アインデ・バリスターが日本に来た際、無理やり買わされたというファックス機は、その後、どうしたのだろう。活躍する事はあったのだろうか、などとふと思う事がある。混迷の地と聞くナイジェリアに住むバリスターと今後、来日コンサートに向けて連絡を密に取らねばならないと想像した日本側スタッフが、バリスターにあちらではまるで一般的ではないファックス機材を連絡用に買わせた、なんて逸話を読んだことがあるのだ。
ナイジェリアのイスラム系ポップスである”フジ・ミュージック”の歌手であるアインデ・バリスターが来日したのは、いつの事だったろう。彼のCDがわが国で始めて発売になった90年代初めの事だったのだろうが。来日の用件は、アルバムの発売に伴い、日本におけるコンサートを行なう、その下調べのためだったと記憶しているが、それで正しいかどうか。(そしてその日本におけるコンサートは実現しなかったのであるが)
フジ・ミュージックは、ボーカリストのイスラム色濃い深くコブシのかかった歌声を中心に、基本的にはコーラスとパーカッションのみによる非常に重くファンキーなダンス・ミュージックである。コーラスとパーカッションのみとはいえ、20人を越える”バンド”のメンバーにより編み上げられたサウンド構成は精緻きわまるもので、その複合リズムに身をゆだねているだけで血の沸騰する思いがする。
音楽に対するまともな感性があるかないかをチェックする素材としてもフジ・ミュージックは使用可能なのではないか。どのように音楽の知識を詰め込んでいようと、フジ・ミュージックを「土人が太鼓を叩いて歌っているだけじゃないか」などと受け取るようでは問題外である、という形で。また、感性の摩滅している人がそんな感想を漏らしそうな趣のある音楽であるのだ、フジは。
バリスターの音楽に接したのは80年代、同じナイジェリアのジュジュ・ミュージックのスター、サニー・アデが国際的な成功を収め、その人気に便乗する形でわが国の輸入レコード店にもほんの一時的にナイジェリアの歌手たちのさまざまなレコードが溢れた際の事だった。なにやら薄汚れたジャケのレコード群から立ち昇っていた妖気を思い出せば、今も胸が躍る。
夢のような時間!ナイジェリアの音楽を聴こうにも音盤を手に入れる手立てもない今日、あれは本当にあった出来事なのかと不思議にさえ思えてくるのだが。
その後、バリスターの、というかフジ・ミュージックに関しては、台頭する若手のフジ・ミュージックの歌手たちとの競合やら「現地の海賊版カセットで聴けるライブの音はものすごい迫力だ」などなど、途切れ途切れの情報だけが入ってくるだけの時期を過ごし、今ではそんな情報さえ接するのは稀になってしまった。が、いまだにフジ・ミュージックへの憧憬は我が心を去らないし、同じ感情を有するのは私一人ではない。それほどまでに魅惑的な音楽なのだ、フジ・ミュージックは。
なんとかならないか、関係業者の方々!もう一度、ナイジェリアの音楽がわが国でも聴けるようにしてくれないものか。むなしく放置されているのかもしれない彼のファックスをフル稼働させてやってくれまいか。その価値は十分ある音楽なのだ、フジ・ミュージックは。大儲けにつながるかどうかは、そりゃまた別の話ではあるのだが。