ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

ヘビメタの中心でアリランを叫んだ女

2012-02-29 02:00:17 | アジア

 ”Smile Again”by Hong Ju Hyun

 というわけで。ヤケクソでお送りしております”クソ寒い国の音楽シリーズ”は、さらに進行中なのであります。
 なんかあれだってねえ、明日、というかもう今日だな、ともかく明けて29日には関東とかにも雪が積もるんだって?ふざけたこと言ってくれるなよ、だよなあ。もう3月になるんだぜ。いいから。もう冬はいいから。まあ、皆がこの文章を読む頃には結果が出てるんだろうけど。やめろよなあ。もう寒いのは飽き飽きだ。

 韓国というのも、そりゃあクソ寒いんだろうなあ。韓国の食べ物の上にかけられた唐辛子の量にかけても。北のキム王族の代々が身にまとってきたオーバーの、その分厚さにかけても。
 実は昨年は韓国のトロット演歌がドッと”来る”のではないかと期待していたんですがね、あまりそうでもなかったみたいなんで拍子抜けしてしまった。いや、私のアンテナに引っかからなかっただけのことかも知れないんだけど。

 という訳で一昨年発売のこのアルバムなんかを2年遅れで聴くにつけても、やっぱりトロット演歌、充実してそうなんだけどなあ、と。
 このアルバムの主人公、ホン・ジュヒョン。若そうだけど歌の実力から考えて結構キャリアがあるのかも。なんの資料にも出会えてないんですが。韓流ブームとか言っても、トロットは蚊帳の外だなあ。
 ともかく冒頭。いかにも今日風なファンク演歌であります。どこぞの音楽を思い出させる、ボーカルにエフェクトかけて歪ませて電子コブシを表現する、なんて小細工も嬉しい一発。ジュヒョン嬢、堂々の歌唱。やっぱりこれ、かなり場数を踏んでるんだろうな。その他、スローものもじっくり情感込めて聴かせるのであって、これは良い歌手だねえ。

 なんてのんきなことを行っていられたのもそこまで。「ミステリ、ミッスミッステリテリ」「なんちゃらなんちゃミステリー」と聴こえる歌詞を、「ビンギラギンにさりげなく」みたいなメロディに乗せてまくし立てるアイドル演歌の4曲目にはまいった!ああ、こんな飛んでる曲も歌えるんだ。というか、こっちの方が生き生きしてる。
 その後、さらにパンクロックにアレンジされた「アリラン」が追い打ちをかける。ジャケ写真では民俗打楽器を手に、「パンソリがルーツなのかな?」などと思わせておいて、こりゃとんでもないロック姐ちゃんだった。ヘビメタ丸出しの甲高く金属的な声を思いっきり響かせる。バックコーラスも「テーハンミングッ!テーハンミングッ!」と民族意識を煽り立て、何を歌っているんだろうなあ、歌詞が分からないから聴いていられるのかもな、日本人の当方。なんぞと思う。

 凄いね、彼女、本格派の歌唱を聴かせるけど、ホントの良さは破調にあるようだ。 アルバムの後半、冒頭に置かれていたヒット曲のリミックスが収められているんだけど、ヒップホップ調に料理され直したそいつがさらにカッコいいのであって。うん、認めよう、彼女は逸材。持ってゆきようではすごく面白いものを作ってくれるんではないか。
 次作が楽しみだな。あるいは、他に作品があれば聴いてみたい。動画を見ると、なんか全盛時代の千葉マリアみたいなルックスで、これもいいじゃねえか、なんて言っても誰もわからん。

 下に画像を一応、貼っておきますが、ほんとに面白い曲はYou-tubeには上がっていないみたい。下の画像でも、一番彼女らしさが発揮されるのは、最初の挨拶の中で唐突に一言、奇声を上げて、でも浮いただけだった、なんて瞬間だったりして。

 寒いっスねえ、しかし。



読みたくも ない本もあり 長冬日

2012-02-26 22:40:44 | いわゆる日記

 ”Homogenic”by Bjork

 いつぞや、図書館の音楽本のコーナーにアイスランドの(クソ寒い国の音楽特集、続行中)ビョークのインタビュー本というかライフストーリー本のようなものがあるのを見つけ、ちょうどそのようなものを探していたところだったので、さっそく借りてきたのだが、これがえらい本だったのだ。

