ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

ディキシームーンと飲んだ夜に

2011-09-30 03:48:10 | 北アメリカ

 ”Black Cloud”by Davina Sowers & The Vagabonds

 こいつは最近のアメリカの女性シンガー・ソングライターの中でも出色といっていいのではなかろうか。女傑、Davina Sowers。
 女版ドクター・ジョンかトム・ウエイツか、といったノリで、ホーンセクションを含むオールドジャズ調のバンドを従え、ピアノの鍵盤をぶったたきながら、どでかい声でジャジィにブルージィに呻き、叫ぶ。ともかくそのエネルギッシュなパフォーマンスには敬意を表するしかない。

 盤に収められている曲はすべて彼女の自作なのだが、見事に今の時代の流行とは関係がない。古道具屋の店先で見つけたSP盤の流行り歌をコピーしたのだといわれれば、たいていの人は納得するだろう。あるいは、”マスウエル・ヒルビリーズ”期のレイ・デイヴィスを想起させるものもあり。

 アメリカの古いジャズやポップスへのオマージュなのか、皮肉なのか。Davina Sowers。の歌には、黒光りした苦味がその底に一貫して流れている。セピア色に彩られた時代錯誤のジョークの影に、現世に対する痛烈な批評がちらつく。それらが強力なスパイスとして作用しているからこそ、これらの歌、作り物のクセにこんなにもリアルに響き渡る。

 それにしても、Davina Sowers。何者なんだ、この女は。その歌、ニューオリンズの古い通りの匂いまで伴って。もう何度、聴き返したか。 




時の日差しの海へ

2011-09-28 05:12:05 | フリーフォーク女子部

 ”The Home Place”by Orlaith Keane

 というわけで、フォ-ク・ネタは続くよいつまでも~♪という状況で申し訳ないですが。
 ”セプテンバー、だって9月はフィンガー・ピッキング気分の月、移り変わる季節の色が君の面影呼び戻すから~♪”とかなんとか。日本人の心の琴線、こんなものですわな。
 あっと、そうは言いつつも私のルーツは60年代のブリティッシュ・ビート・グループの音楽なんであって、フォークじゃないです念のため。フォークギターなんか弾く気になったのは、あの伝説のロック喫茶・ブラック・ホークに通うようになり、シンガー・ソングライターの音楽に興味が出て来てからの話。

 そんなわけで今回は、あのアイルランドの歌后、ドロレス・ケーンのいとこ、という人の今年出たデビューアルバムであります。「そういう人だったら、そりゃ歌もうまかろう世」と、私などは本人の努力とかハナから無視で気楽なことを考えてしまいますが、さて、どうなんでしょうか。
 などと勝手なことを言いつつ聴いてみると、なるほど、声質や節回しなど、そこはかとなくドロレス・ケーンの面影がある。まあ、こちらがその気で聞いてしまうせいもあるんだろうけど。
 で、スッと空気が澄んでアイルランドらしい寂寥感漂う雰囲気の中で、ドロレス似の声を響かされると、なんだか”権威”になってしまった自分から自由になりたくなったドロレスの生霊が、まだ無名のイトコの身に乗り移り歌っている、なんて仮説も思いついたりするのだった。(ひどい話だ。大臣なら辞表を出さにゃいかん)

 ここには定番のトラッド曲と、ジョニ・ミッチェルやメアリィ・チャピン・カーペンターなどの新作フォーク曲が平行して収められているわけだけれど、何か両者、とても良い響き合いをしている。今日は過去に光を当て、過去が今日を照射し。こうして歌を響き合わせることで、今日を生きる魂と遠い昔に生きた人々との間の静かで深い魂の交感が行われる。波間に沈んでいった少年水夫の想いと、ビルの谷間で「人生なんてほんとに分からない」とつぶやく少女の想いと。
 灰色に荒れる北の空から一条の光が差し、過去も未来もここでは等しくリアルに映し出された。うん、これはあまり見たことのない光景だな。




