ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

ヘッポコ・ロードに吹く風は

2008-08-31 04:38:45 | その他の日本の音楽


 ”YUI”

 YUIという、最近人気の日本のシンガーがおりましょう?彼女が”制作活動に専念するために歌手活動を一時休止する”なんてニュースを見ましてね、彼女、YUIについて書いてみる気まぐれを起こしたんですが。

 ブログ仲間のころんさんの名表現の一つに、「YUIみたいに、ギターをジャカジャカやりながらヘッポコな歌を聞かせてくれるのでは」というのがありまして、ですね。私はこのフレーズを読んだ途端、それが浮んだパソコンの画面めがけて吹き出した、という次第で。
 いやもう、YUIのいかにも腹に力の入っていない頼りない発声法でヒラヒラ歌う感じはなんとも”ヘッポコ”の呼び名にふさわしく、思わず笑ってしまったのですがね。

 でもって、YUIご本人にも”自分はロック・シンガーだ”みたいな自負といいますか思い入れがあるみたいで、その辺の意識とヘッポコ歌唱との落差あたりにも私の笑いの触覚に触れるものがあるのでありましてね。
 いやまあ、リバプールからもウッドストックからも遠く離れて時代もここまで過ぎてしまって、いまさら”それはロックの名に値するのか?”とか”そもそもロックとは”なんてグダグダ言ってみたって滑稽なだけであってね。そんなこと言ったってしょうがないです、それは。

 しょうがないんですけどね、だけど。私なんかはエレキ・ブームもあった、ビートルズも来日した、なんて子供時代を送り、もうちょっと小生意気な年頃となると、あの騒然たる世情の中で、海の向こうから聞こえてくる”ニューロック革命”のうねりの噂などに身を熱くしていた、そして同じような思いで青春の日々を過ごした仲間たちが辿った、決して平坦ではないその後の道のりなど思い返すにつけても。

 とか。ほら見ろ、やっぱり時代錯誤の昔話をはじめちゃった私も相当なヘッポコオヤジと言われてもしょうがないね、うん。人の事を言える立場かというのさ。
 けど、”ロック”の看板を掲げられちゃうと、やめときゃいいのに余計な事を言い出してしまうバカ正直な性分でやんす。あ、なんの話をしていたんだっけか?ああ、YUI・・・

 いや、彼女も彼女の世代の人々には、なにごとか与えているものがあるのだろうと想像はつくんだよ。私には理解できないだけでね。
 けど、そんな物分りの良い事を言うオヤジなんて、いかにもありがちでつまらないでしょ?と思ってこんな文章を書いてるわけですが。

 ○歌手のYUIが公の活動を一時休止
 (ORICON STYLE - 08月30日 08:01)
 歌手のYUIが29日(金)付の公式ホームページの日記を更新し、テレビ出演やライブなどの公の活動を一時的に休止することを発表した。
 YUIは「ちょっとの間ですが、公の活動はお休みして、また来年に向けて制作活動に専念しようと思います。来年、素敵な作品をたくさん作ろうと思っています!」と発表。「日記もちゃんとUPするので、皆さん待っててくださいね」とも記しており、公式ホームページの日記は継続していくようだ。
 4月に3rdアルバム『I LOVED YESTERDAY』を発売し、7月には12thシングル「SUMMER SONG」を発売。どちらも週間ランキングで1位を記録しているYUI。5月~7月には、自身最多となる全国22会場25公演を回るツアーも成功させている。
 現在は新曲のレコーディング中で「制作作業も順調に進んでいて、新曲ももうすぐ完成します☆応援歌です!自信作になりました」と綴っており、秋にはリリースになるようだが、その後は制作活動に専念するために、露出を控えるようだ。
 YUIは05年2月、月9ドラマ『不機嫌なジーン』(フジテレビ系)主題歌『feel my soul』でメジャーデビュー。06年、映画『タイヨウのうた』に初主演し、女優デビュー。役とリンクさせたYUI for 雨音薫名義で主題歌『Good-bye days』をリリースし、ヒットさせた。アコースティックな曲だけでなく、07年1月発売のシングル『Rolling star』ではエレキギターを抱えてロック路線にも挑戦。繊細な歌声は“天使の琴声”とも評されている。

オタケビの海

2008-08-30 03:01:35 | ヨーロッパ


 ”Guano Nitrates ”by The Valparaiso Men's Chorus

 アフリカゾウの雄叫びみたいな素っ頓狂なスーザフォンのソロに導かれて始まるのは、トム・ウエイツが5人集まったみたいな強力なダミ声のオヤジたちの野卑なコーラス。
 リズムを刻むのは大太鼓と、とりあえずそこら辺のものをぶっ叩いてみた、みたいなパーカッション群の雑な響き。
 ともかく、こんな汚ったねえ男声合唱が吹き込まれた音盤って、相当に珍しいものと思いますぜ。