 なんかアメリカ人だかイギリス人だかの著者は、本来はフェミニズムの闘士かなんかの女性で、ひょんなきっかけで聴いたビョークの音楽に惹かれ、彼女に関する本を書く気になったとか、そんな事情のようだった。
 まあ、何に興味を持とうと勝手だけどさ。でもさあ。
 著者はビョークを追っかけて彼女の生活と意見、なんてものを訊き出し、ビョークの内面に鋭く迫る、なんて事をやって見せたつもりらしい。が、その実際というもの、なんともはや、なのであった。

 彼女はビョークの言動に、自分の持論と一致する(と彼女には思われる)部分を見つけると、「キャーッ!やっぱりそうだ。ビョークって、私と同じ事、考えながら生きてきたのよ。ねえ、これって凄くない!」と躁状態ではしゃぎ回り、逆に意見の一致しない、というより彼女には理解不能なビョークの言動に出会うと、「まあ、いろいろな考え方があるってこと」てな調子でスルーし、何事もなかったかのように別の話題に移る。なんスか、これは?

 なによりこの著者の御作品の耐え難い部分は、「男性の性的ジョーク」に話が及ぶと必ず、男性の生殖器に関わる汚いジョークを大張り切りで書き連ねることで、これには辟易させられる。
 なんなんだろう、この露悪趣味は。この著者の属する”運動”のセクトでは、「男性の性的ジョークには、それよりもっと下品な話題を返せることを示してみせる、それが女性の性的優位を証明する事につながる」とか、そんな認識になっているのか?どういう運動かと思いますが。
 そんな次第で、一冊読み切っても不愉快になっただけで、知りたかったビョークの生活と意見などさっぱり分からぬままに終わってしまったのだが。

 しかしビョークの芸風ってのもさ、この種の勘違いファンをきわめて呼び寄せやすいものであるってのもまた、言えることでさ。
 今回持ち出したアルバムは、ビョークがそれまで出していた”いわゆるロックの音”から距離を置いて、彼女独自の境地に一歩を踏み出した記念すべきアルバムだけど、まあ、聴き手のどんなに自分勝手な妄想でも引き受けうるような、一聴、へんちくりんな音世界ではあるのであって。

 でも残念ながらビョークはただ、やりたいことをやりたいようにやっているだけで、”運動”なんて自分の都合の枠の中にはめ込んで利用しようとしても、破綻は目に見えている。あなたの本がこんなことになってしまったのが、何よりの証拠だ。
 う~む、あの本のタイトルと著者名、なんだったかなあ。まあ、図書館に行って確かめてくればいいだけの話なんだけどね、もう一度あの本に対面する気にはなれないんだよね。という話であります。



北方に美神あり

2012-02-24 02:08:49 | ヨーロッパ

 ”Hyllning till livet”by Åsa Jinder

 スエーデンのトラッド界を代表する演奏家である彼女。
 Åsa Jinderの演奏は、北欧トラッドの世界ではおなじみの怪楽器、鍵盤バイオリンの紹介の時、その実例として、ここに映像を貼り付けたことがあったが。全く何度見ても異様な楽器であり、それを見事に操るÅsa Jinderの手つきも、なにやら楽器演奏というより妖術使い、といった風情の漂うものであった。

 まあ楽器のとんでもなさは置いておくとしても、その、いかにも北国らしい清涼感あふれるメロディを高らかに歌い上げる彼女の演奏は、聴いているだけでこちらの魂まで浄化されるみたいで、心地よかった。さらにはそのルックス、ショートカットも凛々しい典型的な北欧系美人であり、なーにが文句があると言うのかい。
 北欧トラッド聴き始めの頃は、Åsa Jinderのアルバムはどれも大愛聴したものだった。フォークロックっぽいサウンドをお供に、ほのかに憂いを含んだ美しいメロディを凛として編み上げて行く彼女は、まさに北方の美の女神だった。

 その後、時は流れ、彼女の音楽もずいぶんロックっぽいものに変わってしまい、いつの間にか聴かなくなっていったのだったが。80~90年代頃の彼女の盤は、たまに取り出して聴いてみる事はある。北欧トラッドの美しさのエキスを抽出した、くらいのことは言ってもいい傑作盤ばかりである。



夜、アイスランドを渡る

2012-02-23 03:30:31 | ヨーロッパ
 という訳でヤケクソ企画、”クソ寒い国の音楽”シリーズは、なおも続く。こうなれば冬の奴が根負けして春になってしまうか、こちらのネタが尽きるか、勝負じゃあっ!


