ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

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シェバなマリアにもいわれはない

2011-07-30 02:21:25 | イスラム世界

 ”Jenentinie”by Cheba Maria

 これは、北アフリカ方面のポップスを聴き始めた頃、出会ったアルバムで、なかなか好きな一枚でした。彼女の凛と澄んだ声が、当時流行り始めた(?)ボコーダーによるロボ声処理により心地よく歪みつつ、パワフルに突き抜けて響き渡るさまは、実に快感だったのでありました。
 なんかねえ、このアルバムを聴いていると「アラーの神にもいわれはない」って小説のタイトルが頭に浮かぶのです。いや、その小説は、戦乱の西アフリカで、まだ幼い身でいながら兵士となって銃を取る運命に放り込まれた少年たちの悲劇を描いた小説で、このアルバムにつながるようなものは何もないんだけれど。

 Cheba Mariaはモロッコ出身の歌手なんでありまして、歌っているのは北アフリカのヤクザな大衆歌、ライに分類される歌なんですが、ジャケの写真をご覧になれば一目瞭然、彼女はあんまりアラブ人ぽくはないですな。アラブ人が幅を利かす北アフリカよりもっと先、サハラ砂漠の南に広がる黒人たちの世界の血をより濃厚に引く人であろうと想像できます。実際にはどのような血統の人なのか、資料の類には出会ってはいないんですが、見かけはそんな感じです。
 で、そんな彼女の歌声も、イスラム文化の刻んできた長く重い歴史とはとりあえずあんまり関係ない響きを持って躍動します。サハラ以南の黒人たちの躍動する強靭な生命の輝きを秘めたバネ仕掛けのソウル(意味不明、ご容赦)がはじけて、太陽の下、どこまでも転がって行く。

 なんかそれが痛快、って気がするんですね。イスラム文化の影響下にある大衆音楽に一様に刻まれた深い陰影に対し、「そんなもの、あたしゃ知らんけれど、とりあえず歌わせてもらうわ」と言い放っちゃったみたいな。
 文化や歴史の重みを彼女の生命力が吹き飛ばしてしまっている、そんなみもふたもない突破力が生み出す底の抜けたようなユーモアを含んだ爽快感が彼女の歌にはある。そいつを聴いては、「これはとてもかなわんなあ」と、ひ弱な日本人としては恐れ入るよりない気分なんですが。

 それにしても、彼女の”マリア”ってファーストネームは何なんだろう?まさかクリスチャンでもなかろう、と思うんですが、どういう意味合いでつけられたんでしょうね。この辺も不思議でならないんですが、まあ、現地の人にはそんな因縁なんともない、単なる女の子の名前、なのかも知れませんな。



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楽園の泉から

2011-07-29 04:18:17 | 南アメリカ

 ”CIRCULAR TEJIDO”by LULACRUZA

 まずジャケのアート・ワークが、まるで花輪和一氏の描く中世日本を舞台にした歴史漫画の登場人物みたいなタッチなんで、「おおお・・・」と目を疑ってしまったんでありました。まあ、画家はもちろん別人だったんだけど、ほんとに似てるんだ、絵のタッチが。
 コロンビア出身の女性ボーカリストとアルゼンチン出身のサウンド・クリエイターのコンビによるユニット。エレクトロニカの手法を導入して、南米大陸の伝統音楽にトライしようという、「フォルクローレ・エレクトロニコ」サウンドを目指しているようです。すでに紹介済みのトノレクなんて連中と同じ”波”の中の音楽といえましょう。

 機械のリズムが走り、サンプリングされた民俗楽器の音がミニマルなフレーズを繰り出し、電子楽器がヒュルヒュルと大昔に封印されたままだったメロディをまさぐる。
 特定の南米先住民の音楽に入れ込む、ある種学術的なトノレクと比べると、こちらの音楽は、その実験的な方向性の割には驚くほどポップです。軽やかです。
 ボーカルの女性の歌声は、なぜか豊穣な水のイメージがある。ジャングルの奥で豊かに湧き出る泉みたいな、マイナスイオン吹き飛ばしながら聴こえて来る、そんな歌声。