いじわるなギター天使

2011-09-27 04:03:44 | フリーフォーク女子部



 ”Don't Hurry For Heaven”by Devon Sproule

 幼い頃、ちっぽけなヒッピーのコミューンかなんかで育てられた女性というんで、浮世離れたキャラを想像したんだが、むしろそのすっとんだユーモアで間抜けな浮世をおちょくり倒す感覚は、大都会のど真ん中で育ったおしゃまな女の子って感じだな。
 このジャケは自由の女神のパロディなんだろうか?彼女だったら、十分考えられるが。
 なんともユニークな個性の女性シンガー・ソングライターだ。根っこにはカナダ人ながらカントリーがある感じなんだが、ポップ方向によじれまくってばかりいる。その、見事なずっこけを決めてみせたときのドヤ顔が彼女の真骨頂なんだろうな。

 途中で、それまで「おう、良いな。誰が弾いてるんだろう?」と感心していた、コリコリした音感のファンキーでひょうきんなフレーズ決まりまくりのエレキギターが、彼女自身が弾いていることに気がつき、のけぞる。ラスト曲なんか、そのエレキギターのみの弾き語りナンバーだ。
 シンガー・ソングライターながら生ギターの人ではなく、あくまでエレキギターの人であるのもかっこいいじゃんか、Devonよ。歌詞にも「ライ・クーダーの新しいのがラジオから」なんて一言がさりげなく放り込まれ、そもそもがギター少女なんだろうね。
 私は、彼女がギター弾きまくりのオール・インスト・アルバムが出たら買うね、うん。聴いてみたいね。

 いや、痛快なねーちゃんが出てきたものです。ここでとぼけた漫談を聞くような趣さえある歌詞の内容にもあれこれ言いたいところなんだが、それをやるほど英語に自信がないのが残念だ。
 そうそう、せっかく女の子の歌ってるCDを買ったのに、歌詞カードにはむさいオッサンの写真ばかりがある、というのも彼女独特のサドなユーモアなんだろうか。一見、ロリロリした天使のようなアイドル声の向こうに、人の隙を見ては足払いかけてくるような皮肉な視線がある。かなわんなあ。



野を渡る風の歌

2011-09-26 03:40:36 | フリーフォーク女子部

 ”COLOUR GREEN”by SIBYLLE BAIER

 ジャケ買いよりさらに原始的な形、雰囲気買いとでも言えばいいんだろうか。
 昔撮った白黒写真が長い時を経てセピア色に変色してしまった、みたいな色合いのジャケ写真には、なにやら寂しげな風情の女性が目を閉じて佇んでいる。
 遠くまで広がる背景は休耕田なのか単なる荒地か。遠い昔に見たことがあるような風景。だが、それがいつでそこがどこか、思い出すことは出来ない。
 そんなジャケの雰囲気に惹かれて手に入れた一枚だ。

 アルバムの中から聞こえるその歌は、まさにこの物寂しげな風景を吹き抜ける晩秋の風の囁きみたいに聴こえる、ひそやかなものだ。
 歌っているのはドイツ生まれでアメリカの映画界で活躍した(今でも活躍しているのかも知れない)女優、SIBYLLE BAIERである。

 1970年代のはじめ頃、彼女は自作の歌を、自ら爪弾くギターを伴奏に、自宅の一室で家庭用のオープンリールのテープレコーダーに録音した。が、それは日の目を見ることもなく(というか、そもそも売る気であったのかどうかも分からないが)終わった。
 彼女のその音楽はやがて30年の時を経て、彼女の息子があるロックミュージシャンのところにそのテープを持ち込む、という経緯でCD化され、こうして世に出ることとなった。

 この音楽をなんといったら良いのだろう。気配そのものを音楽にした、なんて表現が一番近いように思える。意識の流れに沿ってゆらゆらと微妙に揺れ動くメロディ。つぶやくように歌われるその歌は、我々一人一人が内に抱える寂しい荒野を吹き抜ける風の音に、やっぱり似ている。



