ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

完全無欠な秋の入り日

2010-04-28 03:56:15 | ヨーロッパ

 ”The Glamoury”by Emily Portman

 秋の日だろうか、やや弱い感じの日差しが斜めに差し込んでいる。海が間近かに見える茶色に枯れた草原を白いドレスの女の子が駆けて来る。この場合、女の子は笑顔であるのが定番と言うものだろうが、彼女は落ち着いた、むしろ暗いといってもいいくらいの表情である。
 大御所、シャーリー・コリンズの大推薦など受けつつ、英国トラッド界へ期待の新人として名乗りを挙げたエミリー・ポートマン。所属するバンドを離れて初のソロ・アルバムである。
 イギリスの民謡など気を入れて聴くのは久し振りのような気がする。同じ英国諸島圏なら、感傷味が強く馴染み易いスコットランドやアイルランドの音楽に手が伸びてしまうので。

 凛、とした張りのある硬質な歌声が、遠く時を隔てた先人たちが歌い継いできた物語歌を歌い上げて行く。おとぎ話や妖精譚をテーマとする曲が多いけれど、そこは堅牢をもってなる英国民謡です、簡単に馴れ合えるほどの甘ったるい展開はいたしません。渋いメロディ、渋い展開。けれどそこには噛めば噛むほど味の出る伝承音楽の奥深い楽しみがある。
 歌手自身の奏でるコンセルティーナをはじめ、ギター。ハープ、チェロといった楽器が必要最低限の伴奏が彼女の歌にピタリと寄りそう。ピシリと決まった硬派な歌と演奏に、何だか血の騒ぐ思いがする。

 私は勝手に、その歌や演奏のうちに感じられる、このジャケ写真のような茶色に枯れた草原を吹き渡ってくる風、秋の入日の差す風景から漂う匂いのようなものが、英国諸島圏の音楽の醍醐味と決めているのであります。なんかね、孤独と寂寥感にキュッと身も心も締め付けられるみたいな。まあ、私の勝手な思い入れでありますが。



ナイル河でハングル・ラップ!

2010-04-27 03:19:39 | アジア

 ”2nd”by Lee Jung Hyun

 イ・ジョンヒョン嬢の登場でございます。韓国の女性アイドル歌手の中では異常に濃厚な個性を持ってる子、として私は評価してるんだけど、そんなこと言ったら叱られるかも知れない。
 なにしろ我が国では”韓流”の流れで映画女優としても人気のあるジョンヒョンちゃんであり、歌手として日本版のCDも出しているし紅白歌合戦にも出たそうな。映画の美しいイメージのまま、美少女歌手としてイ・ジョンヒョンを認識している人が大半かもしれない。
 それにしてもその当時、私は韓国方面にはあまり興味がなく、彼女の日本での活躍を完璧に05逃しているのが今となっては残念でならないのだが。、

 それはともかく。そんなジュンヒョンちゃんの、もう10年も前に出たアルバムを突然引っ張り出してきたのは、某MM誌のパフューム特集を読み返していて、おかしくなってしまったから。
 そもそもが、かってはエレクトリック・サウンドを”売り”とし、”韓国のテクノの女王”なる異名までとっていたジョンヒョンちゃんは、パフュームの3人組の、いわばテクノの先輩なのであり、ここは両者の比較があってもいいはずだ。

 とはいえ。その姿勢の違いは笑っちゃうほどなのである。パフュームの3人はパワフルな、というか生気のある歌い方をしてしまわないように、レコーディングの際には椅子に腰掛け、いかにもロボットかカラクリ人形らしい無表情な歌い方を求められた。
 ところがわがジョンヒョンちゃんは正反対、炸裂するテクノサウンドに乗り叫ぶ、吠える、感情のおもむくままと言うか、ともかくリミットいっぱいのシャウトを聞かせ、あるいは無理やり搾り出した低音の濁声による凄みの効いたラップを唸る。
 彼女の歌声の後ろで蠢く、こいつが”エジプト風”なのだろうか、おどおどしく土俗的に迫る男たちのコーラスなどは、日本の60年代末期のアングラ演劇やら暗黒舞踏を思わせたりする。どこがテクノだ。いや、この身もふたもなさが楽しいのですねえ、私には。