 そんな歌声が不思議に懐かしい手触りの、素朴なメロディを生き生きと歌い上げる。とかく陰気になりがちな実験音楽が、まるでポジティヴな響きを持って、お日様の光に向かって伸びて行く。
 ああ、これは気持ち良いですね。このバンドを聴くのはこれがはじめてなんだけど、4曲入りミニ・アルバムなのが残念です。物足りないです。フル・アルバムをきっちり聴いてみたいものだなあ。



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海の泡と少女

2011-07-28 03:20:32 | 南アメリカ

 ”Vagamente”by Wanda Sa

 若き日、ボサノバという音楽が大嫌いだった一時期がある。なにやら気取り済ましてコツコツとドラムをリムショットしてみたりして、お前ら、そんな貧血音楽の何が楽しい。
 そんなボサノバへの不快感をひっぱがしてくれたのは、著名なブラジルの作曲家であり、ご存知、”イパネマの娘”をはじめとして、ボサノバを象徴するような有名曲をいくつもものにしている、アントニオ・カルロス・ジョビンだった。

 彼は、ボサノバを”ブラジルのジャズ”とか”ブラジル人がジャズの影響を受けて生み出した音楽”とか訳知り顔で人が言っている事実に対し、昂然と言い放ったのだ。
 「ボサノバはジャズの影響など受けていない。それはリオの海岸に打ち寄せる波の間から生まれたものだ。海のリズムは、ジャズの歴史などよりずっと古い」と。
 その論理が正しいかどうかなんてどうでもいい、ジョビンの反骨精神が気持ちが良かった。そうか、こういう奴が作った音楽なら、聴く意味があるのかもしれない。

 そう心を入れ替えて聴いてみたボサノバ。試し聴きする事、しばし。いつしかその洗練の底に潜む、ある種の深い悪意に気がつき、うわあ、こいつは罪深い音楽だな、と呆れた。なるほどこいつは一筋縄では行かない代物だ。
 何に対するどんな悪意かって?書けるもんか、そんなヤバいこと。

 そんな次第でこのアルバム。はじめて見た時、良いジャケだなあと思ったものだ。といってもデザイン的に優れているとか言うより、その風景の中に入っていってしまいたい、そんな風に感じた。明るい砂浜に女の子が一人、ギターをぶら下げて歩いている。彼女の着ている服の明るい色調と、空と海の青さが気持ちよく調和している。
 まさにイパネマの出身の少女、当時は音楽仲間のアイドルみたいな存在だったらしい Wanda Saは、ボサノバの最盛期である1964年、ハタチそこそこで、このデビュー・アルバムを吹き込む。

 そのハスキー・ボイスとちょっと癖のある音程のとり方、ビブラートをかけないクールな歌唱が心地よい。こんな表現、まだ若い彼女はどうやって生み出したのだろう。いや、若いからこそ至れる境地、というものもあるだろう。
 可憐な少女の清冽さと、大人の女のけだるさが不思議な交錯を見せる、その不思議さ。
 ほんのいくつかの楽器が鳴っているだけ。スカスカのサウンド構成が、Wanda Saの放り出すようなボーカル・スタイルとうまく呼応しあい、逆にアートっぽくてかっこいいのだった。

 彼女のアルバムは、実はこの一枚しか持っていない。これで十分、というかほかのを聴いて、もしつまらなかったりして幻滅するのを恐れているのだった。なんか、ここで聴かれるすばらしさって、これ一回きりって気もするんで。



