ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

国境線の記憶

2009-12-31 03:08:46 | 北アメリカ


 あれは大分前の出来事だったが、ネット上にライ・クーダーのファン・コミュを見つけ、覗いてみたら「ライのアルバムは初期の3枚が最高”!」なんてタイトルのスレが立っていた。我が意を得たり、みたいな気分になった私は大張り切りでさっそく書き込みをしたものだ。
 「異議なし!ライは初期の3枚が良いです。あれらのアルバムで描かれる戦前のアメリカのモノクロームの風景がたまりませんよね。あとのアルバムはどうでもいいや、もはや」
 すると、そのスレを立てた人から困惑気味のレスが「帰ってきたのだった。
 「あのう・・・私はライのほかのアルバムも素晴らしいと思っているんですが」

 ああなるほどなあ。その人はライの活動時期を何期かに区切っていくつかのスレを立て、それぞれの時期の良さを語り合おうと意図していたんですなあ。
 まあ、私みたいな割り切り方をする者の方が珍しいのかも知れないけど。でも、私はそんな風にライ・クーダーの音楽を結論つけてしまっているのだった。

 私はライのソロ・デビュー盤を、ほぼリアルタイムで聴いて即ファンになるという道を歩いたわけなんだけれど。初期のライの音楽はまさに”師事した!”って感じで聞きこんだものだった。
 古いアメリカの土の匂いが漂うような大衆音楽、それも白人黒人の区別のない、彼らの共有財産としての大衆音楽の面白さなど、ライは非常に楽しめる型で提示してくれた。
 そしてライは、まだ”エレキバンドのコピー”レベルにいた我々に、音楽がどのような構造で成り立っているかを、音楽のアカデミックな知識が無い状態のまま把握する方法を示してくれたのだった。

 彼の音楽を追いかけて行くだけで自分の音楽の持ち駒もどんどん増えて行くように思えていた。戦前のブルースマンや白人の民謡歌手たちの演奏する音楽の楽しみ方。スライドギターやオープンチューニングにしたギターの響きがどれくらいカッコいいものか、など。

 そのうちライはその軽やかな足取りで当たり前みたいな顔をして音楽の国境線を乗り越えてみせ、そのことがいかに知的なスリルをもたらしてくれるのか、身をもって示してくれるようになった。
 たとえばテックス・メックス・ミュージック。たとえばハワイアン・スラックキー・ギター。国境線の向こうに息ついている、見知らぬ果実の恵みのいかに豊なものかを教えてくれた。

 まだワールドミュージックなんて言葉が現われるずっと前の話、そいつはまさに心躍る時代として記憶の中に生きている。この辺がアルバムで言えば「パラダイス&ランチ」や「チキン・スキン・ミュージック」あたりだ。

 その後、はじめてのライブアルバムが出、それから不思議な手法で初期のジャズに迫った「ジャズ」が出て。
 そのあとあたりからか、ライの発表する新譜に、なんだか首を傾げたくなるようになったのは。国境線の向こうの音楽への視点も見当たらなくなってしまった。
 「彼のルーツであるR&Bの世界に回帰しているのだ」なんてのが音楽評論家諸氏の理解だったようだが、私にはなんだかあまり面白くない袋小路にライが入り込んでしまったようで、さっぱりそれらアルバムを楽しめないのだった。
 その頃、こちらのそんな気持ちを見透かすかのようにライの「僕は水先案内人じゃなくミュージシャンなんだ。新しい音楽紹介ばかり求められても迷惑だ」という発言も聞こえて来た。

 そりゃそうなんだけど・・・でも、「単なる音楽」として聴いてみてもその頃のライの音楽には輝きが見出せない気がしていた。たとえば「バップ・ティル・ユー・ドロップス」なんてアルバムを聴いてみても、印象に残るのはライのプレイよりはゲスト参加している”新人”ギタリストのデヴィッド・リンドレィのギターソロのほうに何度も聴き返す価値があるとしか思えないのだった。
 その後ライは、私には袋小路としか思えない音楽に入り込んだまま、映画音楽の製作などに入れ込むようにもなり、いつしか彼は私の興味の範囲内から消えた。一方、彼が教えてくれた(ばかりでもなかったけれど)国境線の向こうの音楽の探求はますます面白くなっていた。

