ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

”20世紀のベスト・ギタリスト100”特集に突っ込んでみる”

2012-04-27 02:46:23 | 音楽雑誌に物申す

 レコードコレクターズ誌5月号特集、「20世紀のベスト・ギタリスト」には唖然とさせられた。”20世紀の”と言われてもなんのことやら分からない。特集の中身を読んでも、なんだか漠然としている。
 まあ、ロックの歴史を丸ごと振り返っての、ということかとも思うが、どうも名を挙げられている黒人ミュージシャンすべてが、どこかにタテマエっぽさを含んだランクインて気がして、読んでいて居心地が悪い。そもそもジミヘンの第一位ってのが、「これをまず出しとけば文句のつけようがないだろ」的な、むしろ逃げを感じでしまうのだ。

 その他、チャック・ベリーとかロバート・ジョンソンとかBB・キングとかが上位に来ているのを見ても、彼らをそんなに上位に持っていった人たちに対し、「あんた、ほんとにそれ、クラプトンとかと並行して聴いてんの?」と、つい疑いのマナコを向けたくなってしまうのだ。「一応、ロックの成り立ちを考えに入れると、このへんは入れとかなけりゃな」みたいな、ね。そんなタテマエ主義が感じられてならない。
 タテマエっぽさでいえば、チェット・アトキンスとかレス・ポールとかもだな。そのへん、たとえばこの一年間で何回聴いた?とか、ほんと、教えて欲しいわ。
 などとまあ、考えてみればロック系のギタリストをさっぱり聴かなくなっていて、むしろ”チャック・ベリーやロバート・ジョンソン”なんかを聴く機会の方が多い身の当方としては、どうも素直にこの結果を受け入れる気分にはなれないのだ。

  また、アーティスト名のカタカナ表記が”ピーター・バラカンのアドバイス”により、より本来の発音に近いものにしているとのことだが、これもなんだか唐突で不自然だね。ロジャー・マグウィンとかロイ・ビューキャナンとかジョーニ・ミチェルとかいきなり言われてもなあ。
 まあ、この表記でレココレ誌、今後もずっと行くというのなら半分くらいは納得するが。

 ”半分くらいは”っての、あと半分はワールドミュージック野郎として言いたいことがあるのであって。
 ”本来の発音”ったって、”英語国民にとっての”でしかないんじゃないのか、結局。もっともらしく正確を期した様なこと言ってるが。
 たとえば、カルロス・サンタナはそのまま”サンタナ”となっているが、ほんとは、”本来の発音”は、”サンターナ”じゃなかったっけ?とうようさんが、よくそう書いてたっけな。
 その他、ジャンゴ・ラインハルトやイングヴェイ・マルムスティーンなんかの非英語圏の人々の名前の読みは、このままでいいんでしょうかね?これらも、”より本来の発音に近いものに”とするべく検証した結果と受け取っていいの?
 なんだ結局、「よりマニアックに英米文化に隷属してみました」ってだけの話じゃないのか?とか怪しまれてならないわけですよ、ワールド・ミュージック野郎としては。

 読んでいてふと思い出した。エイドリアン・ブリューっての、あの”リメイン・イン・ライト”で強烈な印象を残したギター弾きがいたな。彼なんかひところは大した羽振りだったが今回のベスト100には入っていない。話題にもなっていない。個人で挙げている人がいるだけで。
 結構好きだったんだけどねえ。栄枯盛衰は世の習いってやつだなあ。いや・・・こうして無名化しておいて、時が経ってから「忘れられたギタリスト特集」とかのネタにする訳か。その頃には、紙ジャケ・デジリマ・ボートラ付きで作品一挙再発の機運が高まっていたりして。まあ、いろいろありますわな。

 (とかなんとか言いつつ、「今はむしろこいつを聴きたい気分だな」の、アート・リンゼイを貼るのであった)




神話を疑え

2010-07-15 02:29:51 | 音楽雑誌に物申す

、知り合いが、レコード・コレクター誌の8月号、「日本のロック/フォーク・アルバム・ベスト100」なる記事に関してmixi日記を書いておりました。それに呼応して私が書き込んだコメントが下のものであります。そんな次第でこれだけでは意味の分からない部分もあるかと思いますが、まあ、大体の趣旨はご理解いただけるかと。

 ~~~~~

 別にパクリだってかまわないと思うのです、聴く側のこちらにしてみれば、結果としてその音楽が面白いものになっていれば良い。大衆音楽なんて、元からそんなものだった。
 節操も無くってかまわないじゃありませんか。世界中の音楽をつまみ食いしているワールドミュージック好きの当方としては、一つの音楽に操を立てて同じような作品ばかり繰り返し作り出しているミュージシャンのもたらす退屈より、よほどマシです。
 要は、結果として出来上がった音楽が面白いかどうか、それだけで十分でしょう。いくら志が立派だって生み出される音楽が退屈では仕方がない。

 それにしても、その音楽が日本のシーンをリードした、なんて。”日本のロック史=細野晴臣の歴史”なんて、おこがまし過ぎますよね。
 そもそも私、細野氏は、というか”はっぴいえんど”人脈は、過大評価のなされ過ぎだと思うのです。それほどのものだろうか?