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ヨンウォン、いつまでも、何度でも。

2011-07-26 04:21:14 | アジア

 ”第4集- 영원(ヨンウォン・永遠)”by FIN.K.L

 ダウンタウンが司会の歌番組に韓国のアイドルグループ、KARAが出ていて、それを見ているうちにこのアルバムを思い出して、久しぶりに聴きたくなったのだった。

 ピンクル(なぜ、”FIN.K.L”というスペルでこの発音になるのか、韓国人にしか分からないのではないか?)とは、90年代の終わりにデビューして圧倒的な人気を博した韓国の4人組アイドルグループである。
 いまや韓国のエロい女の代名詞と化しているイ・ヒョリや、グループに”歌唱力向上”だけを目的として放り込まれた実力派オク・チュヒョン、などの人材を輩出している(「お前のルックスには期待しない。歌だけ歌っていればいいのだ」という扱いを受けたオク・チュヒョンがグループ解散後、20キロだったかの大ダイエットなど成功させ、”いい女の歌い手”に生まれ変わって”反撃”を成すあたりの人間ドラマも面白いのだが、それはまたいずれ)

 そして彼女らは、KARAにとっては同じ事務所の先輩に当たる。KARAたちはピンクルの”スターへの道”を踏襲して売り出されているとの事。
 そのシステムとしては、まず”元気な女の子”として注目を集め、それから”可憐な子達”の面を見せて、”気になる存在”と成し、最後に大人の女性として完成された美でトリコにする、とかいうものらしい。KAREAの子達は今、第一段階から第二段階に移行中ってところなんだろうか。
 そしてこの盤はピンクルが最終段階にあった時期にリリースされた、グループの事実上のラストアルバムとなったもの。・・・などと言いつつ、今、調べてみたらもう、ピンクルのアルバムなんてほとんど廃盤なんだね。これは寂しいなあ。とはいえ、このラストアルバムが出たのだって、もう10年近く前の出来事で、そりゃ大衆音楽の現場で10年の歳月はかなりのもの、仕方がないか。

 このアルバム、ひそかに私の愛するところのものだったのだ。関係者も人気アイドルグループ・ピンクルの集大成とするべく努力したようで、作曲家たちも良い出来の曲を提供している。
 そしてピンクルのメンバーも周囲の応援に応えて、なかなか力の入った歌唱を聞かせているのだ。
 まずは冒頭、”グッバイ”からタイトルナンバー”永遠”と、2曲続く切々たるバラードが泣かせる。これがムード決定となって、なんだか漆黒の闇の中でピンクルのメンバーたちが手を取り合って歌っているような、ある種スピリチュアルな雰囲気さえ漂う、美しい出来上がりのアルバムとなっている。

 メンバー一人一人も、”韓国人風のソウルミュージック表現”に、彼女らなりの回答を見出したようで、充実した歌声である。その”凛”とした空気感は、今日のKARAたち、いわゆる”韓流”の連中が振りまく華やかさとは逆の、ある種ストイックな美意識を感じさせ、これがこの時代、逆に好ましく思える。
 こういうものが出来上がってしまう瞬間というのがある。これはやっぱり、「ここでグループは解散」て意識があったんだろうなあ。解散てのも基本、一回しかできないものだしなあ。




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演歌の南回帰線

2011-07-25 04:54:14 | アジア

 ”BER TOE BER HONG MAI TONG MAR KHOR”by ORN ORRADEE

 せっかく買ったのに、なんとなく聴かずに放り出してあるCDってのも結構あるんだけど、これもそのうちの一枚だった。そいつを今、何の気なしに聴いてみたら、その音の広がりの優しさに、なんだか泣けそうになったりして。こりゃ相当に精神弱ってるかもなあ。

 タイの演歌といわれるルークトゥン・ミュージックの歌い手、ORN ORRADEE 嬢の2008年作、4枚目のアルバムだそうです。なにしろコテコテのド演歌ばかりを恥ずかしげもなく世に送り出す事でいろいろ毀誉褒貶のある地元のノッポーン・レーベル謹製。まあ、タイ音楽好きは、このキンキラキンのジャケを見るだけでノッポーンと分かるんでしょうな。
 そしてレーベルは今回もコテコテを堅持、南の国の人々が日々織り成す喜怒哀楽を極彩色に描いてみせる。