 やがてCDの時代がやって来た。私はあれこれ考えた挙句、最初に述べた彼の初期作品である1stから3rdまで3種をCDで買い直し、アナログ盤は皆、レコード置き場の一番隅にある「思い出のためだけにおいておく盤」のコーナーに収めた。初期三枚はこれからも聴く気になる日があるだろうけど、それ以外の盤に、もう興味がもてそうになかった。
 どうせ国境線の向こうの音楽を聴くなら、ライが演ずるものよりは現地の、本物の、たとえばテックスメックス・ミュージックのほうがエキサイティングであるのだから。

 私にとってライ・クーダーというミュージシャンはなんだったのだろう?彼の最近の仕事、たとえば”ブエナ・ヴィスタ・・・”はテレビ放映されたものを見たが、キューバ音楽はともかく、ライがその場にいる理由というものがよく分らなかった。
 結局私はライを、彼の言葉通り、「水先案内人」としか認識していなかったのだろうか?そのあたりがよく分からないんだが。
 彼の初期の3枚のアルバムはとりあえず「水先案内人ではなく、彼によって案内されて行く側にいるミュージシャン」として扱っている。だからまあ許せや、なんてのも妙な結論だけどね。



地底人の探求

2009-12-30 04:49:01 | ものがたり

 何年か前、まだ”モーニング娘”のメンバーだった頃の矢口真里のラジオ番組の中で、番組を担当している放送作家らしき男性が地底人に関する話をしていた。矢口は「何を馬鹿な話を」と言った風に笑って受け流していたが。

 そう言えば地底人の姿を見かけることも、最近は稀になってしまった。私の少年時代、昭和30年代には、よく蓋が開いたまま放置されたマンホールなどを見かけ、「ああ、地底人が出てきたんだな」などと頷きあう事など、普通にあったものだ。

 何しろ人間に出会うとすぐに逃げ出してしまう地底人であったので、その姿の詳細は定かではないのだが、最も印象に残っているのは、彼らの背の低さだ。身長は1メートル20センチ程が平均だったのではないか。

 その身長と、一様にやや小太りの体型から、なんとなく無邪気な子供のようなイメージを持たれていた彼らだったが、その顔立ちを良く見てみると、それは成人したヨーロッパ人種のそれであり、曲がり角で鉢合わせするなどして、予期せずその顔をまじかにしてしまった時など、その顔立ちの大人びた感じや、その目の表情の意外なほどの暗さに、なんだか気おされるものを感じたりしてしまったものだ。

 彼らが身にまとっていたのは、いわゆる「全身タイツ」というべきものだったのだが、その色に関しては各々の記憶の中で微妙な差があり、定説と言ったものはないようだ。私の記憶の中では、やや青みがかったグレイなのだが、完全な灰色、あるいは黒、と言った具合に、諸説がある。

 彼らがそれなりの文明を地底において築き上げていたのであろう事から考えて、彼らが自身の言語を持っていたのは間違いの無い事実だろうが、彼らが我々地上人に対し、何事か語りかけてきたことは、残された記録を見る限り、ないようだ。彼ら同士が言語によるコミュニケーションを行っている現場も、とりあえず公式には確認されていない。

 彼らが何を求めて地上にさ迷い出てきたのか、それに関する定説も無い。我々地上の人間には、ほとんど何の関心も示していなかったし、例えば彼らの地下世界で手に入らない、なんらかの資源を採取していた気配も無かった。彼らはただ地上に現れ、慌しくあちこちを徘徊して廻り、気が付けばまたマンホール伝いに、地下深くに枝葉を広げた彼らの迷路世界に帰っていったのだ。

 アメリカ軍が彼らの生体の捕獲に成功した、などと言った噂も流れたのだが、さて、その事実が本当にあったのかどうか。彼らへの生物学的研究の成果、などといったものが発表されたと言う話は、寡聞にして聞かない。

 彼らの姿を見かけなくなったということが彼らの絶滅を意味するのかどうか、私にも分からない。現代の進んだ土木技術なら地下を掘り進み、彼らの地下都市に至る事も不可能ではないのでは、とも考えるのだが、そのような動きも無いようだ。