 よく事情が分からないのだがこの盤、どうやらヨーロッパと、まだ植民地時代の新大陸アメリカをつないでいた船の水夫たちの間で歌われていた俗謡の再現を試みたもののようだ。
 ようだ、とあまり確信が持てないのは、ともかく柄の悪い酔っ払いの宴席みたいな怒鳴り声が最初から最後まで響き渡るので、何か他の意図を持って作られたアルバムであるような気もしてならないからであります。

 とはいえ、取り上げられているのは確かに、18世紀から20世紀はじめにかけてイギリスとアメリカをつなぐ北大西洋航路の帆船で働いた人々に歌い継がれていた水夫たちの労働歌、いわゆる”Sea Shanty ”ばかり。
 そして荒っぽいコーラスのバックには、確かにアコーディオンやペニー・ホイッスルといった楽器がトラッドっぽい隠し味を加えてもいて、決して雑に作られた盤などではないと理解は出来るんですが。

 これがもっと学術的な響きのある、「私たちは英国古謡の研究をしております」みたいな誠意溢れる歌声で歌われていたならば、こちらも素直に納得して聴いていられるんですがねえ。
 ジャケも、サメの頭と蛸の足の絵をあしらった妙なもので、どう考えてもブラックなユーモアのたくらみを秘めた盤の雰囲気は漂うのよなあ、う~む・・・

 とか、分かったような事を書いてますが、シー・シャンテの詳しいところなんて当方も知ってはおりません。漠然と”19世紀頃の帆船の労働歌”と認識しているだけで。
 水夫にはご存知リバプール出身の実はアイルランド移民、なんて連中も多かったようで、この音楽もその流れを汲むものと考えていいんでしょうな。
 ガラガラ声のコーラスに気をとられてしまうんだけど、確かにそのメロディラインの美しさ、遥かなるケルトの響きと感じられなくもないのです。

 収められている曲の中では2曲目の”Blow the man down”がもっとも有名のようです。
 ここでいう”Blow ”とは、荒くれ者の船員たちを服従させるために船の航海士が振るう鉄拳のことだそうで、まあ、この盤で披露される男性コーラスの荒っぽさは、そういう意味では妥当なものなのかも知れません。
 その他、まだ英国の植民地であった頃のニューヨークの酒場で、イギリスからやって来た水夫がホステスのネーちゃんに金を巻き上げられる話を面白おかしく歌い上げた”ニューヨーク・ガールス”など、なかなか面白い曲が聴けます。

 それにしてもラストに収められている”Rosyanna”って歌は。私はこの歌、アメリカ・フォーク界の長老ピート・シーガーが、旧友の息子であるアーロ・ガスリーを従えてのコンサートを行なった際にエンディングを飾った曲として思い出があるんですがね。
 あのシーガー&ガスリーのヴァージョンは、オカに残してきた恋人を慕って船乗りが歌う恋歌、という切なさをよく歌い上げていたと思うんだが、この盤の、美しいメロディもぶち壊しの岩石みたいな仕上がり。恋人がどうのというよりセックスしたいだけと違うんか、こいつら。

 いや、笑っちゃいますわ。でもまあ、これが働く男の世界のリアリティですかねえ。

夏の終わりのPersian Love

2008-08-28 01:37:58 | ヨーロッパ


 ”Movies” by Holger Czukay

 さっき。というか夜の9時頃だったのだが、西の空に一掴みの雲がかかっていて、そいつがなぜか薄い桃色に染まっていたのだった。夕焼けの残照と考えるには少し時間が遅過ぎ、なぜそのようなものが空に浮んでいたのか分からなかった。
 ふらりと近所のコンビニに買い物に行った帰りだったのだが、そんな雲の浮ぶ空の奥深くからは、どうやら相当に大型のヘリコプターのものかと思われる爆音がずっと聞こえていて、こいつも妙な雰囲気に一味加えている。

 私の街は飛行機の定期航路からは外れているのだが、山一つ越えた先には自衛隊の基地があり、そこから飛んできた飛行機やヘリコプターが、どうやら訓練のためらしい周遊を繰り返したりしていることがある。その音には訓練と分かっていてもなにかものものしい、”非常時”の響きがあり、地上で日常生活を送るこちらを妙に落ち着かない気分にさせるものがあるのだった。

