ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

シアワセな人々

2008-05-31 15:04:06 | その他の評論

 キムタクの運命はどうでもいいけど、あまりにもソフトバンクにおいしい結果が出過ぎていて逆にうさんくさい気がしてくる。これ、情報操作じゃないの?
 この”CM総合研究所”のサイトを見ると、最近3年間の人気CMベスト10でもソフトバンクがずっと一人勝ちしていて、どこまでこの調査結果が信用できるのか首を傾げたくなるのだ。そこまで好かれてるか、あのCMが?

 などと言っている間にも、大勢に流されるのが大好きな昨今の青少年諸君は、「そうか、ソフトバンクが勝ち組なのか。それならそっちに乗っておこう」と”ノリのいい”所を見せて、「そういえば前からあのCM、大好きだった」とか言い出すんだろうなあ。
 気の利いた事を言った気分になりたい人には「キムタクはもう古い。いや、俺は前から嫌いだった」なんて”鋭い感想”があらかじめ用意されているから、そいつをなぞって発言すれば良い、と。

 てな事をしているうちに、流れは本当にソフトバンクに行く、と。こんな”言いなり”の大衆を相手に商売してるんだから、そりゃ企業は楽だわ。

 ○CM好感度調査で黒人俳優、キムタク蹴落とす
 (ゲンダイネット - 05月31日 10:01)
 CMタレント好感度ランキングの男性部門で8年間トップだったキムタクが4位に転落。ソフトバンクモバイルのCM「ホワイト家族24」シリーズで、上戸彩の兄貴を演じている米黒人俳優ダンテ・カーバーが1位になった。CM総合研究所が発表した。
 カーバーは「予想GUY(ガイ)」として知られるキャラで登場したが、文字通り予想外の大躍進。その他の部門も同シリーズの白戸(ホワイト)家の面々が独占した。女性部門では上戸彩が2年ぶり2度目の首位。母親役の樋口可南子は468位から2位に急上昇。総合部門でも1位、さらに「まさか白戸が犬になるとはなぁ」のお父さん役「北海道犬」(声は北大路欣也)がキャラクター部門で1位となった。

パレスチナのラップに戸惑う

2008-05-30 05:44:55 | イスラム世界


 ”Dedication”by DAM

 つけっ放しにしていたテレビが小林克也のアメリカン・ポップスの番組を流し始めて、しばらくぼ~っとそれを見ていたのだが時間の無駄遣いと思えてきたので、傍らのラジカセで買ったばかりのこのCDを聞いてみたのだった。
 珍しい、と言えるだろう、パレスチナのラップのグループ。パレスチナの伝統音楽のニュアンスを大幅に取り入れたヒップホップサウンドをバックに、アラビア語のラップを聞かせる。

 なるほど、こいつはよく出来ている。迫力あるヒップホップの音にアラブの民族楽器の響きが見事に溶け合い、ごく自然にアラビアン・ラップの世界が成立しているのだ。
 リズムに乗ったアラビア語の語りに続いてカーヌーンの優雅な爪弾きがカララ~ンと鳴り渡るあたりは実に痛快な気分になって来るのだ。

 でも、その反面、なんか妙にむずがゆい気分にもなってしまうのは、これを聴いていると、さっきまで見ていた小林克也の番組から流れていたのと見事に地続きの音楽と感じられてしまうこと。アラビア風のラップ音楽なんて基本的には変なものなんだから、もう少し違和感漂っても良さそうなものだけど。

 と考える方がおかしいんだろうか?あるいはまた、普段、アメリカの音楽しか聴いていないようなヒト、つまりは普通の音楽ファンが聴いたらこれは十分に違和感漂う音楽なんだろうか?