 あ、全体を貫く、ややゲテモノっぽいエキゾティックな演出は、今回のアルバムのテーマが”エジプト”だからだそうです。なんでここでエジプトが出てこなければならないのかはよく分からないが、そんな異化作用をカタパルトに、彼女の奇天烈な個性が炸裂するのなら、聴いてる側としては大いにありがたいのですねえ。
 この絢爛豪華な見せ物性、しかもそれを揺らぐことなく演じきってしまうジョンヒョンちゃんのパワフルなパフォーマー根性、私は支持したいです。

 とはいえ、これは10年前のアルバム、いつまでも無茶してられないかと思います、彼女も。せめて、入手困難となっている彼女の過去のアルバムがもう少し手に入れやすくなるようにレコード会社にお願いいたしまして、締めの言葉といたしたく思います。



犀と夜汽車の荒野から

2010-04-25 03:55:20 | フリーフォーク女子部
 ”Before and After”by Carrie Newcomer

 これもジャケ買いの一種なんだけど、別にアイドル歌手が写っているわけじゃない。そんな写真じゃないんだけど、一目見たら何だか心に残って、買ってしまわずにはいられなかったのであって。アメリカの、もうベテランの女性シンガー・ソングライターである Carrie Newcomerの出たばかりのアルバムらしい。
 ジャケ写真の中央ではもう十分オトナの女性が一人、電車の四人掛けの席に座り、何ごとかメモをとっている。あるいは誰かに手紙でも書いているのだろうか。車窓の外はもう暮れかけていて、夕焼けの空を鳥の群れが行く。あまり現実感のない光景で、これは彼女が見ている夢の中の出来事ではないか、なんて気もする。

 ジャケを開くと、人影もない朽ちかけたような田舎の駅に降り立った彼女の姿。そして曇り空の下、地平線目指して伸びる線路の脇に一匹のサイが佇んでいる。アメリカの平原にサイが放し飼いになっているはずはないのであって。
 CDを廻してみると、非常に落ち着いた印象の、いかにもインテリらしい女性の歌声が流れてくる。フォークっぽいカントリー・ミュージックの作りである。彼女の歌にはスチールギターやピアノやコーラスなどが静かに寄り添うのだが、ほとんどはあまりにさりげないので、彼女のギター弾き語りの印象ばかりが残る。

 とにかく激さない、感情に流されない、静かに物事を見据えて歌う性格の女性らしく、彼女の書くメロディも、その歌唱法も、自らの内面に語りかけるような思索的なものとなっている。メロディラインはフォークっぽいシンプルなもので、歌い方もごくスムーズなものだが、周囲に広がって行くというよりは、彼女が心中に抱えた幻想にこちらが引き込まれて行くような感触がある。
 曲はどれもシンプルで親しみ易い構造をしており、リフレインの部分などは2~3度聴けば覚えてしまっていっしょに歌えそうな気がする。ただ、彼女の歌手としての個性が内省的であるゆえ、安易にコーラスの輪を広げる気分でもなく、こちらに出来るのはジャケにある電車の席の彼女の向かい側に腰掛けて、彼女のメモをしたためる様子をただ見守るだけである。

 そうするうちにCDは2回転目に入っており、収録曲の中でもひときわ印象的な”Gost Train”がまた始まっている。霧に覆われた草原を行く伝説の幽霊列車は、時を越え、何を伝えるために現われるのか。
 そいつは子供の頃、寝床の中でふと目覚めた深夜、遠く聴いた夜汽車の汽笛の凍りつくような孤独な調べの記憶に連なり、灰色の霧の中に消えて行く。
 意識の底への列車の旅は続く。