 我々日本人にも十分に懐かしいフレーズをのんびりと奏でるアコーディオンと、何百年も前からタイでは、この楽器はこのように弾かれてきたのだとうそぶくように、まったりとした響きを歌うシンセとが絡み合いながら流れて行く。
 大昔、巡礼者の持つ尺杖の打ち鳴らしにまで遡れそうな、不思議に仏教くさいリズムがウッチャチウッチャチと泥臭く繰り出される。それらは、南の国の街角の喧騒や水田の水の温みの匂いを濃厚に含んでいる。

 なにより彼女の、ヒラヒラとひるがえる声が良い。コブシを伴いつつ裏声になり地声に戻り、時にロングトーンは「ア~アッアッアッアッア~アアアッ~ア~♪」くらいの癖のあるビブラートを伴い、そして舞うその歌声はあくまでも透明で、照りつける南の灼熱の太陽の下、吹き抜ける涼風を思わせるのだ。

 こんなの、現地で聞いたらどんな気分かね、などと汗を拭きつつ、夏の形の雲沸き立つ海の彼方を想う夏の日。



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ボレロとマリアッチの幻想

2011-07-24 00:53:18 | 南アメリカ

 ”Coleccion de Oro”Javier Solis

 台風が運んできたつかの間の”夏の初めの秋の一刻”は、はかなくも過ぎ去ってしまい、また炎熱の夏の日差しが戻って来た。
 まあ、海に面した観光地に生きる者としては、夏らしい夏が来て観光客たちにドッと繰り出してもらい、それなりに金を落として行ってもらわねば商売あがったりになってしまうのであって、夏の暑さは歓迎してしまるべきものではあるのだが。
 それにしてもクソ暑い日々であって、近くのコンビニに行く途中、ふと見上げた空の上に聳え立つ入道雲などには、もう、何とか勘弁してもらえないか、などと白旗を掲げたくなってしまうのである。

 目の前を走る国道に立ち昇る陽炎が視界を揺らし、見慣れた街角が熱に酔わされた意識によって見知らぬ異国の映画のひとコマの様に錯覚される時、妄想の向こうに聞こえてくるのは、たとえばこの、かってのメキシコの国民歌手、ハビエル・ソリスの歌声だったりする。話の進行の無理やりな部分は、酷暑に免じて許してほしい。とりあえず、幻の国境の南に広がるのはメキシコの荒野と昔の西部劇映画では相場が決まっていた。

 ソリスは、都会の音楽である切ないスローバラード、ボレロを、高らかにトランペットの鳴り渡る田舎の祝祭音楽、マリアッチの伴奏で歌う、というひねり芸で一世を風靡した歌手である。
 1931年生まれ、ボクサー志望の少年だったが、あるのど自慢大会で優勝したのがきっかけで歌手志望に転向する。1950年代の半ばにレコード会社のプロデューサーに拾われ、59年に吹き込んだシングル曲が大ヒット、人気歌手への階段を上り始める。ボレロとマリアッチの混合なる物は、彼の先輩歌手たちも試みはしたのだが成功させえずにいたものという。

 美声を深く震わせソリスは、いかにも細かいところまで神経の行き届いた歌唱法で、とろけるように甘美なラテンのバラードを歌い上げる。男っぽさと女々しさの微妙な混交のうちに、罪深いという表現が妥当に思えるほどのラテンの美学が吹き零れ、一夜の夢と消え失せる。
 次々に、いかにもラテンの世界の伊達男、といった手触りのヒット曲を放ったソリスだが、それもつかの間、1966年、水疱の手術の失敗が原因であっけなくこの世を去ってしまう。

 歌手物語の起承転結を数える暇もない。指を触れれば壊れてしまうかに思える微妙な結晶のような彼自身のボレロの危うさにそのまま準じたかのように、彼は30代半ばで、この世を去っていった。
 このあたりも、まるでソリスの生が炎熱の下の陽炎が描き出すつかの間の幻想であったかのような印象を残し、まるでそれが定められた運命であったかのように人をして納得せしめる奇妙な作用をなす。いや、それもこれも照りつける夏の陽光の下の幻であるのだろうけれど。