 空の奥深くから主の姿の見えぬまま降って来る爆音と、かすかに桃色に染まった雲の塊。まだ夏の雰囲気を残す街の海岸では観光客が打ち上げる花火の音が響き、歓楽街のネオンは昔と変わらぬ毒々しい光を通りに投げかけている。
 そんな風景の中に身を置いていると、誰も知らぬうちに正体不明の戦いが今、戦われ、さっき人類は全滅したのだが誰もその事実に気が付かず、だからこれまでと変わらぬ生活が続けられている、そんな間の抜けた終末の物語が頭を過ぎるのだった。

 ”Movies”は1938年生まれ、第2次大戦後に移り住んだ西ドイツで育ったポーランド人であるホルガー・シューカイが80年代、ロックの世界で国際的注目を浴びるきっかけとなった作品だ。ホルガーが師事した現代音楽の大家、シュトックハウゼンの影響の濃い、さまざまな音楽要素を切り貼りしたコラージュ作品となっている。

 このアルバムに収められたホルガーの出世作、”ペルシャン・ラブ”は、ホルガーが偶然聴いていたラジオから採取したイランの歌手の歌声と、ホルガーの演奏によるシンセサイザーやギターの演奏をテープの切り張りしたものによって構成されている。
 今、このアルバムを久しぶりに聴き返してみると、イランの歌手の歌声とホルガーの演奏とが非常に巧妙に構成され、実に自然に一つの音楽の流れを作り出しているのを再確認し、改めて嘆息させられる。そもそもが偶然流れて来た、歌詞の意味も歌手の名も音楽のジャンル名も知らぬ状態でホルガーがかってに”共演”してしまった音楽であるにもかかわらず。

 それと同時に、そこに聴かれるすべての音要素がことごとく非常に滑らかに輝き、現実から離れた一個の夢の世界を構築している事にも気付かされ、その叙情の美しさにもいまさらながらにではあるが息を呑まされる。夏の夜、いつの間にか中天に昇り、夜の王として君臨する満月の存在に気が付くみたいな呼吸で。

 リアルタイム、聞く側のこちらも肩を怒らせて「これが今、最先端の音なのである」などと勢い込んでこの音を聴いていた頃には気が付けなかった、これは美しさだ。
 ホルガーがラジオから偶然流れ出た異国の見知らぬ音楽をキイとして引き出してみせた、意識の中の”第三半球”に秘められていた美の世界の開示。

 その後ホルガー翁は、お得意のラジオ音源に取材したコラージュ音楽から、若き愛人の歌声などをフィーチュアしたエレクトリック・ポップなどに創作の機軸を移し、当方の関心の範疇から離れて行ってしまったのだが。そんなありがちな”現実”から聞こえてくる音なんか、興味はないからね、こちらは。

 気が付くと時は深夜に至っている。西の空からとうに桃色の雲は姿を消し、ヘリコプターの飛行音も途絶え、街はただ水割りのグラスを満たす氷の音、そんなものの気配のみが支配する時間となっている。さらに時が行けば、いつか残酷な朝がひりつく太陽の光とともにやって来て、すべての幻想をこの大地から洗い流してしまうことだろう。
 それまでは、この名も知らぬイランの歌手の深く巧妙なコブシのかかった歌声と、ホルガーの奏でる済んだギターの音が絡み合い織り成す幻想に酔っていることとしよう。

面影の世果報に

2008-08-26 03:07:56 | 沖縄の音楽


 ”ゆがふ”by 普天間かおり

 ”ゆがふ”とは、すべての人々が平和で健やかに生活が出来る、そんな世の中を表す言葉だそうな。

 沖縄出身のシンガー・ソングライターである普天間かおりのバイオグラフィーを見ると、”琉球王朝の流れに生まれる”なんて書いてある。
 この事に音楽上、どれほどの重さを見るべきか当方には分からないのだが、彼女の音楽自体には特に濃厚な沖縄音楽の伝統臭は感じられない。
 まあ、その種のものを期待するのはワールドミュージック好きの野次馬たるこちらの余計なお世話なのであって、沖縄出身のミュージシャンが東京や大阪の同業者と同じタイプの音楽をやったらいかん、というものでもない。

 それは別にしても、普天間かおりの音楽は”重厚なメッセージを込めた歌を感動的に歌い上げる”という方向に主眼が置かれているようである。公式サイトの曲目紹介にも、”この歌が歌われると感動して泣き出す人が”なんて表現も多く見られる。
 根が時代遅れの裏町詩人で、”しがない歌謡曲”にこだわる当方としては、そのような志の高い音楽は苦手であって、彼女のファンになるのは諦めた次第。

 普天間かおりは見た目も美しく、また”王朝の血を引く”なんて話は好きなんだけどねえ、残念だ。
 でも、そんな彼女のアルバムで好きな一枚があって、それがこの”ゆがふ”なのである。