 日本語ではじめてロックをやった、とか。では、それ以前は日本のロックはすべて英語で歌われていたとでも言うのか?あるいは、”はっぴいえんど”の”ロックの歌詞”が、それ以前の”日本語のロック”をすべて”無価値”としてしまうほど優れたものだったと言い切れるのか?

 ようするに細野氏をはじめとする人脈を”偉大なるミュージシャン”としておく方が商売に都合の良い”業界”があり、それと結託して動くジャーナリズムがあり、というまったく古くから変わらない”芸能界の産業構造”がある、それだけのことではないですかねえ。
 そして、垂れ流されるもっともらしい神話に踊らされるファンたち。
 昔、早川義男氏は”ラブジェネレーション”の中でこう歌いました。「信じたいために親も恋人をも すべてあらゆる大きなものを疑うのだ」と。
 若い皆さんには、「ベストが出たら一から疑え」とでも提言しておきましょうか。

 以上、70年代の初めに”はっぴいえんど”のアンプ運びを担当していた者として、非常に苦い思いで記しました。

失われた(?)00年代を求めて

2010-05-24 03:58:57 | 音楽雑誌に物申す

 そろそろ皆も21世紀慣れ(?)がして来たのだろうか、何かと言えば”ゼロ年代の”なんてくくりでことが語られている。そのような総括めいた振り返りがあちこちで成されている。これもそんな動きの一つなんだろうな。
 『ミュージック・マガジン』の最新号(6月号)において、”ゼロ年代ベスト100”なんて銘打たれたベストアルバム選びが行なわれている。ちょっと覗いてみて、感じた事をメモしておきたくなった。あくまでメモ。ちゃんとした感想はいつか書く。・・・事もあるかも知れない。
 MM誌のライターたちによって選ばれた、この10年を象徴する100枚のアルバムのうち私が買ったのは今のところ3枚で、うち2枚は何度か聴いた後、売り飛ばした。ここを支配する価値観は、私には別世界かも。残りのi 枚はネット上の知り合いの”s_itsme”さんが薦めてくだすったベイルートなる若いミュージシャンの盤なんだが、ずいぶん前に買ったはいいがまだ聴いてないんだから面目ないです(汗)

 だいたい、一位がディランって何かね?そりゃロックの歴史から見れば大変なミュージシャンなんだろうけど、今、ここに来て”一位”はないだろう。そういえばこの雑誌といい分家(?)のレコードコレクターズ誌といい、この頃妙にディランを持ち上げまくっていないか?再評価だかなんだか知らないが。
 まあ、その関係の雑誌をたまに覗く程度の、それこそ”良い読者ではない”読み手なので確証はないんだが、なんか裏にあるのかと勘ぐりたくなるほどの異様さを感じる。
 それから5位に選ばれたブライアン・ウィルソンの”スマイル”ってのはどうだろう?本来、三十数年前に出来上がるはずが中絶してしまった作品だ。今頃「出来上がりました」とか言われても、そりゃ壮大な後出しジャンケンみたいなもので、私もそれなりにブライアンと彼の音楽のファンでいたつもりだけど、そう無邪気に納得は出来ないぞ。ブライアンの新作というならまだしも、「あの”スマイル”が出来上がった!」とか言われてもねえ。

 それから。おや、ランディ・ニューマンがこんなアルバムを出していたのか。と思うが、さほどの血の騒ぎはない。70年代には私にとって彼は非常に重要な歌い手だったのだが。 ジャケ写真の、すっかり白髪頭になった彼の姿を見ながら、このアルバムを聴くこともないだろうと思う。彼がいまだに鋭く現実と対峙し、聴くに足る作品を作り上げているとは、言っちゃ悪いが思えなかった。ただ彼のことだ、拡散に耐え、みっともなくはないアルバムにはしているはずだ。そのことが逆に痛々しく感じられるのではないか、そんな気がして、聴かずにおこうと思うのだった。
 そんな具合に複雑な気分を誘う昔馴染みの顔ぶれを挟みながら、新しい時代のロック(だかなんなんだか)を担っているのであろう私の知らない若いミュージシャンの作品が並んでいる。それらに関しては何を言えるものではない。聴いてないんだものな。

 などと言いつつ、興味を引かれた盤にチェックを入れ、購入予定のリストに加える。なぜかテクノ方面が妙に気になっている、そんな自分が不思議ではある。また、ジャケ買い人間としてはスフィアン・スティーヴンス「イリノイ」なんて盤は絶対欲しいと思う。どんな音楽をやっているのかはもちろん知らない。
 それにしても、皆、ほんとにこの辺の音楽を聴いているのか?まあ、よく分りませんが。などと言っている間にも、酷薄な夜明けは闇の向こうに忍び寄っている。
 

聖者のラッパに耳を塞いで

2010-01-17 01:33:07 | 音楽雑誌に物申す


 聴いたこともないのに好きになれない音楽、なんて理不尽な扱いの物件が私のうちにある。それはたとえば”ソウルフラワーユニオン”というバンドだったりする。念のためにもう一回言っておくが、私、このバンドの音は一度も聴いたことがない。でも、「嫌だな、聴きたくないな」という気持ちが歴然とあるのは事実だ。
 何でこんなことが起こるのかというと、このバンド、ミュージックマガジンとか、その場所で発言をしている人たちに受けがいい、というか支持を受けているところがあるでしょう?