 なんかねえ、アメリカの一流ミュージシャンがアラブ風のニュアンスを取り入れたサウンドを作ってみたら、普通にこのようなサウンドになるかも知れない、と考えることも出来るのであって。そう思うと、複雑な感想が湧き上がってきてしまうのだった。

 この音楽が、イスラエル政府がアメリカ合衆国内のユダヤ勢力の援護を得つつ、パレスチナの人々の生活圏を圧殺している現実、まさにその事を糾弾するものである事を思えば、ね。
 大衆音楽の舞台の世界的趨勢としては、あの粗雑なアメリカ文化がやはり圧倒的優位にあり、このパレスチナのラップチームもまた、その手の平の上で踊っているに過ぎないのでは?なんてきつい思いも湧いてくるのだ。

 むしろ彼らのこの音楽が、アメリカ音楽的常識からすれば聴いちゃいられないくらいに非常に不安定な出来上がりであり、ラップ音楽についての概念をひっくり返すような非常識さで溢れかえっていてくれたら、などと思うと、その出来上がりの完成度の高さ、破綻のなさが逆に口惜しく思えないでもない、そんな気分になってくるのですよね。微妙な話なんだけどね。

Inside looking out

2008-05-29 03:17:46 | 北アメリカ


 Deep River of Song - Big Brazos (Texas Prison Recordings 1933 and 1934)

 なんとも凶悪な人相の黒人がこちらを睨みつけているジャケ写真が印象的ですが、これ、収められている音楽を紹介するのに好都合な、人相の悪い奴の写真を見繕って来たのかと思いきや、アルバムの中で一曲、リード・ヴォーカルをとっている”アイロンヘッド・ベイカー”なる男の写真でした。

 民俗音楽のフィールド・レコーディングでさまざまな成果を残すアラン・ロマックスが、テキサスの、どうやら黒人専用の監獄で採取した”塀の中の伝承歌集”です。
 どの曲も一切楽器のたぐいは使われていない。素朴なコーラスに、手拍子足拍子のみが伴奏です。その狭間から非常に生々しい生命のエネルギーが伝わってくる出来上がりとなっていて、さっきから妙に惹かれてしまい、何度も聞き返してしまっています。

 重たい手拍子が打ち込まれ、パワフルなコーラスが重ねられるのを聞いていると一瞬、カッワーリーなどを思い出しますが、もちろん、あんな複雑な構成の音楽ではない。その逆、シンプルな音楽要素の繰り返しであるがゆえの迫力が心を捉える曲集ですな。

 労働歌のような、あるいは民謡のような、どれもシンプルな曲調のものばかり。
 ワイルドな歌声が歌い上げる、ブルージーにうねり地を這うメロディ・ラインが、聞く者の心に粘りついてくるような。
 あるいは、執拗に反復されるコール&レスポンスの中から、彼らの故郷である遠いアフリカの地が浮かび上がってくるような。

 どう考えても教育などとは無縁の世界に放り出されて生きて来た人々の愛唱歌ということで、彼ら黒人たちのうちに伝承されてきた音楽の真相が覗え、その辺も興味深いものとなっています。

 そういえば60~70年代、アニマルズやグランドファンクがヒットさせた”孤独の叫び(Inside looking out)”って曲も、元々はこのようなアラン・ロマックスによる監獄レコーディングの中から見つけ出された曲だ、なんて話も聞きましたが、あれは本当ですかね?本当だとすれば、その原曲もぜひ聴いてみたいものだと思うのですが。

ヴィクトリア湖畔のご乱行

2008-05-28 03:17:08 | アフリカ


 ”Introducing ”by Kenge Kenge

 コンゴ発のリンガラ音楽の影響下に独自の展開を示すケニアのローカル・ポップスは、独特の野趣溢れる味わいがあって好きでねえ。
 以前よりずっと惹かれていたのだが、いかんせん、音の方があんまり入ってこない。じれったい思いをして来ているのであります、もう80年代くらいから。

 ケニア西南部のルオ人たちによる”ベンガ”なる音楽。そう銘打たれた盤を聞くのはこれが初めてではないのだが、このバンドの音はまったく独自のスタイル。なにしろ、あの特徴あるギター中心の音作りじゃないのだ。