 いや、逆に、我々の間には地底人たちに関する記憶を忘れ去ってしまおう、彼らが存在したことなど無視し去ってしまおう、といった動きが隠然として存在するらしいのは、嘆かわしい気がする。地底人はかって確かに存在し、我々の世界の片隅にその姿を現していたのだから。

2009年度年間ベストCD10選

2009-12-28 04:00:44 | 年間ベストCD10選


1) Tugan Tel by Alsou (Russia-Tatarstan)
2) Nacerdine Hora (Algeria)
3) Doagh by Maria McCool (Ireland)
4) Iumiere (Scotland)
5) Adi Yok by Azeri Gunel (Turkey-Azerbaycan)
6) t'Minne by Threeality (Netherrland)
7) 加那 by 城南海 (Japan)
8) 1st by Lee Na Young (korea)
9) Tres Tres Fort by Staff Benda Bilili (Congo)
10) Perd Pakka Tuu by Look-Pad Pinchanok (Thailand)


 というわけで、我が2009年度年間ベストアルバムの発表であります。
 シバリとしては例年の如く、一国一枚、あるいは一ジャンル一枚、といった規則がもうけてあります。
 また、原則的には2009年に発表された新録音盤の中から選ぶ。ただし海外から入ってくる時差(?)を考慮して一部2008年度盤も可とする、という事で。


 1)ロシアのかってのアイドル歌手、アルスーが、結婚&出産に伴う休業を終えてカムバック後、発表したのが、このアルバム。すべて彼女の故郷であるウラル山脈のふもと、タタール地方の民謡ベースの音楽が繰り広げられている。言語もすべてタタール語かバシキール語を使用。民族問題に手を焼いているロシア国内でよくぞこんなものをと驚かされる。
 盤をスタートさせると一挙にあたりは中央アジア一色。大都会で華やかな流行歌手として過ごして来た自らの足元を改めて見つめ直した作ということか。音の向こうから吹き付けてくる春色の”再生”の息吹が眩しい。
 なお、このアルバムの収益金はすべてタタール自治共和国の孤児たちを援助する基金に寄付されているそうだ(写真)

 2)昔の安いスパイ映画の主人公みたいなグラサン男が素っ頓狂なスットコ・リズムに乗せてドスの効いた声で凄む。北アフリカのやさぐれダンスミュージック群はいまだ正体不明ながら、今年もやっぱり惹かれてしまった。

 3)アイルランドのトラッド歌手が、実に自由な感性で渋い民謡からポップスまでを纏め上げ、唄心一つで地深く根ついた”アイルランドの新しい唄本”を編み出してしまった、その鮮やかさに。

 4)スコットランドの女性トラッド歌手二人が新たに組んだデュオのデビュー作。上質のクリームを舐めたみたいな滑らかさと奥深さを秘めた二人の素晴らしいハーモニーに、気分は晩秋のハイランドへ。

 5)トルコで活躍するアゼルバイジャン出身の女性歌手。中央アジアから東地中海へ連なるエキゾティックの上にエキゾティック乗せて~♪みたいな華麗な音楽地図を可憐な美声でコロコロと歌ってみせる。その存在だけでも血が騒ぎます。

 6)オランダが昔、強力な海運国家として繁栄の頂に合った16世紀に出されていた歌本からの復刻曲を中心として、当時の国際国家としてのオランダの興隆を音楽によって再現している。大きく脈を打っていたオランダの心臓と送り出していた血の熱さ、世界中からやって来ていた人々と物資の賑わいが、女性トリオのパワフルな歌声で鮮やかに蘇る。

 7)奄美民謡のコブシ一発で世界音楽を読み直してやろうという意気を買いまして期待点こみで。すいません、ファンなモノで。
 いやいや、こうして聴き返して行くと、”地球礁に打ち寄せる潮の轟き”が聴こえてくるようで、これにも血が騒ぎます。

 8)韓国のトロット演歌界が満を持して世に送り出した、テクノ演歌最前線のヒロイン、イ・ナヨンの感性溢れる歌声弾けるデビュー盤。
 とはいえ、素直に万人が「カッコいい!」と感心するような”最先端の音”になっているでもなし、やっぱり韓国ローカルの独特のエレクトリック・ポップでしかないこと。いやいや、そこが素敵なんですがね。