 で、私がこれまで接して来た、そんな場所での彼らを賞賛する論調というのは、「ソウルフラワーは良いバンドだ。なぜなら彼らの音楽は、これこれこのような理由から、こんなに正しい。それゆえ彼らの音楽は素晴らしいのだ」なんてものばかりだった。というか、そんなものしか読んだ事がない、私は。
 世界の真実を正しくとらえ行動する、正義のために戦うバンド。なんて具合に光り輝く美辞麗句を集めているでしょう、彼ら。

 なんだかなあ・・・と、うんざり気分になってしまうのだ、そんな事を言われると。「音楽の良し悪しは、それが正しいか間違っているかなんてことで決まる筈がない」と考えている私は。音楽を正義のための下働きであるべきだと位置付けかねない論には、嫌悪を抱いてしまうのだ。
 「美しい音楽は、清く正しい心から産み出されねばならない」と思い込んでいた黒人兵の悲劇を描いた五木寛之の「海を見ていたジョニー」なんて小説でも思い出してみようか。

 私はむしろ、「演歌は未組織労働者のインターなのだ」と呟きつつ、自らの作った音楽を良識派の人々から下劣な音楽として葬り去られて行く、同じ五木寛之の小説、「演歌」の登場人物、”演歌の竜”に共感を持つ人間である。
 あるいは、「私の作った演歌という音楽は、日本人が不幸な生活を送っている証しであるのです。私の願いは、日本人が幸福になって、演歌などというものを忘れてしまうことなのです」と作曲家・古賀政男先生が語った事実を胸に刻んで忘れたくないと考えている者だ。

 私はソウルフラワーのメンバーが自分たちの音楽をどのように位置つけているのか、知りません。ただ、上に述べたような論者たちをひきつけるような音楽活動を行い、それら論を自分たちの周りから排除しようとはしていないようだ、と見えはする。言いがかりっスか、これ?

 いつのまに、音楽の良し悪しを「正義か否か」で決めるようになっちゃったんですかね?本来音楽ってただカッコいいから、聴いていて気持ちよいから素敵なんではないですか?
 たとえばあなた、ここに「正しい音楽」とだけ記されたディスクと「正しくない音楽」とだけ記されたディスクとがあったとして、どちらを聴いてみたいですか?私は断然、正しくない音楽を聴くなあ。面白そうだもの。なんか血が騒ぐもの。魂を自由にしてくれそうだもの。

 「いろいろ誤読してください」と言わんばかりの文章を書いてしまったな。まあ、いずれにせよ話はなかなか上手くは伝わりません、覚悟はしてますわ。



レココレ誌の英国ロック・ベスト100が変だ

2009-07-18 03:43:18 | 音楽雑誌に物申す


 またこの話になってしまうけど・・・と言いつつ、やっぱり書かねばならんと。出たばかりのレコードコレクターズ誌8月号の特集、初期英国ロック・ポップの名曲ベスト100”なる記事についてである。そう、この種の企画に対する違和感については、もう何度も書いてきた。でも、「前にも書いたから良いや」とは、ならんのよねえ。

 今回の企画は、”ロニー・ドネガンが「ロックアイランド・ライン」を吹き込んだ1955年からサージェント・ペパーズ」発売の前年の1966年”の間に出たレコードのうちからベスト100を選ぶ、と言う企画。25人の筆者に選んでもらった個人のベストを下に編集部で構成した、と言う事。まあ、英国ロックの黎明期を探るって感じでしょうか。
 で、まずベスト1がストーンズの「サティスファクション」である。ま、まあ、そんなもんかなと。何か言いたいことがあるような気もするが、これでいいとしておくとしても。

 でも確実に疑問符を感じてしまうのが、2位と3位だ。ザ・フーの「マイ・ジェネレイション」とキンクスの「ユー・リアリー・ガット・ミー」ってのはいかがなものか。
 こんなの、完全に日本における洋楽受容史の捏造作業じゃないのか。もう答えが出ている歴史を見下ろして自分に都合の良い絵を描いた、その”後出しジャンケン”の不自然さに、もの凄く居心地の悪い気持ちがする。リアルタイマーとして、その頃の音楽を聴いて来た身としては。

 当時、フーなんて聴いてた奴、日本にはいなかった。そりゃ、一部マニアはおいておくとして。だって、55年から66年だよ。フーなんてバンド、誰も知らない。彼らが日本の音楽ファンに認知を受けたのは、あの”ウッドストック”への出演を契機に、といっていいだろう。