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ニュー・ミュージック・マガジンな夜明け

2011-07-22 05:49:27 | 60~70年代音楽

 中村とうよう氏に関して何か書いておきたいと思うのだが。どうもとうよう氏の死をリアルに感ずることができず、何の文章も浮かんでこない。そもそも自ら命を絶つなどということがさっぱり似合わない氏であったのである。あるいは、わざわざ痛い思いをして命を閉ざさずとも、もう歳なんだから、後ちょっと待てば。なんて不謹慎なことを言いたくなるのがつまり、氏の事件を本気で受け取り切れないでいる私の証明なのであって。

 音楽を聴き始めの頃、「バイタリス・フォークヴィレッジ」なんてラジオ番組をやっていたとうよう氏を私は、「関係ない人」と外角低めに見ていたものだ。ストーンズやアニマルズをはじめとして、60年代イギリスのビートグループ専門に聴いていた私はとうよう氏を「フォーク好きの軟弱者」なんてイメージで捉えていた。今から思えばその頃の氏は、ディランをはじめとするフォーク会の新しい動きを日本に紹介する作業をしていた、ということなんだろう。

 それから程なく、「ニュー・ミュージックマガジン」の創刊となる。今の同誌と比べればまるで薄っぺらの同人誌みたいな手触りのあの雑誌を街の書店で見つけ、どういう感動を持ってそれを受け止めたのかも、もう覚えていない。
 ただ、「こいつは自分が待っていた雑誌だ。そして、この雑誌の向こうに広がる世界が本当にあるのなら、もう少し生きている意味もあるのかも知れない」なんて、入学した学校になじめず、すっかり落ちこぼれて友人もいず、ただ小遣いを貯めて一枚一枚買い集めるロックのシングル盤にすがりつくようにして生きていた当時の私は、感じたのではないか。と思う。

 その後、とうよう氏に反発を覚えてニュー・ミュージックマガジンを読まなくなったり、気がつけばまた読み直してみたりを繰り返しつつ、氏とあの雑誌に付き合ってきた。自分で自覚はなかったが、やはりあの頃は氏の掌の上で反攻したつもりになったり「うん、とうようも久しぶりにいい事を言ったな」とか分かったような事を言ってみたりをしていたんだろうな。「頑固親父に反発しつつ、負けたくないから勉強する」みたいな構図になっていたのではないか。
 その後、氏が同誌の編集長を降りたあたりで、こちらも誌名から「ニュー」の取れたミュージックマガジンとの縁はほとんど切れてしまったのだが。

 と、そんな歴史なら書けるが。この話をどう締めくくったらよいのか、とうよう氏に今回のような”終わりかた”を演じられてしまった今、見当もつかずにいる。

 下に貼ったのは、ニュー・ミュージックマガジンが創刊された年の大晦日、初日の出を待ちながら冷え切った夜の街を歩き回りつつ、なぜか頭の中で歌っていた歌だ。確か、当時話題になっていたロックミュージカル”ヘアー”の中の歌だ。
 あの時、何を自分はしていたのか。これからはじまろうとしている自分の人生に、明日の見えない落ちこぼれなりに熱い思い入れを抱き、その熱さをもてあまして冬の夜明け近くの町をうろつきまわっていたのではないか。
 よく分からないが、とうよう氏の訃報を聞いてふと頭に浮かんだ歌なのだった。




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やさぐれ歌謡最前線

2011-07-21 03:00:24 | 60~70年代音楽

 ”やけっぱちロック~やさぐれ歌謡最前線:ビクター編”

 台風は来るんだか来ないんだか、降ったりやんだりする雨を見つめて一日が過ぎてしまった、昨日。
 東電の原発を台風が直撃、炉が一つ、波にさらわれてどこ行ったか分からなくなっちゃいました、なんてことにはならないのかね。東電の説明担当者いわく、「まあ、どこかに流れていったとしても同じことですから」と説明する、なんてね。大スポンサーの東電の説明ゆえ、いつもの通り記者諸君、何も言わずに納得する、とかね。

