」と悪意をこめて書き込んで行ったガイジンもいるそうで、過大な期待は出来ない。
 ↓
@----- 広島か長崎の原爆資料館、いずれかを修学旅行の必須としたら、核兵器の恐ろしさは少なからず理解出来るはず。 .

2011年08月09日(火)

壊れちゃったら、その責任をあなた、取ってくれるんですか?瓦礫を自分の手で片付けたこと、ありますか?
 ↓
@----- 暴動おきて日本も一度壊れちゃえばいいのにって思ってしまう今日この頃。

2011年08月05日(金)

こういう事を言う人に限って、中立の立場だったためしがない
 ↓
”新聞はほとんど読まないぞ。だってどの新聞も不偏不党かつ中立を装いながら、実はまったくそうじゃないんだもん”

2011年07月29日(金)

こんなことを言ってる人がいましたが
 ↓
「児玉龍彦氏の政府に対す、ほとばしる憤りを愚民共にも拡散せねば!」

”愚民”て何かね?先に書いた、”原発の話をする奴の不愉快”というのは、つまりこういうことです。

ふと気がつくとツイッターのTLに、どうにも不愉快な人物ばかりが並んでいる。原因は原発で、その方面の情報が欲しくて原発について詳しい人物に出会うごとにフォローしていたら、嫌な性格の奴ばかり揃うことになってしまったのだ・・・って、どういうことかね、これは。

2011年07月27日(水)

何かというと社会問題と絡めて話題にされるので、「うっとうしい奴らだ。絶対聴かないぞ」と私は決めています。
 ↓
@----- ソウル・フラワー・ユニオンは普通に良い曲が多いバンドだと思っていたけど「反原発アーティスト」で“社会派バンド”としても知られるのか。

2011年07月26日(火)

ツイッターで反原発の権威者気取りの発言を繰り返す人物あり。ついには”ツイッターでもリアルでも脱原発派が多数派”とか言い出した。その割には、廃炉の決定一つ、どこにも出てませんが。逆に経産省の思惑通りに事は運んでますが。ネットの片隅で祭り上げられて、頭、煮えちゃってんだろうなあ。

2011年07月26日

ヒント・電獣ヴァヴェリ
 ↓
@----- なんかTVがざーざーゆってますがみなさん家はどうなんでしょう。

2011年07月24日(日)

原発がどうの、とかいうのは”ネタ”でしかなく、要するに自分はいかに優れた論者であるか、という方向で自己陶酔したいだけの奴っているんだな。そして、そいつにヨイショして”一の子分”として成り上がりたい奴と。ネットじゃ見慣れた風景だね。ハハ、なにがツイッターが(以下、略)

2011年07月23日(土)

放射線 怖くて来れぬ アルカイダ
 ↓
@----- 日本もイラク、アフガン、ソマリアなどに派兵したからね。アルカイダに狙われるかもね。

2011年07月21日(木)

それ言ってると、膨大なリストが出来ちゃいますよ。
 ↓
@---- とうようさんの功罪「藤山一郎を断罪=よくぞ言ってくれた!」「淡谷のり子を断罪=それは違うぞ」 .

 
2011年07月21日

菅さんはああいう人だけど、その菅さんが総理の職を辞すると途端に原発推進派の連中の巻き返しが始まり、あっという間に我が日本の趨勢は、放射線降り注ぐ状況は何も変わらぬまま、”原発万歳”の方向に奔流となって流れ出す。この明日は確実にやって来るんだよ。ほかの議員は全員、原発支持だからね。



赤道直下、神の薗にて

2011-08-26 01:22:45 | アジア


 ”Love Eternal”by Nikita

 とりあえず、このアルバムについて得られる知識があるならば知っておこうとアーティスト名とアルバム・タイトルを打ち込んで検索をおこなったら、エロ・ゲーム関連のサイトやらその他ポルノ情報がズラズラズラッと出てきたんで、頭を抱えてしまったのでした。偶然、共通する単語があったってことなんだろうが、そりゃあんまりだろうよ。

 何しろこの盤、インドネシアのキリスト教ポップス、ロハニの新譜なのであります。歌われる歌は、どれも心洗われるような清浄な美しさを持つ讃美歌調のメロディであり、というか、いくつかは”アメイジング・グレイス”をはじめとして、私のような非クリスチャンもメロディをたどって一緒に歌えるような有名賛美歌そのものであったりする。
 それを歌い上げる新人歌手ニキータちゃんも、リンと伸びる声を可憐に張って、心を込めて信仰への想いを歌い上げているのであります。伴奏なんかもなかなか豪華で、ストリングスやコーラス隊を含む分厚い音は、神の愛に包まれた約束の地の豊穣を描くが如きであったりするんであります。