 ”I annan heim”by Rokkurro

 チェロ弾き語りのしっとりとした女性ボーカルをメインに押したてた若手ロックバンドの、これが2ndアルバム。2010年作。
 デビュー作もこの場で2年程前に取り上げた記憶があるが、より表現を深めての第2作登場である。

 アイスランドのロック特有の、夜明けの夢の中で響いていた歌声の記憶を指で辿り返す、みたいな不思議な懐かしさと物悲しさを秘めたメロディは、このバンドでも顕著だ。そいつが、より”子守唄度”を増した女性ボーカルで歌われると、バンドの音全体が”アイスランド昔話”と化す。
 いやほんとに、今回聴ける女性ボーカルは、一人で石けり遊びでもしながら小さな女の子が口ずさんでいる昔々の遊び歌みたいだ。前作と比べてもまるで力みが抜けていて、のんびりマイペースで幻想を紡ぐ。

 ジャケに使われている、人力ロープウェイ(?)で川の上を渡って行く老人の写真は忘がたい印象を残す。彩色の調整により、まだ星の瞬く早朝の出来事、みたいに見せているが、おそらくは真昼間に撮られた写真なんだろう、もともとは。でも、この荒い彩色のおかげで彼は、薄明の妖精郷への旅行者となった。
 このジャケ写真と、ボーカルの女性の鼻歌唱法で決まりだなあ。このCDを聴く者はすべて、爺さんの後を追って人力ロープウェイに乗り北の妖精郷への旅に出てしまい、喧騒の現実世界に2度と還ってくることはないだろう。



ラップランドの音楽

2012-02-21 03:29:32 | ヨーロッパ

 ”Nils-Aslak Valkeapaa のアルバム2題”

 さて、クソ寒い土地の音楽特集は続いております。寒いっスねえ。今回はヨーロッパの北の果て、スカンジナヴィア半島のそのまた北辺、サンタクロースの住処(?)として知られるラップランドの音楽”ヨイク”であります。
 なお下の文章は大昔、ある通販レコード店のカタログの片隅に載せていただいたものであります。もう20年以上前に書いた文章で、今となっては公開するのが恥ずかしい部分もあるのですが、それなりに愛着もあるものなので、ここに再録させていただきます。

 ヨーロッパの北の果て、ラップランドに住む少数民族、サーミ人が行う謎の音楽、ヨイクなるものについて。
 サーミ人の詩人、Nils-Aslak Valkeapaaと、彼のよき相棒であるミュージシャン、Esa Kotilainenによる名盤、”Beaivi,Ahcazan”は、狼の遠吠えのごとき迫力の野太いボーカルによって執拗に反復される歌詞を持たないメロディと、太古の闇の底から聴こえ来るようなパーカッション群の響き、この呪術的音世界は強烈な出合い頭の衝撃を私にもたらし、気が付けば私はすっかり、このスカンジナヴィア半島北端はラップランド在住の北欧先住民であるサーミ人の音楽、ヨイクの虜となっていたのでした。

 虜になったのはいいのですが、この音楽、かなり不思議な代物であるのも確かで、(そもそも、なんで歌に歌詞がない?)なんらかの解説が欲しい。が、「この音楽はなんであるのか」といった疑問は文献にあたるにつれ、氷解するどころかかえって混迷を深めてしまう。なにしろ民族音楽の本にあたっても、「謎のディスクである」とか「この音楽の謎はますます深まる」なんて言葉しか見つからないのであって。