 このアルバムには彼女のペンになる作品は収められていない。代わりに”芭蕉布”やら”ティンサグの花”といったスタンダードな沖縄もの、そしてさらにベタな”花”や、あるいはザ・ブームの”島歌”などという曲目までもが歌われている異色のアルバムである。
 普天間かおり自身の解説文によればこのアルバムは、彼女自身が幼い頃から親しんできた民謡やわらべ歌、あるいは沖縄にちなんだ有名曲などをあえて歌ってみたものだそうだ。
 つまりは一旦、”感動を与える歌い手”という立場を離れ、肩の力を抜いて自らの足元を見直し、ルーツを検証してみたアルバム、と理解したのだが。

 ここに見られる普天間かおりは、まさに等身大の喜怒哀楽を歌う普段着の歌い手であって、いつもの空の高みを目指して飛翔する”感動の送り手”ではない。
 彼女の、ここでは体温までも感じ取れるようであって、こんな音楽を心の一番柔らかな部分に秘めつつ、彼女は歌っているということなのだろう。
 こんな音楽ばかりをやっていてくれたらなあ、などとつい思ってしまうのだが、いやいや、人は”更なる何か”を求めて、この優しい土地をある日、立ち去って行くものなのだろう。更なる高みを目指して。

 まあ、進歩ない世界で安酒に呑んだくれて一生を終えるのは、根っからの裏町詩人の当方だけで十分か。

街に夜明けが来る前に

2008-08-24 02:44:24 | その他の日本の音楽

 ”歌謡曲番外地・悪なあなた”

 これは要するにどのような趣旨のコンピレーション・アルバムであるのかなあ?とCDに添えられた解説文を読むに、”1970年代女性歌謡曲の持つバッドでセクシーでフューリーな”側面を掘り起こさんと意図した編集となっているようで。と言ってもまあ、分かったような分からないような話ですが。
 まあ、リアルタイムを知ってる私には懐かしかったり「え、こんなのあったの?」と驚きだったりの曲が目白押し、70年代歌謡史の裏面を飾った、”ビッチな”男と恋と夜遊び大好き少女たちの歌声が次々に炸裂する総天然色のポップス再発掘アルバムです。70’バッドガール歌謡大集合というところ。

 バックのサウンドにときおり立ち込めるのは、ファズのかかったギターにモコモコと揺れ動く妙に手数の多いベース、鋭く切り込むハモンド・オルガンと、なんだか60年代末に盛り上がりかけながら70年代に入り、いつの間にか失速してしまった”ニューロック”の残党の面影だったり。
 あるいは、「ああもうこの頃にはキャロルなんかも人気ものだったんだなあ」と知らしめてくれる、見事に割り切れつつスイングするロックンロールのサウンドだったりし、なるほど、このあたりが時代の転換期だったんだなといまさらながらに実感させられるのでありました。

 主役たる女の子たちの歌声も同じく、背負う背景はそれぞれ微妙に違うように思える。
 60年代というより昭和30年代といった方がニュアンスが伝わりやすい感じの昔ながらの”不良少女”の”貧困”と湿った性の香りを漂わせつつ暗い情熱を”男”にぶつける世界もあれば、性という遊戯への誘惑をあっけらかんと掲げ、その快楽を謳歌する世界であったり。
 曲調もまた、さまざま。尖ったロックンロールもあれば、後のアイドル・ポップスを彷彿とさせるハッピーな一作もあり。
 まあ、これらは歌い手の子たちが背負っていたものというより製作スタッフの側の時代の捉え方に起因するのでしょうけど。

 女の子達のボーカル・スタイルもまた各人各様で、あるいは迫力あるハスキー・ボイスで、あるいはまるで天真爛漫なアイドル声で。あるいは艶歌のルーツを剥き出しにし、あるいはハーフの娘特有の回りきらない舌つかいで、それぞれにおとなしくなんかしてる場合じゃない日々へのマニフェストを歌いまくる。
 共通するものを無理やり挙げれば、どれもヒットなんかしなかった。でも、一度聴いた者の心には妙に後味を残したのではないかと思われる。そんなところか。

 要するにこれらの歌は実は、奇妙に煮えきらぬままに何もかもがいつか知らぬ間に変質して行ってしまった、あの70年代という時代に対し、さまざまな視点から掲げられた”居心地悪さの表明”だったのではないか。
 これらの音楽に関わった者たちが、そのようなことに意識的だったとは言わない。彼らはただゼニカネ欲しさに”売れる”ヒットポップスを作ろうと足掻き、結果、無意識にそのような水脈に至ったのだろう。