インド洋のエルサレム

2010-04-24 02:11:37 | アジア

 ”Bapa Yang Kekal”by Julita Manik

 相変らず、その正体がよく分らないままに聴き続けているロハニ音楽でありまして。とりあえずどんな音楽かといいますと。
 イスラム教国みたいに思われているインドネシアだけど、若干のキリスト教徒もあの国にはいて、ロハニはそれらの人たちが聴く世俗賛美歌(?)みたいなものなんですよ。
 まあ、かの地の人がインドネシア語で歌うゴスペル、とでも考えていただければ分り易いかと思います。実際、アメリカのゴスペル歌手のレパートリーをそのままインドネシア語に訳して歌っているケースもあります。また、歌手たちにはR&Bがかったインドネシア・ポップスからの転向組もいて、結構黒っぽい歌い方がジャンルの特徴となっていたりしますから。

 で・・・なんでそんな音楽のファンになってしまったのか?これがよく分らない。クリスチャンって訳でもないしねえ。
 ゴスペルは元々好きだったし、宗教がかった音楽は基本的に好きなんですよ、宗教そのものには何も興味はないくせにね。
 あと、インドネシア・ポップスの持っている、澄んだ美しい部分だけを抽出したような音楽がロハニであること、これは言えるかと思います。明るく盛り上がるだけが熱帯の音楽というイメージもあるかと思いますが、その底に、シンと静まり返った感傷の泉が息をひそめていたりするんですよ。そんな秘密の泉の秘めた静的美のエッセンスを垣間見せてくれるのがロハニであり、その辺に惹かれているといっていいのかなあ。

 この歌手、Julita Manikはネットで調べたらこのアルバムが3作目なのかな、どれもロハニのアルバムのようです。なにやら”ビューティフル”とか、御清潔なタイトルだったりするんで(笑)
 ジャケ写真の笑顔が、お笑い番組の”ヘキサゴン”に出ている歌手のmisonoに似ているような気がして笑えるんですけど、そう思いませんか?性格も似てるんじゃないか、なんて想像してるんですが。
 な~んか彼女の歌には、他のロハニの歌手たちのような宗教歌っぽい潔癖さと違う、どこかに大雑把なノリがあるように思える。その辺が気がおけなくて好ましいです、私のようにテキトーな者には。

 下に貼った映像は、なんか訳ありみたいな内容でちょっと気になりますが、今のところ、どういう主張の込められたものか、私は分からずにいます。分る方、ご教示いただければ幸いです。

 そうそう、インドネシアと言えばデティ・クルニアが亡くなったそうですねえ。まだ49歳と言うじゃありませんか、若いのに。可哀相にねえ。私なんかがインドネシア音楽を聴き始めた頃、カセットが入ってきたり来日したりでいろいろ思い出もある歌手なんですがねえ。
 で、実はこんなアルバムを取り出したのも、デティ追悼の意味も込めて、なんですが。

 それだったら正面からデティ・クルニアをテーマに取り上げればよさそうなものを。いや、そういわれればその通りなんですがね、デティはクリスチャンではなかったろうしね、やることのピントが外れてます。
 けど、なんかこのアルバムが聴きたくて仕方がなくなったんで。この場合、論理よりも感性を尊重したほうがいいような気がしましてね、見当外れと自覚しつつの、私なりの”送り”をさせてもらっているんですよ。そんなわけで。デティの冥福を祈りつつ・・・やっぱ、変だよな・・・



タイのアイドル演歌歌手、クリームちゃん

2010-04-23 00:30:25 | アジア

 ”NANG SAO KHON MAI”by CREAM PIMWALAI

 なんかさっぱり冬が開けなくて、弱ったものです。暖かくなるかと思えば翌日には急に冷え込んで、ビショビショ冷たい雨が降ってみたり。なんでしょうね、このところの気候は。うんざりします。
 こんな気分の時は爽やかな歌声が聴きたいですね。そんなわけで。
 タイの演歌とも称される民俗歌謡ルークトゥンの新しい歌い手、クリーム・ピムワライ(と読むのかな?)ちゃんであります。これは昨年出た、彼女のデビュー盤のようです。
 ジャケ写真を見ても若い、というのを通り越して幼い印象のクリームちゃんですが、このアルバムのレコーディング時、まだ15歳だったと言う話を聴いたこともあります。アイドル・ポップの世界ではよくあることかも知れないけど、このような民俗歌謡の世界ではかなり珍しいんではないでしょうか。