 素朴な、なんかフォルクローレにでも出て来そうな笛の音や、鄙びて枯れ切った一弦フィドルに導かれ、炸裂するパーカッション群。それは民俗楽器というよりは、とりあえずそこら辺にある音の出そうなものをひっぱたいてみた、みたいなアナーキーな迫力に溢れている。
 コンゴのルンバの流れというよりは、もしかしたらナイジェリアのフジやアパラの影響を受けたんじゃないかなんて考えてしまう。

 そうそう、昔、フジのアインデ・バリスターが富士山をバックにした記念写真を撮りに(!)来日した際、東京のアフリカ料理店で店専属のリンガラのバンドをバックにフジを歌った、なんてエピソードがあったっけ。あれはパーカッションをバックに歌うべき音楽をギターバンドをバックに歌った、これとは逆のパターンだが。

 一方、そんなパーカッションの奔流に乗って展開されるのは、確かにコンゴ音楽の流れを汲むルンバ系統のメロディ。ただし、リンガラ音楽の後半部分、ダンスパートのみの展開である。ラテン音楽で言えばソン・モントゥーノというのか、執拗にコーラス隊によって繰り返されるシンプルなメロディと、そいつとコール&レスポンスしまくるリード・ボーカルの雄叫び。

 前半はじっくり歌で聞かせて後半、ダンスパートに入ったらリズム・チェンジして思い切り踊らせる、なんて昔からのコンゴ音楽の美学の構造は、ここではすっ飛ばされている。もういきなり”狂乱のダンス”に持って行って、ただひたすら押しまくる。まあ、ある種ミもフタもない展開で、そのあっけらかんとしたしたたかさが今日的といえるのかも知れない。

 なんかこのミもフタもなさに、ふと韓国のポンチャク・ミュージックなど連想してしまったのですがね、音楽的にはまるで関係ないが。あの、いきなり最高潮に持って行き、そのまま一本調子に突っ走る、原始的といえば原始的、未来的といえば未来的、みたいなあんまりな世界に、どこか通じていないか、この音楽は。

 しかし凄い迫力だね。次回作、次々回作はどんな具合になるのか。あるとすれば、だが。
 

Telephone Line,Lifeline.

2008-05-26 04:43:47 | 時事


 ”Closing Time ”by Tom Waits

 これを罪に問うのは、なんか可哀相な気がしてくるんだけどなあ。ある種、純愛物語でしょ?電話の向こうから聞こえてくる、本来、無味乾燥であるはずの音声ガイダンスに恋してしまった男。

 何時間も電話に取りすがり、ただ録音された声に聞き入るこの男の姿に、この時代に生きること、それ自体に関わるヒリヒリするような手触りの孤独が伝わってくるようだ。

 「コンビニに行けばいい。いらっしゃいませと言ってくれるよ」って意見もあったが、傷付き易いこの男は生身の女が怖かったんだよ。「録音すれば良かったのに」という人もいるが、そんなことも気がつけない人間てのはいるんだよ。

 ネットの世界じゃ笑いものにもされてるみたいだけど、君がパソコンに向う姿と彼が電話をかける姿は多分そっくりだよ、第三者が見れば。

 企業側も長時間の接続は自動的に切れるようにするとか、「これ以上続行すると罪になる」との警告を入れるとか、何らかの工夫をすれば良かったんじゃないか。フリーダイアルなんだから。本来、生身の係員を置くべき部署を、機械に代理をさせているんだから。

 トム・ウェイツのデビュー盤”Closing Time ”に収められていた”Martha”なんて歌を思い出しちゃったんだよ。「あのバラ色の日々。君は僕のすべてだった」と電話の向こう、実在するのかも怪しい気がする、何十年も前の恋人にすがりつくように語りかける老人。あの歌をね。