 このアルバムをどう説明したものか。あのやさぐれた60~70年代をやさぐれて生きたお姉さんたちがやさぐれて歌ったダルな昭和歌謡を集めたものだ。冒頭、池玲子、杉本美樹と、当時人気のあったポルノ女優の歌が2曲ずつ収められている。まあ、そういう時代だったわけだ。とはいえ、このアルバムで私は彼女らの歌をはじめてまともに聴いたわけだが、いや、こんなにヘッポコだったとはね。
 私としては、このアルバムを聴いていると、70年代初めの頃の東京は新宿の裏通りの飲み屋とか、終電を乗り過ごして途方にくれている池袋駅前とか、当時のバンド仲間とか、そんなものを思い出すのだが、別種の思い出のある方もさまざまおられよう。

 あの時代。人々は今よりずっと生臭くて愚かで喧嘩っ早くてギトギトの生を生きていた。などと言っても、いまさら意味はないが。いやなに、間抜けな話だったんだよ、何もかも。
 ちなみにここにはヒット曲なんて一曲も収められていない。それが証拠に、今、You-tubeをさんざん探したが、収録曲はほとんど見つけられなかった。にもかかわらず、これはあの時代の音楽である。本当は中村晃子の「裸足のブルース」か内藤やす子の「ひとりぼっい」とか、張りたかったんだけどね。
 あと、「ケリ」が収められている山川ユキがやっぱり良い。ほらあの「新宿ダダ」の。といったって分かる人はそうはいないか。この子のアルバム、出してくれないものかなあ。いや、ユキが残したレコーディング、全部集めてもアルバム一枚にもならないのかも知れないが。

 ネオン花咲く新宿で、女の子が靴を投げ出し、一人歩いてくのだ。赤いドレスも車もなんにもいらなくなってしまったから。帰るはずのない男を一人待っていたり知らない町に電車で着いてしまったり、そこらあたりの腰抜けに私を口説けはしない、勇気と金のある人だけ私を口説いてごらんと立ち去ったり、二杯目のコーヒーは苦いがあなたはどうやら来ないらしかったり、あなたは死んでしまったり、でもあたしだったらどうにかなるわ、たかがおんなの人生じゃないのと自分で自分を抱きしめて口笛を吹くのだ、ぐれて流れて3年経って肌にゃ真っ赤なバラが咲くのだ。

 下の曲、本当はこの盤には原田芳雄ではなく、安田南の歌で収められています。でも、こちらがオリジナルらしいし、この時期だから、ね。



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機械仕掛けのサランヘヨ

2011-07-20 00:43:05 | アジア

 ”Golden Album”by Han Hyew Jin

 こういうのは近未来系ハードテクノ演歌とでも呼んだらいいんでしょうか?
 ドスドスと情け容赦もなく打ち込まれる機械打ちのリズム、電子楽器が奏でる硬質の電子音が渦を巻き、もはやすっかり手垢のついた印象のある映画・ブレードランナー的な”暗い近未来”のダークなイメージ乱舞の中、アルバムの主人公、ハン・ヘジン嬢の良く鍛えられたハフなハスキー・ボイスがコブシ効かせて炸裂します。

 この辺、いかにも力技を好む韓国人の趣向など感じますね。このようなべヴィな手触りの音空間の真ん中には、むしろセクシー路線の歌手のアンニュイな囁き声とかロリコンぽいカマトト声の少女歌手など置いて、その対比のうちに世紀末チックな退廃美を狙ったりするでしょう、普通?ところが、その重金属サウンドと勝負できるようなパワフルな実力派を連れて来てしまう。この辺、もう業ですな、韓国の人の。