 いや、それにしても切ないと言うか”萌え~”と言う奴でありますなあ。夏の高原を覆う朝霧のように清純な歌声を素直に響かせて、ジャケ写真そのままの田園の素朴な少女の世界を描いてくれます。淡い青春の感傷など、そっと吹き抜けて行きます。
 これは彼女の若さを考慮に入れたんでしょうね、あまりコテコテな民俗調ではなく、曲調もアレンジもいうなればフォーク調の趣を強くしたものにしている。この辺も爽やかさを演出してくれて、良いですな。
 それに、じっくり聴いてみると、確かに幼い声ながらも要所要所にピリッと効いたコブシを響かせるなど、なかなか実力派の手ごたえもあります。故郷の田舎の喉自慢大会とかを荒らしまわり、それがレコード会社の目にとまり、なんてのがクリームちゃんのデビュー秘話なのかも知れません。

 多くの場合、こういう良さってほんのひと時で、ふと気が付けば彼女もケバい化粧でオトナの「唄を歌っているのかも。まあ、それが猥雑なる現実ってものですから。
 でもレコード会社の関係者諸氏におかれましては、”清楚な民俗派”というクリームちゃんの独特の持ち味をなるべく大事にして、この路線で売って言っていただけますように・・・と、遠い日本からあてのない祈りでも捧げておきましょうか。

 あーそれにしてもクサクサしますね、この天気には。せめて雨がやんでくれればなあ。



うさん臭き日々

2010-04-22 02:53:01 | 時事
 上海万博の盗作問題。中国の大スターたちが集って歌い上げたキャンペーンソングが、どうやら岡本真夜の作った唄の盗作だった、と言うことで。これは呆れ、かつ笑えたニュースだった。
 先日来、各ニュース番組が問題のキャンペーンソングと岡本の原曲(?)を並べて流しまくり、そのメロディの似具合を面白おかしく紹介していたのだが。実際、よくもここまでというくらい同じメロディで、これは言い逃れのしようもあるまい。

 盗用の事実の指摘が中国サイドのインターネットで大々的に行なわれていたというのも画期的なことで、まあ、中国政府が裏でどこまで噛んでいたのか(どうも、かの国に関しては、そのような想像力が働いてしまうのだが)知らないが、すべて中国のネット使用者の自由意志による発言とすれば、なかなか痛快な話といえよう。「盗作をした奴は中国の恥だから、市内引き回しの上死刑にしてしまえ」って意見があったのには、「ネットをやる奴、どこでも同じような事をいいやがる」と苦笑してしまったが。

 昨日になって中国側が岡本サイドに彼女の曲をキャンペーンソングに”使用”したいむね、申し出て、岡本サイドは形としては「栄誉ある催しに曲を使ってもらえるのは光栄です」なんて調子の良いコメントを発表した、なんて報道がなされた。
 盗作問題はどうやらその方向で、つまりメロディの盗用が行なわれたのではなく、中国側が岡本の曲を”使用”したのだ、という形の決着が図られるようである。

 どういうもんかね、これはしかし?中国は盗用の事実を実質、認めて事態の収拾を図ったとニュース解説では言うのだが、中国政府は正式には”自国の国民によって盗作がなされた”という事実を認めていないのだ。メロディの盗用をされた側には、公式の謝罪はなされないまま。結局、何も変わっちゃいないといわざるを得ないだろう、それでは。
 それにしても、問題の曲は2004年に公募され、キャンペーンソングに決まっていたもの、とのこと。誰か気が付かなかったのか、6年もの時間があって?と、こいつも不思議だ。