 9)コンゴの不良ハンディキャッパーたちがぶっ飛んだ感性で切り開いたアフリカ音楽の新しい地平。もう一つ元気のなかった今年のアフリカ音楽界における、非常に大きな収穫だった。

 10)タイものでは、これとターイ・オラタイ女史のモーラム集とどちらを入れようかと迷ったんですが、大歌手の傑作と評価の高い作品と、新人アイドル演歌歌手のちょっと素敵な一枚だったら後者を選ぶのがこのブログの価値観でしょう、ということで。

 なんか大切な一枚を忘れているような気がしてならないんだが、まあ、勝負は時の運ということで。
 余談としてするしかない話なんですが、実はこのベスト10、一位をミャンマーのポーイーセンの”テューリーピューデンニャ”にする気でいた。ずっとその気でいたんだけれど、決定の前にちょっとネットで調べてみたらこのアルバム、2007年度作品らしいことが分ってきた。「一年くらいの誤差は認める」のがここのルールなんであって、このアルバムだけ2年遅れの特例を設けるのが納得できなくて。まあ、私一人で選んでいるのだし、どうしようとかまやしないといえばそうなんだけど、だからこそ、こだわらねばならん、とも思えて。
 さて、そんなところで。



日英微温合戦

2009-12-25 07:05:39 | 音楽論など

 スーザン・ボイルの売り出しシステムってのは要するに水戸黄門ですよね。
 馬鹿にされていたオバハンが唄という印籠を持ち出し、「このお方を誰と心得る!」とやると皆が一転「ハハーッ!」と土下座するカタルシス。

 そして、そんな見え透いた田舎芝居に、日頃パッとしない自分の人生を重ね合わせて感動する”いいカモ”が後を絶たないバカ世界。楽な商売、見つけたねえ。

 まあ、何かと生暖かい馴れ合いを好む日本のお茶の間には似合いかもね。

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 ○<紅白歌合戦>英人気歌手スーザン・ボイルさんがゲスト出演
  (毎日新聞 - 12月24日 20:13)

 NHKは24日、大みそかの紅白歌合戦に英国の人気歌手スーザン・ボイルさん(48)がゲストとして出演すると発表した。来日は初めて。
 ボイルさんは4月、イギリスのオーディション番組に出演、その歌唱力が高く評価された。映像は動画投稿サイトを通じて世界に発信され、話題を集めた。11月に発売したデビューアルバム「夢やぶれて」は英国や米国、日本でもヒットチャート1位を記録。NHKは「歌の力で夢をつかみとった方で、紅白のコンセプトである『歌力』に通じる」などと述べた。

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今夜ともす灯りについて

2009-12-24 03:46:33 | フリーフォーク女子部

 ”Come Darkness, Come Light: Twelve Songs of Christmas”
  by Mary Chapin Carpenter

 深夜、なんとはなしにテレビのチャンネルをあれこれ変えていたら、第2次大戦に関するドキュメンタリー番組をやっていた。大戦末期の記録が流されていた。

 ベルリン陥落と、リンチを受けるナチス協力者たち。占領軍たるアメリカ軍は、アウシュビッツのユダヤ人強制収容所にドイツ市民を強制的に刈り出し、そこで何が行なわれていたかを彼らの目に焼き付けようとしていた。「お前たちの国がやった事をよく見るんだ」列車から降ろされたドイツの老婦人たちは互いによろめくやせ細った体を支え合いながら、その恐怖と悲しみの館に歩を進めていた。

 そして沖縄の集団自決の顛末。自爆する兵士の、そして市民の顔立ちが、フィルムからははっきりと見て取れた。
 クリスマスのお祭り騒ぎの中、偶然に見てしまったそれらの映像は不思議に深々とこちらの気持ちに染み入り、おかげでアイドルグループ、”AKB48”によるおちゃらけ番組を私は見逃してしまったのだった。

 雪の夜、灯りをともし続けるクリスマスツリーの姿がひときわ印象的なこれは、アメリカ・カントリー音楽界のベテラン・シンガーソングライター、メリー・チェイピン・カーペンターが、その20年に及ぶキャリアの中ではじめて作ったというクリスマス・アルバムだ。2008年作。
 彼女自身の作品とカバー曲と何曲かの民謡とによって構成された、非常にシンプルなサウンドによる、静けさと祈りに満ちた作品集。