 でも・・・もしかして、このロハニなる音楽を成立せしめている要件の一側面を結構突いてきているんじゃないか、この偶然の符合は。なんて思ってみたりもするのでした。聖なる音楽のハザマに窺える、庶民の猥雑なる生へのエネルギー、などというものについて。
 豪華カラー版の内ジャケでは、なんだか佐藤江梨子あたりを連想させる南方系美少女の歌手ニキータちゃんはお伽話のお姫様みたいな衣装に身を包み、森の中で艶然と佇み、ポーズをとっているのです。たまらんわ。萌えるわ。となります、信仰も何もない私にしてみれば。

 ヨーロッパのどこぞの教会から聴こえて来ても不思議はないくらいの賛美歌ポップスのロハニではありますが、あくまでもインドネシアの音楽であり、インドネシア語で歌われております。その言霊からは、濃厚な”アジア”が香ります。
 また、歌唱法の基本には、昔々にポルトガルが置き忘れていったラテンの情熱がほのかに漂います。
 その、交錯する不思議な矛盾、違和感のファンキーな心地よさ。やっぱり奥深い、刺激的な音楽です、ロハニとは。やめられません、クリスチャンなんかでは全然ない私ではありますが。



メランコリー・バンコック

2011-08-24 04:03:05 | アジア

 ”KHON TEE TER KID TUENG” by EARN THE STAR
 
 え~と、この人は取り上げたことがあったっけ?タイの演歌とも称される大衆歌、ルークトゥンの歌い手で、美人歌手の誉れも高いEARN THE STARであります。”スターのアーン”ってのも凄い芸名だけど、美人歌手なんだから納得するよりしょうがないやね(?)
 これが4枚目のアルバムなんで、まだ新人歌手と言っていいのかも知れないけど、もうきっちり独自の歌の世界を確立していて、もはや貫禄さえ感じさせるのでありました。

 その、彼女独自の歌の世界とは。もう、このアルバムでも一曲目から開陳されます、しっとりと落ち着いた、哀感たっぷりのフォーク調演歌の世界。母なるメナム川の流れのようにゆったりと刻まれるリズムに乗り、汎アジア的とでも呼びたい優雅な哀感をたたえる美しいメロディを、しっとりと歌い上げて行きます。

 そのサウンドも、そりゃ実力派の美人歌手というんでレコード会社も張り切ったのでありましょう、非常に洗練された都会的な洗練を感じさせるものとなっております。
 その流麗なサウンドにのって、なにしろものが”演歌”のルークトゥンでありますからね、ユラユラと声を裏返らせつつコブシをまわして流れて行くアーン嬢の可憐な歌声は、ほのかに田園の記憶と言いますか民謡調の響きをたたえつつ、高層ビル立ち並ぶ喧騒の街バンコックの夜に紛れ込み、消えて行くのであります。



バラ戦争経由、マイケル・ジャクソン演歌

2011-08-23 01:55:09 | アジア


 ”1st”by Chamiin

 いやあ、こうやってジャケ写真を提示してみると、これを当初の予定通り「これは新作のトロット演歌、なかなかの傑作」と紹介できたら良かったんだがなあ、という思いが、改めてしてきてしまいますねえ。これは韓国の新人歌手、”チャ・ミイン”嬢のデビューアルバムなんですが。
 いや実際、始まりは良い感じだったの、このアルバム。
 冒頭のタイトルナンバー、「この駅に降ります」は、古い歌謡曲っぽいメロディにハードロックがかったアレンジを施し、ミイン嬢がやや粘着質なボーカルを聴かせる、私が昨年のNo1アルバムに選んだMoon Bora嬢のデビュー盤など想起させる都会派不健康トロット演歌の出来上がりで、大いに期待させられたんだが。

 そして2曲目、「バラの戦争」が、まさに傑作だった。ファンク仕掛けのサウンドがバシバシ打ち込まれるなかで、ボコーダーで変調されたミイン嬢のボーカルがユラユラと下世話な幻想美とでも言うしかないコブシ回しのトロット演歌で不思議な世界を現出し、そこにゲスト参加の男性ラッパーのラップが絡む。まったくスリリングな進行で、私はひそかに「やった。これ、今年のNo1かも知れない。まいったなあ。2年続けてトロット演歌が一位かよ」なんてニヤニヤしてしまったんですが。
 3曲目、次は何が来るかとの期待したのだが、なんか普通のソウルっぽいバラード物が始まってしまう。あれ、どうしたことだ?