 昨夜、覗いていたツイッターでアストル・ピアソラが話題に乗せられていて、”ミュージック・マガジン周辺のワールド系ライターは、ピアソラ嫌ってる人が多い”なんて話の運びになっていた。”嫌っている人”の具体名として”中村とうよう氏、田中勝則氏、深沢美樹氏、原田尊志氏”なんて名が挙げられていたのだった。
 そこで私は、ピアソラ嫌いの一人として、かの巨匠氏の音楽を支持しない自分なりの理由を”つぶやいて”みたのだった。

 ”ピアソラは、猥雑な庶民の楽しみだったタンゴを、堅苦しい”お芸術”にしてしまったから、ではないですかね?とりあえずタンゴ好きの私がピアソラを聴かない理由は、それです。 ”

 まあ、その夜はそれで寝てしまったのだが。今、その後の書き込み具合を覗いて見ると、どうやらそのあたりはピアソラ好きの溜まり場だったらしくて、反論の意味なのかも知れない、ピアソラ賞賛の書き込みが続々となされていたのだった。

 いわく、ピアソラの音楽がいかに芸術的に優れているか。どれほど優れた人々がピアソラ支持を打ち出していたか。伝説の前衛ジャズ・ミュージシャンが、高名なるニュース・キャスターが、マニア好みのジャズ評論家が、こんなふうにピアソラを賛美していた、などなど。
 いや。だからさ。そういう権威主義がつまり・・・とか言ってもそりゃ、通じる世界ではない。現に、通じてないんだから。



”南”を覆うアフリカのぬくもり

2010-04-20 02:08:34 | 南アメリカ


 ”VESTIDA DE VIDA”by Susana Baca

 南米はペルーの黒人大衆音楽の歴史を体現する歌手、なんて紹介でいいんでしょうか、スサーナ・バカさん、我がブログでは2度目の登場となります。
 今回は中南米各地に伝承されている黒人音楽のいろいろを歌い上げた作品。もともとバカさんご自身がラテンアメリカ各地のアフロ系の人々が住む地域を訪ね、歌の生きている現場を、そこが孕む社会問題などと共に見つめて歩いた人であるんで、このような企画も大風呂敷には感じません。変に理想主義的だったり頭でっかちでもない。あくまでも”愛で包んでいる”ってノリの唄が流れるばかりです。

 ジャケ写真だけでしか知らないんだけど、バカさんて小柄な人じゃないかなあ?なんか、昔通った場末の飲み屋の老ママに面影が似てるんだよね。
 いつも元気で陽気に客に接してくれるけど、考え違いで人に迷惑をかける客には言うべき事をビシッと言う。そんなときのママはとっても怖くて、小柄なママなのに大男たちがシュンとしてしまったりする。
 ダンナには早く死に別れたけれど、終戦直後のバラックの時代からこの小さな飲み屋を一人で切り回し、年季の入った酔っ払いに愛されてきた、なんて・・・

 いや、バカさんがそういう人かどうか知りませんよ、ただ彼女の歌が偉そうな芸術家のそれじゃなくて、気風の良い酒場の老主人の好きで歌っている唄、そんなあったかさを感じさせて、それがいいよなあ、と言うだけの話です。世の中のしんどいことすべてを見通していてくれて、まあいいじゃない今夜は飲もうよと笑って肩を叩いてくれる。
 冒頭のキューバに伝わるアフロ系の唄が凄くいい。パーカッション群と女性たちのコーラスだけをバックにバカさんはアフリカの言葉で素朴過ぎるメロディを歌い上げる。コーラスの輪の内に、カリブ海にずっと昔、奴隷として連れてこられたアフリカ人たちが慰めに歌った古い古い村の唄の幻想が蘇ります。

 そんな人肌の”アフリカの血で繋ぐ見えない輪”がグルリと南アメリカ大陸をとりまく、そんなアルバムです、これ。
 取り上げられている唄は、非常に素朴な民謡もあればガーシュインの有名な”サマータイム”や、ブラジルからはミルトン・ナシメントの作品が、という具合で脈絡なし、といいたいくらい自由な選曲で楽しませてくれる。
 子供の遊び唄みたいで楽しい唄だなあ、と歌詞カードを見るとクリスマスを祝う唄だったり、ああそれから終わり近くに収められたワルツ、”Horas de amor”の美しいこと。
 ともかくどの曲も、聴いていると心がニコニコしてくるのであります。