 私の記憶が確かならば、フーがラジオなどで聴ける様になったのだって、67年のヒット曲である「アイム・ア・ボーイ」からだったはずだ。この曲はたまらなかったよ。ラジオで聴いて即、すっ飛んでいったよ、レコード店に。で、待ちに待った次の曲、「ハッピー・ジャック」は、市民プールにおけるBGMとして聴いたのだった。消毒薬の匂いの向こうに揺れる水面を見ながら、「あ、これフーの新曲じゃないのか」と呟いたあの夏の日。

 まあ、感傷に浸るのはあとでいいとしても。ともかくそうでしょ、どちらかといえば70年代になってからの姿である”大スターになったフー”の姿から逆算して、この曲をこの辺りに押し込んだわけだよね。イギリスでは売れていた?それなら日本ではそうではなかった事実が読み取れるような扱いをするべきだと思う。英国には英国の、日本には日本の”英国ロック愛好の歴史”があるのだから。日本人が読む雑誌でしょ、日本語で書いてあるんだから。

 キンクスの”ユー・リアリー・ガト・ミー”だって、ここまで上位ってのは、おかしい。これも”現在、この曲がどういう評価を受けているか”を根拠にしての”上位入賞”だよねえ。
 さらに見て行けば「テルスター」なんて曲が10位ってのも無理やりでしょ。こんなのこそマニアのわがまま、歴史の捏造といっていいと思う。55年から66年なんて時代のベスト10に入るのが普通に納得出来ようか。
 さらに12位、”ジョニー・キッド&パイレーツ”ってバンド。知らねえよ、そんな奴ら。付けられたコメントに”過小評価を受けている”とかあるけど、では今回突然、こんな上位に無理やり突っ込んで、「よし、これで歴史は正された」と悦にいろうってのかい?基本的なところで勘違いしてないか。

 なんて話をいちいち書いて行くと、このクソ暑い中、疲れて仕方ないんでやめておくけど、ともかく言いたい。あと出しジャンケンはやめよう、と。こんな風にして自分好みの歴史をでっち上げて楽しむなんて、悪趣味と思うんだがねえ。

知らねえよ、そんな曲

2009-06-21 01:53:12 | 音楽雑誌に物申す

 ”レコードコレクターズ”誌の7月号に「アメリカン・ロック/ポップ名曲ランキング」なんて特集が掲載されていて、1954年から1966年にかけての米国のベストソング100を選んだのだそうだ。25人のライターが各々選んだ個人ランキングを元に編集部がランキングを作成した、と言う事で。
 この辺の時代になると、当方も音楽ファンになりつつある頃という事で、それなりに思い入れがある。で、昔の事など思い出しながら目を通していったのだが、聞いたことのない曲というのがいくつか出て来て、いやそれは私だって音楽ファン稼業を始めて以来、すべての楽曲にチェックを入れている訳も無し、知らない曲があって当然なのだが、なんか”居心地の悪い知らなさ加減”を感じてしまうのだ、今回のランキングには。
 その感想の正体がどうもはっきりしないので、それに関して書いてみようと思う。書いているうちにはっきりするかも知れないんで。
 どうせだからベスト10風に行く。

1)THAT'LL BE THE DAY/The Crickets(第6位)
 
 知らねえよ、こんな曲。
 全然知らない曲が、下位ならともかく6位なんて上位にランクされている。なんか異様だ。気持ちが悪い。解説を読んでみると、ロックンローラーのバディ・ホリーがクリケッツ名義で出した、彼の出世作との事、ああ、バディ・ホリーなら不思議はないや。
 このバディ・ホリーの名、昔からロックの歴史など紐解く際に毎度困惑させられて来た名前だった。夭折したロック歌手で、彼を悼んで作られた有名曲あり、彼の逝った日にロックの灯は消えてしまったのなんのとの記述あり、とんでもない偉大なミュージシャンだったみたいな記述が成されているが、こちとら、彼の音楽自体、ろくに聴いてないんだから。
 だってバディ・ホリーなんて知らないよ。日本のミュージシャンの誰かが彼の影響を受けたとか言ったか?ホリーの曲のカバーとかやっていたか?音楽雑誌やラジオの音楽番組で特集された事なんかあるか?レコード店にバディ・ホリーのコーナーなんてあるか?あなたの周りの音楽好きの友人にバディ・ホリーのファンなんているだろうか?