 ○「音声案内に興奮」 電話500回の男逮捕
 (毎日新聞 - 05月25日 20:22)
 商品の説明や購入方法が録音された食品会社のフリーダイヤルに約500回電話をかけたとして、群馬県警高崎署は25日、西東京市新町5、配管工、野本浩幸容疑者(38)を偽計業務妨害容疑で逮捕した。「女性の声で録音された音声ガイダンスに興奮した」と容疑を認めている。
 調べでは、野本容疑者は05年7月から06年11月にかけ、二つの携帯電話から同県高崎市に本社を置く食品会社の通販専用フリーダイヤルに約500回計3100時間電話し、通話料約380万円の損害を与えた疑い。商品は購入しておらず、同社は06年12月に被害届を出していた。
 録音は電話を切るまで繰り返し流れる。「女性の声を聞きたいが、生身の女性とはしゃべれないのでかけた」と供述しているという。高崎署は同様の被害があるとみて追及する。【伊澤拓也】

奄美恋しや

2008-05-25 02:55:26 | 奄美の音楽


 先日、他の事を調べていてついでに知ったのだが、1963年の紅白歌合戦は、何度か話題にしてきた昭和30年代の”奄美島歌ブーム”が極まった象徴のような舞台だったようで、なにしろ奄美の歌が3曲も歌われた。御大、田端義夫の「島育ち」、三沢あけみの「島のブルース」、仲宗根美樹の「奄美恋しや」と。

 この辺に関する詳細が知りたいんだよなあ。世情として奄美の歌がどのように認識され、受け入れられていたのか。民衆に、そして歌手たちに。
 生々しい感想が聞きたいのだが、なかなか資料に出会えず。微かに掴んだ情報としては、「当時、まだまだ奄美の実態は知られておらず、”沖縄より南にある秘境”などという誤ったイメージで見ている人も多かった」のだそうで。やはり、そんなものだったんだろうなあ。

 いまだ、田端義夫の”島歌アルバム”のオリジナル・ヴァージョンは手に入らないままだが、三沢あけみなども島歌のシリーズを歌っていたようだし、それらをまとめたアルバムなど出ていないだろうか。と思いつつ、調べてもいないが。だって、第一人者の田端義夫のものがあの始末なんだから、ねえ・・・結果は知れている。

 先に、三界稔についての文章中で「島育ち」について述べたが、当時、”内地”では仲宗根美樹が持ち歌としていたらしい「奄美恋しや」も、記憶に残る歌である。

 仲宗根ヴァージョンは彼女のベスト盤を手に入れれば聞くことは出来るが、さて、それ以外の歌に興味を持つことが出来るかどうかと購入には躊躇している。いかにも”南”っぽいイメージの彼女なんか、島歌アルバムを出していたっていいような気がするんだけどねえ。
 と、ないものねだりばかり書いていても仕方ないけど。

 さて、現時点で私の手元にある「奄美恋しや」は”島歌2”に収められた田端義夫ヴァージョンだけなのだが、これが昭和30年代録音のオリジナルのものかは分からない。
 イントロでのどかなドブロ(といって分からない人、まあ、電気化される以前のスチールギターとお考えください)の爪弾きが聞かれるが、田端義夫らの当時の奄美ものに顕著な特徴である、”無理やり南方演出”の一環なのだろう。同じ”南の島”なのだから、ハワイっぽい演出も有効だろう、という。

 なにしろ必殺の”ドミファソシド音階”を持つ沖縄と違って、一発で”南”を認知出来るような分かり易い音楽的特徴は持たない奄美の歌、しかも民謡ではない、”新民謡”のことである。それでもなんとかエキゾティックな南国情緒を醸し出さねばならぬと編曲者は各曲で間奏に沖縄音階を押し込んだりのさまざまな創意工夫を行なっており、相当な無理やりの展開が見られ、まあ、突っ込み所満開のありさまで、そいつに腹を立てるか面白がってしまうかは各人の趣味の問題というべきか。

 ともかく、ドブロの奏でる不思議な奄美=ハワイ情緒に導かれ、歌い出される「奄美恋しや」である。

 波に夕日を 大きく染めて
 名瀬は日暮れる かもめは帰る (作詞:藤間哲郎)