 聴く者の心がアフリカの血の暖かさ、優しさにトロンと溶けちゃう、そんな作品になっている。本当はでかいテーマを掲げたアルバムであるはずなのに、そんな偉そうなものは何も感じさせないバカさんは、やっぱり素敵な人だなあと感銘させられた次第。



懐かしのイスタンブール

2010-04-18 01:20:52 | アジア
 ”MEKTUBUMU BULDUN MU”by GOKSEL

 上に掲げた写真で大方の想像はつかれるかと思いますが、なんか色っぽいねーちゃんがジャケに写っているから、ついフラフラと買い求めてしまった一枚であります。まあ、私の場合、よくあります、そういうことは。
 今回の女性は”Goksel”なる、もう何枚かのアルバムを世に問うている、まあ中堅どころと言っていいんでしょうか、トルコのポップス歌手だそうです。
 あ、彼女の名、ほんとは二文字目の”O”にはドイツ語で言うところのウムラウトが付きますが、こういうのって、昔、文字化けの原因になったりしたでしょ?だからただの”O”にしておきました。最近はもう、そんな心配はしなくていいのかな?

 それはともかく。収められている歌、もうイントロが流れ出した時に、「あ、これは普通のポップスじゃないな。おそらく何かの企画盤だ」と見当が付きました。バックの音が、ストリングスなんかも含む結構大編成なのに、なんかくすんだ、モノクロームな味わいを全面に押し出していたから。そして彼女が歌いだした歌は。なぜかはじめて聴くのに不思議に懐かしい響きを持っていて、そのままこちらの懐の中に飛び込んでくるようで、なんだかドギマギしてしまったのです。

 トルコの歌なんてものは、基本、エキゾティックなものであって、”懐かしい”なんて感情を喚起させることはない、いつもだったら。でも、ここに収められている音楽は何だか昭和30年代の日本の歌謡曲みたいな、もの悲しくて生暖かい優しさが溢れている。
 メロディラインはアラブの音階と言うより、昔の日本の歌謡曲でよく聴かれたような短調のもの悲しい響きのものがほとんどなのですな。だから私、あんまりアジアの西の果ての国の歌とも思えない、昔馴染みの歌謡曲の寝床でまどろむ安らぎなど感じさせられてしまったんです。
 GOKSEL嬢の歌声も、よくあるトルコの歌手らしいテンション高くグラマラスなものではなく、東アジア的つつましさとでも言うんですかね、そんな引きの魅力を湛えている、なかなかに切ない魅力を秘めている。これは何だ?

 調べてみますと、このアルバムでGOKSEL嬢は1970年代のトルコの流行り歌の再生を行なってみたようなんですね。トルコの人々にとって”70年代の唄”というものが、どのような思い入れの対象となっているのか、そこまでは分りませんでしたが。
 それでも私は、ははあ、これは面白いと思ったのです。そういえば東南アジアの昔のポップスなど聴いていると、「あれ、日本と同じじゃないか」なんて妙に懐かしい気分にさせられる瞬間があるのであって。
 楽しくなって来るんですね。今はそれぞれの独自性を濃厚に主張しあうようになっているアジア各国の大衆唄が、かってはもう少し曖昧で荒削りな”歌謡曲の論理”と言う名の大海で似たような姿でプカプカ浮んでいた、などと想像すると。まあ、私の勝手な空想に過ぎないんですが。

 ああ、懐かしのイスタンブール。行ったことはないんだけどね。行ったことないんだけど、いつか”帰って”みたい街。なんて気分になってくるのです、このアルバムを聴いていると。




韓国バラードの悲痛なる傑作

2010-04-17 00:05:51 | アジア

 ”내사랑 내곁에 (俺の愛、俺のそばに)”by 김현식(キム・ヒョンシク)