 そしてこれらの音楽は時の流れの中で歪んだ表現部分を削ぎ取られ、綺麗に整備されて80年代に”アイドル・ポップス”として蘇るのだが、そぎ落とされたささくれだった魂、これらは解決を与えられることなく闇に消えて行き、その行方は遥として知れない。
 最終曲、太田とも子(彼女の他の録音も、あるなら聴きたい!)歌う”遥か群集を離れて”の、見えてこない明日を待つじれったさを叩きつけるような迫力の歌唱がいつまでも心に残る。
 そして、曲調も歌唱スタイルもすでに完全にアイドル歌謡、にもかかわらずその存在は見事なまでにバッドガール歌謡、という渚リールの痛快な一発、”プレイガールNo1”もまた。

 ”街に夜明けが来る前に ああ 命を捨てきろう”

 (”プレイガールNo1”歌・渚リール、作詞・石坂まさを)

女子高生島歌戦記

2008-08-22 02:27:06 | 沖縄の音楽


 ”アダンの実”by 麻乃

 今は本名の伊禮麻乃を名乗って、どちらかといえば”Jポップ”寄りのサウンド展開をしている沖縄出身のシンガー・ソングライターの、若き日のご乱行(?)アルバムである。なにしろ”怪作”なんて書き方をしている批評にもであった事があるからね、この盤。
 あ、彼女の名は知らない人でも、彼女の歌声は耳にしているんじゃないかなあ。日清オイリオのCMソングであるでしょう、「ビュ~ティ~フル・エ~ナ~ジィ~♪」っての。あの、フォークロック調のメロディを沖縄民謡のコブシ入りで歌っているのが伊禮麻乃です。

 彼女はともかく音楽に関しては早熟の天才とも言うべき人のようで、高校生の時に古典音楽三味線優秀賞、古典音楽太鼓優秀賞など、さまざまな賞を得、その上、琉球古典音楽安冨祖流教師免許なんて資格まで取ってしまっている。最年少だそうです、この資格を高校1年で取ったなんてのは。

 そのまま順調に音楽生活を続けている彼女なんだけど、その音楽を聴いてみると、その種の才能ある人に時にある器用貧乏の気配も感じないではないのですね。洗練されたポップスもあれば、ド~ンとディープに民謡を聴かせてみたり。
 どれも見事に出来ちゃうんで、焦点が絞りきれないんじゃないか。私としてはやはり、彼女の出発点である民謡をもっと聞かせて欲しい気がするんだけどね。まあ、私が言いたいのはどっちかといえばこれなのかも知れない(?)

 伊禮麻乃のファンになったのは、何か調べごとがあって検索を重ねていた際、偶然、彼女のインタビュー動画を収めたサイトに出会ってしまってからだった。
 彼女は三線を抱えて芝生の上に腰を下ろし、弾き語りで民謡を歌ったり、自分の生い立ちや音楽に対する考えなどを語っていた。その快活な語りや立ち居振る舞いがなんとも気持ちよく感じられた。
 で、私は「なんだか元モーニング娘のヨッスィーこと吉澤ひとみみたいな”オトコマエ”な良さのある子だなあ」なんて思いつつ見ているうちに、彼女のアルバムをすべて集めたくなっていた次第。

 で、話は彼女のデビューアルバム、”アダンの実”なんだけれど。

 これは上に述べたような絢爛たる”音楽賞ハンター”ぶりを展開していた高校生当時の伊禮麻乃が、自身の三線や鼓にドラムやベースといったリズムセクションを加え、レゲやファンクの要素もある、いや、”ヒップホップ調”とか”クラブっぽい音”とか言った方が通じやすいのかな?ともかくそんな方向性のバック・トラックを創造し、自在に沖縄民謡の古典を歌いまくった一枚である。

 今のオトナの彼女と比べるとまだまだ幼い伊禮麻乃の歌声の自由さが心地良い。ここで展開されているサウンドがどこまで彼女の意向に沿っていたのか分からないのだが。
 ともあれ、やや荒い、隙間の多い音作りゆえにサウンド全体に圧迫感がなく、それに乗って傍若無人の女子高校生たる若き伊禮麻乃がやりたい放題”沖縄古典”を遊びまくる、この痛快さが最高なのさっ!