 夕暮れの名瀬の風景がしみじみと描かれ静かな物悲しさに支配された、アルバムの終わりの方にでも置くより仕方ないだろうと思われる一作である。

 2コーラス目の歌詞に”幼馴染みの面影追えば”とあるように、歌の主人公は奄美という土地と同時に過ぎ去った歳月をも遠いものとして追憶している。
 ”わしも帰ろうよ あの島へ”との一節はあるが、それが容易に実行し難い立場に主人公は置かれているようだ。奄美からも過去からも、大きく隔たった場所に、彼はいる。物理的にも社会的にも。おそらく彼にとって奄美は実質、失われた場所なのであろう。

 恋しい、懐かしいと繰り返しはするもののどのような理由からか、彼は奄美に帰ることが許されないようだ。失われた場所であるゆえにそこは凝縮された憧憬が行き溜まり、静かな悲しみの中で揺れ続ける。
 起伏の少ない、それこそ夕凪の海のようなメロディが、過ぎ去った日々の記憶をなぞるように流れ、そして消えて行く。
 歌の感傷に酔ったどさくさ紛れに当方も、まだ行ったこともない名瀬の町に”帰り”たくなる静かな夜である。

ブリキのブラスバンド

2008-05-22 06:26:05 | アジア


 ”Musik Bambu Seng”

 インドネシアはスラウェシ島北部に存在する、不思議なブラスバンドです。
 かってオランダに統治されていた時代に発生したものらしいですね。

 ヨーロッパのブラスバンドを模した演奏を聞かせるんだけど、使っている楽器がなんかおかしい。ブリキ製なんですね。さらに遡れば、スラウェシ島の人たちが竹を削って西洋のブラス楽器を模したものを作ったのが起源らしい。そいつが中国人のストーブ職人かなんかの手助けにより、ブリキ製に”進化”した、なんて歴史があるようです。

 なにせ”ブリキ製”ですからねえ、なんか音に腰がなくて、西欧風の勇壮なる曲調の行進曲など奏でても、どこかプハプハと気が抜けてしまう感がある。でも、そこが逆にアジア風の優しさとか聞こえてくる気もするんですね、まあ、気のせいかも知れないが。

 どんな音だったか知るよしもないけど、そのまま元の”竹のブラスバンド道”を追求して行った方がインドネシアの大衆音楽として、それなりの独自性を主張出来るような結果が出たんじゃないか、などとおせっかいな空想をしてしまうんですが、現地の人たちにしてみれば、”西洋人と同じ金属製の楽器を操る”ってのが憧れとしてあったのかも知れず、その辺はなんとも言えません。

 ブゥォンブゥオンと低音を響かせる”チューバのような楽器”と、その狭間を軽やかに駆けて行く”ピッコロのような楽器”がひときわ印象的。なにやら間の抜けた勇壮感とそこはかとなく漂う哀感と。頻繁に差し挟まれる陽気な掛け声が楽しい。

 かってこの南の島を支配した西洋人たちの硬直した権威主義が、熱帯アジアの酷暑の中で溶け崩れ、吹き抜ける風に霧散して行くような幻想など抱いてみた私なのでありました。
 

ロシアポップスR&B!!!

2008-05-21 04:12:05 | ヨーロッパ

 ”Русский народный RnB” by Бьянка

 旧東欧~ロシア圏の大衆音楽界ではよくあるパターンとはいえ、なかなかエロいビジュアルで迫るロシアの新人歌手、”ビヤンカ”嬢の2006年デビュー盤。タイトルはこれで”ロシアポップスR&B”の意、とのことであります。

 エロいビジュアルも嬉しいんですが、古いポップス世代に属する当方としては、そのタイトルから「ディープなサザン・ソウルのハチロク・ビートに乗って、”ロシア郊外の夕べ”なんて哀愁のロシア・メロディが濃厚に歌い込まれるのであろう」とか期待を抱いてしまったのです。