 東アジアのポップスに興味を持ち始めた十数年前、韓国方面に関してはポンチャクなるディスコ演歌のジャンルがあり、その痛快極まる世界をとりあえず追ってみようと方針は決まっていたのだが、それ以外にもかの国には気になる歌手はいたのだった。
 一度聴いたら忘れられない絶唱を残したまま、若くしてこの世を去って「韓国の尾崎豊」なんて異名を日本の音楽雑誌から奉られていた、このキム・ヒョンシクなる男も、その一人だった。

 十数年前に彼の絶唱、「俺の愛、俺のそばに」をはじめて聴いたのは、あれはアジアポップスを扱った深夜のテレビでだったかな、ちょっとした衝撃を受けたものだった。
 確かに、韓国人以外は歌を歌う際にあまり用いない岩石のような重たいしゃがれ声で、鉛色に曇った空を見上げて、美しいメロディに想いを託して身悶えるように歌い上げるその歌は強烈で、何を歌っているのかは分らぬものの、ともかくただ事ではない、という印象は受けた。
 この歌を発表するのと前後してこの世を去ってしまったという逸話とともに、当時、若くして世を去った記憶がまだ鮮明だった尾崎豊に喩えられるのもむべなるかな、と言う気はした。

 キム・ヒョンシクは1958年ソウルに生まれ、聞き分けの良い優等生として過ごした幼年時代から、音楽好きの従兄弟たちの影響などによりロック好きの劣等生へと転げ落ちる形で、少年期を過ごし、その後はお定まりの仲間たちとの音楽浸りの青春を送る。
 1980年に入り、彼はレコード会社にスカウトされ、プロのミュージシャンへのスタートを切る。弾き語りのフォーク歌手やコーラスグループの一員として活躍するうち、韓国のアンダーグラウンド音楽シーンで、それなりの評価を受けるようになって行った。

 1984年に発表した2枚目のアルバムが若者たちの間でヒットし、その後も「メッセンジャーズ」「春夏秋冬」と言ったグループのシンガーを務めつつ、1986年に発表した3枚目のアルバムが30万枚以上の大ヒットとなり、スター歌手への階段を上りかけたかに見えた。
 が、1987年、仲間の歌手たちと共に麻薬常用の疑いで拘束され、これが彼の最初のつまずきとなる。翌年、反省の意を示すために髪を剃っての復活ライブは若者たちに熱烈に迎えられ、その年出した4枚目のアルバムも好評だったのだが・・・

 1989年、キム・ヒョンシクは伝統あるブルース・ユニット”新村ブルース”に合流し、その音楽をジャズやブルース色濃いものにして行く。ソロ活動と新村ブルースのメンバーとしての全国ツアー。充実しているかに見えた彼の音楽生活だったが、実はヒョンシクの体は、かって麻薬が埋めていた心の空洞に彼自身が際限なく放り込んだ酒によって徐々に、そして確実に蝕まれていたのだった。「奴の体は酒で動いている」周囲の者からは、そのような陰口も聞かれたという。

 最初の麻薬騒動といい、飲み始めれば際限がなくなってしまった酒といい、依存癖の強いというか心の崩れ易いタイプなのだろう。1990年11月1日、彼は自宅で以前より患っていた肝硬変のために死去する。

 ここで話題にしている彼のバラード、「俺の愛、俺のそばに」は、キム・ヒョンシクの死の翌年、1991年にリリースされた彼の6枚目のアルバムの冒頭を飾る一曲であった。
 今、彼のその他のレパートリーも聴くことの可能になった時点で言えば、キム・ヒョンシクを”韓国の尾崎豊”と呼ぶのはかなり的外れに思える。彼の音楽性はむしろ、”韓国の徳永英明”とも言うべきもののようだ。彼の、韓国風に噛み砕かれたブラック・ミュージックのエッセンスは、80年代の韓国の音楽好きな若者たちに、さぞセンチメンタルな幻想を供給していたことだろう。