 などと言っているうちに、NilsとEsaの次作、”Eanan,Rallima Eadni”などが届いてしまうのでありますが、これはまた、違う風情を堪能させてくれる一発だった。
 このアルバムのオープニングは、あのオドロオドロのパーカッション乱舞ではなく、ラップランドの凍てついた夜空を流れわたる銀河の壮大な姿を想起させる。Esaの奏でるシンセの和音。そして朗々と響くNilsの唄声。聴いていると、太古のサーミ人たちが手彫りの丸木舟で宇宙に向かって漕ぎ出して行く、そんなイメージが脳裏に浮かび上がってくるのであります。

 いやあ、冬越えはこれに決まりだな。いつか空気の澄んだ夜を選んで、このCDとアルコホルをおともに海岸に出て、冬の星座でも眺めつつ、地球が自転のために地軸をゆっくりと傾ける仄かな音に耳を澄ませよう。そして、ラップランドに、サーミの人々に幸あれと乾杯を。




北国のトラッド

2012-02-20 06:19:13 | ヨーロッパ
 ”Folk och rackare”

 いかにも寒そうな国の音楽といえば、北欧トラッドも忘れることができない。
 スエーデンのトラッドバンド、フォルク・オック・ラッカレ。(正確にはスエーデンとノルウェイの合同バンド、とも聞いた)これは素敵な一枚だったなあ。
 これは76年発売のアナログ盤で、さすがにリアルタイムで手に入れはしていないんだろうけど、さて、どこの店で買ったものやら。

 ともかくその頃はこちらも、ヨーロッパのトラッドはまだイギリスのもの、フェアポート・コンベンションとかスティールアイ・スパンなどしか聴いていなかったので、初めて接する北欧のエレクトリック・トラッドバンドの新鮮な響きに、すっかり魅了されてしまったものだった。
 なにやら北国のキリっと澄んだ大気をそのまま真空パックしたみたいな鮮烈な響きのその音楽は、どちらかと言えば陰鬱な感触も無いではない英国諸島圏のトラッドを聴きなれた耳にはなんとも清々しく感じられたのた。

 そんな次第で、あちこちのレコード店を、北欧トラッド欲しさにめぐり歩くことになるのだが、これもお定まり、扱っている店などにはさっぱり出会えず苦戦を知られ、やっと手に入れた盤もまた、”北欧のミュージシャンは結構屈折しているんだなあ”なんてしみじみ感じさせるヘンテコ音楽ばかりだったりするのだった。フォルク・オック・ラッカレみたいにわかり易い音はむしろ珍しいのであって。
 もちろん、その楽しみかたが分かってくれば、それらヘンテコ盤たちも愛聴盤へと変わってゆくのだったが。

 それにしても、いつまでも寒いっスねえ。




モスクワは涙を信じない

2012-02-19 00:57:42 | ヨーロッパ

 ”Александра”by Tatyana & Sergey Nikitin

 クソ寒い日々が続くんでヤケクソで、あえて寒い国の音楽について書いてやろうと思う。
 「モスクワは涙を信じない」といえば1979年作のロシア(というか当時はソ連)の映画で、翌80年のアカデミー映画賞外国映画部門で黒澤明の「影武者」を抑えて大賞を得ている。
 その当時、アメリカ大統領の地位にあったロナルド・レーガンが、自身言うところの”悪の帝国”たるロシアの大衆のメンタリティを知るために、なんどもこの映画を観た、なんて話があり、これには苦笑を誘われたものだ。だって、”ロシア”抜きに考えても、あれがレーガン好みの映画とは到底思えないもの。見通すのは、さぞ苦痛だったろうなあ、ご苦労さん。

 そう、「モスクワは涙を信じない」は、田舎からモスクワに上京してきた女性の生き方を描きつつ、女性の自立した生き方というものを追求した、その方面の名作として評価されているのだった。
 ここに取り上げた”アレクサンドラ”は、「モスクワは涙を信じない」の挿入歌としてロシア国内でヒットした曲であり、かの国の国民的歌手(?)であるタチアナ&セルゲイ・ニキーチンによって歌われている。
 聴いていると、広大な大地の果てにある未知の人々の暮らしに夜が訪れ、凍り付いた空気の向こうで瞬く星の光の下で、人々が灯すささやかな明かりの温もりを遥かに感じ取る、みたいな感興が生まれ、そもそもがロシア民謡好きな私にはまことに良いアンバイのものなのである。