 私の場合、答えはすべてNO!である。普通、知らねえよ、バディ・ホリーなんて。
 バディ・ホリーの歌自体は聴いた事がないわけではない。外国の音楽番組のビデオのタグイを見ている際、ひょっこり姿を現すことがあるので、そんな時に「ああ、これがあの夭折した天才歌手って奴か」と思って注目してみるのだが、あんまり面白くない歌なのだな、これが。歌が終わって記憶に残っているのはトレードマークのメガネとファンダーのストラトばかり。ほんとにそれほどの歌手なのかなあ?と首をかしげるばかりなのである。
 そりゃ、アメリカでは大スターなんだろうけど、我が国ではそうでもないんでしょ?だとすりゃ、その辺の”日米の溝”ってのを視野に入れた文章を書かなきゃならない。と思いませんか、担当のライターさん?だって、日本人に読ませるための日本語の記事なんだからさ。
 
 2)DANCING IN THE STREET/Martha & the Vandellas(第10位)
 知らねえよ、こんな曲。曲以前に、バンデラスってグループ名にピンとこない人も多いのではないか。
 ”54-66アメリカの100曲”で、モータウンの曲の最高位がこれかい?悪いが聴いた事がない。解説は、この曲と公民権運動とのかかわりを中心になされているが、そういう意味で上位に持って来ているとしたら、そいつはいかがなものかと思う。

 3)HEAT WAVE/Martha & Vandellas(第26位)

 知らねえよ、こんな曲。これでバンデラスは2曲目だが、ここまでに出てきた他のモータウンのガール・グループものはシュープリームスが一曲だけ。なんか不自然な気がするんだがなあ。

 4)PEGGY SUE/Buddy Holly(第33位)

 知らねえけど、まあバディ・ホリーだから当然だわな。

 ここで逆に非常に共鳴できた文章に出会えたので、それに関しても書いておきたい。38位、ビーチボーイズの”アイ・ゲット・アラウンド”について大鷹俊一氏が、
 「”ペットサウンズ”期のビーチボーイズの素晴らしさもよく分かるが、同時に、このナンバーに象徴される初期の魅力も格別で、もっともっと評価されてもいいはず」
 と述べておられるが、全面的に賛成である。
 なんかいまや、音楽ファンは60年代からずっと”ペットサウンズ”に深い共鳴を示しつつ、”スマイル”の挫折に心痛めつつ時を過ごしてきたみたいな事になっているが、そりゃ嘘だよな。みんな、ビーチボーイズといえば初期の軽快で時に切ない、あの”海辺のポップス”を愛してきたんだ。”ペットサウンズ”なんて訳の分からないアルバムを評価する奴なんていやしなかったんだから、リアルタイムでは。それが現実なんだから。

 5)SOMETHIN' ELSE/Eddie Cochran

 知らねえよ、こんな曲。
 英国での順位しか書いてないけど、ひょっとして英国でしかヒットしなかった、と言うか英国でしか意義を持ち得なかった曲じゃないのか?と疑ってみたくなるコメントが付されているなあ。これ、アメリカン・ロックのベスト100でしょ?

 6)LEADER OF THE PACK/The Shangri-Las(第56位)
 7)CRYING/Roy Orbison(第60位)

 特にコメントはないが、まあ、知らねえから。

 8)I FOUGHT THE LAW/Bobby Fuller Four(第76位)

 曲自体は、実は知っている。この曲をパンクの”クラッシュ”がカバーしたものが、ロンドンブーツ1号2号の連中がやっていたラジオ番組のオープニングに使われていて、その番組はときどき聴いていたからだ。
 ・・・つまり、そういう意味じゃないの、このランク・イン?60年代に”パンクのアリバイ”をどさくさ紛れに忍び込ませておきたいって?96位にミュージックマシンなんて聞いた事もない名前のバンドが入っているのも似たような事情ではないかと・・・

 以上。当該特集記事を読んでいるうちに、過去の検証作業がいつの間にか”過去の改竄”にすり替えられていないか?なんて疑いが生まれてしまったので、あえて記す。

振り返らない街角

2007-07-26 06:22:55 | 音楽雑誌に物申す

 昨日のレココレ誌のベスト選話の続きでありますが。

 読者にベスト選考を募る応募要項の隣に、これは”回答例”って意味ででしょうかね、”ウッドストック・カフェ”なるお店の店長氏の選んだ”60~89年の間に発表されたロックのアルバム・ベスト20枚”が掲載されていたんだけど、そのセレクトに目を通した私は、うわ、これは凄いと、まことに申し訳ないながらも笑っちゃったのでありました。

 だってさあ、ベスト1がエリック・アンダーセンの”ブルー・リバー”で、その後に続くのがジャクソン・ブラウン、ニール・ヤング、ディランにバンド、ライ・クーダー、ジーン・クラーク、ボビー・チャールス、と、”70年代初頭のアメリカン・ルーツロック愛好会選定”もいいとこの世界がきっちり20アイテム、並べられていたからであります。

 もう、絵に描いたようなあまりにも典型的な例を挙げられると、思わず笑ってしまうってのはあるでしょう?そ、そりゃあんまりだ!そんなど真ん中の直球ってあるかい!と。

 まあ、何年かのずれはあるかもしれないが、この店長氏、私と同じ世代の人なんでしょう。私も70年代のはじめには、たとえば伝説のロック喫茶”ブラックホーク”に通いつめるなどして、これらの音楽に入れ込んでいた時期はありました、ハイ。そしてそれは忘れがたい素晴らしい時間ではあったんだけど・・・

 けど、この30年間のすべてを、あの数年間の思い出の中にってのもいかがなものかと。あれから後、音楽も、そして私たちも、それなりの人生を生きて来た、歴史を重ねてきたんじゃないの?