 韓国のトロット演歌歌手、ハン・ヘジン嬢が2007年にリリースしたベストアルバムです。前半が、今述べたハードテクノなサウンド爆発の近未来演歌で、アルバム中ごろからガットギターが切なく爪弾かれサックスがむせび泣く、昔ながらのコテコテなトロット演歌サウンドにいつの間にやら戻っていて、こちらの方に”茶色の思い出”や”ソウルの夜”といった彼女の過去のヒット曲が集中している。

 ということは。前半のテクノな音は当時の彼女が押していた新路線だったんだろうか。彼女のアルバムをまだ全部聴けていないんでよく分からないんだが、この路線の音がもっとあるならぜひ聴いてみたいと思うんであります。これはいいよ、刺激的で。カッコ良いです。昔ながらの演歌も落ち着いて聴けて、いいんだけどね。

 ところで。彼女と同じハン・ヘジンという名の人気女優がいるんですね。検索かけるとそちらばかり出て来て、邪魔でしょうがない。まあ、世間一般では女優のほうが圧倒的に有名なんだろうけど。
 それにしても、韓国のことを調べているとかなりの確立でぶち当たる、この同姓同名問題。放置されているようなんだけど、なんとも思ってないんだろうか、韓国の人々は?

 というわけで、You-tubeでも女優の方のヘジンばかりが出て来てうんざり状態の中、何とか探し当てたのが下の動画です。このアルバムの7曲目に収められている「あなたは私の男」を歌っています。フルバンドをバックのテレビの歌謡ショーのひとコマのようで、テクノ演歌サウンドは聴かれないけれど、ハン・ヘジン嬢の豪快な個性はお分かりいただけると思います。というか、韓国の演歌歌手ってこんな個性の人が多いんだけどね、そもそも。

 歌ばかりではない、エネルギッシュに恥ずかしい振り付け、バックのバイオリン弾きのお姉さんまでがエッチなミニの衣装でサービスしてしまう、この大衆音楽の真実をお楽しみください。



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太陽と風の彼方に

2011-07-17 03:38:18 | ヨーロッパ

 ” Barí”by OJOS DE BRUJO

 スペインはバルセロナ出身のバンドだそうで、これが2002年に発表した2ndアルバムとのこと。なんか5~6年前に来日もしたようだが、わが国にどれだけのファンがいるんだろ?
 やっている音楽を一言で言ってしまえば、ヒップホップの要素を含んだフラメンコ、というところなんだろう。ハスキーな女性ボーカルとガットギターが中心となり、真正面から血の気の多そうなフラメンコ表現を突きつけてくるが、使われるコードがときにメジャー・セブンスぽくって、その世界をあまり泥臭い方向に行かせない工夫がなされているようだ。

 その裏でボコボコと都会の翳りを漂わせつつジャズィーなエレキ・ベースが唸り、リズムを刻むコンガとタブラとスクラッチ。ギターとボーカル掛け合いの素朴な世界に、唐突にホーンセクションが絡み、フラメンコから突然、キューバンっぽいラテンに流れたりする。
 女性ボーカルが早口言葉風ラップからお経みたいなノリになり、それに引っ張られるようにバンドがインド音楽化するあたり、なかなかエキサイティングな体験だ。そういえば、フラメンコ・ギターとインド風バイオリンの掛け合いなど、なかなか聴かせる。

 とか書いてみるとなんか楽しい世界みたいだが、いや実際、さまざまな音楽の要素、あちこちに顔を出してそれなりに楽しいのだが、あまりあちこち脈絡なく飛び回られると落ち着かないというか、いったい何の音楽だったのかと聴き終えてから首をかしげたりする破目になる。
 ”フラメンコを基調にしたかくかくしかじかな音楽”と、ミクスチュアならミクスチュアで、自分らなりのサウンドを確立してくれたほうが私なんかは聴き易いのだが。というか、私なんかは聴いていると”フラメンコ、勢いあまってインド音楽になだれ込む”なんてあたりが一番血が騒ぐんでその方向専門になってくれるとありがたいんだが。

 強い太陽の光と乾ききった大気と吹きすさぶ風の中で煮しめたみたいな、深い孤独の手触りがある盤だ。



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