北国の少女たち

2011-09-25 03:56:32 | フリーフォーク女子部

 ”Girls from the North Country”by Dala

 土曜日の昼前、急な用事が出来て、いつものTシャツ&短パンで愛用のバイクにまたがり、エイヤッと出かけたのだが、一分と走らぬうちに吹き抜ける風に震え上がり、あわててUターン、家に着替えに戻った、なる間抜けごとがあった。
 何なんだよ、この気候は。昨日までは盛夏、今日からは秋の盛りって、そんな馬鹿な。などとぼやきながらアクセル吹かしつつ、長袖のトレーナーの捲り上げた袖口に遊ぶ冷やっこい風に、秋口にはなぜかいつも頭の隅に浮かぶ、いくつかのイメージを噛み締めた。
 中学から高校にかけて好きだった、もちろん話の一つもしたことのないまま終わった同窓女子のことや、ポーンと高い青空の下で気ままに出かける秋の旅や、もう顔を合わさなくなってずいぶんになる古い友人の顔など、もうとっくに遠いものになってしまったものたちのことなど。

 今回、取り上げるのは、カナダの女性フォーク・デュオ、”Dala”である。昨年、彼女らのアルバムをこの場で取り上げたはずだが、あれがデビュー盤になるのかな。北国らしい、爽やかな美しさのあるアルバムだった。
 今回はライブ盤である。それにしてもこのタイトル・ナンバー、もちろんディランのあれなのだが、まるでDalaたち二人のための曲みたいじゃないか。まあ、私は似たような歌詞のスカボロー・フェアでも歌って欲しかったんだがね。その代わりというんではないが、ジョニ・ミッチェルの”Both Sides Now”がカバーされている。あくまでもカナダにこだわる、かぁ・・・

 で、2曲目の”マリリン・モンロー”という曲が非常に気になる。前作にも入っていなかった曲。この盤には歌詞カードがないんで、正確な歌詞がわからず、あれこれ言うことが出来ないが。
 簡単な伴奏は入っているが、実質、二人だけのステージと言っていいだろう。ワイルドにコードを叩きつける生ギター、時にパワフル、時に繊細に、二人のハーモニーが生だけに生々しく響き渡る。
 聴いていると、カナダ人の女の子になってギターケースを肩に、オタワでもモントリオールでもいいや、もう雪の降り始めた町を歩きぬけてみたくなる。大股で、力強く歩を進める。チャラチャラした若い男たちが声をかけてくるが、それどころではない、私にはライブがあるのだ。

 自分たちの歌の世界を見つけた、そんな感動に満たされた二人が、嬉々として音楽の中にいる。そんな二人の充実感に共振してみる、そのことが快いのだ。
 このアルバムで一番美しい瞬間は、やはり中盤、あの”Heat Like a Wheel”からトラッド曲、”Red is the Rose”へと流れる場面だろう。美しいメロディに乗って澄んだ余情が、スッと透明になり、ずっと空の高くの永遠に溶け込んで行く。
 ラスト前に、”Oh Susanna”の4人をゲストに迎えてバンドの”The Weight”を歌いまわす。こんな具合のこの曲の使い方があったとは知らなかった。

 ジャケの二人は、薄明の中で線香花火みたいなものを持って歩いているのだが、なんだか蛍狩りをしているようにも見える。それにしても、本当は何をしに行くところなんだろうな。





哀しき玩具

2011-09-24 05:18:59 | ヨーロッパ

” Computerwelt ”by Kraftwerk

 車を運転するとき、たとえばパフュームなんかを聴きながらだったりするのだが、まあ、アイドル好きの当方、文句は言いたくないが「これのなにがテクノなのだ」と違和感を感じたりしている。パフュームってのサウンドって、テクノってことになってるわけでしょ?
 でもねえ・・・あのサウンドは低音ドスドス重た過ぎるし、音は厚ぼった過ぎるしヘビメタめいた音圧強いギターが終始鳴り渡っていたりするのは、いかがなものか。あれ、ただのシンセを強調したハードロックでしょう。私の感性ではそういうことになる。
 それでもカシユカは可愛かったりノッチは良い女だったりアーチャンのオッパイでかかったりするので、しょうがないから聴いちゃったりするんだけどさ。

 テクノってのは、もっともっとオモチャみたいな薄っぺらで浅い音が粋なわけでしょう?安っぽいブリキのオモチャの楽しさ。重苦しい芸術なんかとは本来、縁のないものだ。
 発祥以来、テクノの持っていた、そんなチープの美学を放逐したのは、言うまでもない、あのYMOの商業的成功だろう。そりゃ誰だってゼニは欲しい。その世界の古兵までもが、あれをやれば売れるのかってんで便乗を図り、そのサウンドを重苦しいYMO風に、実に軽薄な態度で変化させた。