 怪作なんて言う奴の気が知れないね。こいつは沖縄民謡アルバムの大傑作と私は思うぞ。願わくは伊禮麻乃に”アダンの実2”とか”帰って来たアダンの実”とか”アダンの実の逆襲”とか、作って欲しいです。いや、本気で。

”黄金の花”に偽善を読む

2008-08-20 01:08:05 | 沖縄の音楽


 というわけで今回は、主に沖縄音楽好きの間で評価の高いらしい”黄金の花”なる歌についてここで考えてみたく思います。

 岡本おさみ作詞・知名定男作曲。ネーネーズの歌唱がどうやらオリジナルで、その後、いろいろな歌手たちがレパートリーに入れています。
 この歌は沖縄音楽関係者の間で、すでに”名曲”みたいな扱いを受けている。それが定評、みたいになってるけど、私にはなんだか聴いていてどうにも気色の悪い気分になって仕方がないんですね。これについて考えてみたいというわけです。

 歌詞を載せていいのかどうか。幸い、全歌詞を掲載しているサイトがあったので、下にそこのURLをリンクしておきます。読んでみてください。

 ●”黄金の花”の歌詞●

 この歌、どうやら海外から日本に出稼ぎにやって来た人々に呼びかけるという仕様のようです。日本の生活のペースに巻き込まれ、心を曇らせないでと呼びかけているようなんですが。
 私がこの歌を聴いてまず首をかしげたのは、彼ら”きれいな目をした人たち”は「黄金の花はいつか散る」ことを、いちいち我々が”指導”してやらないと気もつけない連中なのか?ってことです。

 この詩を読んでいただければお分かりになるかと思うんですが、ここでは彼ら”他所の国の人々”は、ろくに判断力もなく、ただただ助力を必要としているひ弱で無能な人々、そんな風に描かれています。そんな風にしか私には読み取れません。
 少なくとも、彼らの伝統や文化に対するリスペクトってのはこの歌詞の中からはまったく読み取れませんよね?

 そう思って読み直してみればこの歌詞、物言いは丁寧なように見えますが、すべて上から目線です。この詩の中では海外からの人々はまるで、明日にでも死にそうな病人か老人みたいにみえます。
 彼らはあくまでも、”よりすぐれた上位者からの庇護や助言を必要としているひ弱な人々”なんですね。で、その上位者ってのは「もちろん、我が優秀なる日本民族である」なんて奢った意識、この歌詞の裏に脈々と息付いてはいないか、もしかして?

 だって、ここには彼らを、”もしかしたら我々の側こそが教えを請わねばならぬ貴重な文化をその内に秘めているかもしれない人々”なんて形で敬意を払おうなんて姿勢は覗えないんだから。ただただ”弱者”として、庇護の下に置かれるべき非力な人々として扱われているんだ。
 
 どうやらその辺で私は、この”黄金の花”って歌に、というかその歌詞に反発を覚えているようなのです。
 
 この曲の存在意義って、なんなのか?
 何のことはない、この歌を作り、あるいは歌い、あるいはひいきの歌手がそれを歌うのを聴き、「ああ、弱い立場の人々を思いやってあげている私って、なんて心優しく正しい人なのっ!」と自分に感動する、ための、自己陶酔するための、自己満足するための、お茶番ソングじゃないのか、つまりは。

 そう思うと、なんかムカムカしてくるんですがねえ。沖縄のミュージシャン諸氏よ、あの歌にそのような違和感を抱いたことってありませんか?

でぃご座の華、歌う

2008-08-18 22:46:28 | 沖縄の音楽


 ”でぃぐう”by 仲田正江とでいご座一行

 またも沖縄島歌関係で恐縮です。

 今回のアルバム、そもそもは、現地沖縄のレコード店の”店頭演奏すると、かならずといっていいほど売れる”なんてコメントに惹かれて購入したのでした。聴いてみると確かに気持ちの良い響きの歌が飛び出して来て、「なるほどこれは欲しくなってしまうな」などと分かったつもりになって頷いたりしたものです。
 まあ、沖縄の人たちが共鳴したのと同じ部分に当方の心が動いたかは保証の限りではないですが。

 ともかく当方の感性にヒットした部分を分析してみれば、まずこの仲田正江という歌手の歌声ですね。基本は沖縄島歌の伝統的な発声法なんですが、どこかにメタリックな、硬質な響きがあり、そのあたりから非常な今日性、同時代感を感じ取ることが出来るんです。
 さらにまた、ちょっと鼻にかかった歌声でもあって、まあ、頓狂な喩えをしてしまえばアイドル時代の松本伊代が島歌を歌っているみたいに聞こえる瞬間もある。
 硬質な、人工的とさえ言ってしまえそうな響きと、鼻にかかり具合。このあたりのテクノなファンキー感覚、今をときめく”パフーム”の連中とだって張り合えるのではないか。とか言ってみたりしておく。

 バックの音も、音数を必要最小限に抑えつつも非常に挑戦的なアレンジに取り組んでいるのが分かって、これもなかなかに刺激的で気持ちが良いのですな。
 それやこれやあって、収められているのはまったくオーソドックスな選曲の島歌名曲選なんですが、非常に新鮮な響きが盤の隅々にまで漲っていて、実に華やかな印象を与える。このへんが人気の秘密ではあるまいかなんて、かってに推察する次第で。