 が、そうは行くものか(笑)聞こえてきたのはおなじみ、きわめて今日のロシア的なエレクトリックなダンスビート。まあ、そりゃそうでしょうね。

 ややウェットな声質のビヤンカが、ときにシャウト、ときに囁き声交じりで、結構な粘着力を持って迫るその音楽は、正しく”R&B”だかなんなんだか旧世代の私には分かりませんが、エッチなビジュアルにもよくマッチして、独自のアンニュイな魅力を作り上げている感じ。うん、確かにロシア独自のR&B表現と言えるのかも知れない。

 ほの暗いイメージの音作りの中でカチカチとビートが刻まれ、深い哀感を湛えたマイナー・キーの旋律が流れて行く。その歌声に、バラライカやアコーディオンみたいな音がオブリガートで響けば、こちらの昔気質の”ロシア民謡願望”は、十分に満たされるものがあり、嬉しかったりするのでありました。いや、結構拾い物じゃないか、この子は。

 9曲目なんか曲もアレンジも、いかにも”歌謡曲”って感じなんでちょっと恥ずかしかったりするが、つまりはこれ、私の中のベタな日本人の感性がロシアのメロディの大衆性にとまどいつつ反応している証拠なんでしょうね。

 というわけで、ああ、もっと早くこのアルバムを聞いていれば年間ベストアルバムにも入れておけたのになあと、アルバムを聴き終える頃にはすっかりビヤンカのファンになっていた私でありました。うん、まあ、ビジュアルも込みで(笑)
 

風は知らない

2008-05-20 05:23:05 | 60~70年代音楽


 人生にはさまざまな局面がある。その一方の極限はトイレで用を済ませた直後、ズボンのファスナーにオチンチンの皮を挟んでしまうことだろう。これは進退窮まる。

 どうするったってファスナーを押し下げてオチンチンを責め苦から開放してやるしかないのだが、しっかと皮に食い込んだファスナーを動かすのは痛いだろうなあと当然予想はつき、容易に決心はつかない。男なら誰でも一度はやったことがあるはず、と言いたいところなのだが、いや、そう決まったものかどうか。まあ、とりあえず、私には経験がある。それも、いくらなんでも、と言った状況下に。

 あれは高校3年の春だったと記憶している。放課後、下校しようとして私は、ちょっとオシッコしたくなったので下駄箱の隣にあるトイレに入ったのである。そこは、男子トイレの”小”をする場所に曇りガラスの嵌められた窓があり、オシッコしながら微妙に外が見えるようになっていた。さすがに場所が場所なので窓は全開にはならず、外の様子はちょっとだけ開けられたガラス戸の向こうに見えたり見えなかったり、と言ったところである。

 そこで私は用を済まし、さて、とズボンのファスナーを上げたのだが、これがどういう成り行きだったかオチンチンの皮に食い込んでしまった。うわっ、こりゃ困ったな、とファスナーを下げようとしたのだが痛くてできない。とはいえ、そのままにしておくのも痛いのに変りはなく、ええいどうすりゃいいんだ、こんなザマを晒しているのを悪友たちに発見されたらえらい事だぞと焦れどもいかんともしがたく。
 
 その最中。窓の向こうで聞き覚えのある声がした。それはなんと、私がその頃、”これはちょっと注目ではないか”と意識しかけていた隣のクラスのM子と、生徒会でなにやら役をやっている、学生運動の闘士で何かとうっとうしいTだったのだ。おやおや、なんて組み合わせだい。

 ファスナーのもたらす激痛と戦いつつ二人の話を聞いていると、さらになんてこったい、どうやらTがMに思いを告白などしているようなのだ。おいおいTの奴、政治の話が大好きでえらく堅物のキャラ設定で行ってるくせして、M子みたいな、おとなしそうでいて実は男から声のかかるの待ってそうなタイプが好きなのかよ。おいおい。などと意外に思いつつ、ええいくそ、ここで思い切ってファスナーを下げてしまおうか、このままドツボにはまり続けていても埒があかないものな、ええいくそっ!