 そりゃまあ、パンクのセックスピストルズを”70年代のベスト1”としたレココレ誌の”公式見解”ってのももの凄くどうかと思う。
 で、この店長氏が今回、ベスト20選を発表するに至った契機となるのも、セックスピストルズのベスト1占拠(?)への反発があるようで、それには大いに同感できるんだけど、60年から89年の30年間の成果をピンポイントで70年代初頭のアメリカの一握りのミュージシャンに集約させるってのも、問題あるって意味ではいい勝負じゃないかなあ。

 けどまあ・・・こういう人って、いるんだろうな。私が想像するよりずっと多いのかもしれない。”あの時代だけが”と結論を出し、割り切ってしまえる人は、それなりに幸せなのかもね。
 けどねえ・・・私は、シンガーソングライターやらアメリカ南部サウンドに酔い痴れていた時代の思い出が素晴らしかったならなおさらのこと、そこからさらに一歩でも歩き出さなきゃしょうがないでしょ、と思うぞ。スモールタウン・トークは遠きにありて思うのもの、ってねえ。
 

ペットサウンズ現象

2007-07-25 04:06:33 | 音楽雑誌に物申す

 ここのところ何回か、ロックのベストやらジャズのベストやらを選出する、なんて祭りに合流して騒いできたわけですが。その震源地たるレココレ誌がついに、「あなたが選ぶ洋楽ロックアルバム」なんて企画を発表した。読者に各々のベスト20を選ばせて、その集計を行なうカタチでロックのベスト100を選出するのだそうな。またこれで一荒れあるか?(笑)

 応募規定を見ていて奇妙に感じられるのが、”1960年から1989年に発表されたロックアルバムの中から”とされている点。この30年間に限ることにどんな意味があるのかな?ロックンロールの誕生はさらに何年か前に遡ると思うんだが、それを切り捨てる事にどれほどの意味があるんだろうか?その一方、最近の10数年間も選考基準外とするのはなぜなんだろう?

 これまでのレココレ誌のベスト企画のように60年代、70年代、80年代と区切って発表してきたことにはそれなりの意味も効用もあったのだろうけど、今回のこの処置の意味は良く分からない。
 勘ぐらせてもらえば編集部に、今回の選者たる読者に対して深層心理のレベルで不信感があり、「どこかで縛りをかけないと、あいつらどんな無茶をやるか分からない」なんて形のない懸念が、なにごとかの”枠”を設ける事を欲し、”30年間に限る”とやらせたとか。

 いやほんと、何度考えても分からないね、この”30年間縛り”の理由は。特に時期を限らず、”オールタイム・ベスト”でいいんじゃないかと思うんだが。

 で、集計結果ってのは、よくあるロックの歴史の本にあるようになるのかなあ、やっぱり?単純に考えてみればビートルズとかがまず”基本”として入るわけでしょ?ストーンズもランクインだろうなあ。ハードロックの元祖としてツエッペリンとかは入るだろう。ディープパープルとかはどうなのか?あと、グラムロック関係でデヴィッド・ボウイとか。アメリカ方面はディランとザ・バンド関連かなあ。

 そのハザマに、リアルタイムじゃ誰も聴いていなかったくせに、まるで当時から名盤と認知されてきたかのような顔してビーチボーイズの”ペットサウンズ”あたりが入り込んで、一気に話はうさんくさい方へ。

 そういや、”後から追いかけたお勉強の結果の一票”と、”その音楽と同じ時代を生きた者の証言としての一票”が同居するってのはどうなの?これはちょっと意味が違うんではないか。と、ここまで考えて、自分がこの種の企画に感じる違和感がなんであったのか、判ったような気がした。

 勝手に”ペットサウンズ現象”とか名付けようか。こいつは、歴史が、あとの時代の人の都合で書き換えられてしまう事に対する、リアルタイマーとしての居心地の悪さの表明である。

 もう一回言うけど、発表された当時、日本のファンで”ペットサウンズ”を評価していた奴なんて、誰もいないんだからね。それがいつの間にか、”当時、我々はブライアンの目指した音楽の高みに驚嘆したのだった”とか、歴史の捏造が行なわれてしまう。
 一方、当時を知らない若いファンは、すでに勝負の終わったゲームの、その結果だけを見て「やっぱ、この辺は定番でしょう。早くデジリマ再発されないかな。当然、紙ジャケでね」とか言う、と。

 どうにかならんのか、と思うんだけどねえ。まあ、こんな風にして記憶は歴史に書き換わって行くのだろうけれども。と、もう完全に老人の慨嘆だなあ、これは。

”レココレ誌の60年代”をさらに疑う

2007-05-31 05:16:10 | 音楽雑誌に物申す

 昨日の続きでアレですが。

 昔々、あるフォークグループがやっていたラジオの番組で、視聴者から寄せられた彼らの新曲への感想文が読み上げられたのです。その視聴者のお婆ちゃんが、彼らの新曲をラジオで聞いていて洩らした言葉として。
 「ああ、私も若い頃、あのかたと、この歌のように夜の××の町をいつまでも二人だけで語り合いながら歩いたものじゃった。私は女学校に入ったばかり、あのかたも旧制高校の学生さんでのう」

 フォークグループのメンバーは”良い話”として、その葉書を読み上げていたのだが、私は「嘘付け」とせせら笑っていたものだった。あのなあ、戦前がどういう時代だったか分かってないだろ。今と同じ”恋人たちの風景”がずっと昔からあったと信じてるの?