 それは聖夜を楽しく過ごさせるための作品集であるばかりでは無い。彼女の歌うクリスマスのベルはマリアとその幼子のためというよりは、この世界に溢れる終わりなき戦いと餓えの中にいる子供たちのために鳴らされている。
 むしろ、クリスマスというレンズを通して改めて我々の生きる社会の真実を見つめ直そうとの意図が込められているようだ。

 静かに語りかけてくるマリー・チェイピンの歌声は、ただ夢見てしまうことなくハードな現実を見据え、凍りつく冬の道を何ごとかを求め、奥歯を噛み締めて寒さに耐えながら行く人の心の声に聴こえる。
 かって雪の上に足音を刻んで歩き去っていった人々すべての苦悩と孤独を噛み締め、そして人々の明日に祝福と希望を与えようとする、そんな祈りに満たされている。
 空を舞う雪とビートルズの唄を初めて聴いた少女時代の思い出を静かに語る、彼女の作ったもう一つの”クリスマスキャロル”が心に残る。すべての子供たちがベッドサイドに吊るした靴下の中に息付いている、希望に関する唄が。

”Because peace will shine in me and you
From Bethlehem to Timbuktu
Even if the forecast is for rain”

by Mary Chapin Carpenter



雨上がりロマンチック漢江

2009-12-23 03:34:39 | アジア
 ”RAINBOW”by Suh Young Eun

 以前、「中華モノはジャケ買いがよろしい!」とのころんさんの宣言に大いに賛同した私であるが、韓国ポップスのCDなども、ジャケ買いするしかないような側面があるわけですなあ。
 とまあ、なんか冒頭から言い訳がましいのではありますが今回、韓国では”ロマンチックアーティスト”とか呼ばれているという話の、ソ・ヨンウン女史であります。
 いやなにね、上に掲げましたジャケ写真、このホヨ~ンとした笑顔を見た途端、まあどうでもいいじゃねえか的な骨抜き状態となり、気がついたらソ・ヨンウンのアルバムを求めてあちこちのレコード店を彷徨い歩いていたっていうんですから面目ない話で。

 また、彼女のアルバムのジャケ写真って、こんなホヨ~ン顔のものが何枚もあるんだ。某レコード店の紹介コメントに彼女の顔を”パンダ顔”なんて表現しているのがあったけど、なにかとテンション高くなる韓国社会で、この個性は貴重といえるんではないでしょうか。いやもちろん、彼女の人となりなんて私が知るはずもなく、見当だけで言ってるんだが。

 彼女は、韓国では珍しいといえるでしょう、ジャズシンガーとしてデビューしたなんて面白い経歴を持っています。その特性を生かし、デビュー当時はジャズの影響濃いポップスを歌っていたというんですが、それがどんなものかは、彼女の初期のアルバムが廃盤状態で手に入らず、まるで分からないんですが。
 でも”ジャズっぽい歌唱”なんてのが総簡単に一般大衆の支持を受けるというわけにも行かず、彼女は最初は映画のサントラ盤専門の歌手なんて位置にいたようです。

 その後、彼女は次第にジャズ色を薄め、透明感のあるフォーク調のポップスを多く歌うようになり、韓国歌謡界に彼女なりの居場所を見つけて行くのです。昔の言い方をすれば”ホームソング調”とでもなるんでしょうか。
 その高い歌唱力と”お嬢さんっぽい”というんでしょうかね、清潔感を売りにして。まあ、別の言い方をすれば唄のお姉さんっぽい普通さと言うんでしょうか。

 そんな人畜無害な健全歌謡なんて本来、私の趣味じゃないはずなんですが、何しろほら、先に書いたように彼女、ソ・ヨンウンのパンダ顔の笑顔の誘惑に骨抜きとなり、「こんなものもたまにはいいじゃないか、爽やかでさあ」とかいいながら、韓国はソウルの週末、ちょっとお洒落な通りを雨上がりに駆け出して行く若い恋人たちの胸のトキメキなんかに乾杯しつつCDに聴き入るのである。
 ・・・ってのはやっぱり柄に合わなくて気色悪いんだが、ソ・ヨンウンのファンになってしまった私としては、もうしょうがないんである。許せ。



赤道のジーザス

2009-12-22 03:55:46 | アジア

 ”STRONGER”by Sari Simorangkir

 別にクリスマスの時期にあわせた訳じゃないけど。インドネシアのキリスト教系ポップス、”ロハニ”であります。これが9枚目のアルバムだそうで、もはやロハニの世界ではベテランの風格さえ漂わせ始めた、サリ女史の新譜。
 それにしても、この音楽をどう説明するのが一番要領がいいのだろう?私は、面倒くさい時は「要するにインドネシア語のゴスペル」とか言ってしまうのだが、実際、これだ一番適切にこの音楽の佇まいを伝えうるのだが、もしかして非常に無神経な表現をしてしまっているのではないか?

