「ジャズ・来たるべきもの」byオーネット・コールマン
昨日の夕方、近所の書店をぶらぶらしていたら、「スイング・ジャーナル」の最新号が目にはいった。スイング・ジャーナルといえばジャズ雑誌の老舗ですな。権威ですな、ある意味。
で、その最新号です。私はふとそれに目をやり、表紙に麗々しく刻印された「超名盤!オーネット・コールマンの”ジャズ来たるべきもの”特集」に、なんだか可笑しくなってしまったんですわ。だってねえ・・・
その盤は、ジャズの革命児、オーネット・コールマンがアバンギャルド・ジャズの旗を高々と掲げ、既成のジャズに挑戦状をたたきつけた記念すべきアルバムではあるんだけど。でもそれっていつの話だよ?1950年代の出来事じゃなかったっけ?いまさら”来たるべきもの”でもないでしょ、もう半世紀経っちゃってるんだから。
結局ジャズと言うのも、すでに終わってしまった、完結してしまった表現世界なんだなあと改めて感じた次第です。おそらくは「ブルーノート・レーベルの何番から何番」なんてのを至上の形態とし、その固定された美学の世界に閉じこもり、年老いてしまった。
そしてあとは、おんなじ話をただ繰り返し繰り返し積み上げて行く、そんな日々が続くだけ。新譜なんてものが存在しようもないから、やれ、リマスターだの紙ジャケだのってお題目で、同じアルバムを何枚も何枚も重複して買わされて幸せになった気分でいるファン諸氏。
そして、「こんな革新も存在したのだ!」と、何度も何度も回顧される思い出としての革命が、たとえばオーネットのこの盤である。リクエストにお答えいたしまして何度でも再登場する革命なんて、なんの意味があるのかなあ。乗り越えられるんならともかく。
今、”ジャズ・来たるべきもの”をはじめて聴いた新しいジャズファンの発言を覗いてみますと。「アバンギャルドな難解さなんて感じない」とか、「怖いものみたさで聴いてみたが、まともな音楽じゃないか」なんて発言が目立つ。
そうです、オーネットのこの盤なんか、むしろ分かりやすい平明な演奏をしているんです。半世紀前、固定観念に凝り固まった人々が「言語道断のデタラメ音楽」と罵り、変なレッテルを貼っただけであってね。