 夫婦デュオであるタチアナ&セルゲイは、歌手であると同時に二人共が物理学者であり、研究の傍ら、歌手稼業を続けているというエピソードも知る人は知るところである。
 なんともあの国らしいというか、歌手といえども物理学の学位でも持っていなければなれないのかなあ、などと思いかけ、なんのことはない、自分もまたレーガンといい勝負の偏見だらけのロシア認識しか持っていない事実を自覚させられて、こいつも苦笑をしておくしかなかったりする。
 実際、この歌のメロディをハミングしてみたり「モスクワは涙を信じない」という映画タイトルを思い返すと、かの国、あのロシアにも我々と同じ人間サイズの悩みや苦しみの中で、それでもなんとか生きて行こうとあがく、つまりは我々と同じ人間たちがいる、そのことがリアリティを持って立ち上がってくるようで、ある意味、ハッとさせられるのだ。知っているつもりで、実は何も分かっていなかったのだな、と。

 このアルバムはタチアナ&セルゲイのベスト盤とのこと。二人の音楽の基本は、セルゲイの爪弾くギターの響きを中心にしたシンプルなアコースティック・サウンドのなかで二人の素朴な歌声が響く、といった構造で、このさりげなさにロシアの大衆には懐かしさを覚えているのかな、などと想像する。歌われるメロディも、いかにも”いわゆるロシア民謡”っぽいもので、二人の歌はわが国におけるフォーク歌謡のような存在なのかも知れない。
 ちなみに、「モスクワは涙を信じない」とは、「ただ嘆き悲しむだけでは、誰も救ってなどくれない」というロシアの格言なのだそうだ。もう少し夢のあるタイトルなのかと想像していたんだが、そいつも厳しいなあ。



ムームムームムーム

2012-02-17 05:40:17 | ヨーロッパ

 ”Finally We are No One”by Mum

 あまり寒い日が続くんで、ヤケになって取り出してみた、アイスランドのエレクトリック・ミュージックのバンドのアルバム。まさに極北の、あの氷河に覆われた土地でバンドをやるとはどういう気分のものか。
 深夜、遠くで吹雪いている風の音のようなさやかな音像で始まり、アナログ・シンセが、子供の頃に夢の中で鳴り響いていたような、不思議に懐かしくてどこか物悲しいメロディをつずって行く。

 まさに子守唄そのもののような女性コーラスのささやき声が、静かな夜の中をゆっくりと渡って行く。ポコポコと湧き出るシンセの効果音と、小学校の教室の隅っこに置かれていた、古ぼけた足踏み式オルガンの辿り弾きが交差するところ。
 これはバンドのメンバーが、ふと目覚めてしまった深夜、耳にした氷河の軋む音を再現でもしたものなのだろうか。こちらの価値観では測りきれない、すべてのものを凍りつかせる冷え冷えとした知覚と、それを包むぬくぬくとしたユーモアの木霊と。

 モグラの昼寝のような。地下深くに隠れ住む謎の地底人の呟きのような。冬眠する熊たちの浅い夢に繰り返し出てくる、気がかりなエンディングのような。
 奥深い夢想と薄明の美学に彩られた北の国からの蠱惑的な、でも読もうとするたびに一つずつ文字が消え去ってしまう、気がかりな手紙のような音の便りだ。




ニジェール河の流れのように

2012-02-15 01:57:22 | アフリカ

 ”LA GRANDE CANTATRICE MALIENNE VOL.3”by NAHAWA DOUMBIA

 西アフリカはマリ共和国。かの国の南西部地方で盛んな大衆音楽である”ワスル”の大歌手であるNAHAWA DOUMBIAの若き日のレコーディングがCD化された。82年度作品。
 このアメリカのレーベルは、過去にアフリカ・ローカルでカセット・オンリーでリリースされた音源を続々とCD化して行く計画なのだそうで、いやもう、そう聞いただけで血湧き肉踊る気分だ。どんな未知のサウンドが飛び出してくるのか。