 ・・・と私が渾身の力を込めてファスナーを押し下げるのと同時に、M子はTに対し、交際をOKする言葉を口にしたのだった。

 私はファスナーのアギトから救い出したオチンチンをパンツの中に納めた。皮が破れて出血、と想像していたのだが、そちらはどうやら無事だったようだ。そして。股間の痛みにガニマタとなってトイレから出た私が見たのは、なにやら親しげに話しながら下校して行くM子とTの後姿だった。
 校門を出ると、薄汚い感じの青空がドヨ~ンとどこまでも頭上に広がっていた。
 高校の前を通る国道を、土埃を上げて何台も何台もの建築資材を積んだトラックが走り過ぎて行った。

 どこからか当時流行っていたグループサウンズの”タイガース”が歌う、「風は知らない」というフォーク調の歌が聞こえてきた。そうかあ、あれが俺のブザマな青春の思い出の一曲になるんだなあ、などとぼんやりと思ったものだった。その通りになったのだったが。

 しかし人生、何があるやら分からんよ、あなた。あなたが愛の告白を受けている、その同じ場所、同じ瞬間に、オチンチンの皮をズボンのファスナーに挟んで悪戦苦闘している男がいて、しかもその男もあなたをにくからず思っている、なんて事だってあるんだからね。

 ”昨日鳴る 鐘も明日は無い 大空の広さを 風は知らない~♪”ってかぁ・・・

地中海が聞こえてくる

2008-05-18 03:06:55 | ヨーロッパ


 ”CHE IL MEDITERRANEO SIA”by Eugenio Bennato

 60年代から活動を続けている伝統あるナポリ民謡復興グループ、NCCP(Nuova Compagnia di Canto Popolare )のメンバーだったこともあるエウジェニオ・ベンナートのソロ・アルバムである。2002年作。
 実は何作かある彼のアルバムを聞くのはこれが初めて。そのキャリアから考えて、またマンドチェロを抱えた渋いジャケ写真からも、おそらくはNCCP時代から継続するイタリア南部の民俗音楽探求の旅、みたいなものであろうと内容を想像していたのだった。

 が。音を聞いてみれば、まあ確かに民俗音楽をベースの音作りに違いはないのだが、結構メロディラインなどにポップなものも内包する堂々のシンガー・ソングライターぶりで、意外だったのだ。
 収められているのはすべて彼の作曲になるものなのだが、どれも上手い具合に南イタリアの音楽風土を生かした、泥臭くもある種神秘的な響きを持つおいしい曲ばかりなのだった。

 彼はこの時期、”タランタ・パワー”なるプロジェクトを立ち上げ、南イタリアを中心として南欧すべてにアラブ世界やアフリカまでも含む地中海新音楽創造の試みを実行に移していたようだ。
 このアルバムもその構想の一部として製作されたもののようで、確かに録音メンバーにも黒人やアラブ人のミュージシャンが加わり、各地の民族色濃い音を聴かせている。

 ことに、各人種入り乱れた女性コーラス陣の、時に地中海の陽光が降り注ぎ、時にサハラ砂漠の風が吹きすさぶ、ザラザラした手触りの力強い歌声が印象的だ。
 それらをバックにしたベンナート本人の歌唱は、あの天高く鳴り響くようにナポリ民謡を歌い上げていたNCCPのメンバーだったのが信じられないくらいの落ち着いた内省的なもの。しわがれて呟くように、やや斜に構えた様子はイタリア名物(?)の、チョイ悪オヤジ的風情も醸し出す。

 各所に配された、汎地中海的とも言いたい民俗楽器群の響きの間をユラユラと彷徨うように歌を紡いで行くベンナートに、ふとヴィスコンティの映画”異邦人”におけるマルチェロ・マストロヤンニの演技など重ね合わせてみたりしたのだった。
 こうして聞いてみるとタランタ・パワー、確かに興味深い試みで、NCCP以後のベンナートの動きも真面目に追っておくべきだったと今頃になって思い知ったりしている次第である。