 ところで、このアルバムの主、仲田正江と言う歌手は”沖縄喜劇界の女王”なるかたのお孫さんなんだそうです。彼女自身も劇団の座員のようで、だからこの盤は「でいご一座」名義なんですね。
 収められた音楽の中にも、”演劇っぽさ”は結構濃厚に影を落としています。ことに、太平洋戦争末期に沖縄の地で起こった”姫ゆり部隊の悲劇”を凛として歌い上げたあとに、まるで鎮魂の歌みたいに、”えんどうの花”の童謡っぽい懐かしいメロディをそっと歌いだすあたりは真骨頂。なのでしょう。

 私が先に挙げた歌手のユニークな歌いぶりも、すでにステージで”でぃご座の華”としてキャリアを積んだ末に経験的に出来上がっていったものではないかなどとも想像するのであります。

 それにしても気になってならないのは、このアルバムで三線を弾いているのは誰なんだろう?ということ。
 そのプレイには、民謡的というより歌謡曲的意味で言うところの歌心が爪弾かれる一つ一つのフレーズに溢れそうであって、これはなかなかの個性の奏者ではあるまいかと。有名な人なのかなあ?気になります。
 発売元のンナルフォンレコードは、その種のデータをCDのジャケに掲載してくれないんで、こういうときに困るんだ。誰なんだろうなあ、三線弾いてるのは?

当年上半期鼻歌事情

2008-08-16 15:51:11 | その他の日本の音楽


 ”人の気も知らないで”by 沢知美

 先日、ネット上の知り合いのE+Opさんがご自分の日記にムーンライダースの”ヌーヴェルバーグ”所収の歌の中で、好んで口ずさんでしまう歌のベスト3を、”「スイマー」や「ジャブ・アップ・ファミリー」や「いとこ同士」”と書かれていたので、ははあ、ずいぶん趣味の違いというのはあるのだなあと感心してしまったのだった。

 ちなみに私が”ヌーヴェルバーグ”の中から鼻歌ソングを3つ挙げるとすると、「ドッグソング」「マイネーム・イズ・ジャック」「トラヴェシア」となろうか。
 E+Opさんは ”旬が短く腐りやすく 劣化の早い音に激しく反応する性向が”と、ご自分の趣向を分析しておられるが、真似して自己分析するとすれば私の場合、”メロディ主体の歌謡曲性への傾き”となろうか。

 何のことはない、安易に馴染みやすいメロディにただ傾斜して行く傾向が年を追うごとに強くなって行く。サウンドなんか、もうどうでもいい。いや、いいわけはないのだが、そちらはあくまでも歌をを成り立たせるための”従”としての認識しかない。少なくとも昔のように、「間奏のギター・ソロを聞きたくて、歌が終わるのをひたすら待つ」なんて聴き方はしなくなって久しい。

 で、まあついでだから、そんな私が本年前半によく口ずさんだ”鼻歌ベスト3”でも挙げてみようと思う。これがまあ、なんとも演歌の世界で弱ったものであるのだが、ワールドミュージック探求の過程で今、当方はこんな場所にいるとのとりあえずの記録である。

 まずは”奄美小唄”だろう。奄美の大衆音楽の巨人といえよう、三界稔のペンになるいわゆる”奄美の新民謡”の一曲である。
 ”名瀬の港の夕波月に♪”という歌いだしは、奄美音楽に傾斜しつつあった頃の私には、この歌を歌うとわが家の前の相模湾が奄美の海に変身して行くような錯覚があり、口ずさむたび、妙に血が騒いだものだ。今年の初め頃は、何かというとこの歌を口ずさんでいた。

 これは田端義夫の”島歌”アルバムで覚えた曲。もっとも、それが本当に初対面であったか確証がない。間に差し挟まれる奄美の方言に、かすかに聞き覚えがある。ような気がする。ひょっとして子供の頃、奄美ブームのまさにリアルタイムに田端義夫がテレビかラジオで歌うのに接していた可能性もある。

 それはともかく。私はこの歌の、あまりにも”しがない歌謡曲”性には惚れこんでしまったのだ。
 名瀬の港のちょっぴりエキゾティックな風景とエトランゼの感傷に耽る旅人がいて、はかない恋に溜息をつく乙女がいて、すべてを押し包んで暮れて行く夕暮れがある。
 いっぷくの絵のような歌謡曲ぶりで、単なる歌謡曲、それ以上でも以下でもない、そのつつましいありようがたまらなくいとおしかった。