 とはいえ、彼女の歌声を「もはや教会で奉仕活動をする人々にとっての”国歌”的存在となりつつある」なんて表現している現地の英文雑誌の記事があり、そこでもゴスペルという表現が使われていたことからすると、インドネシアの人々の認識もそんなものなのかも知れない。宗教の絡む微妙な文化に関わる話だからと、何か神経質になってしまうが。
 実際、自分がこの音楽をどのように愛好しているかと思い返せば、要するにゴスペルの一種として、という側面が一番大きいだろう。曲の構成そのものが、いかにも宗教歌らしい清潔な響きを持つにしても、つまりはソウル・バラードであるのに間違いないし、こちらもサリのハスキーな声による”黒っぽい節回し”の歌い上げを楽しみに聴いているのであって。

 でもやっぱりそれだけじゃないね。そいつがインドネシア語で歌われているのが、まず大きい。インドネシア語そのものの響きが醸し出す南国の情熱、しかもアジアの南国のそれが”ゴスペル”の枠を食い破って独特の余情を、この音楽に加えているのもまた聞き逃してはならない。
 そして、さらにその奥、記憶の連なりのずっと奥でかすかに響いている、昔、かの地を支配し去って行ったポルトガル国の遺したラテンの血の騒ぎがほんの一筋・・・
 それにしてもほんとに堂々たるサリ女史の歌唱でありまして、キリスト教には何の縁もゆかりもないこちらまで、なんか聖なるものを聴いている気分になってきたりするのでありました。



過ぎた時間、遠いタンゴ

2009-12-21 01:19:41 | 南アメリカ

 ”Oir De Noche” by Alfredo Piro

 闇に閉ざされた部屋があり、手前に大きな時代物の蓄音機が置かれている。部屋のヌシはその奥の椅子に深く腰掛け、蓄音機の音に聞き入っている様子だ。そんなジャケ写真。
 つまりこれは”このアルバムでは勝手に時間を遡行した世界に行ってしまいました。何をしようと私の勝手なので、この件について文句を言われても私には聴こえません”という趣旨の作品であって、そういう閉鎖的な趣味の人だけ聴いていればいい性質のものだ。私は聴くが。

 アルバムの主人公、歌手のPiroは高名なタンゴ・ミュージシャンを両親に持つそうだが、そのような立場にある者は、やはりこのようなアルバムを世に問うてみるような屈折を一度はせずにはいられないのだろう。と勝手に類推しておく。

 アルバムに収められているのは、このジャケにいかにもふさわしい、古い古いタンゴばかりである。そいつに一癖も二癖もあるアレンジをほどこし、過ぎ去った時代への、おそらく歪んでいる思い入れを込めて歌うPiroは、時々、”夜のシュミルソン”の時のニルソンを思い起こさせたりする。そう、あんな感じのいつまでも明けない夜の時間への賛歌を彼は歌っているようだ。

 冒頭、古時計の時を告げる音を上手く伴奏にはめ込んだアレンジで早くも迷宮気分は高まって行く。日本人であるこちらにしてみればはじめて聴くはずなのに、なぜか懐かしいメロディの数々。だがその伴奏はどれも不思議な意匠が凝らしてあって、気が付けばグネグネと歪んだメロディは、あるいはサンバのように、あるいはジャズのように変質を始めている。

 なんだか聴いていると、例の加藤和彦の”ヨーロッパ三部作”のアコースティック・ヴァージョンのようにも聴こえてきて、楽しかったりするのだった。もっともPiroは加藤氏とは違って、朗々とかなりの二枚目声で色悪を演じたりも出来るので、こちらの方がより味付けは泥臭いのであるが。(アルゼンチン盤2007年作)