 降る雪やテクノも遠くなりにけり。などとつぶやき、このアルバムを取り出してみる。テクノの開祖・クラフトワークの1981年度作品、「コンピューターワ-ルド」のドイツ語盤、「コムプーテル・ヴェルト」である。
 まあ、あんまりやる気があるとも思えないいつものボーカル部分がドイツ語で歌われている、という違いしかないが、いや、なんとなく物々しくて面白いじゃないですか。

 このアルバム発売時点で、もう彼らはテクノ最前線から置いてけぼりを食ったみたいなイメージで見られていた。いや、それでもいいよ、テクノ最前線の音があれなら喜んで時代遅れになってやろう、と私なんかは確信を持ったものです。それでも、このアルバムにややこしい理屈付けをしたがる人もいて、うんざりさせられたものです。いいじゃないか、テクノなんかオモチャなんだからさ。






見えない演歌

2011-09-23 04:24:28 | その他の日本の音楽

 ”↑このアルバムじゃなかったみたいだな”

 ええと、演歌に寄せる悲しみの・・・何だっけなあ。悲しみのポーズ?違うなあ。なんか、そんな曲名だったんだが。などと、もう長いこと首をひねってきました。でも、思い出せないその曲名。
 そもそも話は大昔に及ぶのだが、べテラン・ジャズギタリストの増尾好秋がまだバリバリの若手だった頃。まだ大学生なのに渡辺貞夫のグループに迎えられたり、輝いていたね。
 その当時彼がリリースした・・・多分、最初のソロアルバムだと思うんだけど、そのアルバムの最後に奇妙な題名の曲があって、それがさっきから私が思い出そうとして思い出せない、その曲だ。時は1960年代末。そんな時代だからジャズマンが演歌嫌悪の曲など奏でても、あんまり不思議じゃない。

 ともかく、それは私好みの変な曲に違いない、聴いてみたいなあ、と切に願ったのだが、当時の私はまだ小遣いを貯めてやっとの思いでシングル盤を買っていたロックファンに過ぎず、単なる変なもの好き魂からジャンル違いのジャズのアルバムなど買えるはずもない。もちろん、当時は貸しレコード屋なんかなかった。しょうがないから心惹かれつつもその曲を聴く機会もなく、いつしかその曲の存在そのものを忘れてしまったのだが。
 時は流れ・・・ふとその奇妙なタイトルの曲の存在を思い出した私は、気がつけばオトナになっていて、ジャズのアルバムの一枚くらい、気まぐれで買うことも可能になっていたのだった!

 私は慌てて、ジャズアルバムのカタログを繰った。が。どうしたわけだ、ギタリスト増尾好秋の1st、”バルセロナの風”には、そんなとぼけたタイトルの曲は収められていないのだった。
 あれえ?おかしいな、どこかで記憶が入れ違ったのだろうか。ほかのジャズギタリストのアルバムと取り違えているのだろうか。でも当時、私は日本のジャズギタリストといえば増尾好秋くらいしか知らなかったし、ほかの人と間違いようもないのだ。
 なんだろうね、これ?いや、確かに見たんだよ、「演歌に寄せる悲しみの・・・」って曲名を。不思議だなあ。と、深い霧の彼方に揺れる、不確かな記憶の海を想う。

 You-tubeで”演歌ジャズ”と入れたら、↓こんなん出てきました。




コルドバのガラガラ娘

2011-09-22 03:17:11 | 南アメリカ

 ”TIERRA AGRESTE ”by FLORENCIA TORRES

 そもそもは、あるパンフレットの隅に載っていたこのアルバムの広告を見、ジャケ写真の彼女のビジュアルに興味を持ってしまった私なのだった。そう、またジャケ買いなのであって。
 彼女は19歳のアルゼンチン人で、新人のフォルクローレ歌手。今年出た、このアルバムがたぶんデビュー盤である。フォルクローレなんていうとねえ。なんか甲羅を経た爺さんばあさんがしわがれ声で歌うのを聴くのが定番であって。こんなアイドルみたいな子が、どんなフォルクローレを歌うんだろうと楽しみだったんだが。うん、期待した以上に楽しめたのだった。