 たとえ兄と妹の間柄といえども、若い男女が二人連れで夜の街を歩いたりすれば大顰蹙だったの、その頃は。ましてや、旧制高校生と女学生が二人きりでなど、考えられないんだってば。そんなの、視聴者の”作り”のエピソードに決まっているじゃないかよ。

 あの葉書を思い出させるものがあります、「レココレ」誌の”60年代ロック記事”は。まるで今と同じ時代が、30年も40年も前から続いていたかのような。
 60年代も、今と同じように皆がポンポンとアルバム単位でレコードを買い、誰それの新作は名盤だの何だのと普通に語り合われ、音楽雑誌にもそんな記事が溢れていたかのような印象を受けるでしょ、あの特集を読むと。

 そもそもさ、今日あるようにシリアスにポピュラー音楽について語られるようになったのは、あくまでも”ニュー・ミュージック・マガジン”が創刊された後の話であって、それ以前の音楽雑誌は、”軽い芸能の話題”に終始していたんだよ。

 「どこそこのバンドのメンバーの何とか君の靴のサイズは何センチ」とか「好きなタイプの女の子はこんな感じ」なんてのが音楽雑誌のメインを占める話題であって、「このアルバムにおける黒人音楽の影響は」とか、「××の新アルバムを分析する」なんて話題をする奴が、今と同じような形で存在していたわけじゃない。

 そりゃ、マニアの人々はいましたよ。アルバム単位で音楽を聴くような。けど、いつの時代にも例外的に存在する、そんなマニアの人を基準に話をしてみても仕方がないしね。

 当時は皆、軽くて浅いポップスファンだったの。どれが名盤だの何だのって屁理屈並べたりはしていなかったんだよ。で、お金が無かったからレコードはシングル盤しか買えなかった。当時、”名盤××”なんて、リアルタイムで買えた奴なんて、まずいなかったんだよ。買えなけりゃ聞けない訳だし。

 そんな時代の音楽のありようを語るのに、今と同じ”ベストアルバム100選”みたいなやりかたって、なんかおかしい。別の語り方がなされなければ、”同じように時代背景が連なっていた”みたいな誤解の発生の元にしかならないと私は思うのですね。

 なんか、音楽雑誌の”記事作りの都合”に合わせて音楽の歴史が組み替えられていっているような。そんな違和感を感じてならないんです、レココレ誌の特集記事を読むと。

レココレ誌の60年代企画に反発

2007-05-30 02:22:27 | 音楽雑誌に物申す
 もう古い話題ではあるが、お許し願いたい。「レコードコレクターズ」誌で、おそらく同誌の創刊何十周年記念とかの企画なのだろう、60年代や70年代のロックのアルバム・ベスト100の選出などが行なわれた。

 私もレココレ誌の企画を立ち読みしたとき、自分もアルバム100枚を選んでみたい欲望にかられたのだが、考えてみれば私が音楽をアルバム単位で聴きだしたのは69年も終わりの頃で、69年だけのベストを”60年代のベスト”とか言って選出してみるのもおかしな気がする。
 といって、当時、リアルタイムで聞いていなかったアルバムを後追いで、つまり今の耳で聴いてあれこれ言うのも、なんか違うなあ、と。

 そりゃ、”当時まだ生まれていなかった”なんて人たちがそのようにして過去の名盤とかを語るのはしょうがないとしても、あの時代をリアルタイムで生きた、つまりは私の同時代人たちに、今の”結論”の出た後の視点なんかで自らの歩いた道を語って欲しくないのだ。何を冷静になっているんだよ。そんなに”権威”が欲しいのか。あの頃、自分の流した血や汗や涙について語ろうぜ。

 (そして若者たちよ、先人たちの選んだ”定番”を追認し過ぎてはいないか?という疑問もあるぞ。それこそ60年代の終わり、ジャックスの早川義夫は歌っていたぜ、”信じたいために 親も恋人をも すべてあらゆる 大きなものを 疑うのだ”と)
 