「加藤和彦・ラストメッセージ」に寄せて

2009-12-20 05:38:37 | その他の日本の音楽

 彼と同時代を生きた者としてぶっちゃけた話をすれば。

 彼の音楽に対するアバンギャルドな姿勢というものは好きでした。フォークル時代、ミカバンド時代、ヨーロッパ三部作を生み出したソロ時代と、それぞれの場面で素晴らしい仕事をしてきたと思う。リアルタイムで支持できて幸運だった。
 けど、その私生活と言いますか、”粋人”と讃えられるような部分というのは、まあ正直言って大嫌いだったのですね。そんなご趣味のよろしい奴は性に合わねえ。

 そして彼去りて今。私の嫌いな後者の部分だけが”神話”として語り継がれるような、いや~な予感がしています。私の考え過ぎならいいのですが。

 (なんか、いるんだよね、「加藤さんはシェフになっても一流になれたんじゃないですか」なんて形で加藤和彦を称揚しようとする奴。フン、お生憎様。俺は彼がミュージシャンだからファンだったんだよ。フライパン握って何を作ろうと興味ねえや。ミュージシャンを語るときには音楽の話をしようぜ)




我が心、ウズベク高原に

2009-12-19 02:09:27 | アジア
 ”Assalomu Alaykum”by Shahzoda

 「サラーム・アレイコム。皆さん今日は、カセム・アリです」というネタを持ち出して分る人がどれだけいるんだろうか、ここに。
 昔、”11PM”に出ていた人でね。アラビア人の恰好をして来て、アラビア語一口講座とかアラブ人の考え方とは、なんて話をする。本当は大学でアラビア語を教えてる先生で、途中で学生に「テレビでエロ話するな」なんて抗議を受けて、頭に来て大学のほうを辞めちゃった。まあ、この人のことはいいや。

 このところ気を惹かれている中央アジアはウズベキスタンであります。場所はイランの北、かってソビエト連邦の一部だった国ですな。場所柄、イスラム色の濃い音楽なんだけど、どこかよりアジア寄りの匂いがするところが魅力でしょうか。
 今回の”サラーム・アレイコム”はかの国の人気歌手、Shahzoda嬢の2007年度の作品であります。彼女は女優も兼ねている人だそうで、ジャケの写真を見てもなかなかに妖しげな”アラビアの妖女”を演じております。

 サウンドは、これはロシアのダンス・ポップからの影響なんでしょうかね、ドスドスと無粋な機械仕掛けのぶっといリズムが打ち込まれるエレクトリック・ポップ仕立てが基本のようです。その上に、トルコのサズなんかの系列の複弦楽器が大蛇がのたくるみたいな横揺れのリズムで官能的なフレーズをまき散らす。あるいは、シンセの類がイスラミックなフレーズをミョョョョ~ンと奏でる。
 Shahzoda嬢の歌声はどちらかといえば囁き系でありまして、朗々とアラブのコブシを歌い上げるという感じではない。愛らしくも鈴を転がすような、といったら言い過ぎか。いや、私にはそう聴こえるんですが。

 引きの芸というのか、内へ内へと引っ込んで行くような、”秘すれば花”的な押さえた美学を感じさせます。たまに声を張る瞬間などあっても、それ風に声を歪めてみるだけで、音量としては何も上がっていない感じだったりする。
 ふと思い出したのが、中国の映画で見た、昔の皇帝の後宮に立つ雪洞の灯りです。後宮に囲われている何人もの女性たちは、今夜こそ皇帝の寵愛を受けられますようにと祈りを込めて自分の部屋の入り口に雪洞を立てる。その妖しいような物悲しいような仄かな灯りの、夜の静けさの中での灯りようをなんだか連想してしまったのですな、Shahzoda嬢の慎ましやかな歌声を聴いているうち。

 その慎ましやか具合がまた、アジア的といっていいんでしょうか。いやあ、結構惚れましたねえ、この歌声には。
 このアジア的慎ましやかさとアラブ的妖しさの微妙なブレンド具合、そいつが中央アジア高原を遥か吹き渡る風に揺れている。その辺にウズベキスタン・ポップスの醍醐味があるんではないか、とか分かったような分らないような事を言いつつ・・・