 まず、若い女の子が基本的に持っているアイドル声の面影を残しつつ、なにやらぶっとい声でドスコイとパワフルに歌いきってしまう、その潔さが嬉しい。なんか、「あと50年くらいしたら、渋い歌い方ってのを身につけるから、それまで放っておいてくれる?」って年寄りの説教を封じておいて、高く広がるアルゼンチンの巨大な青空の広がりの下、気持ちよさげに好きな歌を歌う、そんな生命力の弾け具合がね。

 また彼女は、歌の間に時おり、あの漫才の西川のりおが「ホーホケキョイッ」とかガラガラ声で怒鳴る、あれと声質も間もそっくりな歌声を混ぜる、変な芸を持っている。これはフォルクローレの世界に伝統的にある唸り芸なんだろうか?
 ふと、デビュー当時の都はるみなど連想してしまうんだけど、TIERRA AGRESTE のそれは、あれよりずっと柄が悪そうで良い感じなんだ。客席でも、「おおっ、来た来た来たっ!」とか喜んでいるんじゃないのかな、皆は。

 なんてレベルの庶民派の彼女だが、この天然パワーでどこまで行けるか。これからどんな風にフォルクローレの世界に新風を吹き込んでくれるのだろう。楽しみだね。




風と雨の向こう、アンドロメダまで

2011-09-21 01:50:56 | アンビエント、その他

 ”Hingus”by Sven Grunberg

 バルト三国はエストニアのシンセサイザー奏者、1981年度作品。もはや古典的名作でしょうか。まあ、いずれにせよ、マニアしか聴いちゃいない盤なんだが。
 なぜか分からないが、ひどい雨に降り込められた夜など、決まってシンセサイザー音楽を聴きたくなる。それも一人宅録でじっとり作り上げられたようなオタク臭の漂う奴が良い。

 さんざんへんてこりんな動きをした挙句、台風は本土上陸をすると決めたようで、今は関西方面に照準を定めている。紀伊半島あたりの大変な被害予測など訊くにつけても、中上健次の紀行文集、”紀州”など、もう一度読みたくなったりしている。いや、新宮とか那智勝浦とかの地名を聞くたびに中上の顔が浮かび、「俺って、そんなに中上のファンだったっけ?」と不思議になるが、何のことはない、私は中上とその作品を通じてしか紀州について知らないのだった。
 というわけで、夕刻から降り始めた極太の雨音と混ざり合うように、Sven Grunberg のシンセサイザーが鳴り続けている。

 シンセの機材に関する知識など、私にはないに等しいのだが、30年も前の作品となると演奏センスとともに、やや古めかしい部分も出て来ているのではないか。アタックを効かせて衝撃音を響かせる、あるいはミステリアスにメロディをうねらせる。そんな折々に、なにやら昔のSF映画を見ている時のような時代のずれを感ずる。それは辺地を行く蒸気機関車を見て「かっこいい」と感ずる感性があるように、この作品の、むしろ魅力となってはいるのだが。
 SF映画を連想してしまうのは、この印象的な星雲の天文写真をジャケに使っているからもあるのだが、ともかく硬質で透明感のある美学を芯に置いて描く音世界は遠方の星々に寄せる思いに良く似合う。このあたりは北国のミュージシャン独特の詩情かとも思うのだが。ともかく深々と鳴り渡る電子音が、果て知れぬ宇宙の暗黒を渡って行く冷え冷えとした美しさはたまらない。

 Sven Grunbergは東洋の文化に惹かれていたらしく、インド音楽や東洋思想にかかわる作品を書いたりしていたが、あまり露骨にその趣味が正面に出てこないのが趣味のよろしいところだろう。それでも、この作品にもやはり、アジアの民謡で使われる音階に近いものが所々に顔を出し、不思議なエキゾティック感をかもし出す。それが生み出す、ある種チャーミングな効果を、作者はどこまで自覚していたか。
 などと言っているうちに雨は上がっていたが、もちろん台風はこれからが本番なのである。さらに宇宙の旅を続けることとしよう。