 ディランのアルバムなんて当時、一般の音楽ファンは誰も聴いちゃいなかったよね?ディランどころかビートルズだってアルバムで聞いてる奴なんて、相当のマニアしかいなかった。
 ビーチボーイズの”ペットサウンズ”が当時、評価されていたみたいな嘘は言うのはよそうよ。当時、私はビーチボーイズはファンだったけど、でもあの頃のファンは皆、サーフ・ミュージックのシンプルなファンだったのであって、誰が”ペットサウンズ”の芸術性に関する話なんかしてたかって。リアルタイマーとして証言するが、そんな奴は絶対いなかった。

 などなど・・・レココレ誌の記事を読みながら、実は「オノレの音楽ファンとしての過去を都合の良いように捏造するんじゃねえよ」みたいな反発の思いも湧いて来ないでもなかった私だった。

 「とびきりスィートな60’ズ。いつも決まって海辺で聴こえていたのは、あのビーチボーイズ」とか嘘はやめよう。あの頃、海辺で聴こえていたのは、バッキー白畑とアロハ・ハワイアンズとかエセル中田。加山雄三やベンチャーズなんか、かっこ良過ぎたくらいでさ。

 ふと思い出す。まさに60年代、私は中学最後の夏休みをただひたすら泳ぎまくって過ごすために、町の沖にある小島に友人たちと泊りがけで出かけたのだった。泊まった民宿の窓辺に仲間のうちの誰かが置いたラジオから、そりゃもちろん、そのような番組を選んだからなのだが、ストーンズの”ジャンピン・ジャック・フラッシュ”とビーチボーイズの”グッド・バイブレーション”がたて続けにかかり、そいつはまるで奇跡に思えたのだった。

 それじゃ、60年代の当時に聞いていたシングル盤のベスト××でも挙げてみる。
 思いついた順。だから順位も無し。ジャンル分けも何も無し。”当時の私にとってのリアル”を最優先し、推敲もなにもなく速度で勝負だ。ベスト××というのは、面白いと思える間だけ続け、飽きたら即、やめるため、いくつ選出することになるか分からないためである。
 さて。

グッド・ヴァイブレーション(ビーチボーイズ)
黒く塗れ(ローリングストーンズ)
イン・ナ・ガダダヴィダ(アイアン・バタグライ)
孤独の叫び(アニマルズ)
愛しておくれ(スペンサー・デイビス・グループ)
CCライダー(アニマルズ)
デイドリーム(ラヴィン・スプーンフル)
アイム・ア・ボーイ(ザ・フー)
サニー・アフタヌーン(キンクス)
リリー・ザ・ピンク(スキャッフォールド)
マザーズ・リトルヘルパー(ローリング・ストーンズ)
サマー・イン・ザ・シティ(ラヴィン・スプーンフル)
ビコーズ(デイブ・クラーク・ファイブ)
サイレンス・イズ・ゴールデン(トレメローズ)
恋はお預け(クリッターズ)
ブラック・イズ・ブラック(ロス・ブラボーズ)
アウト・オブ・タイム(クリス・ファーロウ)
ハンバーグ(プロコルハルム)
銀色のグラス(ゴールデンカップス)
可愛いあなただから(ズーニーブー)
ラストチャンス(フラワーズ)
バック・イン・USSR(パワーハウス版)
恋はもうたくさん(ダイナマイツ)
ブラインド・バード(モップス)
Mrプアーマン(カートゥーン)
僕のベイビーになにか?(サム&ディブ)
ブルー・スター(シャドウズ)
太陽はもう輝かない(ウォーカーブラザース)
青空が知っている(デイブ・クラーク・ファイブ)
ラブ・ジェネレーション(ジャックス)
モーニングサービス(シモンサイ)
モーニング・ブルース(沢知美)
ふうてんブルース(緑川アコ)
ウーマン・ウーマン(ユニオン・ギャップ)
アズ・ティアーズ・ゴー・バイ(ローリング・ストーンズ)
霧のカレリヤ(スプートニクス)
悪い星の元に(アルバート・キング)
いとしのドーチカ(ザ・ジェノバ)
狂ったナポレオン(ナポレオン14世)
レイン・オン・ザ・ルーフ(ラヴィン・スプーンフル)
さよならだけが人生ならば(寺山修司作・劇中歌)
愛なき夜明け(アウトキャスト)
ベンド・イット(デイブ・ディー・グループ)

あ、ダメだ、疲れたんでこの辺でひとまず。