 そんな計画の、これは先陣を切って登場した一発であり、ジャケ写真のNAHAWA DOUMBIAの姿など、見ているこちらが照れくさくなるほど若い。学校の昼休みに撮ったのか、と言いたくなるような萌え~ぶりである。
 収められた音楽自体も、取り立ての果実みたいにみずみずしい輝きに満ちている。かの国の音楽を代表するような民族楽器、カマレ・ンゴレが幻惑的なフレーズをクルリとかき鳴らし、エレキギターやドラムスが続き、悠揚迫らざるリズムの流れが織り成され、そいつに乗ってNAHAWA DOUMBIAの若々しいコブシ・ボーカルがキラキラと響きわたる。

 まこと、ニジェール川の流れのごとき悠然たる音楽の本流であって、この新鮮さは眩しいほどだ。このあと、時代はワールドミュージックのブームなど起こり、ずっと騒がしいものになる。そんな時代の中でユッスーもサリフ・ケイタも、まあ芸術的ではあるんだろうけど、ずいぶんと音楽をややこしくしてしまったなあ、なんて想いも浮かんできたりする。
 これでよかったんじゃないか、実は?苦労して凝り倒したサウンドなんか作り出すよりも。生命の輝き迸るままにただ生きた歌を歌っていれば。

 え?それで済むなら苦労はない?変転する時代の中で生き残って行くとは。ああ、いや、それはわかっているつもりなんですがね。こんな音楽を聴くと、ついそんなことを考えてしまう次第で。
 という訳で、さて、次はどんな音が発掘されるんだろう、未知のアフリカから。



悪意のトイピアノ、嗤う

2012-02-14 03:43:58 | アンビエント、その他

 ”Drape Me in Valvet”by Musette

 ずいぶん前に読んだ本なので著者名も正確な内容も忘れたのだが。それなら引用めいたことなんかするなよ、と言われそうだが、そりゃそうなんだが、こうしないと話が始められない。なんとかご容赦願いたい。

 その文章では、”性の禁忌”の誕生に関わる考察がなされていた。まず、幼児の性欲に関して。いわく、幼児にも性欲はある、と。ただ、生まれたばかりの彼には、欲望を実現する方法も分からなければその能力もない。が、抱えてしまった欲望に対して無能な自分を認めてしまうと、彼のプライドが傷ついてしまう。ゆえに彼はこう規程っするのだ。すなわち、「自分は性に触れることを禁じられている」と。
 やりたいのだができない、のではなく禁止されているからできない、とすればオノレの無能を自ら認める恥辱に、ベッドの上でおしゃぶりを加えた無力の帝王である幼児の心は、まみれずに済む。

 それでは、奏でられる音楽に無力である幼児の心には、何が起こっているのか。
 などと訳の分からない話を初めてしまったのは、今回取り上げるこのアルバムの中に、ベッドの幼児の上で簡単な音楽を奏でながら回っている玩具があるでしょう、昔ながらの。あれが奏でるようなフレーズが聴こえてきたんで、「あ」と思ってしまったから。
 音楽が頭上で奏でられている。が、自分にはそれにどう対処したら良いのかわからない。その時幼児の心には何が行き過ぎるのか。

 このバンドはスウェーデンの、まあ変態ロックとでもいうジャンルに属するんじゃないですかね、ミュゼットなんてバンド名だけど、同名のフランスの下町音楽とはなんの関係もない。
 あえてローファイに装ったサウンド、奇妙な味わいのキーボード、古めのシンセ、あさっての方に向かってピント外れの抒情を歌うトランペット、などなど。一癖も二癖もある意匠が時代遅れの祝祭楽団の装いで、薄明の中を通り過ぎて行く。

 上に書いたように、小さな頃、どこかで聴いたようなメロディの断片が次々に奏でられてゆく。が、手放しに甘やかなノスタルジィという感じじゃなく、どこかに毒気、悪意、といったものが潜んでいる。そんな不安を、音楽のなかに気配として感じさせる。生暖かい郷愁の底に仕掛けられた、たちの悪いいたずら。嘲り笑い。
 いや、そいつもまた、演者なりの苦い郷愁の発露なのだろう。無傷な心がどこにある、って奴ですぜ旦那。

 なんとなく人懐かしいんだけど簡単に人と馴れ合いたくもないなんてめんどくさい気分の夜に、一杯やりながら聴くには最適の一枚かと思う。