我が田舎の温泉街のスーパーも、いつごろからか夜の11時過ぎても営業をしてくれるようになり、嬉しい限りだ。とは言っても特に夜半に買い物の必要に駆られることが頻繁にあるわけでもなく、夜、なんとなく出かけてブラブラ出来る場所があるというのは、医師に酒をひかえるよう言われて酒場ライフを絶たざるを得なくなった自分には非常に助かる、という意味である。
夜、なんとなく手持ち無沙汰な気分となり、愛用のバイクを引っ張り出して明かりの消えた商店街を横切り、スーパーを目指す。節電の昨今、やはり夜間に煌々と外壁の明かりを灯すわけにも行かないのだろう、夜の街にくろぐろと姿を沈めたスーパーの店内に歩みいると、なかにはいつもと変わらぬ明かりが灯り、昼間と比べると人数は少ないものの、のんびりと買い物をする客たちの姿がある。
その光景は、太陽が力を失い西の空に力なく落ちてしまい、人々はいつ終わるともしれない夜の闇の中に封じ込められ、皆がひとりぼっちでいつ来るかわからない次の日の出まで生き残る算段をせねばならない、夜風の伝えるそのような噂はすべて嘘であり、それが証拠に、ここにこうして光あふれる昼の破片が生き残っているではないか、などと行ってくれているようでもあり、ああ、助かったなあ、とため息をつく、と言ったらオーバーすぎる話ではあるが。
惣菜売り場の商品は、さすがにタダ同然の価格に値下げされており、これを買って帰って一杯やったらさぞうまかろうと思ったりするのだが、諦めるよりない、今日は酒を飲んでもよい日ではないのである。
ところで。このような深夜スーパー行脚の日々を続けるうち、気になる人物の存在に私は気がつくことになる。それは私が「深夜スーパーのヌシ」とひそかに名付けた人物なのであるが。
ともかくその彼は、深夜にスーパーを訪れると、そこに居なかったことはない。ともかくそこに行けば彼は必ず、あるいはカゴを抱えて買い物の最中であり、あるいは仕事上の知り合いらしきオバサンと談笑している。ともかく100パーセントの出席率だ。毎日。ともかく夜毎、彼はスーパーに姿を現しているとしか思いようがない。
そのメガネと顎ヒゲの具合など、若き日のデビット・ブロンバーグ、かのアメリカン・ルーツミュージック系ギター弾きに似ている彼は、いつもタオルを頭に巻いて長髪を纏め、ジャージの類を身にまとっている。年齢は30代半ばくらいか?いや、もっと若いか、もっと歳がいっているか、どちらもありそうな感じだ。
なぜなのだろう、どことなく”追われた種族”みたいなイメージで影を引きずり、交わす会話も声をひそめがちな感じの深夜スーパーの客たちなのであるが、そんな人々の真ん中で彼、”スーパーのヌシ”だけはいつも陽気で、ニコニコと商品を眺め、知り合いと会話を交わしている。
スーパーの入口に小さな喫茶室のような場所があり、客たちはそこに座り込んで、今買ったばかりのジュースを飲んだりアイスを食べたりしながら談笑することが出来るのだが、それも昼間のこと。夜ともなれば談話室の照明は消され、隣のパン売り場から漏れるか細い明かりのおすそわけでぼんやりと室内を照らし出すだけ、うら寂しいばかりでそこに立ち寄ろうとする人もいない。ただ、”スーパーのヌシ”だけは、違う。時に彼は、薄暗いその談話室の椅子にたった一人で腰掛け、楽しそうにコーヒーを飲んだりしているのである。
ある夜、そのスーパーに欲しかった品物がなかったので、街のもう一軒のスーパーへ移動し、そちらで探してみたのであるが、ふと気がつくと、二つほど先の棚に向かい、なにやら買い物中の”スーパーのヌシ”がいた。本気で恐怖したものである。さっきまであちらの店にいたというのに。
彼は深夜営業しているすべてのスーパーの店内に遍在しているのか。あるいは私は追われているのか。未だにあれはどういうことだったのか分からない。
そもそも彼はどんな仕事をしているのだろうか。他に行きどころのないホームレスとかではないようだ。着ているものも小ざっぱりしているし、ちゃんと仕事を持ち普通に日常を送っているきちんとした生活者の雰囲気がある。
彼の存在に気がついてどれほどになるのか。特に関わろうともせず、その姿を見てみぬふりでそそくさと買い物を済ませて帰ってきてしまう私だが、彼の”正体”に関わるバカな説でも思いつけたら、それを小説にでも仕上げたいなんて気持ちも無いではない。タイトルは、有名な”オペラの怪人”をもじって”スーパーの怪人”である。
そうなると当然、クライマックス・シーンは、スーパーの秘密の地下洞にある巨大な湖に、空気を満たして膨らませたレジ袋を集めて作った船に乗った彼が、誘拐した美女を抱えて乗り込み・・・
さて、夜も遅いし、スーパーに買い物にでも行ってくるか。