 以下、普通にロックとかR&Bとかが好きな女の子の、特にひらめきも感じないポップ・ソングが次々に披露されるばかりで、ついにそのまま終わってしまうのですな、このアルバム。それじゃ、冒頭のトロット2曲はなんだったんだよ?
 どういうことなのか、いまだに分かりません。もともとポップスの歌い手志望だった女の子が2曲だけ、持ち込まれた企画ものかなんかのトロットを歌っただけなのか?
 実に中途半端な気持ちであります。せめて、傑作と思う「バラの戦争」の試聴でもここに貼り、「ねっ、面白い曲でしょう」と皆さんにご披露できたら、まだ救われるんだが、これがYou-tubeにあがっていないんでどうにもならない。ああ、もどかしいなあ。なにやってるんだよ、ミイン。

 まあ、この辺が他国の超ドメスティック音楽など勝手に愛好する身の背負わねばならぬ悲哀というものでしょうか。
 で、しょうがないから下に、ミイン嬢とは関係のないトロットの画像を貼ってシメとさせていただきます。これが、マイケル・ジャクソンがトロット演歌を歌う、という妙な細工もので。こういうことしていいの?よく分かりませんが。まあ、消されてしまう前に、お楽しみください。



彼女が部屋を白く塗る理由

2011-08-22 02:32:57 | フリーフォーク女子部

 ”CLOSE TO YOU”YOO HAE IN

 玩具のピアノにかがみこんでいるジャケ写真が妙に印象に残ったので、衝動買いしてしまったもの。韓国の女性シンガー・ソングライター”ユ・ヘイン”嬢の、出たばかりのデビューアルバムのようだ。どうやらジャケの意匠のまま、自作の曲をピアノの弾き語りをメインに歌って行く人らしい。
 とにかく聴いていると、シンプル、ピュア、クリア、そんな言葉ばかりが浮かんでくるアルバム。素直に育った人なのでありましょう、「雨上がりの日曜日」みたいなみずみずしいメロディを、ジャケの印象通りの澄んだ歌声で、独り言をつぶやくみたいなさりげなさで歌って行く。

 内ジャケには、このジャケ写真を撮った部屋の全容が写っているのだが、やや古い感じのアパートの一室を、壁も床も天井もペンキで白く塗り、白いカーテンを下げ、アンティークのミシンや柱時計をあしらって、スタジオとしたらしい。よく見ればあちこちに塗りムラがあるのは、手抜きなのかフェイクなのか。
 ともかくCDをまわしているだけで当方の部屋にも涼風が吹き抜けて行く感じで、二日酔いの身の上としては「おれの柄じゃないよな」などと思いつつも良い気持ちで聴いていたのだが、ふと、購入した際に教えてもらい、領収書の裏にメモしてきた、収録曲のタイトルの日本語訳に目が行く。そこにはこんな言葉が並んでいたのだった。

 「あなたが一人になった時」「どこにいますか」「一人で歩く道」「見送った道」・・・。

 ありゃりゃ。エエとこのお嬢さんが涼しげな微笑を浮かべて午後の買い物に行く、なんて歌を歌っているのかと思ったら、なにやらどのタイトルにも孤独やら別れの影が差している。
 そういえば、ずっと聴いてきて、彼女の歌には他人の気配があまり感じられない事に気がつく。真っ白に塗ったアパートで一人暮らし、の歌なんだな、どれも。
 ひたすら爽やか、みたいに思えた彼女が実は抱えていた屈託。それに気がついた私を見透かしたように始まる7曲目、「とても愛した日」。ここにきて初めて登場のマイナー・キーの曲。そのメロディは妙に生々しく、快活に振舞っていた人の本音を見てしまった感もあり、なにやらドギマギ。

 そして次の曲、彼女としては精一杯のロック、なのだろう、「アカシア・隠された愛」で弾けて見せるのは、彼女なりに示して見せた解放へのビジョンなのか。
 エンディングは、これまで出会った人々とのさまざまな出来事を歌っているのかも知れない、過ぎ去った時間を遠望するようなしみじみとした調子が心を打つ、「ひとりごと」。
 そんな次第で、あれれ、想像したのとはまるで違う感動を受け取ってしまったのでした、このアルバムから。まこと、いろいろな人がいろいろな事情を抱えて生きているのが、世の中というものであります。