 むしろ「俺の愛、俺のそばに」におけるゲンコツみたいな感情表現は例外的なものなのであって、自らの死を予知したヒョンシクの末期の一節であるかとも思える。というのも、彼の短い人生の顛末すべてを見終えた者が都合よく作り上げた物語でもあろうけれども。
 そして今年の一月、キム・ヒョンシクの20周忌記念コンサートが昔の仲間たちうち揃って挙行されたと言う。それならばとこちらも、超小規模ながら追悼などここで行なってみた次第。それにしても、何度聴いてもたまらん曲だね、これは。



Volver 幻視

2010-04-15 21:42:32 | 南アメリカ
 タンゴの名曲、帰郷(Volver)といえば、近年ではスペイン映画「帰郷」の中で印象的な使われ方をしていて、記憶に残っている方もおられるでしょう。まあ、私はこの映画、見てないんで、何の記憶もないんだけどね。なんだ、それは。
 と言うわけで。もう4月の半ばと言うのに真冬みたいな薄ら寒い雨が降り続ける日の夕暮れ、窓を伝う雨だれの向こうに霞む灰色の街の風景を見ていたら、タンゴの名曲、「帰郷」を聴くたびに思うことなど書いてみる気になったのだった。
 あ、あの曲に関する何らかの資料を必要としている人は、ここではなく他のサイトをご覧ください。これから記すのは私の見ている幻想でしかないのだから。

 「帰郷」は、タンゴ形成期の大歌手、カルロス・ガルデルの書き残した名曲の一つ。彼が1935年、飛行機事故で惜しくも44年の生涯を終える、その直前に撮っていた映画の挿入歌としても使われていた曲である。
 帰郷と言う、まさにそのものを歌った歌なのだが、懐かしい旧友との交歓や故郷の美しい山々、なんてものを歌った、のどかな代物ではない。張り詰めたメロディと暗示的な歌詞を持つ、いかにもタンゴらしいと言うか、恐ろしく痛ましい物語がどこかに大きな影を落としている、そんな気がしてならなくなる、重苦しい影を背負った歌である。
 私がかってにこの歌の背後に見てしまっているのは、たとえば一時の感情の爆発で何人もの人を殺してしまった、なんて罪人の後日談。

 彼は長い刑期を終え、年老いて刑務所を出所したところだ。迎える人もいぬままに一人、古ぼけたローカル線の汽車に乗って故郷を目指す。昔と代わらぬ小さな田舎の駅に降り立ってみたものの、行き過ぎるのは見知らぬ人ばかり。塀の中で人生を費やした彼を、時間はとうに追い越していた。
 彼はよろめく足で彼が育った家を目指す。彼の愚行によって大いに迷惑をこうむったはずの家族は彼を、どのように迎えるのだろうか。合わせる顔もない彼だが、帰る場所が他にあるわけでもなかった。
 彼の生家は、当の昔に放擲された廃屋となっていた。崩れた土壁から差す光が、荒れ果てた家から住民たちが立ち去っていってから流れた年月が決して短くはない事を明らかにしてた。身内の犯した醜い犯罪のおかげで、住む家さえ追われた父母や兄弟たち。
 彼らの生きた過酷な運命を思って、彼は廃屋の戸口に立ち尽くしたまますすり泣いた。
 なんて話なのだが。

 いや私の幻想ばかりではなく本当の歌詞だって、つかの間の人生、忍び寄る老い、宿命的に呼び戻される厳粛なる運命の場と、相当なものを歌っているのであって。
 じきにやって来る村祭りの予感に胸を躍らせながら洗いざらしのジーパン一つ、懐かしい故郷へ鼻歌交じりで帰って行く五木ひろしの歌とはとんでもない隔たりがある。
 故郷へ帰る、それだけの事だって、ここまで重たくなってしまう。なんてタンゴとは業の深い音楽なんだろうなあとか、いつまで待ってもやってこない春を待ちながら思っているわけです。
 
 下に貼ったのは最初に述べたスペイン映画で使われたフラメンコ・アレンジの”帰郷”です。ガルデルの戦前録音のオリジナルでは、ちょっと地味過ぎるかなあと思いまして。それにしてもこの映画、見ておきたいなあ。