ハイウエイの終わるところに

2011-09-19 04:09:07 | 北アメリカ

 ”Si9ngin' and Swingin'”by Earl Grant

 その頃の私は心を閉ざし気味のチューボーで、趣味はSF小説を読むことと海外から送信されてくる日本語放送を聴くことだった。ヒイキはストルガッキー兄弟と北ベトナム放送。音楽ファンとしての営業はまだ始っていなかった。もうすぐ、ではあったが。
 その日、私はモスクワ放送が始まるまでの時間つなぎとして、当時、テレビの深夜枠11PMの司会などで当時、売り出し始めていた大橋巨泉のジャズ番組を聴いていた。もちろん私は、まだジャズのファンでは無かったわけだが。

 聴くでもなしに流していた番組の中で、巨泉がさんざん、外国のミュージシャンの悪口を言っていた。どうにも軽薄きわまる奴で、ミュージシャンとしても2流である、そんなことをいっていたような気がする。冗談めかしていはしたが、本気でバカにしていたようだ。
 「で、こいつが、どういうわけか”The End”なんて歌を歌っちゃうんだよな。これが音楽の面白いところだねえ。くだらない奴がまぐれでこんないい歌を歌ってしまう。、けど、それ以後、良い歌を歌うようになったかといえば、そんなことは無い、あとは相変わらずのアール・グラントだったわけさ」
 そう言って巨泉はその曲をかけたのだった。この曲には、やられた。

 まだ音楽ファンを始める前とはいえ、そのグラントなる歌手が”ジ・エンド・オブ・ハイウェイ”と歌い上げる美しいメロディの向こうに、長い旅としての人生のさまざまな局面を乗り越えてその果ての、本当の終着点で何ごとかの真実に触れた男の慨嘆が聴こえた。
 そうか、と私は思ったのだ。そのような場所にたどり着くことこそが人生の意義なのだ、と。いや、そんなことは思わなかったさ。そのとき感じた感動を今、言葉にしてみればこうなるんじゃないかというだけのこと。

 あっと、その歌がそのようなテーマであるかどうかなんて、この場合関係ない。その歌を触媒としてそんな感動を得た、という話だ。
 はるか遠い宇宙における星々の生成やら、モスクワの放送局でニュースを読むアナウンサーの声に独特のエコーがかかっているのは、あれはそうなってしまうのかわざとやっているのか、なんてことを主に興味を持って日々を生きていたチューボーの心に、そんな感興をもたらした、というだけのこと。

 その Earl Grant の盤を私が手に入れるのはずっと後のことだ。 Earl Grant は1931年、オクラホマで生まれ、なんて話は誰も興味が無いだろうからやめておくが。
 ベスト盤であるこのアルバムを聴くと、巨泉がバカにするのもむべなるかな、という感じだ。ハモンドオルガンの弾き語り、という珍しいスタイルの彼は、もともとのもちネタなのであろうジャズ小唄をはじめとしてラテンのヒット曲やらカンツォーネなどなど、まあウケさえすれば何でもやったらしい形跡がある。そんな彼は、感じとしては音楽芸人と呼ぶのが正しいかと思う。
 とはいえ、そんな芸風の影にジャズマンとしての矜持をかけた鋭いプレイが一閃する、なんて場面があるかといえばそんなことは無く、自慢のハモンドオルガンは穏便な和音を終始のどかに奏で、そのサウンドの一番似合う場所は海沿いの温泉街のホテルのサパー・クラブだ。

 いや、別に彼の悪口を私も言いたいってわけじゃなく。いいじゃないか、志は高いとは言えないかも知れないが、なんか憎めない奴だよ、 Earl Grant は。と言いたいのだ、むしろ。
 そんな”軽い営業”にかまけて生きてきた男が、あるとき、ひょんなことからすばらしい輝きを放つ。そんな瞬間に立ち会うことがつまり、大衆音楽を聴くことの喜びの一形態と言えるんじゃないかな。などと思った。というか、そう、 Earl Grant に教えてもらったと言うべきか。

 P.S
 書き終えてから、あの時ラジオでしゃべっていたのは巨泉氏ではなく別のジャズ評論家だったんじゃないか、なんて気もしてきた。ずっと”あれは巨泉”と思い込んできたが、古い記憶で、あんまり確証がないと今、気がついたのだ。うん、まあ、調べようもないし、違っていたら謝ります、うん。