広東の月の下で

2011-08-21 00:38:05 | アジア

 ”Lily Sings Teresa”by Lily Chan

 香港の中堅女性歌手、リリィ・チャンによる、テレサ・テンのカバー集。ライブ・レコーディングである。
 内ジャケの写真を見ると、欧米白人を含む少人数のジャズ・コンボ・スタイルのバンドに囲まれて歌っている。このバンドが完全にジャズ・マナーの演奏をし切っていて、間奏のアドリブ合戦など聴いていると、とても歌謡曲の伴奏とは思えない。このバンドの志向がリリィの歌の情感の表出をあくまでクールにまとめてくれていて、なかなか瀟洒なアルバムとなった。

 聞こえる拍手の音の感じなどから、本当に小さなジャズクラブなどで歌っているようなのだが、この、”ある夜、街の小さなジャズクラブで”という何気なさ、気のおけなさがとても良い。
 これ以前にもテレサの曲を吹き込んだりしてきているリリィ・チャンだが、ここではそれほどテレサを意識した歌い方はしていない感じだ。むしろ、バックのバンドのジャズィな雰囲気に溶け込むように、濃密にたゆとう香港の夜の空気の中へ溶け込もうとしている気配がある。

 テレサがあちらの世界の人となって幾歳月、彼女への想い、彼女の記憶、などなどはすでに街の空気に溶け込み、こんな具合に夜の風となって人々の日々を物言わず包み込んでいるのだろうか。終わり近く、ピアノの伴奏だけで歌われる”昴”などは、テレサの魂を抱きしめるように歌う子守歌って感じで、胸がいっぱいになってしまったよね。

 テレサの歌に似合いの春の夜なんかに、広東の月の下、小さなジャズクラブでこんな風に時を過ごし、少しの酒に酔っていられたら。世の中の何が変わるわけでもあるまいが、ああ春宵値千金。




氷の幻想への旅

2011-08-19 04:04:14 | アンビエント、その他

 ”WINTER SONGS”by TERJE ISUNGSET

 クソ暑い日々が続きますが、いかがお過ごしでしょうか?なんか天気予報によると、この文章を書いているこの夜が明けると、雨が降ったり気温が下がったりするみたいなんだけど、どんなもんでしょうな。
 まあ、今、真夜中の時点では暑気はどっしりとこの海辺の町に腰を据えています。というわけで、その状況で聴いてみるのが氷の音楽。

 なんかねえ、北国はノルウエーのミュージシャンが、氷を切り出して作ったアイスハープとかアイスギターなる楽器を駆使して演奏している音楽だそうです。演奏は楽器が溶けてしまわないようにカッキンカッキンに温度を下げた部屋で行うようだ。で、寒いから、ゴロンゴロンに防寒服を着込んで。
 これ、ライブの際にはお客のほうも付き合いで、この異様な寒さに耐えつつ、と成るわけだな。いい迷惑だなあ。
 まあ、いずれにせよこんなCDはこの時期、買うほうも売るほうもヤケだぜ。正気じゃやってられねえよ、ってなもんだ。

 とか言ううちにも演奏は始まっております。カキーンコキーンと氷製の楽器が鳴り渡る中、女性メンバーが賛美歌とも北国の民謡とも、あるいは現代音楽の断片とも受け取れそうな、いずれにしてもいかにも寒そうな旋律をか細く美しい声で歌い上げます。
 そいつと絡まりあいながら、氷の楽器間のインタープレイがおこなわれて行きます。反響しあう氷の会話。
 氷の楽器は、少しリズムキープの状態になると、アフリカの木琴音楽をしのばせるフレーズが顔をのぞかせたり。あるいは静かに響き合い、遠くで鳴る教会の鐘の音めいたり。

 宗教やら、遠い異国の風俗のイメージは頻繁に顔を出します。演奏するほうも聴くほうも、それぞれ自分の聴いているもの、聴かせているものへの手っ取り早い回答が欲しいから、そいつにすがりたくなる。でもそれは”らしい”だけであり、いずれ自分の魂の地下室へ降りて行くことになります、氷の音に導かれるままに。
 いつのまにやら、長いトンネルを抜けて行く気分になりつつ。あるいは、撮られる事のなかった映画のセットを探訪するような気分で。いや、幽霊の出払ったお化け屋敷か。
 でも要するにこの音楽、始まりは雪と氷に閉ざされた国の人々の、やけくその冗談だったんだろうなあ。

 この内宇宙への冒険行、なんとも新鮮で、暑気払いになったかどうかはなんともいえないけれど、たまに行ってみるのも悪くないかと思ったのでありました。