 第2位。この場合、順位ってのに何の意味があるのか分からないが続ける。第2位は”思案橋ブルース”である。
 60年代末に流行った、いわゆるムードコーラスもの。この歌の、黒潮の流れに沿って東南アジアから北上してきた湿気というか風呂場の湯気と窓ガラスについた水滴みたいなものが昔から気になっていたのだ。

 この曲が今頃になってまた気になりだした理由は、別件の調べものをしていた際、現地において思案橋なるものも、その橋がかかっていた川も、曲が出来た当時には失われて久しかった、という事実を知ったから。
 とうの昔に失われた河の記憶の上に展開される人々の暮らしがあり、そこに地霊の囁きのようにふと湧き上がる歌がある。そのイメージは、地霊の表層をコンクリートで固めた近代日本の抱え込んだ呪い、みたいなものまで当方に幻視せしめたものだ。

 第3位。わが最愛の歌手、沢知美が1969年に世に出した唯一のアルバム、”人の気も知らないで”所収の一曲、”ポート・ヨコハマ”である。当時のテレビの深夜番組、”11PM”のカバーガールであったことしかおそらく人々の記憶に残っていないであろう彼女の、妙に心に残る一曲。

 分類すれば”ナイトクラブ系艶歌”とでもなるのだろうか。当時、すでに”ちょっぴりエキゾティックでオシャレな街”という評価も出来上がっていたのであろう港ヨコハマの夜の一叙景。夜霧に霞む通りの向こうにポツンと港の明かりが見え、とうに過ぎ去った恋の記憶が燃え残る胸を抱きながら、歌の主人公は海沿いの道を一人、歩を進めて行く。
 30年以上も経ってしまった今、そんな歌に恋してみても何の意味もありゃしねえ、と自嘲しつつも深夜、深酒に至るイントロとしてまず、この曲を聴かねば収まらない今日この頃なのである。

特攻花の咲く島で

2008-08-14 04:23:26 | 奄美の音楽



 ”特攻花”by 笠木透

 mixiの奄美大島愛好コミュに、作家・島尾敏雄が昭和33年から20年余りを”鹿児島県立図書館奄美分館”の館長として務めた際に住んだ住宅が道路整備のために取り壊される危機にある、なんて報告があった。
 まあ、私はその種の記念物にさほどの思い入れも持たないタチではあるのだが、島尾という作家も移り行く時の流れに押し流されて行くのだなあ、などと慨嘆などしてみたのも事実だ。

 島尾といえば当方が最近、入れ込んでいる奄美に縁の深い作家である。彼には有名な”死の棘”なんて作品の影に、”夢の中の日常”などというシュールな短編があり、太平洋戦争末期に特攻隊の指揮官として奄美の基地に赴いた際の体験に取材した「出発はついに訪れず」という重要な作品もまた、残している。
 というか。島尾は結構好きな作家で、そのどちらも学生時代に読んでいるはずなのに、何が書いてあったかほとんど覚えていないのだった、私は。情けないことに。

 せめて特攻隊の若者たちを思い、今度、後者だけでも読み返してみよう・・・などと思いつつ、8月15日が過ぎるとともに、そんな想いは忘却の彼方に押しやられてしまうのだった、毎年。
 怠惰の上に時は降りつつ。そう、こんな風に時はすべてを押し流して行く。

 60年代の終わり、あの中津川フォークジャンボリーを主催したことで知られ、以後も地味ながら日本のフォーク界に独自の地位を占めるシンガー・ソングライター、笠木透が奄美を舞台に”特攻花”なる歌を作っている。

 飛び立った特攻機が給油のために南の島に降りる。給油を終え、飛び立っていった特攻機はそのまま帰らなかったが、その機体にくっついていたらしい植物の種がその場に落ち、後に芽を噴き、あちこちに可憐な紅い花を咲かせた。南の島の人々は誰ともなくその花を”特攻花”と呼んだ。

 笠木のこの歌は、悲嘆を歌うではない、告発を行なうでもない。もとより、特攻などという戦術を賞賛するはずもないが。
 ただ、ほとんど軽やかといっていいリズムとメロディのうちに淡々と、特攻隊員の運命と、特攻花の伝説を歌う。それは、逝ってしまった特攻隊員たちの青春へのオマージュかと思いたくなるような爽やかさを持っていて、涼やかな後味を残す。

 しかしそいつは心の底にいつの間にか太く強い何かを残していって、そいつはいつまでも静かな、硬質な怒りを奏で続けるのだった。

 ☆特攻花(作詞・笠木透)

 ”風吹けば 風に揺れ 雨降れば 雨にぬれ
  小さ愛さ 紅い花だよ 小さ愛さ 赤い花だよ”